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私はうまく、しくじれない

インターネット上のSNSで彼女と知り合った。1年ほどはネット上で互いの日記を読む程度の間柄だったのだが、ある日彼女は「今日帰る家がない」と日記で言い出した。私は彼女を泊めることにした。…もちろんこれは音楽の聴き方についての抽象的な文章だ。しかし別に恋愛の話をすることを禁じられているわけではあるまい。…最寄り駅で待ち合わせた初めて会う/見る彼女は、華奢で整った、人形のような顔立ちをしていた。彼女はその後も何度か家に泊まりに来て、私のパソコンを使ってネットで仕事を探し、私の本を読んで、朝になると帰っていった。彼女の事情については書く意味がないし大して尋ねもしなかったけれど、寝床を貸すのと同じくらい恋愛的文脈での好意を持つのは簡単だった。そんな恋愛初期の、何の決断も迫られていない、ただ自分の感情に浸れば十分幸せな、普段通りに仕事をしている最中、断片的な情報たちが重い腰を上げて会合を開いた。何の前触れもなく、会合は結論を一瞬で出してしまった。

 

 

彼女は男だ。

 

 

まさか!しかし本当に男だとしたら?別に深い関係だったわけではないし、むしろほとんど何も知らないのかもしれない。可能性で言ったらありうる、可能性で言えば。でも、そんなことが、今ここで現に起こっていいものだろうか。けれどさまざまな言動を一定の所作で繋ぎ合わせれば、説得的な結論に思えてくる。「合理的で荒唐無稽な」疑念が思い浮かんだら最後、常識的な感覚からの否定と「万が一」の感覚が繰り返される。しかもそういうときの「万が一」は確率的には低いはずのくせに妙なリアリティーーセクシュアルマイノリティが社会の中に遍在しているというその自明性ではなく、「この彼女」がそうであることのリアリティーーを持って、その感覚が妥当で十分根拠があるかのように迫ってくる。

 

私は彼女に何らかの方法で確認する前に、思考実験をしなければならない。彼女の答えが「イエス」だったとき、私はどう振る舞うのだろうか。今ではもう「万が一」ではなく、「半信半疑」だ。私は彼女に関する情報の連関のさせ方をしくじっていたのかもしれない。何が正当なのか。正しく情報を組み直した上で、改めて判断することが「正しい」のか、それともそのような組み直しに影響されないような強度こそが「正しい」のか。 既に恋心は芽生えてしまっている。

 

 

…ここまで何の比喩でもなく恋愛の話だ。経験談だ。しかし、これを象徴的に捉えることもできる。恋愛はかように(ここまででなくとも)誤読だらけで、それこそが恋愛のゲーム的な快楽や欲望の点火をもたらしさえする。対象との向かい合い方において、恋愛との心的状態の相同性が語られることも多い音楽をはじめとする芸術に、同じような事態があってもおかしくはない。ただ、その前に迂回しよう。「誤読」に関する最近の動向についてである。「誤読論」や「失敗学」は今やひとつのサブジャンルを形成していて、概念を整理しておかないとそれこそ「誤読」が起こるからだ。(もちろんそれは「悪い」ことではない??)

 

現代の哲学・思想において中心的なテーマのひとつとなっているのは、特に意図的な誤解や誤読である。それらが認識に与える生産的な側面について、山内志朗は『「誤読」の哲学』(2013)で次のように述べる。

誤解は、正しい理解に覆われてしまうと見えなくなってしまう、初発状態における(in statu nascendi)概念の駆動と跳躍を、開示し露わにするツールとなる(山内志朗『「誤読」の哲学』70頁)

フーコーの読みは間違っていた。間違っていたのだが、間違っていただけではない。正しい読みよりももっと正しかったのだ。(中略)哲学史を斜めから見ることこそ、哲学史を誤読する有力な方法なのだ。哲学史を斜めから見直す事こそ、新しく見直すことなのだ。(同上、79頁)

前者は中世スコラ哲学を読み解くドゥルーズを、後者はルネサンスから古典主義への移行を『ポール・ロワイヤル論理学』に見出すフーコーを評した言葉だ。ここには明確に、誤解・誤読の正の価値が語られている。東浩紀が『一般意思2.0』において、現代のテクノロジーを前提にしてルソーを意図的に拡大解釈し新しい社会像を示そうとしたのもまた、山内が語るやり方とはズレがあるとしてもやはり思想上の生産的な営為のための「あえてする誤読」だろう。

 

しかしこのような「正しい誤読」を今回は退けよう。私が語りたいのは、「正しい理解」の前の初発状態に触れることで新しい概念や認識や視座をもたらすような、意図的な斜めからの誤読ではない。かといって、人間の有限性や認識の非網羅性、システムの瑕疵や原理的な盲点を事後的に暴き、学習と成長の機会としてくれる意図しない失敗でもない。ありえた過去/現在や世界の多層性と曖昧さ、存在の偶有性を感覚させ、他者と未来への想像力(の不可能性まで)を更新する何か/誰かとの行き違いでもない。

