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ざわめく音の《海》で

2年前に死んだ祖父の遺品のうち、一つだけ、知らない人の手に渡るのは嫌だなと思ったものがあった。
ドビュッシーの交響詩のレコード。
「神奈川沖浪裏」のジャケットの、すこし色の褪せた見た目もよく覚えていたのだが、結局、探せないまま行方知れずになった。

《海》を聞くたびに鼻先をかすめるのは、潮の香りではなく、畳の部屋の匂いである。
祖父母の家の、日の当たらない北向きの部屋。小ぶりな祖父の手が、波の絵のジャケットから盤を取り出す。八畳ほどの座敷にデンと据えられたスピーカーと、当時はちょうど同じくらいの背丈であった。レコードがかかると、畳に頬をつけて両側のスピーカーの間に寝そべる。曲のはじまりと同時に、空想上の視界は大きな海鳥のそれになり、薄曇りの雲の中、ゆっくりとまだ見えない海面へと降下していく、予感に満ちた冒頭部、やがて海洋小説の舞台になりそうな、絵画的な水面が眼下に開ける。絶えず風にあおられながら、回転しながら、舞い上がり、遠ざかり、近づき、波のうねりにやがて輝かしく日が差すように、悠々たる主題が提示される――その海のまぼろしに重なるように、座敷の畳の匂い、そして隣家の庭から窓辺へ張り出した梅の木のざわめき、祖父が本の頁をくる音、うなるようなため息、階下で祖母が夕飯の支度をしている――いまはもう誰も住む者のいなくなった、かつての家の気配が生々しく立ち上がってくる――。
音楽は連想の呼び水のごときである。それはいやおうなく個々の勝手な心象をめまぐるしく召喚する。レコードジャケットの絵柄ですら、楽曲の印象に少なからぬ影響をおよぼす。たとえば Modern Jazz Quartetの「Pyramid」を聴くとき、私の耳に転がり込む音の粒は、あのジャケットと同じ黄色に丸く彩られている。そしてたいていの音楽は、作曲者にしてみればあまりにも不本意かもしれない、雑音にまみれた環境下で、おもむろに、適当に再生される。もし仮に、無から生まれ、世界中の誰にも聴かれたことのない曲がどこかにあるとするなら、それは雑音にも雑念にもさらされることのない純粋無垢の「音楽そのもの」といえるのだろうか。

12歳の夏、吹奏楽コンクールの予選で、顧問が勝手に選んだ曲は定番の「カヴァレリア・ルスティカーナ」だった。間奏曲は中盤にさしかかり、原曲のハープの代用としてマリンバがアルペジオを刻んでいる。その打楽器パートの上級生の後ろで、クラシック専用ホールというものの音響に圧倒されながら、私は次の「終曲」までの出番を待っていた。後輩たる者の役割は、曲の合間にすばやくティンパニへ移動する上級生のマレット(鍵盤楽器用のバチ)を回収し、転がり落ちない場所に避難させることである。しかし、どうやら場の雰囲気に飲まれた私は、無意識のうちに、4本のマレットを鍵盤上に放置したまま、次の持ち場のシンバルへと向かってしまったらしい。「終曲」が始まり、最初の高らかなフレーズが終わってすぐ、不安定な場所に置かれたマレットのうちの2本が、さっと落下するのが見えた。文字どおり頭が真っ白になった。硬いヘッド部分がステージに叩きつけられる音は、クライマックス前の静寂の中、鋭い二連符になって響き渡った――。後日、おそるおそるテープで確認したところ、かなりバッチリと録音されていた。太宰治の「トカトントン」ではないが、その後、折にふれて「タターン!」というその音のことを思い出した。

「しくじりの効能」というものがあるとすれば、それは「思い込みの破壊・シャッフル」的なものではないかと考える。さらにくだけた表現で言い替えれば「ガラガラポン」のようなものである。すなわち、失敗や誤りを自覚したショックにより、思考が「しくじり」を中心にめまぐるしく渦をまき、通常ならば思いもつかないようなことを意図せずぽろりとはじき出す可能性である。しかし当然ながら、実際には世の失敗の多くは何も生み出さない。単純にそれまでの労力を無と化すようなどうしようもない「しくじり」に溢れている。すなわち、災い転じて吉となす可能性は、まさにほとんど「当たり」がでない抽選のようなものでもある。

