印刷

楽園はいまどこにあるのか

2010年11月22日の月曜日、日本各地に10発のミサイルが墜落した。事件後の会見における首相の失言から「迂闊な月曜日」と呼ばれたこのテロ事件は、一時はテレビやネットを騒がせたが、奇跡的に一人の犠牲者も出なかったことから、人々はしだいに危機意識を失っていった。しかしその三ヶ月後、羽田沖で11発目のミサイルが旅客機を直撃し、乗客のほとんどが犠牲者となってしまう……。

もちろんこのテロ事件は実在しない。『東のエデン』というアニメーション作品で起きた出来事だ。全11話のテレビシリーズと2本の映画からなるこの作品は、二度のテロ事件が起きた東京を主な舞台として、「100億円を自由に使って日本をよくする」という使命を与えられた12人の参加者が繰り広げる、奇妙なゲームをめぐって展開する。

SF的世界観をもとに独自の社会論を展開した『攻殻機動隊S.A.C.』シリーズの神山健治監督作品ということもあって、『東のエデン』は放送当初から「社会派」のアニメとしてネットを中心に多くの反響があり、現実の社会と結びつけて論じられることも多かった。物語の設定(2010年)と放送時(2009年)がほとんど重なっていたこともそうした傾向に拍車をかけたように思う。当時大学生だった僕もまた、『東のエデン』を「社会派」の優れたアニメーションとしてリアルタイムで観ていた一人だ。

しかし、「テロ事件」以外にも「2万人ニート」「相続税ゼロ法案」といった言葉が頻出し、それゆえ「現代社会への鋭い問題提起」に目が向けられがちだったこの作品のほんとうのリアリティは、それとは別のところに宿っていたのではないか。2015年のいま『東のエデン』を見返したときに、僕はあらためてそのような思いを抱いた。

2015年の初夏、国内では安全保障関連法案をめぐる動きが、国外ではISISの拡大がもっとも重大な課題として注目されている。政権与党の動きを「戦争を可能にする改憲」として反対するデモが連日起こり、戦争への不安感や中東におけるテロ組織の拡大に危機意識を募らせている読者も多いだろう。けれども若い世代の実感はこのような危機意識とはどこか距離を置いているように思える。

そのことを印象づけた光景として僕がいま思い出しているのは、先日「戦争法案反対」のデモが行進する街中をバスで通ったときの出来事だ。そのとき僕が座っていた反対側の座席ではふたりの学生が話していたが、バスがデモの行進に差しかかると彼女たちはお喋りを止め、「怖いよね」と囁き始めた。

最初僕は、彼女たちはデモの主張にある「戦争を可能にする改憲」について「怖い」といったのだと思った。けれど会話を聞くうちにわかってきたのは、どうやら彼女たちは戦争への不安感に対して「ではなく」、そのような不安感を主張し「マジになってデモなんてやってる」大人たちに対して「怖い」と感じているらしいことだった。「デモなんかやったって意味ないじゃん、どうせなにも変えられないのに」という声が聞こえてきた。

社会運動に対するこのような反応は、上の世代からすればいかにも未熟で幼稚な態度に映るだろう。僕もその未熟さを擁護するつもりはない。だが個別の法案への危惧より、むしろその法案をめぐって加熱する社会運動のほうに怖さを覚え距離を取ろうとするその「危機意識のなさ」は、はたして単純に、彼女たちに社会に対する現実感が欠如していることを意味するのだろうか。

『東のエデン』に話を戻そう。じつは僕がこの作品に感じていたリアリティも、平和な日本が突然ミサイル攻撃の対象となったという設定に「ではなく」、むしろその後、犠牲者が一人も出なかったことから生じる奇妙な「危機意識のなさ」のほうにあった。作中では、当初はテロに怯えていたネットの住民たちが、しばらくすると犯人探しのお祭り騒ぎをするようになり、「不謹慎だけど少しわくわくしてて、もっとなにかすごいことが起こらないかな」という空気までもが広がっていったと語られるが、このような空気は現実の日本でも生まれ得るものではないか。

「あるじゃないですか、日本って。もう自分たちじゃどうにもできない重たい空気」

主人公のひとり、森美咲は大学卒業を控えた女の子だが、彼女は自分たちの世代を覆う現実感をこのように表現している。テロも戦争も結局は自分たちにはどうにもできないという感覚に麻痺したこの国を変えてくれるなら、もっとなにかすごいことが起こってもいいという「不謹慎」な願望。そんな空気をどうにかするために、もう一人の主人公、滝沢朗は与えられた100億円を使って日本を変えようと決意する。『東のエデン』の物語はこうして展開していくのだ。

