印刷

円環上の動点P〜『ライフ・オブ・パイ』考察

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(監督:アン・リー、2012年)は、ヤン・マーテルの長編小説 Life of Pi (2001年)を原作とする映画である。三つの宗教を信じる主人公パイ・パテルの少年時代とその遭難を描いたフィクションであり、神と宗教が最大のテーマの一つに据えられた作品である。しかしここでは、専らその「ボート」と「筏」あるいは「リチャード・パーカー」と「パイ・パテル」の関係性に着目して論考を進めていく。

パイとその家族、そして父親が運営していた動物園の動物たちを乗せたカナダ行きの貨物船は、太平洋を航行中、強い嵐に遭って沈没してしまう。
パイは一人だけ救命ボートに乗り九死に一生を得たが、そのボートには貨物船に乗っていた動物達の一部と、リチャード・パーカーという名の若いベンガルトラも乗り込んでいた。パイは有り合わせの道具で筏を拵え、ボートの上のトラ——リチャード・パーカーから身を守ることを強いられることとなる。

Fig1
図1: 救命ボートと筏を模式的に表したもの
表1: ボートと筏の関係

「救命ボート」と「筏」の関係性を図表で表すと上図1のようになる。中央の円がボート、外側の円が筏を表す。筏は1本のロープだけでボートに繋がれ、ボートの周囲を付かず離れず漂う。点線の大きな円が、筏の可動範囲を模式的に示したものだ。ボートはリチャード・パーカー、すなわち野生の本能を持つ虎、すなわち絶対的な《他者》の住処である。リチャード・パーカーはこのボートの上をわがもの顔にのし歩き、近づこうとするパイを恐ろしい唸り声で威嚇する。
一方、筏は虎からの襲撃を回避するために、パイがボート上にあった備品(オール、沈没した船から流れ着いた網、大量のライフジャケット)を組み合わせて作ったものだ。動物園を経営していたパイの父親は、パイに「人間はトラと友達になることはできない」と繰り返し言い聞かせたきた。当然ながら、パイ・パテルはこのボートに近寄ることすらできない。したがって、パイの活動のほぼ全てが小さな筏の上で行われ、ボートはただ放置されている。

Fig2
図2: 最初期の筏(右下)とボート

ボートと筏は一本のロープだけで結ばれているのがわかる。リチャード・パーカーはボートの白い覆いの下に潜んでいる。図の右下の、星形に組み合わせたオールの先端にライフジャケットを縛り付けたものが、漂流最初期の簡易筏である。人一人が座るのが精一杯な程狭く、まだここには文明的なものはほとんど何も置かれていない。

Fig3
図3: 文明化する筏

当初は図2のように小さく貧弱な筏だが、物語が進むにつれ、パイは度々リチャード・パーカーの隙を見てボートに忍び込み、その中にある備品や道具を筏へ運び移動させ、それを最大限に活用して文明的な空間を形成してゆく。
図3左を見ると、剥がしたボートの床板を用いて床面積を広げたばかりか、木材を活用して日除けを作り、元の筏を構成していた網はトビウオを日干しにするために用いられているのがわかる。
図3右は筏を横から見たもの。床板の下には、ライフジャケットが整然と並べられ、船を漕ぐオールを支柱としてこれらを結びつけている。インドを離れる前は恋人のアーナンディ達踊り子のダンス練習の伴奏も手伝っていた程に音楽の素養もあったパイは、バケツで太鼓を作り無聊を紛らわしている。

Fig4
図4: 物語中盤の筏とボート

図4を見ると、そういった文明化した筏に対してボートの上の物の「不在」が強調されていることがわかるだろう。まさにボートにはリチャード・パーカーしか存在していないのである。このように、ボートと筏はあらゆる側面において対照的な概念の象徴として描かれている。
なお、このボートと筏——2つの円——が分離する瞬間と、再度合流する瞬間は、それぞれ物語上で極めて重要な意義を持つモーメントである。これについては後に別の図を参照して触れたいと思う。


Fig5
図5: ミニョネット号、ツィムツーム号、《象徴界》の秩序構造(1)

