印刷

空の国と〔空〕の国

次第に高度を落としながら、旅客機はゆっくりと翼を左へ傾けて旋回し、着陸態勢に入った。小窓に額を近づけて外の暗闇に目を凝らすと、やがて、翼の下から夜の房総半島がせり上がってくる。あちこちに光が散らばる。東京湾を縁取って、舞浜のディズニーランドや葛西臨海公園の大観覧車が、現実感のない距離でちかちかと通り過ぎて行く。東京湾ゲートブリッジが眼下に大きく近づく頃には、高度はすでにぐんと落ちている。湾岸部の巨大なクレーン群、すこし遠くに広がる都心の見事な夜景は、引力に引きずられた窓からはたいして眺める間もなく通り過ぎていく。――あっけなく滑走路が現れる。《――当機はただいま羽田空港に着陸いたしました。ベルト着用サインが消えるまで――…》

あるいは別の場面――。航空機が轟音を上げながら、こちらに向かってみるみる降下してくる。夕暮れを背に、巨大な影となって頭上を通過する機体の迫力に、無邪気な歓声が上がる。城南島海浜公園の浜辺から対岸の羽田空港までは、1キロもない。航空ファンがずらっと三脚を立てて着陸便を待ち構える一方、山手線なみの頻度で次々に現れる旅客機の機腹を眺めながら、家族連れがキャンプやバーベキューに興じている。どの機体も北東の空の端から旋回しながら現れ、見えないレールでも敷いてあるかのように、同じコースで羽田へと降りていく。子どもが浅瀬の波を輝かせてはしゃいでいる。

それとも――ある夏の朝。めずらしく早起きして、何かちょっと買いに出かける道すがら、近づいてくるジェット機の轟音に、上空を仰ぐ。どこの航空会社の機体か、目を凝らせば容易に特定できそうなほど、ずいぶんと低い空を飛んでいく。大田区の自宅から羽田空港までは直線距離で2キロ弱。しかし、町の上を低空で通過していく飛行機を見ることはほとんどない。しばらく見とれていたが、ふと、以前からこんなに低いところを飛んでいただろうか…という疑問が、頭のすみをかすめた。


〈城南島海浜公園から見た羽田空港〉

帰宅後、羽田から自宅の上あたりへ飛来する飛行機が、実際にどれくらいあるのか見てみようと、航空機の位置情報サイト「frightradar24」[※1]を開いた。東京湾周辺エリアを拡大すると、まだ朝の7時台だったが、出発便はすでに海上を行き交っており、地図上をいくつかの黄色い航空機アイコンが少しずつ移動していく。しばらくそれぞれの旅客機の航空会社や行き先、航跡を表示したりして遊んでいたが、そのうちに、羽田から飛び立った出発便のうちの一機が、地図上をまっすぐ自宅のある方角へと向かってくるのが見えた。すでに、開け放ったままの窓からは音が聞こえている。ベランダに顔を出して空を見上げた。機影は見えないが、やがて立ち込めてきた雲に反響するように、朝の住宅街からはしばし本来の音がかき消され、轟音が響き渡った――。

 

●  品川区上空450メートル

日本の人口は2008年をピークとしてすでに減少に転じ、同時に少子高齢化社会へ向かって、下り坂を転がり落ち始めたところだという。しかし、首都圏の航空需要は、グローバル化や今後のアジア・中東地域の経済成長の波を受けて、数十年先まで右肩上がりの増加が予想されている。すでに羽田の国際線開業やハブ空港化構想、発着枠の増加、成田のLCCターミナル新設など、近年、テコ入れが続けられてはきたが、香港やシンガポール、仁川、バンコクといった、競合するアジアの主要なハブ空港の利用者数と比較すると、日本は成田と羽田を足してようやく足元に追いつく規模であり、喫緊には2020年の東京オリンピックを控えて、年間2000万人を見込む来日客に、いかに対応していくのかが検討されている。羽田においては、滑走路を新設することなく発着枠を拡大するために、航空機の動線を見直し、1時間当たりの発着枠を現状の80回から90回へと増やすのが現実的な案だという。具体的には、今までほぼすべての便で東京湾を経由して行われていた離発着のルートに、都内上空を加えることで効率化を図る。

