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「宝石から永遠を引いたもの」と戦争の物語

いつのまに、こんなに忘れっぽくなってしまったものかと、時々、怖くはならないだろうか。
それとも、気がつかなかっただけで、もうずっと昔からこんなふうだっただろうか。
阪神大震災や3.11のことは身体に強く結びついた記憶として、よく覚えている。オウム事件も。9.11が起きた日のことも覚えている。しかし、その後に派生して起こった諸々のできごとについては、ぼんやりとしている。そしてここ数年は? 昨年から今年にかけて起きた事件を、ネットに頼らずに、いったいどれくらい挙げるてみることができるだろうか。炎上案件が日々ネット上に吊るし上げられては、またたく間に灰になって消えていくなかで、それでも頑然としてそこにある、過去の大きな歴史だけは、さすがにこの国の忘却癖からも逃れられるだろうなどと、だれが言えるだろう。
近年、戦後70年のこの夏ほど、あちこちで「戦争」の言葉を目に、耳にしたことはなかった。新聞の一面に、プラカードの上に、シュプレヒコールに、Twitterのタイムラインにつぎつぎに流れてくるリツイートのなかに(私はそれをどこか不快にすら思っていた)。その「戦争」は、ほんとうに「あの戦争」につながるものなのだろうか。そもそも、この国の大多数の人々は、なにをもって戦争というものを思い描き、「忘れない」と宣言しうるのだろうか。
あらゆる忘却にあらがう手段のなかで、もっとも有望なのは、おそらくは何度でも「語り直し」、物語を再生させることだ。
しかしどうやって…?

●春画と戦争画、文化の「賞味期限」とそれぞれの更新

いつだったか、ぎっちりと本が詰めこまれた祖父の書架の奥に、前列の本で隠すようにして置かれた、春画の画集を見つけたことがある。とりたてて驚くほどのことでもないのだが、正直なところ「微妙…」と思った。祖父は大正生まれ。身もフタもない言い方をすると、祖父にとっての春画というものが、美術品や時代風俗史料としての「鑑賞」の対象なのか、それとも「実用品」なのか、あるいはその両方なのか、なんにしても「微妙…」と思ったのだった。
なぜ急にそんなことを思い出したのかと言えば、永青文庫で開催中の「春画-SHUNGA-展」が盛況らしいからだ。もちろんひと口に「春画」といっても、絵師によって、作品によって、それぞれの表現は千差万別ではあるが、いずれにせよ、かつては買い求めた個人の手元だけでこっそりと眺められていたはずの版画が、時代を経て、まずは海外で、ついには国内で、「展示物」として衆目の目にさらされることとなった。その状況はおもしろくもあり、また、春画のように、時代とともに、コンテンツのカテゴリーが「世俗文化」から「芸術・史料」へとスライドしていく、すなわち時間の流れのなかで、それらが流通していた当時の価値基準から離れて別の価値のなかに位置づけられるまでの、さながら「賞味期限」のような現象に興味を覚えた。そして、ネット上の反応などを見るかぎりでは、「春画」というのものは、賞味期限切れ間近ではあるが、まだぎりぎり「食べられる」ものもあるかもね…という位置づけのようである。(だからこそ話題にもなるのだろう)

現象として類似するジャンルに「戦争画」というものがある。
ただし、ここで言うところの戦争画とは、ピカソの《ゲルニカ》や、ナポレオン戦争などを描いた西洋のそれではなく、日中戦争から第二次大戦終結までの日本で、画家たちが陸軍省や海軍省に委託され、戦地に派遣されて描いた、諸作戦の記録画や、戦意高揚を目的に描かれた絵画のことだ。それらの多くは新聞社や軍が共催した「戦争美術展」で国民に公開され、戦後は多くが米国に接収された。現在は「無期限貸与」として、国立近代美術館に収蔵されており、数点ずつ公開される状態が続いている。最も有名なものは藤田嗣治の《アッツ島玉砕》だろう。
2015年は「戦争画」がとりわけ注目された年でもある。5月から9月にかけて前述の国立近代美術館が「誰がために戦う?」と題して、戦争画の企画展を開催。6月には美術評論家の椹木野衣と現代美術家の会田誠による対談本『戦争画とニッポン』が発刊、雑誌『美術手帖』の9月号は「絵描きと戦争」と題して、戦争画を第一特集で取り上げた。
春画と戦争画が大きく異なる点は、現在において、戦争画が描かれた当時の文脈での「賞味期限」はすでに切れている点である。いま、それらの絵画を見ても、戦意が鼓舞されるわけもなく、鬼畜米英に憤ることもない。私たちは当然、それらの絵画を自分なりの歴史観やイメージを通すことで「読み替え」、時代性を感じたり、あるいは会田誠の言うところの「暗い叙情」のようなものに惹きつけられたりする。そこにはまさしく「語り直し」の可能性がある。