ところで森美咲と滝沢朗にはある「奇妙な」設定がされている。それは、ふたりがともに昭和64年生まれであるということだ。ご存知の通り、平成という年号は1989年1月7日に昭和天皇が崩御されたことで翌日8日から始まった。したがって昭和最後の64年はわずか七日間しか存在していない。この七日間にふたりは偶然生まれているというのだ。

この偶然は物語にはほとんどなにも関係していない。仮に片方が平成元年で片方が昭和63年生まれであっても、おそらくこの物語は問題なく成立するだろう。にも関わらず、僕にはこの設定が『東のエデン』という作品を象徴するきわめて重要な設定のように思える。どういうことだろうか。

考えてみれば「奇妙な」ことだが、日本の年号の変更時期は国民が自分たちで決められるわけではない。明治以後、日本では新天皇の即位にしたがって改元する制度が敷かれ、戦後もその制度が廃止されることはなかった。だから昭和64年はたった七日間で中断され、平成という時代は前触れなく始められた。僕たちは自分たちで決めたわけではない時代区分のなかで生きている――そのあいまいさこそが平成という時代を規定しているというのは、はたして言い過ぎだろうか。

社会学者の大澤真幸は戦後日本の時代区分を「理想の時代(45〜70年)」「虚構の時代(70〜95年)」「不可能性の時代(95年以後)」の三つに分けたが、この区分にしたがえば「平成」は大半が不可能性の時代に含まれる。この国が向かうべきエデン=楽園という「理想」を経済成長によって追求できた時代が45年以後、楽園という「虚構」を消費文化をもとに捏造できた時代が70年以後だったとすれば、なるほど95年以後の平成とは、そのような楽園を想像することそのものが「不可能」となった時代だといえる。「自分たちじゃどうにもできない重たい空気」――楽園の不可能性を描いたという点で、『東のエデン』はきわめて「平成」的な作品だった。

さて、その『東のエデン』の結末はどういうものだったか。この国を覆う「重たい空気」と立ち向かったふたりの昭和64年生まれはどうなったのだろうか。

作中、滝沢朗と敵対する元官僚の物部は、100億円を使うことで「国家規模のダイエット」と称する政策を推し進めようとする。ダイエットとはまさしく消費社会的なメタファーだが、彼は全員が等しく豊かになれる未来という「理想」や「虚構」を捨て、国家の財政を圧迫する高齢者やニートを切り捨てることで日本を救おうとする。したがって彼のビジョンは明確に昭和の否定にある。滝沢はそんな物部の国家像に共感を示しつつも、そのやり方に「愛がない」として退ける。彼は昭和という時代を切り捨てることは選ばず、楽園が不可能な時代に、それでも楽園を見つけようとするのだ。

滝沢と物部の対立が物語の最後どのような結末を迎えるかについてここでは触れない。ただ最後に、この作品で僕がとくに印象に残ったシーンを紹介したい。それは、公安に追われ大学の部室にこもった森美咲のふたりの仲間が、全共闘時代の頃に当時の学生が作ったまま放置されていた抜け穴を使って公安を撒くシーンだ。薄暗い抜け穴のなか「唾棄すべき団塊世代の遺産を使って敵を出し抜くんだ」と意気込む一人に対し、もう一人が「こういったものも自分たちが積極的に受け継いでいくべきだったのかもしれないな」と独り言のように呟く。

見終わってからもしばらく僕はそのシーンについて考えていた。受け継いでいくべきだった「昭和」とは何だったのだろうか。僕なりの定義を述べれば、昭和という時代は(あえて抽象的な言葉を使えば)「楽園はどこにあるのか」を問いつづけた時代だった。戦争も経済成長も消費社会も、いまここにはない楽園を求めて国家が突き進んだ結果だった。そして、それゆえに平成という時代は楽園を見失った。あるいは楽園の不可能性を根拠に、昭和を否定する声ばかりが膨れ上がった。若い世代の間だけではない。昭和の否定というレベルでは、新自由主義者も反経済成長論者も、明治政府への遡りを図る自民党さえも変わらない。みな直前の時代の失敗をリセットして、なかったことにしようとしている。

しかしそれでほんとうにいいのだろうか。楽園を求めなくなった国家に未来なんてあるのだろうか。

歴史は反復する。したがって上の世代の失敗に囚われたくない若い世代はしばしば過去を嫌う。けれどなにかを受け継ぐということは、やはりどこかで反復も含め過去を引き受けることなのだと僕は思う。昭和64年生まれのふたりが昭和を引き受けることで新たな楽園を目指したように、いまここにはない楽園のために、かつて理想と虚構で描かれた楽園の設計図を僕たちは受け継いでいかなければならない。

平成は昭和の延長線上でしかありえない。けれどそれは昭和の呪縛に囚われるということではない。昭和の失敗を助走路に変えて、平成の新しい可能性を離陸させるということ。それこそがこの「重たい空気」から抜け出すための、唯一の方法なのだ。

文字数:3982

課題提出者一覧