受賞のことば

  1. 先読みできないコースを走り続けるような長い一年でした。途中で息切れしかけた時期もありましたが、それでも苦しさより楽しさが優っていなければ、きっと最後まで走りきることはできなかった。いままで理不尽な社会に嫌気が差したときや、つまらない日々にうんざりしたときに、いつも批評を読んできました。すぐに役立つわけでもポジティブな言葉が並ぶわけでもない、けれど危機的な時期ほど響くものが批評にはありました。受賞させていただいた論考は、現在進行形の危機について論じたものです。危機の時代に批評は何ができるのか。そのことを今後も問い続けていきたいと思います。(上北千明)

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擬日常論

1. 料理と鉄道漫画としての『花と奥たん』

帰り道、私たちは迷子にならないよう、田園都市線の線路を使うことにしました。
奥たんはけんめいに自転車を押す。
――ほんの一年前まで、たくさんの帰るべき命をのせて、輝いていたこの鉄のガレキ…

2008年第2号のビッグコミックスピリッツから連載をつづけている――にもかかわらず、いまだ2巻までしか刊行されていない――高橋しんの『花と奥たん』は、料理漫画であり、鉄道漫画である。ただしそれは、あらすじを聞いただけではとてもそうは思えないかたちで、東京郊外における料理と鉄道からなる日常生活を描いている。

舞台設定が特徴的だ。『花と奥たん』の世界では東京都心に超巨大植物が出現し、立ち入りが不可能となっている。横浜のはずれにある「うるわしが丘」に住む主人公の「奥たん」は、巨大植物が出現した「あの日」から都心へ出勤したまま戻らなくなった「旦那たん」を待ちつづけ、ペットのうさぎ「Pたん」とともに崩壊した町を歩きまわりながら、日々の食料を確保している。

冒頭に引用したのは、2話で食料を探しに出かけたものの道に迷い、多摩川のほとりまで偶然たどり着いた奥たんが、巨大なカボチャを見つけてうるわしが丘まで持って帰るシーンである。都市機能が停止したその世界では、渋谷から東京の南西に伸びる東急田園都市線はすでに動いていない。しかし人の気配が消えたその線路が、奥たんを「迷子にならないよう」にうるわしが丘まで見守り届けるのである。

この漫画には、他にもうるわしが丘と東京をつなぐさまざまな鉄道が登場する。1話ではやはり運転が休止している東横線。4話ではJRが運営を休止した後、だれかが一日一往復させているという旧南武線に乗って、奥たんは終点の立川まで足を運ぶ。用事を終えた奥たんがうるわしが丘に戻る帰り道は、次のように語られている。

いつの間にか日はとっぷりくれて、迷子になりながらモノレールの下の検問抜けて、川崎街道に入る。ゴルフ場を突っきるあの丘をこえれば、旧南武線沿いに帰れるだろう。

東京郊外の地理に詳しい人ならば、鉄道をめぐる複数の情報を整理して「うるわしが丘」がどのあたりに位置するか推察することも可能だろう。そして鉄道に詳しい人ならば、ここに出てくる田園都市線、東横線、南武線がいずれも昭和の始まりとともに開業していることに思い至るはずだ。現在の田園都市線で最も早く開業した区間は二子玉川 – 溝の口間で1927(昭和2)年に玉川電気鉄道の溝ノ口線として開業している。東横線は1926(大正15)年開業し、翌27(昭和元)年に路線名が「東横線」と決定。南武線もやはり27(昭和2)年に開業している。

むろんこれは偶然ではない。柄谷行人が『近代日本の批評』(1997年)の昭和篇で述べているように、いわゆる「昭和」を特徴づけるものは1923(大正12)年の関東大震災とともに顕在化するからだ。柄谷は「明治的なもの」が実際には日露戦争とともに終わっていたように、「大正的なもの」は関東大震災で終わったと記している。そして昭和の始まりが東京にもたらした最も大きな変化とは、復興とともに広がった東京の郊外と、それを都心へつなぐ数々の私鉄の存在であった。それまで江戸の領域がすなわち東京の領域だった「首都圏」が、昭和の始まりから大きく根を広げていったのだ。

郊外の生活は昭和の産物である。だから『花と奥たん』で描かれる郊外の町の崩壊は、昭和の崩壊でもある。うるわしが丘から一人またひとりと住民が去っていくなか、奥たんは残された鉄道を歩き、異様に育った巨大な食材を料理して食べる。「あの巨大な植物が人を殺すようなものだとすれば、それを食べて平気でいられるわけがない」といって巨大な食材を恐れる人々を横目に、だからこそ奥たんはそれを口にする。食べて平気なら、夫もきっと平気なはずだからと。自分の生活が非日常に覆われていることは知っている。それでも(だからこそ)彼女は日常生活をつづけるのだ。

前述の通り、この作品は2008年に連載を開始している。しかしそこで描かれているもの――たとえば突然の悲劇により夫を失った(そして夫の帰りをいまだ待ちつづける)奥たん、常時マスクをはずさないうるわしが丘の「残され主婦」たち、「あの日」からの一周年に多摩川の河川敷では「きぼうの日」のイベントが開かれ、政府の対応に不満の声があがる――は「3.11」をどうしようもなく想起させてしまう。

2巻のあとがきには「この本に納められている7話と8話の間に、東北地方を中心として、この国に大きな地震とそれに伴う、やはり大きく深い痛みが起こり、今もまだ続いています。」とある。構想はその時点で8話まで完了していたらしいが、それでもやはり8話以降のストーリーに震災の影響を感じずにはいられない。

その8話では、奥たんの前に「学者」を名乗る男性が登場する。植物に覆われた東京を研究しにきたと言う学者は、都心に出現した超巨大植物について「世界中にあの花、あと何本か出てるんですよ。」「あの花の下では、地球に何十億年かけて起こったことが、たった数年で起こっている。」と語り、うるわしが丘に残りつづける奥たんにそこから逃げることをさとす。他の主婦たちはみな逃げてしまった。あなたはなぜここに留まっているのか、と学者は言う。

――しかしひどいな、空き家だらけで寂しい所だね。
でも…まだましか…
「あの日」、東京から逃げてきた人たちは、なにもかも置きっぱなしで急いで避難してきた。…かわいそうに。
ここは、みんな覚悟して出て行っているから、たいして置き忘れたものもないだろうしね…

停電の夜、空き家だらけになったうるわしが丘をふたり歩きながら学者が奥たんに話しかけるシーンがある。上の学者の言葉に、奥たんは心のなかで次のように返す。

…置き忘れた人の方がかわいそうなんて、だれが言えるんかな?
その日常を繰り返して行くんだって信じていられたんだから。
戻って、日常があるのだと、日常を生きて行こうと、信じていた証がそこにあるんだから。
比べられるもんか、やるせなく、あきらめて、悔しくって、でも、あきらめきれなくって、全部全部…持って行ったからっぽの家が、
この捨てられた家たちが、
その家より悲しくないってだれが言えるんか?

