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アレルギー体質改善としての近代日本思想


近代日本思想は「摂取不能の克服」とその「限界」によって規定されている。このような断言は、筆者個人の「アレルギー体質の克服」の体験と、その体験のもたらした精神構造からなされる。
よってこの論考では、近代日本思想を「外来文化の受容」体験によって規定されたものと定義し、それを「アレルギー体質の克服」とのアナロジーにおいて考えつつ、その「限界」を明らかにしていくことが試みられる。

Ⅰ.「生の領域の拡大」としての体質改善

アレルギーとは、「免疫系の過剰反応による身体の不調」である。筆者は幼少時、小麦、卵、牛乳、大豆にアレルギーがあり、また空気を吸入することに障害を起こす喘息も持っていた。このような条件においては、生活は非常に制限されたものとなる。アレルギー体質における生とは、具体的には「ケーキやラーメンが食べられない生」であり、また喘息によって「東京に住めない生」でもあった。
医師免許を所持しながら専業主婦であった筆者の母は、長男である筆者の体質を改善することを決め、実際に生活をそれに捧げた。
体質改善は三つの段階を繰り返すサイクルである。第一に、アレルゲンの排除。第二に、体力の充実。第三にアレルゲンの投与である。この三つを繰り返すことで、徐々にアレルゲンに慣れさせていくこと。このように書くと簡単だが、母乳で育てた母にとって、アレルゲンの排除とは、とりもなおさず、自らが卵、小麦、大豆を取らない生を生きることであったことは付言しておこう。
このような体質改善の目的は、「アレルギーによって制限された生」が可能であるような領域を、拡大していくことであった。現在、好きな食べ物はラーメンと即答し、東京に生活している筆者の生活は、幼少期に母によってなされた「体質改善」に全面的に依存している。

Ⅱ.「体質改善」的精神
現在から振り返るに、母によって選ばれた「体質改善」という方法は、唯一のものではなかったと思われる。つまり、体質を変えずに、生活の場所を変更するという選択もあったはずだ、ということは言える。だが、「せめて人並みの生活を」という親心から、「体質改善」という方法が選ばれた。その選択は医師でもあった母にとって、一種の思想の表現であったと言える。その思想は筆者の身体において実現され、筆者の精神もまた、「体質改善」的な志向を内面化した。それは一言で「生の領域は拡大しうるという信仰」であると表現できる。「生の条件が与えられた時、そこに自足するのではなく、そのこと自体に働きかけ、条件そのものを拡大すべし」という態度が筆者の精神構造の形成において支配的なものとなった。

Ⅲ.近代日本の「体質改善」
この章では、筆者個人における「体質改善」体験とその産物としての精神構造を、「近代日本思想」に敷衍することが目指されるが、そのことの妥当性は次の点に依拠する。ひとつは母が医師免許を持った医者であったということ。つまり医学という近代的な制度に基づいた行為として筆者の「体質改善」が行われたということである。もう一点は、このテクスト自体が、近代的医学行為の影響を受けた精神=近代的表現に基づく精神によって書かれているということの可能性である。「生の領域を拡大すべし」という志向に基づいたテクストは、そのとりあつかう対象を限界まで推し進めるようにプログラムされているはずであり、そのことこそが、「日本の近代思想」を批判するということになりうるのではないか、という可能性への賭けがこのテクストである。
だからこの論考は以降、「個人的体験」を「近代日本思想」に敷衍することは妥当か?という問いを背後に貼り付けた形で、なおその危険を冒していくことになる。

日本の近代の幕開けを江戸時代末期の黒船来航に見ること。これは一般的な見解ではあるが、この事件に対して、「攘夷」という反応が起きたこと、そして結局は「開国」し、以後「近代化」にひた走ったことを、一種のアレルギー反応とその克服の物語として捉えてみよう。
体が受け付けないものを、その摂取を強いることによって慣れさせ、内面化していく。このパターンは、前近代に遡って見出すこともできるが、ここではそこには立ち入らない。むしろ一歩進めて、内面化とはなにか、そして内面化したあと、何をしたのか、という点を見てみたい。
近代日本において思想を内面化するということは、思想の発信源と同じように振舞うことができる、ということだった。同じ形式の政治制度をもち、同じ形式の軍隊をもち、同じ形式の産業を持つことである。思想を内面化するということは、その思想が影響する身体を、その発信源にある身体と同じように振舞わせることができるようになる、ということである。「黒船」に象徴される形で現れた「西洋思想」の内面化は、自らの身体を「西洋化」するということによって「表現」された。表現されることによって、「思想」を内面化したことを証明していくこと。このことはいかなる結果をもたらしたのか。
言うまでもなく、日本は近代化した結果、外国との戦争状態の中に飛び込んで行った。日清日露の戦争にはじまり、第二次世界大戦で敗戦するまで、日本は戦争に明け暮れていた。しかしなぜ? このことは思想と関係のある事柄だろうか? いや、このことを、思想と関係づけて考えるには、どのような視座が必要なのだろうか。

