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信と罪体

1.

2011年3月11日の朝日新聞の夕刊は、東日本大震災が起こる直前に製作され、震災の起こった時刻、14時46分18秒には、印刷所から各販売店に届いた頃だったろうか。この後、余震の合間を縫って各家庭に配達されたはずだ。私は当時から現在まで、新聞記事のスクラップを製作するアルバイトをしている。その会社は東京都文京区にある。日々各紙を30部強購入しているので、優先的に配達されるようになっているが、それでも朝日は全国紙の中で届くのが最も遅く、いつも15時半を回った頃なので、地震の混乱の中、まだ販売店にも到着していなかったかもしれない。その日私は夕刊の当番ではなかったので、詳しいことはわからない。

しかし確実なのは、3月11日の新聞の夕刊というのは、あの地震が起こる前に、地震が起こることなど全く思ってもみないで製作され、そして地震が起こってしまった直後に、購読者の眼に触れたのだ、ということだ。

その日の朝日新聞の夕刊の文化欄、「私の収穫」というコーナーには、小説家保坂和志の文章が載っている。作家自身によって冠されたタイトルは、「過去の近さ・遠さ」である。その一節を引いてみる。

 

(前略)過去の近さ・遠さは何十年という数字で一律に測ることはできない、ということ。問題は、その時に物心ついているかどうかだ。(中略)まして大きな出来事については、何十年経とうがつい昨日のことのように憶えている。(中略)人間とは時間の厚みとともに生きている。いい悪いは別にして、中年以上の人の背後には分厚い時間の層があり、思考も感情もその層を通して起こる。

 

地面が揺れる前に書かれ、地面が揺れた後に読み手に届いたこの文章は、ほとんど予言に近い響きを持っているように、2015年を生きる筆者からは読めてしまう。もちろん予言というのは地震が起こることを予期していた、という意味ではない。その後の様々な人々の様々な反応について、という意味である。「分厚い時間の層」がいかに我々を深く規定しているのかを眼前につきつけられること、それが、あれからの我々が体験してきたことではなかったか。それはすでに、震災の起こる直前に印刷された文章に書かれていた。そして、この小説家自身もこの予言、「分厚い時間の層」に規定された人間の振舞を、非常に凝縮された形で演じることになる。

というのは、先に引いたコラムは不定期連載の第4回で、震災をまたいで第8回まで続いたが、その震災後にあたる第5回から第8回に述べられたことは、震災後の人々の心の動きのうちのある一つのパターンそのままであると言えるからだ。

第5回は、5日後の3月16日の夕刊に掲載された。タイトルは「楽観的に生きる」。最終段落をまるごと引く。

 

11日に地震があり、被災地の人たちとは比較にならない、ささやかな恐怖と不便を味わいながら、私より1歳下の妻が「私たちはいい時代を生きてきたんだね」としみじみ言った。楽観的なイメージがまず出てくる世代。私は能天気で苦労知らずに生きることを使命とすら感じる。

 

第6回のタイトルは「岩を登ったのは」。素人だけが成功したというフリークライミング(崖登り)のエピソードから展開される小説論である。末尾だけ引用する。

 

試行錯誤とは楽観的思考の形跡のことであり、芸術のその楽観的思考が、人間や世界を肯定するのだと私は信じる。

 

という一文でこの文章を締めくくったあと、第7回、第8回は、小説家として小説を考えるという、いかにも保坂和志らしい態度に回帰する。

その回帰の是非は、ここでは論じない。回帰した先の作家自身の方法の有効性が問われるなるからだ。付言すれば、彼自身の方法の有効性は、震災後、なお読まれてしまう文章を震災の直前に書いてしまうということによって明らかである。しかしここで問題にしたいのは彼の方法ではない。問題は、自分がやってきたことを震災後に「信じる」ということについてである。

なぜことさら「信じる」ということについていいたてるのか。もう一つ、新聞記事から引用しよう。以下は同じく朝日新聞の、しかし時間を隔てて、1945年3月17日の2面に掲載された「青鉛筆」という無記名のコラムの全文だ。

 