奥たんは北海道から出てきて、うるわしが丘で夫と暮らし始めたと設定されている。だからその郊外の町は、ほんらい彼女と何の関係もない土地である。その彼女が最後までうるわしが丘に残りつづけるのはいかなる理由によってか。そう学者が疑問に思うのは当然だ。しかし彼がいくら説明しても、奥たんはそれより学者が持っている「自家製ハム」の秘伝レシピを知りたがる。そんなのどうでもいいじゃないか、それより、このままだと近いうちに氷河期が訪れるかもしれない、と忠告する学者に対して、彼女が返すのは「冬が来るんなら、次は春が来るべな?」というあまりに楽観的な言葉だ。

何故現実を見ない、見ようとしない。
もうここには戻ってこないよ、だれも。
だれもここに来る理由なんて、ない…!

繰り返し迫る学者に、奥たんは優しく微笑みかえす。

でも、あなたはここに来たじゃない。

このシーンが震災以後に描かれたとするならば、福島や原発を想起させるテーマを抽象的な母性のイメージで包み込むことで、本来目を向けなければならない専門知や情報を遠ざけてしまっているとして、奥たんの態度を批判するのはたやすい。実際奥たんは学者の説明をほとんど聞いていない。彼女はしっかりした知識を身につけるべきだ、それが悲劇に向き合うということだと、そう思う読者がいても不思議ではない。作中にも、巨大に実った野菜をどこからか取ってきて料理する奥たんを気味悪く感じる住民の姿は描かれている。科学的な判断を待たずに、安全かどうかわからない野菜を口に入れる(包み込む)彼女の行為に対する批判的な反応は当然あって然るべきだろう。けれどその場面を読んだとき、彼女に対する否定的な反応は私のなかに見当たらなかった。なぜだろうと考えたときに、はっと気づかされた。昭和という時代が産み落とし、奥たんが生きているその郊外の暮らしは――日々の食卓にのぼる「自家製ハム」の味は、私たちの多く(あまりにも多く)が生まれ育った社会でもあるのだと。

日本研究者のアレックス・カーが書いた『犬と鬼』(2002年)には、かつて日本に一ヶ月滞在したアメリカ人俳優のロバート・マクニールが、ニューヨークのジャパンソサエティで「広島から東京まで、延々八〇〇キロ続く退屈な風景にはうんざりした。――味もそっけもない効率一点張りのゴミゴミした眺めは見るのもつらく、トンネルに入るとほっとしたほどだ」とスピーチしたことを記している。マクニールの言葉は正しいのかもしれない。しかしそのように言えるのは、彼が外国人だからではないか。

彼の言う「退屈な風景」で生まれ、無個性な住宅地で育ち、殺風景なロードサイドで遊び、ショッピングモールで買い物をし、けれどその風景をこそ故郷として生きてしまった私たちが、その風景を(批判はできても)否定できる理由はどこにもないのではないか。奥たんの言葉はそのような考えを抱かせた。

カーは同書のなかで1957(昭和32)年に国土交通省の前身、建設省がつくった『ユートピアソング』を紹介している。

風がそよぐよ ドライブウェイ
軽いリズムで どこまでも
歌は流れる リボンはゆれる
山も谷間も アスファルト
ランラン ランラン
ランラランラン ランラン
素敵な ユートピア

美しい自然の風景をアスファルトで破壊し尽くした昭和の土建国家を、彼はディストピアにすぎないと厳しく責め立てる。その説得には完全に同意しつつも、しかしこのような国に生まれてしまったこと自体がそもそも悲劇なのだと他人事のように言うことは私たちにはできない。『ユートピアソング』の歌詞を読んだとき、1995年の映画『耳をすませば』を思い出した。郊外の団地で暮らしている主人公の月島雫は、そこで挿入歌である『カントリーロード』のさらなる替え歌をつくっていた。

コンクリート・ロード どこまでも
森を伐り 谷を埋め
西東京(ウエストトーキョー) 多摩の丘(マウントタマ)
故郷は コンクリート・ロード

この『コンクリートロード』が東京の郊外であり、昭和の風景であるということ。そこから問いを立てていくしかない。学者の説得もかえりみず、奥たんはなぜうるわしが丘に留まりつづけるのか。非日常がおとずれた社会で、それでも日常をつづけるというのは、どのような生を意味するのか――この問いは、昭和を問い直し3.11以後の文化を捉える新しい視点になるはずだ。

『花と奥たん』は(あたりまえだが)3.11を予見して描かれたわけではない。けれど、だからこそ現実の悲劇を正しく伝えるジャーナリズムのような方法とは異なるあり方で「悲劇」を見る視点を私たちに提供している。ここから日常と非日常について改めて考え直していこう。

 

2. ポスト・セカイ系としての『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

――あの頃、私たちの日常は、そんなふうにして毎日が消費されてゆきました。
大人の偉い人たちは、「あの日」から何もかもが変わってしまったと言っていたけれど、
私はむしろ、何も変わらないその日常が少し不満であって、
でもそれはそれでひとつの幸せだったんだと、今となっては、そう思います。

