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天皇無限説 天皇はキャラである

アイドルの橋本環奈は「千年に一人の逸材」という冠を返上しなければならない。それは、佳子内親王の頭上にこそ相応しい。

というのは大げさかもしれないが、それほどに最近の佳子様熱は、アイドルのそれと変わらない。むしろそれを凌駕する勢いにあるといってもいい。宮内庁には公務依頼が殺到し、ネットもテレビも雑誌も、いち早くそれを取り上げ、国民はその存在に熱いまなざしを向ける。
内親王(天皇の娘、もしくはその嫡男系の嫡出の孫で女子であるもの)としてこれだけアイドル的(主にヴィジュアルで)に騒がれた人物がいるだろうか。歴史を遡れば、「続日本紀」でその美貌が謳われた奈良時代の氷高皇女(後の元正天皇)がいるが(「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されている)、それが当時の国民の認識であったのかはわからない。そもそもその顔を見ることができた人間はごくわずかなはずだ(とはいえ、美しかったのだろう)。
もはや千年の比ではなく、「二千年に一人の逸材」となる平成の「アイドル皇族」佳子様への認識はどのように育まれ、この平成の世で爆発したのか。それは、二人の「天皇」の存在をもってしてはじめて可能となる。一人はその祖父である今上天皇、もう一人は曾祖父である昭和天皇だ。昭和天皇は、「天皇」に対する国民の認識にパラダイムシフトを起こし、その息子である今上天皇はそれを元に新しい方法論にたどり着いたかのように見える。そしてそれは
、ある命題に対する答えではないのか。その答えは、昭和の延長線上にあるかにみえる平成を浮かび上がらせ、解き放ち、異次元へと誘うはずだ。

「天皇」とそのシステム、その有限性

昭和という激動の時代に変わらなかったものがあるだろうか。政治/経済/思想/生活/文化、変わらなかったものがあるだろうか。何一つとしてないのではないだろうか。しかし、変わってしまったとしても、一つの存在がその時代のはじめからおわりまで影響力を持ち続けたことも事実である。
「昭和」とはなにか、それはこの時代の名を持つ昭和天皇のことだ。ただしこれは、数ある答えの中の一つでしかないだろう。
昭和の時代には二人の天皇が存在した。「神」としての天皇と、「人」としての天皇だ。
1945年を境に昭和天皇は「神」から「人」へとその姿を変えた。玉音放送で天皇の声を聴いた国民は、翌元旦に天皇より発せられた「新日本建設に関する詔書」、いわゆる天皇の「人間宣言」を経て、さらにその翌月二月から始まった天皇の全国巡幸で見せたその姿に、その目でも天皇が自分と変わらない肉体を持った人間であると確認するに至る。彼らは天皇の声を聴き、姿を見、同じ場を共有することで、天皇も自分たちと変わらない、有限の同時代人であるとして、実にアクチュアルな認識を持ったのではないだろうか。これが、昭和天皇が国民の持っていた「天皇」という認識に起こしたパラダイムシフトだ。
そして、天皇が有限であるならば、そのシステムも有限であるはずだ。今年(平成27年)は皇紀2675年にあたる。皇紀とは神武天皇即位の年を元年と定めた紀元のことである。神武天皇は記紀において第一代天皇とされる。つまり、この国が「天皇」というシステムを採用してから2675年が経過し、今上天皇は125代目にあたる(記紀における天皇の実在性についてはここでは問わない)。この2675年間の、124回の代替わりの間に、システム崩壊の危機、つまり天皇の空位/皇統断絶危機が少なからずある。
最後にシステムが危機に瀕したのは南北朝時代である。後桃園天皇が二二歳で急死、遺児は一歳に満たない内親王のみであった。その死は十日間ほど伏せられ、その間に後継たる候補者を急ピッチで選定、吟味した。その結果、宮家から当時八歳だった師人親王が養子に迎えられ光格天皇として即位し、辛うじてその回路を繋ぐ。
以後、有限であるはずのシステムは無限であるかのように「天皇」という人材を繫ぎ、存続してきた。しかし、昭和という時代は、そのシステムそのものをラジカルに問われることになるのである。天皇というシステムの在り方/運用が時代によって異なることはあっても、そのシステムそのものがはっきりと存続か廃止かで問われ、その上、その決定に拒否権がないというのは昭和のこのときが初めてではないだろうか。
すなわち、1945年の敗戦によって設置された占領機関/GHQにより、天皇というシステムは審議にかけられる。存続か否か。結果として、天皇というシステムは戦略的に存続することになる。システム存続が占領政策を円滑に進めるための必須条件であると考えたGHQ最高司令官/マッカーサー等の思惑が働いたためである。以下、マッカーサーが述べたといわれる内容を以下に引用する。