「タターン!」が私の人生に与えたインパクトは、その点では大したものではなかった。しかし、音楽の聴き方・考え方に多少の有意な変化を与えたことは確かだ。すなわち、ライブ音源にまぎれ込んだ「意図しない音」がにわかに気になり始めたのである。指揮者がタクトを振り上げる前の、客席のかすかな咳払い。タイミングを合わせるためのブレス音、あるいは痛恨のリード・ミス…。咳払いが消去されていない音源に、なんとなく好感を覚えるようになった。グレン・グールドやキース・ジャレットの「鼻歌」は、音楽的意図の内側にあるのか外側にあるのか…というようなことについてぼんやりと考えるようになる。即興のキース・ジャレットはともかく、グールドの音楽が「椅子のきしむ音も込み」「鼻歌も込み」で評価されるとすれば、例の「タターン!」も苦し紛れに意図的だと言い張れないことはない…。そもそも演奏にある種の「決定版」が求められるようになったのは、録音技術による「やり直し」が可能となって以後のことであり、音楽の歴史全体からすれば、まだ最近のできごとだといえるのではないか。人間はどちらかといえば雑音としくじりにまみれた環境で、音楽に接してきたはずである。

ある邦楽ホールで、長唄の公演を聞いたことがあった。音響は専用ホールだけあってすばらしかった。客席が沈黙すると、まさに水を打ったような静寂。音の輪郭が一つ一つ手に取るようにクリアに聞こえた。邦楽を真剣に学ぶ人にとっては最高の環境なのだろう。しかし、後半の演目が「春興鏡獅子」だったこともあり、聴いているうちにどうも味気なさを覚えてしまった。以前に歌舞伎座で同じ演目を観たことがあったからだ。長唄を単独で聴いたことで、その楽曲が本来、役者が舞踊の途中で舞台を踏み鳴らす音、獅子の頭が打ち鳴らされる音、掛け声・歓声といった、ある種の熱気が混ざり合う空間の中で生きるものだということが逆に浮き彫りとなったように思われた。そもそも「ヒュ~ドロドロドロ…」という、花道のスッポンから幽霊や化け物が登場するシーンで用いられる表現(雷序)に顕著なように、古来より日本の舞台空間においては、音楽と音響はほとんど一体化され、あいまいに行き来するものとしてあった。なにしろ、「静寂の音」や「雪の降る音」すら三味線や太鼓で表現してきたのである。前述の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲が、時代が経つにつれて本来のオペラの筋はすっかり忘れられ、全く独立した音楽として広まっている点を考えても、西洋音楽との性質の違いは顕著である。

江戸文化研究者の田中優子はその著作『江戸の音』において、古来、日本の音楽には「楽曲」という確固とした枠に収められるものは比較的少数で、多くは雅楽や祭り囃し、あるいは遊郭の三味線といったものにいたるまで、「なんとなく鳴っている」状態が主流であったことを指摘する。田中は例として浄瑠璃・歌舞伎の演目「夏祭浪花鑑」を挙げる。この芝居のクライマックスは、にぎやかな祭りを背景に陰惨な人殺しが行われる。この場面、楽曲は人物たちの緊迫した状況に寄り添わず、あくまで「なんとなく鳴っている」祭り囃子を奏で続けるのである。その交わらない二つのリアルさが、流血沙汰をより一層恐ろしく引き立てるのである。日本人と音楽の距離を考えるうえで、極めて象徴的な例と言える。江戸ならぬ現代においても、正月の百貨店やスーパーで、宮城検校の「春の海」が延々とループ再生されているような風景には、その名残があるといえるのではないか。

さらに遡れば、光源氏は『源氏物語』第二十六帖「常夏」の中で、年若き玉鬘に「秋の夜の月影涼しきほど、いと奥深くはあらで、虫の声に掻き鳴らし合はせたるほど、気近く今めかしきものの音なり」(秋の、月の光の涼しい夜に、軒端近くへ出て、虫の声に合わせるように、かき鳴らす音は、親わしく、はなやかなものです)などと、和琴の音色について語る。つまり環境と音楽の邂逅を愛でる美意識であり、こういった言説は、歌にも句にもあらゆるジャンルで枚挙に暇がない。冬の道頓堀でモオツァルトの一説に遭遇する小林秀雄の感覚は、楽曲との距離感、環境音的音楽への嗜好という前述の文脈にやや強引に位置づけるとすれば、すぐれて日本人的な音楽の受容なのかもしれない。

本来、楽曲を聴くことは、作ること・奏でることと同様に、あるいはそれ以上に創造的行いであるはずだ。その音楽をどこでどのように聴くか、何に紐づけるか、音楽によっていかなる心象を描くか、どのような価値を与えるか。それらは聞き手の器に委ねられている。そして「聴く」ということがまぎれもなく創造行為である以上、一般的な正誤は存在しえない。日本人と音楽の距離感を振り返る中で、その考えはより明確なものとなった。
たとえば、冒頭で挙げた交響詩が、ドビュッシーの私生活に極めて波乱の多い時期に作曲されたこと、スコアの表紙に描かれた「神奈川沖浪裏」と1900年パリ博の関係を知ったりすることは音楽を聴くうえでの「リテラシー」として、当然ながら有効であると思う。一方で《海》の音楽世界に、広大な砂漠の風景を連想することも、創造的な聴き方だ。
孫についに何も教えなかった祖父の聴いた《海》の世界が、どのように創造的だったのか、できることなら話してみたかった。

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