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好きって最高だよね

愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。僕は世界中の全ての人たちが好きだ。
舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』

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「おもしろき こともなき世を おもしろく」するためには、どうしたらいいでしょうか。現代日本の状況確認から始めます。

 

 

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村田沙耶香『消滅世界』(2015年/昭和90年)の単行本帯には「日本の未来を予言する圧倒的衝撃作」とあり、批評家・佐々木敦は文芸時評で本書の世界を「近未来の日本」と記しました【*1-1】。しかし実際には未来ではなく、現代/昭和90年代を描いているといえます。

『消滅世界』の舞台は人工授精の研究が進み、ほぼ全ての妊娠が人工授精で行われるようになった日本。「繁殖に交尾は全く必要なくなった」が「昔の交尾の名残で恋愛状態になる場合もある」。「キャラクターに対して恋愛状態になる場合もあれば、ヒトに対して恋愛状態になる場合もあるが、根本的には同じ」とされ、家族を形成するための結婚制度は残っているものの、夫婦間の交尾は近親相姦と称され禁忌となり、各自が別々にキャラクターだったりヒトだったりに恋愛しています。夫婦が現代社会の一般的な兄弟姉妹に近い関係性となっており、そのことは作中でも主人公が「夫は、放っておけない妹だ。」などと考えている場面などから示唆されます。

この作品がどうして現代/昭和90年代を描いていると言えるのでしょうか。

*1-1:http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/bunngeijihyou/2-0028026.html

 

 

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You、髪切っちゃいなよ。的な啓示でもあったん? て気軽には聞けんな~っちゅう目算4~5年分の長さを、職場で隣席の二見さんがバッサリいってもうたんは2016年1月19日夜のことらしく、翌20日おそるおそる様子見の周囲に対し「わたしは何があろうと応援していこうって決めてん。そしたら『よし、切るか!』ってなって」と言い放ち、晴れやかな顔で仕事に取り組む姿にわたくしは一抹の不安を覚えまして。SMAP解散するん? しないん? ちゅう報道が出まわった初日[*2-1]なんぞは、ゆらゆらした仕事ぶりで帰り際「今夜、決定的な公式情報出たら明日どうなるか分かれへん。そしたらすまん。先に謝っとくわ」て言い残して退社してらしたんで、その頃に比べれば安定感あるけど信仰段階が進行しとる気配もあり、気にせずにはおれんやないですか同僚として。やからわたくしの方から「実際、最近どうなん?」と口火を切ったところ「ホント5人ともかわいそうで。メンバーは誰も悪うないんよ。もうね、9割9分ウソやからスポーツ新聞は。日本揺るがす案件やし1週間以上連続で1面[*2-2]とか世間的にしゃあないとはいえ、情報不確か状態やのに断定口調でウソ書いて不安煽るん最低やからさ、ウソ情報にお金払うてもうたんホンマ悔しいわ。でも今回の件でファンの交流更に深まってん。木村君裏切りとかゆう記事はまあウソやからさ、トレンド入っとったしみんな見とるやろけど『#私の知ってるsmapの4対1』ちゅうてメンバーのうち1人だけダンスの振り間違えたり衣装違ったりのキャプチャ貼ったり、『#2topが不仲らしい』て木村君と中居君の二人がいちゃいちゃしてる画像を流したりしてね、不仲でこれなら仲がいいって何なん? そんなん目にしたら卒倒してまうわ~てな。ははは。そんでそれらのリツイートを何千、何万回してTL埋め尽くして、かわいい画像目にする機会増えてみんなほっこりやんね、毎日『こんなん持ってたか~』、『これあったわ~』てなるしで笑顔笑顔。それと出演番組やCMの継続お願いメールは毎日しとって、継続決定したら感謝メール、幸いまだ何も打ち切りになっとらんけど油断は禁物やから今日も送るわ。親切な企業担当者はお礼メール返送してきたりしてこちらの好感度上がるしでよかったやんね。まあ結果的にね、割く時間は増えて今は充実しとるっちゅうか。あとはお金ある人は日本コロムビアの株買うて、そこまでお金ない人は『世界に一つだけの花』のCD買えるだけ買うことになっててんな。オリコンのデイリーも3位[*2-3]まで来とったし、22日にはCD増産分が店頭に並び始めるから、また行って買わな。や、客観的にみて良い曲なん間違いないし、みんなも1枚ずつ買うてくれたら嬉しいけど……」と怒涛の言説でして、わたくしも「そうなんや~」ちゅうてTwitterでハッシュタグ検索してみたり、CD1枚買うてしもたりもして、呑気に応対しとったら翌々日あたりに追い打ちでリスト渡されてそこには「コカ・コーラ ゼロ」、「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」、「昆布ポン酢」、「1本満足バー」、「北海道十勝スマートチーズ」……とSMAPのメンバーがCM出演している商品一覧があり「特に買いやすいやつマーカーしといたから。まあ無理に買ってとは言わんけど、似た系統の商品買うかもっちゅうとき思い出してもろて、応援する意味でね、このリストの方を選んでくれたらさ」ちゅうて、その愛に圧倒されますよね。

昭和91年1月28日

*2-1:2016年1月13日。
*2-2:最長12日に及んだ。
*2-3:オリコンが発表するデイリー CDシングルランキング。SMAP『世界に一つだけの花』のリリースは2002年だが、SMAPの解散危機報道の後から売り上げが伸び始め、2016年1月22日・24日には1位になった。

 

 

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二見さんは既婚で、その夫はいわゆるジャニーズ系では全くありません。彼女自身、独身時代から職場の飲み会などで結婚の話題になると「結婚相手には(ジャニーズ的な要素を)全く求めていない」と主張していました。ライター・北条かやは、28~34歳までの独身女性たちのインタビューと各種統計資料から現代の女性の「結婚」についてまとめた著書【*3-1】の中で、「実際にジャニーズが好きなアラサー独身女性たちからは、『ジャニーズと現実の男性は全く別』との答えが返ってきた。」、「(ジャニーズが好きだと言うと、ジャニーズ系の人と結婚したいと思っていると)よく誤解される」と書いています。

同様の主張を、私たちは別の場所でも目にし、耳にしたことがあるはずです。アイドル好きや、宝塚好きの人たちが、あなたの周りにもいませんか。または、あなた自身がそうでしょうか。

そもそも「恋愛(=Love)」という概念が日本で生まれたのは明治時代からです。その言葉が「結婚」と等号で結ばれるイメージの発生は更にその先。昭和初期の「産めよ殖やせよ」の国策と無関係ではないでしょう。「恋愛=結婚=幸せ」は、古代から連綿と続く絶対的な価値観ではないのです。「恋愛」と「結婚」が別だという考え方は、現代日本で特別なことではありません。オウチーノ総研が2015年に既婚男女863名を対象に行った「『恋愛と結婚』に関する実態調査」【*3-2】では72.7%が「恋愛と結婚は別」と回答しています。

「恋愛」と「結婚」を切り離した世界は、「未来」ではなく「現代」の一側面です。

また、『消滅世界』は後半、実験都市・千葉に舞台が移ります。千葉では『楽園(エデン)システム』として「コンピューターによって選ばれた住民が一斉に人工授精を受け」「出産された子供は、そのままセンターに預けられます」。全ての子供が「子供ちゃん」と呼ばれ、全ての大人が全ての子供の「おかあさん」となっています。

高田かや『カルト村で生まれました。』【*3-3】は、19歳になるまでカルト村【*3-4】で過ごした著者が「子供と親が離れて、子供たちは一か所に集めて生活する」小学生時代の様子を、淡々と回顧する内容です。Twitterや読書メーターで目にする感想として「現代の話と思えない」というものがありますが、現代の話です。「消滅世界」の実験都市(のような世界)は現代日本に存在しています。

『消滅世界』の作中で人工授精の研究が進んだきっかけは「第二次世界大戦」によるもので、「もし、人工授精の技術がここまで発達しなかったら、人類は今でもセックスをして妊娠していたと思いますか?」という問いかけに「まあ、そうでしょうね。」と応える医師も登場するし、「掃除はルンバだけでOK」といった描写もあることから、著者も未来というより「現代」日本(のパラレルワールド)を描く意図があったのではないでしょうか。

昭和は64年で終わったため、「昭和90年代」という時代は現実には存在しません。「昭和90年代」という言葉にはパラレルワールドのイメージがつきまといます。このことからも『消滅世界』は現代/昭和90年代を描いていると言えます。

そして、「好き」の多様性を描いた物語とも言えると思うのです。

*3-1:北条かや『本当は結婚したくないのだ症候群』青春出版社、2016年。
*3-2:http://corporate.o-uccino.jp/research-o/20150527-2.html
*3-3:高田かや『カルト村で生まれました。』文藝春秋、2016年。
*3-4:作中で明言されないが、おそらくヤマギシ会。

 

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岡田は後輩やけど院卒やから同い年やし、野球・競馬・ゲームと話題も合うし、「俺は升本さんしか(職場で仲良い人)いないからなあ」なんて人によっては告白と捉えますよ的な台詞を平気で口にしてくるしで、言うたら幼馴染ポジションというか攻略難易度は相当低いんじゃなかろうか。昼飯食ったりキャッチボールしたりと接触回数も多いので順当にいけばこのルートに進むんやろうとほくそ笑んだのは半年ほど前のわたくし。きっかけは「カソウスキの行方」【*4-1】の再読やったんですけど、カソウスキは仮想好きで、同僚を好きになったと仮定して日々を過ごすことで人生に彩りが加われば、みたいな話で、これを自分もやったろと思うて、それには同僚から相手を探すことになるんやけど、普通に行うと不倫の二文字がちらつくんで相手を同性(男)とした訳です。

前述の岡田は既婚でして、わたくしも既婚なんで、まあ仲良くすることにリスクがないちゅうか、こないだも二人ランチ中に岡田が何たら言うアニメのヒロインが何故好きかという話をしていて、それが先日の研修で私が受けた他己評価と合致している部分がありまして、こいつまた遠回しな好きアピール始めよったわなんて、心中にたにたしていた次第で。

恋愛って楽しいし幸福感半端ないですから恋愛してるときの気分を味わいたいと思うんは快楽を得たいちゅう人として自然な欲求なんすよ。みんな恋愛したらいい。愛は地球を救う。うるせーばーか、てめえは妻と恋愛しとけって話ですけど「恋ははじまるまでがいちばんいい」【*4-2】という言葉もあります通り、恋愛って成就するまでが最高にハッピーやからあのときの思いをもう一度! と思うと新規の機会を探してしまう訳ですよ。

私は入社以来、新入社員補正があった序盤以外は、職場の女性社員と仕事のこと以外を話す機会が少なく、そして今の職場は女性社員の方が多いんやけど、打ち合わせのない日なんか「おはようございます」、「お疲れ様です」、「お先に失礼します」以外口にしない日もあるなどして、ややもするとわたくしは職場では無口やと思われていたかもしれんです。そんな状況で仮に女性社員のどなたかにちらとでも気があるととられかねん素振りを見せようものなら裏で何言われるかわからんですし、そもそも不倫ってあかんことやないですか。なんで男性で脳内恋愛の相手を探すんは自然なことと言えます。そいで年齢がある程度近くて接する時間の長い男性社員ってわたくしの勤務先には3人しかおらんくて、年上、同い年、年下で一人ずつ。幸いにも3人とも私好みの高身長かつ細身の黒髪メガネ男子という外見で、これに気付いた時は私のためにお膳が立てられていたかのように感じましたね実際。以来、この3人のうち、わたくしが誰を選ぶのかというのを神の視点で眺めながら日常を過ごしてみるとこれが大層愉快である、と。

3歳下の北江(東大卒・帰国子女)は、接する機会は3人の中でいちばん少ないんやけど急接近イベントが多くてですね、二人で出張に行った先で、深夜に私の部屋から中々帰ろうとせんかったり、打ち上げで北江が泥酔して家の近い私が彼の自宅までタクシーで同乗することになり、カギを開けてあげた私を巻き込んで玄関で倒れこんだり等、私と一線越えたいと思とるんやろかと疑いたくなる事象がちらほらあるんすわ。玄関倒れこみのときは、その姿を北江の彼女っぽい人物に室内から見られ、「酔って一人で帰れなくなっていたので、ここまで送ってきて……」などと言い訳しながら慌てて帰るというどきどきもありましてね。

3人目の赤松先輩(理系・院卒)は、姉がモデルをやっていて本人もグッドルッキングガイな青春時代のわたくしにとっては仮想敵やったような部類の人種なんですけど、まあとにかくパーソナルスペースが近い近い。私に仕事を教える際など、よくPCの画面前にぐいと身を乗り出してくる(「パソぐい」と呼んでいる)んすわ。資料を渡してくるときに手が触れることも多いし、こないだなんぞトイレの鏡の前で何度もネクタイを結びなおしていたので、何の気なしに「ネクタイ結ぶの苦手なんですね」と声をかけたら、無表情で「升本やってくれよ」と首を近づけてきよってね、プロポーズでしょうかね。

こうなってくると何かもう3人とも俺のことを好きなんはいよいよ間違いなく、そろそろ誰かを選ばなきゃな、でもしばらくはハーレム状態でいたいんや等の葛藤に苛まれていたある日、いつものように意識を中空に飛ばして現状を見下ろした場合、わたくしの見た目だけが麗しくないことに気付いたんすわ、一人だけ太りすぎておりまして。そんでまあ、何ちゅうか絵面をよくしたいと思いまして、とりあえず4か月で16~17kgほど痩せました。これで少しはマシになりましたかね。

といった顛末でわたくしは短期間でデブからある程度一般的な体型に至った訳なんですけれど前述の話は全て私の脳内でのみ展開されており、特に言葉で表明しておりませんでしたので、他の人からすると「ちょっと見ん間に升本えらい痩せおったぞ何でじゃ」という感じらしくて、職場の多数の方に病気じゃないかと心配されまして。いちいち説明もできひんかったんで「太り過ぎてたんで痩せようと思いまして」、「健康診断の結果はよくなりまして」、「いえ、ライザップとコミットはしておりません」といった回答をするんやけど、その後も多少は雑談が続くじゃないですか。このコミュニケーション量の増大を私はダイエット成功バブルと名付けたんですけど、職場の方々との会話量は確実に増えまして、それが仕事を進めるうえでプラスに働くこともあり、減量して体力の消費が減ったのか疲れにくくもなって当初の目的とは関係ないんやけどよかったことが色々発生いたしました。

という話を最近転職していった北江に会った際にしたところ、その後、北江から「彼女が升本さんの話に興味持ってる」とか連絡がきて北江の彼女さんと会うことになってBLに理解がある人と認識されたんか本の貸し借りとか始まってしまったんやけれど、これって大学時代の恋愛の始まりのときの感じに近いかもしれんとか思て、恋愛の気分を味わいたい→脳内で同性を相手に仮想恋愛する、というアプローチは最近進展もなく、失敗というか間違っていたのかもしれんのですけど、何故か味わいたかった感覚は味わえている気いします現在。不倫はしませんけど。

こないだ岡田とフェスに行きまして、「フェスにて演奏会場や時間帯を間違えて偶然聞いたバンドを、元々好きだったバンドより好きになってまう」ちゅう話を書こうと思うて岡田の話を書き始めたんやけれど書き出しの部分を膨らませていたら全く違う内容になってしまいました。結果的に元々書こうと思っていた文章より、耳目をひくかもしれん内容になったと思うので、これはしくじりの効用ですかね。

昭和90年8月6日

 *4-1:短編・中編小説が3編収録されている津村記久子『カソウスキの行方』(講談社、2008年)の表題作。初出は『群像』2007年9月号。第138回芥川賞候補作。
*4-2:北上次郎「恋は始まるまでがいちばんいい~有川浩論~」(『野性時代』Vol.38、2006年)より。有川浩『クジラの彼』(角川書店、2007年)のハードカバー版の帯にも使用されたコピー。

 

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続けてもう一つ。「好き」にまつわる話です。

 

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ここで一つとっておきのウンチクを紹介しますと、マッコウクジラっちゅう歯がある動物では最も大きい生物がおるんやけど、そいつがダイオウイカを食べた後にするウンコは得も言われぬ豊かな芳匂がするんやって。などとTwitterにてtweetしたら何の因果かRT祭りになり「排泄物自体がいい匂いな訳ではなく、その中に含まれる胆石的なものが云々」といった教えてあげますよリプライが次々に来て、途中から雲行きが怪しくなりデマを広める人物ちゅう認定を受け個人情報が晒され、言うたら正義感による小悪党懲らしめといいますか、私刑的な状況に陥って、推移を観察していた人物にまとめを作られて、そのまとめを読んだ人らに冷笑tweetされるみたいなことあるやないですか。また、ガタガタと政治的な激動が続く昨今、様々な政治的見解の方から過激な発言が続々表出するんやけれども、どの陣営もツッコミどころのある科白を仰る方がどうしてもまじってしまいますんで、何だかんだ多いんは様子見層といいますか茶々を入れる立ち位置の方たちなんかな、そんな冷笑茶々組を目にする機会が増えてきたんやけれども、そんな方たちに他人に水を差すより肉を食べてみるんはどうかと本稿では提案いたします。

肉の話をするのに冒頭のツカミはどうなんか、ちゅう話ですが、アニメ版『ぼのぼの』ではクズリくんが道端で垂れる際に「にくにくにくにく」言うていて……いや、いま入ってきた情報によりますと「にこにこにこにこ」やったようです。マジか! すいません。いやまあ肉を食べているとわたくしなどはそれだけでにこにこ笑顔になるんやけれど、その感じを伝えるためにも、最近都内でぶいぶい言わせとる「いきなりステーキ」さん行ったときのことを実況してみんとします。まず、どの店舗でも日によって働く人員が違いますんで、外から眺めまして客捌きを確認、くるくると回転していたら入店、何かイラついてそうな客が多かったら諦めましょ。昼やったらワイルドステーキ300g 1択(量り売りは夜にした方がええです)で、米の量はお好みですがわたくしは食しませぬ。程なく肉が届きますがここでわーとか歓声あげながら写真撮影するんは愚の骨頂らしいですよ「肉は熱いうちが勝負だ」【*6-1】いう人もおりますし。写真撮影していると最も美味い時間帯を逃しますよ勿体ない! ま、わたくしは後で写真眺めて悦に入りたいんで毎回撮りますけれども。そんでステーキソースですがこれをだぼだぼかけると熱い鉄板が冷めますんで注意っちゅう店員の忠告を無視してですね、わたくしはレアーでいただきたいんで鉄板を少し冷まします。前半ソースのみ、中盤は+塩胡椒、後半+ワサビで味変しながらむぐむぐと顎に負荷をかけて食すと幸せ元気で午後もがんばろういう心持ちになります。店舗にもよりますが入店から退店まで15分ほどで済むこともあり時間のない現代人におすすめですよね。

そうそう、肉ばかり食べていると驚くことに、副次的に痩せてまうんすよ。肉には糖質がほとんど含まれとらんので、自然に糖質制限になるんすわ。糖質制限については、わたくしとても感慨を受けた本がありますんで、ちょっとテレビショッピング風に紹介してみますね。

升本:今回ご紹介するんはこちら『マンガで分かる肉体改造 糖質制限編』【*6-2】ということなんやけれども、どういったご内容で?

升本:はい、こちら、ダイエットの手法の一つ「糖質制限」について語られた書籍ですわ~。

升本:糖質制限? 最近よく聞きますね。本もたくさん出ているんやないですか?

升本:ふふふ。数多あるんすけど、こいつはまさに決・定・版というべき1冊なんすわ~。なんと、これ1冊で全員痩せます!

升本:全員!? すごい! と、わざとらしく驚きましたが、実はですね、わたくしもこれで、ものすっごい痩せたんすよね~。

升本:どれくらい痩せたんです?

升本:4か月で約20kg減ですわ。その後2か月くらいキープできてるんすよ~。

升本:仰天! 効果絶大ですね。でもー、その本、お高いんでしょう?

升本:そ・れ・が野口英世【*6-3】1人分でおつりが出ちゃうんです。

升本:ええー! そりゃお得ですわ~。

や、この手法は文字数食いますね。やめます。まあダイエット本なんて星の数ほどあるんやけれども、どうしてこの作品かといいますと、まず活字ではなくマンガなんで読みやすいちゅうのはありますわな。で、次が大事なんやけれども、ちゃんとマンガとして面白いんすよ、この作品。どうもね~、「マンガで分かる」系の書籍は乱発されとって駄本率が高いんすよね。マンガパートより活字パートの方が多くて本によっては台詞付きの一枚絵があるだけとかこんなん「マンガで分かる」は嘘ですやん系から、まあマンガで構成されとりますけど絵や筋運びの質が著しく低くて読むに堪えまへん系とか、「マンガで分かる」ちゅう文言が一種の地雷と化している向きはありますわな。でも『マンガで分かる肉体改造 糖質制限編』に関しては、青年誌で連載していた作品なもんで一定の質は担保されているといいますか、マンガが面白く、かつ痩せられます。いや、痩せられました。痩せたんすよ。【*6-4】

痩せて何がいいって自己肯定感は高まりますよね間違いなく。あとは見た目が変わるんで元からの知り合いには注目されること請け合いで承認欲求満たされます。痩せる情報を知りたい人はごまんといらっしゃいますんで、体験を文にしてみるんもいいやも。ダイエットは出版業界で恒久的に売れる分野として名を馳せているんで、うまくいけば本も出せちゃうやもしれんですよ。

まあ何だ。マッコウクジラがダイオウイカを食すことでええ匂いの石ができるように、何を食べるかによって変化が起こるとゆう訳です。みんなが肉食べていったら変わっていくんやないですかね色々。

最後に、わたくし一人の力では、みなさまに肉の魅力が伝えきれんかったかもしれんので、プロの文筆業の方の肉の魅力を語る文を29(にく)×5字ほど引用して終えますね。

ビフテキの左端一センチぐらいの幅にズブリとナイフを入れた。その感触はもうほとんどそのまま味覚で、私は体がのけぞりそうになった。その切り取ったビフテキ部分を実際に口に含んだ後の口中粘膜の状態については、もはや各自想像するほかないだろう。

赤瀬川原平「ビフテキ委員会」『ごちそう探検隊』ちくま文庫

昭和90年10月1日

*6-1:西尾維新『花物語』p109、講談社、2011年
*6-2:原作・ゆうきゆう、作画・ソウ、少年画報社、2015年
*6-3:千円札に描かれた人。あまり関係ないがWikipedia「野口英世」の項にも掲載されている野口英世記念館所蔵の野口英世が母シカと共に映る写真はトリミングされており、元の写真では4人の人物が映っている。その写真の左端の女性・宮原八重子(結婚後は升本八重子)は筆者の曾祖母にあたり、一時期野口英世と懇意にしていたらしい。
*6-4:痩せた経緯については<4>参照。

 

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何かを「面白い」と感じているときは、素直に世の中の全ての人の幸福を願えるかもしれません。そのためには、メタ目線でツッコミをするのではなく主体的に参加してボケにまわるとよいと考えます。

何かに熱中している人は「面白がり」の達人と言えます。20年以上前に出版されたルポ、ナンシー関『信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク』(1994年)で描かれる人々――ウィーン少年合唱団の追っかけや、福袋のために正月三が日をフルに費やす人――は本気で熱中しています。隙だらけです。ネット上ではこの本について「わたしは違う」という冷めたメタ目線のレビューが多いのですが、そこに嫉妬や羨望は微塵も生じていないと言えるでしょうか。清野とおる『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』(2015年~)はもっと自覚的で、熱中人口の少ない事象――内ポケット、ベランダ、帰り道、喫茶店のアイスミルク等――に夢中になり、幸せそうにしている「おこだわり人」に対し筆者自身がやり方を問い真似したいと叫びます。こちらのレビューは「真似してみました」報告が多数派で、「おこだわり」にも肯定的です。

そう、当事者になるのがいいですね。確かに見方によっては滑稽かもしれません。でもわたしたちのうち多くが世の中の事象に事細かにツッコミを入れるのをやめて、「ツッコまれしろ」のあるボケにまわったとき、きっと世界は色鮮やかになります。

そのために、私はくりかえし「好きって最高だよね」という「物語」を綴ります。

「人生を棒に振る」という言葉にのせて 未完

2012年12月に中村勘三郎が亡くなった。突然の訃報だった。盟友の野田秀樹はその死を災害であると称した。死を悼む以上に今後の演劇はどうなってしまうのだろうという空気に覆われたのだ。彼は古典的な歌舞伎だけでなく、藤山直美との喜劇や串田和美とのコクーン歌舞伎でも活躍し、彼なくしては成り立たない程の存在感を放っていた。そして歌舞伎を色んな人に観てもらおうと、ニューヨークなどに劇場ごと持っていった平成中村座。勘三郎は何とも型破りなことをしていたのだ。そんな彼は生前この様なことを言っている。型がある人間が型を超えようとすることが型破りで、型がない人間が型を破ろうとすれば形なしだと。型を作ることがどれだけ重要なのかを説いていたのだ。それは大きく跳び上がるための土台と足腰の強さの大切さと言って良いだろう。勘九郎、七之助が評判を上げているのは、勘三郎のこの考えによって教え込まれた結果と言えるかもしれない。
2015年5月に扇田昭彦が亡くなった。突然の訃報だった。多くの劇評家はその死を災害と受け取った。死を悼む以上に今後の演劇はどうなってしまうのだろうという空気に覆われたのだ。彼は劇評を書くだけでなく、テレビで対談番組、演劇プロデュース、そして劇評講座の講師などを行っていた。
東京芸術劇場で行われた扇田昭彦を送る会には演出家、役者、劇評家、演劇愛好家など多くの人々が駆けつけた。麿赤兒、嵐山光三郎、四谷シモンが並んで状況劇場の頃、密着取材をしていた扇田のことを懐かしそうに語っていた。平田オリザ、三谷幸喜、ケラリーノ・サンドロビッチ、野田秀樹が扇田との思い出を楽しそうに語っていた。そのなかで、このような発言があったように思う。
「誰にどう思われても構わないが、扇田さんにはつまらないと思われたくなかった」
これは送る会に集まった演出家、役者の共通の想いだろう。彼らは扇田を通して観客を設定していたと言えるのだ。そして彼の書いたものが我々と繋がる。つまり扇田昭彦というハブによって演劇人と我々は繋がっていたのだ。そのことは彼が演劇を体現していたと言えるのではないだろうか。彼がやってきたことを知れば、演劇という大きな枠組を理解できるのではないだろうか。そして扇田が体現していた演劇を、演劇を愛する我々で継いでいく必要があるのではないだろうか。そのような想いに囚われている。だからこそ彼の書いた『日本の現代演劇』と『舞台は語るー現代演劇とミュージカルの見方』を手掛かりに「演劇」を、そして「扇田昭彦」を理解していこうと思う。
1995年に出版された『日本の現代演劇』は1960年代、1970年代、1980年代、1990年代と章立てて書かれているが、1960年代の章が大部分を占めている。そこには唐十郎をはじめ佐藤信、鈴木忠志、蜷川幸雄といった面々の若かりし頃の行動と時代そのものが描かれている。
1960年6月、東京大学文学部に在籍していた扇田昭彦は安保闘争のデモの中にいた。国会議事堂への突入の瞬間も現場にいたらしい。しかし、その行動は特別な思想を持っていてではない。周囲の熱に突き動かされたものであったようだ。ワンダーランドで行われた、マームとジプシーの『COCOON』を用いての劇評講座で扇田は戦争を知らない世代が戦争を語ることを、戦争を知る世代がどのように思っているのかを語っていた。それは調べたことから生まれた作品と体験したことから生まれた作品の違いに対する違和感を語っていた。その時に空襲によって何もなくなった東京の姿を未だに鮮明に覚えていると語っていたのが印象的だった。戦争に対する体験があったからこそ、安保闘争の熱に感化されたのだろう。扇田は東京大学卒業後、朝日新聞に就職して学芸部の記者となった。そして出会ったのが状況劇場の唐十郎である。彼らは演劇を通して世の中を変えようという熱を発していた。扇田はその熱に再び感化されたのだろうか、状況劇場の南下興行についていくのである。その時の状況は扇田の処女作『開かれた劇場』や唐十郎についてまとめられた『唐十郎の劇世界』に掲載されている『状況劇場南下す』に詳しく書かれている。それは状況劇場の役者たちとの刺激的な旅を紹介することで彼らへの誤解を解くというものを目指していたようだ。その後も扇田は多くの演劇人と交流する。そしてそれらの人々との記憶を記載している。個々に行っていたことや事件を扇田昭彦という身体を通って現されている。そこには取材対象に対する扇田の愛に溢れている。扇田は彼らに共感し、彼らを紹介することを買って出たのだ。
東京芸術劇場で扇田昭彦が関わっていたRooTSという企画があった。この企画は過去の名作と言われている戯曲を現代の若手演出家に演出させると言うもの。その第2弾として上演されたのは、清水邦夫の戯曲『狂人なおもて往生をとぐ 〜昔、僕達は愛した〜』を熊林弘高が演出したものである。この作品は安保闘争に参加していて警官に殴られたことで狂人となってしまった兄とその家族の物語である。兄は自分たちの家を娼館だと勘違いしてそれを告発している。家族は兄の妄想に乗っかって家族ゲームをすることで兄に自分たちは家族であることを思い出させようというものであった。第1幕は1人の狂人によって崩壊した家族の悲劇なのだが、第2幕は弟の婚約者が加わることで家族ゲームの配役が変わる。すると狂人が言っていることの方が正しく、実は家族の方が狂っているのじゃないかと思わされてくるのである。いや、実際狂っているのだ。むき出しになった家族の本性はまさに家族ゲームであり娼館だったのだ。そのサスペンスフルな展開に私は何が正常で何が異常なのかが分からなくなった。正常とは権威の押し付けでしか与えられないと言うように。私はそのように思ってワンダーランドの劇評セミナーに劇評を書いて提出している。しかし、1960年代に上演された扇田はこのようなことを言っていた。
「時代にとても密接な戯曲だったんだと改めて分かった」
1960年代から1970年代の安保闘争は当たり前に存在するものだった。それに賛成、反対の態度をとらないノンポリの人々にとっても。当時の世の中がどのような空気だったのかはまさに時代として平等にのしかかっている。だからこそ、この芝居を観た人にはこの作品の裏にある日本政府、アメリカというものを容易に想像することができるのだ。だがそれは私の生まれる前の話。どのような状態だったのかは当時のニュース映像などでしか知りようがない。知識としてはあったとしても、体験として蓄積したものがないのだ。それはこの作品だけの風潮なのか。そうではない。清水邦夫の『鴉よ、俺たちは弾丸を込める』も同様な主張がある。1971年に蜷川幸雄によって演出されたこの作品は、フェスティバル/トーキョー2014の主催公演として同じ蜷川幸雄の演出でさいたまゴールド・シアターの役者によって上演された。物語は爆弾魔の青年2人が裁かれている法廷に、彼らの祖母たちが武装して乱入する所から始まる。祖母たちは裁判官や検察、弁護士を人質に法廷を占拠してしまう。そして裁判官、検察、弁護士はお互いグルでただ裁判ゲームを楽しんでいるだけだと皆殺しにし、己の甘さで爆弾を爆発させなかったと青年たちを告発して殺してしまう。祖母たちは突入してきたものたちの放つ銃弾に倒れていき、そこには若々しい魂を持つ死体が折り重なっているところで終わる。さいたまゴールド・シアターは設立当初から55歳以上の人々で構成されていて、今では平均年齢は70歳を越えている。当時の戯曲を、当時と同じ演出家が、当時を生きていた人々と作り上げた公演は、なるほど、とても力強い。だがこの作品も時代というものを大きく背負っていて、当時を知らない私にとっては地続きなものと感じることができないのである。これは清水邦夫だけではない。RooTSの第3弾としてマームとジプシーの藤田貴大が演出した寺山修司の『書を捨てよ、町に出よ』も同様であった。藤田は現代の視点と劇中の視点を交差させて現代との接続を試みていたのだが、家族を捨てての平等を標榜するシェアハウス的な共同生活は何なのかさっぱり分からなかった。舞台上の彼ら彼女らは過去の亡霊に見えてしまったのである。1960年代の演劇はこのように時代ととても密接な関係を持っていた。演劇単体では成り立たないものだったのである。それを表現するためには、時代を、そして扇田自身も描く必要があったのだ。
それ以降は1970年代をつかこうへいなどを例に挙げて等身大の時代、1980年代を野田秀樹などを例に挙げて自分探しの時代、1990年代以降を平田オリザなどを例に挙げて静かな演劇の時代とあっさりまとめている。1960年代は時代が要請した演劇だとすると、1970年代以降はより個人的な葛藤が要請した演劇だと言えるだろう。年代を主軸とした『日本の現代演劇』は年代で語る本ことが難しくなった1970年代以降を詳しく書くことができない。このような人々がいて、このような傾向があったとしかまとめていないのだ。だがこのまとめ方こそが年代そのものを表現していると言えるのである。
年代で語ることのできなくなった演劇を語るため、扇田は彼らが何を行っているのかをテーマと言う軸で探り出す。同志の立場から理解者への立場にスイッチするのである。
そんななか、このような1冊の本がある。『高校生のための実践演劇講座 第1巻 ストレッチ・発声篇』。この本にはつかこうへいの『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』を観た一般の人々が劇評を書き、扇田と雑誌「新劇」の編集長だった岡野宏文にその講評を聞く劇評講座の模様が記録されている。1997年に出版された本だ。公演は1993年に行われたらしい。まだインターネットは一部の人が使っている時代である。インターネットが普及した今だって、劇評を書こうという人は少ないのだから、当時、劇評を書こうという人物はさらに少数派であったであろう。そこに提出された劇評は、作品を語ったもの、役者の演技を語ったもの、演出家を語ったものなど色々だ。扇田と岡野はそれらに対し、どのように読み取ったのかを答え、さらにどのようなものを読み取りたかったのかを伝えるという方法をとっていた。
「百人の観客が居れば百人の劇評があるんだと私は思っている」
冒頭で扇田昭彦はこの様に言う。同じ人間なんて1人もいない。だからこそ同じ劇評なんて存在しない。なので正解なんて存在しない。劇評家として大きな功績を残している扇田は自分の書き方を正解だとは言わないのである。演劇の前では彼もその他の観客も同列なのだ。彼の演劇に対する愛情は観客にまで拡大したのである。
未完
書き上げることができませんでした。扇田さんの本を出版順に紹介して自分の中に型を作り上げる。そして扇田さんのイズムとは何かを継承する。それは演劇に関わるひと全員に言えることみたいな感じでまとめる予定でしたが、著書を全部読まないとダメでした。今年一年に渡ってまとめてどこかに発表する予定です。

浦沢直樹論。コウモリと人間。相互引用可能性。

 

現在連載中の浦沢直樹『BILLY BAT』(2008年〜)は現実とフィクションの相互作用とでも言うべき奇妙な構造の物語だ。私はその構造を「相互引用可能性」と呼ぶことにする。

私はそのために、浦沢直樹の代表作『MONSTER』(1994〜2002年)『20世紀少年』(1999〜2006年)を読み解く必要を感じている。『MONSTER』の読解では、他作品にも通じる浦沢作品の描く人間性というテーマを浮き上がらせる。そして『20世紀少年』には、「昭和90年代」という偽史的想像力が織りなす一つの形を見出すことができるだろう。最後に『BILLY BAT』で私たちが向き合うのは、『20世紀少年』とは異なる形で描かれた「昭和90年代」以降の世界である。その世界は、多重化された「相互引用可能性」によって導かれることとなる。

 

 

第一部『MONSTER』

 

一章 終わりの風景

 

『MONSTER』の物語は入り組んでいる。東西ドイツの統合、冷戦構造、医療倫理、冤罪事件、児童虐待、家族愛など、テーマが多層的に重なり合っている本作は、その複雑さにも関わらず2000万部以上の大ヒットとなった。『YAWARA!』を1993年に完結させた後、浦沢はすぐにミステリー物の漫画を描く気でいたが、『YAWARA!』によって起こった女子スポーツ物の人気を、当時の「ビッグコミックスピリッツ」編集部は終わらせたくなかった。そして編集部の懇願によって、同年に女子テニスを題材とした『Happy!』が始まることとなる。

浦沢はこのとき既に、架空の街を舞台にしたミステリー物の企画を考えていたが、それは実現せず、フラストレーションを溜めつつ『Happy!』の連載を続けていたことがインタビューで語られている。結局、『MONSTER』の連載が始められるのは1994年の『MASTERキートン』の完結までを待つこととなる。しかし、そのタイムラグこそが結果として『MONSTER』という作品を生んだことについて、浦沢自身が「あそこの回り道は絶対にね、逆にありというか、必要だったんですよ」と述懐していることは実は重要である。なぜなら浦沢作品において、「回り道」は重要な表現技法の一つと呼ぶべき要素でもあるからだ。

前述したように『MONSTER』の物語は複雑である。にも関わらず、この作品を読む読者が、物語についていけなくなることは少ないと言えるだろう。それはこの作品が、常に「主人公テンマが、謎の美青年ヨハンを追う」という基本的な構造から逸脱していないからだ。

しかし、この事実は逆にデメリットも存在する。この構造に沿って連載を最後まで追いかけた読者にとって、興味があるのはテンマとヨハンの決着となる。だが最終巻で描かれたエピソードは、その期待に十分に応えたとは言い難い。

物語をテンマ視点で簡潔に示そう。日本人医師テンマは、銃で撃たれた幼少時のヨハンの命を手術によって救ったが、ヨハンは回復後に病院から失踪する。そして9年後に殺人鬼となって自らの前に再び現れた青年ヨハンにテンマは衝撃を受ける。自分の救った一人の命が、より多くの命を奪う結果を導き出した現実を前に、テンマは自らの手でヨハンを殺害することを決心し、ドイツやチェコを渡り歩き、ヨハンを追う旅に出る。だが、最終的にドイツの片田舎の街でヨハンを追い詰めたテンマは、ここでもまた銃弾に倒れたヨハンの命を救う選択をする。そして物語は、無事回復したヨハンが病院のベッドから姿を消す場面で幕を閉じる。

物語冒頭の反復とも取れるこの幕切れに、ヨハンとテンマの決着を期待していた読者は肩透かしを食らったことだろう。『MONSTER』の人気の理由が、複雑な物語背景を持ちながら、シンプルな構造(テンマがヨハンを追う)のサスペンスに徹したことにあったとすれば、読者の反応も根拠のないものとも言えないだろう。例えばそれは、近年のサスペンス漫画の傑作として名高い『DEATH NOTE』で、ライバル関係にあったキラとLの決着を描かずに連載が終わってしまうようなものと言える。

 

しかし、それは本作を「テンマがヨハンを追う」物語として読んだ場合である。もちろん、それが間違った読み方であるわけがない。だが読み替えは可能だ。私達はテンマ視点ではなく、ヨハン視点で『MONSTER』の物語を読み返す必要がある。

これは極端な深読みを読者に求める行為とは異なる。前提として、浦沢作品に「一人の天才と、その周りで右往左往する人々」というフォーマットが頻出する事実がある。『YAWARA!』も『Happy!』も、天才的才能をもった女子選手を中心とした物語であり、『パイナップルARMY』『MASTERキートン』も主人公は天才タイプである。では『MONSTER』はどうかといえば、確かにテンマは天才的医師という設定だが、劇中での活躍は彼の本業の医師ではなく、「ヨハンを追う追跡者」であり「冤罪捜査から逃げる逃亡者」である。これは前述の作品の主人公たちとは異なる描かれ方である。それでは『MONSTER』において中心的存在として描かれる天才的人物は誰なのか。それは殺人鬼ヨハンである。

タイトルである『MONSTER』を示す人物がヨハンであることも、単純な事実ではあるがこの読み方が正当であることを裏付けている。読者に提示されたこの物語はテンマ視点で描かれているが、実際にはヨハン=怪物の視点こそが中心的であると言える。

ヨハンの視点から読む『MONSTER』は、自らのルーツを探る物語である。それは彼が「終わりの風景」へと至る道程でもある。

物語開始時点のヨハンには、多くの記憶の欠落があった。その謎を彼自身が解き明かしていくことが彼の物語だった(テンマをはじめとする彼の追跡者たちは、その解明をなぞるようにして彼に追随していく)。ヨハンは自分のことを知る人間を殺害し、また自分の存在した痕跡(写真や録音テープ)を消していくことを繰り返すが、なぜ自分がそうするようになったのかを最初は理解していなかった。

そして彼は「なまえのないかいぶつ」という絵本に出会う。そこには「ヨハン」という名前のかいぶつが、自分を知る人間に食べ尽くしてしまい、誰も自分のことを知る人間がいなくなってしまう物語が描かれていた。名前の一致は偶然ではない。なまえを持たなかった少年に「ヨハン」という名前を与えた人物は、少年が持っていた絵本からその名前をとったのだった。青年ヨハンは、「なまえのないかいぶつ」に出会うことでその記憶を取り戻す。なぜ自分を知る人間を殺し続けるのか。それは幼少期に繰り返し読んだその絵本の影響だった。なまえのない少年だったヨハンは、絵本に登場するなまえを持たないかいぶつに自分を重ね合わせていたのだ。

「なまえがない」ことが彼を殺人に駆り立てるほどの絶望だった。誰も自分を知らない世界。それをヨハンは「終わりの風景」と呼んだ。まだヨハンという名前を与えられていなかった頃に妹と二人で行き倒れた、チェコスロバキアの国境の荒涼とした枯れ果てた大地がその風景として作中で描かれている。

ヨハンの名付け親となったヴォルフ将軍は、自分を知る人間のすべてをヨハンに殺害される。自分がヴォルフであることを証明することのできない彼は、死の間際に「名前を呼んでくれ……それが…私の生きた証だ……」と口にする。テンマがそのそばで彼の名前を呼ぶが、数度会った程度のテンマの呼びかけは、彼の絶望を癒やすことはなかった。ヴォルフは「これが……ヨハンの見た風景か……名前のない世界だ……」と呟いて息絶える。彼が最後に幻視したのは、名前のない瀕死の双子が見た、枯れ果てた大地の風景だった。

 

 

二章 なまえ、手紙、郵便空間

 

ヨハンのルーツにあった「終わりの風景」は、誰も自分を知る者がいない世界だった。誰も自分のなまえを呼んでくれない世界とは、呼ばれるべきなまえを持たない者の世界だ。ヨハンの異常な人間性はそこから始まっている。ヨハンの視点で読む『MONSTER』とは、この「終わりの風景」と向き合うことを迫られる物語である。

「終わりの風景」の絶望をより明確にするために、作中に登場するもう一人の「なまえがない」人物に焦点を当てよう。その人物は、物語中で主にグリマーと呼ばれるが、それは数ある偽名の一つでしかない。彼はヨハンと同じように、非人道的実験の被験者だった。グリマーには14歳以前の記憶がほとんどなく、本名も不明とされている。そして彼は、笑ったり泣いたりといった自然な感情表現を行うことができず、表情には常に「訓練をして形だけ身につけた笑顔」を浮かべている。一見すると人が良さそうだが、息子が亡くなったときにどう反応すべきかわからずにいた彼に対して、彼の妻は「あなたの心の中には何もない」と言い放ち、彼の元を去っている。

ドイツ統一前にスパイとして活動していたジャーナリストであるグリマーは、物語中盤で登場し、テンマの逃亡を助けるなど多くの場面で活躍する人物である。彼はいくつかのエピソードを通して、自分自身の感情を少しずつ取り戻していく。物語終盤で彼は息絶えるが、その死の間際についに彼は自然な感情表現を獲得し、人間性を取り戻す。

漫画史研究家の宮本大人は、『美術手帖2016年2月号』の「描線、名前のない怪物」で、浦沢漫画の顔の表現力が『MONSTER』で急激に上がっていることを指摘している。それは例えば「下まぶたと鼻の間のエリア、及び上まぶたと眉間の間のエリアに、多くの細い線が描き込まれることによって、目の周りの筋肉と皮膚の動きや質感が強調され、表情の複雑なニュアンスが生み出される」ことによって示される。しかし同時に、内語による心理描写をあまり使わない浦沢の作風は、表情と内面が一致することを保証していないことにも触れている。その具体例として、宮本はグリマーの描かれ方を解説する。

「非人間的な実験によって喜怒哀楽を奪われた彼にとって、表情とはつくり方を学ばなければならないものだ。彼が見せる柔和な笑顔は彼のいかなる内面も表していなかった。この物語の中では、彼が次第に感情を回復し、感情と表情の自然な結びつきをも回復していく救済が描かれるが、読者は、人間の感情・心理・内面といったものと表情とが、乖離しうること、表情だけからそれらが読み取れるとは限らないことを、知ってしまう」

宮本のこの分析は、浦沢の絵の特徴を的確に捉えるとともに、グリマーの内面描写に対する指摘でもある。表情と感情の乖離とは、浦沢の絵の特徴であり、グリマーの内面的苦悩の現れだ。グリマーはその乖離が解消されたことを、次のように表現している。

「人間は……感情を無くすことはできない……感情は、どこかわからない所に……迷い込んでいたんだ……まるで……俺宛てに出した誰かの手紙が……何十年も経ってから届いたみたいだ……」

表情と感情の乖離の問題、つまり人間性の喪失の問題は、ここでは到着の遅れた手紙の比喩で語られている。手紙のタイムラグの比喩は「なまえがない」ことと関連付けられている。なまえがなければ、宛先人の特定は困難である。「なまえがない」人間に手紙が届くことは奇跡のようなものだ。故に「終わりの風景」に立つ人間には手紙が届かない。それは人間性の喪失を意味する。「なまえのないかいぶつ」であるヨハンは、作中で様々な人物に執拗に手紙を出していることが示されるが、彼の元へ手紙が届いた描写は一度もない。その極端な対称性は、端的にヨハンの苦しみを描いていると言える。

 

なまえと手紙の比喩は、『MONSTER』と同時期に「批評空間」に連載され、1998年に書籍化された哲学書である、東浩紀『存在論的、郵便的』にも重要な概念として登場している。ポストモダンの代表的哲学者であるジャック・デリダの思想の読解を目指した本書は、デリダの用いる謎めいた比喩である「郵便」を基軸に、ポストモダン思想が陥りがちな否定神学を回避するための思考様式を展開している。

ここでその思考の詳細に踏み込むのは浦沢論からの逸脱が過ぎるが、本章との関連性の強い議論として、固有名の訂正可能性と、郵便空間の概念が挙げられる。

東は、デリダの用語である脱構築を二種類に分類する。一つはゲーデル的脱構築であり、これは構造の中に特異点としての「思考されざるもの」を設定することで否定神学化してしまう。もう一つはデリダ的脱構築であり、郵便的脱構築とも説明される。前者と後者では、固有名を固有名たらしめるもの(固有名の剰余)の考えたかが異なる。前者では、固有名の剰余を「象徴界が抱えるゲーデル的決定不可能性の顕れとして、つまり象徴界の全体構造によって」説明され、後者では「コミュニケーションの失敗こそが固有名の剰余を生じさせる」と説明される。

少し噛み砕いて言えば、世界というシステムによって「単一的」に説明される前者の固有名に対して、コミュニケーション=伝達の経路によって「複数的」に説明される後者という関係になっている。

そして、郵便空間とは、後者のデリダ的脱構築が問題とする伝達の経路について思考するための言葉である。コミュニケーションの失敗は、手紙の誤配として説明される。『存在論的、郵便的』が言及されるとき、最も多用される用語の一つが、この誤配だろう。

ここで、浦沢の手紙の比喩について考えてきた私たちは、誤配という言葉から「失敗の可能性」ではなく、「遅れて届く可能性」こそに注目すべきだろう。『MONSTER』で描かれる人間性は、まさに手紙がもつ「遅れて届く可能性

」によって描かれていた。

 

一部の読者には、浦沢が用いる手紙の比喩と描写と、『存在論的、郵便的』で用いられる郵便空間とは、一見するとその目的が異なっているように感じられるかもしれない。デリダ、そして東がポストモダン思想、つまり社会と密接なつながりをもつ哲学として郵便空間(手紙の比喩)を用いているのに対して、浦沢はフィクションにおける人間性の表現としてそれらを用いている。

しかし、私たちは後に『20世紀少年』と『BILLY BAT』で、浦沢がポストモダンを通過した社会である「昭和90年代」の時代を描いていることを確認することになるだろう。また、東浩紀が『存在論的、郵便的』での議論をサブカルチャーを題材にして発展させた、2001年の『動物化するポストモダン』が主にキャラクター論として後続の批評家に引用されていくことも意識すべきである。両者は遠いようでつながっている。『BILLY BAT』についての読解において、このことは再び思い出されるだろう。

 

ヨハンは手紙魔である。彼は大量の手紙を送りつける。しかし、彼の元へ届く手紙は存在しない。その問題は、彼が「なまえのないかいぶつ」であることと無関係ではない。彼が抱える「終わりの風景」という絶望は、つまりは「彼の元へ届く手紙が存在しない」という事実に端的に顕れている。それはいわば、「郵便空間の機能不全」である。

『MONSTER』のラストで、テンマとヨハンの決着は描かれない。しかしヨハンのルーツを探す旅の答えは、その一端が示されている。テンマは双子の母親に出会い、彼女がヨハンにつけるはずだった名前を教えてもらう。テンマはその事実をヨハンに伝える。このことは、ヨハンにも手紙が届きうる可能性を示している。

前述したように、物語はヨハンが再び病院から失踪する場面で閉じている。それは物語冒頭の反復である。しかし失踪後のヨハンは、それまでの行動の反復をとらないだろう。彼にはなまえがあったのだから。彼は「なまえのないかいぶつ」ではなくなった。物語はそこで終わる。

 

 

第二部『20世紀少年』

一章 ふたりの「ともだち」

 

『20世紀少年』は『Happy!』完結後、「ビッグコミックスピリッツ」で1999年から連載が始まった。浦沢は当初、『Happy!』の後に週間連載をやるつもりはなかったそうだが、『20世紀少年』冒頭で描かれる「彼らがいなければ、21世紀を迎えることはなかったでしょう」というセリフと場面が思い浮かんだことから、一年と間を置かずに「ビッグコミックスピリッツ」に戻ってきている。20世紀と21世紀の横断こそがテーマの漫画であったことから、始めるなら1999年が終わる前に始めるべきだという判断があったようだ。

 

浦沢は『MONSTER』に続いてこの漫画もヒットさせる。2008年には堤幸彦監督による三部作の劇場版としても公開されている。しかし、この漫画でも『MONSTER』と同様の批判は生まれている。『MONSTER』では「テンマがヨハンを追う」サスペンス展開に対する決着の欠如が問題だった。『20世紀少年』では物語中の黒幕である「ともだち」の正体を追うサスペンスとして読者の人気を集めたが、最終的にその正体があまりにさらっと描写されていた。この『MONSTER』と同型の問題は、浦沢直樹という現代を代表する物語作家が、その高い評価にも関わらず「オチの弱い作家」という評判も少なくない現実につながっている。

ここで必要な切り替えを私たちは既に知っている。私たちは『MONSTER』についてヨハンの人間性から読解を試みたように、『20世紀少年』においても「ともだち」の人間性について着目することで物語を読み解かなくてはいけない。

 

社会学者の大澤真幸は、『不可能性の時代』で『20世紀少年』について触れている。

「このマンガは、1970年前後の時期に固有の意味を与えている。テロは、1970年に果たせなかった試みを、あるいは1970年に失敗した試みを、その30年後に取り戻すための反復として敢行されるのだ」

1970年とは日本万国博覧会(大阪万博)の年である。また、ここで言及されているテロとは、作中の2000年12月31日に敢行された「血の大晦日」のことである。主人公の遠藤ケンヂのグループが実行犯に仕立て上げられたこの事件は、すべて「ともだち」の正体であるフクベエの計画したものだった。この事件が大阪万博の反復を意図していることは、フクベエが太陽の塔を模したモニュメントに乗って、ケンヂの前に現れることからも明らかである。では、なぜフクベエは大阪万博の反復を行う必要があったのか?

