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自己肯定の平成

これは昭和の延長線上にはない、というもの。それはきゃりーぱみゅぱみゅ(以下きゃりー)だ。
私が初めて聞いた彼女の歌「つけまつける」の歌詞がこれだ。

―引用開始―
つけま つけま つけまつげ
ぱちぱち つけまつけて
とぅ came up とぅ came up つけまつける
ぱちぱち つけまつけるの

ぱっちりぱっちぱお目々のガール
ぱちぱち つけまつけて
つけま つけま つけまつける
かわいいの つけまつける
―引用終わり―

見事なまでに内容が無い。つけまつげ付けると、かわいい。そりゃそうだ。

こんなに意味性の薄い歌をアイドルが歌い、世界的に流行する。これは、昭和にはあり得なかったことだ。
昭和と平成の違いを説明するにあたりまず、この歌をリリースする6か月前のインタビューで「10年後は何をやっていると思いますか?」と聞かれたきゃりーが語っていることに注目してみたいと思う。
ー引用開始ー

結婚していると思います。26歳で結婚するつもりなので。自分で決めています。今は一生懸命お仕事はしたくって、ちょっと落ち着いた頃には結婚して、28歳ぐらいには子供を産みたいんです。(中略)幸せになりたいんです。今も幸せですけど、家庭が欲しいですね。

ー引用終わりー
この発言の内容は2015年の現在でも一貫している。NHKで放映された別のインタビューでも、「幸せになりたい」「主婦になりたい」など、同様の趣旨のコメントを残している。アイドルという特別な存在であるにも関わらず、普通の20代と同じ将来像を、とても素朴に語っているのである。
これは、昭和のアイドルと比較するととんでもないことである。どのようにとんでもないのか、例を挙げよう。
山口百恵は、三浦友和との婚約を発表した7ヶ月後のコンサートで、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります。」という言葉を残して芸能界を引退した。
それより遡ると、キャンディーズの解散時の有名な台詞「普通の女の子に戻りたい」という発言もある。(ちなみにキャンディーズにはこの台詞の前に、「私たち、皆さんに、謝らなければならないことがあります」という台詞があった。)
これらのことが示しているのは、昭和という時代は、アイドルは、アイドルのまま普通の幸せを手に入れることが許されていなかった時代だった、ということである。
自分の幸せを願うことをファンに対して謝らなければならなかった昭和のアイドル達に対して、平成のアイドルきゃりーは、アイドルのまま普通の幸せ望むということを、とても自然に表現している。
ではなぜ、昭和のアイドル達にはできなかったことが、きゃりーにはこんなにも簡単に出来るのだろうか。
それは、ファンがアイドルに期待するものが変質したからである。
昭和においてアイドルは、個性を持った存在だった。アイドルそれぞれにキャッチコピーが付され、事務所の思惑もありながらそれぞれのキャラクターを作っていた。また、そのキャラクターにあった曲の提供を受けていた。百恵ちゃんっぽい曲や森昌子っぽい曲、というのが表現として成立し、ある程度のイメージが共有されていたのである。
それぞれの個性を持ったアイドルを憧れの対象として受容されていたのが昭和の若者である。
一方、平成のアイドルきゃりーには、歌詞に意味もなければ、語る夢も平凡なものでしかない。では、現代の若者はきゃりーに何を見ているのだろうか?
きゃりーを通して自己肯定をしている、というのが私の思う答えだ。
何にでもなれるからこそ、何者でも無い自分に不満・不安を感じる。インターネットの発達により社会の情報化が急速に進む中で、「自分探し」病という言葉で揶揄された昭和末期から平成初期の若者は、そのように理解されてきた存在である。
しかし、きゃりーを受け入れる現代の若者はきゃりーを見て不安・不満など感じていないように見える。それはなぜか。
ファンにとってのきゃりーは、可能世界における自分なのだ。
内容の無いきゃりーは、あらゆる人が自分を投影出来る空の器のような存在だ。もし、少し違う人生だったら、私もああなっていたかもしれない。しかし、ああなっていたとしても、私が望むものは結婚したい、幸せになりたい、という普通のことなんだ。
そういう回路を通じて、きゃりーを見ながら自分の今の人生を肯定しているのではないだろうか。
情報化が進み、選択肢が増え、多くの人が話題を共有しにくくなった現代において、きゃりーは「中身を持たない」ということによって多くの人の自己投影を引き受け、支持を集めている。

きゃりーの世界的な人気が語られる時、そのファッションの奇抜さや、中田ヤスタカによるメロディなど、その特殊性を中心に語られることが多い。しかし実は、「歌詞の内容の無さ」と「普通の夢を語ること」こそがきゃりーの人気を支えているのである。

私たちはある程度において何にでもなれる。頑張ればアイドルにだってなれる世界に生きている。でも、私が今の自分であることはやめられない。
これはネガティブに捉えることもできる現実だが、普通(結婚)を願う特別な存在(アイドル)であるきゃりーの存在が、この事実をポジティブに捉え直させてくれる。
アイドルにとって平成とは、「中身の無さ」が求められる時代なのだ。

昭和では、アイドルはみんなの物であり、その結婚や引退には多くの人が絶望した。
平成では、アイドルはみんなにとっての「私」であり、その幸せを多くの人が希望する。
中身の無いものを見て、自己肯定をする若者たち。見方によっては絶望にも映るかもしれない世界。でもそこにいるのはそこそこ幸せな私。大きな悩みや不満のない人生。

強い欲望や、それに伴う大きな挫折のない世界。そこから始まる社会にこそ、昭和にはない、新しいかたちの公共が生まれるのだと思う。

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