『花と奥たん』の悲劇的な世界は、外国人の目には昭和以後の日本が野生の自然を破壊して「ディズニーランドのよう」(猪瀬直樹)な反自然的で衛生的な郊外社会をつくってきたことに対する、抑圧された自然の復讐に映るのかもしれない。自然の復讐によって人間は近代社会の微睡みから目を覚まさなければならないのだと彼らなら言うだろうか。しかし『花と奥たん』から導かれる結論は本当にそれだけなのか。

哲学者の國分功一郎は「人間に考えることを引き起こさせるショック」を指すドゥルーズの「不法侵入」という概念について、「ドゥルーズによれば、この不法侵入への対応こそが知性であり、思考だということなんです」と述べている(※1)。だからそれは一般的には「不法侵入を受け入れ、思考せよ!」といった意味に解釈されるのだが、國分は同時にこの概念を価値中立的に読み解こうと呼びかける。

どうしても不法侵入は起きてしまうのだけれど、それにしょっちゅう出会ったら生きていけないから、その侵入から自らを守るために習慣をつくる。しかし、それでも時折それが不法侵入される……そういうふうに考えればいいだけです。

「不法侵入」への対応を習慣化し日常化させる――それが奥たんの生活だとすれば、それと同型の想像力が、現在同じくビッグコミックスピリッツで連載中の浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下、『デッドデッドデーモンズ』)でも描かれている。2014年に連載を開始したこの作品の作者が、「セカイ系」の代表的作品として知られている『最終兵器彼女』を連載していた頃の高橋しんの元アシスタントであったという事実をまずは特筆しておくべきだろう。

セカイ系の解釈は論者によって多岐にわたるが、ここでは東浩紀『セカイからもっと近くに』(2013年)における「主人公と(たいていの場合は)その恋愛相手とのあいだの小さな人間関係を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな問題に直結させる想像力」という定義を参照し、高橋しんが『花と奥たん』を『最終兵器彼女』の後(ポスト)に描いていることと時を同じくして、浅野いにおも『デッドデッドデーモンズ』でポスト・セカイ系の想像力に挑戦していると考える。簡単にあらすじを説明しよう。

「現在」から3年前の8月31日、東京の上空に突然巨大な空飛ぶ円盤、通称「母艦」があらわれる。「侵略者」の攻撃によって多くの死者が出るが、アメリカ軍の攻撃によって母艦は渋谷区の上空に留まり、ときどき小型船を吐き出しながら、その後も東京上空に漂いつづけている。それから3年が経過し、侵略者との戦闘が断続的に行われることが日常化した東京で、主人公の小山門出は、中川凰蘭、出元亜衣、平間凛、栗原キホの4人の親友と高校生活を送っている。

このあらすじからも分かるように、『デッドデッドデーモンズ』の世界では、侵略者がいる非日常が日常に組み込まれている。対侵略者用の兵器開発がニュースで流れたと思えば、その次には関東地方の紅葉のニュースに変わる。男子高校生たちは「母艦」という目に見える非日常より、スマートフォンのアプリで「敵」と戦うことに夢中になっている。

そんな奇妙な日常で、門出は「イソベやん」という(ドラえもんを連想させる)キャラクターのリュックを通学用として使い、都合の良い未来(「空を自由に飛べたらな……」)を夢想する。8月31日の出来事は「あの日」――『花と奥たん』と同じく――と呼ばれ、門出は担任の渡良瀬の前で「…私は元来不謹慎な人間で、『8.31』の時もどこか期待しちゃってたんです。『侵略者』たちが、なんかすっごい事をしてくれるんじゃないかって……」「失って困るようなものなんてないんだから、いっそ滅茶苦茶に壊してくれちゃっても構わないのに。でも、『侵略者』って全然弱いし、なんで地球なんかに来ちゃったんだろうって…」などと話す。

東日本大震災以後の日本社会を意図しているのは明白だ。街頭のモニターにはその日の死者数が表示され、「侵略者注意」の看板があちこちに立ち、「あの日」攻撃を受けながら奇跡的に倒れなかった観覧車が「奇跡の観覧車」と呼ばれている。出元亜衣は、避難住宅地区に親だけが住んで「結構な額」の補償金を受け取っていると語り、栗原キホは「母艦」の危険性をめぐって彼氏と喧嘩し、そのまま別れてしまう。東京上空に漂いつづける「母艦」をめぐる議論は原発を想起させる。即時撃墜は不可能ではないが、そんなことをしたらその下にある街はどうなるのか、そもそも母艦が来襲したからこそ日本経済は軍事需要によって復活を遂げたのではないか、などとテレビで討論が交わされている。

そんな非日常下でも門出たちは平気で日常を過ごす。『デッドデッドデーモンズ』は主にその日常をめぐって展開され、彼女らは担任への恋心や来年に迫る大学受験にばかり関心を向ける。「母艦」の存在にもかかわらず彼女たちの日常が揺るぎないのはなぜだろうか。このことを考える上で興味深いのは、作中、門出や友人らが何度か外国人と会話をするシーンがあるが、いずれも門出たちの「英語力のなさ」によって、メッセージが翻訳されないまま終わってしまうことだ。たとえば2巻14話では、クリスマスイブの夜に部屋でオンラインのFPSゲームをプレイしている門出に、自軍の「部隊長」が英語で話しかけてくる。

〈…ん? お前、中国人? 韓国人?〉

門出が「あう、あ… アイム ジャパニーズ。」と拙い英語で返すと、彼は門出を心配して言葉をかけるが、門出はそのメッセージを理解することができず、「ヤ…ヤバい…リスニングもやんなきゃ…」と戸惑うだけである。部隊長は本当は次のように話していたのだ。

〈へぇ…東京はもう「侵略者」に乗っ取られた死の土地なんだってね…〉
〈僕の国ではみんな「A」爆弾で東京を焼き払うべきだって言ってるよ。君も早く逃げたほうがいい…死にたくなければね…〉

また、3巻22話で門司谷という男子に誘われて「ととバス半日弾丸東京ツアー」に参加した亜衣は、ツアーに参加していた外国人から日本人の危機感のなさを笑われる。

〈いや――笑った笑った。日本人マジで危機感なさすぎだわ。〉
〈さすがエンタメ大国の日本。国全体で体張ったギャグかますなんて最高にクールだと思うよ。〉

だがそのメッセージはやはり正しく翻訳されず、「…なんて言ってるかわからんけど」という亜衣に対して、門司谷は「きっと日本は素晴らしいって言ったんだよ。あんなに笑ってるし。」と返してしまう。