1970年当時、彼らは小学五年生だった。フクベエはケンヂの同級生だったが、クラスの人気者であるケンヂに対して強いコンプレックスを感じていた。それは言ってしまえば「クラスで目立ちたい」といった程度の幼い願望ではあった。しかし彼にとっては、その思いは30年間忘れることなく胸に抱き続けるに足る復讐心でもあった。彼はその復讐の手段に、あるモチーフを取り込んだ。それが前述した大阪万博である。

では、なぜそのモチーフを取り込んだのか?

フクベエのテロの目的は、「クラスの中心になれなかった」という失敗の試みの反復である。人類の進歩と調和を掲げた大阪万博は、クラスどころか当時の日本中で注目された時代の中心地点だった。「家族で万博に行っていた」という内容の日記を捏造してまで大阪万博に執着したフクベエだったが、努力の甲斐も虚しく、夏休みが明けた二学期の教室で話題となったのは、ケンヂたちが肝試しで幽霊を見たという事件だった。この出来事が、フクベエを30年越しの復讐劇に駆り立てた要因の一つである。

フクベエは何がしたかったのか。それを端的に言い表せば「当事者になりたかった」となるだろう。小学生時代の教室で、同級生たちの話題が自分を中心に交わされることを望んだ少年は、大人になっても同じように、世界中の人々の話題が自分を中心に交わされることを望み、そしてそれを新興宗教やテロや政権奪取といった手段によって実現させてしまう。また、わざわざテロの容疑がケンヂたちに向かうように画策したのにも理由がある。フクベエが望んだのは、ケンヂ以上の存在感を周囲に示すことだった。フクベエは当事者としてのケンヂに嫉妬し、彼以上の当事者になることを望んだ。

 

ところで、この物語にはもう一人の「ともだち」が登場する。物語後半でフクベエが死んで以降、「ともだち」に成り代わったとされるカツマタくんだ。彼は小学生の頃に、ケンヂの万引きの濡れ衣を着せられ、フクベエから「おまえは今日で死にました」と告げられたことがきっかけとなっていじめの対象となってしまう。その苦悩は長らく続き、中学二年生の時には屋上から飛び降り自殺を行おうとする。だがそのとき校内放送でケンヂが流した「20th Century Boy」を聴いて自殺を思いとどまる。彼にとってケンヂは自殺のきっかけとなった人物であると同時に、それを思いとどまらせてくれた人物でもあった。

作中でカツマタくんの本名は描かれない。フクベエの本名は「服部=ハットリ」であることが明かされているが、彼を本名で呼ぶ人間は作中ではごく限られている。フクベエがケンヂの前に「忍者ハットリくん」のお面を被って現れても、ケンヂはお面の人物が「ハットリ」であることに全く気づかなかったという冗談のような演出すら描かれている。彼らはヨハンのようになまえを呼ばれない存在だった。そしてヨハンが「なまえのないかいぶつ」を生きる指針としたように、二人の「ともだち」もまた大阪万博の反復を生きることとなる。

『20世紀少年』とは、この二人の「ともだち」による壮大な偽史の物語である。フクベエはその途上で息絶えるが、カツマタくんは彼らの作り上げた歴史の当事者となる。それがこの漫画で描かれる「2015年以降=昭和90年代」としての「ともだち歴」である。

 

 

二章 ケンヂの自己反省は「安全な痛み」なのか

 

少年時代に死んだことにされたカツマタくんは「ともだち歴」という偽史において、世界の中心に座したと言える。しかしその世界は、昭和の反復としてのハリボテのような世界だ。

昭和という時代について、批評家の宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』(2008年)で次のように書いている。

「昭和が「安全に痛い」ものでしかないのは、はっきり言ってしまえば仕方のないことである。歴史という大きな物語が公共性と個人の生きる意味を備給していた時代が終わった以上、当事者性を欠いた「歴史」が「安全に痛い」ものになるのは当然の帰結である」

宇野の言う「安全に痛い」という表現は、自身にとって致命的な痛みを伴わない安全地帯での自己反省であり、彼はゼロ年代に流行したサブカルチャー作品の多くがその自己反省の回路を備えていると指摘している。そこでは引用箇所でも示したように、「昭和的ノスタルジー」が強い批判の対象として挙がっている。では、『20世紀少年』で描かれる当事者性も、彼の言う「安全に痛い自己反省」の範囲でしかないのだろうか?

 

その問いに答えるためには二人の「ともだち」を区別して考える必要がある。結論から言えば、フクベエは「安全な痛み」の枠内の当事者性しか持ち合わせていなかったが、カツマタくんはそうではなかったと言える。より正確に言えば、カツマタくんとケンヂとの関係は、「安全な痛み」の枠内にはない。

フクベエの当事者性は宇野の指摘する「昭和ノスタルジー」を超えることはない。そのことは、大阪万博の再現としての万国博覧会以降の彼の計画が「じんるいのめつぼう」という終わりのヴィジョンであったことからも明らかである。彼には「昭和の反復」以上のヴィジョンはなかった。

一方で、カツマタくんには大阪万博に対する執着がなかった。彼の執着はケンヂであり、「ともだち」に成り代わったのはケンヂへの復讐のためである。「ともだち歴」が始まり、彼が世界大統領に就任しても、そんなことは彼にとってなんの価値もなかった。

ケンヂもまたそれがわかっていた。ともだち歴元年〜3年までを描く物語終盤は、壮大な偽史としての物語はなりをひそめ、ケンヂとカツマタくんの個人的な問題へと徐々に収斂していく。例えばそれは、「最悪」を自称する「ともだちの部下の男」が、ケンヂの前で極端な小物のように描かれることに示されている。昭和の反復によって生まれた歴史の当事者性は、フクベエの死とともに急速に消えていく。

1970年の大阪万博の存在が薄くなり、代わりに浮上したのは1970年のケンヂによる万引き事件だ。『20世紀少年』はケンヂが万引きの事実をカツマタくんに謝ることによって幕を閉じる。まさにケンヂの自己反省の物語がそこでは展開されている。

では、それは果たして「安全な痛み」の自己反省だろうか?

ケンヂの謝罪は二重に行われる。一度は現実の(現代の)カツマタくんへ。そして二度目は、仮想現実の中学校の屋上で、中学生の(虚構の)カツマタくんへ。

虚構の存在に対しての謝罪は「安全な痛み」に思えるかもしれない。しかし『BILLY BAT』においての読解を通じて、私たちはそうではないことを知るだろう。

 

 

第三部 『BILLY BAT』

 

一章 描いて描いて描きまくれ

 

2016年3月現在、『BILLY BAT』は残り数話で完結することが予告されている(現在、連載は休止中で、再開は6月と予告されている。そこから単行本一冊分のエピソードで完結することが予想される)。

また、東京都の世田谷文学館では浦沢直樹の初の個展「浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる」が開催されている。この個展のタイトルは『BILLY BAT』を読む上で避けては通れないものと言える。というのも、このタイトルは「モーニング2016年No.12」に掲載された『BILLY BAT』第156話「見えるといえば見える」の最終ページでほぼ同じセリフ「描いて描いて描きまくれ」として登場しているからだ。

『BILLY BAT』の物語の要約は難しい。これまで見てきた『MONSTER』や『20世紀少年』に関しても、善悪の定義を明確にしない作風が複雑さを生んでいたが、それでも「ヨハンを追うテンマ」や「ともだちから世界を救おうとするケンヂ」など、シンプルに語ることのできる構造も持っている。しかし『BILLY BAT』は違う。誰と誰が敵対し、どんな脅威から地球を救えばいいのか、それは常に不明瞭なまま物語は進んでいく。

それでも物語の一部のみを抜き出そうとすれば、「歴史を変える力をもったコウモリと、そのコウモリを描く漫画家の物語」とでも言うしかない。物語はキリストから9・11までを縦横無尽に語り継いでいくが、最も重要なキーパーソンは漫画家である。『20世紀少年』が浦沢自身の少年時代の経験に依っていたように(物語の核心だったあの万引きも事件浦沢の実体験だ)、『BILLY BAT』は漫画家浦沢自身が投影されている。しかし『BILLY BAT』から浦沢という人物を読み解くというようなことは避けよう。個展からも明らかなように、浦沢直樹とい漫画家の考える「描いて描いて描きまくる」ことは、『BILLY BAT』の物語の本質の一部である。それでは私たちは、この「描くこと」の考察から始めよう。

 

歴史を変える力をもったコウモリの謎は、連載されている話までではすべてが明かされたわけではないが、断片的なコウモリの言葉をつなげると次のような世界観が『BILLY BAT』では描かれているようだ。コウモリは地球誕生以前から存在し、時間を操ることができる(例えばある人物を過去に戻して人生をやり直させるなど)。どうやらコウモリのその力は、平行世界を自在に移動できるものであるらしい。しかし物語開始時点で、その力はもう使うことができなくなっている。なぜなら、既に現在の(つまり物語で描かれている)世界以外の平行世界では地球が滅んでいるからだ。故に、あらゆる平行世界を渡り歩けたとしても、人類が暮らすこの地球はたった一つしかない。コウモリの言葉によれば、それでも歴史を改変することは可能だが、同時にそれは最後に残ったこの地球の消滅を招くのだ。

だが、コウモリの「歴史を変える力」を追い求める多くの人々はそのような世界の背景を知らないでいる。だから彼らの誰かが、コウモリの力で歴史を変えた瞬間に、地球は滅んでしまう。コウモリは漫画家をはじめとする「感度のいい」人間たちにこのことを断片的に知らせながら、地球が滅びる「さいしゅうかい」を防ごうとしている。また、コウモリたちはひとつの意思のもとに存在しているわけではなく、地球が滅ぶことも厭わないコウモリが存在することも示唆されている。

この設定はゼロ年代に流行したループ物の系譜にあると言える。『Air』(2000年)などの美少女ゲームの比喩を用いれば、コウモリたちはプレイヤー視点からいくつもの分岐するシナリオをクリアし、最終的にこれ以上の平行世界が存在しないトゥルーエンドの世界へとやってきたと考えることもできるだろう。プレイヤーであるコウモリだけが『BILLY BAT』の世界は最後の世界であることを知っているが、コウモリのようにプレイヤー視点を持たない登場人物たちは、まだこの先にも平行世界があると考えている。

ここには興味深い転倒がある。それは、本来であれば現実の人間とキャラクターの関係を、プレイヤーとキャラクターの関係で表そうとすれば、前者がプレイヤーで後者がキャラクターとなるだろう。しかし『BILLY BAT』では逆の関係になっている。現実の人間が、キャラクターから「プレイヤー視点」で語りかけられている。

 

村上祐一は『ゴーストの条件』(2011年)の中で、人間とアンドロイドが人間的なコミュニケーションを交わす短編アニメーション『イヴの時間』(2008年)について、そこで描かれる人間とアンドロイドの関係が「人間とキャラクターの関係の寓話となっている」と指摘している。

「これは想像力の問題だ。物語が見えないものを現実化させる営みであるとすれば、それを支える、見えないものを捉える力こそが想像力である。そして、ここにおいて見えないものとは、まさに自分に語りかけてくる声である。それは誰の声だろうか。何も聞こえてなど来ない。いったい誰が自分に語りかけているというのだ。ましてや、まさかキャラクターが語りかけてきているなど、ありえるはずがないではないか……」

ここで村上が反語的表現で語っている内容は、そのまま『BILLY BAT』で描かれているものについての言及として読むことができる。作中ではコウモリの実在こそは揺るがないものとして描かれているが、それを見ることのできる人間が、「果たして本当にコウモリが見えているのか」は明言されていないことが多々ある。それは単に登場人物の妄想である可能性が常につきまとう。しかし、「ありえるはずがない」と考えつつも、登場人物たちは「コウモリの声が聞こえる」ことを前提にして行動することをせざるをえなくなっていく。コウモリたちの声は、空気を震わせ鼓膜に届く現実的な声ではないかもしれない。だが聞こえてくる以上は、「ありえるはずがない」と思いつつも耳を傾ける他にない。その声の内容は、実際に、登場人物たちの生きる現実と呼応しているのだから。

 

 

第二章 相互引用可能性

 

物語前半の中心人物であるケヴィン・ヤマガタは、漫画「BILLY BAT」の作者である。この作中作は『BILLY BAT』の連載第一話で、なんの説明もなく浦沢直樹の新作として掲載された。冒頭の題字のそばに、ケヴィン・ヤマガタの名前が書かれており、よく見れば手のこんだ作中作の演出であることがわかるようになっている。この演出によって、「BILLY BAT」の主人公であるビリー(コウモリの擬人化キャラ)が、「本当に紙に書かれた漫画のキャラクター」であることが強調されている。この時点ではあくまでコウモリはキャラクターだ。しかし、ケヴィン・ヤマガタが昭和49年の下山事件の闇に巻き込まれ始めた辺りから、実体化したビリーが彼の前に現れ、謎めいた助言を与えるようになる。このコウモリの助言は、ケヴィン・ヤマガタを助けるようでもあるし、あるいはコウモリの目的を達成するためだけに彼を利用しようとしているようでもある。彼にはコウモリの真意を測ることはできない。キャラクターの層(オブジェクト・レベル)にいる存在が、プレイヤーの層(メタ・レベル)の存在の思考を読むことができないように。

故にケヴィン・ヤマガタはコウモリに大いに振り回され、アメリカと日本を往復し、その度に事件に巻き込まれていく。しかもコウモリの助言の真意は全く汲み取れない。また漫画の執筆の際にもコウモリの声はケヴィン・ヤマガタに未来を指し示すことがあり、単行本4巻から8巻にかけて語られるケネディ暗殺のエピソードでは、ケヴィン・ヤマガタは自分が描いた大統領暗殺計画を止めるためにアメリカの都市を駆け回る。そして暗殺を防ごうとテキサス州ダラスでのパレードに近づくが、結局大統領は助けることができない。ケヴィン・ヤマガタにできたのは、事件のそばにいて流れ弾に被弾しかけていた少年を身を挺して助けることくらいだった。しかし、コウモリがケヴィン・ヤマガタに期待していた働きは、まさにその少年を助けることだったことが判明する(助けた少年はケヴィン・グッドマン。本作の真の主人公である)。

コウモリの助言や指示は常にこのように意図が読めない。大統領暗殺という歴史的事件に関わっていたと思い込んでいたケヴィン・ヤマガタは、実は地球の滅亡というより大きい事件のために奔走していたのだった。

コウモリとケヴィン・ヤマガタの関係を先ほどはプレイヤーとキャラクターの関係で説明した。しかし、この大統領暗殺のエピソードからはまた別の関係を導き出すことができるだろう。

もともとケヴィン・ヤマガタ自身にとって、大統領暗殺も地球の滅亡も本来であれば関わりのない事件である。しかしコウモリはその事件とケヴィン・ヤマガタを関わらせている。まるで、ある物語の登場人物を、別の物語へ引用するかのようにだ。コウモリは人間に話かけることを「通信」と呼ぶ。そして人間を時にメッセンジャーのように扱っている。

第一部で予告したように、ここで示す関係は東浩紀の「郵便空間」の概念、あるいは『動物化するポストモダン』で提示される「データベース理論」に通じている。平行世界を渡り歩き、人間に呼びかけるコウモリたちから見た時、人間という存在はデータベースに登録された無数の人格の一つに過ぎない。彼らは必要に応じて、データベースから人間をピックアップし、歴史の流れに干渉するための手段としている。

「キャラクターが語りかけてきている」状態と、「キャラクターによって引用される」ことは大きく異なっている。『BILLY BAT』においてキャラクターとは、語りかけてくるだけではない。キャラクターが人間を引用する。そしてもちろん、漫画のキャラクターであり、詰まるところ「絵」であるコウモリは人間によって、様々な絵柄、様々な物語、様々なグッズに引用されている。ここには、人間とキャラクターが互いに互いを引用しあう関係が描かれている。そのような「相互引用可能性」が『BILLY BAT』には描かれている。

 

「相互引用可能性」の想像力は、第二部『20世紀少年』で触れることとなった、当事者性の問題とも繋がっている。『BILLY BAT』のアイディアの一つには、これまで浦沢が描いてきた漫画の内容が、まるで現実の予言のように機能していたことが浦沢によって語られている。『YAWARA!』の女子柔道ブームや、『Happy!』の伊達公子の活躍などポジティブなものもあれば、『20世紀少年』連載中に新宿副都心が爆破されるエピソードの直前に起きた9・11など、ネガティブなものも存在する。こうした事例の一つ一つは、なにも浦沢の特権的なものというわけはなく、創作にまつわるエピソードとして似たような話はいくつも見つかるだろう(例えば大塚英志は『多重人格探偵サイコ』で、ハイジャックされた飛行機が自爆テロを行うエピソードを9・11以前に書いている、など)。

このように漫画の内容が、まるで予言のように機能した事象が『BILLY BAT』で活かされていることは間違いない。ここで注目すべきは『20世紀少年』の新宿副都心爆破のエピソードが、アメリカの事件の影響で差し替えられていることだ。浦沢はインタビューで、「なぜ(新宿副都心の爆破は)描けないんですか?」と訊かれ、「描けないでしょう。あなたは描きますか? ぼくは描かない」と答えている。この浦沢の言葉は、自分の漫画とテロ事件とに関係があることを実感しているからこそ出てきたものだろう。言うまでもなく浦沢は9・11の当事者ではない。にも関わらず、まるで自分の漫画が引用されているかのような現実の事件に対して無関係でいることはできない。引用は、当事者、非当事者とは異なる関係を結んでいる。

無論、だからといって浦沢が9・11に対して何か特別な発言力や、立場を有していると考えることは間違っている。引用可能性があろうがなかろうが、非当事者は非当事者のままである。そこを誤解してはいけない。

 

『BILLY BAT』のケヴィン・ヤマガタのエピソードに戻って、この文章を締めくくろう。彼はコウモリによって、大統領暗殺事件ではなく、ケヴィン・グッドマンの命を助ける役割として引用された。ケヴィン・グッドマンの父から感謝の言葉を言われ、はにかみながら彼は「そんな……ヒーローだなんて……」と返す。

その50年後。ケヴィン・グッドマンと再会したケヴィン・ヤマガタは、あの時ダラスにいたのは大統領暗殺を防ぐ目的ではなく、漫画の取材のためだったと語る。興味深いことに、ここでは引用は(おそらく意識的に)忘却されている。引用をどこまで自分の経験として語るべきか、その線引きについての慎重な態度が、ここでは示されている。

相互引用可能性という観点からの『BILLY BAT』の読み解きはまだ行うことは可能だが、今はここまでとする。

 

社会は遍在する――引き裂かれた言説回路と10年代文学

1、社会は遍在する、あるいはセカイの後先

どうやら、これまで社会問題や政治的葛藤に目もくれなかった書き手が、震災や原発事故といった、重大な問題であることだけはわかりやすい社会問題が現れた瞬間、手のひらを返したように社会派を気取ってしまうという軽薄な身振りとは違うらしい。また、現実の諸問題を反映することが困難になってしまった多くの創作媒体たち――文学、映画、美術に限らず、漫画やアニメなども含む――が再び現実とつながるための、新しい回路が生まれたというわけでもないらしい。かといって、時代の例外として名指すにはあまりにも時代性を帯びすぎている対象について、どのように考えればよいのだろうか。このような問いを投げかけるのは、震災や原発事故を扱った作品の中でもひときわ異彩を放つ作品である『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(2014~、以下『デッド』と表記)の持つ「奇妙さ」に、現実と想像力の問題を考えるうえで重要な、ある現代的な逆説が胚胎していると思われるためである。

『デッド』の作者である浅野いにおは、主に『ソラニン』(2005~2006、2010年に宮崎あおい・高良健吾主演で実写映画化)や『うみべの女の子』(2009~2013)などの青春群像劇の書き手として知られているが、近作『おやすみプンプン』(2007~2013)など、個人の離人症的な自意識と、家族・友人・教室といった狭い共同体との関係を描いた作品によっても高い評価を得ている。全体として、彼の作風は「サブカル」的であり、自意識とそれを取り巻くコミュニティの変わらなさ(変わりたくなさ)と、いやがおうにも流れて行ってしまう時間とのチグハグさに主眼を置いた作品が多いのも特徴だ。本論が扱う『デッド』も、大枠としては彼の過去作品とあまりかわらない。詳しく見ていこう。

「3年前の8月31日。突如、『侵略者』の巨大な『母艦』が東京へ舞い降り、この世界は終わりを迎えるかにみえた―― その後、絶望は日常へと溶け込んでゆき、大きな円盤が空に浮かぶ世界は変わらず廻り続ける。小山門出、中川凰蘭。ふたりの少女は、終わらなかった世界で、今日も思春期を過ごす!」(注1)というのが『デッド』のあらすじである。むろん、東京の空に浮かび続ける『侵略者』の『母艦』というアイコンは、明らかに原発と領土問題のハイブリッドな表象として機能している――つまり、それについて誰もがよく知らないがゆえに、過度に危険なものとして認識してしまうか、ほぼ無害なものとして忘却してしまうかという相異なる二つの反応を引き起こしてしまう原発の特徴と、どうすれば解決できるのかがわからないがゆえに、武装か話し合いの継続かという相異なる二つの解決策に割れてしまう領土問題の特徴とが重ねあわされた表象として『母艦』が機能している――と言えるし、この作品の主眼が、これらの社会問題が日常の次元にどのような影を落としているのかを描くことにあるのも明らかである。また、社会が『侵略者』の『母艦』(原発や領土問題)の恐怖に敏感でありすぎるかそうでないかの二つで分断されていて、両者の間を架橋するロジックがない(つまり、『侵略者』におびえる者たちはおびえる者たちの間でだけ通じるロジックに自閉し、そうでない人々も、それぞれあるロジックに固着し自閉してしまっているという状態。平たく言えば、立場が違えば話が全く通じなくなるという状態)という現状認識は、ある程度正確であるように思われる。とはいえここで注目すべきなのは、震災や原発事故、あるいは領土問題や日米の安全保障問題など数多くの社会問題を取り入れた『デッド』を下支えするガジェットが、通常なら現実の問題を描かないために用いられるものである、という点である。どういうことか。

先に引用したあらすじが示す通り、『デッド』の作品世界とは「世界の終わり」が「日常」の次元に溶け込んでしまった世界である。そのことは、物語を回想する小山門出が第24話において、変わらない日常の先に「8・32」と呼ばれるカタストロフが待ち受けていることを明示していることからもうかがえる。そして「世界の終わり」と「日常」という組み合わせは、2000年代前半に話題となった「セカイ系」というタームを想起させる。1990年代前半のバブル崩壊や1995年の阪神・淡路大震災、ないし地下鉄サリン事件をきっかけに、ことさらアクチュアルな問題となった「大きな物語の喪失」――誰もが信じうる価値観やイデオロギー、あるいは「これについて語れば、時代精神について語ったことになる」といいうる対象の喪失――を背景にして現れたセカイ系の特徴を要約すれば、「主人公と(たいていの場合は)その恋愛相手とのあいだの小さな人間関係を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』といった大きな問題に直結させる想像力」(東浩紀『セカイからもっと近くに』、2013)となる。いささか意地の悪い言い方をすれば、セカイ系とは世界の全体像どころか自らが所属する社会の全体像すら把握できないという状態において、それでも世界の中に自分の居場所を定位したいという願望がもたらした、自意識の投影としての「世界=セカイ」へのフェティッシュな愛着でもあるのだが、『デッド』はこの「セカイ系」という想像力を借り受けつつ社会を描いている点において、いくらか奇妙である。

奇妙な点はもう一つある。主人公である小山門出と中川凰蘭は自称「ゲーム脳」であり、作品内において頻繁にFPSをプレイする姿が描かれる。そしてそのような彼女たちの生の在り方は、東浩紀が「ポストモダンの解離的な生」と呼んだものと、ぴったりと重なるのだ。詳述は避けるが、「ポストモダンの解離的な生」とは、だれもが利用できるインフラの上に、様々なコミュニティー=イデオロギーが林立している時代の生の在り方を指し、イメージとしては、twitter(インフラ)の中にさまざまなクラスタ(イデオロギーによって結びついたコミュニティ)があって、ある特定のクラスタであることを強制されることなく、誰もがクラスタ間を自由に渡り歩けるような状態を指す。そのような生の在り方を、この場では過剰相対化による「メタ的な生」と呼ぶことにしよう。ありとあらゆるイデオロギーにノることができない、どこかシラけた生のモードとしての「メタ的な生」。そのような生を描くことは、社会を全体として認識することの困難を描くことと同義である。

では、社会を描くことの困難を引き受けた「セカイ系」的日常の中に、『デッド』はいかにして社会を持ち込むのか。そのためのツールが、テレビやパソコン、ラジオなどの情報メディアであり、そのなかでも特に重要なのが、作中に幾度も描かれるスマートフォンとtwitterの存在である。社会問題は、ほぼすべて情報メディアを介して門出と凰蘭の日常に入り込み、それに対して彼女たちは驚くほどの無関心を示すか、せいぜい野次馬根性を示すかにとどまっている。それでも、そのようにして日常の中にもたらされた「社会についての情報=ニュース」は、ネタ的なメタ・コミュニケーション(コミュニケーションをとっているという事実性のみが重要なコミュニケーション)のための消費財として活用される。ニュースのネタ(メタ)化。あるいは、ニュースがメタ・コミュニケーションのための消費財となること。これこそがまさに、セカイ系的日常と社会とを繋ぐものであるのだが、そのことについて論じる前に一つ補助線を引こう。

「インターネットのメディア的な特異性とは、いわば『メタ・メディア』としてのそれであり、ネット上でのコミュニケーションとは、一種の『メタ・コミュニケーション』である。それは絶えざる『先読み』の連鎖と交錯、『ネタ』と『マジ』の区別が(本人自身でさえも)付けられなくなるほどの『パフォーマンス』の加速と過剰、それらのフィードバック・ループから成り立っている。そのような『メタ』な感覚は、やがて程なくオフラインへと漏れ出してゆくことにもなった」(佐々木敦『あなたは今この文章を読んでいる。』、2014)。ここで論じられている「メタ・コミュニケーション」とは、たとえば「右から左へと流されやすい烏合の衆め!!まさに衆愚の極み!!さっさと滅してちょんまげ!!」「さ~すが凰蘭ちゃん、今日も中二病お疲れ様でーす!!」(第一巻 pp. 180,181)などの、ネタ的なセリフが空転していき、ただ言葉数だけが増長していくような無意味な会話や、アニメやネットスラングを多用した定型的な会話などを指す。そして『デッド』における会話文のほとんどは、そのようなメタ・コミュニケーションによって占められている。

佐々木敦の指摘するオフライン(現実)におけるメタ・コミュニケーションの一般化は、2,000年代前半のメタ・フィクションブームを説明するために持ち出された議論であるが、2000年代後半のtwitter誕生を契機に、事態はより加速したといえるだろう。そしていうまでもないことではあるが、twitterとニュースとは深くつながっている。メタ・コミュニケーションの空間であるtwitterのタイムラインには常にニュースがあふれ、かつiPhone向けのtwitter公式アプリは、ニュースサイトに容易にアクセスし、そのニュースを素早くフォロワーと共有できるようカスタマイズされている。そして当のニュースサイトのほうでも、ニュースの良し/悪し(場合によっては善し/悪しまで)を判断する基準として、twitterでどれだけ拡散されたのかが参照される。すると、出版不況を根拠とした「若者の活字離れ」というクリュセにしても、選挙の投票率の低さを根拠とした「若者の政治離れ」というクリュセにしても、twitterによってほぼ一日中活字とニュースに触れている人間が増えている現代において、何ら意味を持つものではありえないだろう。インターネットによって、あるいはかつてないほど手軽で身近なメディアであるスマートフォンとtwitterによって、現代の日常には活字と活字化されたニュースがあふれている。そしてスマートフォンやtwitterがニュースを氾濫させるツールとして機能しうるようになった原因の一端に、東日本大震災はかかわっている。

東日本大震災が発生した際、電話やメールがつながらないなか、twitterによって友人や家族の安否を確認することができたという事態はよく知られているが、それ以上に震災の被害についての情報が、正確さを企図したTVよりも早く拡散されていたという事態を見逃すわけにはいかない。選挙特番において当選確実を報じる速さをテレビ局同士が競っていることからも明らかなように、ニュースの価値とは正確さよりも速報性にこそあるといえるが、新聞よりも速いメディアとして現れたTVよりも、twitterのほうがより速報性が高い。まさに震災が明らかにしたのは、広く人口に膾炙しており、かつ今現在もっとも速いメディアであるtwitterとニュースとの相性の良さであったのだ。そしておそらく、2015年に世界各地で起こった大規模なデモと、twitterによるニュースの氾濫ないしニュースの日常化には何らかの関係があるように思われるが、詳述は避けよう。とにもかくにも、3.11後の日常を描くということはすなわち、かつてないほど膨大な量のニュース(社会についての情報)に囲まれた生を描くことと同義であり、日常と社会はもはや単純な二項対立によって区切れるものではなくなっているのだ。

すると『デッド』が描き上げたのは、メタ的な生を生きるポストモダン的主体たちの、もっとも社会問題や政治的葛藤とは遠いはずの何気ない日常にすら、メタ・コミュニケーションの消費財としてのニュースを通して、社会問題や政治が入り込んでしまっているという、震災以後の現実であることになる(注2)。だが『デッド』が描き上げたのは、そのような現実の様態だけではない。作品の射程は、震災後の言葉の問題にまで延びている。詳しく見ていこう。

冗長な会話文があふれかえる『デッド』において、言葉は徹底的に無力なものとして描かれている。たとえば、親子げんかによって傷ついた門出を慰めるさいに凰蘭は一言も言葉を発することはなかった(第一巻pp.82~84)し、小比類巻と破局し、悲しみに暮れているキホを慰める手段も、言葉なしの抱擁やおちゃらけた行動であった(第二巻pp. 52~54)。さらに『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』というタイトルがそれ自体無意味であるうえに、扉絵や冒頭部の景色にタイポグラフィとして刻印され、言葉よりもグラフィカルなオブジェとしての側面がしばしば強調されていることからも、『デッド』における言葉の無意味さ・無力さがうかがい知れる。ちなみに、この作品のもっとも有名なセリフである「ゆうべは荻野首相の定例会見があったから、右だの左だの意識の高い一般人様のご高説で今日一日SNSが荒れる。そこで俺は猫の金玉画像を大量投下するわけだ……さすれば奴らは気がつくだろう。右も左も関係ない。社会とは二つで一つの金玉なんだよって…」(第二巻p. 7)は、先述した社会の分断――右翼(作中では「タコ」と呼ばれる)と左翼(作中では「イカ」と呼ばれる)の間を架橋する言語がないこと――を埋めるためのツールとして、言葉ではなく画像を用いているという点でもって、言葉の無力さの例として数え上げることができるかもしれない。以上の例に加えて、第一話の最初の会話文が「おんたん…そのハンドル乗りづらくないの?」「あのさっ!!きのうネットで見たんだけどさッ!!」というすれ違いであったことを指摘しておけば、事態の深刻さが見て取れるだろう。つまり『デッド』において言葉は、友人を慰めるための道具として機能しえないどころか、気の置けない人間同士の何気ないやり取りにおいてすら機能不全をきたしてしまうものなのであり、言葉が十全に機能するのは、唯一メタ・コミュニケーションの場においてのみなのである。

1’、政治は遍在する

この先の議論を明確化するため、ここまでの内容を定式化しておこう。

社会の描写を欠くセカイ系の特徴は、しばしば「想像界と現実界が短絡し、象徴界の描写を欠く」という言葉によって定式化される。この場合の「象徴界」とは「社会の公共的な約束事や常識」を指し、「想像界」とは「恋人や家族など親密圏内部での幻想の世界」を、「現実界」とは「そういう常識も夢もともに壊すリアルなもの」を指す(東前掲書)。これらの概念を用いて『デッド』を公式化すれば、「想像界と現実界の短絡回路に、象徴界が接続された」(象徴界の接続)となる。ここで注意しなければならないのは、本来想像界・現実界・象徴界はボロメオ結びによってつながっているのであり、たがいに絡みあってはいないということである。平たく言えば、想像界・現実界・象徴界は決してまじりあうことはなく、互いに関係しあいながらも別のものであり続けているということなのだが、『デッド』においては、その三つが混然一体となってしまっている。その結果、なにがおこるのか。想像界と現実界の短絡においては、内面がすなわちセカイとなった(私的領域の公化)。対して、「象徴界の接続」によって起こるのは、公的領域の私化である。どういうことか。政治的な立場がそのままアイデンティティとなり、言葉が親密圏の結束を確認するためだけの道具となり果てる世界。社会や政治が親密圏(友)と他者(敵)の二項対立を絶えず生産し、その間を架橋するものが存在しない世界。それが公的領域が私化した世界である。

ここで一つ、補助線を入れよう。蓮實重彦は『反=日本語論』(1977)において、「言葉の政治性」という概念を提唱した。たとえば「犬」という言葉は、当然「犬という概念」や「現実にいる犬」を表象=代行している。それと同時に、「犬」という言葉を選択する際には、「あの四足」とか「あのふわっとしたやつ」とか、「犬」という言葉の代わりに発しえた無数の言葉を切り捨てる作業が行われる。その血なまぐささを隠ぺいするために、「犬」という言葉は「あの四足」などの言葉を代表(=表象)しているのだ、というロジックが作られる。このロジックは民主主義と同形の構造を持っており、言葉は本性からして政治的である、というのが「言葉の政治性」である。対して「象徴界の接続」は、言葉に別種の政治性をもたらす。すなわち、言葉が十全に機能してしまうことが、党派性の証となるということである。もし誰かの発した言葉の意味をあなたが十全に理解できてしまったとしたら、または何かしらの目的を達成しようとして発せられた言葉によって、あなたがその目的を十全に達成してしまったとしたら。そこには、党派性の萌芽が胚胎しているのだ。

むろんこれは原理上の問題であるし、そもそも『デッド』という作品を分析することによって導かれた理路であるため、必ずしもわれわれが生きる現実にそのまま適応しうるものではないだろう。よって震災以後の言葉の問題についてより深く考察するために、ここで文学に目を転じることにしよう。

2、自動詞化と盗むこと――仙田学『盗まれた遺書』について

あるいは、単なる偶然として処理しうることなのかもしれない。ある時代の、ある二人の書き手が、よく似た構成でもって、近しい問題を主題とした作品を書き上げたという事態は、文学史を見ればありふれていることだろう。のみならず、佐々木敦が『ニッポンの文学』(2016)で指摘した通り、1995年以降、純文学は日本文化の全体を描く(仮構する)メディアとしての役目を終えてしまったのだから(「サブカル化」)、純文学のなかであるテーマなり技法なりがどれほどトレンド化していたとしても、そのトレンドをもって時代精神を論じることはできないだろう。とはいえ、その二人の作家のある作品が、震災以後の言葉の問題を扱った『デッド』の導線上にあるとしたならば?そこから2010年代の日本文学を考えるうえでアクチュアルな問題を、いくつか取り出すことができるかもしれない。仙田学「盗まれた遺書」(2013)と福永信「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」(2015)について、詳細に見ていくことにしよう。

「盗まれた遺書」は奇妙な小説である。というのも、冒頭や結末部で示されるとおり、読者が読んでいる文章とは、みつるの書いた遺書を今まさにリアルタイムで書き換えている松彦の文章であるというのだから。つまり、設定上読者が読んでいる文章は、今まさに松彦が書き付けた文章であって、しかもその文章には元ネタがあるという。そのことを強調して、「読者が読むことによって生成する小説」だとか「書くことと読むことの一致」だとか、文芸批評の世界における紋切型を書き付けることは無意味ではないだろうし、実際そのとおりであるようにも思う。とはいえ、そのような解釈や批評をしてしまう読者とは、はたしてその文章を読んでいるといえるのだろうか。もしかしたら、紋切型によってそのように読まされているに過ぎないのではないか…このような不毛にも見える問を発するのは、この小説の主題が「盗む」ことであり、かつ「読むこと」と「書くこと」という小説にとって最も原理的である行為まで、その主題の射程内に入っているからだ。

松彦がリアルタイムで書き付ける文章(物語)は、みつるのものとは別の、一通の「遺書」を中心として展開される。まず、奈緒がみつるの万引きを撮影したことをきっかけに、彼女はみつるに盗撮の共犯者となるよう強制する。それと同時に、彼女は偶然手に入れた何語で書かれているのかもわからない(のちにアフリカーンス語であることが判明する)遺書を解読するようみつるに迫る。その遺書に書き付けられた「シマザキミユキ」という名前と、見覚えのある地名や固有名の拾い読みによって、みつるはみゆきの働く喫茶店の所在地を割り出し、みゆきと接触することに成功する。その後のみつるはみゆきの私物を盗んで部屋に溜め込んだり、かと思えば万引き癖が収まったり再発したりと、「盗む」ことをめぐる紆余曲折を歩むことになるのだが、詳述は避ける。そのかわりここではまず、「書くこと」と「読むこと」がいかにして「盗む」ことにつながるのかを見ていこう。

先述したとおり、リアルタイムで文章を書き換える松彦の位相(以後は便宜的に「テクストのメタレベル」と呼ぶ)においては、「書くこと=書き換えること」がおこなわれており、松彦によって書きつけられる物語内容の位相(以後は便宜的に「テクストのベタレベル」と呼ぶ)においては、みつるによる「英語っぽい単語のあいだを妄想で埋めてるだけ」の遺書解読が行われる。このようなみつるの遺書読解は、文章を「読むこと」一般に敷衍することも可能だろう。なぜなら、ある文章をすべて読み切ることなどできない(読み返すたびに新しい意味や言葉と言葉の関連に気づいたりするし、そもそも人間の記憶力には限界がある)のは自明であり、にもかかわらずそれらしい解釈をすることによって文章を「読解」するというのは、テクストを拾い読みし、その拾った要素を妄想で埋める作業であると同時に、テクストそのものを書き換えてしまう作業でもあるからである。このことから再び「書くことと読むことの一致」という手あかのついた結論を導き出すこともできるだろう。

「手あかが付いている」という感覚は、過去に同じことが繰り返し行われているという事実性に担保されている。いささか敷衍すれば、「書くことと読むことの一致」という読み方が、「文芸批評」や「解釈」というジャンルの中に数多くアーカイブされていることによるだろう。さらに敷衍しよう。「遺書」を「遺書」として書くということは、つまり「遺書」らしい書き方(エクリチュール)なり状況なりで書くことを指し、その「らしさ」はかつて書かれた無数の「遺書」によって決定されている。無論、何が遺書らしいエクリチュールなのかは、それ自体として確定されているわけではない。しかし、「遺書らしさ」という不透明な実態だけが、遺書を書くうえで重荷のようにのしかかってくる。しかし、「盗まれた遺書」において顕著なのは、むしろ「らしさ」が脱臼していくことである。

 

みつるに頼まれたとおり、僕は遺書の内容のうちお姉さんに必要な部分だけを選んで並べなおし、知らないだろう事実をおぎなって、すべてを書き換えているところです。書き換えたこの遺書は、後でうちのアパートの郵便受けに入れておきます。(後略)/この遺書を、おそらくみつるは書き換えてしまうはずです。/(前略)ただ、ぼく自身が伝えたいことにまでは、踏みこんでこないことを願うばかりです。(以後、引用中の/はすべて改行を指す)

 

松彦は、みつるの遺書を書き換えることによって何かを伝えようとしているらしい。すると郵便受けに入れられる松彦の文章は、幾分か「手紙」じみている。しかし松彦は自らの文章を指して「この遺書」と呼んでいる。だが何よりも不可解なのは、みつるによって書き換えられてしまうことを承知で、松彦が書き始めているということだ。無論、この事態に誤読されること=書き換えられてしまうことを承知で文章を書く、という作家のテーマを見出すのもよいかもしれないが、事態はむしろ、「らしさ」を拒む身振りとしての一面が顕著である。どういうことか。

松彦における「書くこと」とよく似た事態が、みつるにおける「万引き」においても起こっている。はじめみつるは「聖書」を盗むことによって生活を豊かにしていた。特に理由もなく聖書を盗み、それをため込むことによって、みつるの欲望は満たされていたのだ。しかし、みつるは盗んだ聖書を生活のために売ってしまう。すると、みつるは急に「売ったことへの後悔」によって苦しみ始める。その苦しみを埋めるかのように、「食事や排泄や睡眠に喜びを与えてくれたのは、聖書を盗む行為そのものではなく、盗んだ聖書を手もとに置いておくことだったのだ。そしてそれは、聖書である必要すらないのかもしれない。」と語り、「万引き」らしくない「万引き」を始めるようになる(「商店街を歩き散らして、あちこちの店からすこしずつ商品をせしめ、家をでるときには空だったバッグがいっぱいになるたびに荷物を置きに帰るのです。」)。そのようにして部屋の中を万引きした品物でいっぱいにしたみつるは、「それらを支えるためだけのものをまた万引きに」行くようになり、ついには「盗むためにまた盗む生活をつづけて」いくことになる。

さらによく似た事態は、奈緒における「盗撮」にも起こっている。奈緒は「撮りたくて撮っているわけではこれっぽちもない。繁華街で隠し撮りをした女の画像を、高額の会費を払った会員しか閲覧できないサイトに売って、フリーカメラマンとしてだけでは足りないぶんの収入をおぎなっている。そんな説明は、だが奈緒が撮っていることと何のかかわりもない気がした」。松彦の「書くこと」、みつるの「万引き」、奈緒の「盗撮」に共通しているのは、行為の自動詞化、つまり自己目的化である。

行為の自動詞化については、テクストのベタレベルにおける(つまり、書くことではなく盗むことをやっている)松彦がもっともわかりやすい例として挙げられる。松彦は「テン・サウザント・タイムズ・ピッカー」という、「盗みたいという以外の何の動機もなく万引きをする者」が「霊的に高い段階にいる存在と目される」サークルを主催している。ここで注目しなければならないのが、松彦の人物描写である。

