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「女系」の物語と改変可能な過去――『東京プリズン』の戦後幻想

1. 黒電話の受話器の重さ

 二〇〇九年、八月十五日。
 暑い日で、湿度が圧力に感じられるほど高く、蝉が鳴いていた。ソファでうたたねしていたら、電話が鳴った。起き上がり、黒い電話の受話器をあげた。
「はい」と私は言う。耳の中に、さーっという音が流れ、その薄い雑音にくるまれて女の人が、知らない言葉を話していた。言葉は水のようだ。渦のようだ。「……ピーポゥ」それだけ聞き取れた。
 あ、夢だ。
 私は気がつく、夢の中で。手の中で受話器がずしりと重くなる。[※1]

よくできた予告編のように、『東京プリズン』(2012年、河出書房新社)の主題は、この冒頭から続く一連のシーンにつめ込まれている。8月15日、終戦記念日、過去につながる夢、peopleの声、黒電話の重み、そして母と娘。
戦後、一般家庭に広く普及したダイヤル式の黒電話は、90年代に入るとプッシュホンへの置き換えが急速に進み、姿を消していく。つまり、あの黒い受話器を実際に手に取ったことがあり、重みを思い出すことができる世代と、戦争経験者が近しい身内(両親・祖父母)にいる世代とは、おおむね一致する。
作者の赤坂真理は1964(昭和39)年、東京オリンピックの年の生まれている。彼女は自らを「戦争を経験した親に育てられた世代の、最後の最後あたり」[※2]であると語り、戦前生まれの母の娘として生きる、その世代の感覚を言葉にすることで確かめるように、小説の中に様々なかたちで描き込んだ。

本作が『文藝』に連載された2010年から12年、さらに戦後70年の2015年にかけては、13年に出版されベストセラーとなった白井聡(1977/昭和52年生)『永続敗戦論』の題名に象徴されるように、敗戦から連なる戦後を、いま一度言葉にしておこうとする動きが活発化した時期でもあった。振り返ると、11年の3.11と原発事故、12年の政権交代、それにともない戦後70年の夏の終わりに安保法案の可決、沖縄では基地問題が膠着化。とりわけ3.11の直後には「第2の敗戦」といった、過去に何度か現れては消えていったフレーズが息を吹き返し、戦後日本をめぐる言説は、エンタメを含むあらゆるメディアに頻出。政権も「戦後レジームからの脱却」を標榜した。
いまから振り返ると、「第2の敗戦」という語の響きは、大げさではあれ、ある種の実感をともなう。2011年はあきらかに歴史の分岐点だった。たとえば、いまから数十年が過ぎ、未来の地点から過去を振り返るとき、2011年という年は文字どおり第2の敗戦として1945年と対置され、そこではさらに複雑になった「戦後」の物語が作られていくのかもしれない。それとも、まだ見ぬ未来においては、それらをすべて切断する何かが現れるだろうか。そうはならないだろう。

『東京プリズン』は、発表直後から、かつて戦後50年の年に出版され「歴史主体論争」を呼び起こした、加藤典洋(1948/昭和23年生)の『敗戦後論』(95年)や、前述の『永続敗戦論』などにつらなる、戦後問題を主題に扱った批評的作品として位置づけられた。ほとんど絶賛をもって受容されたと言っていい。たとえば作家のいとうせいこう(1961/昭和36年生)は12年7月15日の「朝日新聞」の書評[※3]で、「これは世界文学である。今すぐ各国語に翻訳して欲しい」と記した。
しかし、本書を読んだ者ならわかるとおり、『東京プリズン』は外国語(とりわけ英語)への翻訳が困難な小説である。そしてその翻訳の困難さはそのまま、本書の主題につながってもいる。よく言われるように「戦後」(post-war)の語をもって「第2次世界大戦後」を指す日本国内の感覚は、世界的には共有されないものである。にもかかわらず、日本において「戦後」という語は、いまにいたるまで強い引力を放ち続けている。50年の節目を経ようと、経済白書が脱戦後を宣言しようと、一向に死語になる気配なく、あるいは「平成」や「災後」といった、新しく生まれた区分ですらも、「戦後」に代わるものとはなりえなかった。言い換えればわたしたちは、その先を言葉のレベルですら名づけられないまま、「昭和90年代」をズルズルと生きていると言ってもいい。