母艦の来襲は国際的な出来事のはずだが、現代の東京を舞台にしているにもかかわらず『デッドデッドデーモンズ』にはおどろくほど外国人の姿がない。テレビに映るのは「朝まで生テレビ」を模したような日本人出演者だけの討論番組。門出たちの生活圏は概ね武蔵野市周辺にかぎられ、アメリカや中国といった諸外国がこの「非日常」をどう見ているかは隠されている。それが結果的に門出たちの「日常」を強固なものとしているのではないか。『花と奥たん』で外からやってきた「学者」の忠告は、奥たんの「優しい微笑み」によって包み込まれ無化されていた。それと同様に『デッドデッドデーモンズ』の「外国人」の忠告は、今度は門出たちの「英語力のなさ」によって排除された。ここに同型の構図を見ることもできよう。

ところが3巻――『花と奥たん』の刊行が2巻で止まっているのに対し、『デッドデッドデーモンズ』は現在4巻まで刊行が進んでいる――においてその日常は断ち切られる。それは何によってか。2巻の終わりで渋谷上空にあらわれ、西に向かって移動している未識別の中型級船が兵器の攻撃によって吉祥寺に墜落する。3巻の始めに明らかになるのは、その墜落によって3名が死亡したこと。その中に、栗原キホが含まれていたという事実である。

3巻以降、物語はにわかに動き出す。中型船の墜落以降、立入禁止区域外に逃げた「野良侵略者」が問題になり、民間業者が駆除に参入し始める。3巻の終わりには小さな子供の姿をした「野良侵略者」が銃で撃ち殺される描写があり、巻のラストに「人類終了まであと半年」と不穏な予告が掲載される。

4巻の刊行日は今年の2月29日とまだ日が経っていないため、ここでは3巻までの内容に絞って考察をするが、ともあれこの予告は次巻から物語が大きく動くことを予感させる衝撃的なラストだ。だが3巻まで読んできた読者であればラストの予告と同じくらい、キホが死んだ翌日に見せた中川凰蘭の「叫び」に衝撃を受けただろう。凰蘭は門出の一番の友人であり、門出の不謹慎さをさらに凝縮させたようなキャラクターだ(8.31の当日、彼女は真っ先に匿名掲示板の「ニューススレ」を見ており、その盛り上がりの「ヤバさ」に浮かれていたという)。そんな彼女はキホの死の翌日にも、いつものように門出たちの前でFPSゲームの話題を大声で始める。門出はそんな彼女に、やりきれない思いとともにキホの死を告げようとするが、そこで凰蘭は「知ってるよっ!!」と泣き叫ぶのだ。

上空に「母艦」があらわれようが、そのことについて外国人から何を言われようが、セカイ系的な「世界の終わり」などでは、彼女たちの日常は揺るがない。『デッドデッドデーモンズ』がポスト・セカイ系たる所以は、セカイ系が「きみとぼく」という最小単位の関係が中心だったのに対して、「女子たちの共同体」という関係性が世界の終わりとどう向き合っているかを描いている点にある(『花と奥たん』においては奥たんが属する「残され主婦」のコミュニティがそれにあたるだろう)。その関係性は「きみとぼく」の閉じた関係より固く結ばれている――けれど、だからこそ非日常の到来では揺るがなかった彼女たちの日常は、その一人が死ぬことによって、途端に揺らぎ始めるのである。

 

3. 擬日常――非日常が日常化した社会

『花と奥たん』と『デッドデッドデーモンズ』に共通するのは、単なる日常を描いた漫画でもなく、非日常を描いた漫画でもない、非日常が来た後もつづけられる日常、言うならば日常の皮を被った非日常を描いている点である。ここではそれをさしあたり――擬似的な日常性という意味で――「擬日常」と呼んでみたい。なぜそのような言葉が必要か。それは日常と非日常といった既存の構図で社会を捉えるのに限界があると考えるからだ。「擬日常」の悲劇はこれまでの枠組みでは語ることが難しい。

どういうことか。ここでテリー・イーグルトンが行った悲劇の分類を参照しよう。イーグルトンによれば悲劇には二つのパターンがあると言う。一つは破壊的な出来事が突然外から侵入すること。9.11を思い起こして欲しい。もう一つは袋小路のような絶望的な状態が持続すること。パレスチナ問題が典型だろう。しかし『花と奥たん』と『デッドデッドデーモンズ』の悲劇は、明らかにこの二つが複合している。破壊的な出来事(巨大植物、母艦)が突然来襲したにもかかわらず、それらは都市に留まったまま、取り除かれる目処もなく置かれつづける。そして――原発がそうであるように――巨大植物も母艦も「外」から来たのではないとされている(少なくともそれは外国からの攻撃ではない)。

近代以前の社会は、日常と非日常――柳田國男に倣っていえばハレとケ――のサイクルの中にあった。日常が祝祭という非日常を経てふたたび日常に戻る、そのような循環する時間感覚のもと人々は生きてきた。しかし『花と奥たん』と『デッドデッドデーモンズ』の世界では、非日常が常態化してしまっている。非日常から日常に戻ることはできず、しかしそれでも日常を生きていかなければならない社会。それをここで「擬日常」として捉えようと思う。

またそれは(『花と奥たん』が震災以前から描かれていることが証明しているように)3.11以後にかぎられた感覚ではない。たとえば押井守の『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)には対テロの厳戒体制が敷かれた東京で戦車が待機する横をサラリーマンがごく普通に通勤するシーンが描かれている。また神山健治の『東のエデン』(2009年)ではミサイル攻撃の被害にあった豊洲を電車の窓から眺めながら、ヒロインが「不謹慎だけど少しわくわくしてて、もっとなにかすごいことが起こらないかな」と言い、ある種の危機意識のなさを表明していた。