 

男の口もとから鼻を遠ざけてみても、饐えたようなにおいはいっこうに弱まりません。どうやら口臭ではなく、もう長いあいだ洗っていないらしい、服から立ち上るにおいのようでした。

 

さきほどは顔を背けたほどだったにおいが、鼻になじんでしまった、というよりはじめから自分のものだったような気がしはじめる

 

松彦の空っぽの財布を拾ったみつるは、しばらく止めていた万引きをやってしまい、かつ、松彦の服に染みついた臭いを「自分のもの」として引き受けることによって、松彦に感化されたかのように、万引き癖が再発してしまう。ではなぜ、万引き癖は再発してしまったのか?それは、行為の自己目的化と「ため込む」ことが結びついているからである。みつるが盗むために盗んでいたのは、万引きした品物をため込んだ時だった。また、みつるがみゆきの衣服を盗んでいた時、彼はみゆきの衣服をため込んでいて、みゆきが盗まれた衣類をすべて捨て去った時、みつるはみゆきの服を一時的に盗まなくなった。つまり、「盗まれた遺書」というテクストにおいては、(因果関係があろうとなかろうと)何かを行う→その行動によって、何かがため込まれる→ため込まれた量が閾値を超えると、欲望が独り歩きし、当初の因果関係から切断された自己目的化が起こる、という法則がある。現にメタレベルにおける松彦も、当初は何かを伝えようとして書き換えていた遺書の結末部に「遺書を読みこめば読みこむほど、自分のもとに届いたことが当然のように思えてならなくなってくる。まるで自分がいつか書いたもののようだった。だから、いつしか書き換えていた。書き換えても書き換えても、うまく書き換え終わることができない」と記し、挙句の果てには「まったく身におぼえのない過去をあたらしく書いていく」ようになる。これは明らかに書くことの自動詞化であるし、「読むこと=みつるの文章を記憶にため込む」ことによって、欲望の独り歩きが起こっている。このような状況は、もはや書いているというよりも、ため込まれた「アーカイブ」によって書かされていると表現したほうが正確であろう。

無論書くことの自動詞化はエクリチュールの問題でもある。書くために書くということは、「~として」書くのでも「~のために」書くのでもない、なにものでもない透明なエクリチュールによってなされる。「遺書として書く」という理由から切り離され自己目的化した彼の文章は、まさに「~らしさ」からずれることによって、バルト的な意味での「零度」を生産するのである。では、「~らしさ」から逃れることによって、いったい何が起こるのか?そのことを考えるために、ここで「盗まれた遺書」における特殊な文体に注目しよう。

ロラン・バルトは『零度のエクリチュール』(1953)において、文体を個人的なものであり、かつ生物学的な身体などの特徴によって規定されるもの(個人の意思によって変えることのできないもの)だと定義した。しかし仙田学の文体は決して統一されておらず、その奇妙かつブレの激しい文体は、批評家の渡部直己をして「性別不明」とまで言わしめた。なぜ、仙田の文体はブレるのか?当然理由は複数ある。もっとも単純なのは、語りの最中に視点人物がたびたび入れ替わることによるものだ。語り手が変われば、必ず語りの文体が変わる。だがそれにしても、今この瞬間に松彦が書き付けている文章の語り手がたびたび入れ替わるとは、あまりにも奇妙な事態ではないだろうか。すでに複数の視点による語りが入っているみつるの遺書を書き換える松彦は、みつるの文章を書き換えているというよりも、複数の語り手の語りを書き換えているといったほうが正しいのではないか。いや、それでも遺書を書いたのはみつるなのだから、みつるの文章を書き換えているといったほうが正しいのではないか。いや、そもそも「遺書として」書くとは過去に書かれた無数の遺書を範として書く=書き換える行為なのだから…といった循環をもたらす「盗まれた遺書」というテクストは、いうなれば複数人によって書かれている。というよりも、書くとは常にかつて書かれたものの書きかえであるのだから、書くことは原理的に、常に複数人によってなされる。書くことの複数性の表現としての文体のブレ、これが仙田の文体を規定するもう一つの要素となる。

「盗まれた遺書」において「書くこと」と「読むこと」が一致しているとするならば、「読むこと」にも当然自己目的化=自動詞化と複数性を想定しなければならない。読むことの自動詞化は、作中においてフェティシズムとしてあらわされる。先に述べたとおり、原理的にある文章のすべてを読み切ることはできない。そのために、みゆきについて知ろうと思ったみつるが「みゆきさん自身より、みゆきさんのまわりにあるもののほうに近づいて」いったように、また奈緒が人間の全体ではなく、体の部位ばかり盗撮していたように、読むことはある断片=部位を収集していくフェティシズムに似てしまう。もし、かつて読まれた仕方に倣って読むこと――それは批評的なクリュセによった読みでもいいし、感動をありがとう!といった平凡な読みでもいい――のもつ、読むことの複数性を受け入れるならば、断片の集積の間を「妄想によって埋める」ことができるだろう。しかし、「~らしく」読むのではなく、ただ読むことが自己目的化してしまったとしたら、「空でいえるほど繰り返し読」むことによって、すべての断片を集積してしまうか、「自分のことが書いてある」かのように錯覚してしまうか、の二択しか解決策はないだろう。そして「自分のことが書いてある」と錯覚することと、その文章を書き換えてしまうことは、等価な行為である。むろん、「~らしく」読まない「読むことの自動詞化」と等価である、「書き換えること」に求められるエクリチュールは、当然「~らしく」書かないエクリチュールであるだろう。

3、痕跡と改ざん可能性――福永信「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」

「盗まれた遺書」について結論めいたことを述べる前に、よく似た構造を持った、同じく10年代に書かれた作品である「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」について見ていこう。

「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」は、雑誌のライターをやっている「おれ」が「変死体が転がっているからそれを見てきなさい」というメールをきっかけに死にかけの「仏さん」と出会い、その「仏さん」が異様に長いうえ要領を得ない奇妙なダイイングメッセージを書く様を、「おれ」が自ら主観を交えつつ記録する、という小説である。「おれ」は小説の語り手であり、かつこの小説の書き手でもある。読者が目撃するのは、今まさにこの小説を書いている「おれ」――とはいえ、「おれ」はこの小説のタイトルを「異色のダイイングメッセージについての俺の経験」と題しているのだが――であり、小説の読み手(かつ聞き手)として設定されている作中人物「あんた」は、読者である我々と近い立場にいる(所謂、中心紋の構造である)。

小説における書き手(作者)と語り手、読み手(読者)と聞き手は、ジュラール・ジュネット『物語のディスクール』(1972)を持ち出すまでもなく、全く違う位相にいる。本という物質を挟んで対峙するのが作者―読者であり、語り手―聞き手はあくまで本(フィクション)の中での関係である。「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」ではしかし、本の中と外は区別されない。おおざっぱに言ってしまえば、この作品は今この作品を書いている(語っている)「おれ」/「おれ」の語りを聞く(読む)「あなた」と、「おれ」に語られる「死にかけの「仏さん」/「仏さん」の語りを聞く「おれ」という二層構造からなり、どちらの層においても語り手は口頭で語る能力を持ちあわせていないため、異常なまでの雄弁さを以て書くことを語ることに一致させていく(「言うこと〈書くこと〉」)。そのことが「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」と「異色のダイイングメッセージについての俺の経験」を一致させ、「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」は、書きながら(語りながら)死にかけている「おれ」(「おれ自身の意識がはっきりしてるうちに~」。また、「あなた」に対して「笑うなよ、頼むから」ということによって、「おれ」がこの作品を口頭で語っているかのように錯覚させた後、実は、語っているのではなく書いているのだと明かすことは、「おれ」の意識がはっきりしなくなっていることも相まって、「おれ」は今「仏さん」と同じような状況下にいるのでは?と推測させる)のダイイングメッセージとなる。

つまり「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」は、「仏さん」のダイイングメッセージを記録した側面(この側面は作中「異色のダイイングメッセージについての俺の経験」と呼ばれる)をもちながら、かつ「おれ」のダイイングメッセージでもあるのだ。

 

心ある様々な関係者に読んでもらうことで、ああ、これは、あいつのことだな、あのことを書いているんだな、と、時間をかけることでようやくわかるような、読者自身が積極的に参加して、なんていうのかな、ほのめかすというと言葉が悪いかもしれないけれども、ある種のヒントだけを書いておいて、読む側が自分で考えることができればそれでいい(中略)「こんなことを訴えたかった」というダイイングメッセージになることだけは死んでも避けたいね。

 

「仏さん」は、「犯人について書いてこそのダイイングメッセージ」と語りながら、一方でこの引用部にみられるとおり、はっきりとしたメッセージ性のあるダイイングメッセージを忌避する。このメッセージ性への拒否を敷衍して、「仏さん」の「指示」や「伝達」への抵抗と名指そう。というのも、「仏さん」は「言葉の力」への異常なこだわりを見せており、例えば「おれ」から「『カっとなる』とかそのような反応を引きだしたことは『言葉の力』のたまものなのである」と、言葉を発することによって相手に何かしらの行為をさせる、言葉の対象指示的でない、パフォーマティブな側面を称揚し、一方ライターである「おれ」が「仏さん」を殺した犯人の名前を直接記事に載せようとしたことには難色を示した(「そんなのは言葉の力ではないのよ」)。言葉による「指示」・「伝達」の無力感を「痛みを感じてないな、いや、感じていたとしても、それをどうやっておまえさんに伝えることができるのかね」と語ることによって表現する「仏さん」が、「おれ」の書く「読者の興味本位の視線を集めるための記事」を「ちんぷな原稿」と呼びながらも擁護する(「興味本位の最初の下衆な心を忘れないでくれ」)のは、「おれ」の原稿が内容としては、つまりコンスタティブな面においては「ゴミ文章」であったとしても、パフォーマティブな側面においては「言葉の力」を実現しているからだろう。「読む側が自分で考える」ことを求める彼のダイイングメッセージは、明らかに「『謎の手法』を通じて、作品に対する読者の注意力を喚起する」「フォークナー的な試練」(渡部直己『小説技術論』、2015 )と同質なものであり、メッセージのよくわからなさが読者の注意を惹き、様々に解釈させるという、パフォーマティブな「言葉の力」の実現を狙ったものである。しかし「仏さん」の用いる言葉にはもう一つ、別の側面がある。

言葉のもう一つの側面の最もわかりやすい例が、分解された言葉たち(「人ラ」=今、「ウハ」=穴、「ウハエ」=空、「一一一一口」=言「○○」→「8」→「∞」)である。「仏さん」はいったい、日本語を形象へと分解することを通して何をやろうとしているのだろうか。東浩紀によるジャック・デリダ『グラマトロジーについて』の読解を参考にしよう。デリダは言葉の本質を「絵だか文字だかよくわからない、刻み目のようなもの」に求め、「自然にもできる」「刻み目」が「文字のように見えてしまうこと」を「自然のなかに魂を発見してしまうこと」として考えた(東浩紀編『思想地図βvol.3 日本2.0』、2012) 。簡潔に表現すれば、「人ラ」とは刻み目のような痕跡であり、かつ意味を持った言葉でもあるのだ。つまり分解された文字たちの存在は、書くことと語ることが一致したこの小説の言葉たちに「痕跡」というレイヤーを付け加える。このことはつまり、黒いインクによって『すばる』に印刷された活字たちが、同時に模様や痕跡でしかない――作品の設定上、「仏さん」の言葉はすべて血文字によって書かれたダイイングメッセージであり、スプリンクラーなどによって容易にかき消されてしまう――という事実を意識させる。

文字や言葉が痕跡に過ぎないことは、「おれ」が「異色のダイイングメッセージについての俺の経験」を書く理由とも深くかかわる。「仏さん」のダイイングメッセージを記録することについて「全文はおれがこうして書き残すことでしか示せないのが遺憾だが、とうとう犯人については全くメッセージを残さなかったこの奇妙なダイイングメッセージのナゾをおれに代わって読み解いてほしい。」と語る「おれ」は、同時に「あんたはおれが犯人に関する仏さんの記述を意図的に隠ぺいしているとでも思っているだろうが、おれはそんなちんぽなことはしません」と留保を置く。もともとが血文字で書かれたダイイングメッセージであった上に、途中メールが来たからと言って読むことを放棄し、かつ記憶によってその全体像を記録している「おれ」が、いくら記述の真正性を主張したところで意味はないのだが、それはおいておこう。問題は、「おれ」が「こうして書いているおれの言葉があんたによって改ざんされる可能性もある」という懸念を表明していることだ。どういうことか。

前章の問題は、原理的にある文章のすべてを読み切ることができないのだから、1、丸暗記するか 2、自分の経験として書き換えるかすることによって、ある文章を自分のものとしてしまう=盗んでしまえばいい、という点にあった。しかし、「盗まれた遺書」の結末は、むしろ読むこと=書くことを自動詞化しようが、盗むことが不可能であることを示唆していた。

 

遺書を読みこめば読みこむほど、自分のもとに届いたことが当然のように思えてならなくなってくる。まるで自分がいつか書いたもののようだった。だから、いつしか書き換えていた。書き換えても書き換えても、うまく書き換え終わることができない。(「盗まれた遺書」)

 

なぜ、盗むことは不可能なのか?「未来の君へのダイイングメッセージ」は、その答えを提示する。そもそもこの作品自体、他者のダイイングメッセージをまるまる記録したものを「俺の体験」と名指したものであり、まさに仙田学的「盗み」の実践によって成り立っているのだ。

「盗まれた遺書」と「未来の君へのダイイングメッセージ」の最大の違いは、後者においては「盗み」の過程において、痕跡としての文字の脆弱さが強調されている点である。文字は平気で読み飛ばされ、気づけば形象に分解されてしまうし(「人ラ」)、かつちょっとした事故によってかき消されてしまう。文字という媒体が絡む以上、そもそも伝達の過程においてエラーを避けることができないのだ。しかも、そのようなエラーを超えて何とか全文を記録(丸暗記)したとしても、そこから本当に知りたいことを抜き出すことができるとは限らない。「未来の君へのダイイングメッセージ」は、「盗まれた遺書」の問題を、文字という媒体の脆弱さの問題として引き受けたといえる。

では、福永は「盗む」ことの不可能性に対し、どのような態度をとるのか。先に述べたとおり文字という媒体が脆弱である以上、言葉は「改ざんされる可能性もある」。そのような事実性を受け入れたうえで、書き手は「人ラ(今)を生きている人間」を「信頼」するしかない。つまり、他者の言葉を「俺の経験」として「盗む」のではなく、むしろ「未来」の「君」へと、諦念と表裏一体の「信頼」でもって送り出すことにしか希望はない。決して伝わることのない、謎のままである文章たちを、「解釈」するのでもなく「盗む」のでもなく、謎は謎のままで伝えていくこと。おそらく、伝えられた言葉たちが正しく解釈されることはないし、それどころか原形をとどめもしないのだろう。いや、もっと悪いことに、活字のあふれる現代において、謎のままである文章などすぐにロストし、ネットの海の奥深くにまで落ちて行き忘れ去られてしまうのだろう。それでも、「未来を生きる君」を信じて、脆弱であるがゆえに現在進行形で死んでいるメッセージ=ダイイングメッセージを送り続けていくこと。それこそが、福永信が読者に送ったダイイングメッセージなのである。

終章

3.11以後の言葉の問題について考察した『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』から始めて、本論は分断された社会における、親密圏の中でしか機能しない無力な言葉とどう向き合えばよいのか、という問題に答えを出すことができた。スマートフォンやtwitterの存在によって、3.11後の社会はニュースが偏在し、想像界と現実界の短絡路に象徴界が接続してしまった。そのことによって社会はむしろ人々を分断するものとして機能するようになり、言葉は親密圏(党派性)におけるメタ・コミュニケーションの道具に成りはててしまった。むろん、この理路はデストピアを描いた漫画から導かれた理路であり、現実における親密圏同士の交流の可能性は、まだ十分あるのかもしれない。

とはいえ、文学の領域においても他者の言葉の読解可能性をめぐる思索が少なからず出てきており、そのなかでも「盗まれた遺書」と「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」の二作は、『デッド』の提示した思索を深めるうえで適切だと思われた。その結果、言葉が文字という媒介を持つ限り、現在進行形で死に向かうしかない=ダイイングメッセージであるしかないのだから、我々にできるのは「未来を生きる君」を信じて、メッセージを伝え続けることなのだ、という結論が出た。むろん、1995年以降「サブカル化」した文学の思索をもって現実の分析とすることは、今や困難なのかもしれない。結局は、この批評文を読んだ読者諸氏にとって、以上の理路がどれだけ共感に足るものであったのかにかけるしかないのだろう。本論は、いままさに未来の君に向かって投げ出されたのだ。

付章

「未来」の「君」に向かって謎を謎のまま伝えるとはすなわち、「わたし」の親密圏(党派性)に参入してくれるよう要請することであり、結局はメタ・コミュニケーションである。というのも、「未来」の誰かとは「他者」でしかありえないはずで、「君」という親密な対象であることは絶対にないからだ。すると、「君」を信じて謎のダイイングメッセージを送り続けるしかないという結論は、結局メタ・コミュニケーションによってしかつながることができない、親密圏に閉じこもるわれわれの生を投射してしまっているのではないか。つまり論旨は、一周回って第一章へと戻ってしまったのではないか。福永は、明らかにそのことに気づいている。

 

ほんとにバカげてるよ。おれはウソでも「感動した」とそう言うべきだったんだ。仏さんが書いてきたダイイングメッセージに対して、嘘でもそう言ってやるべきだったんだよ。バカすぎるよ。バカバカしい。分かってる。バカすぎるよね。気づくのが遅すぎた。(「未来を生きる君へのダイイングメッセージ」)

 

アイロニーを存分に込めつつ、メタ・コミュニケーションの肯定によって終わる結末。福永の思索は、『デッド』の浅野と同じ地点に着地している。

我々は今、出来の悪い反復の中にいる。渡部直己が『小説技術論』において指摘した通り、2010年代とは1930年代の反復である。1923年に関東大震災が起こり、左翼の瓦解と右翼勃興が起こり、文学においてはメタフィクションが流行した後、横光利一の「四人称」がでてきた。2011年には東日本大震災が起こり、右翼が勃興し、メタフィクションの時代であるゼロ年代の後、現代には「移人称」という、一人称と三人称のハイブリッドが生まれた。2016年はつまり、戦争を挟んで昭和へと回帰してしまっている。すると、人々を分断させる言葉について考えることは、すなわち戦前としての現在を考えることと同義であるだろう。

だからこそ、かならずしも明るい結論を導けずとも、現代に文学は必要である。危機の時代であるからこそ、一層意味を持つ文学。言葉が無能力であるからこそ、言葉について自己言及することが求められる文学。そのことによってのみ、対立をもたらす点において政治的である言葉をメディウムとする文学は、メタ・コミュニケーションによる分断から逃れうるのだろう。

 

 

(注1)http://spi-net.jp/weekly/comic022.html (最終閲覧日時3月3日19:25)
(注2)東浩紀は『動物化するポストモダン』(2001)において、ポストモダン的主体のモデルをアニメ・ゲームオタクに求めた。そのことと2000年代の「オタク」のステレオタイプが、社交や政治参加に積極的ではない、内向的な存在であったこととを考えあわせると、twitterにおいてアニメアイコンの人間が、政治について昼夜を問わずなにかしらのメンションをしている2016年という時代の特性が際立ってくるだろう。ちなみに『デッド』第三巻には、ヤフー知恵袋を模した質問サイトの政治・社会カテゴリを熱心に読む小学生が描かれてもいる。

 

 

 

 

 

 

0.

批評家、東浩紀は、「批評の再生」のための教育的事業「批評再生塾」を開講するにあたり、さしあたって二つのことをしたといえる。ひとつには、主任講師として批評家佐々木敦を招聘すること。もうひとつは、この時代、2015年から25年という10年間に、「昭和90年代」という名づけを行うこと、である。批評家が時代に対し、ある「名前」を与えること。そしてそれに伴い「批評の再生」を謳った事業を始めること。このことの意味への思考がなければ、「塾生」の存在意義は無に帰してしまうだろう。

 

したがって、「批評再生塾塾生」たるものが課せられているのは、ひとつには、「昭和90年代」の指し示す内容を定義することである。そしてその定義の中には、なぜ「批評の再生」が求められるのかについての明確な応答がなければならない。しかしそれだけでは十分ではない。この表明は、パフォーマティブに行われるのではなく、あくまで「批評再生とは、しかじかのものである」と、テキストとして提出されねばならない。このことは、批評再生塾の主任講師が、佐々木敦である、という点にかかわる。佐々木敦は、批評再生塾開講の前年まで、映画美学校において「批評家養成ギブス」の主任講師をしていたが、その概要文で次のように述べている。

 

批評とは、まず第一に「世界」に対する感応と、そこから開始される思考と、それを外へと開いてゆくための方法のことだ。膨大な事象と情報の交錯の中から、自分にとって価値と意味のある何かを発見し、それらと自分自身の間で何が起きているのかを考え抜き、そしてその考え自体を他者へと伝達可能なものへと変換する技術、それが批評である。批評とは何よりもまず言葉によるものだが、批評力の訓練の効用は文筆の範疇のみには留まらない。

 

ここで佐々木は、「批評」について、「何よりもまず言葉による」と前置きしつつ、「文筆の範疇のみには留まらない」と、批評文を書くことによって養成される、批評的な「態度」をこそ重視しているが、批評再生塾の開講宣言文においては、

 

批評という営み/試みの定義は一通りではないが、いずれにせよ、それは「~についての言説」である。

 

と述べ、「言説」である点を前景化させている。批評的であることの定義についての、佐々木敦の態度変更の意味をつかみ取るためには、書き付けられた「言説」の形で「批評再生」の定義を行い、それを「書く」という体験自体を「読み」解きながらまた「書く」という循環運動の中に、身と精神をともに投じなければならない。その結果として、「昭和90年代」の内容を明示し、そしてそれを「批評」=「読みの言説化」を試みた痕跡を残し、「批評再生塾」の「外に出る」こと。この批評の目的はここにある。

 

まとめよう。「批評再生塾」の「最終課題」に対する応答としての当批評は、次のような意図で書かれる。

 

1.「昭和90年代」の内容を示し、その内容と「批評再生」の関係を明らかにすること。

2.自ら指し示した内容を読解すること。

3.「書く」ことによって「昭和90年代」の「外」にでること。

 

 

 

1‐1.批評と言語

さしあたって問題になるのは、「昭和90年代」という同時代への名づけについてどう考えればいいか、ということである。この名づけの意味を言語化するには、「名づける」という行為一般についての思考を経由する必要がある。かつて、批評家ベンヤミンは、「複製技術時代の芸術作品」(初稿1935)を書くことによって、彼の時代を、彼のテクストの名に含まれた名で呼んだ。このテクストの内在的な読解はいったん措き、彼の時代の新しい「芸術」と、その芸術の生息している「時代」の関係を、どちらが「主」で、どちらが「従」かという点にとらわれず、どちらをも「名づけ」の対象として語りえている、という点を指摘しておくにとどめる。「芸術」の側から「時代」を考えるのでも、「時代」の側から「芸術」を考えるのでもない、ということだ。言い換えれば、常に、時代と芸術の「関係」をつむぎだすような視点から書くことに成功していた、ということである。

だが、書かれた「名」としての言葉は常に一つの対象を名指してしまう。ある二つの互いに関係する事柄に対して、主従を問わない視点をベンヤミンが持っていた、ということを、ある事柄、――「芸術」について、「時代」についての―に対して与えられた文章から証拠立てることはできない。結局、文章は順序の中で一語ずつ書かれるしかない。だが、「関係」への視点の存在を読み取ることができる文章が存在しないわけではない。彼がその二つの事柄の「関係自体」を記述する可能性にたどりつきながら、それを果たさなかった「分析者=人間」たちへの(不満の)言葉という形で現れている。

 

歴史の広大な時空のなかでは、人間集団の存在様式が相対的に変化するのにともなって、人間の知覚のあり方もまた変化する。人間の知覚が組織されるあり方――知覚を生じさせる媒体(Medium〔メディア〕)は、自然の条件のみならず、歴史的な条件にも制約されている。(中略)ヴィーン派の学者たち、リーグルとヴィックホフは、この芸術から、それが栄えていた、時代の知覚がどう組織されていたか推論することを思いついた、最初の人びとであった。(中略)この研究者たちは、後期ローマ時代の知覚に特有の形式的な特徴を指摘するだけで満足してしまったのである。この知覚の変化に表現されていた、社会的な大変動を明らかにすることを彼らは試みなかったし、またそんなことはできないと思っていたのかもしれない。(筑摩書房『ベンヤミンコレクションⅠ』所収「複製技術時代の芸術作品」 )

 

ここで、「人びと」への言及があるのは、たんに不徹底を批判するためではない。ベンヤミンが、言葉を扱う「人びと」に対して、ある仕事を期待していたからだ。そのことは、彼の初期の論考「言語一般および人間の言語について」(1916成立、以下、「言語一般および」と略す)に見える言語観を参照することで説明することができる。

 

1‐2

ベンヤミンの言語観、そしてその言語における人間の役割とは、どのようなものだろうか。「言語一般および」から、ベンヤミンの言語の定義を引用する。

 

(前略)言語とは、(中略)精神的内容の伝達を目指す原理を意味している。(中略)生ある自然のうちにも生なき自然の中にも、ある一定の仕方で言語に関与していない出来事や事物は存在しない。

 

さらにベンヤミンは、言語とは純粋な媒介であるという。媒介とはどういうことだろうか。ここで、「伝達は、言語によってではなく、言語においてなされる」、という、「言語一般および」にあるベンヤミン自身の別の言葉を参照してみる。「よって」と「おいて」にはどのような違いがあるのか。

「よって」の場合には、言語が伝達するのは、言語以外のなにかに結び付けられた対象だということになる。つまり、言語に「よって」という伝達の場合には、言語の媒介の外側にあるなにかが伝達されるということだ。この「よって」的伝達の不毛さは、『ガリバー旅行記』の学者島での会話を思い出せば理解しやすいかもしれない。『ガリバー』の学者島では、「ある石」について伝達するために、その「石」そのものを持ってこなければ会話が成立しないことになっている。石という記号だけでは、「石」そのものを共有することができないからである。もちろん、『ガリバー』では、その学者的厳密さを風刺しているのだが。

 

それに対して、「言語において」の伝達ではどのようなことがいえるのか。言語に「おいて」といった場合に、言語はなにか伝達せねばならない対象は持たない。にもかかわらず、言語に「おいて」、伝達は生起してしまうものなのだ。

つまり、言語に「おいて」の伝達とは、発信者にとっての「伝えるべき対象」は存在せず、しかしその「媒介」を受け取ったものは、その「媒介」についてなんらかの知覚が発生する、その現象全体が「言語」であるというのである。

 

言語を、「ある媒介における精神的な現象」と定義した上で、さらに、ベンヤミンは言語を三つに分割する。人間の言語、事物の言語、そして神の言語である。ベンヤミンは、旧約聖書の万物創世に依りながら、その3分割の根拠と、それぞれの言語の特質を見ていく。

 

人間の言語については、この論考の趣旨、「批評」行為に密接に関係するため後述することにし、まず「神の言語」と「事物の言語」についてみてみよう。

神の言語は、創造し、同時に認識する性質を持っているものである。

「光あれと神は言った。すると光は生まれた。神はそれを見てよしとされた」

神がその名を呼ぶと、呼ばれたところのものが存在し、次いで神がそれを呼んだところのものだと認識するリズムをベンヤミンはここに見ている。

神の言語によって創造されるのは、まず事物である。事物の言語とは、神との関係においては、呼びかけられて存在を始めること自体だ。つまり、神と事物の関係内では、事物は神の「言葉=媒介」なしに存在することができない。そして神もまた、呼びかけにこたえ存在を始める事物なしには、それを認識することはできない。つまり、言葉という媒介の上で、神は媒介において創造し、事物は媒介において存在しはじめ、その存在において神は事物を認識する。この順序=リズムが、神の言語である。

 

ベンヤミンが人間の言語についてのべるとき、人間の創造についてだけ、材料が明記されてあることを指摘する。旧約聖書中、人間は土=事物から作られる。そして神は人間に事物を支配させるために、神の言語のうち、認識し、名づける特性を譲り渡したという。

そのような出自を持つ人間の言語は必然的に次のような二つの特性を持つことになる。第一に、神の呼びかけによって生まれた事物から作られたがゆえに、存在していることにおいて、神が彼に呼びかけた言葉において存在しているということ。第二に、事物を認識し、名づける力を、神が人間に譲渡したゆえに、人間は事物に対して名を与えるという現象が起きるということである。

この言語観を見たときに知覚される状況とは、旧約聖書に依拠するベンヤミンの言語観においては、人間は、「事物」という側面と、「人間」という側面に分裂している、ということになる。つまり、人間は、事物=名づけられるべき存在であると同時に、神からの力の譲渡を受けた「人間」として名づけるべき存在であることの分裂である。そして、「神からの権利の譲渡」という「言語=媒介」が神と人間との間にあるために、人間は「名づけ」という行為を行うことで、「神」との間の言語現象を全うするのだ。

しかしベンヤミンは、神から人間へ「名づけの力」が譲渡されたことを言祝いでいたというわけでは決してない。

 

事物は神のなか以外には固有名をもたない。というのは、神は創造する言語において、事物を、むろんその固有名を呼んで生ぜしめたのだから。これに対して、人間たちの言語においては、事物は過剰に命名されている。人間の言語が事物の言語に対してもつ関係の中には、近似的に「過剰命名」と言い表せるものが混じりこんでいる。それはつまり、すべての悲しみの、そして(事物の側から見た)すべての沈黙のきわめて深い言語的原因をなす、過剰命名である。悲しみにあるものの言語的本質としてのこの過剰命名は、言語がもつもうひとつ別の注目すべき関係を指し示している。それは過剰に規定されてあるということであって、話す能力をもつ人間たちの諸言語間の、その悲劇的な関係のなかで支配しているのは、この、過剰に規定されてあるということなのだ。(「言語一般および」より)

 

ここでいわれているのは、事物とはその存在が始まるときにすでに神によって「名」を与えられているので、人間による「名づけ」は、その事物を、その元のあり方から疎外するような、過剰な規定に貶める、ということだ。

この認識において、人間の言語状況がおかれた分裂はさらに苛烈なものとなる。人間は、神に名づけの力を譲渡されているが故に、事物に名づけざるをえない。一方その名づけは、事物には神の呼びかけという真の名がすでに与えられているがゆえに、人間による名づけは必ず事物を過剰命名の状態に陥れる。このような言語に対する認識を持ちながら、なお「名づけ」=批評を行うことは可能だろうか。しかし現にベンヤミンは、「複製技術時代の芸術作品」をこの20年後に書いた。

 

1‐3

前の節で見たのは次の3点である。ベンヤミンの言語観において、「言語」とは、ある「媒介」を共有しているもの同士の精神の中で、なんらかの内容が生じるという現象である、ということ。もうひとつは、人間の「言語」が、事物の側面=名づけられる客体と人間の側面=名づける主体に分裂してしまうということである。そして、人間の「名づけ」は、神によって与えられた固有名をもつ事物に対し、過剰命名となってしまうということだ。こうして迂回を経た目的は、ベンヤミンのテクストにおける目線、「芸術」と「時代」どちらかだけによらず、その「関係」を見る目線は、どのような言語観によっているか、ということを考えるためだった。この言語観を「批評」に結びつけるには、なおもうすこしの迂回が必要である。ベンヤミンは、「芸術」を媒介にしておこる精神現象(つまり、「芸術」の言語ということだが)は、事物言語のカテゴリーに含めている。つまり、「芸術」は、人間の言語のうち、神から譲渡された名づけの言語ではなく神と事物の間で起こっている、呼びかけと存在の精神現象のほうに属するということだ。ところで、ここまで、ベンヤミンの「言語=媒介」説を見てきたが、その媒介されている関係の種類については、神と事物、神と人間、人間と事物という別のカテゴリーしか見てこなかった。

しかし、ベンヤミンは、事物同士の関係についても述べている。

 

彫刻や絵画の言語は、ある種の事物言語と呼べるもののうちに根拠づけられており、これら彫刻や絵画の言語においては、事物の言語の、無限に工事の言語への、といってもおそらくは同じ圏域内にある言語への翻訳が存在している――そう考えることは十分に可能だろう。ここで問題となっているのは、名を欠いた非音響的な言語、物質から成る言語である。その場合、事物のあいだでの伝達においては、事物の物質的共同性がはたらいていると考えられる。

付言すれば、この事物間での伝達は、必ずや、そもそも世界というものを分化せざる全体として包括するような、そういった種類の共同性によるものであるにちがいない。(「言語一般および」)

 

この引用部分において、なぜベンヤミンが、「時代」と「芸術」への「関係」へのまなざしを持ちえたか、という1-1で提起した疑問に答えることができるようになる。「芸術」が事物言語のカテゴリーに属する言語に基づいており、人間もまた事物の側面をもつものであれば、人間は芸術に対し沈黙のうちに言語関係を持ちうる。さらに、事物の言語が、「世界というものを分化せざる全体として包括」する「共同性」を持つならば、それを、「時代」というカテゴリーに敷衍することもまた可能である。

しかし、ここには、「世界というものを分化せざる全体として包括する」というホーリズム的な危険な立場がある。実際、ベンヤミン自身、この論考の末尾を、「一切の高次の言語は低次の言語の翻訳であって、その最高次元において、究極の明澄さにつつまれて、言語の運動の統一性に他ならない神の言葉がみずからを展開するのだ」と、調子の高すぎる一文で締めくくってはいる。

だが時代を下って、「複製技術時代の芸術作品」の頃にはすでに、いかにファシズムに対抗するか、という問題意識が前景化していたベンヤミンは、このホーリズムを避けるにあたって、先には「事物に対する過剰命名」の原因とした、人間の名づけの言語の可能性を見出していたといえないだろうか。人間の名づけはつねに、神の名づけた事物の真の名を言い当てず、事物は悲しみのうちに沈黙しつづけるだろう。しかし人間は、また事物でもあり、その悲しみを分かちもつことができる。そして人間は人間であることによって、ほかの人間が「名づけ」ざるをえないことを知っているのであって、だからこそ、「人間」が行う名づけに対して、その痕跡としてのテクストに対して、また別の「名=言葉」を与える必要がある。当論考において「関係」と呼んだものは、「他の人間がなした名づけ」である。この「他の人間がなした名づけ」への「再命名」こそ、「批評」なのだ。

 

1-4

「批評」とは「他の人間がなした名づけ」行為への「再命名」であるといった。

では、「昭和90年代」という東浩紀の名づけは、何に対しての「再命名」かということを問わなければならない。東は、批評再生塾のゲスト講師回、課題文において、昭和90年代、という名づけの理由について次のように書いている。

 

昭和90年代、というのが今年度の批評再生塾全体を貫くテーマである。なぜ昭和で数えるかといえば、元号こそ平成に変わって27年というものの、ぼくたちはまだ昭和の引力のなかで生きているように思われるからだ。戦後70年のいま、戦後レジームの克服がいまだ政策課題になり続けていることが、いかにぼくたちが深く昭和に囚われ続けているかを証明している。

 

このテクストから、「昭和90年代」という名づけは「平成」という言葉で時代を名づけることの不可能性を示す意図で行われている、ということが言えるだろう。そしてもう一点、注目すべきなのは、「戦後70年」という言葉もまたここでは使われているということだ。「昭和90年」と名指すことによって、「戦後70年」という言い方も避けられている。「平成28年」でもなく、「戦後71年」でもない現在、「昭和90年代」という東氏の名づけはどのように読み解けばよいのだろう。

 

この論考では、「名づけ」にとって重要なのは、それが人間によってなされるものであるという点だ。だから、「平成」という時代への名づけ「戦後」というなづけも、誰か「人間」によってなされたもの、ということでなければならない。では、いったい誰が「平成」と名づけ、また「戦後」と名づけたのか?この問いはあまりにも拙い問いであるといわざるを得ないだろう。すでに人口に膾炙したこれらの言葉の起源を問うたところで、いったい何になるというのか。これらの時代への呼称は、もはや誰の責任においてでもなく、私たちの思考に住み着いているのだ。

 

それでもなお思考を手放さぬためには、まだ東浩紀という個人がみずからの名において行った名づけである「昭和90年代」という6文字にこだわるしかない。「東浩紀がこの時代を昭和90年と名づけた」といったとき、「私人が、時代への名づけに、もともとは公的な言葉であった元号を用いた」ということが指摘できる。ほとんど言いがかりに近い。ディスプレイに映し出されたこの文字を見て、私は苦笑いをしている。しかし、「昭和90年代」という言葉の持っているニュアンスも、大真面目に受け取ることを許さないような一種のユーモアを含んではいないだろうか。2016年2月19日、惜しくも鬼籍に入った小説家・記号学者のウンベルト・エーコは、「喜劇的「自由」のフレーム」の中で次のように述べている。

カーニバルとは違って、ユーモアの方は、われわれをみずからの限界を超えて連れ出そうというようなことはしない。ユーモアは、われわれ自身の限界の構造をわれわれに感じさせてくれるか、あるいは、もっと適切な言い方をすれば、描き出してくれるのである。ユーモアに関しては立ち入り禁止などということはない。それは、内部から限界を破壊するのである。ユーモアは、あり得ないような自由を求めるということはしない。しかし、それでいてそれは、自由を求める運動として本物のものである。ユーモアは、われわれに解放を約束するというようなことはしない。むしろ逆に、それは、今日ではもはや従う理由もなくなってしまった法が存在することをわれわれに想起させ、完全な解放などというものは不可能であるとわれわれに警告する。そうすることによって、ユーモアは法を転覆する。そして法――それはいかなる法の場合も同様である――の下で生きることがいかに不安定なものかをわれわれに感じさせる。

(岩波書店『カーニバル!』所収 ウンベルト・エーコ「喜劇的「自由」のフレーム」)

 

「昭和90年代」という名づけに、エーコのこのユーモアについての言葉を寄り添わせたとき、「法」という言葉という言葉が前景化してくる。「昭和」という時代への名づけもまた、もともとは「法」によってなされたのだった。そして、「昭和」という名づけは、まさに「戦後」より前の「法」を想起させずには置かない。しかし、「法」とはなんであるか?それが単に制度として明文化された「法律」をさすのだ、というわけにはいかない。エーコのいうような「法」、これはいったい何なのか。直接答えることはできない。しかしおそらく「批評」の危機、あるいは「再生」とは、「法」との関係において捉えるべきことがらなのではないだろうか。そして、「法」というポイントにおいて、東浩紀が「戦後」という言葉を避けた理由が見えてくるはずだ。

 

2.法と批評

2-1

1章では、批評と言葉の関係を問うた。ベンヤミンの言語論を経由して得たのは、批評とは「人間の名づけへの再命名である」と定義である。この定義から東浩紀の「昭和90年」という時代への名づけを検討し、「法」について考えなければならない地点に出た。「法」について、一種偏執狂的にこだわった「戦後」知識人が知られている。江藤淳である。 江藤淳は、『一九四六年憲法――その拘束』所収の論考、「「ごっこ」の世界が終わったとき」(昭和45年1月)の中で、こう述べている。江藤の思考、またその思考を統御する論理は、戦後憲法成立の過程を仔細におった論考群よりもむしろ、「「ごっこ」の世界が終わったとき」を見たほうがわかりやすいだろう。

 

いいかえればこの世界は、黙契と共犯の上に成立している世界、あるいは、「鬼ごっこするもの、この指とまれ」という呪文によって喚起された世界である。(文春学藝ライブラリー『一九四六年憲法――その拘束』所収「「ごっこ」の世界が終ったとき」)

 

 

もちろん、ここにいう「この世界」は、「ごっこ」の世界のことである。江藤がこの例えを用いたのは、「現代日本の社会」を論じるためだ。江藤の言葉をもう少し引いてみる。

 

私がこんなことをいいだしたのは、現代日本の社会がこの「ごっこ」の世界によく似ているように感じられてならないからである。実際この社会は、真の経験というものが味わいにくい社会である。どこかに現実から一目盛ずらされているという感覚がひそんでいて、そのもどかしさと、そのための自由さ、身軽さが混在している。たしかに禁忌は緩和されているが、その反面ある黙契があって、なにかに対する共犯関係を強請されているという気分がびまんしている。みんながわれにかえらないために協力しあっているかのようでもあるが、ひとりひとりをとってみると、麻酔の覚めかけに味わう吐き気のようなものを感じはじめていて、いったいこれはどういうことだろうかと思っている。(同上)

 

江藤の「現代日本の社会」つまり、1970年の日本の社会の空気についての認識は、上の引用につきている。ところが、そのことを主題にして論じていく動機を述べるとき、彼の言葉は遠慮勝ちになってしまう。

 

私は国を守る必要がないといっているのではなく、日本は守るに値いしないといってるのでもない。単に自衛隊を日本の軍隊と感じることができないというのである。これはイデオロギーの問題ではなくて、それ以前の心理的な問題である。いいかえれば、私は自衛隊の三軍に自分を同一化(アイデンティファイ)できないのである。(同上)

 

江藤の論考の主題は、「現代日本の社会」である。そして、江藤自身の論考執筆の動機は、「心理的な問題」である。江藤の論考に沿って言えば、「心理的な問題」の意味するところは「真の経験の不可能性」だが、江藤の論考に弱点があるとすれば、個人的な「真の経験の不可能性」の原因を、社会的な環境に求めてしまう点にある。「真の経験の不可能性」が彼の「心理的な問題」である限りにおいて、それを「社会」の問題に転嫁したとしても、「社会」が彼ひとりで構成されているわけでない以上、彼のテクストは彼の「心理的な問題」、「真の経験の不可能性」をかえって補強してしまう結果になるだろう。

この論考の初出は1970年だが、その10年前に江藤自身も、心理的な問題と社会の連絡が失敗していることへの自覚が前提になっていると思われる批判を書いている。「〝戦後″知識人の破産」(1960年11月)で、清水幾太郎の「安保戦争の『不幸な主役』」を統御する論理について、こう書いている。

 

清水氏の主張はこうである。(中略)「われわれの間から何人かの国民代表を選出して、岸首相に面会を求め、(中略)要求を、つきつけて、この要求が容れられるまで坐り込みを続ける、という方法」をとれば、おそらく安保は阻止できたであろう。そういかなかったのは国民会議と共産党がデモ隊を解散してしまったからだ。その結果、「勝利」のちかくにいた反政府側は「きめ手」を失ってしまった。……ところで、私が注目したいのは、これを「きめ手」と考えている清水氏の思考の底にひそむもののことである。ここでは果たして政治は道徳と結びついていないか。(中略)清水氏が行おうとするのは、結局岸氏の寛容と道義心に期待することにすぎない。(中略)首相は警官に命じて「国民代表」をつまみ出すことも可能である。そのような単純な可能性を、清水氏はまったく眼中におかぬままにこれが「きめ手」だと主張する。おかしいではないか。

おそらく清水氏はあたう限り現実的に、政治的に行動しようとしたのであろう。しかし、その行動が極点に達したとき、「きめ手」を決定するのは相手の善意と寛大であった。現実にふれようとする瞬間に、もっとも観念的になっているということを清水氏自身は意識していないが、氏は共産党や国民会議にではなく、ほかならぬ自己の信奉する仮構の限界に敗れたのである。(「〝戦後″知識人の破産」)

 

この江藤自身の批判は、そのまま、彼の「「ごっこ」の世界が終ったとき」にも当てはまる。「「ごっこ」の世界」で江藤は、10年前の清水氏への批判を自らに向けるような身振りを示しつつも、「ごっこ」の世界の終りがどのように現実化するかについては、自らの「心理」を根拠とするのではなくて、外部の社会に向けざるをえない。

 

(前略)私が今日夢想しているような新しい日米関係は、比較的早い機会に成立するかも知れず、それも思ったより容易でさえあるかも知れない。真の自主独立は、案外早期に達成されるかも知れない。

それはいうまでもなく現実の回復であり、われわれの自己同一化の達成である。そのときわれわれは、自分たちの運命をわが手に握りしめ、滅びるのも栄えるのも、これからはすべて自分の意志で引き受けるのだとつぶやいてみせる。それは生き甲斐のある世界であり、公的な仮構を僭称していたわたくしごとの数々が崩れ落ちて、真に共同体に由来する価値が復権し、それに対する反逆もまた可能であるような世界である。われわれはそのときはじめてわれにかえる。そして回復された自分と現実とを見つめる。今やはじめて真の経験が可能になったのである。

(「「ごっこ」の世界がおわったとき」)

 

この二つの段落の短絡。夢想された社会の訪れを予期し、夢想の中で勇ましくつぶやくありかたは、まさに江藤が批判した清水式の精神構造である。ある意味で清水よりも危険であるのは、彼は夢想の中で、なお「同一化」を果たしてしまうことだ。彼が同一化する対象とは、「共同体」である。そして、この「共同体」とは、とりも直さず、「戦前の」日本だった。なぜ江藤が、「戦後憲法」に異常にこだわったのかはこの「共同体」の問題に帰着する。江藤は、「戦前の」日本に対してあまりに同一化してしまったために、その更新としての新しい「法」、それを象徴する「戦後憲法」に対して、拒否反応を起こしてしまったのではないだろうか。

 

江藤は、日本人が最後に「真の経験」つまり、共同体と運命をともにする個人的体験を持ちえたのは、敗戦の瞬間だった、と述べる。しかし、「戦後憲法」に象徴されるような新しい「法」によって、その敗戦を否認してしまったが故に、日本人は「ごっこの世界」で生きるしかなくなったのだという論理展開である。この展開は一つの疑問を惹起せずにはおかないだろう。すべての「共同体」は等しく、「ごっこ」の世界ではなかったか?という疑問だ。彼が「真の経験」と述べる敗戦もまた、ある一つの「ごっこ」の終わりに過ぎない。問われるべきは、それがどのような「ごっこ」だったのか、という点だ。

 

2-2

 

江藤がみずからを同一化していた「共同体」とは、いかなるものだったのか。江藤と同じように、「戦後」日本は「欺瞞」に満ちているといい続けたのは三島由紀夫だった。三島由紀夫についてここで書きとめておきたいのは、彼が、法学部の出身であったということだ。『終わり方の美学 戦後ニッポン論考集』(徳間書店)末尾の年表によれば、1944年10月に東京帝国大学法学部法律学科に入学とある。1970年の彼の自殺は、法学を勉強したものとしての戦前日本共同体の論理と、人の知覚と精神に訴える芸術の論理を接続しようとした結果なのではないか。

東京帝国大法学部に入学といっても、卒業は戦後であり、昭和20年2月には召集令状を受け取っているので、戦前の法律学を正式に学ぶ時間はなかったはずではある。しかし、勤勉な三島はおそらく、大日本帝国憲法の勉強もしていただろう。前掲書所収の論考『団蔵・芸道・再軍備』の中で三島は述べる。

