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双方にとってグロテスクな光景

亡くなったひとのことをあれこれ言うのはモラル的に違和感があるが、最も適切な事例だと判断したので、幼少期の話をさせて欲しい。両親が共働きで、祖父の家に中学に進学するまであずけられていたことから、自動的に父母ではなく祖父母と話すことが多かったのだが、祖母はともかく祖父とはしばしば意見が対立したため、わたしの方が気を遣って、意見を飲み込んでしまうことが遥かに多かった。別にこれといって仲が悪かったわけではない、そもそも祖父は寡黙なひとだったので、話す機会自体が少なかったのだ。ただ口を開いたら開いたで、近代日本思想に多大なる影響を受けたであろう祖父の考え方をうまく受け止めることが出来ず(祖父の書斎に入ればそこに並んでいる読んだことはなくても知ってはいる書名の数々をみて「ああ日本近代思想に耽溺しているのだなあ」と察せられた)、なんだかよくわからないはにかんだ顔をしてしまうのが常だった。いつだったか、祖父は雛祭りのときに、べろん、と家系図を広げてみせた。そしてどの雛がどういう位置付けであるのかという説明と、うちの家系図がどのように続いてきて、自分はどのあたりにいて、誰と遠縁の可能性があるのかということを、喜々として語るのだ。雛祭りはお菓子を遠慮なく食べても文句をいわれないイベントとしてしか当時は捉えていなかったので、幼かったとはいえその祖父の意味のわからない行為は、未だにグロテスクな光景として脳裏に焼き付いている。そういえば本棚の陳列で揉めたこともあった。祖父から借りていた本を元の位置に戻さなかったことについて、途轍もない剣幕で叱られたのだ。せいぜい1234と巻数順に並んでいたものが2341になったぐらいでそんなに怒るか、と生意気盛りだったこともあって訝しんだものだが、あの順番で並んでいること、もっといえば本棚の配列が体系的であることは、祖父にとっての金科玉条、譲れない一線であったのだろう。

 

もっとも、これではまるで祖父が加害者でわたしは被害者であるかのような口ぶりである。無論そうではない。だからといってわたしが加害者で祖父は被害者であるとこれまでの話を乱暴にひっくり返すつもりもない。わたしと祖父は歩み寄れなかった、ただそれだけである。和解するための道しるべとなる共通了解さえ持つことさえままならず、祖父は亡くなってしまったのである(いまわのきわには確か立ち会えなかった、実在しているのではないかと疑ってしまう時がある、祖父と話していた感触だけが残っていて、更新出来ていないのだ)。祖父がいま生きていれば、わたしの行為の幾つかをグロテスクに思うに違いない。思うとすれば何で思うだろうか。例えば「綾門優季」という架空のキャラクターをわたしは高校三年生のときに発明した。その後に膨大な時間をかけて、そのキャラクターのプロフィールを埋めてきた。シルバニアファミリーで遊ぶときの感覚にそれは酷似していた(途中で劇作家という鎧のように重く簡単には脱げない「服」を着せたことで、劇作家のペンネームとして世間では認知されるようになった)。そのことについて、祖父に端的に説明出来るかどうか本当に自信がない。「それはおまえじゃないのか」と○○○○(わたしの本名である)に問いかけるだろうが、頷くことは出来ない。わたしはただ着せ替えがいのある人形をつくりだして遊んでいるだけで、そして今もなお継続してそうなのである。調べてみればわかるが綾門という名字は日本にない、綾門と書いてあやじょうと読ませる沖縄の地名が存在するだけで、しかもその事実はGoogleで検索してみて後から気がついたのだ。字面と語感が気に入っただけで、綾門に意味はまったくない。由来もない。それはゲームのキャラクターに名前をつけることが可能な場合、誰ともかぶらないであろう、意味不明だがキャッチーで印象に残る名前を適当につけがちなわたしがいかにもやりそうなことである。作家名とゲームのキャラクターは違う、作家名は一生名乗らなければならないのに馬鹿じゃないのか、といわれたとしても、いいや同じだ、キャラクターにとって時間という概念はあまり関係がない、世界はゲームで作家はそこで消費されるキャラクターのバリエーションのひとつなのだから、世界が最も複雑なルールのゲームであるというだけで何も変わらないのだ、と力説したとしても、恐らく祖父は納得しないに違いない。そもそも綾門と名乗っているつもりもない、概念としての着せ替え人形として捉えてほしいのだとお願いしても、それは体系からの逃避だと罵られるかもしれない。しかし別に逃避しているわけではなくて…ここから先は水掛け論になるだろう。だから祖父の前でこのような話は避けていたのだ。その人とその思想を紐付けて考えなければならないことに、時々耐えられなくなるということを、黙して語らなかったのだ。

文字数:1999

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