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可能なるポスト昭和

昭和はいつ終わるのか?

明白である。昭和は、西暦でいえば1989年の1月7日に、すでに終わっている、この歴史的事実を知らない者はいない。したがって、冒頭の問いは、「疑問」ではない。それは、「呟き」である。昭和という元号は現在から27数年前に終わりを告げた。にもかかわらず、ときに私たちは、いまだにこの時代を生きているような「気分」がする。私たちの生きている時代がいまだに、昭和の引力に囚われているように感じてしまう。

「呟き」は往々にして、徒労の感覚の無意識的な表出である。昭和という元号が終わってからのち、私たちは、まさしく激動の時代を生きてきた。翻弄されてきたといってもよい。にもかかわらず、私たちはその中で、結局のところ、質的に何も新しいものを生み出すことができなかったのではないか。時代は何も変化していないのではないか。このような疑いがふいに私たちを捉える。

徒労の感覚はいつも熱狂のあとにやってくる。私たちは、これまでに幾度、新しい時代の到来の予感にココロを震わせたことだろうか。少々古いが、誰もが知っている事例をあげよう。

2004年。ライブドアという企業が、経営不振の続くプロ野球球団の買収に、名乗りをあげた。以来、そのCEOであった堀江貴文という名の青年が、連日マスコミを賑やかすことになる。堀江貴文の登場はきわめて唐突な印象を人びとに与えた。むろん、堀江の存在は、IT業界や一部の投資家の間ではよく知られていた。だが、一般の人びとにとって、かれはほとんど無名の存在であったといってよい。その無名の青年が企てた、プロ野球球団の買収は、明らかに当時のひとびとの「想像力」の枠外にあった。

だが、堀江貴文が、真に日本中に衝撃を与えたのは、翌2005年初頭のことである。ライブドアが、時間外取引というきわめてトリッキーな手法で、ニッポン放送に敵対的買収を仕掛けたからだ。ニッポン放送は、フジサンケイグループを中心的企業であったフジテレビの、筆頭株主であった。したがって、ライブドアによるニッポン放送の買収が、実質的にはフジテレビの支配を射程においていたことは、疑いがない。もともとエンジニア出身の堀江貴文は、このときいわば、フジサンケイグループ内の資本関係のゆがみを衝いた、ハッキングを企てたといえる。ともあれ、30代前半の若者が、巨大マスメディアの買収を仕掛けるなどと、それまで、いったいだれが想像しえただろうか。当時の堀江貴文は、確かに、昭和の想像力を超える企業家でありえた。

しかし、残念ながら、私たちはこの顛末を知っている。2006年、この新しい時代の寵児は、東京地検特捜部によって逮捕、そして起訴された。容疑は有価証券取引法違反。東京地検特捜部によって「起訴」された時点で、堀江の「有罪判決」はほぼ確定していたといってよい。堀江の登場と同様に、この逮捕劇は、きわめて唐突であった。私はこのとき、茂みから飛び出してきた蛇が、蛙を丸呑みする光景を目の当たりにするような、きわめてグロテスクな印象を抱いた。マスメディアから強い反感を買っていたライブドアは、確かに危うさを感じさせたが、まさか横から東京地検特捜部が飛び出してくるとは予想していなかった。しかし、起こってみればそれは、「想定の範囲外」であると同時に「想定の範囲内」でもあったのだ。この構図は、ある意味で、あまりにも見慣れた光景であったから。それゆえ、私たちを浮かしていた熱狂は、一気に徒労の感覚へと色褪せた。このとき、こう呟いた者がいても不思議ではない。いつまでこの構造が続くのか、と。堀江貴文が現在本格的に取り組んでいる宇宙ロケット開発は、すでに当時のかれの構想の範疇にあったようだが、堀江はこのとき結局、昭和という時代の「引力」をついに振り切ることができずに、失墜したのだ。

ところで堀江貴文は、ニッポン放送/フジテレビの買収劇に際して、「放送と通信の融合」という理念を掲げていた。もちろんこれは、買収を合理化するための、単なる建前なのかもしれない。とはいえ、このスローガンは、示唆的である。堀江貴文が挑み、そして、そしてその前に屈した「放送」。それこそが、昭和の時代の特徴づけるキーワードではないか。たとえば、日本電波塔、愛称「東京タワー」は、疑いなく昭和という時代の象徴するアイコンである。

ここで、昭和という時代に若干の注釈を加えたい。人びとが「昭和」と呼んでいるものは、実質的には「戦後」を意味するのではないか。私たちが昭和的と形容するものはすべて、戦後に誕生したものだ。とすれば、この意味での「昭和」は、昭和天皇による≪玉音放送≫という、まさに「放送」とともに始まったのだ。

昭和とは、「放送の時代」である。

他方で、堀江貴文が、放送と融合させようとした「通信」とは、つまるところインターネットのことだ。しかし、インターネットに新たな時代の可能性を見出すことは、いやまアナクロニックな発想に思えてならない。私たちがそのような期待に胸を躍らせたのは、過去の出来事だ。

具体的には、1995年。この年は、「インターネット元年」と呼ばれる。つまり、「インターネット」とは、新たに登場したテクノロジーを意味するにとどまらず、来るべき時代に名づけられた「元号」でもあった。この元号こそが、昭和というそれに、終止符を打つ。そのように夢見たものは、コンピュータ・テクノロジーに携わっていた者たちに限定されない。私たちは、もっぱらインターネットを容易に利用するという目的のために、多くの店舗で深夜発売されたWindows95を買い求めた。たかだかコンピュータ・マシンのオペレーション・システムを手に入れるために、シャッターの降りた深夜の電機店の前に人びとが行列をなすなどという現象は、二度と起こりえないだろう。

もちろん、インターネットが一般的に普及し、そのニーズに応えるかたちで諸々のサービスが生まれたのは、それから数年あとのことだ。失望はこのときから始まった。私たちが希望と失望をくりかえしてきたもの、それはインターネットという技術的インフラではなく、その上に乱立した諸々のサービスや、そのサービスを利用することによって生まれたムーブメントではないか。コンテンツや言論人の主戦場がふたたび「放送」の舞台へと退行するさまにあらかじめ徒労感を覚えながら、それでも私たちはこう呟く。インターネットというアーキテクチャ、それはいまだに可能なるポスト昭和でありうると。

 

 

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