 

もっと純粋な、新しい認識にも想像力にも寄与しない、しくじり。その快楽が、快楽のみが語られるべきである。次に繋がらないけれど、刹那的でもないような快楽の存在について。なぜこのようなものを語るのか、寄り道の寄り道をしておこう。私たちはいかなる意見も価値観もネットにおける検索によって同志を見つけることができる。その意味で誤る=しくじることができない。逆に、意見をネットに晒した瞬間に、いかなる意見にもアンチが存在することによって、あまりにも簡単に批判晒されうる。この意味では常に既に、私たちは潜在的に誤る=しくじることしかできない。インターネットはこの両極を同時に感覚させる。認識(と想像力と価値観)を両側から挟むこの「絶対的な多様性」に対して、新しい認識を提出するのではなく、その構造自体を横に置いてしまうような脇道を用意できないだろうか。

 

 

私は(あなたは)、彼女のことが(その音楽が)好きだ。しかしその「好き」の条件を根底を揺るがしてしまうような属性が私の認識の埒外に置かれていたのかもしれない。最初からそうだと知っていれば好きにならなかったような何かを、好きになった後に知ってしまうというしくじり。このしくじりは事後的に挽回可能なのだろうか?挽回?しくじりの感覚は確かにある。しかしそもそも何かに失敗したのだろうか。復帰すべき原点などがあるのだろうか。意図しない誤解や失敗には、(認識可能性は横に置いた上でも)「正答」が存在すると仮想されている。しかし私が今語っているのは、しくじったかどうか自体が不定となる事態だ。しくじることにしくじっている。「正答などない」のではない。この「確かに何かを間違えていた(のかもしれない)」という感覚は、相対主義的な立ち位置すら取らしてくれない。

 

恋愛経験値の上ではしくじりではないが、恋愛の成就可能性という点ではしくじりである、という評価軸の複数化でも処理できない、もっと原理的な、「好き」の処遇問題がある。実存的な、「この気持ち」についてそのような言い方は無効だからだ。不定のまま想像する。相手の生物学的性、性自認、性志向が私の既にある「好き」の感覚に影響を与えるか。今のままでは与えない。深い関係になっていくにつれて起こりうる諸問題が現実的な困難を生んで、関係に挫折するかもしれない。けれど、それこそ予測不可能なことだ。私が彼女を好いた理由は、予測される将来から十分説明可能なものではなく、基本的には今までの蓄積の中にある。私は私が好きな理由を、並べ立てる必要がないと分かりながら並べ立てることができる。「好きでいつづけたい」という隠してもバレバレの感覚は、いくらでも記憶や理由を捏造することができるし、それを信じさせることもできる。

 

…これはオーウェルの『1984』に登場する真理省の役人、その「二重思考」なのかもしれない。プロパガンダに沿って歴史の改竄を続け、改竄を自覚しつつ改竄後の歴史を真実だと信じ込める態度、それは独裁国家の無謬性を再生産し続けるために要求されるが、私はこれを行っているのかもしれない。しかしそもそも、人は日常生活上の認知的不協和を処理するために頻繁にこれと類似の作業を行っており、「程度」が重要である。『1984』との差異があるとすれば、「不定のしくじり」の効用とは、二重思考を「不完全に」、軽やかに、圧倒的にその作為性を自覚させながら行わせることにある。好きである理由=論理は、「好き」という現にある感情の熱量に引きずられ、精度を問わずに多産される。その中には自身ですら驚く(もちろん同時に納得もする)奔放な論理もある。さまざまな捏造の程度と論理の強度の程度があるが、しかし中核にあるのは興味と好意の増殖、何より論理の多産そのものの快楽だ。

 

倒錯がある。「好き」という気持ちに理由は不要だなんて、誰でも分かっている。だからこそ、「不定のしくじり」という事態を前に、好きという気持ちに「理由を付けていい」口実が与えられることが快楽になる。自己の感情の絶対化でも、外部の「正しい」認識でもなく、そのどちらにも行けず、自分で自分の感情に理由を与え続ける滑稽な…しかしそれでも多産の快楽。感情でも、その理由でもなく、理由付けという行為がもたらす、生産的とは到底言えないが、トートロジーとも言い切れないような何かを生み出す、かもしれない、快楽。

 

 

音楽の聴き方には正解も王道も存在する…ような「気がする」し、自分がそれに合っていない…「気がする」ことがある。そんなとき、不正解や邪道の「可能性」を通ることは楽しい。もっと言い訳をさせてほしい。いっそ捏造したロジックで他人が「正解」に至る道筋を邪魔してやるのもいいかもしれない。きっとそれでも、私が転んだようには彼らは転ばない。

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