さらに遡れば、たとえば小松左京の『復活の日』(1964年)は、日本社会の擬日常的な感性をあの時点できわめて鋭く描いていなかったか。未知のウイルスの侵食によって世界が崩壊する様を書いたこの小説で、MM菌と呼ばれる異常なウイルスが日本に蔓延し始めたとき、人々はそれでもマスクをつけて通勤や通学をつづけていた。彼らがいよいよ事態の深刻さに思い至るのは、ウイルスそのものの異常さをみなが理解したからではなく(その時点でも人々はまだ「たかがインフルエンサじゃないか!」などと考えていた)、「ホームからこぼれんばかりに渦まいていた」満員電車に、「もみあわずにのりおりすることができる」という異常さに直面したからだった。思い起こせば、通勤するサラリーマン、電車の窓、満員電車の空白といったこれら共振する風景の中に、日本のサブカルチャーは擬日常的な想像力を繰り返し描いてきたのではないか。

郊外の誕生に際した私鉄の展開。大正期以降の私鉄各線の鉄道網の開設は中産階級に定期券を携えての電車通勤という体験を日常化させた。そうしたなか、郊外と東京との結節点としての上野、新宿、渋谷、池袋などのターミナル駅は、盛り場としての乗降駅としてそれ自身発展するとともに、通勤という日常的行為のいわば《通過地点》ともなっていった。ターミナル駅はもはや旅行者にとっての《旅の窓口》といったものではなく、むしろ一瞥の《通過者》が往来するきわめて日常的・世俗的な通路と呼ばれるにふさわしい、都市の臨界点から都市の風景へと変容しつつあった。

北田暁大は『広告の誕生』(2000年)で私鉄の発展をこのように述べている。《旅の窓口》という非日常性から日常の《通過地点》と変容した「私鉄の風景」が異常になって初めて、『復活の日』の人々は擬日常を脅かす何かに気づいた。だとすれば、『デッドデッドデーモンズ』の母艦がほかのどの地域でもなく渋谷上空に留まり、3巻で中型船が吉祥寺に墜落したことにも、私たちは意味を見出さずにはいられない。関東大震災後に多くの人々が吉祥寺を始めとする郊外に引っ越し、その人口増こそが郊外住宅と私鉄の発達をもたらし、都市のターミナル駅(新宿、渋谷、池袋)に新しい盛り場を用意したのだから。おそらく浅野いにおは、彼じしん無意識のうちに『デッドデッドデーモンズ』で昭和以後の「都市の風景」を――その擬似的な日常をこそ――崩壊させようとしたのだと、さしあたり結論できるだろう。

 

4. 「断つ」ことと「離す」こと

まるでまた明日…そう言って帰るように。
さよならも言わずに帰るように。
みんな消えていきました。
――この街から。

ここで当初の問い――『花と奥たん』の奥たんはなぜうるわしが丘に留まりつづけるのか――に戻ろう。破壊される擬日常の風景の象徴として、ここまで郊外と都心を結ぶ鉄道の意味を考えてきた。昭和とともに生を受けた通勤通学電車は私たちの生活の風景を変えた。実際に電車内の風景を見てみよう。乗客は席に座り、そうでない人も同じ方向をじっと見つめたまま、互いに話しかけることもなく一時間近く時間をともにする。近代以降、都心のオフィスで働く人口が増え、オフィスワーカーは一日中席に座り、立つことなく夜まで仕事をするようにもなった。他人と雑談しながら商売をするといった光景はほとんど見られなくなった。

このことが擬日常性とどう関係するか。ここで「立つ」が「断つ」、そして「話す」が「離す」に通ずることに考えをめぐらせたい。社会の近代化は人々から次第に「断つ」ことと「離す」ことを遠ざけてきた。その象徴が通勤通学電車の風景であると言えるのではないか。そして電車内で乗客が目を落とすスマートフォンの画面は、インターネットへの「常時接続」と人間関係における「毛づくろい的コミュニケーション(内容を伝えるためのコミュニケーションではなく、つながっているという事実性の確保のためのコミュニケーション)」(斎藤環)をもたらしている。それは率直にいって、「断つ」ことと「離す」ことの生活空間からの消去を意味しているのだ。

断たれることも離れることもない生活。それによって生まれる、終わりのない擬似的な日常感覚――ここで新しい日常性について考えるならば、宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』(1995年)にも触れないわけにはいかないだろう。宮台はまさに95年において(それはWindows95が発売され、インターネットに人々の関心が向けられた年だ)日本社会の日常性を鋭く考察した社会学者だ。本の内容を簡単に要約すると、宮台はそこで「デカイ一発(鶴見済『完全自殺マニュアル』)なんてものが来ない、何が良いか悪いかが自明ではない世界を、そこそこ腐らずに「まったり」と生きていくことが必要だと述べていた。

筆者は宮台のいう「終わりなき日常」は擬日常と相反しないものと考えている。「まったり」生きよというのは、要するに振れ幅を小さく持てということだ。「非日常が来ないことを前提に日常を抱えて生きよ」という宮台も、「非日常であることを前提に日常を抱えて生きる」奥たんや門出も、ともに「社会はどうあれ自分はこうある」と考えるレベルにおいて等しい。じじつ奥たんや門出の日々ほど「まったり」という言葉に相応しい生活はない。したがって「終わりなき日常」と「擬日常」は、たんに日常と非日常をどのようなものと見なすか、その解釈において分かれているだけだが、ここであえてそれを「擬日常」と呼び直した意図については後ほどあらためて論じよう。

ともあれ、重要なのは彼が当時「ブルセラ学者」と呼ばれ、93年のブルセラ・ブーム、94年の女子高生デートクラブ・ブームを研究していたこと、そして「ブルセラとサリン」を対立的に考え、ブルセラ女子高生たちの「まったり」した日常を推していた事実である。なぜなら、言うまでもなく彼女たちの拠点は、「昭和の新しい盛り場」として誕生した新宿、渋谷、池袋だったからだ。それらは『花と奥たん』で巨大植物が根を張っている場所でもある。

ならば奥たんはそれらの場所の終わりを見届けようとしてうるわしが丘に残っているのだろうか。そうではない。「冬が来るんなら、次は春が来るべな?」とあるように、彼女はこの崩壊さえも日常に組み込まれた出来事でしかないと思っているのだから。