マッカーサーは日本統治のために天皇制は存続させるべきであり、もし天皇制を廃止してしまったらわれわれは百万人もの兵員をつぎこんで占領政策を進めなければならないだろうと(アメリカ統合参謀本部に)勧告した。

保阪正康『昭和史入門』文藝春秋、2007年、116項 ※()は著者による補足

この発言は、1946年1月下旬のことであり、当時のGHQの兵力は約四十万人と推定される。マッカーサーには、天皇というシステムはそれほどの影響力、求心力、さらには統治力をもつものとして実感されていたのである。事実、その勧告の翌月に行われた天皇の巡幸はマッカーサーの実感を証明するものであった。

「天皇」の再発見1

戦前はその姿を写真でしか見ることができず、声さえ聴くこともかなわなかった天皇の声をラジオから聴き、巡幸ではついにその姿を間近で目撃するに至った国民は、天皇というその存在をアクチュアルに体感した。天皇への新たなまなざしを獲得した国民は、次第にそのまなざしを天皇の周辺にも広げていく。
1959年、その息子の成婚パレードはテレビで放映され、多くの国民がお茶の間でその姿を確認し、それまでに雑誌やテレビで喧伝された二人の「背景」をもってその姿を眺めた。翌1960年には初孫誕生、末娘の結婚会見。これもまた「背景」を含め国民はそれをテレビやラジオで享受した。さらには1989年に天皇が亡くなると、その葬式もまたテレビから国民に流された。ただし、テレビのコンテンツとしては不人気だったようで、レンタルビデオ屋が大繁盛したという。
かくして、天皇とその周辺は「開かれた皇室」の名の下に国民に再発見されていく。お茶の間でテレビを通して、雑誌のグラビアや記事を通して、つまりはコンテンツ化し定着していく。国民は天皇とその周辺の冠婚葬祭のみならず、日々の出来事、ときにはスキャンダルを、その背景も含めて消費していく。国民は有限の同時代人として天皇を、そしてその周辺である皇室を、今度はコンテンツとしてアクチュアルに認識するに至る。

「天皇」の再発見2

昭和天皇はその死をもって「天皇」という有限性を証明し、同時に「人」であることも示した。そしてここから、その後を継いだ今上天皇による平成の世が始まる。即位後に行われた朝見の儀もやはりテレビ放送された。このテレビ放送に関し、後日新聞に掲載された興味ぶかい記事がある。以下はその記事からの抜粋である。

○TV放送にも配慮
お言葉の中に憲法のくだりを入れたことについて宮内庁幹部は「新天皇のこれまでのご発言やご発想から推測して作った」と説明する。朝見の儀には約110人の婦人が出席した。故陛下のときは女性は招かれなかった。今回、宮内庁はひとりでも多くの女性に出席してもらおうと「服装は悩まないで下さい。一般的な礼服でもいいですよ」と働きかけたほど。テレビ放送にも力を入れ全国に流れるよう配慮した。新天皇陛下の登場をいかによく印象づけようとしたか政府の努力がうかがえる。

1989年1月15日付朝日新聞朝刊
「各種力学の中で 国民主権と接点課題(政治の中の天皇:8)」

「テレビ放送にも力を入れ全国に流れるよう配慮」し、そしてその絵面にも配慮した訳である。多くの女性の映り込みを期待したのだ。80年代は「女の時代」といわれたほどに「女」が焦点となった時代で、1985年には男女雇用機会均等法が制定され、同年には国連の女子差別撤廃条約に批准した。また記事でも触れられているとおり、言葉の中に日本国憲法へのくだりがある。日本国憲法は、性別による差別を禁じている。これらの事情を配慮して多くの女性を招いたのだろう。
また以下は、その中で語られた天皇の言葉の一節である。

皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。

ここで天皇は「皆さんとともに」という表現を使っている。「皆さん」と呼びかけられているのは、参列者のみならずテレビの前の国民である。昭和の時代に再発見したのは国民だけではなかった、当時皇太子であった今上天皇もまた、国民を有限の同時代人として認識し、アクチュアルに体感し、再発見していたのである。その再発見をもって戦略的に配信したのがこの放送であり、天皇はこの放送が「開かれた皇室」の名の下で消費された膨大な出来事の記録/情報の一つに過ぎず、またそれは国民にとっては一つのコンテンツにすぎないこと、さらにいえばエンターテイメントとして消費されることを避けられないことを痛切に理解していたのではないか。

「神」から「人」、そして「キャラ」へ

昭和天皇は玉音放送とそれに続く巡幸で、国民に「天皇」は「人」であることを示した。では今上天皇は、さきに述べたコンテンツ配信で国民に何を示そうとしたのか。
それまでにも数多くのコンテンツが配信された。その配信されたコンテンツは国民と天皇にどの様な影響をもたらしたのか。それは、「天皇」のキャラ化である。繰り返しその姿を目にすることで馴染んだ国民は、天皇を「『天皇』という人」として認識する。そしてまた天皇もコンテンツ作成の為の撮影や収録の際に、「『天皇』である私」を認識する。そして両者のイメージは一致/定着し、「キャラ」となる。
天皇が即位の際に配信したコンテンツで示そうとしたこと、それは「『天皇』である私」であり、裏返せばそれは「キャラとしての天皇」である。
では、そもそも「キャラ」とは何か。以下はWikipediaの記事項目「キャラ」からの抜粋である。(抜粋した記事は元々は著作物からの引用であるが、正確な出典等が明らかに出来なかっため記事からの抜粋に留める。このような形で引用することを記事に引用された著作物の著者に対し深くお詫びする)

・場の空気による圧力として本人の意図とは無関係に強制されることもある。

・実際の本人の性格がどうあれその場で設定されている単純なコードに合わせて振舞うことによって予定調和的なコミュニケーションを円滑化させ、またそれにより親密さを感じることができるという点がある。

第一項は、現在の天皇の立ち位置をよくあらわしているものであり、第二項は、その立ち位置のなかでも「キャラとしての天皇」であることのメリットを説くと同時に「天皇」の特質を捉えている。そしてこれこそが、天皇がたどり着いた新しい方法論だったのである。そしてそれは、冒頭に述べた「ある命題に」対する答えである。昭和天皇が導いた「神」から「人」への導線のその先に、天皇は「キャラ」という概念に発展させ、それを演じるという新しい方法論にたどり着いた。そしてそれは、即位後の朝見の儀で触れた日本国憲法が持つ「ある命題」への答えではないだろうか。それはその成立から長らく解釈の難しかった「象徴」という言葉への答えである。以下に第一章「天皇」に定められた第一条を引用する。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇はこの「象徴」という言葉に「キャラ」という答えを得たのではないだろうか。「天皇はキャラである」この概念こそ昭和の延長線上にあるかにみえる平成を浮かび上がらせ、解き放ち、異次元へと誘うはずだ。

「天皇」とそのシステム、その無限性

天皇は「天皇というキャラ」によって補完され、無限性を獲得する。なぜなら「天皇というキャラ」はコンテンツ上の「登場人物」であり、その「キャラ」を付与された「登場人物」は極論をいえば死なない。大山のぶ代が降板しても「ドラえもん」は今も「のび太」の友達だ。故に「天皇」が「キャラ」であるなら、「天皇」は死なない。故に無限である。天皇が発信するコンテンツもいわば上記と同じコンテンツビジネスであり、それはもはやシステムである。そしてそのシステムからは佳子内親王のような「アイドルキャラのプリンセス」が出てくる。天皇というシステムは、このようなプリンセス/プリンセス/シンデレラを生み出せる日本唯一の装置/機関である。いつの時代も国民はそのようなものにあこがれを持っている。それは、佳子内親王の騒がれぶりが示している。そんな日本人がこのシステムを手放すわけがないのである。

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