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昭和90年、あるいは昭和天皇二度目の蘇生

 

 

昭和90年、と元号で表記し、今なお、我われは昭和という時代の呪縛の中に生きているのだ、と言った時、もしそのように呼ばれる時間がこの日本に実際に流れるのだとすると、その時、昭和天皇裕仁は、114歳でご存命ということになる。徳冨蘆花(1868~1927)は『みみずのたはこと』中、明治天皇の崩御に際して、「陛下が崩御になれば年号も更る。其れを知らぬではないが、余は明治と云ふ年号は永久につヾくものであるかの様に感じて居た」と述べており、天皇が践祚してからどれくらいの時間が経ったかを示すに過ぎない元号が、ある個人、ここでは徳冨蘆花にとって、累々重なっていく時間の数え方として機能してしまうことを示している。この「陛下が崩御になれば年号(元号)も更る」という制度は、慶應4年に「一世一元の詔」によって慶應が終わり、明治のはじまりと同時に生まれた。現在は、1979年に施行された「元号法」が法的根拠となっている。それ以前の元号は、天皇の在位期間と必ずしも一致するものではなかったので、天皇の身体の機能が続いていることが、時代の呼称を決定するという制度は、近代天皇制における特徴のひとつといっていい。

そのような元号が機能している現在、昭和90年である、と述べることは、「いまなお昭和的な空気の中で日本人は生きている」という意味以外に、「昭和天皇は、なお存命である」ということに等しい。逆にいえば、「時代としては「昭和」と全く同じ原理で動いているにも関わらず、なおやはり「平成」なのだ、なぜなら、昭和天皇は既にお隠れになっているのだから」ということでもあるだろう。やや混乱してきたが、天皇の身体が機能している、生きているかどうか、ということによって時代の呼称が決まることは、端的に不便なのではないだろうか。

にもかかわらず、なぜ時間の数え方の基準に、特定の一つの身体――つまり、天皇の身体のことだが――が据えられたのかについては、『大正天皇』によって2001年の毎日出版文化賞を受けた原武史が、先に引用した徳冨蘆花のことばを評した次の文言が参考になるだろう。「天皇の生身の身体についての記憶が脳裡から消え去り、天皇がいつしか時間を超越した「現人神」になっていたことを示す証拠ではなかったか」。つまり、重要なのは、無限の時間の表象とされた有限の身体に、神秘化が起きるということなのだ。神秘化された身体が、国家を統制するために必要とされる、という観点については後に述べるが、一方、統治される側の庶民からみた元号制の効果について、劇作家の山崎正和は次のように述べている。

庶民の立場からいうと、元号こそが天皇家と接触できる唯一の機能だった。日ごろ顔はみられないけど、元号ということでつながりをもつわけでしょう。明治何年生れとか昭和二十年に結婚したというようにね。それは日本人の生活にリズムを与える上で大変大きな役割を果してきたと思うんです。意識の底のきわめて深いところで、機械的でない、生命的な時計が時を刻んできたといえる。

文藝春秋誌上シンポジウム「日本人にとって天皇とは何か」       (昭和46年1月号)出席者、山崎正和、福田恆存、林健太郎、司馬遼太郎

山崎が述べたように、明治以降の元号が、被統治者の側から統治者の存在を受け止めさせるに一役買っていたとするなら、元号は天皇の身体の延長として機能していた、ということになる。一方で、無限の時間の記号として天皇の身体を神秘化し、また日常に普通に現れながらも天皇によって支配されているものとして、天皇の表象でもある元号。

元号がそういったものである以上、「昭和90年」という時間軸を持ち出すことは、「昭和天皇」の蘇生、あるいは延命を意味上で含む。そして、その相手が「昭和天皇」である以上、その蘇生は単なる思考実験であるよりはむしろ、昭和天皇という存在を支える身体が、「不死性」とでも呼ぶべき特質をまとわされていたからであるように思われる。昭和21年という時間すら、ある意味では天皇の延命なしにはありえなかったのだから。

  • 昭和21年の延命

ある身体にまつわる意味の体系が言葉であるとするなら、敗戦後の憲法改正において、天皇の定義が書き換えられたことは、非常に大きな出来事だったと言わざるをえない。

現実に対してどのように言葉をあてがえば現実を理解したことになり、「現実」という文字を屈託なく書きつけることができるようになるのか、という問いはひとまず遠ざけて、言葉は「現実」という言葉を軸にして、ふたつに分類することができるだろう。つまり、それは現実に関係しようとしている言葉なのか、それとも現実との関係を切断しようとしている言葉なのか、というふうにだ。注意したいのは、現実に関係が「ある」か「ない」か、という事実による二分法ではない、ということだ。前者、「現実に関係しようとしている」言葉は、むしろ現実と「切り離されている」という自覚を前提しているし、後者は現実に「縛られている」という状態においてしかあり得ない態度だ。だから、例えば私が、「昭和90年」なるものに対して言葉を差し向けたとして、それはある意味では全く現実とは関係のないおしゃべりである。一方で、そのようなことを言ったという事実は書かれたテクストがそこにあるということによって保証されてしまう。そして言葉というものは時として、その場、その時、そこに書きつけられてしまったということで、決定的な影響をもってしまうことがある。戦後の天皇の地位が決定された時の話を、当時外務大臣だった吉田茂の側近、白洲次郎は次のように語っている。GHQに与えられた、英語で書かれた新憲法の草案を、日本語に翻訳する際のエピソードである。

 

 この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。余談になるが、後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく。

               新潮文庫 『プリンシプルのない日本』白洲次郎 p.240

 

憲法の文言が決定される現場が、こういうものだった。そう聞き、頭の中に受け入れてみた時、少し拠り所のないような気持ちになる。もう少し勉強してみると、戦後、新憲法の制定にあたっては、まず草案の作成をGHQに命じられ、日本側が提出した草案が、主権在民論ではなく、天皇神権論を護持していた、という前段があることがわかる。また、この天皇をシンボルの位置におく草案を受け入れねば、天皇本人に危機が及ぶ、という示唆がGHQ側からあったこと…。芋蔓式に出てくるこれらの事を知ったところで、我々の現実に変化が起きるだろうか。ある事を知る前と後では、ある出来事において、当事者ではないが、その影響下にある、という立場は変わらない。けれども、知った後では、そのことと自分がどう関係しているか、という視点が現れる。

 

 

 

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