うるわしが丘の共同体もまた静かに崩壊していく。『花と奥たん』の2巻では、突然うるわしが丘を襲った巨大なバッタに対抗する「対バッタ作戦」で団結した住民たちが、見事バッタを追い払う展開が描かれる(そのとき子供らが囮となってトラックを走らせる環状八号線は、やはり昭和2年の「大東京道路網計画」で初めて計画され46年の「戦災地復興計画方針」で決定された、まさしく昭和の子供とでも言うべき都道だ)が、バッタを追い払い、手作り農園の収穫も無事に終えた「残され主婦」たちは――これで思い残したことはないといって――うるわしが丘を去っていく(「みんな消えていきました。――この街から。」)。

人は社会を失っては生きていけない。けれど、それでも奥たんだけは残りつづけようとする。なぜか。奥たんの生活を思い返せばその答えがわかる。そう――彼女はずっと食べてきたのだ。巨大なカボチャを、異様に育ったナスやトマトを、自分の背丈よりも大きなしめじを。だから彼女はすでにあの巨大な花の一部になっている。人間というより彼女はもはや自然の側から捨てられた自転車や人が住まなくなった家々に等しいまなざしを投げかけているのだ。

ひとが捨てた自転車。
捨てられたおまえで、捨てられた街を走る。
背をしっかり のばして。

「冬が来るんなら、次は春が来るべな?」とは、だから人間としての言葉ではすでにない。巨大植物の一部として、立つことも話すこともなく、ただそこにありつづける存在として、彼女はそこに留まろうとしているのだ。

 

5. 「決定の遅延」がもたらす悲劇

誰かなんか面白い話してよー…
こんなふうにみんなで集まるの、今年で最後かもしれないんだからさ――――…

『デッドデッドデーモンズ』の擬日常性を支えている最大のアイテムはスマートフォンだ。本編の1ページ目からして、門出はスマートフォンを右手に持ったまま寝ている。連載が14年に始まっていることから、高校3年生である門出はおそらく96、7年前後に生まれていると推測されるが、それは95年末にwindows95が登場した直後にあたる。

インターネットへの常時接続が生活のインフラとして整備された社会で門出たちは育ってきた。時期を同じくして(やはり95年のオウム真理教事件、そして2011年のアメリカ同時多発テロ事件の影響によって)監視カメラが広範に利用されるようになる。特定の場所をじっと見つめつづけるような「視線」は、それまでの社会には存在しなかった。だが95年から20年以上が経過し、私たちの社会は監視カメラ――断つことも離すこともない視線――が私たちを監視することを受け入れている。

新しい「視線」について考察を深めよう。たとえば旅先に行くといま観光客の多くはスマートフォンで写真を撮影している。何のために。もちろんフェイスブックに載せるためだ。かつて旅行することは日常をしばし忘れるために行うものだった。旅は日常から切り離された非日常だった。そのような感覚は確実に薄れつつある。いまAmazonのレコメンドシステムは、あなたが何を読んでいるか、読んできたかを(目を光らせて)常時把握している。ツイッターを使うということは、自分がそれを読むか読まないかに関係なく、フォローした人の発言をすべて収集しておくということを意味する。自分のツイートもすべて残される。つまりそれは、自分がスマートフォンの画面から視線を断っても、自分のアカウントは「視線」を断たないことを意味する。

SNS時代において多くの人は、出会った人をみな一度つないでおいて、その中からとくに仲が良い人や付き合いたい人を後から選別する、そのような人間関係のあり方を当然のものと考えている。しかしこうした人間関係はいままでになかった。近代以前の社会ではみながたがいの顔を知っていたために、真夜中に行われる祭りや、ヨーロッパの舞踏会で使われる仮面の役割が大きかった。生活空間が匿名的ではなかったため、匿名的になることに意味があったのだ。ところがいま日本人の多くはウェブを匿名空間として日々利用している。こうした非日常の日常化は『デッドデッドデーモンズ』でも繰り返し描かれている。

『デッドデッドデーモンズ』において「常時接続」と「毛づくろい的コミュニケーション」の決定的な意味は「決定の遅延」にあらわれる。たとえば3巻の凰蘭の叫び「知ってるよっ!!」がなぜ決定的であったのか。それは私たちに「取り返しのつかなさ」を感じさせるからだ。死んでしまったキホは戻ってこない。言いたかったこと、言っておけばよかったことがあっても、それはもう届けられない。そのことは擬日常の社会においてかつてないほどの重みを持つ。

「決定の遅延」とはどういうことか。作中、門出たちはしばしばLINE(を模したアプリケーション)で連絡を取り合う。たとえば彼女たちは(私たちもだが)休日に渋谷で待ち合わせをする際、場所や時間を先に決めておく必要性をそれほど大きくは感じていない。インターネットがなかった時代にはハチ公前など細かく場所と時間を指定していないと大変なことになったけれど、LINEがあればそのような心配はいらないからだ。場所や時間は後で決めればいい。

この「決定の遅延」はウェブの設計思想の根底にある。タスク管理アプリは行動を「後でする」ために使われる。すると人は気づかないうちに、昔なら思いついたときに行っていた些細な行動を後回しにするようになる。思いついたときに買っておかなければ忘れてしまう物も、Amazonの「後で買う」リストに入れておけばいい。読みたいと思った記事もとりあえず「後で読む」ためにブックマークしておけばいい。その行動が「いつでもできる」ならば、人は決定を「後に回す」ようになる。フェイスブックを例にすれば、人間関係の整理がいつでもできるからこそ、まず全員とつながっておいて後から親しい友人を選別するという行動をみな取るようになるのだ。インターネットは私たちの生活に「決定の遅延」を及ぼす。そしてこのことは門出たちの世代の行動様式をきわめて強く既定している。

