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肉塊、あるいは孵化する人体

それが何でできているのか、気にしすぎるのはよくないことだろうか――。

遠縁のN子と、夜に食事をしながら話し込んでいたときのことだ。
最近は漢方に凝っているというので、中華風薬膳鍋の店を予約してあった。店員がときどき現れては、片言の日本語で出汁用の木の実の引き上げや、具材投入を促しに来る。言われるがままに野菜や肉を真っ赤なスープに落としていく。唐辛子が効いてきて、二人とも額にうっすら汗をかきながら、話題はありがちな美容の話になった。
同年代のN子は前年に母になったばかりで、今は子育てに忙しくしているというが、顔にはまったく疲れも見えず、むしろ前よりツヤツヤとしている。何かしてるんじゃないの? と聞いてみると、彼女はうれしそうに、
「漢方かな? あとはね…美容液。プラセンタ入りのやつ」と言った。
――プラセンタ?
「placenta…たいばん。豚のとか羊のとか。ヒトのもあるって聞くけど…。ほら、後産で出てくるやつ」
後産で…と言われてようやく「胎盤」に変換された。ボトルに入った透明の美容液と、いつか写真で見た巨大なレバーのような胎盤とが、どうも頭の中で結びつかなかった。それにしても現代の化粧品はそんなものまで材料にしているのかと驚いたが、その後にN子が言った言葉には、文字どおり口をポカンと開けてしまった。
「胎盤ってホルモンが豊富らしいんだよね。ほら、産後に食べるといいって言うでしょ? 回復が早いとか」
――食べる…胎盤を?
「びっくるするよね。普通の病院だと無理らしいんだけど。産院だったからかな、産む前に聞いてくれたよ」
――食べるかどうか…
「最初は私もびっくりしたんだけど。レバ刺しみたいな感じにさばいてもらって、わさび醤油で」
――食べたの…?
「私は食べてないけど・・・夫がね。ちょっと血の風味が強いけど、割とおいしかったみたい」
目の前を「カニバリズム」の6文字がさっと横切っていった。しかし、N子があまりにあっけらかんと言うので、こちらに常識がないのだろうかと思えてきて、その場で検索をかけてみた。たしかに結構な件数がヒットする。自分の胎盤を冷凍保存して、少しずつ食べているという女性芸能人、家族で胎盤の刺身を囲んだ写真、なんとハンバーグに調理した写真まで出てきた。
ほら、とN子に見せられたスマホ画面には、横になっている彼女の傍で、笑いながら赤いレバー状のものを箸でつまみ上げているN子の夫。醤油の小皿に血の色がにじんでいるのが見えた。
「まあ、自分の体から自然に出てきたものだし、畜産のお肉より罪がないんじゃない?」
そうだろうか。そうだろうか…。ぐらぐらと湧いた真っ赤なスープの中では、鶏肉が食べごろになり、せわしなく浮き沈みしているが、急に箸が進まなくなった。中華料理店の独特の雰囲気も相まって、私はある香港映画のことを思い出した。

中国本土と香港との間の税関を、派手な身なりをした謎の女が通り抜けていく。手に下げているのは赤い模様の入った金属製のランチパック。女はその日、深圳の某所であるものを調達し、それを香港へと密かに持ち帰るところなのである。X線検査を難なくすり抜けていくランチパックは、上の三段までは実際に弁当が詰まっており、まず不審に思われることはない。女の仕入れたものは一番下の段に隠され、雑多な下町の団地の一室にある怪しげな「回春餃子店」の厨房へと持ち込まれる。女はランチパックからそれを取り出して、ガラスボールの水に沈める。どこか官能的な薄ピンクに透けるその肉塊は何なのか…。
「高価だが効果バツグン」という若返り餃子の噂を聞きつけ、一人の中年女が店にやって来る。最初は警戒していた女だが、出されたものは、見た目には特に何の変哲もない水餃子…。口に含むとコリコリと独特の食感があり、女店主はそれが何の肉かは教えてくれないが、歯ごたえの正体は「形成されたばかりの骨」であり、「5〜6ヶ月くらいのものが一番いい」という。客は怪しみながらも美を求めて、その回春餃子店に通い始める――。

陳果(フルーツ・チャン)監督作の『餃子/dumplings 』は2003年、日中韓のホラー映画のオムニバス企画「TREE」の第2弾(邦題『美しい夜、残酷な朝』)向けに撮られた短編映画である。のちに90分の完全版が公開され、短編版とはエピソードや結末の一部が異なるが、大筋は同じだ。撮影は王家衛(ウォン・カーワイ)作品で知られるクリストファー・ドイル。本作でも香港の(九龍サイドの)下町を、グロテスクさと妖艶さの間の微妙なバランスを保ちながら撮っている。店の鏡の中に浮かび上がる二人の女の肌の質感、これから調理しようという、ガラスボールの中で透ける肉塊を、覗きこむ女たち…それをボール越しに真下から写したショットは、ガラスと水にゆがみ、アングルのせいか、酷薄そうに見える人間の顔が印象的だ。