▶僕のところもキレイにやられたよ、庭の待避所に入れておいたものもすっかり蒸し燒きになつてしまつた。しかし君、実に嬉しいことがあった。といふのは僕のいたゞいてゐる瑞三、旭四の勲章がね、燒跡をほぐしてみると一切が燒けたあとに不思議と残つてゐるんだ▶僕はその時つくづく思つた。尊貴な日本の傳統と光榮とは狂米の劫火もつひに燒くことが出来なかったのだと、さう思つたら実に明るく、いよいよ奮い起つ氣になつたよ―― これは十日の空襲の難をかうむつた司法省刑事局長船津宏さんの感慨である。

 

決定的なことが起きてしまった時、自らがそれ以前に拠り所にしていたものがなお有効であると信じること。保坂和志と、この司法省刑事局長船津宏は、この点において似通ってしまっていると言えないだろうか。そして、この「私は信じる」という態度は、たしかに、「実に明るく、いよいよ奮い起つ氣」にさせる点において、肯定されるべきだ。

だが、それは、自らを被害者と考える場合である。東日本大震災とそれに続く福島第一原発の失敗によって顕現したのは、我々はむしろ加害者として自らを捉えねばならないということではなかっただろうか。原発に依存して暮らすというそのこと自体が、加害者として我々を規定してきたのだ。

だから、2011年3月11日の出来事以来の我々が置かれているのは、「知らず犯していた罪を自覚した時、どのような態度が要請されるか」という問いに晒され続けるということである。

 

2.

2015年の現在、被害者として自らを捉え、その傷を回復するという物語はリアリティを持たない。むしろ、加害者としての態度をこそ問うべきだというのが現在の状況であると設定したとき、ではそのことに向き合うための物語は、どのように設定できるだろうか。

基準になるものとしては、原発への態度を取り上げざるをえないだろう。原発というのは、2011年3月11日までの我々の「信」の罪体だ。思想家東浩紀は、ウェブサイト「ポリタス」に寄せた論考「原発は倫理的存在か」の中で次のように述べている。

 

おまえは具体的にどう考えているのかと問われれば、筆者は、深刻な福島第一原発事故を経験した日本は、ほかの国とは異なる条件を自覚し、原発の管理について特別の倫理的な役割を果たすべきだと考えている。それゆえ、原発の再稼働はしても新設はせず(リプレース含む)、自然全廃を受け入れるとともに、他方で原子力の研究にはいっそうの力を入れ、新設なしでの研究者と技術者の養成を試みるべきだと思う。

 

この思考を、当論考の論旨にそって言いかえれば、「罪を自覚し、償う」ということになる。加害者であるとを自己規定したならば、当然の論理だと言える。

しかし、この思想は一つ、大きな問題を孕む。この思考が帰結する行為は、「贖罪」である。つまり、その行為については、世界に価値を付けくわえ、その貢献を主張するということが不可能なのだ。どういうことか? 今の日本に適応されるべき当然の論理と、その帰結としての営みは、金にならないし、金にしてはならない、ということだ。そして、行為を実現するためには、人員、資材、時間、知性を集めねばならず、その為には金が必要で、という話になってしまえば、それは不可能と殆ど同義である。

東氏のいう「ブラックツーリズム」は、その不可能を乗り越えるための概念である。人間の行為が不幸を引き起こした、その罪体としての場――チェルノブイリ、アウシュビッツ、福島第一原発――これらの場が、それ自体で金を生み出し、人々に不幸の存在を知らしめつつ、そこから遠ざけるような力を持つように働きかけること。加害者だからこそいなくなってはならない我々が参照すべき営みである。

 

文化について書くことで状況を語りうるのか、という問いは、今や皮肉な形で肯定されねばならない。文化を「信」の達成として語ることはもはやできない。しかし、今営まれているあらゆる試みを、困難の顕現として見つめる眼差し、語る言葉は、ともすれば「信」に逃げ込もうとし、その結果として不幸を引き寄せてしまうかもしれない我々の心にとって必要である。

あらゆる文化は困難な状況で我々に微笑みかける。その微笑みにただ救われるのであってはならない。その微笑みが、どのような悲しみを飲み込んで現れているのか、文化の手付きから読み取ること。それは、もしかしたら、保坂和志の見せたような楽観性を伴って、文化それ自体とはまた別の微笑みを湛えるかもしれない。

文字数:3551

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