Ⅳ.「補助線」――アレルギー克服における、死の壁
ここで論考は、一度、日本近代思想から、筆者個人の体験に自閉する。「体質改善」の物語としての近代日本史が、戦争という結果をもたらしたことへの拒否の身振りである。ここで扱われるのは、筆者個人の「体質改善的精神」の持つ「限界」である。
「体質改善」は、それを摂取することが死を意味するような物質を体に慣れさせるということである。そしてそのような体験を持つ身体は、精神をして、「自らの生の領域を拡大すべし」という志向を持たせる。しかし、この身体による「生の拡大」という精神への命令は、同じく身体によって必ず拒否される。アレルギーを持つ持たざるとにかかわらず、身体はかならず「死」という限界をもつ。それが身体の持つ限界である。
ところが、この当然であるところの限界は、「体質改善」を内面化した精神には、矛盾と映る。なぜか。
身体的行為としての「体質改善」を内面化した精神のモットーは「生は拡大可能だ」という一文に凝縮される。そのような一文にとって、「しかし限界がある」という事実を突き付ける「死」は、一種の過剰である。
この精神と肉体の齟齬は、いかにして扱われるか?筆者の場合、それは端的に喫煙として現れた。喫煙とはここで、象徴的には、精神の肉体に対する優位の証明としての自殺である。
なぜ自殺は、精神の優位の証明なのか?
「体質改善」によって形成された精神は、「生の拡大可能性への信仰」をその特徴として有する。しかしその信仰は、「死」という事実によっていとも簡単に反駁される。精神は、尚自らを優位であるといおうとしたとき、「死が不可避だと知っている」という立場まで後退する。そして、精神はその証明として、「身体を死に向けて駆動させる」。この態度は、精神が、肉体が死ぬことを肯定するかのように振舞うことで、「肉体は死ぬ」にも関わらず、「精神はそのことを望んでいる」と思いこもうとする。
ここで見た運動を要約すれば、「生の拡大」を原理とする精神は、「肉体の死」を、「精神の知識の実現」としてみなすようになるということである。

Ⅴ.「体質改善」から見る戦争の意味 ――精神の実現としての死の肯定――

「生を拡大する」という志向の徹底が、「死の肯定」を結果するといった。ここに、近代化の終わりとしての第二次世界大戦を重ねてみる。「玉砕」「投降の禁止」「神風特攻隊」といった振舞は、「生の領域の拡大」が不可能であることが明らかになった際の、「死の肯定」という反応であるということができるだろう。

日本の近代思想は、黒船に脅かされた日本人が、生き延びるために変わることを選んだことに始まった。しかし、変わること自体を精神の志向として内面化してしまった結果、定義上自ら終わらせることのできない戦争を引き起こしてしまった。結局のところ、日本の近代思想は、一度内面化してしまった精神をあまりに特権化したため、無限に肉体を奉仕させてしまったのだ、と言えるのではないだろうか。

Ⅵ.主体の場所

この論考は、筆者が幼少時に受けた「体質改善」という医療行為による肉体的影響が、精神構造までも決定したという前提に立って書かれている。そしてまた、その肉体的影響も、母の精神の思考の表現であった。筆者自ら省みたとき、その肉体を介した精神のやりとりは、筆者の誤解によって失敗してしまったのではないかと危惧している。「生の領域を拡大」させようとした母の行為が、「自らの死を志向する」精神を結果してしまうということは、端的に不幸である。そしてそれは、自ら終わらせられないような戦争を始めてしまった近代日本の不幸と、結局は同じことである。
この不幸を避けるためには、大きく二つの課題があると思われる。ひとつは、精神の肉体に対する優位を否定すること。言いかえれば、「どれだけ生の領域を拡大したとしても人は死ぬ」という事実。この、「人は死ぬ」という事実への向きあい方を問い直すこと。
もう一つは、精神と肉体の二分法に代わる志向の枠を見出すこと。この二分法が問題なのは、精神は無数に存在するにも関わらず、肉体は究極的には一つでしかありえないことに起因する。一つの肉体の無数の精神による奪い合いを終わらせるには、肉体でも精神でもないような主体の存在様式を作り出すことから始めなければならないだろう。筆者は喫煙をやめた。だがこの論考は、喫茶店の喫煙席で、受動喫煙しながら書かれた。

 

文字数:4008

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