実現されれば、市街地へのインパクトはかなり大きい。特に夏場に多いという南風時の到着ルート(下図)では、渋谷区、目黒区、品川区、大田区といった都心部を、航空機が低高度で横切ることになる。特に五輪やリニア開通を見越した再開発が著しい品川区では、区のほぼ中心を高度450メートルで着陸機が1~2分ごとに通過することになるため(ちなみに450メートルはスカイツリーの第2展望台と同じ高さ)、地価等にも影響が出そうだ。品川に限らずとも、経路の周辺地域は相当な騒音にみまわれることは想像に難くない。無論、航空機が市街地上空を通過して着陸するケースは、日本でも福岡空港などの例があり、特異ではないが、数分に1本のペースで飛来するとなると、周辺地域からの反発は避けがたいはずだ。
ちなみに私が早朝に目撃した低高度の出発便は、現在、朝の7〜8時台に限定的に利用されているルートであるらしく、本数も制限されていることがわかった。逆に羽田の近隣に住んでいて、今まで低高度飛行中の旅客機に遭遇しなかったことのほうが、本来は不自然である。
不自然・・・といえば、改めてよく見れば下の図も不自然ではないか。何も知らずに見た人は、東側から着陸するという選択肢が、なぜか排除されているように見えることを指摘するかもしれない。それはつまり、なぜ私たちは羽田空港にアプローチする飛行機の窓から、高確率で房総半島やディズニーランドを見ることができるのか、という問いと同じである。あるいはなぜ、羽田へ向かうほとんどの到着便が、城南島海浜公園の上を横切っていくのか、という問いでもいい。


:都心を通過して着陸する新たな到着経路案(南風時)。15:00〜19:00の使用が検討されている。
(出所)「羽田空港のこれから – 2 羽田空港の増便のために」国土交通省[※3]

 

● 空中の米国

横田空域(横田ラプコン〔Radar Approach Control〕)はその名のとおり、在日米軍横田基地を中心として、東京都西部を含む1都8県の上空2450〜7000メートルに広がる階段状の巨大な管制区域である。2008年に一部の空域で高度が低減されたが、それ以降の返還交渉は進んでいない。ここを通過する航空機は必ずアメリカ空軍の航空管制を受ける必要があるため、首都圏発の民間航空機は、基本的にこの空域を避けて飛ぶ。特に羽田発着の航空機にとって横田空域はまさに、西日本や中韓方面への入り口にそびえる「見えない巨峰」であり、そのため、日中の出発便は、断崖を一気にかけ登るように急上昇して空域を飛び越えていく(羽田発の便で西日本へ向かったことがある人は多かれ少なかれ思い当たるのではないだろうか)。夜間や早朝については、市街地の飛行に制限があるため、東京湾上空で旋回して高度を上げてから空域を飛び越える。出発便とは異なり「急降下」が不可能な到着便は迂回するしかなく、そのため、羽田にアプローチする旅客機のほとんどが、木更津沖から東京湾をぐるりと縁取るように旋回して着陸することになる。(成田においては航空自衛隊の百里空域が同様の問題を抱えている)。ちなみに先に述べた新着陸ルート案(上図)では、上端部分が横田空域に引っかかっており、交渉をクリアしない限り実現は不可能だ。

スクリーンショット 2015-10-12 2.50.04
:横田空域一部返還(2008年)後の羽田・成田両空港の離発着経路
(出所)「首都圏空港の機能強化に係る検討について」国土交通省 航空局(平成25年11月)[※2]

 