 

戦闘集団の同志的結合は、要するに、戦野に同じ草を枕にし、同じ飯盒の飯を喰い、死の機会は等分に見舞うところの、上長と兵士の間の倫理を要請した。

飛躍するようだが、旧憲法の統帥大権の本質はここにあり、武士道を近代社会へつなぐ唯一のパイプであったと思われるのである。

史家は、明治憲法制定の時、薩摩閥が、国務大権を握ったのに対抗して、長州閥が、天皇に直属する統帥大権を握って、国務大権から独立した兵馬の権をわがものにしようとした、と説明するが、政治史の心理的ダイナミズムはそのように経過したとしても、統帥大権の根本精神は、もっと素朴な、戦闘集団の同志的結合の純粋性を天皇に直属せしめるところにあったと思われる。

 

三島由紀夫や、江藤淳の法=共同体の観念は、こういった戦闘集団の論理だった。江藤が憲法の書き換えにこだわったのに対し、三島は、天皇と死とにこだわった。しかし彼らが通底しているのは、結局のところ戦争に負けたのに生きている自分という問題だ。そのことといかに折り合いをつけるか。しかし、明らかになっていないのは、どのように彼ら、戦前の子供たちは戦前の日本に「同一化」したのかという問題だ。参考になるのは、原武史による一連の天皇研究である。原は、『大正天皇』(朝日文庫)の中で、皇太子時代からの裕仁の国民への受容のされ方について

超国家主義が橋川のいうように、究極的には天皇との理念的一体化を目指す思想である以上それを奉ずる人びとが現実の天皇や皇太子の動向に無関心のままでいるというのはあり得ない。(中略)昭和初期に頻発するテロや事件を起こした農村青年や青年将校は、(中略)儀礼空間にしばしば現れた昭和天皇の生身の身体をありありと思い浮かべながら、多かれ少なかれ天皇を「変革のシンボル」とみなして「夾雑物」の排除を目指す傾向があった。(p306)

と述べている。「昭和初期に頻発するテロや事件」を題材とする小説を多数書いた三島においては、天皇の身体、は単なる政治の問題ではなく、芸術の範疇にまでかかわってくる問題だったのだろう。

 

2-3

三島の例を敷衍し、天皇の存在とは、芸術としての政治にかかわってくるということができるだろう。

その事が今なお有効であるのは、元号という制度においてである。「昭和90年」と元号で表記し、今なお、我われは昭和という時代の呪縛の中に生きているのだ、と言った時、もしそのように呼ばれる時間がこの日本に実際に流れるのだとすると、その時、昭和天皇裕仁は、114歳でご存命ということになる。徳冨蘆花(1868~1927)は『みみずのたはこと』中、明治天皇の崩御に際して、「陛下が崩御になれば年号も更る。其れを知らぬではないが、余は明治と云ふ年号は永久につヾくものであるかの様に感じて居た」と述べており、天皇が践祚してからどれくらいの時間が経ったかを示すに過ぎない元号が、ある個人、ここでは徳冨蘆花にとって、累々重なっていく時間の数え方として機能してしまうこととして読める。この「陛下が崩御になれば年号(元号)も更る」という制度は、慶應4年に「一世一元の詔」によって慶應が終わり、明治のはじまりと同時に生まれた。現在は、1979年に施行された「元号法」が法的根拠となっている。それ以前の元号は、天皇の在位期間と必ずしも一致するものではなかったので、天皇の身体の機能が続いていることが、時代の呼称を決定するという制度は、近代天皇制における特徴のひとつといっていい。

そのような元号が機能している現在、昭和90年である、と述べることは、「いまなお昭和的な空気の中で日本人は生きている」という意味以外に、「昭和天皇は、なお存命である」ということに等しい。逆にいえば、「時代としては「昭和」と全く同じ原理で動いているにも関わらず、なおやはり「平成」なのだ、なぜなら、昭和天皇は既にお隠れになっているのだから」ということでもあるだろう。やや混乱してきたが、天皇の身体が機能している、生きているかどうか、ということによって時代の呼称が決まることは、端的に不便なのではないだろうか。

にもかかわらず、なぜ時間の数え方の基準に、特定の一つの身体――つまり、天皇の身体のことだが――が据えられたのかについては、『大正天皇』によって2001年の毎日出版文化賞を受けた原武史が、先に引用した徳冨蘆花のことばを評した次の文言が参考になるだろう。「天皇の生身の身体についての記憶が脳裡から消え去り、天皇がいつしか時間を超越した「現人神」になっていたことを示す証拠ではなかったか」。つまり、重要なのは、無限の時間の表象とされた有限の身体に、神秘化が起きるということなのだ。神秘化された身体が、国家を統制するために必要とされる、という観点については後に述べるが、一方、統治される側の庶民からみた元号制の効果について、劇作家の山崎正和は次のように述べている。

庶民の立場からいうと、元号こそが天皇家と接触できる唯一の機能だった。日ごろ顔はみられないけど、元号ということでつながりをもつわけでしょう。明治何年生れとか昭和二十年に結婚したというようにね。それは日本人の生活にリズムを与える上で大変大きな役割を果してきたと思うんです。意識の底のきわめて深いところで、機械的でない、生命的な時計が時を刻んできたといえる。

文藝春秋誌上シンポジウム「日本人にとって天皇とは何か」       (昭和46年1月号)出席者、山崎正和、福田恆存、林健太郎、司馬遼太郎

山崎が述べたように、明治以降の元号が、被統治者の側から統治者の存在を受け止めさせるに一役買っていたとするなら、元号は天皇の身体の延長として機能していた、ということになる。一方で、無限の時間の記号として天皇の身体を神秘化し、また日常に普通に現れながらも天皇によって支配されているものとして、天皇の表象でもある元号。

元号がそういったものである以上、「昭和90年」という時間軸を持ち出すことは、「昭和天皇」の蘇生、あるいは延命を意味上で含む。そして、その相手が「昭和天皇」である以上、その蘇生は単なる思考実験であるよりはむしろ、昭和天皇という存在を支える身体が、「不死性」とでも呼ぶべき特質をまとわされていたからであるように思われる。昭和21年という時間すら、ある意味では天皇の延命なしにはありえなかったのだから。

 

昭和21年の延命

ある身体にまつわる意味の体系が言葉であるとするなら、敗戦後の憲法改正において、天皇の定義が書き換えられたことは、非常に大きな出来事だったと言わざるをえない。

現実に対してどのように言葉をあてがえば現実を理解したことになり、「現実」という文字を屈託なく書きつけることができるようになるのか、という問いはひとまず遠ざけて、言葉は「現実」という言葉を軸にして、ふたつに分類することができるだろう。つまり、それは現実に関係しようとしている言葉なのか、それとも現実との関係を切断しようとしている言葉なのか、というふうにだ。注意したいのは、現実に関係が「ある」か「ない」か、という事実による二分法ではない、ということだ。前者、「現実に関係しようとしている」言葉は、むしろ現実と「切り離されている」という自覚を前提しているし、後者は現実に「縛られている」という状態においてしかあり得ない態度だ。だから、例えば私が、「昭和90年」なるものに対して言葉を差し向けたとして、それはある意味では全く現実とは関係のないおしゃべりである。一方で、そのようなことを言ったという事実は書かれたテクストがそこにあるということによって保証されてしまう。そして言葉というものは時として、その場、その時、そこに書きつけられてしまったということで、決定的な影響をもってしまうことがある。戦後の天皇の地位が決定された時の話を、当時外務大臣だった吉田茂の側近、白洲次郎は次のように語っている。GHQに与えられた、英語で書かれた新憲法の草案を、日本語に翻訳する際のエピソードである。

 

 この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。余談になるが、後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく。

新潮文庫 『プリンシプルのない日本』白洲次郎 p.240

 

憲法の文言が決定される現場が、こういうものだった。そう聞き、頭の中に受け入れてみた時、少し拠り所のないような気持ちになる。もう少し勉強してみると、戦後、新憲法の制定にあたっては、まず草案の作成をGHQに命じられ、日本側が提出した草案が、主権在民論ではなく、天皇神権論を護持していた、という前段があることがわかる。また、この天皇をシンボルの位置におく草案を受け入れねば、天皇本人に危機が及ぶ、という示唆がGHQ側からあったこと…。芋蔓式に出てくるこれらの事を知ったところで、我々の現実に変化が起きるだろうか。なぜ我々はこうなのか?

ある事を知る前と後では、ある出来事において、当事者ではないが、その影響関係にある、という立場は変わらない。

けれども、ではそのことと自分がどう関係しているか、という視点が現れるが、ここで、この節の冒頭で挙げた、芸術としての政治、という問題がかかわってくる。

この論考の冒頭では、芸術とは事物と人間の間での精神的現象だと述べた(第1章、ベンヤミンについての考察を参照)。そして、天皇の身体の表れ方が、当時の人びとの精神構造に、超国家主義をなじませる役を担ったという指摘をみた。

つまり、モノとしての空間の操作によって、われわれの精神においてなんらかの現象が起きる、ということを受け入れるならば、「昭和90年」という言い方はあながち冗談とも受け取れない。われわれの現在のものの環境は、インターネット空間によって、私たちが見たいものを眼前のディスプレイに表示することができる。youtubeで、昭和天皇と検索してみれば、非常に多くの映像が見られる。そこについている様々なコメントが見られる。そして、われわれに対して、昭和天皇はその意志の更新された声を発することはない。実際にはもうお隠れになっているのだから。

死者とは、われわれが同一化の欲望にもっとも晒されやすいものである。死者は拒まない。拒まない死者に対する同一化は、生きているこちらの側で、拒まなければならない。もう一点、問わなければならないことがある。「批評」が、「再命名」行為であるのなら、「再命名」を「再生」する、とは、どういった事態なのだろうか。「昭和90年」という時代を批評=「再命名」すること、それは、みずからが何者かに同一化していってしまうさまを、みずからの眼前に文字として書つけ、その一瞬ごとに外へ外へと押しやり続けるしかないのである。このキーボードを打つ指先を、私の精神から追い出し続けること。批評の再生とは、批評を出来事にせぬことである。つねに現在が過去への再命名となるような運動を続けること。続けることなのだ。

 

 

「女系」の物語と改変可能な過去――『東京プリズン』の戦後幻想

1. 黒電話の受話器の重さ

 二〇〇九年、八月十五日。
 暑い日で、湿度が圧力に感じられるほど高く、蝉が鳴いていた。ソファでうたたねしていたら、電話が鳴った。起き上がり、黒い電話の受話器をあげた。
「はい」と私は言う。耳の中に、さーっという音が流れ、その薄い雑音にくるまれて女の人が、知らない言葉を話していた。言葉は水のようだ。渦のようだ。「……ピーポゥ」それだけ聞き取れた。
 あ、夢だ。
 私は気がつく、夢の中で。手の中で受話器がずしりと重くなる。[※1]

よくできた予告編のように、『東京プリズン』(2012年、河出書房新社)の主題は、この冒頭から続く一連のシーンにつめ込まれている。8月15日、終戦記念日、過去につながる夢、peopleの声、黒電話の重み、そして母と娘。
戦後、一般家庭に広く普及したダイヤル式の黒電話は、90年代に入るとプッシュホンへの置き換えが急速に進み、姿を消していく。つまり、あの黒い受話器を実際に手に取ったことがあり、重みを思い出すことができる世代と、戦争経験者が近しい身内(両親・祖父母)にいる世代とは、おおむね一致する。
作者の赤坂真理は1964(昭和39)年、東京オリンピックの年の生まれている。彼女は自らを「戦争を経験した親に育てられた世代の、最後の最後あたり」[※2]であると語り、戦前生まれの母の娘として生きる、その世代の感覚を言葉にすることで確かめるように、小説の中に様々なかたちで描き込んだ。

本作が『文藝』に連載された2010年から12年、さらに戦後70年の2015年にかけては、13年に出版されベストセラーとなった白井聡(1977/昭和52年生)『永続敗戦論』の題名に象徴されるように、敗戦から連なる戦後を、いま一度言葉にしておこうとする動きが活発化した時期でもあった。振り返ると、11年の3.11と原発事故、12年の政権交代、それにともない戦後70年の夏の終わりに安保法案の可決、沖縄では基地問題が膠着化。とりわけ3.11の直後には「第2の敗戦」といった、過去に何度か現れては消えていったフレーズが息を吹き返し、戦後日本をめぐる言説は、エンタメを含むあらゆるメディアに頻出。政権も「戦後レジームからの脱却」を標榜した。
いまから振り返ると、「第2の敗戦」という語の響きは、大げさではあれ、ある種の実感をともなう。2011年はあきらかに歴史の分岐点だった。たとえば、いまから数十年が過ぎ、未来の地点から過去を振り返るとき、2011年という年は文字どおり第2の敗戦として1945年と対置され、そこではさらに複雑になった「戦後」の物語が作られていくのかもしれない。それとも、まだ見ぬ未来においては、それらをすべて切断する何かが現れるだろうか。そうはならないだろう。

『東京プリズン』は、発表直後から、かつて戦後50年の年に出版され「歴史主体論争」を呼び起こした、加藤典洋(1948/昭和23年生)の『敗戦後論』(95年)や、前述の『永続敗戦論』などにつらなる、戦後問題を主題に扱った批評的作品として位置づけられた。ほとんど絶賛をもって受容されたと言っていい。たとえば作家のいとうせいこう(1961/昭和36年生)は12年7月15日の「朝日新聞」の書評[※3]で、「これは世界文学である。今すぐ各国語に翻訳して欲しい」と記した。
しかし、本書を読んだ者ならわかるとおり、『東京プリズン』は外国語(とりわけ英語)への翻訳が困難な小説である。そしてその翻訳の困難さはそのまま、本書の主題につながってもいる。よく言われるように「戦後」(post-war)の語をもって「第2次世界大戦後」を指す日本国内の感覚は、世界的には共有されないものである。にもかかわらず、日本において「戦後」という語は、いまにいたるまで強い引力を放ち続けている。50年の節目を経ようと、経済白書が脱戦後を宣言しようと、一向に死語になる気配なく、あるいは「平成」や「災後」といった、新しく生まれた区分ですらも、「戦後」に代わるものとはなりえなかった。言い換えればわたしたちは、その先を言葉のレベルですら名づけられないまま、「昭和90年代」をズルズルと生きていると言ってもいい。

そこにジェネレーションギャップの問題も重なっている。たとえば筆者(1983/昭和58年生)は子供の頃の記憶として、ぎりぎり「黒電話の受話器の重さを知る」世代であり、いわゆる「戦後第二世代」にあたるが、同世代を見渡しても、祖父母や両親の世代と比べると(そもそも比べようもないので、甚だいい加減な感覚ではあるが)敗戦をめぐる感覚はきわめてフラットである。それでいて、前の世代による言説を無意識に内面化している面もある。平成生まれが多数を占める戦後第三世代になると、昭和はさらに遠ざかっているだろう。戦中/戦後世代の隔たりの大きさについては作中でも描かれている。
国際社会に対しては(特に第二次大戦について)、国民国家として同一性を示さなければならない一方、敗戦から遠ざかるにつれ、世代間の認識の差は刻々と開いていく。「終わらない昭和」の問題は、この否応なく生じる敗戦からの距離の差でもある。

徳川幕府が明治政府になり、大日本帝国から日本国になる。それでも保たれる国としての「同一性」というものが、国際条約を守り続けるといった形式的な部分以外に存在し得るのか。そもそも、なにを担保に生じ得るものなのか。それは前述の「歴史主体論争」の論点のひとつでもある。「アジアの2000万の死者」への謝罪の前に、自国の死者を弔いなおすことを通じて、まずは分裂病に陥った戦後体制の「ねじれ(自己欺瞞)」を解消し、ともかくも「われわれ」(共同的主体)を立ち上げなければ、外に向けての謝罪をすることもできない、と主張する加藤の論は、反発を招いた。特に、先に内側から主体を立ち上げなければ他者に出会うことは不可能であるという主張に対し、高橋哲哉(1956/昭和31年生)らを中心に反論が沸き上がった。渡部直己(1952/昭和27年生)は一連の論争を受け、『不敬文学論序説』(99年)において、『敗戦後論』への批判を以下のようにまとめている。

この曖昧さと甘さにたいする現代的な反問は、次のとおりである。すなわち、かりにそれが「外在する何ものにも支えられないことを本質する」のであれば、「文学」は何よりもまず、その具体的前提としての言葉そのものを放棄しなければならぬこと。なぜなら、文学の唯物的な根拠たる言葉は、主体にたいするそれじたいの「外材」性において、すでに無数の他者の多様性と複数性に貫かれてある一点にかかって、きわめて現実的な所与であるからだが、この問はむろん、『敗戦後論』には届きようもない。何しろ、敗戦によって「分裂した自我」という問題設定そのものが、逆に、何事もなければ分裂せずにすんだ「自我」なるものの同一性を先験的な前提としていることが示すとおり、初めに、手つかずの「自我」があり、それが敗戦によって「汚れ」、その「汚れ」を引き受けた「文学思想」こそが「わたし達」の手引きとなるのだと続く書物である。そのいささかナイーヴな文脈において、「文学」や「言葉」は一貫して、それに先立つらしい「主体」にたいする単純な表象=再現機能のもとに措定されるよりほかにない。[※4]

境界線は国の内・外のあいだに引くよりほかにないのか。それとも国の内側にすら引かれ得るのか。その背後には、「nation」(あるいは「people」)が、この先の未来において、どのように変わり得る可能性を持っているか、そして、それをどのようなかたちで国民が描き得るのかという、つづく問いがあるはずである。あるいはそのことは、「12歳の少年」という与えられたイメージから、戦後問題を幻肢痛のように捉えるさまざまな言説、加藤典洋の「ジキルとハイド氏」の喩えまで、トラウマや精神疾患を抱えた(同一性を持った)人間の比喩で戦後の日本を捉えてきた現実の、限界を示してもいる。

『東京プリズン』は出版以来、「16歳の少女が”東京裁判”をやり直す」物語、あるいは「天皇の戦争責任」の問題を文学で取り上げた作品として、前述のように、過去の敗戦論に連なるものとして多く紹介され、注目された。しかし本論ではこの作品を「敗戦論を小説で扱った」のではなく、小説という形式の力を得ることにより、過去の敗戦論(あるいは天皇論)が踏み残した地平を歩き得た作品として、また前出の渡部直己の著作における「黙説法の政治学」批判に応答し得るものとして、その内容の検討を通じ、浮遊する「終わらない昭和」を歴史につなぎとめるアンカーポイントを探るものである。

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3. 母の敗戦を生きる娘、「女系」の物語としての戦後

 痛ましさもいじましさも隠したつもりでいるが、それは見えている。見えているから、この人を私がなんとかしなければ、なんとか慰め喜ばせてやらねばと思う。
 真実を知ろうとしてもさらに手痛い拒絶に遭うだけだ。
 それに真実なんてないのかもしれない。
 だから私も沈黙した。
 それがわからない、ということを呑み込んだ。それを知りたい、ということを呑み込んだ。
 沈黙して、出す言葉にも検閲をかけた。うっかり、もっともデリケートなところに触れてはいけないのだ。
 その姿が自分の親にそっくりだということには気づかなかった。
 いや、気づかないふりをしていただけかもしれない。
 アメリカで一年を過ごし、挫折感を抱えて帰国した私もまた、その地であったすべてを呑み込んだままで、今日まで三十年近くの時を生きてきた。

 そう、人は自分が呑み込んだものになるのだ。[※5]

『東京プリズン』は半ば自伝風の作品である。「半ば」としたのは小説の冒頭、夢のなかで、今はもう存在しないかつての実家をさまよっている45歳の「真里」に、過去の自分――15歳の「マリ」から電話がかかってくるという導入部を読めばあきらかである。物語は主にこの30年の年月を隔てた真里/マリの語りを行き来し、ふたつはときに混線し、解離し、終盤は入れ子状になった虚構のなかを進んでいく。
夢の中で電話を受けた真里は、現実(2009~11年ごろ)の赤坂真理であると考えられ、一方で電話をかけてきた15歳の頃の真里(マリ)がいるのは1980年のアメリカである。彼女は母・京子の意向により、中学卒業後、カナダ国境に近い東海岸最北端のメイン州にあるハイスクールに留学させられていたのだ。マリは東京の母親に何かを訴えたくて、コレクトコールで実家に電話をかけてきたのである。
40歳になった自分自身を母と思い込み、言葉少なに話しかけてくるマリ。メイン州の冬は、零下20度にもなる。極寒の異国の片隅で追い詰められていた15歳の自分を思い出し、真里はマリに、受話器越しに母親になり代わって話しかけ、助言らしきものを与えようとする。しかし、15歳のマリにも、45歳の真理にも、そもそも母がなぜ、娘をアメリカに無理に留学させようとしたのか、その理由がわからないのだ。京子は「行く前も、行った後も、一度も」娘をアメリカに送った理由を説明しようとしなかった。
いや、実は真理/マリにはうっすらとわかってはいる。それは母が終戦後にしていた翻訳の仕事絡みの「秘密」に関係している。マリは祖母を通じて一度だけ、母が「東京裁判の通訳」をしていたと聞いたことがあったのだ。

実際には、京子がしていたのは東京裁判の法廷での通訳ではなく、裁判資料の下訳のような仕事であったことが作中で記される。刊行後のインタビューで、赤坂はそれが事実であったことを語っているが、同時に、彼女の父親のほうは事実、GHQの通訳をしていたことを明かしてもいる[※7]。しかし、赤坂は自らの家族の歴史を元に戦後の物語を組み立てる際、父親にまつわる出来事を、物語の筋から外している。言い換えれば、「父」の物語からは目線を逸らし、日本の敗戦を「母―娘」の問題、あるいは「女系の物語」として捉えようとした意図が読み取れるのである。

 母が恋しい。母のところへ帰りたい。
 四十五歳にして、死んでもいない母親のことをこんな言葉で思う私はへんだろうか?
 母が恋しい。なのに母に会うとなると重くて、いつも過ごそうと思った時間の何分の一かしか過ごせないように自分をしむけている。そしてそのことで、冷たい人間だと自分を責める。
 恋しくなって電話をする。
 電話では話せる。
 なぜ面と向かうとあまり話せないのかと考えて、あることを思い出した。
 どうして忘れていられたのだろう。
 私は母を殺しそうになった。
 私が母のもとを後にしたのは、一緒にいると殺すかもしれないと思ったからだ。[※6]

『東京プリズン』の作品構造の縦糸には、この母―娘の関係、あるいはそこに祖母を加えた、祖母―母―娘の、3世代にわたる関係が置かれている。晩年、年老いた祖母は自分の娘と孫を混同するようになり、真里は祖母の思い違いを利用するかたちで、母の秘密を探り出そうとする。そして、京子がかつて、アメリカの大学へ留学する機会を、父母の反対で断念したらしいことを知るのである。祖母が娘を、娘が母を、ともに一番年下の者の視線から「ママ」と呼ぶように、女3人を結ぶこじれた関係は京子を間に挟んで貫流している。年月を経るつれ、表面上は穏やかになっていく母娘の関係は、しかし若かった日の自分をそれぞれ心の奥に凍てつかせることで成り立ってもいる。そしてその繋がりは、「声が似ている」「鏡の中の自分が若い日の母に似ている」といったシンプルな身体性ですら、逃れ難さと渇望のあいだに、真里/マリを追い詰める。(物語の中盤、亡くなった祖母の納骨の際、京子が不意を突かれたようにあっと声を上げ、「私はここに入らないんだわ……」と呟いて落涙する、一連の場面は象徴的である)。
母―娘関係に伴う困難については、近年、いくつかのベストセラーを皮切りに、関連本の出版が相次ぐが、たとえば精神科医の斉藤環(1961/昭和36年生)は、『母は娘の人生を支配する』(08年)において、父―娘関係と母―娘関係の違いについて、このように記す。「父親とは簡単に対立関係に入ることができますが、母親とは対立できません。なぜなら、母親の存在は、女性である娘の内側に、深く浸透しているからです。それゆえ『母殺し』を試みれば、それはそのまま、娘にとっての自傷行為になってしまうのです」[※7]。斉藤はその背景のひとつとして、母―娘間で行われる女子教育が元来備えてしまっている、本質を欠いた身体トレーニング的な特質を挙げ、その合わせ鏡のように入れ子を生じさせる構造が「母殺し」の不可能性を生み出すと指摘する。
いささか余談めくが、筆者はかつて、実家を出てひとりで暮らしはじめた頃、無意識に口について出た言葉や身振りや価値判断が、母のそれをなぞっているように思え、自分の内に入り込んでいる母の存在を意識する瞬間が度々あった。同じような感覚を覚えたことがある女性は少なくないはずだ。母の内面化と思えることの多くは、成長した娘が自分流にいかようにも変えていけばいいような、他愛のない事柄の数々でありながら、実際にはすでに理屈を超えた部分で身体的に習慣化されてしまってもいる。しかも多くの場合、元を辿れば、それはさらに上の世代へと行き着くき、単純に年月のレベルでも強化されてしまっている。
当たり前と言えば当たり前ではあるが、良くも悪くも、そのように貫流していくもののなかに、作中では、アメリカをめぐる母の「敗戦」経験がある。そして、鏡合わせになった母―娘関係は、もう一方で、電話での会話を通じて容易に時空を行き来する物語の媒介ともなる。「敗戦」が、無意識の身振りや習慣のように世代間を貫流していくのだとすれば、病理だと意識しないものを根本的に治療することはできない。父―子関係ではなく、戦後を母―娘で読み替えたとき、「昭和が終わらない」理由は、血肉を伴ったものとして捉えられるのである。

丸山眞男(大正4/1914年生)は著書『現代政治の思想と行動』(64年)において、第2次大戦中の日本のファシズムの特徴のひとつとして「家族主義的傾向」挙げ、それらは同時期のドイツやイタリアのファシズムには見られないものであったことを指摘する。

家族主義というものがとくに国家構成の原理としての、国民の「総本家」としての皇室とその「赤子」によって構成された家族国家として表象されること。しかもその際例えば社会有機体説のように単に比喩としていわれているのではなくして、もっと実体的意味をもって考えられていること。単にイデーとして抽象的観念としてではなく、現実に歴史的事実として日本国家が古代の血族社会の構成をそのまま保持しているというふうにとかれていること。これがとくに日本のファシズム運動のイデオロギーにおける大きな特質であります。[※8]

日本のファシズムの本質が、丸山の指摘するように、天皇・皇室と国民との血族的関係にあるとすれば、安直すぎる見立てではあるが、敗戦によってもたらされるものは、まさにその「親子」関係の急激にすぎる変質であり、一方的な解消だったとみることもできる。そして、詳細は後の章に記すが、赤坂が『東京プリズン』において試みたのは、天皇と国民を「父―子」ではなく、「母―子」の関係性の中に描きなおすことにほかならなかった。

 

4. 手でつかめる何か

 あの場所にもう一度帰りたかった。もう戻れない家。一九八五年に端を発した円安誘導で、倒産した幾多の中小企業のうちの一経営者だった父が、借金の抵当に入れた家。失った故郷。あの場所のリアルな感触を、もう一度感じたかった。
 [中略]
 もう一度目を閉じ、家の内部空間を思い起こす。頭の中が広くなる感じがやってくる。柱をさわり、壁を伝って私は歩く。手がかり、と言うが、人には本当に手でさわれる道しるべが必要なのかもしれない。私にはもっと端的に、握れるほどに強くさわれる物が必要だった。[中略]
 電話!
 電話は、本当に黒い錨のように風景に鎮座していた。長細い台所、その隅っこに。[※10]

『東京プリズン』において最も印象的なシーンのひとつは、真理が歳を取った母と電話越しに話しながら、終戦直後の町や進駐軍の関連施設の様子を聞き出していくくだりである。かつて、京子が翻訳の仕事の関係で出入りしていたという、米兵が出入りする巣鴨プリズン付近の民家や、「マッジ・ホール」と呼ばれる、米軍のクラブとして接収された旧徳川家の洋館、電話を通してそれらの建物のディティールを頭の中と指先に立ち上げながら、真理は目の前に広がる現在の都心を消し去り、母の記憶の中、戦後の焼野原の東京へと、やすやすと踏み込んでいく。踏み込むだけでなく、母の記憶の中に入り込んでいく過程で、語りの主体であった真里はいつのまにか京子そのものへと変わり、さらにその京子を見つめる祖母になり代わる。文学の特権でもあるこうした手法は、しかし実のところ、記憶というものの本質をどこか捉えているとも言える。近しい者の記憶はしばしば重なりあい、互いに互いを持ち合っている。真里はその重なった部分を媒介に、母の記憶の中、過去へ、さらには自らの過去へと入り込んでいく。

向田邦子(昭和4/1929年生)はかつて、記憶を引き出す鍵は匂いであると言った。たとえば生まれ育った家の茶の間を思い出す時には、まずはその匂いを頭の中に立ち上げる。すると、おのずから周りの家具や小物のディティールが現れてくると言う。赤坂真里にとって、その鍵は手にとって「さわれる物」であると言う。たとえば作中の真里は、入ったことのない千駄ヶ谷のマッジ・ホールに入っていくために、まずはその扉が何でできているかを母に聞く。それが木の扉だとわかると、頭の中でその重い扉を押し開き、絨毯の敷かれた洋館の中へと入っていくことができるのだ。自らの過去の場合は、実家にあった黒電話のように、手触りの記憶の確かさを手がかりに、タンスの引き出しや、戸棚の中を開けてみることすらできる。この場合、黒電話の受話器や引き戸の取っ手は、おぼろげにしか戻れない過去を、記憶に紐づけるための「アンカー・ポイント」なのである。

無論、歴史と記憶とを並べて比べることはできない。しかしそのうえで、もしも「昭和」という時代の記憶に、「黒電話の受話器」や「マッジ・ホールの扉」のごときアンカー・ポイントが存在するとするなら、それはどこにあるだろうかと考える。『東京プリズン』の終盤には「数学の円の中心点」という喩えがある。数学の点は数学世界には存在するが、実在はしない。しかしその実在しない点がなければ円は生じない。

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4. 凍てついた森/「過去に戻って加えた改変は、保存される」

流れ行く時間と、止まった時間がある。
前者の中で私は年老い、後者の中ではいつまでも十五、六歳だ。[※145頁]

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5. 森が破れるとき

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<未完>
本稿はこのあと、三島由紀夫の『憂国』『英霊の聲』の天皇像を参照し、それに対するものとして、天皇を「母」「両性具有」と捉え、歴史を読み替える本作の試みとその終盤での破綻、現在との断絶を検討して終える予定であった。

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※1 赤坂真理『東京プリズン』河出書房新社、9頁。
※2 『文藝』2012年秋号、6頁。
※3 「朝日新聞」書評欄、2012年7月15日 http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012071500011.html
※4  渡部直己『不敬文学論序説』太田出版、1999年、245-246頁。
※5 『東京プリズン』67-68頁。
※6 同書、108-109頁。
※7 斉藤環『母は娘の人生を支配する』NHK出版、2008年、16頁。
※8 丸山真男『現代政治の思想と行動』新装版、1964年、未來社、42頁。
※9 『東京プリズン』91頁。
※10 同書、11−12頁。

台頭するイスラームの日本との距離 〜様々なる事象を通じて〜

昭和五〇年=西暦一九七五、イスラームに関する二冊の著書が出版されます。一つは、サイード・フセイン・ナスルの『イスラームの哲学者たち』、訳は黒田壽郎と柏木秀彦です。もう一つは、井筒俊彦の『イスラーム思想史』です。この二冊には単にイスラームを題材としていること以外に共通点があります。それは「日本におけるイスラーム研究が遅れている」という状況認識です。前年にアンリ・コルバンの『イスラーム哲学史』が黒田と柏木によって翻訳され出版されましたが、これを日本におけるイスラーム思想研究の第一歩とし、先の二冊共々自らそれへの呼び水になろうとする姿勢が伺えます。イスラーム研究はここ昭和五〇年から始まったという認識があるのです。とはいえ、まだこの段階ではイスラーム理解への具体的な必要性が強調される様子はなく、単に研究が「遅れている」ことが問題視されています。何かを探究し理解を深めようとすることに対して、実践的な必要性の有無はそれほど重要なことではありませんが、後述する「イスラームの接近」を前提としたイスラーム関連の著書の存在意義は、この時にはまだ見られないのです。

本論の目的は、このイスラームに対する日本の距離の取り方を概観することにあります。『イスラームの哲学者たち』『イスラーム思想史』『イスラーム哲学史』に言及しながらも、その本筋や「イスラームとは何か」について触れていないのは、本論の目的がイスラームの文化や思想の理解を深めようとするものではないからです。イスラームというものがわれわれとどう関わりを持ってきたのか、そして、それはどのように変遷してきたのか。それを概観していくことこそが本論の目的です。それは、日本とイスラームの距離感をより正確に把握する営みです。それは日本を相対化する営みとも言えるでしょう。そして、ある側面からの日本を客観的に見ることを可能にしてくれるでしょう。イスラームについて知るというよりはむしろ、われわれについて知ることになるのです。では改めて、冒頭で示した昭和五〇年から見ていきましょう。

 

昭和五〇年はイスラーム理解の第一歩を踏み出そうという意気込みの伺える年でした。『イスラームの哲学史』の訳者は『イスラームの哲学者』同様、黒田と柏木ですが、「訳者あとがき」にはこう述べられています。「特に述べるまでのこともなく、わが国におけるイスラーム文化研究の歴史が極めて日の浅いことは周知の事実である」と。また、井筒の方も『イスラーム思想史』の「後記」にて「思想にかぎらずイスラーム学一般にその研究は極めて日が浅い」と述べています。さらに研究の「日が浅い」だけではなく、イスラームとの距離も相当遠方にあったようです。同年七月七日の朝日新聞に掲載された『イスラームの哲学者たち』の書評では「われわれにとって、イスラムの世界は西欧よりも遠い。地理的には近いはずであるが日常いつも意識させられている西欧の向こうに、手の届かない蜃気楼のようにただよう、摑み所のないイメージとしてある」と記載されています。ここでは、とにかくイスラームは日本にとって思想的・文化的に遠い存在であり、その研究は随分と遅れを取ってしまっているという認識が明確に浮き彫りになっています。これが昭和五〇年の日本とイスラームの距離感です。

ちなみに、昭和五〇年=西暦一九七五年とは一方で、批評の対象が文学から拡散していく年でもあります。柄谷公人は共同討議「近代日本の批評」の中で「ぼくにとって七五年以降の批評というときには、直接の相手は文学ではなくなってきた」と述べています。文学よりむしろ哲学や文化科学、経済学、心理学、人類学といったものを対象にするようになってきたということです。この柄谷の言葉は、大澤聡が『ゲンロン1』の「基調報告 批評とメディア」で言及している部分でもあり、そこからの孫引きになります。大澤は『ゲンロン1』に記載されている一九七五年から一九八九年にかけての批評史年表の作成者でもあります。その大澤も一九七〇年代半ばの批評史については「成立困難」であり「文芸批評が批評の全体性を体現しえぬ時代」と述べています。批評の対象に文学以外のものが混入してくる時代の始まり。奇しくもイスラームの思想や文化への眼差しはこの昭和五〇年という時代に芽吹いたのです。

しかし、この昭和五〇年のイスラームに対する距離感は、後述する一連の出来事に関わる距離感とはかなり異なっていると言えるでしょう。どういうことでしょうか。

 

昭和五六年=西暦一九八一年、井筒は『イスラーム文化 その根柢にあるもの』を発表します。井筒はこの著書を執筆するにあたって、第二次オイルショックとホメイニーのイラン革命を明確に意識しています。が、それだけではなく当時の流行言葉であった「国際化」意識を汲み、人類が地球規模で統一化されていく将来像に備えようとする姿勢が伺えます。ここでの「備える」とは統一化に伴う摩擦への配慮のことです。井筒のそのような将来像はカール・ポパーの「文化的枠組」による対立というものに依拠しています。「各文化は、それなくしては独自の文化として自己を保持することのできない構造的枠組を本来的に持っている」というポパーの主張を前提にすると、人類の統一化は、その過程において枠組同士の摩擦が起きるだろうということです。しかし一方で、ポパー並びに井筒は、異質な文化の接触は文化的創造性の源泉にもなりうるとも述べています。井筒は摩擦を創造の源へと変換していくためにもイスラームへの理解が必要だと主張しているのです。そして井筒は同著で以下のような言葉を発します。

「イスラームが歴史的事実としてわれわれに急に近づいてまいりました」

この言葉には二つの意味が込められています。一つは、オイルショックのように中近東での出来事が日本の生活に多大な影響を及ぼしているということ、そしてもう一つは人類の統一化という地球規模の時代の流れに備えよというものです。

このような主張は昭和五〇年には見られませんでした。昭和五〇年の方でもその約二年前に第一次オイルショックが起きています。それまでの日本が高度経済成長を維持していたことを考えると、その落差による衝撃は第二次オイルショックより大きいはずです。しかし、昭和五〇年の三冊にはその言及がありませんでした。この違いはおそらく、当時のイスラームへの関心がどちらかというとシーア派やスーフィズム(イスラーム神秘主義)に向けられていたからなのかもしれません。例えば、コルバルンの『イスラームの哲学史』はシーア派的発想に基づいています。これをイスラーム世界における普遍的な哲学史とすることは難しいでしょう。また、ナスリは彼自身がイラン出身のシーア派教徒であり、スーフィズムへの傾きが強い人です。『イスラームの哲学者たち』の中で取りあげられている三人のイスラーム思想家についての記述もスーフィズム的な観点に依っています。特にイブン・アラビーという思想家はスーフィズムの巨匠として知られている人物です。第一次オイルショックとそのきっかけとなった第四次中東戦争では、スンニ派とシーア派、そしてスーフィズムといったイスラームの宗派的な枠組が強調されることがあまりなかったのでしょう。昭和五六年の『イスラーム文化 その根柢にあるもの』の中で中近東の出来事に言及がなされたのは、シーア派であるホメイニーのイラン革命があったからだと考えられます。この革命はオイルショックと同様に日本のマスメディアにも大きく取り上げられています。そして、第二次オイルショックの要因であるイランを理解するにはイスラームのシーア派(十二イマーム派)について知る必要があるということです。『イスラーム文化 その根柢にあるもの』は三章立てで、「Ⅰ 宗教」「Ⅱ 法と倫理」「Ⅲ 内面への道」となっています。最初の二章は基本的にイスラームの正統派=スンニ派に重きを置いた説明がなされています。そして最後の「Ⅲ 内面への道」においてシーア派とスーフィズムの詳細が記述されているのですが、数あるシーア派の中でもイランの国教である十二イマーム派を「文化史的に一番重要なもの」として取り扱います。宗派の違いを理解することがイランという国の文化理解に繋がっているのです。「国際化」の潮流を意識した異国文化理解への配慮と言えるでしょう。

 

平成三年=西暦一九九一年、『イスラーム文化 その根柢にあるもの』が岩波文庫という形で改めて世に出回ります。文庫化に際して目立った加筆はなく、イスラーム文化を理解することの意義もそのままとなっています。当然、読者はこれがもともと昭和五六年に書かれたものであることを意識して読むでしょう。しかし、先にも引用した「イスラームが歴史的事実としてわれわれに急に近づいてまいりました」という動的な事象を示す宣言が、平成三年にもそのまま通用してしまうかのような、時代錯誤を無効にする力を持っているのです。平成的なものとして更新された記述は一切ないにも関わらず。

その理由の一つは、日本にとっては、イラン革命よりもやはりオイルショックそのものが重大であり、文化理解などは出版を通じて広まるようなものではないということです。中近東での出来事は確かに日本を脅かしたが、その関心は価格の上り下がりに留まり、深層を流れる文化的な背景には興味を示さなかった。つまり、イスラームとは常に「遠い」存在であり、「国際化」の潮流により常に「近づいている」存在だと言えてしまうのかもしれません。しかし、もう一つの理由について言及する時、井筒の言葉は一〇年の時を経て現実味を帯びたものと感じられるのです。それはサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』の翻訳です。

 

昭和に発せられた井筒の言葉が平成に入って再来します。『悪魔の詩』は原題『THE SATANIC VERSES』として一九八八年にイギリスで出版されました。そして一九九〇年に翻訳され、日本でも出版が開始されます。出版が昭和六三年、翻訳が平成二年です。ちょうどこの間に冷戦が終結し、名実ともに時代は転換点を迎えていました。しかし、平成元年=西暦一九八九年一二月のマルタ会談に世間の注目が集まる一方で、アフガニスタンでの社会主義政権と反政府ゲリラのムジャヒディンとの戦闘はそのまま続けられていました。ソ連は軍を完全撤退させた後もアフガニスタン社会主義政権に武器の供与を行い続けており、アメリカの側もムジャヒディンへの武器の援助をし続けていました。平和に向けての握手の裏側で、まだ争いは続いていました。このようなことが『悪魔の詩』の翻訳にも見られます。『悪魔の詩』が英語から日本語へと姿を変えつつも、その内容は変わらず問題を孕み続けていました。昭和の問題はそのまま受け継がれているのです。

 

『悪魔の詩』はインドのムンバイ出身でイギリスに帰化したサルマン・ラシュディによって書かれました。これを訳したのが五十嵐一です。この小説はイスラームを題材として扱っているのですが、しばしばイスラームを揶揄する描写が出てくるためにイスラーム教徒から反感を持たれています。その反感の度合いは大きく、ラシュディはホメイニーから死刑宣告を受けるまでに至りました。そして訳者である五十嵐の方も反感を買うこととなります。一九九一年、何者かによって五十嵐は殺害されてしまいます。

問題だとされている箇所はいくつかありますが、代表的な箇所を上げましょう。預言者ムハンマドを模した登場人物マハウンドが唯一神であるアッラー以外の三女神の存在を認めてしまう場面です。コーランの第一一二章には「告げよ、「これぞ、アッラー、唯一なる神、もろ人の依りまつるアッラーぞ。子もなく親もなく、ならぶ者なき御神ぞ」」とあるので、三女神をアッラーの娘たちとすることは冒涜になります。これは預言者ムハンマドにささやきかけられたという「悪魔の詩」のエピソードに基づいていると言われていますが、イスラームの中にはこのエピソード自体を認めていない宗派もあり、また、コーランには全くこのエピソードは記載されていないため、反感を抱かれるのも不思議ではありません。ちなみに小説では、「あれは悪魔のささやきであった」とマハウンドが訂正するところまで描かれてはいます。五十嵐はまた、小説の文体にも注目し、これに反感の原因の一端があるのではないかと考えていました。問題の箇所はジブリエール・ファリシュタの夢の中の出来事が主なのですが、夢の中の出来事も、現実の出来事も文体に変化はなく直接法で書かれていきます。そこには、「まるで」や「あたかも」という仮定法が用いられていません。そして五十嵐は、「夢を見た」の一文の後、数十ページにわたって直接法の文体が続くことで、その叙述を作者の肉声と混同してしまうのではないか、というような推測をします。また、問題の箇所だけを切り出せば、それが夢の中のことなのか現実のことなのかは分からなくなり、その箇所だけが読まれてしまったのではないかとも考えていました。確かに、『悪魔の詩』は読者をあらゆる箇所で宙づりにさせるといった特徴をもっています。それはすでに物語の冒頭から伺うことができます。冒頭、天空から墜落中のジブリエール・ファリシュタとサラディン・チャムチャの描写と会話が始まります。墜落中である理由は、インド航空のジャンボジェット機が爆発したためだとすぐに分かるのですが、その爆発の原因は第一章の終わりまで、つまり百ページほど進めなければ知ることができないのです。

五十嵐は『悪魔の詩』を訳した後、同著の「解説」や同年に出版された『イスラーム・ラディカリズム 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』にて、部分的には冒涜ととれる箇所があることを認めたうえで、ホメイニーによる死刑宣告が勇み足であることを主張しています。そもそも五十嵐は、『悪魔の詩』を文学的に評価したからこそ訳すことを決めています。全体を通読さえすれば、決してイスラームに対する冒涜でもないことが分かるだろうし、ましてやイスラーム的な話題を主軸においているとさえ言えるかどうかは疑わしいと、彼にはそのような確信があったのです。それはイスラーム、あるいはホメイニーへのこのうえない尊敬の念を前提としてなされた主張でしたが、その意志は報われませんでした。事件の犯人は結局見つからず、一五年後に時効を迎え未解決事件となっています。

井筒の『イスラーム文化 その根柢にあるもの』の文庫化は、五十嵐の亡くなる約一ヶ月前になされました。事件翌日の各社新聞の夕刊によると、五十嵐は抗議デモなど気にしてなかったとのことです。別段何かを警戒していたということもかったのでしょう。中にはイスラームとの関係は薄いかもしれないとの意見もありますが、しかし、井筒の「イスラームの接近」を告げる言葉がまるで予言のように聴こえてしまうのは、ネガティブな昭和の引力なのかもしれないと考えてしまいます。

 

このように昭和から平成への移行を許すまいとする意志は「暴力」によって表出されました。ここで改めて確認すべきことは、昭和五〇年にあった純粋な思想的探究心によりはじまったイスラーム理解は、オイルショックやイラン革命、あるいは死刑宣告という具体的な事象によって駆動されるようになってきたということです。アカデミズムからジャーナリズム的な傾向が強くなっていきます。というよりはむしろ、ジャーナリズムを前提としないとアカデミズム的な探究が始まらなくなっていると言ってもよいのかもしれません。

イラン革命の後、そのまま情勢は悪化しイラン・イラク戦争へと突入して行きます。この戦争は日本では「イライラ戦争」とも呼ばれ、一九八〇年から八八年まで続きました。イラン・イラク戦争の停戦後、あまり時を経ずに一九九一年から湾岸戦争が始まります。今度はイラクとクウェートの争いです。イラン・イラク戦争の際にはイラクを支援していた欧米諸国ですが、湾岸戦争では多国籍軍となってイラクを襲います。この湾岸戦争は日本に大きな影響を及ぼしました。日本では憲法上の理由で自衛隊の国外派遣ができなかったため、資金提供に留まっていましたが、この姿勢が「血を金で買ったと」揶揄されます。その後、PKO協力法が改正され、自衛隊の派遣が合法とみなされていくのです。このように、日本は中近東で起こり続けいている一連の戦争を通じて、イスラーム世界を認知していくようになります。昭和五五年から約一〇年間かけて、イスラームに対するジャーナリズム的姿勢がアカデミズムを凌駕していくのです。そしてジャーナリズムの伝えるイスラームは、そのほとんどの場合が「争い」、つまり「暴力」を通じてのものとなっています。

決定的となったのは二〇〇一年九月一一日、アメリカで同時多発テロ事件でしょう。特に、アメリカン航空一一便の突入による世界貿易センタービルの崩壊は、資本主義の象徴の崩壊でもあり、世界中の人々を震撼させました。アメリカ同時多発テロは、オサマ・ビンラディン率いるアルカイダという組織によって引き起こされたと言われています。一九七九年のソ連のアフガニスタン侵攻の際にはムジャヒディンの一員としてアメリカの支援を受けていたビンラディンでしたが、のちにアメリカから危険人物として認定され、湾岸戦争にて反米思想を抱くようになります。このアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、ビンラディンやアルカイダといいた中近東情勢へのジャーナリスト的な視線がいっきに熱を帯びていきます。ジャーナリストである池上彰のマスメディアへの露出が高まってくるのもこの辺りからです。