そこにジェネレーションギャップの問題も重なっている。たとえば筆者(1983/昭和58年生)は子供の頃の記憶として、ぎりぎり「黒電話の受話器の重さを知る」世代であり、いわゆる「戦後第二世代」にあたるが、同世代を見渡しても、祖父母や両親の世代と比べると(そもそも比べようもないので、甚だいい加減な感覚ではあるが)敗戦をめぐる感覚はきわめてフラットである。それでいて、前の世代による言説を無意識に内面化している面もある。平成生まれが多数を占める戦後第三世代になると、昭和はさらに遠ざかっているだろう。戦中/戦後世代の隔たりの大きさについては作中でも描かれている。
国際社会に対しては(特に第二次大戦について)、国民国家として同一性を示さなければならない一方、敗戦から遠ざかるにつれ、世代間の認識の差は刻々と開いていく。「終わらない昭和」の問題は、この否応なく生じる敗戦からの距離の差でもある。

徳川幕府が明治政府になり、大日本帝国から日本国になる。それでも保たれる国としての「同一性」というものが、国際条約を守り続けるといった形式的な部分以外に存在し得るのか。そもそも、なにを担保に生じ得るものなのか。それは前述の「歴史主体論争」の論点のひとつでもある。「アジアの2000万の死者」への謝罪の前に、自国の死者を弔いなおすことを通じて、まずは分裂病に陥った戦後体制の「ねじれ(自己欺瞞)」を解消し、ともかくも「われわれ」(共同的主体)を立ち上げなければ、外に向けての謝罪をすることもできない、と主張する加藤の論は、反発を招いた。特に、先に内側から主体を立ち上げなければ他者に出会うことは不可能であるという主張に対し、高橋哲哉(1956/昭和31年生)らを中心に反論が沸き上がった。渡部直己(1952/昭和27年生)は一連の論争を受け、『不敬文学論序説』(99年)において、『敗戦後論』への批判を以下のようにまとめている。

この曖昧さと甘さにたいする現代的な反問は、次のとおりである。すなわち、かりにそれが「外在する何ものにも支えられないことを本質する」のであれば、「文学」は何よりもまず、その具体的前提としての言葉そのものを放棄しなければならぬこと。なぜなら、文学の唯物的な根拠たる言葉は、主体にたいするそれじたいの「外材」性において、すでに無数の他者の多様性と複数性に貫かれてある一点にかかって、きわめて現実的な所与であるからだが、この問はむろん、『敗戦後論』には届きようもない。何しろ、敗戦によって「分裂した自我」という問題設定そのものが、逆に、何事もなければ分裂せずにすんだ「自我」なるものの同一性を先験的な前提としていることが示すとおり、初めに、手つかずの「自我」があり、それが敗戦によって「汚れ」、その「汚れ」を引き受けた「文学思想」こそが「わたし達」の手引きとなるのだと続く書物である。そのいささかナイーヴな文脈において、「文学」や「言葉」は一貫して、それに先立つらしい「主体」にたいする単純な表象=再現機能のもとに措定されるよりほかにない。[※4]

境界線は国の内・外のあいだに引くよりほかにないのか。それとも国の内側にすら引かれ得るのか。その背後には、「nation」(あるいは「people」)が、この先の未来において、どのように変わり得る可能性を持っているか、そして、それをどのようなかたちで国民が描き得るのかという、つづく問いがあるはずである。あるいはそのことは、「12歳の少年」という与えられたイメージから、戦後問題を幻肢痛のように捉えるさまざまな言説、加藤典洋の「ジキルとハイド氏」の喩えまで、トラウマや精神疾患を抱えた(同一性を持った)人間の比喩で戦後の日本を捉えてきた現実の、限界を示してもいる。

『東京プリズン』は出版以来、「16歳の少女が”東京裁判”をやり直す」物語、あるいは「天皇の戦争責任」の問題を文学で取り上げた作品として、前述のように、過去の敗戦論に連なるものとして多く紹介され、注目された。しかし本論ではこの作品を「敗戦論を小説で扱った」のではなく、小説という形式の力を得ることにより、過去の敗戦論(あるいは天皇論)が踏み残した地平を歩き得た作品として、また前出の渡部直己の著作における「黙説法の政治学」批判に応答し得るものとして、その内容の検討を通じ、浮遊する「終わらない昭和」を歴史につなぎとめるアンカーポイントを探るものである。