90年代初頭、香港では『羊たちの沈黙』が世界的ヒットとなった後、実録犯罪映画がブームとなった。中国返還前の社会不安を反映したものであったともいわれるが、それらは過剰なエロ・グロ・バイオレンスを売りとするいわゆる三級片(成人指定映画)である。ブームを代表する一本は93年公開の『八仙飯店之人肉饅頭』。マカオで実際に起きた中華料理店一家惨殺事件を元にして作られたスプラッタ映画であり、タイトルから察せられるとおりのストーリーなのであるが、本作で狂気の猟奇殺人者…人肉料理人を演じた黄秋生(アンソニー・ウォン)が第13回香港電影金像奨(香港版アカデミー賞)の最優秀主演男優賞を受賞していることからも、当時のヒットぶりがうかがわれる。
人肉料理モノ…などというジャンルが香港映画にあるかどうかは不明だが、フルーツ・チャンの『餃子』は明らかにこの文脈を意識し、なおかつアップデートしようとした一作である。
それにしても人肉食も、肉饅頭や餃子といった中華料理になった途端、不思議と背徳感や倒錯感が薄れ、妙に地に足の着いたアジア的リアリティを帯びるのは、カニバリズム映画の地域性として別の角度から考えてみることができるのではなかろうか。

回春餃子店の客=リー夫人(楊千嬅/ミリアム・ヨン)は、餃子効果で次第に若々しさを取り戻し、若い娘に浮気していた実業家の夫(梁家輝/レオン・カーファイ)を振り向かせることにも成功するが、餃子店に足繁く通ううちに、ある時、調理中の厨房を覗き見てしまう。女主人(白靈/バイ・リン)が中華包丁で刻んていた肉塊――それは手足が生まれ始めたばかりの、人間の胎児だったのだ。店主は堕胎手術で堕ろされた胎児を、深圳の病院から密かに仕入れていたのである。

カニバリズムが禁じられるのは当然、単に感染症を防ぐためではない。文明社会では、生きた人間を殺すことが罪とされる一方、死んだ人間の人体を損壊することも罪に問われる。「なぜヒトがヒトを食べてはならないか」という問いと、禁じられた扉を開ける倒錯への欲望は、それだけで数えきれない作品を生み出してきた。……では堕胎され、医療廃棄物として捨てられる胎児とは、どのような存在なのか。棄てるのはよく、食べるのはなぜ罪か。もしくは、死者から臓器をもらい受けるのはよく、死者の肉を口にすることはなぜ罪なのか。あるいは、シャーレの上で培養された人肉を食べることは罪か否か。
科学の進歩に伴い、ますます加速する生命倫理のあいまいさの中には、社会通念をねじ曲げるためにちょうどいい余白がいくらでも隠されている。その意味で『餃子』が描いているのは単純なカニバリズムではなく、身体の霊性がとことん失われた現代において、老いに逆らい、出生が管理され、本当は自分が何を食べているのかすらもつまびらかではない社会の足元に潜む、根源的な不安であると言える。

ちなみに、作中でリー夫妻は子のいない夫婦として描かれているが、夫人が回春餃子で容色を取り戻そうとする一方、夫は夫で、バロット(東南アジア等で食されている孵化する直前のアヒルの卵)で精力を付け、若い娘にうつつを抜かしている。グロテスクに欲望を追い求める夫婦の姿は滑稽でもあるが、しかし少し引いて見てみれば、実にありふれた私たちの姿を戯画化しているに過ぎないことがわかるのである。

回春餃子の正体を知ったリー夫人は、一度はその場から走って逃げ出すが、街中へ出てしばらく息を整えた後、ふいに冷静さを取り戻す。彼女の頭の中で何がどう整理されたのか。この映画の中でもっとも恐ろしい場面はここだ。彼女は駆け下りてきた団地に引き返し、餃子店の常連客に戻るのである。その後の、美に開き直った彼女の妙に生き生きとした姿は、陽光が差し込む店内で胎児入り餃子を食べ続ける場面が象徴的だ。餃子の正体を知るまでの、薄暗い店内での食事シーンとは対称的に、罪悪感を捨て去ったその姿には爽快感すらある。やがて警察の捜査によって餃子店が閉店し、店主がどこかへ雲隠れしてしまうと、彼女は夫の浮気相手を妊娠中絶させ、その胎児(つまり夫の子である)を手に入れ、ついには自らの手で中華包丁を振り下ろすのである。

改めて考えてみる。胎盤問題である。
ある人にとってはまぎれもなく人肉であり、ある人にとっては美容に効くレバ刺しであるという謎の肉塊、胎盤。
私はかつて京都の清水寺へと続く道の途中にある若宮八幡宮の境内の一角に「孝明天皇御胞衣塚」と彫られた石碑が、何の説明板もなく柵に囲われて立っているのを見たことがある。字だけ見て、天皇は衣服までを塚に埋めて祀るのか…と思った。後に中沢新一の『精霊の王』を読む中で、胞衣(えな)とはすなわち胎盤であることを知った。産後に母親の体から離れた胎盤は「この世界にはもはやどこにも『置かれる場所』を持たない恐るべき存在」として、縁の下に埋められたり、木の上に吊るされたり、かつては埋葬に準じる処理が行われていたという。医学のない時代、出産後に出てくる巨大な肉塊が、人々に畏怖の念を抱かせたことは想像に難くない。
翻って現代、「恐るべき存在」胎盤は、ついにはハンバーグの具材となるまでに至った。
人間の、自らの身体に対する考え方は、この数十年の間であまりに急速な変化を遂げていると言っていい。考え方ひとつで神になり、美になり、母体となり、食肉になるというこの人体を、私たちは持て余している。21世紀に残された最大のブラックボックスは人体である。そこにはサスペンスの萌芽…胎児たちがびっしりと詰まって、私たちの体を戦慄させる日を待っている。

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