 

ここでイスラームの世界が「暴力」的な事象、つまりジャーナリズム的な視点から知らされるということについてもう少し考えてみましょう。

そもそも、イスラーム世界における聖なる啓典「コーラン」の持つ意味や役割を第三者が理解していくことは非常に困難であるということは、昭和五〇年の段階ですでに言われていたことでした。こと日本においては、その内容理解のハードがいかに高いかということは今日の状況を概観しても容易に想像ができるでしょう。日本とイスラームを隔てる距離は主に二つの理由によって遠く隔てられていると言えます。

第一の距離は、超越的な存在/絶対的な他者に関するものです。超越的な存在/絶対的な他者に対して身を全面的に委ねていくという姿勢は日本にはあまり馴染みがありません。もちろん過去にそのような姿勢が伺える時代はありました。例えば、浄土真宗の開祖である親鸞です。親鸞の高弟である唯円によって書かれたと言われる『嘆異抄』の第八章は他力の念仏について書かれています。

 

念仏は行者のために非行非善なり。

わが計らいにて行ずるにあらざれば非行という、わが計らいにてつくる善にもあらざれば非善という。

 

自分の考えや分別で称えているわけではないから「行」とは言えない。ゆえに「非行」と言う。また同じく、「善」についても自分の思慮で称えられた念仏ではないから「善」ではなく「非善」と言う。念仏を称えるということは全く他力=弥陀の力によるもので、自力からは離れたものである。いまでこそ浄土真宗という名称は葬式の時にしか耳にしなくなってしまったかもしれないが、日本の仏教にはこのような絶対的他者に完全に依拠していく姿勢があるのです。

このような私滅の姿勢は、ときに宗教的枠組を超えて共感を得ることがあります。アジア人として初めてノーベル文学賞を受賞したのはラビンドラナート・タゴールというインド出身の詩人です。文学賞を受賞したのは一九一三年年です。彼の代表的な詩集『ギーターンジャリ』の第一編を見てみましょう。

 

わが頭(こうべ) 垂れさせたまえへ 君が み足の 塵のもと

わが高慢(たかぶり)は 残りなく 沈めよ 涙に

わが身を ただ卑しくす

己れを ただ 包み隠して 惑ひて止まず

わが高慢は 残りなく 沈めよ 涙に

 

われは 誇らじ わが業(わざ)なすとて

み心を 成しとげたまへ わが生命(いのち)を召して

あらま欲し 己が身に

こよなき君の 静寂(しずけさ) 優雅(みやび)

わが身を掩(おほ)ひて 立ちませ 心臓(むね)の蓮華(はちす)に

わが高慢は 残りなく 沈めよ 涙に

 

一行目の「君」とは神のことですが、ここではヒンドゥー教のヴィシュヌ神が想定されています。自分の頭が垂れるのは自分の意志ではなく神の意志であると詠っています。後半の小節の「こよなき君の」の「こよなき」とは「この上ない」という意味で、神が絶対的な他者であること示しています。そして、私の心臓を台座とし、神の姿が私の姿を隠して見えなくなして欲しいと詠っています。自分を全く没却しひたすら神に身を捧げる敬虔な気持ちと姿勢。これが西洋の人々の共感を得てノーベル文学賞受賞へと導かれていくのです。タゴールはベンガル語で書かれた詩を自ら英語に訳しています。その翻訳によって西洋の人々は彼の詩の内容を知ります。ちなみに、ベンガル語は現在のインドの西ベンガル州とバングラデシュの日常言語として使われています。バングラデシュは人口の約八割がイスラーム教徒でありヒンドゥー教徒は少数ですが、タゴールの詩や歌は多くの国民に受け入れられています。バングラデシュ国歌である「我が黄金のベンガルよ(amar shonar Bangla)」の作者もタゴールです。ベンガルにおいてはすでに宗教的枠組を超えてその普遍性が共有されており、翻訳によって世界的なものとなったと言えるでしょう。ところが、こういった絶対的な他者に全面的に身を委ねていく姿勢は日本には馴染んでいないようです。「他力本願」の他力が弥陀ではなく「他人」という意味で使われていることからもそれは伺えるでしょう。この宗教的な姿勢がイスラームと日本を隔てる第一の距離です。

そして第二の距離は、翻訳の持つ性質に起因しています。翻訳はタゴールの詩の普遍的内容を広く開いていきつつも、詩の全てを引き受けることはできません。タゴールの詩はその内容において広く評価されたわけですが、実は言葉の響きにも重きが置かれています。例えば詩の訳者である渡辺照宏は、一九七七年出版の『タゴール詩集』の「訳者のことば」において「詩を味わうには原語で読まなければいけない、とよく申しますが、ラビーンドラの詩のばあいには特にそうです。この詩人の詩は思想的内容のみではなく、その言葉の響きにも鋭い感覚を持ち、その効果をみごとに結晶させました」と称賛しています。参考までに「雨の後、木の葉が揺れる」をベンガル語にすると「ジョル ポレ パタ ノレ」となります。それぞれ「雨の(ジョル)後(ポレ)、木の葉が(パタ)ゆれる(ノレ)」というように対応しています。短いですが、ちょうど二音節ずつリズムよく刻まれるこの言葉からも、ベンガル語の響きの心地よさが味わえるのではないでしょうか。「詩を味わう」と言う時、タゴールに関してはその音まで含めて堪能することができるというわけです。しかし、翻訳はこの音を捨象します。

 

翻訳による音の捨象。それは「コーラン」についても言えることです。少し長いですが『イスラーム思想史』の井筒の言葉を引用しましょう。

 

かくて、コーランは論理的に見れば矛盾に満ちている。このことは、後に主としてギリシャ思想との接触によって論理的に目覚めた回教徒自身も認めざるを得ないところであった。そして事実、多くの学者はこれらの数々の矛盾を如何にして論理的に解決するかという問題に一生を捧げた。しかしながら、コーランを論理的に組織立てようとする試みは、むしろ本来のコーランの精神に合致しないのである。そこでは論理的構成は始めから問題になっていないのだ。当時のアラビア人は何等そのようなものを要求しなかった。コーランは真に昔のアラビアの気持になり、アラビア語の美しさを味わって読む人に対してでなければ、面白くないし、また本当に崇高な精神的興奮を与えてはくれないのである。

 

井筒は、本稿においてイスラーム理解の出発点である年の一八年も前に、昭和三二年=西暦一九五七年に「コーラン」を訳し『コーラン』を出版しています。しかし、彼自身の言葉によれば、そこに見出されるのは論理的矛盾であり、それを超えて崇高さを支える言葉の響きは捨象されているということになります。音の響きの良さを味わえないことは、アラビア語を母国語としない日本人にとっては大きな壁と言えます。そしてこのことこそが日本とイスラームを隔てる第二の距離です。第一の距離とはその内容自体、つまり絶対的な他者に対する宗教的な姿勢が薄いことでした。そして、第二の距離は音の響きの捨象によるものです。言葉の伝達において内容と音の両方が欠けているということは致命的としか言いようがありません。この二つの隔てりを考えると、イスラームを理解することの困難さが如実に現れてきます。『悪魔の詩』は英語で書かれたものでした。矛盾を乗り越えるためのアラビア語的な響きは不在です。ただ単に揶揄ともとれる内容が記されているのみとなります。そして、唯一神への感覚が鈍い日本では「いったいこれのどこが揶揄になっているのか」を感覚の次元では理解し難い。偶像崇拝が死刑宣告に繋がってしまうのは感覚的に行き過ぎていると思うのが「一般的」でしょう。

内容と音による隔たりは、妥協的で概念的な理解に留まることを意味しています。誤解されないよう付け足しておくと、そのこと自体は別段悪いことだとは考えていません。妥協的概念的な理解であってもイスラームの持つ魅力を享受することはできるでしょう。しかし、もしその良さを少しも理解しないまま付き従うのならば、それは「服従」(submission/soumission)という言葉で言い表されるのかもしれません。

 

昭和九〇年=西暦二〇一五年にミシェル・ウェルベックの『服従』が発表されます。言語はフランス語です。同年九月に日本語訳が出版されます。訳者は大塚桃という人物です。彼/彼女に関する説明は「現代フランス文学の翻訳者。訳書多数」の二文のみとなっています。『悪魔の詩』を踏まえてなのか、訳者は架空の人物で、謎のベールに包まれたままとなっています。昭和から平成への移行を許さなかった引力が昭和九〇年になって蘇るのを防ぐかのように、大塚桃は見出されたと言えるのではないでしょうか。

「服従」という言葉について、ウェルベックに入る前に、いま一度『悪魔の詩』を確認していきたいと思います。『悪魔の詩』において「服従」は、イスラーム教徒ではなく、三女神を崇拝する者たち、イスラームからすれば偶像崇拝をする者たちによって用いられた言葉です。マハウンドが三女神を認める発言を「悪魔の詩」だったとして撤回すると、ジャーヒリーヤの街の太守であるアブー・シンベルという人物がイスラームの迫害政策を実施します。そして、太守からイスラームに対して付けられた新たな名称が「服従」なのです。「服従」にはどのような意味(idea)が込められているのでしょうか。バールという詩人がジャーヒリーやの街から逃げるマハウンドを思ってこう述べています。

 

What kind of idea does ’Submission’ seem today?

(いかなる意味を今日“服従”が持つと思うか。)

One full of fear. An idea that runs away.

(恐怖に満ちた意味。逃げだす意味。)

 

恐怖とは迫害政策のことでしょう。そしてアッラーを唯一神と考える者は常に逃げ続けなければならないということが、ここに込められています。イスラームの外から付与されたこの「服従」という言葉。作者のラシュディがいつイスラーム教徒であることをやめたのかは厳密には分からないが、彼はマハウンドの側にはいなかったと考えられます。イスラームではない彼が「服従」という言葉を用いたと解釈するのが妥当でしょう。そして、「服従」は純粋なる神への服従といった自己の没却を意味するものではなく、人間社会の不条理に対して「服従」しろという外部からの意味を持つものだと言えるのです。その意味で言えば、例えばソマリア出身のアヤーン・ヒルシ・アリが『INFIDEL』を二〇〇八年に発表した際、それをそのまま『背教』や『不信心者』と訳さず『もう、服従しない』としたことは的を射ているのかもしれません。

 

ではウェルベックの『服従』はどうでしょうか。その物語の大筋はこうです。

二〇二二年のフランス大統領選挙の第一回投票で、移民排斥を訴えている国民戦線の代表マリーヌ・ル・ペンとイスラーム同胞党のモハメド・ベン・アッベスが一位と二位になる。負けてしまった社会党とUMP(国民連合運動)は、ファシストよりもイスラームの方がマシである考える。そして決選投票にてイスラーム同胞党が勝利し、フランス社会が一気にイスラーム化していく。女性の露出が抑えられたり、一夫多妻性が承認されたりする。主人公フランソワは大学教授であるが、教授職はもっぱらイスラーム教への改宗が求められるため、彼はその職を降り、退職金で生活することを選択する。しかし、物語終盤にロベール・ルディジュという人物が主人公の教職復帰の説得に成功する。主人公は改宗の決心をし、改宗後の生活を想像しながら幕を閉じる。ちなみに本当に改宗したのかどうかは明言されていない。

「服従」は小説の終盤に出てきます。イスラーム教徒であるルディジェが主人公の改宗を促す台詞の中にあります。ルディジュは『O嬢の物語』という官能小説を引き合いに出し、「服従」の必要性を説きます。

 

「『O嬢の物語』にあるのは、服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。わたしはこの考えをわたしと同じ宗教を信じる人たちに言ったことはありませんでした。冒涜的だと捉えられるだろうと思ったからですが、とにかくわたしにとっては、『O嬢の物語』に描かれているように、女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することとの間には関係があるのです。」

 

「服従」を肯定的に捉え、女性の幸福が男性への服従に見出されるように、神への服従が主人公を幸福にするのだと説得しているのでしょう。『悪魔の詩』の「服従」が「恐怖」や「逃げ出す」という意味を持っていたのとは対照的です。なにより、「服従」という言葉が他のイスラーム教徒を気にしつつも、イスラーム教とから発せられているという点は『悪魔の詩』と大きく異なるところです。

しかし、話を進めていくとルディジュが「服従」を見出したのは改宗前だったことが伺えます。それは、主人公がインターネットで見つけたルディジュの過去の論文の中で、彼のかつての同僚である伝統主義者とアイデンティティー運動について暗に言及している箇所に見出せます。アイデンティティー運動とは、小説の脚注によると「極右の政治運動で、白人という人種やキリスト教など何らかのアイデンティティーに根拠を置き、その名の下に集まる」ものだそうです。ルディジュは論文の中で「彼ら(伝統主義者やアイデンティティー運動)は本質的な部分、つまり、無神論や人間中心主義への拒否、女性の服従の必要、家父長制への回帰などについてイスラーム教徒と同意見にある」と述べ、そのような考えを現実的に機能させるにはキリスト教ではなくイスラーム教であると確信しているのです。

主人公は最後、神への「服従」の生活を思い浮かべ、それが後悔しないであろうことを淡々と確認していきます。

 

このような消極的ともいえる改宗は果たして現実に起こるのだろうか。世俗的で宗教的空白の著しい日本に置いてはどうか。本稿ではいかに日本とイスラームとの距離が遠いのかを確認してきました。最後にひとつ国際的な消費の流れに注目してみましょう。

アメリカの調査期間ピュー・リサーチ・センターによると、二〇五〇年にはイスラーム教徒人口が約二七億六千万に達し、キリスト教徒の約二九億二千万人に急接近するようです。人口比率でいえば、全体の約三十パーセントがイスラーム教徒になる予想です。出生率の高い国にイスラーム教徒人口が多いのが一番の特徴ですが、イスラーム教徒への改宗人口も増えているようです。この人口拡大を市場としてみる動きが近年強まってきています。例えば、ハラル・ビジネスです。ハラルとはイスラーム法(シャリーア)的に合法であることを意味します。有名なところで言えば、イスラーム教徒は豚を食すことを禁じられているので、豚肉はもちろんラードを使用した料理も食べられません。豚肉調理に使用された調理器具も忌避されます。それから屠殺方法も厳密に決められており、適切な手順にそって屠殺されたものでないとハラルとは認められないのです。このようなイスラーム教への配慮がなされた商品開発に打って出ようとするのがハラル・ビジネスです。また、アパレルの分野においては、ユニクロが「モデスト・ファッション(控えめなファッション)」ラインの展開を始めています。イスラーム教徒の女性へ向けて頭髪を隠すヒジャブなどの販売を開始する予定となっています。

イスラームは聖と世俗とを分離しないため、消費においても細心の注意が払われます。『服従』にてフランス社会が変化したのもそのためです。宗教的な人口バランスの変化は市場に少なからず影響を与えるでしょう。マクドナルドよりもケンタッキーフライドチキンの方が潜在的な市場は大きいということです。しかし、日本のハラル・ビジネスはそれほど大きな潮流を見せているとは言えません。セミナー等も開かれて入るが、人の集まりはあまり芳しくない印象を受けます。おそらくそれは、先に示したようにイスラームと日本の距離に関係しているのでしょう。ハラルを守るということはアッラーに従うということです。そのためには、イスラームとの間にある距離を埋める作業をしていかなければなりません。

しかし、一方でわれわれが世界の人口動態を市場の変化と捉えているように、イスラームの側ではハラル・ビジネスへの参入を布教機会の拡大と捉えているでしょう。ピュー・リサーチ・センターの推測は半自動的な流れによるものであり、意識して避けられるようなものでもありません。そして、『服従』の改宗が消極的であったように、つまりアッラーを信じるかどうかはとりあえず不問にしてイスラーム的な営みに順応していくように、距離は半ば強制的に縮まっていくのかもしれません。

 

「変身」しか存在しない時代に

1.

 精神分析家 ヴィクトール・フランクルは患者が自殺願望を持っているかを確かめるために、まずは「自殺願望を持っているか?」と問いかける。すると死にたいと思っていてもそうでなくても、彼らはこの質問に「いいえ」と答える。そこで彼は続けてこう質問する。「なぜあなたは自殺したくないのか?」

 私たちは果たして、この問いに満足できる回答を用意することができるだろうか。心的次元において神経症を理解する既存の精神分析理論に対して、フランクルは人間の実存を病因の根幹だと考える。曰く、神経症患者の約半数は彼が言うところの実現的空虚の問題に悩まされている。実存的空虚を一言でまとめると、生きる意味、為すべきことの喪失だ。彼はその概観をこう説明する。

動物と異なり、人間においてはもはや何を為すべきか本能が教えてくれることはない。そして昔とは違い、何を為すべきかについて、伝統や価値観が教えてくれることもない。現代では、何を為すべきなのかを全く知らず、自分が基本的に何をしたいのかさえ分かっていないこともある。その代わりに、他の人がしていることをしたいと思い(順応主義)、他の人が自分にしてほしいと思っていることをする(全体主義)なのである。

為すべきことを提供してくれる広範な伝統の衰退、これを東浩紀『動物化するポストモダン』ではポストモダンの徹底化、「大きな物語の終焉」として説明している。東によれば社会の構成員が共通のイデオロギーを持つことができなくなった1970年代以降(日本でそれが明確になったのは1990年代以降)、自己決定や個人主義が是とされていくなかで万人が共通の価値観を持つべきだという価値観は失われていった。

 大きな物語が徹底して腐敗した結果、現代では個人主義を肯定するのが当たり前になっている。そんな時代に立ち現れる問題が、自由な個人であるはずなのに何を為すべきかわからないという行き場のない虚無感、実存的空虚なのである。しかし同時に、大きな物語の終焉はポストモダンに固有の概念ではないことも確認しておかねばならない。ヘーゲルは歴史を自己意識を持つ人間同士の争いであり、その繰り返しでのみ社会が自由で高度なものに発展すると定義した。そして、この定義に則れば19世紀前半にヨーロッパの歴史は終焉したのだとヘーゲルはいう。そしてそれに多大な影響を受けたコジェーブは、以降の消費ばかりを繰り返すアメリカ人を動物的、内容を伴わず形式だけを継承する日本人をスノピズムと呼んだ。どちらも歴史が終焉した後の人間の様式だ。つまり近代は、歴史の終焉と共に幕を開けたのである。

 しかし皆が共有する物語=歴史は今日も終焉の危機に瀕している。そもそもフランクルが実存的空虚と伝統について記したのは1972年、東が大きな物語の終焉に言及しているのは2000年である。なのに2015年の現在でも、大きな物語には絶えず死亡通告が送られ続けているつまり近代は大きな物語の死によって幕を開け、その後も絶えず死に続け、そして今もこの瞬間に繰り返し息を引き取っている。ポストモダンという時代区分を用いるまでもなく、近代はその始めから歴史の終焉を孕み、再生産しているのだ。

 そんな中で2015年あるいは平成27年を昭和90年と呼ぶことにはどんな意味があるのか。東は、文化や時流が昭和○○年代という区切りで呼称されることはよくあるが、平成○○年代という呼ばれ方は滅多に使われないと話す。文化や時流とはそのまま大きな物語のことを指す。であるならば、昭和とはそのまま大きな物語が(かろうじて)命を保っていた時代だといえるだろう。その呼称を平成も20年以上過ぎた現在に再生させることは、大きな物語が通用しないまでも、せめて小さな物語という形で「時流という物語」(と書いてひひょうと読む)に息を吹き返させる企てだろう。

 しかし、確認してきたように大きな物語はこれまで絶えず死亡を宣告され、そして今でも死に続けている。このような虚ろな状態でリバイバルされた批評は意味を持たない実存的空虚、言ってしまえばゾンビになってしまうのではないだろうか。ならば今すべきは、死に続ける存在を一度切り捨てることである。そうしなければ次の時代を切り開くことはできない。本論が目指すのは、大きな物語を死んだものとみなし、現在蔓延する問題をその後の想像力によって処理することである。

 

 現実には、常にその対となる反現実が存在する。大澤真幸は『不可能性の時代』でこの仮定をもとに戦後日本社会のあらゆる現象を大きな物語という反現実の衰退の過程として配置する。東浩紀は『ゲーム的リアリズムの想像力』でこの反現実を「想像力の共同体」と呼んでいる。では、大きな物語が凋落した時代の想像力の共同体とはどんなものか。そこで東が提示するのがデータベースである。東はこのデータベースモデルの説明として、オタクの消費モデルの変化を援用する。それまでのオタクの消費モデルは、大塚英志が「物語消費」と呼ぶ。これはそれぞれに物語の断片が書かれたビックリマンシールを蒐集することで、その奥に広がる世界戦記を知ることができるように、個別の物語の消費はその奥に広がる大きな物語によって駆動するというものである。

 それに対してデータベース消費では、小さな物語の奥に広がっているのは「属性」の集積地としてのデータベースだ。属性とは「無口」や「青髪」といったいわゆる「萌え要素」だ。ここでは、小さな物語=キャラクターはこうした属性の束として構成される。そしてオタクはキャラクターを通してこの属性に萌えることで、データベースを消費するのである。

 村上裕一『ゴーストの条件』では、このデータベースがキャラクターに取って代わられている(吸収されている)ことを提示する。例えば仮面ライダーディケイドは、過去の平成ライダーの世界を旅して、彼らをカードとして蒐集する。過去作『仮面ライダー龍騎』では、武器や技をカードで発動させて戦うのに対し、ディケイドは過去のライダー自体をカードで召還する。村上はこれを「存在の萌え要素化」と呼ぶ。つまり、一定数の属性の束としてデータベースの入れ子でしかなかったキャラクターを入れ子として取り込んだキャラクターである。

 さらに村上はデータベース化したキャラクター(=ゴースト)として2ちゃんねるで生まれたキャラクター「やる夫」を取り上げる。AA(アスキーアート)で描かれたやる夫はその進化に伴ってその差分によって感情表現を可能にしたことを確認した上で、村上はやる夫スレと呼ばれるやる夫メインで物語が展開される掲示板のスレッドの変遷に注目する。初期やる夫スレの「刺身のタンポポに花をのせる仕事の採用試験に受かったお!!!!」などでは、2ちゃん民の心情を反映している(?)やる夫が社会を舐め切った結果痛い目を見る話が多かったが、「やる夫が小説家になるようです」がその転機になっていると村上は推測する。これは同級生のやらない夫が小説家だったことを知ったやる夫が小説家を目指す話だが、そこには小説を書くための入門本や新人賞などの知識がふんだんに盛り込まれる。これを皮切りに歴史や法律などの知識やレジャーの入門を紹介する「やる夫が〜〜するようです」を題したスレが一気に登場する。やる夫スレが、ある種の知識を集積するデータベースになったのだ。

 さらに、「やる夫が小説家になるようです」では、やる夫ややらない夫といった2ちゃんねる発のオリジナルキャラクターではなく、長門有希(『涼宮ハルヒの憂鬱』)や芥川龍之介などの既存の物語作品の登場人物や、ときには実在の人物がキャラクター(AA)として登場する。やる夫は、AAとなった彼らと平然と会話をする。つまり、やる夫は進化を続けるデータベースでありながら、2次元・3次元を問わないキャラクターたちと交流するキャラクターなのである。これが村上が更新したデータベースの新しい在り方だ。

 

 以上のように、大きな物語が衰退した後の想像力には多量の言及があるのに、依然として「大きな物語の衰退」が力を持っているのはなぜなのだろうか。古市憲寿『絶望な国の幸福な若者たち』では、若者の空虚感は未来に対する期待の喪失としてで説明される。本書の主張は至ってシンプルだ。現代の若者は現状の(物質的に)豊かな生活に満足しているが、同時にこれ以上良い未来が訪れるとは思っていない。今より素晴らしい将来を想像することができないいう意味で、彼らは現在を肯定するしかない。だから、若者は「絶望」の国に暮らしながらも幸福なのである。

 大きな物語とは、未来の肯定だ。「物語」は現在に分かりやすい状況説明を与えるだけでなく、その先をある程度素描してくれるものでなければならない。ページとページの間に整合性がとれておらず、その先もこれまでの筋とは無関係、あるいは想定される物語に全く期待できなければ、人はページをめくることはなくなる。つまりは、大きな物語という想像力は機能しなくなるのである。

 大きな物語は単なる想像力ではなく、それが「物語」でなければならない。物語に比べて、「データベース」や「キャラクター」には時間概念を感じづらい(東がデータベースの説明をする際にコンピュータの例えを用いていることからも分かるように、彼はそこに更新性を織り込んでいるが、それは見過ごされることが多い)。データベース(キャラクター)は大きな物語に代わる想像力としては機能するが、それは人々の空虚感を埋める力は持たない。未来への予感=時間性が伴わなければ、人は想像力とともに歩むことはできないのだ。

 例えばさやわかは、『キャラの思考法』において東がデータベースの更新可能性を見ていたことを再評価し、その表出であるキャラという概念の変化を丹念に見ていくべきだと提言している。ここで彼は村上の論を参照しておらず、彼の主張は不可知なデータベースを知るために可視的なキャラに目を向けるべきだという意味だろう。しかし、2015年においてデータベースを知るためにキャラを見るべきだといわれることは、逆説的に彼のキャラクター=ゴーストがデータベースの域にまで昇華していることの微力な裏付けになるのではないか。彼がいうデータベースとなったキャラクターはやる夫などごく僅かだし、近年の時流に見合っているようには思えない。とはいえ、データベースの動向を知るためにはキャラクターに目を向けるしかない現実と、キャラクターが時にはデータベースをのむ込むまでに肥大化し一人歩きすることすらある状況は、データベース=現代の想像力とキャラクターの関係が単純な入れ子構造ではないことが分かるだろう。

 

2.

 ならば、ここでいわれるキャラクターとは何だろうか。フィクションを語る上で、あるいは社会を語る上でもキャラクターは欠かせない存在になっている。ポンチ絵やマンガでの図像がある種の人格として認識されたことから始まり、それは企業タイアップなどフィクションに留まらない範囲で活躍し、さらには我々人間自体を指す言葉にすらなっている。とはいえ、それだけにその定義も多種多様だ。例えば、前章で見たように東浩紀はそれを属性の束、小田切博はキャラクターを意味と図像と内面の集合として示した。以降で確認するように、キャラクターに対する言及や定義付けは既に有り余るほどに存在する。正直、キャラ/キャラクターへの議論に既に食傷気味になっている人もいるだろう。そこで、本論ではフィクション、及び現実に氾濫するこれらの概念をできる限り整理し、キャラに関する研究の不十分な点、あるいは探求が我々にもたらしてくれる可能性を指摘する。

 大塚英志の「死にゆく身体」、小田切博の「意味・内面・図像からなる3要素の複合体」など、キャラクターに関する定義付けは枚挙に遑がない。本論でまず参照するのは、キャラとキャラクターの違いを明確に提示した伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』だ。伊藤によれば、キャラは「多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指しされることによって(あるいはそれを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの」であり、キャラクターは「「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの」だ。

 伊藤の論においてキャラクターは物語上の登場人物とほぼ同義だと考えられるが、それに対してキャラが示す概念は非常に複雑だ。岩下朋世は『少女漫画の表現機構』においてキャラの成立過程を明らかにするために、伊藤がいうキャラをキャラ図像とキャラ人格の2つに分けて考察している。キャラ図像とはその名の通りキャラを構成する図像であるのに対して、キャラ人格はその図像が指し示す個別対象であり、その人格である。

 こうした前提を踏まえた上で、岩下は手塚治虫『リボンの騎士』におけるキャラと表現の関係を研究する。本稿に関する結論だけを簡潔に述べよう。まず、マンガ表現においてキャラが立ち現れる第一の契機は、視覚的な図像が描かれることである。他とは差異化されたキャラ図像がまず存在し、その後にその内面としてのキャラ人格が表れ、キャラの同一性を担保する。こうして初めて「人格のようなもの」を感じさせる存在感としてのキャラは誕生し、その後登場人物=キャラクターとして物語内での役割を担うことができるのだ。換言すれば、マンガにおいてキャラは、図像がなければ出現することはできない。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、キャラの誕生には他との違いを見分けるための図像の存在が不可欠だが、その保証については必ずしも図像の一致が求められないことだ。岩下は『リボンの騎士』の物語内で主人公サファイアが「リボンの騎士」や「あまいろのかみのおとめ」、「白鳥」などに変身(変装)しても、読者はそれが「サファイア」という同一のキャラ人格であることを理解できる。そして、岩下は『リボンの騎士』における図像の変化=変身が、キャラの区別どころかキャラの同一性の強化に貢献していると指摘する。

 順を追って見ていこう。『テヅカ・イズ・デッド』では、同じく変身を扱った手塚作品として『地下帝国の怪人』が取り上げられる。(中略)ここでは耳男/ミミー/ルンペンが同一のキャラだと読者に明かされるのは、(薄々分かっているものの)物語の結末である。つまり、キャラ図像とキャラ人格の一致に関する認識が物語の内部と外部(読者)で異なっている。キャラの同一性が事後的に明らかになることで、外部からは知ることができない内面の変化を遡及的に知り、感動をもたらすのである。

 それに対して、『リボンの騎士』では物語の進行に沿って変身の契機(王子フランツに会うため、魔法をかけられたためなど)が開示されるため、読者はキャラの同一性を容易に把握できる。前述のように、本作ではそれはサファイアの内面描写として機能している。そもそも、『リボンの騎士』という作品はサファイアが天使のミスによって男性の心と女性の内面を持ってしまったことから物語が展開する。さらに彼女は女として生まれながらも王子として育てられるというセクシュアリティ/ジェンダー的に複雑な内面を有している。それを図像(形式)のレベルで描き分けるているのが「あまいろのかみのおとめ」や「リボンの騎士」といったサファイアの変装だろう。

 しかし、さらにサファイアは物語中、悪魔の手にかかり白鳥に変身してしまう。ここでは、王冠を被ることで他の白鳥とは区別されるものの、これまでのサファイアと共通するキャラ図像はほとんど持たない。そこで岩下は、ここでのキャラ人格の同一性は「はくちょうにされてしまったリボンの騎士は 魔法使いのばけたわしにどこへともなくつれていかれるのでした」というナレーションなどによって保たれていると考える。つまり、これまでキャラの絶対的な条件だと考えられていた図像はキャラの同一性を保つ上での必要条件ではないのである。

 さらに岩下は、異なるキャラ図像が一つのキャラ人格を意味することで、外部状況とのギャップによってキャラの内面を深く描くことにも寄与するという。例えば、白鳥になったサファイアは、隣国の王子フランツからの手紙に返信しようとするが、白鳥の姿のため文字を書くことができない。「あまいろのかみのおとめ」としてのサファイアに恋をするフランツに対して、王子としてのサファイアは手紙を介することで「あまいろのかみのおとめ」としてコミュニケーションをとることができたが、さらに白鳥の姿という図像的制約を課されることで彼女の思いを対象化して描き出すことに成功しているのである。

 様々な変装・変身によってキャラ図像を変えることでサファイアの女性性への葛藤は形を変えて表現される。岩下は、この作業によってサファイアの内面は幾度となく対象化され、彼女は自らの女性としての自己像を繰り返し確認していると指摘する。キャラ図像が変化してもキャラ人格の同一性が壊れることはなく、むしろ内面が掘り下げられキャラクターとしての強度が増しているのである。

 

 岩下の探求を経ることで、改めて浮かび上がってくるのは伊藤によるキャラの定義の曖昧さだ(あるいはこれは意図的かも)。彼は、キャラクターを物語内の登場人物、キャラを図像から感じられる人間らしさだと定義した。この定義においてキャラは、まず岩下が見たようなキャラ図像(の連続)から浮かび上がるキャラ人格のようなもの、言ってしまえばキャラクターに先行する存在だと特定できる。

 しかし、その一方で『テヅカ・イズ・デッド』はテクストに縛られず越境する存在としてのキャラ、つまりは物語内でのキャラクターの要素を全てひっくるめたまま異なるテクストに移動する存在としてキャラが描かれているようにも見える(岩下はそのような解釈に則った書評の存在を指摘している)。例えば、アニメ『鉄腕アトム』でアトムというキャラの図像を見たときに、原作を読んだことがある人ならそこで展開されたアトムというキャラクターの人生を想起した上でアニメを見るだろう。また、二次創作においてはしばしば原作が完結した後のアフターストーリーが描かれるが、そこで原作のストーリーを細かに説明しなくても読者が話に載ることが出来るのは、二次創作上に描かれたキャラを見ただけで、原作完結までのキャラクターの生き様を思い出し、そのキャラの人生として二次創作のストーリーを接続できるからだ。また、例えばアトムの図像がプリントされたTシャツを街中で見たときにも、私たちはそれが『鉄腕アトム』の主人公アトムだと認識できる。これは、単にその図像に人間らしさを感じているだけでなく、物語の外部においても『鉄腕アトム』におけるアトムとしてその図像が認識されているからだ。

 つまり、図像表現から考えたキャラの性質には、「キャラ→キャラクター」にあたる人間らしさの生成と、「キャラクター→キャラ」にあたるテクスト(メディア)の移動がある。本論では、前者を岩下にならって「プロトキャラクター性」、後者を「間世界移動性」と呼ぼう。ここまでを要約すると、マンガにおけるキャラは、他と差異化された(キャラ)図像が人間らしさを感じさせた瞬間が誕生の契機になるが、その性質はある図像が人間らしさを感じさせること(プロトキャラクター性)と、複数のテクスト(メディア)においても同一のものとして認識されること(間世界移動性)にある。

 

 図像が同一性を保証するわけではないのなら、キャラを担保する要素は一体何なのだろうか。そこで村上が持ち出すのは、固有名である。村上の固有名論は東『存在論的、郵便的』に大きく依っている。まずはそれを簡単に確認しよう。クリプキ及び柄谷行人『探求Ⅱ』によれば、固有名は「確定記述の束」、つまりは定義付けの集積のみで説明することはできない。例えば、「アリストテレスはプラトンの弟子だった」「アレクサンダー大王を教えた」といった記述をいくら積み重ねても、「アリストテレス」という人物を完全に定義することはできない。また、「実はプラトンの弟子ではなかった」などの確定記述の書き換えが起きても「アリストテレス」が固有名として機能することと矛盾している。そこで柄谷は、確定記述などの性質による固有性=特殊性と区別した、固有名はただそれだけで個体を指示するという性質として「単独性」という区別を提案する。それは固有名が固有名たる神秘性に名前をつけたに過ぎない。同じように、ラカンはそれを対象aという象徴界の欠如として名指す。東によれば、これらはシステムの欠陥を一カ所だと断定し、それによってシステムが駆動するという否定神学的な態度である。

 固有名が人から人へ、あるいは文字から文字へ伝わる経路の全てに、それが誤って伝達される可能性はある。東(デリダ)は、このようにシステムの欠如を複数化する。常に起こりうる伝達ミスの可能性こそが固有名の神秘性であり、どこに現れるか分からない伝達ミスの可能性を東は「幽霊」と呼ぶ。

 村上は、この幽霊こそがキャラクターを担保するという。例えば、「モーニング娘。」や「AKB48」はそのグループ名=固有名を維持しながらも、メンバーが入れ替わる。それによって、ファンに育成の感覚(ダイナミズム)を味あわせながら、メンバーが入れ替わる新陳代謝(ダイナミズム)を繰り返す。これらを統御する固有名を核にしながら、アイドルグループというキャラクターはダイナミズムとメタボリズムによって存続する。

 前章で確認したように、この運動を前提とした上でキャラクターは幽霊として(主にインターネットを)徘徊する。そこで属性の誤認や追加が繰り返されることで、まるでキャラクターが自律しているかのような運動を見せるのだ。

 

 

3.

 ここまでのフィクションにおけるキャラ/キャラクター理解を踏まえて、本章では現実世界でこれらの概念がどのようにしようされているかを確認しよう。おそらく、2次元以外でまずキャラという言葉が広がりを見せたのは、バラエティ番組ではないだろうか。現代のお笑いが「キャラ」を見せる芸だと言われれば、多くの人は首肯するだろう。

 しかし、この通念の歴史はそう長いものではない。それを端的に示すのが、お笑い芸人オール巨人の以下の発言だ。

 本当の芸というのはね、無色透明同士が合わさって、色を出さなければならないんですよ。イメージのない人間、例えば、夢路いとし喜味こいし先生。いとし先生も、こいし先生もそれぞれの色やイメージはないじゃないですか。でも、喋ると面白い。これが技を見せるということですよ。

少なくともオール巨人が活躍した1970〜80年代、面白さは無色透明な人間によって産み出されるという認識が存在していた。しかし、それ以降面白さの産み出し方・見せ方は大きく変わっていく。荻上チキは、2000年代のバラエティ番組の特徴を「キャラ戦争」だと形容し、そこでは”芸”ではなく”芸人”を見せる、つまり「キャラ見せ」としての笑いが一般化していると説明する。キャラ見せの笑いとは一発ギャグやショートコントなどのネタが、芸人のキャラと不可分な状態で提供されることだ。

 キャラ見せは、無色透明な人間(というキャラクター)だからこそ緻密で技巧的なネタを産み出せるという考えとは対局に位置する。2000年代以降では単にネタの水準のみで笑いを誘うのではなく、そこに芸人自身の人間性がなんらかの形で関わってくるのである。

 その例として分かりやすいのが、オリエンタルラジオが2016年に再ブレイクのきっかけを作った「I’m a perfect human.」だ。これは、オリエンタルラジオ藤森がバックダンサーとともにキレのある踊りと自作の楽曲を披露し、その合間に中田が大きく間を取り「I’m a perfect human.」と言うだけのもの。ネタ単体としては、コントや喋りばかりのお笑いで急に比較的ハイクオリティな歌とダンスだという新鮮味としての面白さしかないが、そこに芸人としてのオリエンタルラジオを含めると笑いの可能性は一気に広がる。

 例えば、イケメン風なルックスを持つ藤森が前座としての楽曲を担当し、「パーフェクトヒューマン」という言葉を少し抜けた顔立ちの中田が発するギャップなどが、まず見た目からくるキャラを踏まえた笑いにつながるだろう。2005年頃に彼らがブレイクするきっかけを作った「武勇伝」ネタと同じ構造だ。しかし、武勇伝による彼らのブレイクは長くは続かない。その後、中田はオタクとして、藤森はチャラ男としてのキャラで多面的な仕事をこなすようになる。

 ……という彼らのキャラクター(文脈)を把握すれば、例えば藤森がシリアスな歌詞を熱唱しキレッキレのダンスを踊ることは(チャラ男キャラの彼を想起することで)更なる笑いを生むだろう。このように、いまや笑いはネタ自身の完成度そのものではなく、それを演じる人間自体と大きな関わりを持っている。これがキャラによる笑いだ。

 

 このような芸人のキャラは、バラエティ番組で特に力を持つ。荻上がいうように、笑いが芸ではなく芸人を見せるようになったのだとしたら、その個性が要請されるのは複数の芸人が集まる場だからだ。そこではイケメンキャラや毒舌キャラなどの分かりやすい役割=キャラ立ちが求められる。こうした意識はブラウン管の向こう側だけに存在するものではない。現実空間におけるコミュニケーションも、こうしたキャラ意識に強く規定されているという指摘は2000年代中盤以降、絶えずなされてきた。相原博之は、最近の若者は上辺のキャラを恣意的に設定することで、コミュニケーションを円滑に行っていると指摘する。そこではバカキャラやクールキャラ、へたれキャラや仕切りキャラなどの”分かりやすい”キャラに互いを固定化することで、関係性が成立する。故に、例えば教室などの一つの集団の中に同じキャラが存在する=キャラが被る状態や、上記のようなキャラとして認知されない=キャラを持てない状態は忌避される。2016年のセンター試験国語の試験問題にも使用された土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』によれば、学校空間はバラエティ番組に強く影響を受けている。それはつまり、日常生活においてもキャラ立ちの意識が求められているということだ。

 土井によれば、若者はこうした場で生き残るために、「外キャラ」と「内キャラ」という2種類のキャラを意識している。簡潔に説明しよう。「外キャラ」はバカキャラなどのようなここまで見てきたコミュニケーションを円滑にさせるためのキャラ、つまりは他者との関係を破綻させないために提示する簡素な自己イメージだ。一方で、「内キャラ」は誰にも提示されることがない。それは自分だけが知っている“本当の自己”として、一切変化することのない生来的ない自己イメージだ。

 土井は、こうした自己理解モデルが登場した背景にはアイデンティティという自己理解モデルが失効したことがあるという。自己を単一的だが可変的なものだとみなし、様々な人との関わりの中で絶えず変化(=成長)していくのがアイデンティティによる自己理解モデルだ。社会が多様化したことでそれぞれの環境に適応し成長していくのが難しくなった若者が、それぞれの環境に適応した仮面を被ることで自己を保護するというのが「内キャラ」「外キャラ」による自己理解モデルだ。ここではこの是非については言及しない。しかし、一つ指摘できるのは、ここでは「キャラ」が非常に浅薄な形象として用いられていることだ。前章で確認したように、キャラ/キャラクターは多様な性質を持ち、ときにはデータベースを凌駕すらする。それが現実に適用されたとたん、そうした多様性は切り捨てられ「一面的な仮面」に成り下がってしまうのである。

 

 では、現実空間でのキャラ立ちは、フィクションにおけるキャラ理解を使用することでどう説明できるだろうか。そこではキャラを他人から強制される、あるいは自ら望んでこうしたイメージを引き受ける。相原はこれを、伊藤のキャラの定義を用いて「人間が比較的簡単に描ける線画」のような存在になっていると指摘したが、我々はここで適用すべきキャラの定義を既に獲得している。東のデータベース理論だ。

 確認したように、コミュニケーションの場において彼らはツッコミキャラ、いじられキャラといったキャラが認識される。ここでいう「ツッコミ」「いじられ」とは人間の性質の一部、つまりは属性だ。データベース理論では、データベースに集積されている属性をいくつかつなげることでフィクションのキャラが誕生する。現実でもそれと同じことが行われているといえるだろう。集団内に不足している属性としての振る舞いをデータベースから参照し、それを自分の内部あるいは外部(こうした区別をする必要はあるだろうか?)から取り付ける。

 重要なのは、それは仮面の付け替えではなく、あくまで部分としての属性の着脱に過ぎないということだ。キャラとは属性そのものではなく、属性の束だ。アイデンティティとの対比で語れるような完全な他人になり切るのではなく、自己を構成する一部を付け替えるだけで構わない。

 しかし、先程も確認したようにそうして表出されたキャラは「ツッコミキャラ」のような属性として名指される。もちろん、常に当人のことを属性名で呼ぶ訳ではないが、このように自称、他称としての表現を可能にするためには、自己の構成要素の一部でしかない属性を拡大させる作業が必要になる。部分としての属性を少しずつ変化させて拡大させていくこと。こうした変化の過程を「換喩的操作」と呼ぼう。換喩が重視するのは類似性、隣接性だ。例えば、赤ずきんを被っているという特徴を以て、童話『赤ずきん』の主人公は「赤ずきんちゃん」と呼ばれる。

 齋藤環は、伊藤のキャラ/キャラクターという定義が極めて隠喩/換喩的だと指摘する。あくまで一つの物語世界に所属し、その世界との関わりの中で成長していく「キャラクター」は換喩的存在であり、テクスト(メディア)に縛られずに世界を行き来する=世界の不連続性を前手にした「キャラ」は隠喩的存在だというわけだ。齋藤は隠喩的=キャラ的な存在としてディズニーキャラを、換喩的=キャラクター的な存在としてサンリオキャラを取り上げる。ディズニーキャラは膨大にある人間の特徴をディズニー世界という虚構空間で展開するための記号だ。人間という対象を丸ごと形容しているため、我々はそれを全体として「共感」することができる。一方で、サンリオキャラは動物や人間の特徴を拡大させただけのイコンだ。部分でしかないそれらに共感することはできないが、我々はそれを愛すべきものとして「感情移入」することができる。

 

 ここまでの論を踏まえればお笑いや学校空間についての言及で用いられた「キャラ立ち」「キャラが被る」「キャラがない」は、全て所属世界とのつながりについての問題であり、いずれも属性を対象としている(「所属世界内で自分の属性が目立っている」「所属世界内で自分を形容する属性が被っている」「所属世界内で自分を形容する属性がない」)ため、これらは換喩的問題、つまりは「キャラクター」の問題だといえる。故に、以降でこれらは「キャラクター立ち」などと表記するのが適切だろう。

 属性を媒介とした換喩的自己理解モデルは、なにも若者だけの問題ではない。就職活動における自己分析などは、まさにその好例だ。自己分析とは、主に新卒一括採用における就職活動の中で、マニュアルや就活サイトにおいて最初期に行うよう奨励される作業である。要はエントリーシートや面接といった採用活動を突破するのが目的だが、多くのマニュアルにおいて自己の属性を媒介とすることで「自己を理解する」よう勧められているのだ。

 例えば、『マイナビ2017 内定獲得のメソッド 自己分析』では、まずワークシートに沿って過去の出来事を振り返り、それを他人に評価してもらうプロセスを経て(他己分析)、企業の分析を経た上でアピールすべき自己の長所=属性を書き出すというプロセスを踏む。さらに、『自己分析驚異の超実践法』では同じく過去の出来事をワークシートに書き出した上で、用意された434(!)の設問に二択で答えることで強み=属性を発見する。ここまで膨大な質問は、まさに自己に関するデータベースと形容せずにはいられない。

 以上のように、属性の束としてのデータベースの中で自己を振るいにかけ、望ましい属性を集積することで自己を確定させるプロセスは、自意識過剰な若者の思い込みとして捨象されるものではない。社会に出るための通過儀礼と言われる就職活動で同様の作業が奨励されることが、何よりの証左だろう。

 

 ここまで、お笑いや学校空間でのキャラの問題が実はキャラクター的=換喩的であることを指摘し、それは必ずしも若者の自己意識による問題にはとどまらないことを指摘した。なぜこれらが換喩的に説明可能だったのかというと、なんらかの場とのつながりにおける自己の理解だったからだ(就活の例は志望企業とのつながり)。つまり、主語を個人に定め、関係する集団のそれぞれを切り分けられた世界として認識すれば、世界ごとのキャラ=隠喩的な問題になると考えることもできる。しかし、本当にそうだろうか?