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3. 母の敗戦を生きる娘、「女系」の物語としての戦後

 痛ましさもいじましさも隠したつもりでいるが、それは見えている。見えているから、この人を私がなんとかしなければ、なんとか慰め喜ばせてやらねばと思う。
 真実を知ろうとしてもさらに手痛い拒絶に遭うだけだ。
 それに真実なんてないのかもしれない。
 だから私も沈黙した。
 それがわからない、ということを呑み込んだ。それを知りたい、ということを呑み込んだ。
 沈黙して、出す言葉にも検閲をかけた。うっかり、もっともデリケートなところに触れてはいけないのだ。
 その姿が自分の親にそっくりだということには気づかなかった。
 いや、気づかないふりをしていただけかもしれない。
 アメリカで一年を過ごし、挫折感を抱えて帰国した私もまた、その地であったすべてを呑み込んだままで、今日まで三十年近くの時を生きてきた。

 そう、人は自分が呑み込んだものになるのだ。[※5]

『東京プリズン』は半ば自伝風の作品である。「半ば」としたのは小説の冒頭、夢のなかで、今はもう存在しないかつての実家をさまよっている45歳の「真里」に、過去の自分――15歳の「マリ」から電話がかかってくるという導入部を読めばあきらかである。物語は主にこの30年の年月を隔てた真里/マリの語りを行き来し、ふたつはときに混線し、解離し、終盤は入れ子状になった虚構のなかを進んでいく。
夢の中で電話を受けた真里は、現実(2009~11年ごろ)の赤坂真理であると考えられ、一方で電話をかけてきた15歳の頃の真里(マリ)がいるのは1980年のアメリカである。彼女は母・京子の意向により、中学卒業後、カナダ国境に近い東海岸最北端のメイン州にあるハイスクールに留学させられていたのだ。マリは東京の母親に何かを訴えたくて、コレクトコールで実家に電話をかけてきたのである。
40歳になった自分自身を母と思い込み、言葉少なに話しかけてくるマリ。メイン州の冬は、零下20度にもなる。極寒の異国の片隅で追い詰められていた15歳の自分を思い出し、真里はマリに、受話器越しに母親になり代わって話しかけ、助言らしきものを与えようとする。しかし、15歳のマリにも、45歳の真理にも、そもそも母がなぜ、娘をアメリカに無理に留学させようとしたのか、その理由がわからないのだ。京子は「行く前も、行った後も、一度も」娘をアメリカに送った理由を説明しようとしなかった。
いや、実は真理/マリにはうっすらとわかってはいる。それは母が終戦後にしていた翻訳の仕事絡みの「秘密」に関係している。マリは祖母を通じて一度だけ、母が「東京裁判の通訳」をしていたと聞いたことがあったのだ。

実際には、京子がしていたのは東京裁判の法廷での通訳ではなく、裁判資料の下訳のような仕事であったことが作中で記される。刊行後のインタビューで、赤坂はそれが事実であったことを語っているが、同時に、彼女の父親のほうは事実、GHQの通訳をしていたことを明かしてもいる[※7]。しかし、赤坂は自らの家族の歴史を元に戦後の物語を組み立てる際、父親にまつわる出来事を、物語の筋から外している。言い換えれば、「父」の物語からは目線を逸らし、日本の敗戦を「母―娘」の問題、あるいは「女系の物語」として捉えようとした意図が読み取れるのである。

 母が恋しい。母のところへ帰りたい。
 四十五歳にして、死んでもいない母親のことをこんな言葉で思う私はへんだろうか?
 母が恋しい。なのに母に会うとなると重くて、いつも過ごそうと思った時間の何分の一かしか過ごせないように自分をしむけている。そしてそのことで、冷たい人間だと自分を責める。
 恋しくなって電話をする。
 電話では話せる。
 なぜ面と向かうとあまり話せないのかと考えて、あることを思い出した。
 どうして忘れていられたのだろう。
 私は母を殺しそうになった。
 私が母のもとを後にしたのは、一緒にいると殺すかもしれないと思ったからだ。[※6]