既存の春画・戦争画が、再評価される以前から、おもに現代美術においては、それらのアップデートが試みられてきたが、美術に限らずとも「春画的なもの」「戦争画的なもの」は、いまや身の回りにも、ネット上にあふれている。現代の春画についてはまたの機会に譲ることとして、ネット上の「戦争画的なもの」として、書籍の出版以前から注目を集めていたのが、漫画家・今日マチ子が自身のブログ「センネン画報」に、継続して掲載をつづけてきた一連のシリーズである。

●いちごのはらわたが飛び散る戦場

2010年の『coccon』、2012~13年の『アノネ、』、2015年の『ぱらいそ』と、今日マチ子は継続して戦争をテーマに作品を発表してきた。それと並行する形で、ネットで公開されていたのが後に「いちご戦争」と呼ばれる、一連のスケッチだ。
軍服姿の少女たちを描いた、それらのスケッチは、奇妙な設定につらぬかれている。自決、玉砕、爆撃、ガマ、南方戦線…と、太平洋戦争が記号として色濃く散りばめられながら、少女たちは竹槍のかわりに銀のフォークを構え、いちごポッキーに刺され、パピコの手りゅう弾を投げ、ラムネの爆撃に散り、ココアやコーラの海に身を投げる。白旗に描かれた「いちご」は少女たちの国の旗印であり、純血性の証であり、飛び散るはらわたでもある。
その生クリームに閉ざされたような架空の戦争の中で、徹底して人格を感じさせないオカッパ頭の匿名の少女たちは、殺し、殺され、不気味な殺戮の場面を繰り広げる。
今日マチ子は『アノネ、』のあとがきにおいて、モチーフとなる菓子について「なくてもいいはずなのに、やめられないもの」と書いているが、ここではまさしく不条理で甘く残酷な戦いに身を投じている少女を描くことで、ステレオタイプに記号化された、従来の「戦争の語り方」そのものの硬直性を、一種倒錯的にあぶり出しているとも言える。実際、これらのスケッチには、元ネタとなる戦争写真が存在しているものも多いという。

「私は戦後かなり経ってからの生まれなのですが、幼いときから戦時中とか戦後すぐの風景みたいなものが植えつけられている。そのイージは写真や戦争画などの二次的なものからきていると思うんです。私たちが共有しているイメージってなんだろう? ということをずっと考えていました。『いちご戦争』では特に、見る人が見ればわかる、戦争の写真をもとに描いています」
(中略)
「日本人が戦争について考えるとき、被害者としての意識はあっても、加害者であるという意識がほとんどありません。まさか今後、自分が誰かを傷つけるとも思っていなくて、自分たちは、どこまでも無垢でかわいそうな存在なんだという思い込みがあるのではないでしょうか。それは少女性とつながるのではないか、と最近思ったんです」[※1]

戦後70年を経て、「戦争の語り方」には一種の「型」のようなものができあがっているといってもいい、それらはまず、イデオロギーによって二分され、いずれも過去の文脈と歴史問題に絡めとられて、がんじがらめになっている。
今日マチ子は『cocoon』から『ぱらいそ』にいたる5年間で、すこしずつ戦争の物語から、その「文脈のくびき」を外そうと試みてきたようにも思われる。
それはとりわけ、アンネ・フランクの物語を大胆に読み替えた、二作目の『アノネ、』に顕著だ。「日記」で描かれなかった、アウシュビッツを背景に、アンネ・フランクとアドルフ・ヒトラーの恋愛を描くという、文面だけ見るとありえない設定だが、今日マチ子はまさに「荒唐無稽な世界へスライドすることで、レッテルから逃れる」ことに、成功している。


※1 「対談:今日マチ子×椹木野衣 弱さの象徴ではなく立ち向かう少女へ」(『美術手帖』2015年9月号)

文字数:3502

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