 確認したように、場によってキャラを切り替えるとき、人は属性の一部を拡大させることが出来さえすればよい。土井は「キャラクターからキャラへ」という章で、大きな物語の喪失によって保証されていたアイデンティティモデルが機能しなくなったことで、若者はまるでリカちゃん人形の着せ替えのように自己を着飾りながら生きていると指摘する。ここでいう「着せ替え」とは間違いなく隠喩的だ。自己の大部分はそれによって着脱され、残るのは固定された「内キャラ」のみなのだから。つまり、ここではいくら着せ替えをしても換喩のような「ちょっとずつの変化=成長」は起こらない。自己を少しずつ変化させていくアイデンティティ・モデルは換喩的なモデルだからだ。

 つまり問題は、換喩的モデルである(これは成長とほとんど同義だ)属性の付け替えを隠喩的モデル=自己の大部分の成り代わり、変身として捉えてしまっていることだ。故にキャラ問題を扱った若者論の多くは、「若者はいかん!」に帰結するしかない。ここまでで、フィクションにおけるキャラ論を適用させることで、現実におけるキャラ論に異なる可能性を与えることができることを示した。今後のキャラに関する考察として欠かせない作業の一つは、氾濫する定義を整理することで同じキャラ論の中でも蔓延する「ズレ」を確認していくことだと言えるだろう。

 

 論を進めよう。では、アイデンティティ的な換喩と属性的な換喩の違いはどこにあるのか。齋藤は『キャラクター精神分析』において、学校空間やマンガ、小説、現実など幅広い事象を吟味した結果、キャラクターを「同一性を伝達するもの」と定義する。さらに齋藤は、この逆も成立するのだという。つまり、同一性を伝達する存在は全てキャラクターとなる。

 彼はなぜ、ここでキャラクターと同一性の関係を必要十分条件に定めたのか。ここに人間とキャラクターを分かつ決定的な要因があるからだ。言うまでもないが、我々人間も同一性を伝達する力を持つ。身体はいうまでもないし、固有名はこの力を持つからこそ哲学的論争の対象になった。ならば人間もキャラクターでしかないのか?齋藤はこれを強く否定する。なぜなら、人間は自己言及によって同一性を確認するだけでなく、変化=成長することができるからだ。彼は、人間の可能性をまさにここに見ている。

 ここでいう自己言及は、おそらく文字通りの意味にとどまらない。齋藤は同書で、「萌え」に依拠するコミュニケーションの全てを自分がそのキャラを愛すべき理由の再確認であると同時に、自分とキャラの関係性、あるいは自らのキャラそのものを確認するという意味でも再帰的コミュニケーションに他ならないと述べている。我々はここまで、現代のコミュニケーションがキャラ抜きでは成り立たないことを確認してきた。だとすれば、(ある意味ではごく当たり前だが)全てのコミュニケーションは再帰的な機能を持つ。再帰的とはもちろん自己言及に他ならない。あらゆるコミュニケーションはキャラとしての自身を経由し、そして自己に回帰する。キャラにできるのは、それによって自己の同一性を確認することだけだが、我々は違う。その一つ一つに、変化=成長の契機は内在しているのだ。

 自己言及による変化の可能性の有無。この違いがそのままアイデンティティ的な換喩と属性的な換喩の差異であることは指摘するまでもないだろう。我々は常に変化の可能性を保持している。齋藤はここに人間の可能性を見いだす。しかし、それは果たして希望として機能するのか。変化の可能性が破滅的な道へ続くことはないのだろうか。

 

4.

 『存在論的、郵便的』において、東浩紀は多義性ではなく散種に可能性を見いだした。改めて確認しよう。東はシニフィアン(ここでは主に固有名)の伝達ミスの可能性として、「多義性」と「散種」の二種類を想定した。デリダを参照した東は、パロール(声)は現前性、つまりは「今ここ」における主体の統御下にある一方で、エクリチュール(書かれた文字)は現前的な主体を逃れる記号としての可能性を持つ。しかし、ここで言われるパロールを単なる音声だと認識するのは誤りだ。伝達(とその失敗)について考える東は、パロールによる意味の複数性=多義性をそのまま意味内容における多様性だと考える。多義性=意味内容における伝達ミスは、遡れば誤認の主体に辿り着くことが可能だ。更に遡行すれば、やがては発話した主体に行き着き、そこで多義性は収束してしまう。パロール(意味内容)での多様性=多義性は、理念的には一つの正しさを確定することが可能なのである。

 一方で、エクリチュールでの多様性=散種は遡行による意味の確定を不可能にする。東は散種の例として「he war」という文字列を挙げる。「war」は英語と独語で異なる意味を持つが、これは声に出した瞬間にどちらの言語に所属しているかが明らかになり、文字が持つ二重所属性は立ち消えてしまう。しかし、エクリチュールとして存在する限り、その意味を確定させることは誰にも不可能だ。「he war」は常に英語として解される可能性と独語として可能性を孕み続ける。どちらに解釈されるかは筆者にさえ制御できない。それぞれの解釈の契機は文字が存在する限り常に残り続ける。逆に言えば、何度正しい解釈をされてもエクリチュールは常に誤訳される可能性、あるいはいつかは誤訳される可能性がなくなることはない。散種の可能性はエクリチュールが存在する限り常に平等であり、それ故に固有名は伝達経路のあらゆる箇所で失敗=届かなかった手紙が発生し、それが固有名の神秘性を作り出すのである。これが東のいう「幽霊」である。

 

 東はパロール(意味内容)とそこで起こる多様性=多義性と、エクリチュール(書かれた文字)とそこで起こる多様性=散種を対比させ、伝達経路を遡ることができないエクリチュールー散種に可能性を見いだした。その後の東の活動を踏まえれば、それは文字のコピー&ペーストや二次創作文化への期待だと考えることができるだろう。

 では、これをキャラに当てはめたらどうなるか。パロール(意味内容)は「キャラ人格」あるいは「属性」に、エクリチュールは「キャラ図像」に相当するだろう。我々は例えば、「暁美ほむら」(『魔法少女まどか☆マギカ』)というキャラを音声で説明する(パロール)際には、「彼女は無口だが意志が強くて……」「黒髪のストレートで銃火器を武器としていて……」というようにキャラ人格や属性の次元での伝達を余儀なくされる。エクリチュール(書かれた文字)がキャラ図像に相当することについては、殊更説明を加える必要はないだろう。

 村上の活動を思い起こそう。彼は「やる夫」や「アイドルマスター」シリーズのキャラが制作者の意図を越えて、まるでゴーストが徘徊するかのように自律し拡大させていく様を素描した。やる夫スレなら一度その物語(スレ内容)形式ができあがってしまえばあとはそれに沿っていくらでも物語を付け足されていき、それに従って属性も付与されていく。また、「アイドルマスター」シリーズの天海春香は主人公でありながら没個性な(キャラクターが立っていない)ため注目を集めなかったが、彼女の声優を担当する中村繪里子のラジオでの発言をきっかけに黒い春香という二重人格設定が見出され(作られ)、「春閣下」「はるかっか」という愛称が生まれ、腹黒い彼女のイラストがpixivなどのイラストコミュニケーションサイトに多数投稿された。こうした伝達ミス=新たな可能性の創出は2ちゃんねるなどの掲示板で、あるいはニコニコ動画などの動画プラットフォームで、近年ならTwitterに代表されるSNSで絶えず巻き起こっている。

 これらを引き起こす原因を村上は固有名に収束させるが、果たして本当にそうだろうか。村上も指摘するように、こうした可能性の広がりはニコニコ動画では動画に紐づけられた「タグ」が大きな機能を果たす。タグは動画の動画の性質を表す機能で、ユーザーはそのタグがついた動画を一括して検索することもできる。「歌ってみた」などのジャンルから「はるかっか」などの動画に登場するキャラの愛称、「どうしてこうなった」などの動画への感想と呼べるものまで、タグは様々な位相で動画の属性を表す。Twitterでこれと同じ役割を果たすのはハッシュタグだろう。これも話題の事件や固有のテレビ番組から、「#好きなアニメを友達に批判されたときの正しい対応」など(時事的要素を含む場合もあるが)の大喜利ネタまで、ツイートの様々な属性を表す。大喜利的なハッシュタグにはマンガや映画のあるワンシーンを用いることもあり、時には文脈を切断された一コマがどうにも気にかかり、検索をかけてしまうこともあるだろう。

 以上を踏まえることで、キャラ概念における東のパロール-多義性、エクリチュール-散種を2つの意味で更新することができるだろう。1つ目は、遡行不可能なのはエクリチュール(キャラ図像)ではなくパロール(キャラ人格、属性)であること。岩下が示したように、キャラが立ち上がる契機はあくまで図像にある。特に最近は写真での検索機能も普及しているため、原型としてのキャラ図像にまで遡ることは難しくない。もちろんキャラの図像から新たな可能性、二次創作が産み出される可能性は常に秘められているが、ここまで振り返ってきてもそうした事例はあまり多いとは言えそうにない。

 むしろ、パロール(意味内容)の多義性に伴って図像が改変される場合の方が一般的だろう。キャラ図像から立ち現れたキャラ人格は各人の解釈によって属性に分解され、データベースに登録される。そしてそれは、キャラに関する動画が投稿される際にタグとして表出する。ここから生まれる多義性が新たな画像を生んでいく。例えば、前述の暁美ほむらはテレビアニメ中で主人公である鹿目まどかに友情を越えた執着を見せたが、それが(あくまで描写の上では)愛情としては描かれていなかった。ところが放送当時からそれを同性愛的な執着だという認識(意識的な誤認)が存在し、ニコニコ動画では「クレイジーサイコレズ(読んで字のごとく、同性に異常な愛情を向ける女性キャラの属性)」としてタグに登録される。こうして原作にはない属性がデータベースに登録されることで、それをもとにしたイラストや二次創作が投稿されるようになる。加えて、続編にあたる『劇場版魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』で彼女は鹿目まどかへの感情を明確に愛だと言い切ってしまう。シナリオ担当の虚淵玄が、テレビアニメ版の大ヒットを受けてから劇場版のシナリオを考案していることからも、ファンコミュニティでの動きが原作の内容にまで波及していると考えることもできるのである。

 そして、こうした多義性の発生箇所を特定することは不可能だ。もちろん、テレビアニメ版において暁美ほむらが鹿目まどかに異常な執着を見せる場面や、2ちゃんねるにそうした指摘がなされたタイミング、ニコニコ動画に「クレイジーサイコレズ」というタグが登録された瞬間という描写の瞬間に遡行することしかできない。原作における暁美ほむらの発言、そしてクレイジーサイコレズというキャラ人格、属性が常に帯び続ける多義性はこれからも新しい可能性を生むだろう。つまり、キャラに焦点を当てれば遡行不可能なのはパロール(キャラ人格、属性)なのである。

 以上の説明によって、既にキャラ概念によるパロール-多義性、エクリチュール-散種への2つ目の更新も確認を終えている。多様性を媒介するのはキャラクターの固有名ではなく、属性だという点だ。新たな動画やツイートが生まれる、発見される契機がタグ(ニコニコ動画)やハッシュタグ(Twitter)であるならば、多様性を媒介するのもそれらだ。キャラの固有名すら必要にはならない。キャラの部分でしかないはずの属性だけで、多様性は芽吹くのである。これは、データベースの入れ子でしかなかったキャラクターがデータベースを内包する存在になったという村上の論に相似している。本論ではそこまでの主張をするつもりはないが、属性がキャラクターの統御下を離れつつあること、幽霊のように自律し新たなキャラクターを生成する可能性すら持っていることは指摘しておくべきだろう。

 ここで想定される反論の一つに答えておこう。東のパロール-エクリチュールの対立は意味内容-図像ではなく、音声-文字(書き記されたもの)という対立だ。つまり、タグやハッシュタグもネット上の記述である以上、エクリチュールとして扱うべきだと考えることもできる。しかし、これらはあくまで属性の可視化にすぎない。データベースはあくまで実体を持たない想像上の装置に過ぎず、故にその一部である属性も人によって微妙に認識の仕方が異なる。本論で指摘した多義性は、それが目に見える形で表出したものだと考えられる。むしろ、こうした概念が全て想像的なものであることが、次章の議論のベースになる。

 

5.

 前章の結論はこう換言することもできる。エクリチュール(図像)より遡行不可能であり、可能性を秘めているのは属性であると。

 『存在論的、郵便的』で東がパロール(多義性)-エクリチュール(散種)において後者を強調したのはなぜだろうか。これは前述のようにコピペや二次創作などの文化への期待だと解釈することもできるが、同時に決定的な物象性=現実から逃れることはできないという意味に捉えることもできるだろう。その証左として、東は2011年1月11日に「【郵便的とは】真実とか正義とかについて抽象的に考えるのではなく、むしろ具体的事実のほうが大事なんじゃないの、っていうか、要はおれらが抽象的なこと考えちゃうのって具体的な問題に行き詰まったときじゃね?って発想で、抽象的思考を生んじゃう現実の構造に着眼するコミュニケーション論のこと。」とツイートしている。想像上の意味の複数性ではなく、目の前に現前するエクリチュールを真摯に見つめること。抽象的問題は現前する対象がなければ生まれることはないし、多義性ばかりを氾濫させては現実が見えなくなる。東の郵便論はこのように受容できるだろう。

 しかし、現実は真逆の方向に進行している。キャラに溢れる現代は、まさに想像力が氾濫する時代だ。そこでは東が重視したエクリチュールの価値が貶められていることは既に確認した通りだ。パロール-属性による多様性は散種とは違った新たな可能性をもたらす一方で、そこで展開される言説は東の主張の真逆に進行する恐れがある。

 ところが、昭和90年代たる現在は、これよりさらにねじれた時代になっているだろう。それを痛切に描いているのが、2013年から『イブニング』にて連載中、2015年には講談社漫画賞・一般部門にもノミネートされた松浦だるま『累-かさね-』だ。本作は名女優の娘でありながらあまりに醜い容姿を持った淵 累(ふち かさね)が舞台女優を目指す過程として進行する。これだけだとサクセス・ストーリーに見える本作をおぞましい話たらしめているのは、累が母から受け継いだ、キスした相手と一定時間顔を入れ替える口紅だ。醜い顔を持つ累は、口紅の能力で美人の顔を奪い、舞台で虚構のキャラクターを演じる。以上の筋からも分かるように本作は美醜をめぐる葛藤が全編に渡って展開されるが、それは「顔は女性の命」といったかねてからの規範をただ繰り返すだけには留まらない。キャラという想像力が充満した現代だからこそ、本作の命題がより一層切実になるというのが筆者の主張だ。

 すれ違った人間に奇異な目で見られるほどに醜い顔に生まれた累は、とにかく美しさこそが絶対的な価値だと考える。だから彼女は、長年顔を入れ替えてきたパートナーのニナが死んだ際に、役者としての生命だけでなく生きる活力までも失ってしまう。自身の内側から聞こえる「人の目にふれてはいけない 醜いお前に生きる価値は無い」という言葉は、長年醜い顔によって傷ついてきた彼女の心の底からの叫びなはずだ。

 なぜそこまで美醜が価値判断の絶対的な基準になりうるのか。前述の散種論を思い出そう。パロール(意味内容)-エクリチュール(現実性)として東は後者を評価したが、それをキャラに投射するとパロール(属性)-エクリチュール(キャラ図像)となり、その価値が反転することを確認した。キャラ概念があまりに一般化した現在、少なくない数の日本人にこうした価値観がインストールされているはずだ。だからお笑いや学校空間、さらには就活においてまで、属性が重要視されている。

 しかし、ここまで確認したように、属性の多くは着脱可能だ。例えば、クールキャラを演じよるのならば寡黙でいればいい。もちろん、実際には個人への適合性の度合いに違いはあれど、誰でもどんな属性を着脱できると(理論的には)想定することができる。だから、それは個人にかけがえのない個性には決してなりえない。固有名における単独性は、確定記述の束に回収されない存在だ。

 筆者は、前段落の1文目で「属性の多くは着脱可能」と書いた。そう、全ての属性が着脱可能な訳ではない。例えば、イケメンキャラ。現実では、美しい顔という身体性を冠詞とするキャラにはなれない人間が存在する(むしろほとんどの人間はイケメンキャラになれないだろう)。一方で、美しい顔を持つ人間はそれだけで無条件にイケメンキャラだと認定されることも少なくない。累の腹違いの妹で、累の母 透世が顔を入れ替えるパートナーとしていた女性を母に持つ野菊は、絶世の美貌に生まれても「いいことなんてなかった」と語る。彼女に近寄る男は全て、その美貌ばかりを目当てにしていたからだ。

 我々の顔は生まれつき決まった身体性であり、変えることができない。この制限がフィクションには当てはまらないことは既に確認した。『リボンの騎士』における変身が示したのは、キャラは図像によって立ち現れるものの、一度キャラクターとして認識されれば図像を変えても同一性が保たれるということだ。だから『累』では不可能なはずの顔の入れ替わりが実現する。

 しかし、『累』のキャラクターは(ストーリー上では)自らの身体性に縛られながら生きている。よってこう換言できるだろう。『累』が描くのは、キャラとしての想像力を内面化してしまった現実の人間の限界性、苦痛の模写だ。フィクションのキャラに投射した東の散種論をさらに現実の人間に投射してみよう。パロール(意味内容)に相当するのは人格や属性、エクリチュールに相当するのは肉体になる。パロール(意味内容)における多様性はキャラクターとしての属性を少しずつ変化させること(換喩)であり、エクリチュールにおける変化はコーディネートの変化や化粧、整形となるだろう。だが、この区分は正確ではない。イケメンキャラなどの例で確認したように、身体性は属性の一部としても捉えられるからだ。

 加えて、身体の変更可能性としての化粧やコーディネートが妥当なのかも疑問視すべきだろう。累が「生きる価値がない」とまで断言する醜さの苦しみは、恐らく化粧程度では解消しない。だからこそ「顔の入れ替え」という非現実的な解決策が価値を持つ。単なる属性は切り替えることでコンプレックスを解消できるが、エクリチュール=物象の次元にも属する身体性はそうはいかない。いや、性格的な属性に関する悩みを持つ人間だって少なくはないだろう。しかし、『それらは「キャラの切り替え=キャラの着脱」という作業で解消できる』という想像力が普及してしまった。『累』が現代だからこその痛烈さを持つのは、属性の処理だけでは解決できないことで相対的に自己に関する苦痛としての価値が高騰した身体性の問題のみにスポットライトを当てた作品だからだ。

 ニナと常に顔を入れ替えるようになってしばらくすると、累は自身が自然と醜い人間に差別的な態度をとってしまっていることに気付く。そしてニナの死後に入れ替えができなくなると、「劣った(醜い)ものを見下そうとする感情 そしてそれに伴う優越感…あれは人間に本能的に備わっているものだわ」と気付く。本作では性格を含めた人間の高感度のほとんどが、そのまま美醜の差異に直結する。素顔の累がまともにコミュニケーションをとれなかったのに対して、美人の顔に馴れた累が誰からも好かれる性格になり、対人関係においてほとんど苦労しなくなる。醜い容貌は自身の目に映る世界さえ醜く歪めてしまい、(容姿に根拠づけられた)余裕はそのまま他人に対する寛容な態度につながるという、引き寄せの法則のような否定し難い現実がそこには描かれている。容姿が優れているだけであらゆるコミュニケーションが上手くいく(前述したように、負の側面は野菊によって描かれているが)というのは人間描写の浅さに映るかもしれない。しかし、だからこそ本作は属性の切り替えが当たり前になった現代の寓話たりうるのだ。 

 大塚は、生身の人間としての「私」を描こうとする自然主義(リアリズム)小説に対して、生身の身体を持たないキャラクターを描くライトノベルを、虚構の世界を写生するまんが・アニメ的リアリズムの小説だと呼んだ。さらに東は、まんが・アニメ的リアリズムを消費するプレイヤー(読み手)の視点を加えた環境としてゲーム的リアリズムを提示した。本論では、『累』を「キャラとして現実を生きようとする人間の苦悩」を描くリアリズムとして扱ったのである。これは、『クオンタム・ファミリーズ』『うみねこの鳴く頃に』を「受肉を試みるフィクションキャラクターの苦悩」として描いた村上の対になる試みといえるだろう。

 

 齋藤は『キャラクター精神分析』で、東と自身の見解を「欲求に従い、確率に晒されつつ生きる「キャラ」たちの動物的な生を肯定するか。成熟の可能性を「キャラ」の統合に賭け、固有の生を生きる「人間」の回復を待望するか」と比較している。筆者は東が動物的な生を肯定しているとは思わないが、齋藤も参照している東の「真に恐ろしいのはこの偶然性、伝達経路の確率的性質なのではないだろうか。ハンスが殺されたのが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったことが悲劇なのだ」というアウシュビッツへの言及からも、確率に晒され続ける生の中で「選ばれなかった、あるいは選ばれる必然性がない中でどうやって生きるか」を彼が問い続けていると考えることはできるだろう。だから彼にとって、固有名は深刻なのだ。

 精神分析的否定神学=固有名には欠如という神秘が宿っているため、キャラより人間は優越すべきと考える齋藤と、それは確率と誤配の結果でしかなく、人間に優越性はないと考える東。齋藤が人間をキャラに優越すると考える理由は3章でも触れた。キャラは自己言及によって同一性を確認することしかできないが、人間はそれによって変化=成長することができる。齋藤は、これが人間の固有名に特有の単独性だと考える。つまりはアイデンティティ的換喩による変化の可能性だ。

 しかし、累が行うのは「顔の切り替え」=隠喩的な変身だ。これは、土井がいう「内キャラ」の成長とは無関係な「外キャラの切り替え」とは異なる。累は何らかの「なりたい自分」に向かって前進しているし、自己の内面も変化しているからだ。累の目標は「自分の行きたい場所へ行って 生きたいように生きるの」という言葉で体現される。醜い顔ではそれが達成できないと考えるから、彼女は変身を繰り返すのだ。

 だから彼女は、舞台を終えた後でも役が抜け切らないことが多々あり、「自分に戻るのが嫌なのか?」と聞かれても「さあ……」と答えることしかできない。舞台の役が抜けたところで、彼女は美しい顔に依然変身したままである。多くの読者は既に気付いているだろうが、累は美しい顔への変身を遂げた上で虚構の役を演じるという二重の変身を通して真の輝きを得る。そんな彼女にとって、変身前の自己は「戻る」対象だとは思えないのである。土井の論では、あたかも外キャラの仮面を脱ぎ捨てたストレスフリーな場所に内キャラとしての「本当の自分」が存在しているように見えるが、累にとってそんなものは初めから意識されることすらない。

 「皆が”本物”と認めてくれるから 私はこうして…私に成ることができる」「私は本物の私に成るために 生きるために 美しさが必要なのよ」(いずれも強調原作ママ)。彼女は「本当の自分」をこう考える。「本当の自分」あるいはもとに「戻った」自分すらも、変身を遂げた先にしか存在しない。固有名の神秘性は、変身を繰り返すことで埋められるのである。

 東と同じく、彼女は自身の固有名が特権的でないと認識している。並外れた演劇の才能を持つものの、彼女の欠如はそれによって満たされているようには見えない。東はその欠如が過去、あるいはこれからのどこかで損なわれた(る)と考え、欠如を抱えた(ない)別の世界を想いながら生きようとする。もちろん累は、そのような選択をとらない。欠如を埋め、「本当の自分」になるべきだと考えるからだ。

 その点で彼女は自己の統合を目指す齋藤と意見を共にするが、彼はそれをメタレベルでない自己言及=換喩によって達成しようとする。累がとる手段は繰り返し確認しているように、変身=隠喩である。「累-かさね-」という文字は読みの通り、「つぎつぎとつながり重ねる。積み重ねる」という意味を持つ。何かを重ねるためには、自分だけでなく重ねるための他のなにかがなければならない。「累」という固有名は、固有名が抱える欠如それ自体を意味しているのである。とはいえ、積み重ねる対象は他者そのものでなくても構わない。属性を積み重ねることで、換喩的に変化していくという選択も可能なはずだ。彼女は換喩的な選択肢を考慮しない。更に言えば、換喩という選択肢に気付いてすらいないだろう。しかし、筆者はそれこそが現代的な人間の姿だと考える。

 累が隠喩を選択するのは、とにかく醜い自分から変化したいからだ。ニナを植物状態にしてしまったことに罪悪感を持ち、能力の行使をやめようとした彼女は、鏡で醜い顔を再確認することで改めて変身を続ける決意をする。そこにあるのは、現状を受け入れられずにただ変化しようとする欲望だけだ。つまり、変化の可能性を示唆することで人間の地位を回復しようとする齋藤の処方箋は効果的ではない(齋藤の処方はそれだけではないが)。むしろ我々を突き動かし、同時に苦しめるのている原因こそが変化への欲望だ。欲望にあまりに忠実だからこそ、累は属性の付け替えという換喩的行為には目を向けない。欲望と極端な付き合い方しかできないとき、人は全体を手っ取り早く変えるか全く変化しないかの二択で物事を判断する。属性の変化でしかないキャラクター立ちを多重人格的に扱うことはもちろんのこと、大きな物語がないことに絶望する若者や実存的空虚もこれに相当するだろう。

 かといって、筆者の主張は換喩的行動のススメではない。なぜなら、換喩的行動は属性の付け替えとして既に実践されているからだ。それをバラバラなキャラの切り替えとして見なしてしまうことに問題がある。なすべきはそれを変化として認識できるように優しく配列する、つまりはキャラに時間性を与えることだ。「本当の自分」は過去にも現在にも存在しないが、かといって探求から降りることもできない。ならば、どこかに辿り着いたときにそれが見つかるように、せめて幽霊の痕跡を道として認識するべきなのだ。

 

私たちはそこにはいないから

序 わたしのいない場所の複数

2016年3月4日、『僕だけがいない街』の連載が完結した。同じ年の1月からアニメ放送が開始され、来たる3月19日には実写版映画の公開が予告されていた、その矢先のことだった。人気の絶頂のただ中でのこの作品の連載終了は、2015年度の末に、漫画史上のひとつの切断線を残すことになるだろう。三部けいによるその漫画の連載が始まったのは、その四年ほど前、2012年7月のことだった。
ところで、この『僕だけがいない街』連載開始の二ヶ月前には、ある奇妙な偶然がおこっている。第二十五回の三島由紀夫賞において生じた、「酷似するタイトル」を持つ二つの作品のあいだでの決選投票がそれだ。当時のウェブニュースを引けば、それらは「酷似するタイトルが示すように、「私」という存在の希薄さは共通するが、まったく印象の違う2作」であるという。この一節が暗示するように、両作の「酷似したタイトル」以外の要素があまりに異なっているために、その類似は単なる偶然として受け入れられ、二者併せて論じられる機会もほとんど無いまま、一過性の椿事として忘れられていった。それらの二作品のタイトルは、『私のいない高校』と『わたしがいなかった街で』という。
青木淳悟の『私のいない高校』と柴崎友香の『わたしがいなかった街で』、この両作が『僕だけがいない街』とも「酷似するタイトル」を持つことは、改めて指摘するまでもないだろう。「私(わたし)」が「いない(かった)」「場所」というタイトルの偶然の一致をみた二作が同じ賞を争ったことは、もし三島賞の発表があと二ヶ月遅ければ、「偶然とは思えない」と捉えられていたかも知れない。実際今から振り返ってみると、2011年2月(『私のいない高校』)、2012年4月(『わたしがいなかった街で』)、2012年7月(『僕だけがいない街』)と、僅か一年半にも満たない期間に、立て続けに発表されたこれらの作品たちは、小説と漫画という二つの世界を貫く、同時代的な現象として見えるのだ。
2010年代の初頭に、時系列で中央に位置する『わたしがいなかった街で』を蝶番とするように類似した題名を持つ作品群が、小説と漫画というジャンルの垣根を超えて、はかったように同時に現れた。この偶然にしては出来過ぎている(と判断してよいだろう)現象を扱うために、本稿ではその紐帯を強調し、これら三作品を『私がいない場所三部作』と暫定的に呼称しよう。『私がいない場所三部作』の出現が、この年代をどのように象徴しているのか、あるいは象徴していないのか(つまりいかに偶然とは思えなくともやはり単なる偶然にすぎないのか)、この問いが本稿の出発点である。

序にあたる本章では、作品の各論に入る前準備として、『三部作』の共通点、すなわち「私がいない場所」というタイトルが、どのような問題を喚起しうるかを検討する。結論から言ってしまえば、それらはいずれも「反実仮想」というテーマを持たざるをえない。これはある意味では至極当然のことだ。わたしたちは「わたし」である限り、「私がいない場所」に「いる」ことは出来ない。である以上、「私がいない場所」については空想を巡らせるしかないからだ。
逆に言えば「わたし」と「場所」は本来、不可分な関係にあった。その関係の根源性は、例えば聖書にまで遡ることができる。

たとえわたしが自分について証しをしたとしても、わたしの証しは真実である。なぜなら、わたしはどこから来たか、またどこへ行くかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこから来たか、またどこへ行くかを知らない。(ヨハネの福音書)

後に「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか」という(そのフレーズ自体はゴーギャンの絵画に由来する)ステレオタイプとして流布するこの一節からは、「わたし」の「証し」=アイデンティティが、「どこ」=場所に結びついていることが読み取れる。そして両者を取り持つのはその「知」である。
だとしたら『私がいない場所三部作』の小説作品ふたつが、いずれも「日記」を重要な装置としていることは見逃すべきではないだろう。それはかつて「わたし」を名乗っただれかがどこかにいたことを「知」るための「証し」となるからだ。『わたしがいなかった街で』の「わたし」は、実在したSF小説家「海野十三」の「日記」を読みふけり、「わたしがいなかった」往時を思い描く。『私のいない高校』では、作中に「日記」こそ姿をみせない(「いない」)が、作品自体が『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』というやはり実在のノンフィクションを下敷きとし、それを虚構化したものである。
「日記」、それはだれかがどこかにいたことの記録=記憶として、それを「知」らせる媒体である。したがってそれは「高校」や「街」という「誰か(わたし)」がいた「場所」を、必然的に想起させることになる。そしてその想起は「私がいない場所」に「わたし」が「いた」可能性を示すだろう。

日記に書かれたその声が響いていたのがどこなのか、目の前の風景と比べてみても確かなことはわからない。〔中略〕しかし、ここにも焼夷弾は降ってきた。それを知ったとき、自分も焼夷弾の炎に追いかけられている気がした。(『わたしがいなかった街で』pp.64-65)

だから『私がいない場所三部作』はどれも、多かれ少なかれ「反実仮想」的な色彩を持つ。そしてその特徴が最も強くあらわれるのは、『僕だけがいない街』である。同作では「日記」の変奏として、『文集』=手記や『ニッポン 昭和の重大事件史』という書籍などの他者の「記憶」の集積が、自分が経験しなかった「記憶」を知る「反実仮想」への媒介になる。そして同作では、まさにその「反実仮想」を現実化することが、主人公に課せられた使命となるのだ。詳述は後に譲るが、ここでは同作がいわゆる「タイムループもの」、同じ時間を何度も繰り返し、試行錯誤によって(最善の未来への)脱出を試みる作品群の流れに属していることを指摘しておこう。批評家の東浩紀は「ループもの」の主人公の立場がコンピューターゲームのプレイヤーと一致していることに着目し、これを「プレイヤーの視点のリアリティ」自体を物語化した作品形式として「ゲーム的リアリズム」と名付けた(『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)。『僕だけがいない街』においても主人公の「悟」の視点は、前の失敗の記憶を保ちつつその選択肢を排除し、ハッピーエンドのルートを模索するゲームのプレイヤーのそれと重なる。
このことを踏まえると、その東浩紀が2015年に「ぼくたちはまだ昭和の引力のなかで生きているように思われる」という問題意識から、「昭和90年代」という観点を提出していたことは象徴的である。『僕だけがいない街』の悟がジャンプするのは、他ならぬ昭和の終わりの年、「昭和63年」だからだ。そして彼は、その年代をループする。つまり同作は、昭和が終らない作品なのである。正解のルートを探し当てた時にはじめて、彼は「昭和」から脱出するだろう。そしてその作品は、昭和91年3月4日、昭和90年代最初の年度とともに完結した。
そして「昭和」と『私がいない場所三部作』との結びつきは、『僕だけがいない街』に限ったことではない。悟がまさに囚われたような「昭和」のループに、文学もまた陥っているいう指摘が、昭和90年代の批評において現れているのだ。同時代の現象を昭和初期の反復として捉える視点が、複数提出されているのである。
例えば批評家の渡部直己が2015年に発表した「移人称」という概念(「移人称小説論――今日の「純粋小説」について」)。一人称で語られた小説が三人称へと「越境」し、逆に三人称で語られる作品が「私」の自意識に「狭窄」する。2010年代以降頻繁に見られるようになったこの叙法の起源を、彼は横光利一が提唱した「四人称」に求めている。彼は昭和9年に発表した小説『紋章』においてこれを用い、そして昭和10年の『純粋小説論』で理論付けをした。そして渡部が「移人称」の例として提示する「今日の「純粋小説」」の中には、他ならぬ『わたしがいなかった街で』が数えられているのである(青木淳悟もまた別の作品で取り上げられている)。
それだけではない。同じく批評家の佐々木敦がその「移人称」を巡る対談に触発されて書き始めたという、現在『群像』誌上で行われている連載のタイトルは、『新・私小説論』なのである。これは言うまでもなく、小林秀雄が昭和10年に発表した『私小説論』のパロディーである(実際連載の二回・三回は『私小説論』論に割かれている)。だとすれば文学の領野においてもまた、まさに「タイムループもの」のように、円環する時間が繰り返されている。
これらを踏まえた上で本稿を貫く問いは、昭和80年代の後半に矢継ぎ早に発表された『私がいない場所三部作』はなんらか昭和という時代に一線を画するものだったか、あるいは未だ私たちは、昭和という時代の円環の中に囚われたままか、というものである。渡部の指摘に従うなら、その指摘に『わたしがいなかった街で』の名がある以上、後者、ということになるだろう。したがってまず検討するべきは、時系列においても「酷似したタイトル」においても中心をなす、その作品である。

第一章

『わたしがいなかった街で』には「わたし」がいる。同書では「わたし」による一人称の語りが採られるからだ。むしろ、そこで語られる物語において「いな」くなるのは、「わたし」以外の人物の方である。
なにせ冒頭から、「一九四五年の六月まで祖父が広島のあの橋のたもとにあったホテルでコックをしていたことをわたしが知ったときには、祖父はもう死んでいた。」と、いなくなった者の回想から語りが始められるのだ。そしてその語りはすぐに、離婚により夫がいなくなったのを機に「わたし」が引っ越しをする物語上の現在へと継がれる。その手伝いに来ている友人の「有子」もまた夫との離婚と死別を一度ずつ経験していて、母も早くになくしている(物語の終盤では今度は彼女が引っ越し、「わたし」の前からいなくなる)。そして引っ越したばかりの「わたし」のもとに、十年前に写真のワークショップで知り合って以降断続的な交流が続いている「中井」から、同じく参加者の一人だった「クズイ」が「行方不明」であることを知らされるのだ。
以降作品は、この「クズイ」を不在の中心とし、「わたし」と中井、それに中井が偶然知り合ったという「クズイ」の妹、「葛井夏」の日常を描き始める。「クズイ」の父はやはり離婚をしているため「クズイ」と夏は異母兄妹であるが、夏の母もすでに「クズイ」の父とは別れており、作中に彼はいない。さらに読み進めると、「わたし」の父もすでに故人であることが明かされる。
このように『わたしがいなかった街で』では、「クズイ」の行方不明を一応の(というのは取り立てて彼が捜索されるわけではないからだ)中心とし、その周囲をいなくなった他者たちが彩る。にもかかわらず、なぜタイトルは『わたしがいなかった街で』なのか。それは「わたし」が、「わたしがいなかった街」のことばかり考えているからだ。その例えば次のような形で行われる。

リモコンを操作し、別のドキュメンタリー番組を見た。
白黒の粗い映像。衝撃を受けた街の建物は破壊され、ところどころではまだ炎が上がっていた。崩れ落ちた建物の陰に上半身が押しつぶされた人、道路の端に瓦礫や焼けた車と同じように焦げて転がっている人、持てるだけの荷物を引きずり黙って歩く人たち。そのそばを装甲車に乗った兵士たちが次々と通る。兵士たちも初めて見る心を奪われているように見える。どこに行っても大勢の人、死んだ人もまだ生きている人も、たくさんいた。
なぜ、わたしはこの人ではないのだろう、と思う。殺されていく人がこんなにたくさんいて、なぜ、わたしは殺されず、倒れて山積みになっている彼らではなく、それを見ているのかと、思う。同時に、死体を足先でつついて確かめている彼ら、抵抗する気力を失って不信に満ちた目をカメラに向けて歩いて行く人々を機関銃を携えて見張っている彼ら、家に火を放ち手榴弾を投げ込む彼ら、ではないのか。(『わたしがいなかった街で』pp.96-97)

『わたしがいなかった街で』にはこのような戦争の「ドキュメンタリー」を「わたし」が再生するシーンが幾度も挿入され、克明に描写されるその情景は、36歳のOLである「わたし」の日常を描く物語内容の中で、異様なまでに際立っている。ここで「ドキュメンタリー」が、序で言及した海野十三の「日記」と同じ役割を果たしているのは見やすいだろう。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「反実仮想」が、ここではより明らかな形で提示されている。これら「ドキュメンタリー」と「わたし」が省みる自身の生活の対比こそ、この作品の物語内容の最大の特徴であると言っていい。
そして物語形式の最大の特徴も、正確にこれに一致する。渡部直己が指摘する「移人称」がそれだ。『わたしがいなかった街で』では「わたし」を語り手とするのにもかかわらず、「わたしがいな」い場所のことが度々、三人称の語りによって描写され(その際の「越境」先はほぼ葛井夏である)、しかも物語の全体はその「わたし」ではない視点によって閉じられる。つまり「わたし」はしばしば、実際に「いな」くなってしまう。タイトルが『わたしがいなかった街で』であることの理由はこの点にも求められる。
物語内容と物語形式、これら二つの特徴はいずれも奇妙だが、どちらも「わたしがいなかった街」のことを想起する点で一貫しており、その意味で『わたしがいなかった街で』はタイトルと併せて、全体のプロポーションの取れた作品であると言える。そしてこのことは、冒頭で取り上げた他人がいなくなってしまうという事態の頻出にも関わる。いなくなってしまった者は当然、「わたしがいな」い「街」には「いる」(いた)はずだからである。そのことは故人について、純粋な形であらわれる。

祖母と祖父が大阪の病院で死んで、そしてその骨がここにあることを、わたしは知っているけれど、彼らがどこで生まれたのかは知らない。〔中略〕祖母と祖父がどこで生まれて、どんな暮らしをして、たぶんそれなりにドラマ的なこともあるに違いなかったが、それを知ってしまうと、なんというか彼らの人生が一つのまとまりになってしまうのを、おそらくわたしは、まだ受け入れられずにいる。映画やテレビドラマのようにまとまって納得してしまうことが怖かった。(『わたしがいなかった街で』pp.112-113)

ここで「映画やテレビドラマ」が、「ドキュメンタリー」の対立物として提示されていることは見やすいだろう。「ドキュメンタリー」や「日記」と異なり「一つのまとまり」をなすそれらには、「反実仮想」が入り込む余地がないからだ。「わたし」の行動(「ドキュメンタリー」の再生)とその周囲(他人がいなくなること)、そして物語形式(「移人称」)が、正確に一致する。
しかしそれらが正確に一致するがゆえに、これらの一貫した奇妙さがなぜ要請されているのかという問いはますます深まる。より率直に言い換えれば、なぜこの小説では「わたしがいなかった街」を巡る「反実仮想」が問題化されているのだろうか。
その考察の足がかりとして、渡部の前掲書に興味深い記述がある。彼によれば、「移人称」小説では「携帯電話」が決して繋がらない、というのだ。「移人称」を採る小説においては「ほんらい繋がるはずのないものを繋ぐのは、ハンディなその通信機器でもなければ、「想像」「直感」といったメンタルな紐帯でもなく、みずからのこの叙法でなければならない」がゆえに、「虚構上には逆に、ほんらい繋がるべきはずのものが繋がら」ないと看破する渡部が、唯一の例外として挙げる(のみで済ます)のが『わたしがいなかった街で』なのである。そして同作における最初の人称の移動は、他ならぬその「ハンディな通信機器」を通して行われる。

夜になって、中井から電話がかかってきた。今日は大阪城に行ったという。〔中略〕京橋の方からではなく森ノ宮駅側の入り口から入って植木市を見て、公園の中へ歩いて行った。濠端で体操みたいな動きを練習している女が三人いた。外濠の柵の前で、高い石垣のほうを向いてもたもたと動いていて、ジャージにTシャツの後ろ姿が三つ並んでおかしかったので、なんかコンテストにも出はるんですか、と聞いてみた。(『わたしがいなかった街で』p.46)

一見して分かるとおり、引用一文目では「わたし」に一致していた焦点が、二文目以降では中井の視界に一致しており、「電話」が焦点(人称)移動のトリガーとして機能している。そして続く場面で、それはさらに「ほんらい繋がるはずのないものを繋ぐ」ことになる。

「平尾さん〔「わたし」〕、わかる? 道徳みたいな感じって。どこの学校行くのか、なんの仕事するのかも神様に相談する言うてたで、その子は」
携帯電話に耳をつけたまま、わたしは冷蔵庫を開けて黄色い光の中からペットボトルのお茶を取り出して飲んだ。
「わかると言えばわかるけど、心底納得するほどわかったとは言われへん」
「おれも似たようなもんかなー。相談って言うてもなあ、向こうがなんか答える訳じゃないやろ? 答えるんかな? それが神様がおるってこと?」
中井が聞く前に、女が聞いた。あの音、なんですか。(『わたしがいなかった街で』p.47)

 

中井が大阪城で出会ったキリスト教徒の女性との会話を、「わたし」に聴かせる一節だ。引用冒頭の会話から続く「わたし」と中井との会話が、引用末尾でキリスト教徒の女性によって引き取られるという事態は、現実の「携帯電話」の機能を明らかに逸脱している。つまりここで「携帯電話」は空間のみならず、時間をも繋いでいるのだ。言うまでもなくこの接続は、物語世界内ではなく、物語世界外で起こっている。この場面では、「電話」こそが「叙法」を繋いでいるのである。
つまり他の「移人称」小説はともかく(本論の目的は「移人称」一般の検討ではない)、『わたしがいなかった街で』では「通信機器」が「移人称」が生じる、最初の切掛けになっている。だとしたら、本作における「移人称」は横光利一のそれとは異質なものであるはずだ。言うまでもなく、彼の時代には「携帯電話」は無いからだ。そして同様に、「通信機器」がつながらない他の「移人称」小説とも一線を画する。『わたしがいなかった街で』のそれはむしろ、テクノロジーと反りが合う。実際この形式に呼応するように、『わたしがいなかった街で』には、「通信機器」の「液晶画面」が頻出するだろう。
それは例えば電子書籍化された海野十三の「日記」を表示する「iphone」=「携帯電話」の「液晶画面」であり、なにより「ドキュメンタリー」番組を映す「三十二インチの液晶画面」である。つまり『わたしがいなかった街で』における「反実仮想」は、叙述のレヴェルでも虚構のレヴェルでも、「通信機器」=テクノロジーと密接な関係にあるといえる。
だとしたらその「反実仮想」が要請される理由もまた、テクノロジーとの関連から考えるべきであろう。そのとき、中井が「わたし」に言う、「この十年ぐらい世界中のっていうか、裏側みたいなんとか〔……〕見てきたと思ってたけど、よう考えたら全部液晶画面見てただけやった、って。なんもかも、いっしょのちっちゃい画面やった、ってなると思うねんな。」という言葉は重要である。これは裏を返せば、「液晶画面」に映された時点で、あらゆるものは「いっしょ」になるということを示している。ではなぜそれらは「いっしょ」なのか。それらは全て「わたしがいなかった」場所の物事だからである。海野十三の「日記」も、戦争の「ドキュメンタリー」も、そして「わたし」の前からいなくなった人も。

夜、パソコンを開いて、随分会っていない知人たちのブログを辿ってみた。ソーシャルネットワークサービスというものに、しかも複数登録している人も多くて、それぞれの場所で、知人同士が、知人と誰かが、やりとりしている。〔中略〕知らない人のこういうやりとりを見ていると会ったこともないその人に一方的な親しみを感じるようになったりするが、知っている人の書き込みは、彼らといっしょにいた時間からどんどんと離れていく自分を実感させる。〔中略〕長らく会っていない人たちが毎日いろいろな経験をし、誰かと次々に言葉を交わし合うのを見ていると、わたしにとっては、知っている人さえもテレビみたいに画面の向こう側の、自分には関わることのできないところへ移動していくように感じてしまう。(『わたしがいなかった街で』pp.66-67)

「画面」に映されることによって、人は「自分には関わることのできない」ものになってしまう。より踏み込んで言えば、「液晶画面」に映されることで、いなくなってしまった故人と同一視される。だから行方不明になった「クズイ」が一時帰国した時に、「わたし」は直接会えず、中井のメールに添付された画像を介して、「携帯電話」の「液晶画面」を通してしか会えないことは象徴的である。そのメールを送った同じ「液晶画面」にはその後、「京橋の空襲の慰霊碑と大阪城公園の機銃掃射跡の画像」が映し出される。「行方不明」に(いなく)なった人と、死者の残した痕跡が、同置される。「だとしたら、会うことがない人と、死んでしまった人と、どこが違うのか。」
そしてここにこそ、同書が「移人称」で書かれなくてはならなかった理由があるだろう。すなわち、紙面という「画面」に載った瞬間に、「わたし」もその他の登場人物も、「いっしょ」であること。同作では「ブログ」を含めた「日記」=紙面もまた、「液晶画面」を通して読まれていたことを思い起こそう。
『わたしがいなかった街で』を読む読者にとって、「わたし」はわたしではない。である以上「わたし」も中井や葛井夏らと同じく、ここにはいないものとして読まれる。読者にとって『わたしがいなかった街で』はまさに、わたしがいなかった街で起きた出来事だからだ。丁度海野十三と外国の兵士と「クズイ」とが「いっしょ」であったように、登場人物たちは不在である点で「いっしょ」である。「わたし」は語り手として特権的であり、同時に登場人物として特権的ではない。だからこそ『わたしがいなかった街で』は、一人称でありながら同時にその特権を排除する、奇妙な人称で書かれたのである。
このとき、「わたし」が自分の生もまた「画面」に映されたものと同質であることに気づいたのが、他ならぬ昭和の終わりの日であることは偶然だろうか。彼女は「昭和が終わった時にテレビがみんな自粛で何日かCMなしでニュースかクラシックか環境映像みたいのばっかり流れてた」のを切っ掛けに、「今までテレビで見てきたものはなんだったのか、ぐらいの衝撃」を受け、「一九八九年一月七日からの数日の間に、わたしは周りの世界が張りぼてみたいに見えるようになった。映画のセットみたいに、朝起きたら取り壊されてぜんぶなくなっているこもしれないものが、とりあえず今は目の前にあるのだと思った。」のだという。ここで「映画のセット」という表現に留意しよう。それは祖父の生についての「映画やテレビドラマ」という表現に呼応する。日常が「映画のセット」のように見えてしまっては逆に、「映画」という「一つのまとまり」を成す虚構は成立しえない。だから「わたし」は、「日々の中にあることが、ばらばらに外れてきた」と漏らす。「わたし」は「わたし」であるにもかかわらず、他人や故人と同様に、その生を断片的なものとして把握する。『わたしがいなかった街で』が表象する「昭和」の終わりは、平たい「画面」を介して「わたし」と他の登場人物が、権利上平らかに成ることである、
そして「移人称」が提示する特権的であり/特権的ではないという「わたし」の二重性は、「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「わたし」の問いと、完全に軌を一にする。「わたし」は「わたし」として特別である、けれど「この人」と入れ替わりえた特別でない存在でもある、にもかかわらず「わたし」は特別な「わたし」でしかない、けれど……。無数の「ほんらい繋がるはずのないものを繋」ぎ、「いっしょ」に映す「液晶画面」はこうして、終わらない「反実仮想」を引き起こす。それは究極的には、「わたし」はそもそも「いなかった」かもしれない、という可能性へと行き着くだろう。