筏とボートの為す「中心」と「周縁」の図は、浅田が『構造と力』において提示したプレ・モダンの社会構造を表す円錐を想起させる。円錐を真上から見ると、「絶対他者」かつ「スケープゴート」はボートであり、筏の為す平面の上に超然として君臨する形になる(図5)。
浅田は「過剰なエロスとタナトスが奔騰する」混沌をラカンにならって《想像界》と呼び、この《想像界》=混沌から《象徴界》の秩序への移行には「超越的な中心の析出」が不可欠であると指摘する。
「その決定的な第一歩は、過剰な力のすべてを一身に背負わされたスケープゴートが直接的相互関係のネットワークの外へ放逐されることによって踏み出される。スケープゴートは全員一致で犯され殺されることで言わば相互関係の平面の下方に投げ出されるのだが、しかし、そのようにして絶対的に距離をおかれ、平面内の全員に対してメタ・レベルから一般的な第三者の資格で臨みうるようになったこの死者は、一転して、平面を上方から見下ろす《絶対他者》の座につくのである。」([1]p.188)
すなわち、「全員一致で犯され殺された」スケープゴートが「《絶対他者》の座」に着くことによって「無媒介的な融合のもたらす混沌に、隔たりの秩序もしくは差異の構造がとって代わる」としている。

ここで、パイと漂流生活を続けることとなったベンガルトラに、「リチャード・パーカー」という人名が名付けられている違和感に改めて向き合ってみる。映画の公式サイト(2)を参照すると、「リチャード・パーカーという名前をめぐっては奇妙な元ネタがある。」まず、エドガー・アラン・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(1837年)の登場人物の一人が「リチャード・パーカー」であり、彼は「漂流中に食料が尽きた4人の男が、”いけにえ”となるひとりをクジで選」んだ結果、「仲間に食べられるはめになった哀れな船員」だという。

さらに1884年。難破したミニョネット号から救命ボートで乗組員4人が脱出するが、漂流20日目にして衰弱した「リチャード・パーカー」という名の乗組員が他の乗組員に殺害され、食料とされた。乗組員らは無学でエドガー・アラン・ポーの名前すら知らなかった。これらの創作と実際に起こった悲劇は「リチャード・パーカー」という名だけに留まらない奇跡的な符合を呈する。
『ライフ・オブ・パイ』のベンガルトラの名前が、この悲劇に対する目配せであることはもはや明らかだろう。そして、浅田の記述は、ミニョネット号の救命ボート上の漂流生活における「救命ボート」という相互関係の平面上の混沌において、この人肉食事件が必然であったことを示唆している。すなわち、「ミニョネット号事件」における「リチャード・パーカー」は「過剰な力のすべてを一身に背負わされたスケープゴート」であり、文字通り「全員一致で犯され殺され」てしまう。これは図:ミニョネット号、ツィムツーム号、《象徴界》の秩序構造が《絶対他者》を持たない混沌に満ちた状態であったことを表している。
実は、ツィムツーム号の救命ボートにおいても、リチャード・パーカーが登場するまでの間はまさにミニョネット号と同様の水平上の相互関係が発生していたことを忘れてはならないだろう。そう、遭難直後、足の折れたシマウマ、オランウータン、ハイエナ、そしてパイの四者が、一艘の救命ボートの上に同居していた段階である。ハイエナがパイ以外の全ての動物を殺して行く状態は「怪物同士が激突し、犯し合い殺し合うカオス」にほかならない。パイがついに最後に残ったオランウータンの首を噛みちぎって殺した時、「王」(3)たるリチャード・パーカーが飛び出しハイエナを仕留めた。パイが予め組み立てていた「筏」をボートから海に落としたのが、それと同時だったことを見逃してはならない。ここに《想像界》の混沌は粛清され《象徴界》の秩序が誕生したのである。

一方で、『ライフ・オブ・パイ』におけるリチャード・パーカーは同じ末路を歩むことはない。そもそも人ではないし、殺されることもなく、漂流生活をパイとともに生き抜く。つまり、スケープゴートとされたミニョネット号のリチャード・パーカーは、『ライフ・オブ・パイ』において「一転して、平面を上方から見下ろす《絶対他者》の座」に着いているのである。
Richardという名に対してはRick、RickyやRichieといった愛称が一般的に用いられているようだが、作中においてパイは、リチャード・パーカーというこの長いフルネームを常に用い、名前だけで呼ぶことも、まして愛称で呼ぶことも一度たりともなかった。ボートの上の「リチャード・パーカー」は一般的なRichardではなく、《想像界》の混沌の中で仲間に殺された、かつての哀れなスケープゴートの名を持たなければならなかった。そして、そうであるからこそリチャード・パーカーは、円の中心でこの漂流生活において絶対的な位置に君臨し、社会の秩序を形成する「王」となり得たのである。
パイの「彼がいなかったら僕はとっくに死んでいる。彼へのおびえが僕を警戒させ、彼の面倒を観ることが僕の生きがいになっていた」という発言は、リチャード・パーカーの存在が、人間社会とはかけ離れた太平洋上の限りなく野蛮に成りうる空間に秩序をもたらしていることを端的に表現している。