そのことはときに悲劇の重みを生む。2巻の13話、キホが最後に登場するクリスマスイブの回を振り返ろう。パーティを開くため亜衣の家に集まった5人はケーキを食べてプレゼント交換をするが、すぐに「意外とやることないね…」「こんなんじゃいつもの放課後と同じじゃないか――!!」といつもの光景に戻る。そこでキホは「誰かなんか面白い話してよー… こんなふうにみんなで集まるの、今年で最後かもしれないんだからさ――――…」とこぼす。キホがそのように言うのは、彼女と凛と亜衣が駿米大を志望しているのに対し、門出と凰蘭が早稲田大を志望しているからだ。「…卒業したらそれっきり君らとは二度と会わなかったりしてな!!」そういってキホは笑う。すると凰蘭はわざとらしく「そういう冗談嫌い…帰るね…」と返し、あわてたキホが「なっ…なんだよこの間のファミレスの仕返しだろっ!?」と引き止める。そうしていつものような言い合いが始まり、凛が「つべこべ言わないで、私について来な!!」とこれまたおちゃらけた感じで場を収める。

そう、彼女たちはこの擬似的な日常の終わりをどこか予感していた。門出と凰蘭が早稲田大に行けば、もうみんな会わなくなってしまうのかもしれない。そのような予感はあった。しかしそこで不安をわざとらしい冗談とおちゃらけた演技で収めたのは、たとえ会うことが減ったとしてもメールやLINEでつながっていられる、決定的な終わりなんて来ないはずだと思っていたからではないか。実際、そのように思える情報社会を私たちが現実に生きているように。しかしそうではないことを『デッドデッドデーモンズ』は突きつける。取り返しのつかないことはそれでも起こる。そして、それこそが『デッドデッドデーモンズ』が描く悲劇の重みなのだ。

 

6. レトロな未来としての「イソベやん」

じゃあついでに聞くけど、
空を自由に飛べたら小山はどうすんの?

インターネットは平成における新しい発明だと思われている。けれどそれを擬日常の強化ツールとして捉えたとき、インターネットが、かつて昭和期に鉄道の普及が担ったのと似た役割を果たしていることに気づかされる。たとえば日本でなぜあれほどツイッターが流行るのか。それは私たちが「断つ」ことと「離す」ことのない生活のあり方に強い執着を覚えるからだ。したがって、その意味で私たちの社会的な意識はいまだに日本の昭和という時代にとらわれている――私たちは昭和の90年代を生きている――と言えるはずだ。

ここまで触れてこなかったが、じつは『デッドデッドデーモンズ』には巻頭と巻末に「イソベやん」という短篇漫画が掲載されている。前述の通り「イソベやん」は「ドラえもん」をモチーフにしたキャラクターで、短篇漫画も藤子・F・不二雄の作風をトレースし、デベ子、ヒネ美、メスゴリラ、たかふみくんといった(のび太やスネオ、ジャイアン、しずかちゃんを思わせる)キャラが登場する。イソベやんが出す「内緒道具」を使って、デベ子は身にふりかかった災難を一時的に解決するが、使い方をあやまってしっぺ返しを食らうという一話完結のストーリーも「ドラえもん」でおなじみのものだ。

門出の通学用リュックがイソベやんのキャラクターグッズであったことを思い出して欲しい。1話には門出が担任の渡良瀬に、もしここに「あわグライダー」(ドラえもんにおける「ヘリコプター」)が存在していて、空を自由に飛ぶことができたら何がしたいかと問うシーンがある。そして6話で今度は渡良瀬の方から同じ質問をされたとき、彼女は一番の親友である凰蘭のもとへ飛んでいきたいと強く答えている。藤子・F・不二雄のドラえもんがかつて「理想の未来」を体現する存在として生まれたのだとしても、浅野いにおはイソベやんにもはやそのような未来を体現させていない。内緒道具は「ここではないどこかへ」行くためにではなく、「ここにしかいないひと」に会うために使われるようになるのだ。イソベやんには社会を変えることも生活を変えることも期待されていない。

社会を変える力も生活を変える力も持たないその「レトロな未来」をこそ門出が愛しているのはなぜだろう。この問いは『花と奥たん』の奥たんがなぜうるわしが丘に留まりつづけるのかという問いと重なる。あえて私的な想像を挟めば、もし『花と奥たん』で奥たんの前に「あわグライダー」が出現したら、彼女はきっとうるわしが丘から遠くへ逃げるのではなく、立ち入り禁止になった山手線の内側まで夫を探しに行くだろう。

ドラえもんで描かれる生活は、何十年も繰り返し毎週アニメで放送されるうちに、ありふれた「レトロな未来」になってしまっているのかもしれない。数十年前には輝かしい未来の象徴だった郊外の住宅地が、いまはもうどこでもある擦り切れた生活空間でしかなくなっているかもしれないように。けれど、そのありふれたどこにでもあるものが、彼女たちにとってはかけがえもないものであるということ。他人(学者や外国人たち)にはその理由はわからない。しかしそれこそがヒントとなる。他人や社会がどうであれ、自分にとってはかけがえのないのだという感覚が内的な確かさを生むのだ。

 

7. 来たる「可能性」ではなく、起こり得る「確率」として

現代の社会を「擬日常」として捉え直せ、というのがこの論考の主張である。しかしなぜ「擬日常」という言葉を与えなければならなかったのか。最後にここへ戻ろう。ひとことで言えば、「3.11」という出来事について考えたのがきっかけとなる。『花と奥たん』と『デッドデッドデーモンズ』という「3.11」の出来事性と向き合っている作品を考察の対象と選んだのはそのためだ。そしてこれらをポスト・セカイ系の作品として読んできたのは、先に引用した『セカイからもっと近くに』を書いた東浩紀が、それと時期を同じくして『クリュセの魚』(2013年)というSF小説を書いていたことに思い至ったからだ。人はなぜ物語を必要とするのだろうか。

もともとこの論考の内容は、いま目黒区美術館で開催(2016年2月13日 – 3月21日)されている「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―」展を歩いているときに考えた――考えさせられた。津波に洗い流された後の住宅地の光景は『花と奥たん』で描かれた人気のない東京郊外の廃墟を連想させた。遺留品として展示されているウォークマンを見て、『デッドデッドデーモンズ』の1巻で凰蘭が手に持って聞いていた小型ラジオを思い出した。