祖父が爆心地にいたかもしれない、と知った瞬間から、いくつかのパターンの祖父とその後が思い浮かぶようになった。祖父も祖母も死ぬ。祖父は死んで、祖母と母は生き残る。呉の空襲に遭う。母は生き残って成長するがわたしの父と出会わない。
偶然がそのどれかを選んでいた場合、わたしはいなかった。別の誰かが、わたしの代わりに存在していたかもしれない。(『わたしがいなかった街で』pp.55-56)

だが、これらの「反実仮想」にもかかわらず、「わたし」は「わたし」でいる限りどうしても存在してしまうし、「わたし」としてしか存在しえない。このアポリアから脱却するために、「わたし」は叙法の上で、実際に「いなく」なってみせる。だから『わたしがいなかった街で』における「移人称」は、「ハンディなその通信機器」によって繋がれたものであると同時に、「想像」という「メンタルな紐帯」でも繋がれている、二重に例外的なものである。と同時に、「反実仮想」の究極系として、「わたし」の視点を「越境」する。他人に、故人に思いを馳せ、そこに一体化するように、「わたし」はいなくなってしまうのだ。そしてこの「わたし」の不在化は、『私がいない場所三部作』の二作目にも通底する。『私のいない高校』に移ろう。

 

第二章

 

『私のいない高校』には「私」がいない。同作は登場人物たちを三人称で語る透明な語り手を採るからだ。かといって、それは自在に登場人物の内面に立ち入る「神の視点」を取るわけでもない。語り手の視点は「国際ローゼン学園」の「二年菊組」のクラス担任である「藤村雄幸」(作中ではもっぱら「担任」と表記される)に寄り添っている。その冒頭は以下のようなものだ。

一九九九年七月
【もうすぐ夏休み】
千葉県に山がないと指摘されると、その時間に初めてこれを知ったというものがクラス中に続出した。誰からともなく口を開き、生徒たちは素直にそれに驚くようでも、また感心しているようでもあり、全体に気分の高揚している様子が伝わってきた。
「どこにも山がない」と知り、「何で山が――?」と疑問をいだき、「山ってどんな――?」と興味を持って話していた。さらに多くの反応があり、挙句の果てが土方理恵による「山梨県」との発言であった。(『私のいない高校』p.3)

この引用からも分かるとおり、「担任」に寄り添うといっても、ことさらにその心内が描写されるわけではない。むしろ阿部和重との対談で青木が「教室の中の生徒も先生も留学生も等質に描く」ことを目指したと語るように(「『私のいない高校』――キャラクター化する無名の存在たち」)、その「担任」の視点はクラスの全体をまんべんなく観察するためにこそ要請されている。
では、その視点から語られることは何か。文字通り何でもない、何でもない日常である。同作では『わたしがいなかった街で』以上に、事件らしい事件が一切起きない。そこではカナダからの(実はブラジルと二重国籍の)留学生「ナタリー・サンバートン」(作中ではもっぱら「留学生」と表記される)を受け入れることになったクラスの「担任」が、そのための調整に奔走する様子が描かれる。出来事としては授業の他に定期テストや健康診断や部活動があり、作品の一応のハイライトとして修学旅行があるが、そこでも特別な事件が起きるわけではない。いずれも高校の日常の一部もしくは延長といったふうなのだ。
しかしまさにそれゆえに、『私のいない高校』は「もっとも不可解な小説」(豊崎由美)である。なぜ、この日常が語られているのか、これを語っている「いない」「私」とは誰なのか、なぜ三人称で語られるにもかかわらず、日付の付された「日記」形式で書かれているのか。これらの疑問が次々に湧出する。そしてそれについて考察していった時、「酷似するタイトルが示すように、「私」という存在の希薄さは共通するが、まったく印象の違う」はずであった『私がいない場所三部作』の小説二作品が、じつは通底する問題を扱っていたことが分かるはずだ。
そのための足がかりとなるのは、やはりこの作品が『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』を「フィクションとして改変・創作したもの」、いわゆる二次創作であることだろう。だがここで「二次創作」という言葉が、それが最も人口に膾炙した東浩紀の用法とはズレることに留意しておこう。東が用いるそれは「オリジナルのマンガやアニメのキャラクターが、読者や視聴者によって異なった設定や人間関係を与えられて作られる創作物」を意味するのに対し(『ゲーム的リアリズムの誕生』)、『私のいない高校』では逆に、(ほとんど)現実と同じ「設定」と物語(というよりも日々の出来事)に、架空の人物である異なった「キャラクター」が投入されるからだ。
こうして見た時、『私のいない高校』が『アンネの日記』に対して持つ関係が、『わたしがいなかった街で』の「わたし」が「液晶画面」の向こうに対して持っていた関係とパラレルであることが分かる。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」と問う「わたし」は、「この人」が体験する日常へと「わたし」という別のキャラクターが投入されることの(不)可能性を問うていた。その問いは「反実仮想」として提示され、その叙法上での解決として「移人称」が採られていた。
この構図を踏まえると、『私のいない高校』の全体を、やはり一つの「反実仮想」として捉えることができる。現実には実在の人物たちが過ごした『アンネの日記』の出来事を、別の(架空の)キャラクターたちが体験しているからだ。さらに言えば、『私のいない高校』の独特な三人称は、『わたしがいなかった街で』で採られていた「移人称」(一+三人称)から、「わたし」=「私」という一人称が取り除かれた(いなくなった)ものであると読めるだろう。
したがって『私のいない高校』は、一個の「反実仮想」として書かれている。だが一方で、それは「現実」としても読まれるよう書かれていることを指摘しておかなくてはならない。そのことは上の引用のような、日付の付された「日記」形式が示している。それはあたかも、自身が「海外留学生受け入れ日誌」であるかのように日付を持ち、しかも次のように、現実の出来事に紐付けて書かれるのだ。

二十、二十一日
〔中略〕
この日の放課後にはまた別の方面から、校務でブラジル大使館に行くかもしれないという教員の話を聞いたりと、このところやたらとブラジルのことが話題に出てきた。担任自身にしても、これまで「あのカナダからカナダ人が来た」との意識が強かったものが、最近ではブラジルへの関心がぐっと高まっていた。「もちろん応援するのは日本だが――」としながら、先日来から二十歳以下の日本代表チームが勝ち進んでいるサッカーのワールドユース選手権では、「小野伸二君」などのメンバーに注目する傍ら、強豪国ブラジルの活躍にも大いに期待していた(『私のいない高校』pp.60-63)

つまり『私のいない高校』は、「反実仮想」と「現実」、二つの異なるベクトルを持った小説である。そのことは三人称を用いて語られる「日記」という矛盾した形式に端的にあらわれているだろう。この小説が「もっとも不可解な小説」であることも、この両義性に求められる。一体、なぜこの小説は、このようなパラドキシカルな構造をしているのか。
ここで再び、『わたしがいなかった街で』において海野十三の「日記」が「反実仮想」の媒介となっていたことを思い起こそう。だとすれば「日記」体で書かれる『私のいない高校』もまた、さらなる「反実仮想」の媒介となることを企図しているのではないか。『わたしがいなかった街で』では、「日記」や「ドキュメンタリー」が「一つのまとまりになった」「映画やテレビドラマ」と対比されていた。そして『私のいない高校』には、「一つのまとまり」を撹乱するための要素がそこかしこに散りばめられているのだ。
それは例えば、ここまでの引用でも見られるような、台詞末尾における「――」の多用である。それによって会話の展開がぼかされ、その全体は想像の余地の残るものになる。あるいはより重要なこととして、『私のいない高校』が何でもない日常を描いていること、つまり劇的な展開のなさがあげられるだろう。一例として、作中では三度生徒の所持品が紛失するが、それは結局「出てくるのを待つ」という形で処理され、犯人の発見という解決によって「一つのまとまり」として完結することが回避される(結局それが「出てくる」のは作中最後でなくなる「PHS」のみである)。そしてこの拡大相似形として、『私のいない高校』自体も「映画やテレビドラマ」のような物語を持たないことは先に述べたのとおりだ。
そこにさらに、次のような『私のいない高校』の「不可解な」特徴を付け加えることができる。同書は「日記」として書かれているにもかかわらず、時折次のような、文脈とは関係ない台詞が挿入されるのだ。以下は日付としては四月の「二十九、三十日」、「担任」が休暇を取った日の記述だ。

今回は臨時休暇を取っていたし、母親の「療養」が目的だったので、、担任は旅先で土産を買っていなかった。大久保主任には母親の様子を尋ねられて恐縮し、クラスの「学活への顔出し」や留学生の面倒を見てもらったことに対する礼を述べた――

五月前半
「ナタリーは百円二百円のものしか買おうとしないんだよね」
「おい、そんなこと言うもんじゃない。おまえらみたいな浪費家とは違うの。まったく。それで、その土産品はいくらくらいするものなんだ?」
「千円以上する。分かんない。千五百円とか。」(『私のいない高校』p88)

この直後には「【家庭訪問】一日」と継がれ、通常の「日記」体へと戻る。このような脈絡の無い「不可解な」会話の所属は、読み進めていくとそれに対応するエピソードが登場することで一応は解決される(例えば上の会話は五月「十一日」に語られる、修学旅行の土産として「「千円以上する土鈴」というのを留学生が欲しがって」おり「担任はすぐにこれをプレゼントすることに決め」るというエピソードに対応する)。だがそこでも、会話そのものは登場しないことに留意しなくてはならない。この事態は翻せば、「日記」のあらゆる記述の裏に、描かれていない、登場しない会話があったことを暗に示すだろう。それはちょうど、作中「出てくる」紛失物と出てこない紛失物があることに似ている。つまり「日記」が無数の会話を取りこぼす、「一つのまとまり」たりえないメディアであることが露呈するのだ。
だが、この「不可解な」会話の働きはそれだけではない。ここで述べただけ機能なら、その会話は後から示されてもいいはずである。にもかかわらず『私のいない高校』の上のような会話は、必ず事前に提示される。だがこのことはよく考えれば、「日記」の持つ性質に抵触する。「日記」が書かれた時、その会話はまだ生起していないはずだからだ。
佐々木敦は『わたしがいなかった街で』の海野十三の「日記」について、「『日記』という形態の特殊なところは〔……〕当然ながらその時々のものでしかないので、それ以後に起こるだろう出来事にかんしては、多少は予想出来ることもあったりはするとしても、それがそのまま現実化するとは限らない」ことにあり、「日記はフィクションではないのだから、それを書いている誰かは、未来を知っているわけがない」と述べる(『シチュエーションズ』)。これは「日記」が「一つのまとまり」をなしていないことと対応する。一方で、対置される「書いている誰か」が「未来を知っている」「フィクション」は、「映画やテレビドラマ」と同じく「一つのまとまり」をなしている。そして『私のいない高校』の「不可解」な「未来」の会話は、明らかに後者に対応する。
つまり『私のいない高校』は「日記」=「まとまり」の無さと「フィクション」=「まとまり」の両方の性質を持っており、上のような会話の挿入はその両者を明示する。そもそも初めに引いた冒頭部分の日付は「一九九九年七月」であり、同書はその後の作中の時系列(三月~六月)より「未来」の出来事から書きだされていた。あるいは作品の終盤、六月の校内一斉清掃の折り、年二回ある清掃の「十月のほうは最大の学校行事である文化祭の準備の一環であり、二年生はクラスで模擬店と展示に取り組むのでその活動場所を中心に念入りに掃除した。」という一文から、文化祭当日の「「どこの組のもんじゃ!焼きの店」は高校生活の中でも思い出深い体験として生徒達の心に刻まれた」という未来へと飛躍する記述も同断である。細かいところでは「担任はこのときまだ個人で携帯電話を持つ必要を感じていなかった」というような描写もまた、「未来」を「一つのまとまり」として確定したものとして示している。『私のいない高校』が語られるのは、全てが完了した後である。
言い換えれば同書は、「一つのまとまり」=完了した未来を前提に、それを「一つのまとまり」ではない形式=「日記」で示している。このことはやはり、『わたしがいなかった街で』の祖父に関する記述を想起させる。

祖母と祖父がどこで生まれて、どんな暮らしをして、たぶんそれなりにドラマ的なこともあるに違いなかったが、それを知ってしまうと、なんというか彼らの人生が一つのまとまりになってしまうのを、おそらくわたしは、まだ受け入れられずにいる。映画やテレビドラマのようにまとまって納得してしまうことが怖かった。(『わたしがいなかった街で』pp.112-113)

祖父の人生は既に完了し、「一つのまとまり」をなしている。が、それは「わたし」には断片的にしか提示されない。そしてそのことが、「わたし」に「反実仮想」の余地を生むのだった。だとしたらこれと一致する構造を持つ『私のいない高校』は、故人についての言葉と同じ言葉で書かれている。
このことに気づいた時、『私のいない高校』のあの「不可解な」会話は反転し、完了してしまった過去からもたらされた幽霊の言葉のように響く。あるいは物語が終わってから書き記される、一頁を超える「【人名、登場順】」のリスト。「藤村雄幸」や「ナタリー・サンバートン」のみならず、苗字やアダ名でしか登場しない教師や生徒、先の「小野伸二」を始めとする実在の人物、「コロンブス」や「紫式部」といった古今東西の歴史的人物にいたるまで、作中登場した全ての人物名を同一の紙面上に並べられるそれらは、墓石や慰霊碑の記名を不可避的に連想させる。それは同時に、すべてを「いっしょ」に並べるあの「液晶画面」の姿にも似るだろう。あるいは表紙に書かれたまっすぐにこちらを見つめ返す白い肌の女子高生の姿さえ、遺影に見えてくるというのは言い過ぎだろうか。
だがこのように見た時、生徒たちの修学旅行の行き先が「ヒロシマ」――「わたし」の祖父が暮らしたあの広島――であり、「ナガサキ」であることは、単なる偶然や修学旅行の「お約束」ではなくなる。もしそうならば物語開始より前、エピグラフの位置に引かれた「不可解な」会話が、修学旅行中の「【ブラジルの碑、平和へのメッセージ】」からのものである必然性がないからだ。『私のいない高校』は碑に始まって、碑に終わっている。
この修学旅行について阿部和重は、生徒は、「修学旅行で自分が住んでいるのではない土地に行き、擬似的に留学生の心理に重なっていく」と述べる。そこで彼らは、「見学の対象でしかないもの」としての「形式化してしまった歴史」に触れるだろう。ここで「形式化」とは、完結した「フィクション」として「一つのまとまり」をなすことと同義である。そして結尾に置かれた「人名リスト」=「慰霊碑」によって、その「心理」は『私のいない高校』の読者にも重なっていく。阿部によれば同作は、「無名の存在、無名の声だったものが、漢字の固有名を与えられることによってキャラ化するというアクロバチックな試み」であり、「たった一回、漢字の名前を登場させることによって、実にあざやかにキャラクターを浮かび上がらせる」、「青木淳悟が発明した新たなキャラクター小説」であった。「固有名」は「無名の存在」を、「キャラクター」として、一個の人格として提示する。だが、虚構の人物は定義上実在しないのだから、「キャラクター」はあらかじめ、故人としてしか有り得ない。である以上、その生は既に完結し、「一つのまとまり」をなすかに見える。
しかし『私のいない高校』は、「日記」形式の記述の奥に取りこぼされる「キャラクター」の虚構の生があることを、私達がそれを断片的にしか知り得ないことを、「現実」と「フィクション」の二重性によって示し、その「まとまり」=「形式化」をすんでの所で回避する。これはちょうど、「反実仮想」をする「わたし」が祖父の人生の「まとまり」を拒否したのと同型である。だから『私のいない高校』を読む体験は、故人に、故人が過ごした何でもない日常に思いを馳せることと似ている。
そしてここから翻って、「キャラクター」の断片的な日常に触れた私は「一つのまとまり」として「形式化」する以前の、故人たちの「歴史」を「仮想」できる。歴史に埋もれた「無名の存在」たちにも「固有名」が、「形式化」から逃れる日常があったことを、想像させる。ちょうど「わたし」が「ドキュメンタリー」を再生し、戦地の日常を思い浮かべていたように。ここにおいて、『わたしがいなかった街で』と『私のいない高校』は共鳴しあう。
こうして『私がいない場所三部作』の小説二作は、「私がいない」場所の日常を、いかにして「私」が体験しうるかという「反実仮想」の問題意識によって貫かれている。それは究極的には、故人と戦争、すなわち完結してしまった歴史の問題に行き着く。そもそも「反実仮想」とは、「私」が経験しなかった現実の想像という点で、歴史とは切り離せない。『私がいない場所三部作』の最後の一作、『僕だけがいない街』は、正面からこのテーマを引き受けた作品である。

第三章

『僕だけがいない街』には「僕」がいるが、途中でいなくなってしまう。この作品は『私がいない場所三部作』の他二作とは異なり、明確な事件と物語を持っている(したがって本章は作品の「ネタバレ」抜きに語ることができない。真犯人の名は伏せるが、同作を未読の読者は注意されたい)。その進行の過程で、「僕」がいなくなってしまうのだ。
そのこと意味を述べる前に、まずは序盤の筋を簡単になぞろう。同作の主人公、29歳の売れない漫画家「藤沼悟」は、何か事件が起きる際、その原因となる出来事が確定する前の時間(通常、事件の一~五分前)にタイムトラベルする「再上映(リバイバル)」という名の能力を持つ。例えば自動車が子供を轢く事故が起きそうになると、その子供が横断歩道を渡る前の時間にジャンプする。これによってトラブルの原因を排除し未然に防ぐことができるが、この力は基本的に本人の意志でコントロールすることはできない。しかし、母親の「佐知子」が殺害されその濡れ衣を着せられた際に、彼は能動的に「再上映」を発動することを試みる。その結果彼は、18年の時を遡り、小学生五年生だった昭和63年へと戻ってしまう。その年に発生し、トラウマとして忘却していた連続誘拐殺人事件の真犯人が、自身の正体に気づいた佐知子を口封じのために殺していたからだ。小学生に戻った悟は失敗と「再上映」を繰り返しつつ、真犯人をあばいて過去と現在の二つの事件を阻止するべく行動する。
ここで連続誘拐殺人事件の真犯人が、必ず「身代わりの犯人を用意する」ことは見過ごすべきではない。その犯人によって、現在(2006年)では悟が、過去では当時悟が慕っていた青年「ユウキさん」が濡れ衣を着せられ、前者は警察に追われ、後者は死刑確定囚として服役している。だがそのような内容的な重要さ以上に、ここで重大なのはその形式的な意味である。「身代わりの犯人を用意する」、とは、自分ではないものが犯人になる、ということであり、さらにいえば自分が犯人ではなかった歴史を作り上げることだからだ。言い換えればこの手口は、「反実仮想」を現実化することなのである。その意味で、真犯人が作中最後に仕掛ける手口が、「スケジュール表に細工を施」すことであることは象徴的である。真犯人は「再上映」とは違った仕方で、歴史を「反実仮想」に書き換える。
だからこそ悟は、「再上映」を用いて真犯人の犯行を阻止し、真犯人の手が加わらなかった歴史を取りもどそうとする。『僕だけがいない街』は、悟と真犯人とのあいだでの、歴史の主導権を巡る物語なのである。物語の最終版に悟が真犯人と対峙した際、本人以外で彼だけが「再上映」の能力を信じることの理由もここにある。彼は悟とは違った仕方で、しかし悟と同じ視点に立っているからだ。
このように悟の目的は母親が死なない歴史という「反実仮想」を現実化することにある。それは悟にとって、クラスメイトだった「雛月加代」(最初の被害者)と友人の「ヒロミ」(三番目の被害者)を救うこと、そして「ユウキさん」の冤罪を回避することも意味する。加代が失踪する前月へと「再上映」で飛んだ悟は、彼女の事件が回避されれば佐知子も助かると考え、虐待を加える母親から加代を引き離し、彼女に寄り添って「ひとりぼっち」を解消しようとする。途中一回の失敗を挟んでこの目論見が功を奏すまでに、単行本で四巻、ちょうど全体の半分が費やされる。
逆に言えば、『僕だけがいない街』の残り半分は、(未だ真犯人は捕まっていないものの)歴史の改変が成功した後、「反実仮想」が実現した後の出来事を描いている。そしてその「反実仮想」の世界(以下「反実世界」としよう)は、二重の意味で「僕だけがいない街」となる。一つは悟が過ごしてきた街とは異なる歴史を歩んだ街という意味で、もう一つは文字通り「僕だけがいない」まま歴史を歩んだ街という意味で。悟は真犯人によって川へと突き落とされることで、十五年の時間を、植物状態で過ごすことになるからだ。
したがって構造上でも内容上でも、「反実世界」には「僕だけがいない」。これが本作のタイトルの意味である。そしてここに、さらに仕掛けが一つ施される。植物状態から目覚めた際、悟は本来自分が属していた歴史の記憶と歴史改変に努めた記憶、つまり「再上映」にまつわる記憶を全て失ってしまうのだ。すぐに友人の「ケンヤ」の手記によって加代を救い出したことが伝えられるが実感は伴わず、もとの歴史と「再上映」の記憶は失われたままである。つまり「僕だけがいない街」では、それまでの悟はいなくなってしまう。その証左として、これを機に一人称が「俺」から「僕」に切り替わる。
このことは、『わたしがいなかった街で』における「反実仮想」が「移人称」として実現した時に、「わたし」がいなくなってしまったことを、「反実仮想」である『私のいない高校』で「私」がいなかったことを思い起こさせる。「なぜ、わたしはこの人ではないのだろう」という「わたし」の問いが、ここでも響く。「わたし=僕」は、同時に二つの歴史を歩むことが出来ないという当たり前の事実が、ここでは「反実世界」と「記憶喪失」という装置をつかって突きつけられる。
この当然の事態は悟にとって、もとの世界で唯一自分を信じてくれたバイト仲間、17歳の女子高生「片桐愛梨」によって象徴されている。悟は二度目に「再上映」を行使する際、それによって「アイリとの現在の関係」が「消滅するのは覚悟していた」と言い、加代の救出によって「反実世界」が確定した際も、アイリの姿を浮かべつつ「きっともう戻らない 「あの2006年」はもう無い」と確信する。真犯人に対する悟の勝利は、「あの2006年」と引き換えに、そこを生きた「僕」の記憶と引き換えにしか、手に入らない。
しかしこのような図式を裏切るように、その「僕」は最終的に記憶を取り戻す。その切掛けは、彼が「反実世界」において愛梨と遇会したことである。言うまでもなく「反実世界」の愛梨は悟とは初対面だが、彼はその遇(再)会を機に「「僕だけがいない街」の始まりはきっとあの娘がいた時間だ。」という確信を持ち、記憶を取り戻すべく彼女との(三度目の)再会を目指すようになる。そして自分の足が覚えている道を辿って再び愛梨を目した彼はその瞬間、もとの世界と「再上映」を巡る記憶、真犯人と、事件が未だ終わっていないことを思い出し、愛梨に声を掛けずに立ち去るのだ。悟は自分に「二重の記憶」があることに気づき、「僕」は同時に二つの歴史を歩む。この事態は何を意味するだろうか。
この時悟が、愛梨を事件に巻き込んでしまったシーンを背景として彼女に出しかけた手を引っ込めることに注目しよう。この描写からは、声を掛けないという選択が愛梨を巻き込まないための措置だということが分かる。そしてこれは逆に言えば、事件が解決しさえすれば、再び愛梨と声を交わすことが出来る、ということを示してもいるだろう。つまり記憶を取り戻したことにより、事件を解決することの意味が「反実仮想」を現実にすることから、愛梨との関係に象徴されるもとの世界を取り戻すことに反転する。いや、世界自体が既に反転している以上、それは再度の「反実仮想」によって、もとの世界と「反実世界」の折り合いをつけること、換言すれば、歴史を弁証法的に統合することに他ならない。だから最終話で事件の全てが終わった後、再び悟は愛梨と出会うだろう。
だとしたら『僕だけがいない街』では、「再上映」によって単に「反実仮想」を実現させることでは無く、加代と愛梨に象徴される二つの歴史(ルート)を同時に歩むことこそ最終的な目的になっており、それは「記憶喪失」とそこからの復活、「僕」をいなくして再びあらしめるというアクロバットによって実現する。『わたしがいなかった街で』が「移人称」によって、『私のいない高校』が三人称の「日記」によって、物語形式の面で挑戦していた一人称(「私」)と三人称(「私がいない」)の融合を、『僕だけがいない街』は内容の上で解決する。
そしてこの時、愛梨が2006年の時点で17歳、すなわち「平成生まれ」(しかも元年)であるという設定が活きてくる。前述のように「昭和63年」をループするこの作品にあって、「あの娘がいた時間」たる「2006年」を象徴する彼女は、「平成」もまた象徴しているのだ。悟が植物状態に陥った際に、佐知子は「時間の中に閉じ込められている」ようだともらしていた。「反実仮想」を成し遂げてなお、真犯人を捕まえて愛梨と再会しないかぎりは、悟は昭和という「時間の中に閉じ込められ」たままなのである。だから上で述べた歴史の弁証法的な統合とは、昭和と平成の、トラウマなしの接続を意味していると言っていい。
こうして『三部作』の小説作品が両者とも「戦争」を介して社会史へと接続されていたように、『僕だけがいない街』においても、やはり違った仕方で、悟の個人史が社会史へと接続される。そもそも加代が被害者となった連続誘拐殺人事件は、『ニッポン 昭和の重大事件史』という作中の年表に載るほどの重大事件であった。一度目の「再上映」による歴史改変の失敗の際に、もとの世界に戻った悟は、同書によって自身が少し歴史を変えた(事件の発生日を一日ずらした)ことを知る。彼の行動は、予め社会史にひも付けされていた。
だが、悟の歴史が接続される宛先はそれだけでは無い。彼が「再上映」で飛ぶ先が、「昭和63年」であることに再び留意しよう。同年に起こった連続誘拐殺人事件、これは明らかに、現実における宮崎勤の事件をモチーフにしている。あるいは悟の職業が漫画家だというメタフィクショナルな設定を介して、彼の立場が現実の三部けい本人と重なることを考えても良いかもしれない。これらの装置を介して、読者が作中に読み込む「反実仮想」の可能性は、常に現実へと送り返される。
この『僕だけがいない街』の形式は一面では、非常に危うい戦略である。作中の確定死刑囚である「ユウキさん」が宮崎勤のメタファーと取れ、現実には2008年に既に死刑が執行された彼が、冤罪だった可能性を描いているように読めるからだ。だがこの読解は、端的に短絡的である。確かに彼の部屋にはいわゆる「ロリコン」もののビデオ(と、警察によるそのフレームアップ)など宮崎を連想させる要素があるが、裕福な家庭環境などはむしろ真犯人が宮崎に近い。つまり周到に、明確に宮崎にあたる人物は存在しないようになっている。そもそもフィクション作品に過度に現実との紐帯を見出す事自体が、ナンセンスといえるだろう。
だがそれでも、連続誘拐殺人事件自体があの連続誘拐殺人事件を下敷きにしていることは疑いえないだろう。そして『僕だけがいない街』の全体がそれを巡る「反実仮想」であることも同様に確かだ。言い換えれば『僕だけがいない街』は、現実の『ニッポン 昭和の重大事件史』を巡る、引いては「昭和史」を巡る「反実仮想」=偽史の構築を目指した作品であると言える。そしてその作品は「平成」へ、愛梨のいる世界へと脱出することで、平成28年3月4日に完結した。
ではなぜ「昭和」を巡るこの「反実仮想」は必要とされ、そしてなぜ、悟は平成へと脱出することが出来たのか。その分析は、『僕だけがいない街』を超えた、『私がいない場所三部作』全体に関わる問題である。章を改めよう。

終章 あいついだ日本の「私」

本稿はここまで、2010年代の前半に相次いだ、『私のいない高校』『わたしがいなかった街で』『僕だけがいない街』の三作を、『私がいない場所三部作』として、同一のテーマを持った作品群として論じてきた。その結果、「反実仮想」すなわち「私がいない場所」へといなくなってしまった者の生を巡る想像力、そしてその戦争や重大事件といった社会史、それも昭和史への接続が共通項として見出された。その『三部作』が2016年3月4日、昭和91年3月4日、平成28年3月4日、完結した。
終章にあたる本章での課題は、その「反実仮想」的な想像力がどこに由来し、どのような可能性を持つのかを確定することである。その過程で、それが「昭和」にどのような一線を画し得たのかが明らかになるだろう。
とは言えその考察のための手がかりは、既にここまでの章に散りばめられている。「反実仮想」の第一の要因として、『わたしがいなかった街で』において論じた「ソーシャルネットワークサービス」と「液晶画面」に代表される、テクノロジーの問題はやはり無視出来ないだろう。『私がいない場所三部作』が現れる七年前にあたる平成16年には「mixi」が、三年前の平成20年には「Twitter」が、それぞれ(日本での)サービスを開始している。
言うまでもなく、これによって人が「別の誰か」の生にアクセスする機会は、飛躍的に増えた。それが「わたし」のものであったかも知れない人生のパターンの増加であると同時に、「わたし」の前からいなくなってしまった潜在的な故人の名の増加であることを第一章で示しておいた。さらにその「液晶画面」は、「わたし」の名をもそこに連ねてしまう。この「液晶画面」が第二章で見た『私のいない高校』の「人名リスト」にも響き合っていることもまた、先に述べたとおりだ。
ここではさらに、より具体的な例として、フリー記者古田雄介の仕事を紹介しておこう。彼は「反ウェブ論死んでからも残り続ける「生の痕跡」」(2013)において、所有者の死によって更新が途絶えてしまったブログを含む「ソーシャルネットワークサービス」アカウントを紹介しつつ、このように述べる。「死に際に人の一生が凝縮されるとするならば、多くの人の人生を学びたいときはインターネットを覗けばいい。そう断言すらできる状況だ」。当然ながら「ソーシャルネットワークサービス」よって他人の生に触れる数が増加すれば、それに比例して更新が途絶える数も増加する。つまり(「いなくなってしまった」ことの比喩ではなく)、文字通りの故人に触れる機会が、テクノロジーによって増加している。言うまでもなく、そのことが最も前景化したのは2011年3月11日における、東日本大震災によってである。その時、津波が迫ってくるのを「実況」する多くのTwitterアカウントがあったことが報じられ、そして現にその日付で更新を止めたサイトが無数にある。『わたしがいなかった街で』の初出は、震災からちょうど一年後の、震災特集記念号であった。
無論ウェブサイトの更新停止の理由が、本当に所有者の死であることが確かめうる場合は稀である。だからこそその更新が止まった時、読者はその身に起きたことを、想像するしかない。その意味でもやはり、「ソーシャルネットワークサービス」は、人を潜在的な故人にする。こうして、「反実仮想」が要請される。上の古田の記事はちょうど『私がいない場所三部作』と同時期に発表され、その内容を一冊の本にまで増補した書籍『故人サイト』は、他ならぬ2015年に出版されている。『私がいない場所三部作』はあきらかに「ソーシャルネットワークサービス」と同時代的な現象である。
そして二つ目の要因は、二章で触れた「形式化してしまった歴史」である。そこでは「ヒロシマ」「ナガサキ」に代表される「戦争」についてこの語を用いたが、ここでは昭和という時代の全体にまで敷衍できるだろう。ここで「形式化」とは、「映画やテレビドラマ」のような「一つのまとまり」をなすことと同義である。「一つのまとまり」をなすこと、すなわち、故人として完結してしまうこと。つまり「反実仮想」の二番目の要因は、昭和が故人になり、終わってしまったこと自体にある。
どういうことか。本稿の見地からすると、故人という取り返しようもなくいなくなってしまった生に対する向き合い方は二つある。一つは「一つのまとまり」として完結し「形式化」されたその生=死を受け入れること。そして今ひとつは、「一つのまとまり」にならない断片的な生の情報から、「反実仮想」を行うことである。だが、昭和という時代については、前者のスタンスを取ることが出来ない。その理由はあまりに単純である。その大文字の歴史の中には、さらに無数の個人の歴史があるからだ。しかも、その時代は端的に長過ぎた。実際問題として、「昭和」という時代を「一つのまとまり」として生きた個人は極めて稀なはずである。その結果、一口に「昭和」言っても、人によって昭和何年代を想起するかは異なり、しかもその時代をどのように表象するかはさらにまちまちだろう。換言すれば私たちは不可避的に、「昭和」の全体を、自らが知るその断片から構築し直すしかない。「昭和」を思い描くことは、必然的に、大なり小なり「反実仮想」的でなくてはありえないのだ。例えば、「昭和90年代」という「反実仮想」も含めて。
ここにこそ、『僕だけがいない街』が、「昭和」を巡る一つの「反実仮想」として提示されていた理由がある。それがいかなるものとして提示されようと、もはやその時代の全体像は、つねにすでに「反実仮想」でしかありえないからだ。これに関連して、社会学者大澤真幸の以下の記述は示唆的である。彼は『不可能性の時代』(2008)においてまさに「ループもの」に横溢する「反復のモチーフ」を典拠として取り上げたのち、このように述べる。

われわれの社会は、今、終わりということへの感覚を、鈍化させていきている。〔中略〕終わりの感覚が終わったときに、何が困るのか? 偶有性への思い(他でもよかったのではないか、他でもありえたのではないか)がいつまでも解消されず、現実を「必然(これしかないこと)」として引き受けることができなくなるのだ。(『不可能性の時代』p.211)

この引用において、「偶有性」が「反実仮想」に、「必然」が「一つのまとまり」に対応するのは見やすいだろう。ある出来事を「一つのまとまり」として纏める尺度である「第三者の審級」(大澤真幸)が撤退したがゆえに、すべての「反実仮想」=「偶有性」が、相対化される。だからこそ、悟と真犯人の間の戦いも、いずれが描く歴史が生き残るかという抗争として行われるのだ。
真犯人は最後に悟と対峙する際、自分も悟も善悪という「物差しの外側の人間」であるとし、自分が「認めない物差しで裁かれることを拒否」して「自分自身の手で「終わる」ことを選択する」と、悟とともに心中しようとする。これは大澤の「第三者の審級が摩耗していく(相対化されていく)傾向に対抗して、あえて第三者の審級を再構築しようとすれば、〔……〕「終わり」ということを真に徹底したものにすること、要するに、全的な破局をもたらすこと」へ行き着くという見解に正確に一致する。「一切の肯定的な善をも措定せず、すべてを否定したとすれば、これを相対化することはできない」からだ。大澤はこの純粋な「否定」として「第三者の審級」がネガティブに回帰してくる時代を「不可能性の時代」と名付けた。真犯人はまさに、この「不可能性」を体現し、「善」を否定して「終わり」へと突き進む。
では、それに対峙する悟は何を体現しているのか。彼もまたループに「終わり」をもたらそうとする点では、真犯人と同じ立場に立っている。これを考えるためには、そもそもなぜ「不可能性」が要請されるのかを見ればいい。『不可能性の時代』はこう書き出される。

現実は、常に、反現実を参照する。われわれにとって、現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現われている。意味の秩序としての現実は、常に、その中心に現実ならざるものを、つまり反現実をもっている。すなわち、現実の中のさまざまな「意味」は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。(『不可能性の時代』p.1)

この記述を見れば明らかだろう。真犯人の「不可能性」に対して悟が担う「反現実」、それこそが「反実仮想」に他ならない。
このことはもちろん、悟が平成へと戻る手段が、「再上映」による「反実仮想」であることによる。物語開始時の時系列においてかれは、「昭和63年」の事件のトラウマを抑圧することで、逆説的にその時代に縛られたままだといえるからだ。『僕だけがいない街』はそのトラウマを断ち切り、新しい時代へと踏み込むための治療録としてある。悟が「再上映」によって昭和の「反実仮想」をやり直し、その上で愛梨=平成を選んでいたことを思い起こそう。彼にとって「反実仮想」こそ、「現実の中のさまざまな「意味」」を測るための「物差し」なのである。
そして悟が持つこの能力を、語りの形式の上で実現したのが『私がいない場所三部作』の小説二作である。「再上映Re-vival」。再生すること。生き直すこと。『わたしがいなかった街で』の「わたし」は「わたしがいなかった街」の「ドキュメンタリー」を絶えず再生して「反実仮想」し、『私のいない高校』の「キャラクター」たちは現実の「日記」を、「反実仮想」として生き直す。
昭和がなきものとなった今、その時代のように「理想」や「虚構」を「第三者の審級」として、現実の尺度とすることはできない。かといって「不可能性」に身を委ねても破滅しかない。だとしたら、互いが互いの歴史を参照項にし、その「反実仮想」から自らの現実を測るしかないだろう。いまやだれもが「物差しの外側の人間」であると同時、誰もが誰もを規定する「物差し」である。そしてそれを可能にするテクノロジーが、「ソーシャルネットワークサービス」として現れてきている。
だがそれは同時に、用いるものを各々の生へと閉じ込めもする、両義的な装置である(cfイーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』)。共通する「物差し」が消失した時、人は容易に自身が表象した歴史へと「閉じこもる」。その徴候の最たるものが、「歴史修正主義」だろう。だが「閉じこもり」は、右にも左にも起こり得る。
だからこそ、「反実仮想」が、自分の歴史とは異なる歴史を想像することが、「私がいない場所」へと思いを馳せることが、過去の歴史を参照することが、要請されるのだ。『私がいない場所三部作』は、「反実仮想」という同時代的な現象を象徴する書物たちである。私たちはそこからしか、未来に踏み込むことは出来ない。昭和90年代、平成はリバイバルする。

 

【参考文献リスト】
青木淳悟『私のいない高校』2011講談社
柴崎友香『わたしがいなかった街で』2012新潮社
三部けい『僕だけがいない街①~⑦』KADOKAWA
『ヤングエース 2016 1~3月号』KADOKAWA

東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』2006新潮社
『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』2001講談社
『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』2007講談社
『弱いつながり 検索ワードを探す旅』2013幻冬舎
安藤宏『自意識の昭和文学 現象としての「私」』1994至文堂
『「私」をつくる 近代小説の試み』2014岩波書店
大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』2009筑摩書房
『不可能性の時代』2008岩波書店
小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』2009新潮社
佐々木敦『シチュエーションズ 「以降」をめぐって』2013文藝春秋
『ニッポンの文学』2016講談社
三浦雅士『私という現象』1996講談社
古田雄介『反ウェブ論 死んでからも残り続ける「生の痕跡」 新潮45 eBooklet』2013新潮社
渡部直己『日本小説技術史』2012新潮社
『小説技術論』2015河出書房新社
イーライ・パリサー著 井口耕二訳 『閉じこもるインターネット』2012早川書房

青木淳悟 阿部和重「『私のいない高校』――キャラクター化する無名の存在たち」
青木淳悟「楽しかった修学旅行」
青木淳悟 保坂和志「小説の境界を超える小説」
佐々木敦「新・私小説論」
朝日新聞デジタル「「私」の不在 軽妙に切実に 三島賞競った好対照な2作」

 

漏出するリアル 〜KOHHのオントロジー〜

0. 一つの歌 〜プロローグ〜

ドン、ドン、ドン、彼の足は床をふみ続けた

彼は三つばかり音を出し、さらに歌い始めた――

「ウィアリ・ブルースおぼえたけど 気にいらない

 ウィアリ・ブルースおぼえたけど 気にいらない

 いっそ死んじまいたい」

夜がふけるまで、彼はその節をささやいた

星はなくなり、月もなかった

歌手は演奏を終えて、寝に就いたが

ウィアリ・ブルースが頭の中で響いていた

彼は岩か死人のように眠った

(ラングストン・ヒューズ「The Weary Blues」)

 

1926年、ニューヨークのハーレム中心に活動した詩人、ラングストン・ヒューズが一冊の詩集を出版した。『The Weary Blues』と題されたその詩集と一編の詩には、悲哀に満ちた叫びを歌に乗せる男の姿が描かれている。振り返り見れば、この詩にはある文化の源流が刻印されている。この詩が持つ幾つかの特徴、つまり第一に、原語では脚韻を踏んでいること、第二に、伝統的なブルース曲の歌詞を引用していること。これらの特徴は、ラップを一要素とするヒップホップの特徴でもある。ヒップホップの起源の一つであるブルースを、その詩/リリックの中で引用するという極めてヒップホップ的/サンプリング的な手法も含めた起源が、このヒューズの詩にあったのだ。そして『The Weary Blues』が出版された1926年とは、昭和元年であった。

ヒューズがその生涯を通して愛したニューヨークで、『The Weary Blues』から約50年後に、ブルースが持つ悲哀と抵抗、そして反撃を継承したヒップホップは誕生する。その約10年後の昭和60年、海を渡り、日本にもそれはやって来る。日本における先人の一人、いとうせいこうは果たして、バブルの享楽に沸く日本への悲哀をラップにして、脚韻を踏んだ。ヒップホップは、享楽の音楽ではない。それはいつも、悲哀を我が身に、反撃を叫ぶ者に寄り添って来た。それはラップという言葉による、悲哀を生み出した状況に対する反撃でもあり、悲哀を感じる自身を鼓舞するための自己への反撃でもある。

あれから30年、昭和の地平線上では90年目に、日本語ラップは誕生30周年を迎えた。この節目の年である2015年に、私たちはKOHHという才能と出会った。そして彼が粘土細工のように何度も捻った悲哀の歌に、私たちは、どのような表情で耳を傾ければ良いのか分からず、戸惑っている。

 

1. 一つの到達 〜KOHHという存在〜

本論は、日本語ラップについて考える。それは1970年代にアメリカのニューヨークで誕生し、その約10年後の、1980年代に日本に輸入された。この経緯から、日本語ラップは、その他多くのアメリカから輸入された文化と同様、ある種の問題群に突き当たった。日本語でラップは可能なのか、所詮は物真似と揶揄されないような、日本独自のラップ表現なるものが存在可能なのか、云々。

これらの疑問には、一つの答えが出ている。なぜなら、日本語ラップはその誕生から30年の歴史を既に獲得しているからである。嘗てラップの表層的な部分だけを輸入して取り入れた表現は、パクリや猿真似と揶揄された。しかし1980年代にヒップホップを最初に輸入した「MC=Master of Ceremony」達が、文字通りこの30年に渡る群像劇のオープニングセレモニーを開催し、しばしば猿真似と非難されながらもそれをローカライズしようと試み始めてから、私たちは随分遠くに来ている。ことヒップホップに関しては、米国産のオリジナルに忠実な翻訳は必要なかったことが、次第に明らかとなった。何故なら、ヒップホップが掲げる重要な理念には、オリジナリティを保つこと、そしてそのような自己の独自性を「レペゼンする」=「代表として誇る」ことが標榜されているからだ。

日本語ラップは音楽の一ジャンルであると同時に、言葉を扱っている。その点においては、従来の歌謡曲や歌モノと呼ばれるその他の音楽ジャンルと同様であるが、しかしそれらと原則異なるのは、圧倒的に言葉数が多い点である。`日本語ラップの歌詞は元々叙情詩を表す「リリック」と呼ばれる、しばしば長大なテクストとして、それ単独で鑑賞に耐え得る。括弧付きの文学として。現代詩の中で親和性のある作品と並べてみれば、その装いは驚くほど似ているだろう。

歌謡曲の歌詞を日本の現代詩と並列にして考察する試みは、たとえば吉本隆明の仕事に代表されるように、これまでも成されて来た。しかしラップを現代詩と並列にしたり、その文学性を読み解くような仕事はあまり例がない。現代詩がある種の隘路に突き当たってしまったがために、その内容が難解になり、読者層が狭まっているとすれば、日本語ラップのリリックこそがそのような条件から自由に詩として存在しているのではないか。都築響一はそのような思いから『ヒップホップの詩人たち』(2013)を纏め上げ、MC/ラッパーたちが現代を生きる詩人であることを証明した。

現代詩とラップを分かつもの、それは縦書きと横書きの世界観の違いに帰結する。そして横書きが日本に普及した一因には、アメリカが敗戦後の日本に課した、公用文の横書き化政策がある。日本語ラップを語る上で、日米関係から目を逸らすことはできない。日本語ラップは、様々な意味でアメリカが準備したフォーマットに規定されている。

本論は、彼らが絞り出すリリックの内容だけでなく、日本語ラップの形式にも焦点を当てる。その歴史的な変遷を辿りながら、現在の日本語ラップが到達した地平をなぞってみたい。そして今まさにその表現が可能となっている背景には、どんな事情が存在するのか。それらを精査することも、本論の目的の一つである。

そこで私たちは、日本語ラップが達成した地平線を前かがみで歩く、一人のアーティストを取り上げる。「KOHH」と綴り、「コウ」と読むのが、そのアーティスト名である。平成2年生まれ、韓国人の父と日本人の母のもと、東京都北区王子の団地で育つ。18歳でMC/ラッパーとしての活動を開始し、2015年1月1日に最初のアルバム『梔子』をリリースする。その後、合計で3枚のアルバムと、3枚のミックスCDをリリースしている。青に染め上げた頭髪に、金色に彩られた歯、様々なファッションブランドを纏った肌は、刺青の群に彩られている。ライブでは狂ったように頭を振り、暴れ方を観客に教示する。しかしステージを離れた彼の表情はいつも落ち着いており、その瞳にはある種の冷たい静けさが宿っている。

それらの楽曲のリリックは、シンプルな語彙で、今、KOHHの双眸に映っていることが記述される。そこには彼が敬愛するブルーハーツからの影響があり、Twitterによるつぶやきの連鎖で構築されているようにも見える。楽曲ごとに彼のヴォイスは様々な色彩を帯びる。淡々とした語り口。真っ直ぐで悲痛な叫び。気の抜けたような合いの手。剥き出しの泣き声。瞬間を最大限に楽しむ快活な掛け声。それらは尾崎豊の絶唱のようでもあり、今にも泣き出しそうなペルソナを演じるケンドリック・ラマーからの影響も伺える一方、不条理な世界を描写する初期の大槻ケンヂのようでもある。そして言葉たちを支えるビートは最新の徹底的に硬質なトラップ群であるが、KOHHの突出したリズムへの感性は、8分、16分から32分音符に寄り添い加減速し、間に挿入される三連符も巧みに乗りこなす。