『東京プリズン』の作品構造の縦糸には、この母―娘の関係、あるいはそこに祖母を加えた、祖母―母―娘の、3世代にわたる関係が置かれている。晩年、年老いた祖母は自分の娘と孫を混同するようになり、真里は祖母の思い違いを利用するかたちで、母の秘密を探り出そうとする。そして、京子がかつて、アメリカの大学へ留学する機会を、父母の反対で断念したらしいことを知るのである。祖母が娘を、娘が母を、ともに一番年下の者の視線から「ママ」と呼ぶように、女3人を結ぶこじれた関係は京子を間に挟んで貫流している。年月を経るつれ、表面上は穏やかになっていく母娘の関係は、しかし若かった日の自分をそれぞれ心の奥に凍てつかせることで成り立ってもいる。そしてその繋がりは、「声が似ている」「鏡の中の自分が若い日の母に似ている」といったシンプルな身体性ですら、逃れ難さと渇望のあいだに、真里/マリを追い詰める。(物語の中盤、亡くなった祖母の納骨の際、京子が不意を突かれたようにあっと声を上げ、「私はここに入らないんだわ……」と呟いて落涙する、一連の場面は象徴的である)。
母―娘関係に伴う困難については、近年、いくつかのベストセラーを皮切りに、関連本の出版が相次ぐが、たとえば精神科医の斉藤環(1961/昭和36年生)は、『母は娘の人生を支配する』(08年)において、父―娘関係と母―娘関係の違いについて、このように記す。「父親とは簡単に対立関係に入ることができますが、母親とは対立できません。なぜなら、母親の存在は、女性である娘の内側に、深く浸透しているからです。それゆえ『母殺し』を試みれば、それはそのまま、娘にとっての自傷行為になってしまうのです」[※7]。斉藤はその背景のひとつとして、母―娘間で行われる女子教育が元来備えてしまっている、本質を欠いた身体トレーニング的な特質を挙げ、その合わせ鏡のように入れ子を生じさせる構造が「母殺し」の不可能性を生み出すと指摘する。
いささか余談めくが、筆者はかつて、実家を出てひとりで暮らしはじめた頃、無意識に口について出た言葉や身振りや価値判断が、母のそれをなぞっているように思え、自分の内に入り込んでいる母の存在を意識する瞬間が度々あった。同じような感覚を覚えたことがある女性は少なくないはずだ。母の内面化と思えることの多くは、成長した娘が自分流にいかようにも変えていけばいいような、他愛のない事柄の数々でありながら、実際にはすでに理屈を超えた部分で身体的に習慣化されてしまってもいる。しかも多くの場合、元を辿れば、それはさらに上の世代へと行き着くき、単純に年月のレベルでも強化されてしまっている。
当たり前と言えば当たり前ではあるが、良くも悪くも、そのように貫流していくもののなかに、作中では、アメリカをめぐる母の「敗戦」経験がある。そして、鏡合わせになった母―娘関係は、もう一方で、電話での会話を通じて容易に時空を行き来する物語の媒介ともなる。「敗戦」が、無意識の身振りや習慣のように世代間を貫流していくのだとすれば、病理だと意識しないものを根本的に治療することはできない。父―子関係ではなく、戦後を母―娘で読み替えたとき、「昭和が終わらない」理由は、血肉を伴ったものとして捉えられるのである。

丸山眞男(大正4/1914年生)は著書『現代政治の思想と行動』(64年)において、第2次大戦中の日本のファシズムの特徴のひとつとして「家族主義的傾向」挙げ、それらは同時期のドイツやイタリアのファシズムには見られないものであったことを指摘する。

家族主義というものがとくに国家構成の原理としての、国民の「総本家」としての皇室とその「赤子」によって構成された家族国家として表象されること。しかもその際例えば社会有機体説のように単に比喩としていわれているのではなくして、もっと実体的意味をもって考えられていること。単にイデーとして抽象的観念としてではなく、現実に歴史的事実として日本国家が古代の血族社会の構成をそのまま保持しているというふうにとかれていること。これがとくに日本のファシズム運動のイデオロギーにおける大きな特質であります。[※8]

日本のファシズムの本質が、丸山の指摘するように、天皇・皇室と国民との血族的関係にあるとすれば、安直すぎる見立てではあるが、敗戦によってもたらされるものは、まさにその「親子」関係の急激にすぎる変質であり、一方的な解消だったとみることもできる。そして、詳細は後の章に記すが、赤坂が『東京プリズン』において試みたのは、天皇と国民を「父―子」ではなく、「母―子」の関係性の中に描きなおすことにほかならなかった。

 