Fig6
図6: 筏とボートを巡る社会の変遷

ここで一旦簡単にパイの漂流生活において発生した救命ボートを巡る社会の変遷について振り返っておこう。
図6左は、リチャード・パーカー登場前、ボートにパイと三匹の動物が混沌とした形の相互関係を結んでいたことを表す。
しかし、リチャード・パーカーの登場と共にパイは筏とともに海に退避し、《絶対他者》を中心に円環を描きつつ、筏の上で「秩序=文明」を築きはじめる(図6中央)。しかし、大嵐に遭遇し、パイはからくもボートに逃げ込むと、生活の基盤を成していた筏は大波に飲まれて流されてしまう(図6右)。リチャード・パーカーと一艘のボートの上に同居することになるが、嵐が過ぎ去った時にはパイとリチャード・パーカーの体力は尽き果て、生き延びることを諦めたパイは死を受け入れ、皮と骨まで痩せ細り唸る元気すら失ったリチャード・パーカーの頭を膝に載せて優しく撫でるばかりである。

Fig7
図7: 時系列からボートと筏の関係を図示したもの

パイの漂流生活をボートと筏の「分離」と「合流」という観点から図示したものが図7である。赤線は救命ボートを、青線は筏を表す。
救命ボートは漂流生活の最初から最後まで、その主を変えながらも漂い続けた。しかし、筏はリチャード・パーカーの登場と共に現れる。ここで赤ラインは青ラインと分離する。筏はリチャード・パーカー(=絶対他者、王)のボートを中心に秩序化を進めるが、嵐の猛威の前には勝てずに流れ去ってしまう。青と赤のラインは再び合流する。その後、浮島に漂着しながらも結局パイとリチャード・パーカーはメキシコに漂着するまで、同じボートの上で生活を続けた。ただし、映画でも原作小説でも、この浮島を発ってからメキシコに漂着するまでの漂流生活について殆ど言及はない。

ツィムツーム号の遭難は1977年7月2日、メキシコへの漂着は1978年2月14日。この間は227日間である。この物語は円周率から愛称をとったパイ・パテルの物語であるから、227という数字について 22/7 ——すなわち円周率の有名な近似値を作者が意識していたことはほぼ間違いないだろう。パイ・パテルの漂流生活の長さはπである——しかし、これだけではただの気の利いたダジャレに過ぎない。この気づきに基いて、上のシンプルな図の読み替えを試みたい。

Fig8
図8: 直径1の円周上の動点P

ここで、唐突に直径1の円を考える。図8の点Pは点P0(中心角θ = 0となる点)から出発し、この円周上を一周する。この時、Pの座標は(cosθ/2, sinθ/2)となる。この点Pについて、x軸を点Pが移動した円周上の距離、y軸をPのx座標またはy座標がとる値としてグラフを描くと図9のようになる。

Fig9
図9: 「ボート」と「筏」が描く二つの曲線

ここで、cos曲線を先の図の青ライン、sin曲線を赤ラインとみなす。原点はツィムツーム号の遭難。最初の交点はリチャード・パーカーの出現。次の交点は筏の喪失。そして x = π の点は、メキシコへの漂着。sin曲線はPのy座標のとる値の、cos曲線はPのx座標のとる値がそれぞれ描く曲線であり、それらは同一の点Pがもつ2つの属性の周期を意味する。

パイは物語の最後に、二人の日本人の保険調査員の前で「違う話」をする。その話では、ボートの上で殺し合い死んでいった動物たちは実は人間たちの隠喩に過ぎないことが、そしてリチャード・パーカーは他ならぬパイの暴力性の象徴であったことが示唆される。
図9のグラフは、筏=パイ・パテルと、その中心となったボート=リチャード・パーカーが同一の存在のいわば異なる側面に過ぎず、互いを補完しつつ漂流という円環の上を共に周り続けた存在であったことを、全く別の形で伝えている。

 


(1) 本図の一部には[1](p.55 図II、p.188 図1)を参照している。
(2) http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/sp/sync.html
(3) アン・リー監督は、リチャード・パーカー役の虎を選ぶ際に頭に「王」という漢字を描いている縞模様を持つ虎を見つけ、その虎を即採用したそうだ。http://journey.lifeofpimovie.com/#!/richard-parker

参考文献
[1] 浅田彰『構造と力 記号論を超えて』勁草書房、1983年

文字数:5606

課題提出者一覧