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窓から窓辺へ

1.窓越しに見るということ

 

スピッツのフロントマン草野マサムネの書く歌詞においては、「窓」という言葉は「目」を意味することがある。例えば、彼らのもっとも売れたシングル、「ロビンソン」(1995)の、次の一節を見てみよう。

いつもの交差点で 見上げた丸い窓は

うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

普通、交差点に窓はない。であれば、何らかの比喩表現だろう。ではなんの比喩か。「三日月」を窓になぞらえたという解釈もできるか。しかし、この窓は「丸い」と形容されており、「ぎりぎりの三日月」と矛盾するので成り立ちにくい。では、「丸い窓」、から、カメラを補って想像してみるというのはどうだろう。「ぎりぎりの三日月」に、交差点で立ち止まって、頭上に広がる青空の、雲に似た色で浮かぶ三日月にカメラを向ける。しかし、レンズが「うす汚れて」いて、視界がぼやけてしまうといったような。だが、ファインダーを覗き込んだとき、そこにある視界は「丸い」というよりも、むしろ四角く区切られているだろう。翻って、人間の視界は「丸い」。であれば、目ではなく、視界そのものの比喩でもいいのではないか。

だがここで、「窓」を視界そのものではなく、「目」という体の器官として捉えるのも根拠のないことではない。「ぎりぎりの 三日月も僕を見てた」という歌詞は、「僕」が見る主体であるだけでなく、見られる客体でもある、ということを示唆している。しかも、三日月「が」ではなく、三日月「も」なのだ。であれば、客体としての「僕」の目=窓を見上げている主体としての「僕」が前提されていることになるだろう。ここで起きていることは、客体である身体としての「僕」と、それを認識する意識としての「僕」の切り離しでもある。スピッツにおいては、「僕」の体=「窓」がいくら「うす汚れて」いようとも、意識としての「僕」はピュアなままである。

 

この「窓」=目という場所におきている、見る=見られるという現象は、日本の近代俳句・短歌の始祖、正岡子規の創作にとっても、重要な契機だった。

幼少時から虚弱体質だった子規は、1899年から没する1902年までの3年間、座ることすら難しい中、執筆をつづけていたという。晩年を過ごした病室はガラス張りで、彼の短歌にはしばしば「ガラス」、「ガラス戸」という言葉が現れる。1900年(明治33年)の「六月七日」と題された連作は、ガラス戸の外の月夜を題材にしている。ほとんど動けず、ということは視点を変えることすら難しかったのだということがわかるのが、

小庇にかくれて月の見えざるを一目を見んとゐざれど見えず

という一首だ。外の様子を見るには、窓を紙の障子ではなくガラス張りにしなければならなかったし、ガラス越しに見える風景だけが彼にとって唯一の外界だったのだろう。しかし、ガラスを通してみえるのは、外の景色だけではなかった。

ガラス戸の外の月夜をながむれどラムプの影のうつりて見えず

部屋の照明であるランプがガラス戸に映ってしまって、しかもそれがちょうど月のある位置にあり、月が見えない。ここのガラスの上で起きていることは、スピッツの場合と逆である。スピッツの場合は、自己の一部、つまり「内」側であるはずの目を「窓」=「外」側と捉えることであったが、子規の「ガラス戸」は本来、「外」であることを志向している。にもかかわらず、部屋の「内」であるところの「ラムプ」の影によって、「外」が隠されてしまい、「外」=月を見ようとしながら、「内」=ラムプの影を見てしまう。部屋の「内」側もまた、窓に映るほどには「外」でもある。

窓 (1)

 

「窓」という場所は、見るという行為がもたらす、意識と身体の入れ子構造を顕在化させる。主体は客体である外部を見る。しかし、ガラス窓という、光を透過させつつ反射する平面を挟んだとき、見られる外部の中に、普段は隠ぺいされている主体の位置が映り込んでしまう。窓を通して見るということは、見る主体が「どこ」で見ているのかを問う行為なのだ。

 

2.見てはいけない窓について

 