これらのことから露呈するのは、おもに東京23区民の利害をめぐって発生する奇妙に複雑な「ねじれ」である。つまり結果的に「羽田空域」の下で、今までたいした騒音にも危険にも悩まされることなく(ある意味では千葉県沿岸部の住民に騒音を押しつけながら)生活してきたのは、横田空域の恩恵だったと言えるからだ。(横田基地周辺は当然ながら、現在も騒音に代表される基地問題を抱えている)。
五輪の招致元である以上、今後、東京都自体が羽田の新発着ルートがもたらす問題に対して主体的に抗議を行う状況は考えにくく(事実、今年1月にはすでに「容認」との報道もなされている[※4])、発着枠拡大の有効な代替え案が現時点でないことからも、新ルート案は基本的に実現に向かうのではないかと予想される。(国交省は動画まで作って必要性をアピールしている[※5])。米国側との交渉は重要なファクターだが、五輪の国際的な影響力や、2008年の空域一部返還以前には羽田―伊丹便が横田空域を通過していた事実を鑑みれば、完全に計画通りにはいかないまでも、不可能ではないだろう。5年の間に横田基地の軍民共用化が実現されれば話は別だが、容易ではない。
つまり五輪開催の2020年を前にして、日米、あるいは地方と中央をめぐって戦後、さまざまなバリエーションで反復されてきた問題が――その最大の発露は沖縄と福島に違いないが――の縮図が、奇妙にねじれ、歪んだ形で都心に薄い影を落としたかのように思われるのだ。

加藤典洋はかつて、95年に『群像』で発表した「敗戦後論」において、美濃部達吉や津田左右吉らが抱いた「戦後のねじれ」への違和感を、このような言葉に置き換えてみせた。

国が敗れるとはどういうことか。占領されて、なおかつ自由だとしたら、そう感じる自分が、どこかおかしい。ある抑圧が感じられる。一口にいえば、それは「世間の風潮のやうなもの」だ。そういう時、わたし達が受けとっているのは、自分たちに、自分たちを征服している存在の「力」が感じられないとしたら、ここにはそれほど深い自己欺瞞がある、という、やはり美濃部〔達吉〕の場合と同様の、見えない大きな力に対する、彼〔津田左右吉〕の「ねじれ」た直覚の形にほかならないのである。
(『敗戦後論』ちくま文庫 ※〔 〕内筆者 )

2015年のいま読むと、「自己欺瞞」と言うよりも、もはや本当の意味で単に「感じられな」くなっているのではないかという疑いが首をもたげてくる。あえて無根拠に言うならば、それは首都圏上空の広大な「見えない米国」に象徴される、「すでにそこにあるもの」や「すでにそうなってしまっている(どうしようもない)もの」を見なくなる、あるいはそれに対して考える熱量を持たなくなる、加藤典洋の言葉を借りれば「何かを激しく欠落させた」日本人の病理なのではないかとすら思えてしまう。あるいは、五輪開催のすぐ横で、機影が轟音を上げて街の上空を次々に横切って行く状況も、いざ本決まりになり「そうなって」しまえば、一部の怒れる人々を揶揄の中に置き去りにしながら、やがては日常の風景として受け入れられ、「見えなく」なっていくのかもしれない。

大澤真幸は『戦後の思想空間』(ちくま新書)の中で、「敗戦後論」を受けて、60年安保までは「大衆的な気分として反米というのがあった」といい、そのこと自体が、当時の日本がナショナルな共同体たりえたことの証拠であり、アメリカを中心とする世界の中で、自国を「マージナルな位置に位置づける」ところの普遍的な視線があったことの証拠であるとする。しかも、そうした60年安保を駆動した思想自体も、結局はアメリカの統治に深いところで依存した中での「植民地ナショナリズム」であった可能性を否定しない。だとすれば、2020年という「世界からの目」を、できる限り利用して日本が試みるべきなのは、依然、アメリカを中心とした(しかしそのアメリカもかつてのアメリカではない)この世界の中で、自国を置くに足るだけの「マージナルな位置」を新たに模索し、無数の国々の鏡に照らして、「すでにそうなってしまっている」として見えなくなっていたものを、初めて見るようにして、見なおすことしかないのではないか。妙に大きな話になってしまったが、少なくとも私はそう思う。そうして見直し、選びなおしたうえで、自宅の上を450メートルだか400メートルだかの高度でジェット機が轟音で通過していくのだとすれば、文句は言うだろうけど、そうでないときほど嫌な感じはしないだろうと思っている。


※1 http://www.flightradar24.com/
※2 http://www.mlit.go.jp/common/001018977.pdf
※3 http://www.mlit.go.jp/koku/haneda/international/new.html
※4 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS21H5H_R20C15A1PP8000/
※5 http://www.mlit.go.jp/page/kanbo01_hy_004261.html

文字数:5206

課題提出者一覧