印象的だったのは、被災現場の写真すべてに撮影者のコメントが付けられていたことだ。写真や被災物をただ並べるのではなく、物語を付与することで「観客の想像を補助する」意図のもと提示している。「東日本大震災を考えるためのキーワードパネル」が用意され、かなり踏み込んだ展示になっているだけでなく、被災物を「生活の記憶の再生装置」として捉え震災以前の暮らしがどうであったかを想起させる工夫もなされており、一般的な博物館展示というよりは一種のインスタレーションとして空間が構成されているように思えた。

気仙沼市で1994年に開館したリアス・アーク美術館は、震災後より東日本大震災関連の資料を常設展示している。館の基本方針が公式ホームページに記載されているので、一部を引用する(※2)。

同地域で津波災害が繰り返される背景には、その地域の歴史や文化が深くかかわっています。ゆえに当館では津波災害を単に外部要因としての自然災害と捉えず、地域内部の文化的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いています。

震災後はメディアを中心に「想定外」「未曾有」「1000年に1度」といった表現が繰り返し使われた。しかしそのような表現は適切でない、とリアス・アーク美術館は説いている。

2011年3月11日、震災発生直後から人々は「想定外」「未曾有」という言葉を口にしました。しかし過去の津波災害を例とすれば、大津波襲来は想定されているべきでした。そして、過去に何度も繰り返している以上、未曾有という表現も適切ではありません。気仙沼市内で浸水、壊滅という被害を出した地区の多くは戦後の埋立地であり、高度経済成長期の開発とともに造られた街です。地域の津波災害史を正しく理解していれば、被害規模を縮小できた可能性は否定できません。

日常と非日常という枠組みに対する疑問が確信に変わったのは、このリアス・アーク美術館の方針を知った瞬間だ。3.11以前、多くの日本人は大震災を非日常の出来事と考えていた。しかし、もう少し視野を広げ、一人の人間の寿命よりほんの少し長いスパンで歴史を振り返ると、日本という島がいかに頻繁に震災やその他の災害にさらされてきたかが見えてくる。たとえばリアス・アーク美術館には明治29年と昭和8年の三陸大津波に関する資料や、昭和35年のチリ地震津波の資料が展示され、三陸沿岸部に過去平均して40年に一度の頻度で大津波が来襲している事実が伝えられている。

この国において災害はむしろ日常的な出来事であると言っていい。しかし2011年以前にはその事実を正しく認識できている住民は少なかった。私たちは「3.11」を契機に災害に対する考えを改める必要がある。リアス・アーク美術館はそのようなメッセージを打ち出していた。災害とは何か。この国において、それは言うならば、日常の先にもしかしたら来るかもしれない「可能性(possibility)」の出来事ではなく、つねに私たちの生活のそばにあり、いつでも起こり得るような「確率(probability)」の出来事なのではないか。

そのような思いを抱いたとき、『花と奥たん』で学者が話していた言葉が頭をよぎった。「巨大植物の下では、地球に何十億年かけて起こったことが、たった数年で起きている」そう彼は言ったのだったか。地球という長い歴史のなかでは、これまで発生した生物の大半はすでに絶滅している。恐竜のように覇権を取っていた種も、氷河期の訪れといった出来事によって為す術なく滅びてしまう。人間がいま生物種のなかで覇権を取っているのは必然ではなく、まったくの偶然にすぎない。だからいつ絶滅してもおかしくはない。

こうした事実は、しかし私たちに恐怖だけを与えるわけではない。絶滅の可能性(もしかしたら来るかもしれない)が人間に恐怖を与えるのだとしても、それだけならば「学者」という職業が成立するはずもない。絶滅の確率(いつでも起こり得る)を知るということは、ときには人間を解放する。自分の生きている「いま」「ここ」の時間の外側に、まったく異なる世界がありうるのだということ、日々感じている些細な不安が、なんて小さなものであるか。人間の視点からは「絶滅」でしかない可能性も、まだ存在しない新しい種、次の人類にとっては「誕生」のための確率かもしれないのだ。

『デッドデッドデーモンズ』の3巻の終わり、高校の卒業式を迎えた門出と担任の渡良瀬は(おそらくは最後の)会話を交わす。「本当の本当は、この世界はどのくらいやばいんですか?」と聞く門出に対し、渡良瀬は「俺たちがこうしてくだらない話をしてられるのは、ただのまぐれか偶然。もしくはあいつらの気まぐれだろうな。」と答える。このような感性は昭和以後、3.11以前の社会には薄れていた。

昔の人はそんなふうには考えなかった。彼らは、自分たちがその上で暮らしをいとなんでいる大地は、もともとがふるふると揺れている鯰や龍の背中に乗っているような、じつに不安定なもので、鯰や龍がなにかの拍子にからだをひと強請するだけで、背中の上でくりひろげられていた平穏な日常生活などは、ひとたまりもなく崩れさっていくものだ、という感覚をもって生きていた。

中沢新一は『アースダイバー』(2005年)で近代以前の感性をこのように書いている。この文章も「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展で過去の人々が災害をどのように絵として残してきたかを見ていくなかで思い出した。江戸時代の人々にとって地震は版画に描かれた鯰のしわざだったのだ。日常と非日常という枠組みではなく、この日常が非日常とつねにともにあるということ、すべてが擬似的な日常でしかないという感覚を取り戻すところから考える。そんなことができないだろうかと感じた。

あの日、電気が止まり電波が遮断された被災地で、スマートフォンの画面に残されたまま届くことなく津波に流されていった無数のメッセージを思う。「いつでもできるなら後に回してもいい」と、そのように考えていたそれまでの日々を悔いた人々のことを思う。――そこから始めなければならないのだと、被災地の写真は語っているように思えた。

――ほんの一年前まで、たくさんの帰るべき命をのせて、輝いていたこの鉄のガレキ…
同じ道を、
この道を、
きっと帰ってくる。
こうして一歩一歩、つながっている――

 


※1 マトグロッソ(http://matogrosso.jp/yuragu/yuragu-11.html)
※2 リアス・アーク美術館(http://rias-ark.sakura.ne.jp/2/sinsai/)

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