<再生>されるわれわれ
さまざまなる事情が重なって時間がない。
2000字以上にまとめられない。
アイデアだけを記す。
点数、断念。
A)映画的なもの:わたちたちが<観る>イメージ・メディア(sitillであろうと)
B)映画的でないもの:われわれが<視られる>イメージ・メディア
B、その極北は、監視カメラ。
Bは偏在する。
われわれは、つねに、視られている。
われわれは、原理的に、それを意識化することができない。
Bは、はじめて、映像的<記録>を可能にした。
ここで、<記録>とは、<記憶>の反対概念。
わたしたちは、Bを記憶することはできない。
それは単<記録>される。
されつづける。
記憶ではないBは、決して<想起>されることがない。
Bは、何がしかの事件が起こったときにのみ、<再生>される。
他方で、Aは、わたしたちに記憶される。
というより、Aは、わたしたちの記憶の中にしか存しない。
とすれば、Aは、決してなにものも<記録>することができない。
記憶映像(ドキュメンタリー映像)でさえも。
<再生>されたBを視る者はいる。
しかし、それは<人格>ではない。
時間切れ!
文字数:459