4. 手でつかめる何か

 あの場所にもう一度帰りたかった。もう戻れない家。一九八五年に端を発した円安誘導で、倒産した幾多の中小企業のうちの一経営者だった父が、借金の抵当に入れた家。失った故郷。あの場所のリアルな感触を、もう一度感じたかった。
 [中略]
 もう一度目を閉じ、家の内部空間を思い起こす。頭の中が広くなる感じがやってくる。柱をさわり、壁を伝って私は歩く。手がかり、と言うが、人には本当に手でさわれる道しるべが必要なのかもしれない。私にはもっと端的に、握れるほどに強くさわれる物が必要だった。[中略]
 電話!
 電話は、本当に黒い錨のように風景に鎮座していた。長細い台所、その隅っこに。[※10]

『東京プリズン』において最も印象的なシーンのひとつは、真理が歳を取った母と電話越しに話しながら、終戦直後の町や進駐軍の関連施設の様子を聞き出していくくだりである。かつて、京子が翻訳の仕事の関係で出入りしていたという、米兵が出入りする巣鴨プリズン付近の民家や、「マッジ・ホール」と呼ばれる、米軍のクラブとして接収された旧徳川家の洋館、電話を通してそれらの建物のディティールを頭の中と指先に立ち上げながら、真理は目の前に広がる現在の都心を消し去り、母の記憶の中、戦後の焼野原の東京へと、やすやすと踏み込んでいく。踏み込むだけでなく、母の記憶の中に入り込んでいく過程で、語りの主体であった真里はいつのまにか京子そのものへと変わり、さらにその京子を見つめる祖母になり代わる。文学の特権でもあるこうした手法は、しかし実のところ、記憶というものの本質をどこか捉えているとも言える。近しい者の記憶はしばしば重なりあい、互いに互いを持ち合っている。真里はその重なった部分を媒介に、母の記憶の中、過去へ、さらには自らの過去へと入り込んでいく。

向田邦子(昭和4/1929年生)はかつて、記憶を引き出す鍵は匂いであると言った。たとえば生まれ育った家の茶の間を思い出す時には、まずはその匂いを頭の中に立ち上げる。すると、おのずから周りの家具や小物のディティールが現れてくると言う。赤坂真里にとって、その鍵は手にとって「さわれる物」であると言う。たとえば作中の真里は、入ったことのない千駄ヶ谷のマッジ・ホールに入っていくために、まずはその扉が何でできているかを母に聞く。それが木の扉だとわかると、頭の中でその重い扉を押し開き、絨毯の敷かれた洋館の中へと入っていくことができるのだ。自らの過去の場合は、実家にあった黒電話のように、手触りの記憶の確かさを手がかりに、タンスの引き出しや、戸棚の中を開けてみることすらできる。この場合、黒電話の受話器や引き戸の取っ手は、おぼろげにしか戻れない過去を、記憶に紐づけるための「アンカー・ポイント」なのである。

無論、歴史と記憶とを並べて比べることはできない。しかしそのうえで、もしも「昭和」という時代の記憶に、「黒電話の受話器」や「マッジ・ホールの扉」のごときアンカー・ポイントが存在するとするなら、それはどこにあるだろうかと考える。『東京プリズン』の終盤には「数学の円の中心点」という喩えがある。数学の点は数学世界には存在するが、実在はしない。しかしその実在しない点がなければ円は生じない。

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4. 凍てついた森/「過去に戻って加えた改変は、保存される」

流れ行く時間と、止まった時間がある。
前者の中で私は年老い、後者の中ではいつまでも十五、六歳だ。[※145頁]

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5. 森が破れるとき

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<未完>
本稿はこのあと、三島由紀夫の『憂国』『英霊の聲』の天皇像を参照し、それに対するものとして、天皇を「母」「両性具有」と捉え、歴史を読み替える本作の試みとその終盤での破綻、現在との断絶を検討して終える予定であった。

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※1 赤坂真理『東京プリズン』河出書房新社、9頁。
※2 『文藝』2012年秋号、6頁。
※3 「朝日新聞」書評欄、2012年7月15日 http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012071500011.html
※4  渡部直己『不敬文学論序説』太田出版、1999年、245-246頁。
※5 『東京プリズン』67-68頁。
※6 同書、108-109頁。
※7 斉藤環『母は娘の人生を支配する』NHK出版、2008年、16頁。
※8 丸山真男『現代政治の思想と行動』新装版、1964年、未來社、42頁。
※9 『東京プリズン』91頁。
※10 同書、11−12頁。

文字数:8975

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