窓は、見ることと見られることの境界をあいまいにする場だが、一方で窓越しに見るということを第一義として想定していない窓もある。学校の教室の窓がそれだ。

明治28年3月に発布された、「学校建築図説明及設計大要」によると、「教室ノ形状ハ長方形トシ室ノ方向ハ南又ハ西南トシ凡テ光線ヲ生徒ノ左側ヨリ採ルヲ要ス」とあり、教室の窓というのは採光を第一の目的としていたことがわかる。これは、明治時代の照明状況が現在と違って主に太陽光に依存していたことによる規定で、東南の日当たりの良い向きに窓を設ける必要があった。また、教室においては生徒は黒板に書かれた文字を読み、それを手元の帳面に書き写すわけだが、右利きの生徒の右側から光が射すのでは、帳面に影が落ちてしまうため、光は左側からでなければいけない。というわけで黒板も「南または西南」になるよう設計された。教室において、窓は黒板を見るための光そのものの入口であり、外の風景を見るためのものではない。

このように、学校の教室の窓は、採光に最適化されているが、その副産物として、一つの特徴をもった。教室の窓は(見られるとすれば)主に日中見られるということもあいまって、「窓の外の方が明るい」のである。それが何を意味するか。学校の窓ガラスには「そこから外を眺めている自分の顔」が映り込みにくい、ということである。採光のための窓であることによって、結局は外を見ることにも最適化された。夜の電車や、地下鉄に乗っている時、くたびれて吊革にぶら下がっている乗客が映り、それが自分であることに気付いてギョッとするような経験は、教室の窓を眺めている場合には起きにくい。

だが、不良の場合には話は別だ。尾崎豊のデビュー曲「15の夜」(1983年)と、社会現象にもなった「卒業」(1985年)を比較してみよう。「15の夜」では、おそらく教室の窓から見られたであろう景色が次のように歌われる。

落書きの教科書と外ばかり見てる俺

超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる

先に教室の設計を見たが、その設計によれば、「俺」が見ているのは、「俺」の左側に広がる東か南の空だ、ということになってしまう。「退屈な授業が俺達の全て」ではないという不良たちが、一様に左を向き、東の空を見ていると考えるとぞっとする。

これが、「卒業」になると、

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

(中略)

あと何度自分自身 卒業すれば

本当の自分にたどりつけるだろう

(中略)

仕組まれた自由に 誰も気づかずに

あがいた日々も 終る

この支配からの 卒業

なぜ壊される「窓ガラス」は夜でなければいけないか。それは、夜でなければ、窓ガラスに「自分自身」が映らないからである。窓ガラスを割る、とは、そこに映る自分自身を割ることだったのではないだろうか。もちろんそんなことで、「縛られたかよわき子羊」であることはやめられないことは「これからは何が俺を縛りつけるだろう」と歌う尾崎自身誰よりもわかっていた。

3.Windows

スピッツのロビンソンの1995年は、Windows95の年でもある。PCとインターネットによってコミュニケーションの双方向性がという議論は人口に膾炙しているが、パソコンやディスプレイとは、窓である。という観点から見ると、どうだろう。

先に正岡子規の例でみたように、窓は、「外」からやってくるものの入口であると同時に、「内」が映りこんでしまう場所である。PCやスマートフォンのディスプレイ上に表示されるものは、インターネット上にある「外」であるが、同時に、自らの打ち込んだ検索ワードが結果した「内」の延長でもある。

さらに、「外」が「内」に呼応する以上のことも起きている。SNSがその例として分かりやすいが、インターネット上の情報という「外」に蓄積されているものは、「内」からコミットし改変できるということだ。自分が投稿した情報が、他者からのアクセス可能性を持つということは、尾崎豊が欲しがった自由の一種の達成なのではないか、とすら思える。窓ガラスを割る必要はない。窓ガラスに何か書き込めばいい。その書き込みによって変わった「外」が、私たちの手元にある窓に反映されるだろう。

しかし、それが、「窓」において起きていることを忘れてはならない。そこでは、常に外は内であり、内は外である。私のタイムラインは結局私のものでしかなく、「窓」に映る景色が変わっただけでは、世界は一ミリも変わっていない。「窓」とは「目」である。目に映るその外側にあるものへいかに到達するか。正岡子規は、ガラス戸の連作で次のような短歌を詠んだ。

 

ほととぎす鳴くに首あげガラス戸の外面を見ればよき月夜なり

 

ガラス戸の外面(とのも)、そう書いてある。外の景色ではない。ガラス戸の外面そのものなのだ。それは病身の子規には決して見ることができなかったはずのものである。しかし、首は上げたのだ。そしてよき月夜だと言った。

 

 

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