換言すれば、彼の特異なスタイルは、時代もバラバラの和洋混合の要素を掛け合わせたハイブリッドなキメラなのだ。この突然変異に見える平成生まれのMCの革新性と、それを可能にした背景を明らかにすること。それが私たちの差し当たっての課題である。

 

2. 一つの解釈 〜日本語ラップ史概観〜

そのための共有すべき前提として、まず1980年代中盤に産声を上げた日本語ラップの大きな流れを把握する必要があるだろう。以下、議論を相対的で、ヒップホップのシーンに自閉したものとならないよう、J-POPの一部にカテゴライズされるラップ曲/アーティストと、商業主義とは一線を画すハードコアなラップ曲/アーティストの関係性を追うこととする。

まずは日本語ラップ誕生の瞬間をどこに求めるのかが最初の論点となる。ドリフターズの早口言葉や吉幾三の楽曲にその萌芽を見出す論もあろうが、ここで前提とするのは単なる表現形式としてのラップではなく、ヒップホップを足場とした日本語ラップの誕生である。その意味で、本論ではまず、いとうせいこうと近田春夫の名を挙げる。いとうせいこうの最初のラップ録音曲は1985年の「業界こんなもんだラップ」だが、その後1986年にTINNIE PUNKSと共にアルバム『建設的』、1989年には『MESS/AGE』をリリースする。一方、近田も1985年にPresident BPM名義でシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」をリリース、その後1987年にはアルバム『HEAVY』をリリースしている。両者のその後のキャリアが、片や小説家、片や作曲家/音楽評論家であることが、日本語ラップの黎明期に興味深い形で刻印されている。つまりいとうのリリックには文学性が、近田のリリックには批評/批判性が直接現れているのだ。特に後者の過激に政治的発言を入れ込む方法論は、ラップという手法をデモ等に取り入れ、また思想的にもECDらのMCの共鳴も得ているSEALDsらの一連の活動の端緒といえる。確かに、ポリティカルであることはラップの一側面である。

しかし本論ではいとうの『MESS/AGE』のリリースをもって、日本語ラップの誕生としたい。いとうの『MESS/AGE』には悲哀と反撃の象徴としてのヒップホップに相応しいモメントが刻み込まれているのだ。収録曲の「噂だけの世紀末」では次のようにディストピア的な世紀末の日本が描かれている。「それは日本はじめての世紀末だった/西暦なんて知らなかったから/日本はじめての世紀末だった/(中略)/世界破滅のイメージを誰もが欲しがった」「子供はマンガのヒーローを殺して/最終回を勝手につくった/明るいマンガを暗くしたがった」「美しい退廃もきらびやかな浪費もなかった/ただ誰もが混乱してただひたすらおびえるだけだった」。「TO THE MAX」ではバブルへのカウンターと言えるラインで埋め尽くされている。「TOKYOゲットープラネット/つくりものムービーセット/金ピカVIPルーム/思想のないブーム」という、いとうのメッセージは、バブル真っ只中で沸く日本人には空虚なものと響いたかもしれない。しかし事後的に見ればこれは根拠のある警告である。この後バブル崩壊後に本格的に成長を始める日本語ラップは、経済的には一貫した下り坂の中を、成熟に向けて歩き続けて行くことになる。

1980年代中期以降、いとうせいこうとMAJOR FORCEレーベルが輩出するアーティストたちによる日本語ラップの先駆的な試みが実践された。当時アメリカで力を持ち始めたヒップホップ/ラップを最新モードとして日本の音楽に取り入れる所作である。彼らの音楽や姿勢を貫くエレメントの一つはユーモアであり、それらは米国産ヒップホップが持つ多様性の一つであることは間違いない。しかしそれは、一方でハードコア=硬派なヒップホップ・ヘッズ=ファンからは批判の対象ともなるものだった。

アメリカ産ラップがギャングの目線のギャングスタ・ラップや、ハードコアといわれるゲットーやストリートの苛酷な現実を描写するものが大勢を占めて行く中、日本では所謂J-POPのフィールドにヒップホップの表層的なイメージが掬い取られ、ステレオタイプ的なオーバーサイズのファッション、響きや押韻が捨象されたラップが挿入された楽曲が目立ち始める。EAST ENDxYURI『DA.YO.NE』(1994年)やスチャダラパーと小沢健二『今夜はブギーバック』(1994年)を代表とする楽曲のヒットにより、これらの動向はJ-POPの派生形としてJ-RAPと呼ばれるようになる。

1990年代初頭より、キングギドラ、ECD、LAMP EYE、マイクロフォン・ペイジャー、ラッパ我リアらのよりハードコアでリアルなスタイルを求道するアーティストにより、J-RAPは強い批判の対象となる。そしてその潮流は1996年に日比谷野外音楽堂で開催された日本語ラップのアーティストを一同に集めたライブイベントである「さんぴんCAMP」でピークを迎える。このイベントの主催者であるECDは、アンチJ-RAPを掲げ、ステージ上でその死を宣告する。そしてその目論見は成功する。約4,000人を動員したこのイベントは大成功の裡に終わったのだ。

この「さんぴんCAMP」でのハードコアな本物志向のヒップホップの勝利により、J-RAPは駆逐されたようにみえた。少なくとも短期的には。1999年、kjこと降谷建志率いるDragon Ashの「Grateful Days」がリリースされ、オリコンチャート1位を獲得、最終的に90万枚を売り上げる大ヒットとなった。同曲には以前よりkjと親交のあったキングギドラのZeebraがフューチャーされているが、同曲の後にDragon Ashがリリースした「Summer Tribe」(2000年)でのkjのスタイルがあまりにもZeebraに瓜二つだったため、Zeebraはキングギドラの「公開処刑」(2002年)でkjを文字通り公開処刑の如く「リアルでない」と激しく批判している。このように、ハードコアラップに抹殺されたJ-RAPはより洗練された姿で蘇生したかのように見えたが、再び処刑されてしまう。しかしながらその形式=フォーミュラは後世に受け継がれる。この「Grateful Days」のメジャーキー(長調)のピースフルな曲展開とポップなリリックが、その後のケツメイシ、Nobody Knows、オレンジレンジ、GReeeeNなどラップ表現を取り入れたJ-POPの典型的なヒット曲の原型となっているからだ。

一方、J-RAPを抹殺したように見えたハードコア・ラップはどこへ向かったか。あくまでも東京出身のアーティストが集まった「さんぴんCAMP」であったが、東京以外の地域にヒップホップはなかったのか。1990年代後半、北海道からTha Blue Herbが、名古屋からトコナ-X(イルマリアッチ)が、カリフォルニアから逆輸入の形でShing02等が現れる。彼らは謂わば、柄谷行人が『帝国の構造』(2014)でキーワードとするところの「帝国」=東京の影響を直接受けない、「亜周辺」地域であるかのように独自のスタイルで反東京を掲げ、ゼロ年代になるとこの流れはますます加速する。ここで留意しておきたいのは、1990年代中盤までの東京一極集中とは、渋谷を指していることだ。ゼロ年代以降、同じ東京でも、たとえば新宿からMC漢が率いるMSCが、三茶から般若が在籍した妄想族が、それぞれの地域を代表/レペゼンして登場する。「帝国」に対する「周辺」の逆襲である。そして「周辺」と「亜周辺」地域のラップに一貫するのは、地元の方言も取り入れながら、徹底的に日本語に拘ったリリックのスタイルである。対立軸をアメリカ⇄日本に見出し、いかに輸入しローカライズするかが焦点だった時代から、日本国内の東京/渋谷⇄地方に対立軸が移行し、日本語の枠組みの中でいかに差別化を図るかが着目されるパラダイムシフトが起きたのだ。

こうして、当初は上京して渋谷の一部となって始めざるを得なかった活動は、地方から渋谷への果し状という形を取ることとなる。そしてここにはもう一点見るべきポイントがある。「さんぴんCAMP」に集客した4,000人の観衆とは、何であったか。これは謂わばアーティスト予備軍であり、リテラシーの高い、ヒップホップ・プロパーのファン/ヘッズであった。ゼロ年代以降の地方乱立の時代にあっては、地産地消型のモデルに沿って、地元のヒップホップ・ファン/ヘッズではないリスナー層を獲得する。ヒップホップが従来持つアウトローたちの音楽としてのイメージとも相俟って、地方のリスナーのボリュームは拡大の一途を続ける。

さらに時は進みテン年代のアーティストたちは、これまで日本語ラップが培ってきたものを前提に、新たなるフェーズに突入した。日本語ラップ史と米国ラップ史を等価なデータベースとして獲得している彼らの世代は、ラップ、トラック制作共にオタク的な知識や高いスキルを有している。1990年代の日本語ラップにおいては、ニューヨークからの帰国組であるBUDDHA BRAND等によるアメリカから直輸入したボキャブラリーやスタイルが価値を持った。しかし彼らにおいては幼少時から英語訛りの日本語ラップを聴いて育つような環境が普通であり、特に海外経験がなくとも/あってもフラットに英語表現を消化しており、嘗てのようなコンプレックスの反動として日本語に拘るような態度も見られない。S.L.A.C.K、SIMI LAB、Fla$hBackSのようなアーティストたちは、個々の判断基準で自由に英語表現を使いこなす。これは英語が苦手と言われている日本人に対して、圧倒的にマイペースに文法の正否に拘らない英語使用に長けているアジア諸国の人々の態度にも酷似している。また、テン年代の特にビートメイカーたちは、SoundCloudやBandCampなどネット上で音源を発表するプラットフォームの発達も相俟って、日本とグローバルの垣根なく活動を展開しており、海外のリスナーをも多く獲得している。海外のアーティスト側からの申し入れにより実現するコラボレーションも極めて日常的に発生しており、何ら特別なことではない。そしてこの世代においては韻を踏むという最低限のルールを共有するコミュニケーションツールとしてのフリースタイルの輪=サイファーが過去にも増して一般化するが、これは最低限のコード進行とスケールの共有で誰とでもセッション可能なブルースの気軽さと通底している。

整理しよう。日本語ラップの起源である、1980年代中期、その第一人者の一人であるいとうせいこうは、バブルの享楽へのカウンターとして、悲哀をラップに託した。当時、日本語ラップに理解を示す者は、皆無に近かった。しかしその後、よりストイックな姿勢を掲げるハードコア・ラップが同胞を増やし、1996年の「さんぴんCAMP」というJ-RAPへのカウンターの絶頂点を経て、ゼロ年代にかけては地方から東京へのカウンターが文字通り日本語に拘ったラップを進化/深化させる。テン年代は、謂わばそれ以前の日本語ラップ史全体へのカウンターとして、日本と海外のボーダーを一足飛びに超えるようなアーティストたちが多く現れている。少数派による、カウンターの歴史。そして反撃をする理由にも、後味にも、悲哀が滲む。日本語ラップは、悲哀の言葉で韻を踏み、反撃の言葉でフロウするのだ。

私たちは、日本語ラップの誕生を1989年のいとうせいこう『MESS/AGE』のリリースに見た。それは、このアルバムが初めて「リアル」について目配せしたからである。「リアル」とは、ヒップホップがブルースから継承した「悲哀」と「反撃」(もしくはより受動的な「抵抗」)を作品に描き出し、それを描き出す態度にアーティスト自身が忠実であるかを計る鍵概念である。

いとうは『MESS/AGE』リリースから半年後の1990年元旦、NHKで「噂だけの世紀末」と題した特集番組を企画するが、そのわずか数ヶ月後にKOHHは生を受けている。生まれたばかりの赤ん坊の瞳には、いとうの描いた「リアル」とその「悲哀」の源となる世界が映っていたことになるのだ。

そして、いとうが初のアルバムである『建設的』をリリースするのと同じ25歳の年に、KOHHは同じく最初のアルバム『梔子』とサードアルバムの『DIRT』をリリースする。その作品群には果たして、いとうの「リアル」の痕跡、そして「悲哀」の痕跡は認められるのであろうか。

 

3. 一つめの分析 〜内容の問題〜

(1) リアル論

「リアル」という鍵概念を巡る思索のため、その生誕地である1970年代のアメリカを振り返ろう。まずは、ヒップホップがその精神的支柱として標榜するこの語の持つある種の「過剰さ」を考察すること。そしてその先の射程は、KOHHが描く「リアル」に対する、彼自身の態度に辿り着くことである。

ストリートの現実から産声を上げたヒップホップは、「リアル」という母胎と臍の緒でしっかり結び付けられている。しかし1970年代のニューヨークで誕生したヒップホップだが、その母胎の「リアル」がラップとして言語化されるのは1982年を待たなければならなかった。グランド・マスター・フラッシュ&フューリアス・ファイブの「ザ・メッセージ」において、彼らの「リアル」は初めてラップの言語によって照射された。

1990年代にかけてLAを中心にギャングスタ・ラップの潮流が生まれ、彼らの「リアル」は、ある種の共通言語となり、類型的な物語として消費されるようになる。ゲットーで生を受けた者がその貧困から抜け出すにはドラッグディーラーやハスラーとして成功するしかなく、その過程において果てなきギャングの抗争や暴力の連鎖に否応無く巻き込まれる。一旦成功を掴んだとしても、それは束の間の幻想でしかなく、やがて自身が嘗て敵対する他者に奮って来た暴力が回帰する形で、報復を受け、或いは自らと同じ境遇で一層ハングリーな後続に隙を突かれるのだ。その世界には安定的な幸福など存在しない、どこまで行ってもそこには刹那的な生と、結局はバッドエンド以外のルートは存在しない死からの逃走劇しかない。他方、そのような現実に対し、可能世界を開くようなコンシャスラップの潮流が生まれることともなる。

1990年代中盤、ギャングスタラップの隆盛に湧くウエストコーストに対して、ニューヨークを中心としたイーストコーストでは「Keep It Real(リアルでいろ)」というフレーズが広く流布した。これは巨大になりつつあるヒップホップ産業を背景に、ビジネス目的で素性を偽り如何にもタフなストリートでサヴァイブしている風の偽物/ワック/フェイクMCたちが溢れ出したからである。ネット の音楽データベースであるDiscogsによれば、タイトルに「real」が含まれるヒップホップの楽曲は約20,000タイトルに達する(CD、アナログ、カセットなど同一タイトルのリリースメディアによる重複含む)。

巨大産業と化すギャングスタラップ市場で「リアル」な物語は類型化の一途を辿り、フェイクMCたちが周囲に群がる。彼らを徹底的に批難するリアルMCたちはしかし、余りに過剰なアーティストイメージに正直に寄り添い「リアル」であり続けた結果、彼らが描いた物語通りのルートをひた走ることとなる。マイクを握ったときからその視界に散らついていたはずのバッドエンドへ一直線に伸びるルート。2パックやノトーリアスB.I.G.、ビッグL、ロストボーイズのフリーキー・ターたちは車線変更することなく、そのレーンの突き当たりに到ってもなお決して速度を緩めることはなかった。彼らは、誰のものでもない類型化した物語に、自身の死をもってして署名を施したのだ。

彼らは自らが「リアル」に描いた「リアル」に飲み込まれたが、その所作は見事に「リアル」なものであり、他の可能なルートは初めから無かったものとして捨象される。そこでは死が少しずつ生きられ、その「コマ送りの死」としての生を前に、合目的的な生は蹂躙される。

「リアル」とその「生き方としての死」を考察するための補助線として、全く別の角度からの「現実」の定義を参照したい。ジョルジュ・バタイユは「無神学大全」のトライアングルの一角を構成する『有罪者』(1944年)の中で2つの「リアル=現実」を定義している。一方は「不確定な現実」であり、他方は「推論的な現実」である。

バタイユによれば前者は「不可能なもの」「把握されえないもの」であり、「半ば滅びながら達することのできる現実」である。それは「神」のような超越的な概念がもたらす生の枠組みを盲信して生きる、半分死んでしまっているような生から逃れる先に現れ得る現実であり、本来個人が生きるためには必要な自我と世界の境界を、敢えて引き裂いた先に見える現実でもある。

後者の「推論的な現実」は、「合理的な現実」のことである。生きて行くために必要な状況を目的として、その目的を実現するために合理的に思考して言語表現を駆使する現実である。これは私たちが日々生きている現実であり、ギャングスタラップの主人公たちの多くが立身出世のために生きている「リアル」でもある。しかし2パックやノトーリアスB.I.G.たちが選択せざるを得なかったのはバッドエンドへの確定ルートであり、状況に強いられながらもどこか能動的にそれを選択する態度の背景に「合理的な現実」を見出すことができないのは、前述の通りである。

バタイユは、この「推論的な現実」を批難した。つまり、生きる理由となっている目的は「主人」のようなものであり、私たちはその目的の実現に向けて努力している「奴隷」ではないか。バタイユが標榜する「無神学」とは、この隷属状態からの解放であり、即ち「神の死」は「推論的な現実の消滅」を意味している。

「推論的な現実の消滅」のためには、日々の合目的的なだけの行動や経済活動の裂け目を志向しなければならない。そのような行為としてバタイユが挙げているのが、「笑いや涙の情動的行為、エロティシズム、詩や絵画、音楽などの芸術の創造行為およびその成果の鑑賞、供犠に特徴づけられる宗教的な祭儀」などである。目的のための行為ではなく、行為自体の遂行が目的となる行為。ギャングスタラッパーたちが日々のハスリングから離れて楽曲制作に勤しむ行為は、バタイユによって称揚される態度であるのだ。

それでは、このように自身の死をもって「推論的な現実」から離脱した2パックやノトーリアスB.I.G.の「リアル」は、「不確定な現実」と重なり合うのだろうか。

ギャングスタラップの類型化された物語に描かれるのは、無数の同じ生であり、同じ死である。匿名の群衆が同じ一つのリアルを生き、同じ一つの死を死ぬ。ノトーリアスB.I.G.は、ファーストアルバムの『Ready To Die』(1994年)のタイトル通り、自身の死をリリックの中で予言している。この類型化された物語の中の死、謂わばシミュラークルとしての死は、そのリリックの持ち主自身の死をもって、つまりいかなる他者にも代理できない死をもって署名を施されることとなる。このとき、群衆の中で個体としての意識をもたらす死は、ハイデガーの言うように「おのれのもっとも固有な可能性」と言える。同時にそこに立ち会うオーディエンス/他者は、バタイユの言葉を借りるなら、このような「供犠」を傍観し、「死の経験」即ちシミュラークルとしての死を生きることとなるのだ。

そしてKOHHは、常にこのシミュラークルとしての死に寄り添っている存在である。『RollingStone Japan』のインタビューで、KOHHは目下の最新作であるサードアルバムの『DIRT』(2015年)には生死について歌っている楽曲が多いことを指摘されている。確かに『DIRT』収録曲の約半数「Living Lengend」「Now」「一人」「If I Die Tonight」「死にやしない」などが生死をテーマとしている。同インタビュー中、彼は正に「半分死んでしまっているような生」から逃れている存在であるシド・ヴィシャスやカート・コバーン、尾崎豊への敬愛を示すと同時に、自らの楽曲で歌う内容が現実化してしまうことの奇蹟と危険性について言及している。同インタビューの「思ったことを歌にするとそれが現実になる確率が間違いなく上がる」という発言は、自らの目標を曲中に入れ込むことによる肯定的な意味と同時に、その奇蹟への否定的な警戒も示している。歌詞の通りの類型化した物語に絡め取られるとは、自身に「リアル」に生きる必要性という足枷を嵌めることであり、自らの言葉が自らを対象としてパフォーマティブに働いてしまうことである。

このような自身の言葉のパフォーマティブ性が生む確定ルートに引き寄せられることへの警戒は、合目的な判断を無効化し、一方で彼のリリックに頻出する「いま目の前にある現実」への賛美へとつながっている。もっと言えば、彼は目の前に見えている現実しか記述しない。彼の目の前に現れる、友人、女の子、ファッション、酒、お金、ライブの観客。そしてそれらの背後にある文脈や背景はまるで見えない。しかし突然、それらの対象は文脈なき死=喪失と接続されるのだ。彼のリリックの鑑賞は、背景を欠いた漫画を鑑賞しているような経験だ。そして彼岸に死後の世界を見ない態度は、極めて日本人的であるとも言える。

 

生きてるほうが いいな 明日よりも 今

破れてるジーパン 履いてる 吸って 吐いてく

寝たいから 寝る どっかでまた いい体験する

買ったばっかりのアクネのTシャツ いい服 着て行きたい

(KOHH「If I Die Tonight」)

 

レンジローバーの助手席に乗り

目的時に着いたら降りる

次はどこに行く

渋谷 原宿

代々木とかがいい

(KOHH「Glowing Up」)

 

朝 昼 夜 朝 昼

気がついたら 夜だよ(夜!)

窓開けたら 外見る(外!)

東 西 南 北

今日 何する どこ行く?

(KOHH「Now」)

 

KOHHは目の前に映るものだけを記述することで、類型化された物語を拒絶する。「今」しか見ないことで過去と未来を削ぎ落とし、時間軸を水平方向ではなく垂直方向に貫くメタ視点を獲得しているのだ。

以上に見てきたように、母国アメリカのヒップホップが従来描いて来た「リアル」の模範回答は、ギャングの人生を擬えた類型化された物語であった。ハードコアを標榜するアーティストたちは、この「リアル」に寄り添うことを曲中で宣言し、自身の言葉にパフォーマティブに律せられる挙句、最悪の場合、死への確定ルートを自ら歩んでしまう。一方のKOHHは、「リアル」に潜むこれらの物語に抗う視点を獲得している。彼は今、目の前にあるものだけを記述することで、その背景にある物語を空白のコマに溶け込ませ無効化する。そして、自らの言葉のパフォーマティブ性を自覚し、それを利用こそするが、それが自らの生へ侵食することは許さないのだ。

「リアル」に対するKOHHの態度は明らかになった。しかしながら彼が描く「リアル」そのものの正体を掴むには、さらなる考察が必要である。

 

4. 二つめの分析 〜形式の問題〜

(1) 二つの韻といくつもの文

ここまでは「リアル」について、つまりリリックの「内容」について考察してきた。次にリリックの「形式」の問題へと踏み込みたい。日本語ラップの形式を考えるとは、アメリカのラップが前提とする英語が依拠する形式や規律を、どのように日本語に当て嵌めるか、日本語に適用できるよう「翻訳」するかという問題である。形式面で検討するのは、「押韻」「文/センテンス」「翻訳語/語彙」である。順番に見ていこう。

ラップをラップたらしめている条件/規律の一つに「押韻」がある。韻を踏むという最低限のルールにこそ、ラップの面白さがあり、それを基盤に発展してきた経緯があると言っても過言ではない。

しかし、私たちの視線の先で不敵な笑みを浮かべている、KOHHはどうであろうか。端的に言って、KOHHは韻を捨てたラッパーである。捨てたというと語弊があるのであれば、韻を「省みない」と言っても良いだろう。「顧みない」ではなく「省みない」の字を当てているのは、彼のリリックには過去形の自己を「省みる」視線が欠如しているからである。

彼の韻への態度に深入りする前に、従来の日本語ラップにおいて、韻を踏むとはどのようなことであったのか見ておこう。1989年にリリースされたいとうせいこうの『MESS/AGE』の歌詞カードには、「The Rhyming Bible 福韻書」と名付けられた韻を踏める語のリストであり、たとえば「えい」の項には「整理」「世紀」「Massage」「Now Get It」などが挙げられている。これは英語圏ではポピュラーなライム辞書の簡易的な日本語版を作ろうとする試みであったが、いとうはラップの韻の踏み方は余りにシンプルであったため、最初は抵抗があったことを告白している。このことは、MCとしての活動の初期から押韻に対して非常に意識的であったことを示している。

この押韻についても、1995年のキングギドラのアルバム『空からの力』の影響力は大きい。彼らは韻の方程式を輸入し、教科書化した。彼らは、それ以前まで多かった二音/文字踏み(ex. 嘘の勝ち負け/ただ虚しいだけ)に疑問を呈し、少なくとも三音/文字以上踏む(ex. 自由に飛ぼうと/もみ消す証拠)のが押韻への礼節であるとの態度を身を以て示したのだ。

 

頭脳旅行中 集めた記録 地獄黙示録見抜く透視力

調子良く見える現実も 実は連日の 演技

三つめの目で見つめ 韻踏み メンタル面ある人組

日本列島誰の 大統領のつかむ襟

コケのむすまで待っては御陀仏われまくる

バブルかぶるトラブル 振るまで怒りうけるおしかり

雲の隙間から空からの

計算された神の数学 返り討ちする悪魔の誘惑

不正許さねえ深い祈り 全ての力を人々に

(キングギドラ「空からの力pt2」)

 

この方程式は、後続する日本語ラップ史において更新され続けた。韻を踏むというルールは日本語ラップにおいても定着し、如何に斬新な方法で踏めるか、あるいは過後続する日本語ラップ史において更新され続けた。過去に誰も踏んでいないフレーズで踏めるかを探求するのが、一つの模範的な態度となった。

しかしKOHHはそのような規律を意に介さない。彼の視線は無意識に、ラップというフォームに要請される最低限の、ミニマムな韻にのみ注がれている。それは最早意識されているというより、ラップというフォームに元々インストールされているもので、特段「省みられている」ようには見えないからだ。

 

汚れまくり

だけど綺麗

首に刺青

芸術的

履いてるKsubi

ダメージデニム

シャツY3

毎月買いすぎな服

高い物をハサミ

で切っちゃったりするけど

(KOHH「Dirt Boys」)

 

1行目「汚れまくり」と3行目「首に刺青」の「kuri」と「zumi」の脚韻、同様に5行目「履いてるKsubi」と7行目「シャツY3」の末尾の脚韻は、キングギドラの教科書以前に退行する二音/文字の最低限の韻であり、特にラストの9〜10行目に押韻は見られず、従来のラップの考え方である、ヴァースの最後を如何にスキルフルな押韻で締め括るかが重要という固定観念はここでは通用しない。

KOHHの押韻に対する態度は、彼が『DIRT』で繰り返し取り上げている「今」という言葉に象徴されている。「今 生きてるだろ(今!)/もういらない過去(中略)明日なんていらない/明日 明後日 未来/明日よりも今がいい」(「Now」より)。つまり彼にとって韻を踏むか踏まないかは、今目の前で決まることであり、予め結論が出ているものではないのだ。彼は『DIRT』収録曲のリリック準備に際して、基本的に予めノートやiPhoneに書き溜めることなく、いくつかの事前に着想したラインを記憶した上で、残りはフリースタイルでレコーディングに臨んだという。しかしここで留意すべきは、韻を踏むか踏まないかはフリースタイルのように決まると言う単純な話には回収されない点だ。フリースタイルを判断基準に据えれば、基本的には押韻することが望ましいが、結果として全て踏めるかどうかは神のみぞ知るということになる。KOHHの態度はこれとは異なる。彼はそもそも押韻の有無に特別な価値を置かず、その結果的な可否にも拘泥しないのだ。

押韻の問題。元来『古今和歌集』などには押韻や掛詞含む韻律が満ちていたが、現代詩は押韻を継承しなかった。しかしながら日本語での押韻可能性を力説した九鬼周造の意志を受け継いだ日本語ラップは、文末が動詞や形容詞で終わるという条件へのカウンターとしての体言止めや倒置などのレトリックを駆使しながら歴史を紡いできた。漢字仮名交じりの日本語は、「タンマ俺なりの男の挽歌/山田を音読みにするとThunder(ヤバスギルスキル/ラッパ我リア」)「Tell it to your enemy/Tell it to your friend/武将か酋長か知らないけど(Island/NIPPS)」のように、漢字の音読みと訓読み、方言、英語などを日本語の語句と韻を踏ませることも可能だ。このように30年間に渡る無数のMCたちが探求してきた「言葉のアート」。この求道の重みにも関わらず、なぜKOHHは韻を踏んでも、踏まなくても良いという態度を保持し得るのだろうか。

ラップは、詩と同じく、通常の文章や小説などと比較すると、短い文、句、フレーズで構成されている。いま「通常の」文章や小説と言った。しかし嘗ての日本語は現在と同じ長さの単位を持っていた訳ではなかった。谷崎潤一郎は『文章読本』(1975年)の中で、源氏物語派の文章を「すらすらと、水の流れるような、どこにも凝滞するところのない調子」とし、センテンスの切れ目のない文章を評価している。そして現代語でもこのような流暢な文章は再現可能だとし、そのためには主格の省略や、文末の動詞や形容詞や助動詞が「た」で終わらないよう工夫することを挙げている。このようにもともと区切りなく、流れる/フロウする日本語を、ブツ切りに切断したものは何だったか。谷崎の言う「主格」は、どのようにもたらされたのだったか。

それは西欧の文章の「翻訳」と同時に来日した。即ち黒船を受け入れた日本で、明治20年頃から西欧の文章が翻訳され始めると、同時に「文/センテンス」の考え方も輸入されたのだ。そこかしこが句読点で区切られ、文や句がそれぞれに閉じた意味内容を持つように見えても、主語を始めとした語の省略の多い日本語において個々の文や句は、前後の文章との関連性=文脈を保持し続けている。ラップという形式においてさらに細かい文や句に分割されても、その性質は変わらない。

しかしKOHHのリリックにおいては、それぞれのラインが、独立した個々のフレーズとして、林立している。そこに記されている言葉以上でも、以下でもないものとして、それらは立ち尽くしているのだ。即ちKOHHのラインは今、目の前にある状況を写し出しているが故に、過去も未来も勘定に入れる必要のない「今」の記述であり、そこには個々のセンテンスをつなぐ文脈というものは無いのである。故に、KOHHにあっては、一行前、一行分だけ過去の自身の言葉も打ち捨てられ、忘却される。結果的に韻を踏んでいれば、それはそれ。英語圏では、ミルトンの『失楽園』に代表される押韻のない無韻詩のことを「ブランク・ヴァース」と呼ぶ。30年分の先人たちの積み重ねも、彼の「今」を描く漫画の、背景=押韻なきコマの空白部分に融解してしまっているのだ。

 

(2) 一人の山師

KOHHのブツ切りで、独立した、今を数文字で記述するフレーズ群。一方で、かつての『源氏物語』が描いたような区切られることない流れ/フロウに『古今和歌集』の韻律が満ちるような世界もまた、日本語ラップという表現形式の上で生まれている。その流れ/フロウの持ち主は、こころざしを持った人、「志人」と名乗るアーティストである。

 

あらましき災いに やかましいと阿唐獅子 

風上に抗いし 山並みに逆らいて 花は散り

閻魔様に天は黙り 剣片喰 禅袴に 伝鉞 研磨かかり 線露に 田河原

面重なり 点現し 芸は盛り 生儚き 名は名無し 平和語り 念釈迦じゃ

宴酒場に 命高鳴り ええ魚に玄米と 献杯と返杯を 先代より天体へ

狐の嫁入りの晩 三つ目の狛犬が手鞠ねだり絵描き詩せがむも根無し草

困り果てて弱い雨の終わりかけに怒鳴りたて 御上かて逸らした目 空見上げ おら知らねえ

(志人「狐の嫁入り 〜神様が棲む村のうた〜」)

 

とある村の神社にゃサの神が宿る祠ありゃ

大豊作祈る五月の瀬 はい 耕作祈念の祭りの音

胡麻擂りすり鉢擂粉木石臼稗粟黍蕎麦麦味噌醸造

不思議を醸すは土壁土蔵大鋸屑葛屋のぬかくど茫々

気狂い部落の入り口一二三数えて

首なし地蔵が立つ氏神さんの祀るは国常立尊 祖国の豊雲野

(志人「公安所持盗難散弾銃 部落ノ夢」)

 

志人は昭和57年生まれ。MCの「なのるなもない」と結成した高田馬場を拠点とするユニット、降神により2003年にファーストアルバムをリリースし、米国産のラップとは一線を画すその新奇なラップスタイルと文学的なリリックで脚光を浴びる。降神の活動だけでなく、ソロ活動や他アーティストとのコラボレーションも積極的に行い、2012年にはジャズピアニストのスガダイローと『詩種』を、2015年にはDJ DOLBEEとの長年に渡るコラボアルバムの『明晰夢 Lucid Dream』をリリースしている。

嘗て志人は社会を見据え、「帝国=渋谷」に対する「周辺」である高田馬場という街「東京に内在する周辺」から作品を発信し、街頭で人々に呼びかけていた。「新宿」をレペゼンするMSCとの共闘もあり、反撃は成功したかのように見えた。しかし2005年に行われたインタビューで、彼は東京での生活の困難さを打ち明けている。「東京での暮らしは、自分の気持ちを通して街を眺めようとすると、街がそれぞれ違うヴェクトルで動き出していて、それに無理やりコミットしようとしても、結局は東京の流れに飲み込まれていた」と。その後、カナダやメキシコへの旅を経て、数年前、彼は所謂社会から離れるという選択を下す。一旦は関東の限界集落に居を移動し、現在は京都で山師/木こりとして生活している。彼は山師としての生を選んだ理由を「死を意識しながら、感覚を鋭くするため」と述べている。その饒舌な語り口とは対象的に、一日中誰とも口を利かない日も多いという。

 

「さようなら文明 僕を育んでくれた夢の船」

水槽のアロワナが大海へ引き戻されて行く

ビルというビルは根こそぎ抜かれ

アンテナはもぎ取られ 都市は森に飲み込まれ

跡形も無く おいとまする

(志人「今此処 虫蟲ノ夢」)

 

諸行無常鳴り響く五臓 天照 あしびきの山に照らす後光

やがてカムトナル 慕情募らせ雲隠れる月まぐれの夕凪 妙にさばけたる空に人は言うなり

ようよう白くなり行く山際に仰々しく粗相と余興を繰り返す

振り返る暇もなく住み兼ねる海亀に突き立てる次々罪を積み重ねる無知と言う名の武器を生み

(志人「カムトナル」)

 

志人は二面性を持ったアーティストである。1枚のアルバム作品でも、曲ごとに、多様な顔を見せる。彼の表現は、散文と韻文を渡り歩き、ラップと歌唱の間を行き来し、シリアスさとユーモアの両天秤を抱えながら、愛と虚ろに彩られた、光と闇の入り混じった言葉を投げかける。彼が表象しているのは、一言でいうならば、普遍性である。普遍を物語の形で伝える、語り部。志人の語りには、ダイナミクスを比較的抑えたポエトリー・リーディングと、メロディ/節をつけた歌唱の大きく二通りの語り口がある。神道における神楽歌、仏教における声明、平安時代の催馬楽、そして琵琶法師による平曲。それらと同列に置かれるような語りと歌が入り混じった物語を連ねる彼のスタイルは、途切れることのない流れ/フロウを重んじつつも、小刻みに、そして執拗なまでに韻を踏みながら、言葉を千切っては投げ、千切っては投げる、流れと切断のハイブリッドである。

 

焼香あげる身内無くば 見込めぬ往生

浄土への道のり血みどろの魑魅魍魎

同情に流されれば竿を刺して漬け込み

皇族か公坊に告げ口か受け売り

軍事国家総動員法 総力戦遂行商業戦争

教育勅語 皇国史観の君臣関係へと先導

仰々しい往生際の悪い国賊は即消去

売国奴への強制徴兵催促状 最終勧告

背番号ふられた盲目の民 制御不能

(志人&DJ DOLBEE「頭部穿孔 トレパネーション 洗脳ノ夢」)

 

(3) 二つの文字と十の語彙

この志人のリリック然り、前述のキングギドラのライン然り、しばしば一気呵成に連続する押韻は、漢字二文字〜三文字の音読みの単語であるケースが散見される。漢字仮名交じりの言語を扱える私たちは、漢字の、ひらがなの、カタカナの単語、そしてアルファベット表記の英単語などをしばしば混合しながら韻を踏むことができる訳だが、あえて漢字の熟語が選択される。そしてこれらの単語の多くは元々、西欧からの翻訳語である。何故彼らはわざわざ押韻に当たって翻訳語を多く取り上げるのだろうか。

近代日本成立の過程には、翻訳語の確立があった。私たちは、西欧の抽象概念を輸入するのに、二文字の漢字で造語を作った。自由、精神、社会、常識、環境、状況、疎外、無数の言葉たち。柳田国男が『標準語と方言』(1949年)の中で、少女ですら「関係だの例外だの全然など反対など」の漢語を乱用ししていることを「悪い趣味」だと嘆いているが、これらの翻訳語は、当時の訳者たちによって造られたものであり、原語との間には必ずズレがある。私たちはいまやこれらの翻訳語なしでまともな文章を書くことすらできないが、一方でこれらの翻訳語の意味を未だに本当に理解している訳でもないのだ。

そしてこれらの二文字の漢字からなる抽象的な翻訳語は、難解で、何やら価値がありそうに見えるため、社会において乱発される。しかし家庭や、恋人との生活に戻ってくると、それらの言葉は打ち捨てられる。リビングや食卓では、漢字二文字の抽象語は飛び交わない。

ヒップホップの根底を流れる思想の一つにセルフ・ボースティングという考え方がある。セルフ=自己をボースティング(boasting)=誇る/自慢するという意味だが、文字通り肯定的な意味だけでなく、自分が如何に「ヤバい」存在であるかを法螺話を通してデッチ上げるという否定的な意味も併せ持つ。そして日本語ラップにおいて、MCたちは、自己の思想をも、しばしば実物のサイズ以上のものに見せる必要があった。1994年にNasが「Beyond the wall of intelligence, life is defined」(「New York State of Mind」より)と歌ったヒップホップを輸入した彼らは、この世界で生き残るためには、知性で武装する必要があることを学んだ。よって、二文字の抽象語は乱用され、押韻にも利用された。しかしKOHHのリリックはどうだろう。彼の削ぎ落とされたリリックに、翻訳語や抽象語が用いられることは稀である。しかし父を早くに亡くし母親の薬物依存問題とも対峙せざるを得なかった彼は、近しい友人たちとの関係性に見る「家庭」、近視眼的だが満ち足りた世界に寄り添いながらリリックを紡ぐ。「親がいなくったてダチは作れる」(Anarchy feat. KOHH「Moon Child」)のだ。そして彼らのリリックに、セルフ・ボースティングは登場しない。

翻訳論学者の柳父章は、societyに対してあてがう「社会」と「世間/世の中」の違いは、「難しい言葉」と「やさしい言葉」の差異ではなく、「作られた言葉」と「歴史の中に生きてきた言葉」のそれだと述べている。「世間」や「世の中」には「豊かな語感があり」「現実の生きた事象の裏打ちが伴っている」のである。KOHHは『DIRT』の多くの曲で何度も生死について言及しているのは前述の通りだが、アルバムを通して、一度も「生死」という単語は用いていない。彼の生死にまつわる感覚は抽象的で概念的な名詞としてではなく、常に「生きる」「生きてる」や「死ぬ」「死んでる」など、生きた語感のある動詞や形容詞で表象されているのだ。そしてこれらの表現は、「社会」ではなく、家庭や近しい人間たちの間のコミュニティで「リアル」に響くこととなる。

彼はまた、『DIRT』収録の二つの楽曲でニューヨークのラッパー、J $Tashと共演している。サビの部分以外は特に英語を多様することもなく、従来の彼のスタイルを通している。そんな彼はインタビューで、あくまでも日本人として日本語で歌いたいことや、自分の歌を気に入った外国人には日本語を勉強して欲しいと答えている。実際、海外のリスナーは日本語を勉強せずとも、彼の世界にアクセス可能な状況がある。彼のリリックの一部は、英語に訳されて、ネット上の歌詞データベースである「Genius Rap」にアップされているからだ。彼の削ぎ落とされたシンプルな語彙による歌詞は、英語に訳されても、ほとんどその印象を変えない。嘗て吉本隆明が、どの言語に訳してもその味わいが変わらないために「マクドナルドのハンバーガー」と評した、よしもとばななの小説のように。

KOHHの削ぎ落とされた思考と、それに伴う徹底的に圧縮された語彙。サードアルバムの『DIRT』収録の全13曲のリリックの語彙を、頻出順に示すと以下のようになる。

1.「生」 223回

2.「死」174回

3.「今」164回

4.「人称」152回(「一人称複数」が130回、「一人称単数」が22回)

5.「東京」108回

6.「日常/生活」56回

7.「ファッション」53回

8.「お金」34回

9.「女性/SEX」21回

10.「アート」20回

これらは各語彙をカテゴリー別に見たもので、たとえば「生」というカテゴリーの内訳は、「生きてる」40回「生きろ」20回「Living」115回「産まれて」6回「人生」11回など、「ファッション」であれば、「服」13回「ジーパン」4回「Y3」「Ksubi」等ブランド名:22 回などとなっている。この一覧から分かるのは、KOHHは10の語彙で世界を語っている点である。彼は、まさに「社会」を相手取る「翻訳語」を使用せず、家族や友人のコミュニティ=「一人称複数」に寄り添う10の語彙で出来た言説を発信し続ける。この10の語彙で語られる彼の近視眼的な視界に、社会は措定されていない。冒頭で言及した「背景の書き込みのない漫画を読む感覚」とは、このことを表していたのだ。それでは、彼は単に、中間項である「社会」を媒介せず、直接「世界」を描いているのだろうか。

社会を媒介としない点から連想されるのは「セカイ系」というタームである。KOHHを主人公と見立てると、彼が想像界で向き合っている存在は、ファッションブランドのアイテム群と、自身をキャンパスにして描いた刺青と言えはしないか。中でもヒロインと呼べるのは、彼の胸から喉元までを大きく飾っているデュシャンによる髭の生えたモナリザである、1919年の作品『L.H.O.O.Q.』ということになるだろう。

作品や作者の特権性を剥ぎ取ったレディメイドとしてのモナリザは、KOHHの喉元に貼り付けれられることで、再び「礼拝的価値」を纏うようになった。このことは、ライブでKOHHがステージ上に現れるだけで涙を流す聴衆たちがいることの裏付けともなっていよう。しかし同時に、モナリザではなく、レディメイドのコピーを、MCにとって最重要な仕事道具である自身の喉の上に刻印することは、一体何を意味しているのだろうか。

端的に、KOHHの喉を通って発せられる言葉は全て、レディメイドの刻印が刻まれている。何でもない既存の現実は、何でもない既存の「今」は、別の価値を纏う。いや、その価値を転覆させられる。これは「今」という現実に過剰な価値や物語や意味を見出そうとすることへの批判でもある。そしてバタイユの「不確定な現実」の生き方の指南でもある。KOHHの楽曲を再生するとき、私たちは、10の語彙が指し示す現実全てが、レディメイドの作品として陳列された美術館に案内されるのだ。しかし彼のレディメイドのモナリザの刺青の「青」には、ブルースから引き継いだ悲哀の「ブルー」が宿っている。

 

5. 一つの結論 〜二人のリアル〜

パッと咲いて パッと散る

後先考えないのも 格好いい

「あん時は良かった」って 

天国で言うことが楽しみ 

いつかは みんな 死ぬ

遠いのか 近いか 今 生きてりゃいいか

心配もしないで

Living Living Now We Living Now

(KOHH「Now」)

 

風吹かば茸かんぞ嘆くなや

やれ鞍馬眩ます雨氷柱

枯れ草や金蔵建てるなら

爆ぜる莢の種をば何故詠わん

(中略)

花盛りの七竃 紅眼のヤマカガシ 万願甘唐

段々茶畑 赤茶けた雲 天の橋にあらまほし

安産祈願にアンドロメダを見つめた河岸に歪んだ銀河

三半規管に打ち上げ花火が何万ばらまく金平糖

(志人「和蜜 蜜蜂ノ夢」)

 

未回答のまま宙吊りとなっていた、重要な問いの答えの輪郭が現れ来ている。即ち、結局のところ、KOHHが描く「リアル」とは何であったか。

実のところ、私たちは、あるミッシングリンクを抱えたまま、ここまで論を進めて来た。三章で詳細に検討した米国産の「リアル」である類型的なギャングスタ物語に対して、日本の「リアル」はどのような変遷を辿ったのかを、ここに開陳して行こう。

1985〜1994/昭和60年代においては、まずいとうがバブルへの悲哀を歌った。その後、アメリカからキングギドラが「リアル」を持ち込もうとしたが、ゲットーやストリートが未だ発見されていなかった「帝国」=「渋谷」において、悲哀は生まれる余地がなく、反撃の対象としての「J-RAP」が措定された。即ちJ-RAPが象徴するところの、表層を剽窃したエンタメ主義への反撃こそが「リアル」であったのだ。ここでキングギドラが輸入し、作品中で描いたリアルは、たとえば『空からの力』収録の「スタア誕生」で描かれている物語のようにデフォルメされたものだった。

1995〜2004/昭和70年代において、地方と「帝国」=「渋谷」の対立軸が前景化した。特に1990年代後半は北海道や名古屋など「亜周辺」の、そしてゼロ年代前半は新宿、三茶など「周辺」の渋谷に対する反撃があった。即ち「リアル」とは、一局集中する権力への反抗にあったのだ。彼らの中からは、ストリート=路上やゲットーの悲哀を出自とする者も現れた。しかしながら、渋谷を中心とした「さんぴんCAMP」勢よりも自分たちの方が「リアル」であると、反撃自体を目的に掲げた彼らにとって、悲哀は単に武器として利用された。この時期においても、日本語ラップの「リアル」は悲哀自体を根源とすることはなかったのだ。

2005〜2014/昭和80年代においては、日米のラップ史に精通し、オタク的な感性を持ち合わせた新世代のアーティストたちにより、それまでのカウンターに依拠してきた日本語ラップ史そのものに対する反撃が見られる。しかしこれはカウンターという態度それ自体に対する反撃という、メタ視点を伴った立場であり、根源的な悲哀を伴うようなものではない。この段階においては、最早、反撃に依拠しないことこそが「リアル」とされたのだ。その意味で視点移動の問題に引き摺り出されてしまった「リアル」の有効性は一旦失墜しているとも理解できる。

以上をまとめてみれば、結局日本語ラップ史が悲哀を捉えるモメントとは、その起点となる、いとうによるバブル時代へのそれだけであったのではないか。つまり日本語ラップ史とは、「リアル」をもたらす二つの要素である、悲哀と反撃のうち、常に悲哀を欠いた、反撃=カウンターだけの歴史であったのだ。

何かのカウンターであるということはつまり、何かの裏側であるということである。平成の裏側には、65年以降の昭和の虚数が、連綿と貼り付いていたのだ。その意味で、本論では平成元年に生まれたと定義する日本語ラップの歴史は、カウンターの歴史であった故に、平成より寧ろその裏側に貼り付く昭和のディケイドでカウントするに相応しい。

しかし、それでは2015年にKOHHと、そして志人が持ち込んだものとは何であったか。いや、正確には、二人は何かを持ち込んだのではなく、持ち去ったのだ。

二人が持ち去ったのは「私性」である。ラップがそもそも前提としている、私小説的な「私性」を取り去ること。「私性」を持たないことを「リアル」と標榜すること。

志人は一人称視点の上に構築されたラップというフォームから、徹底的に一人称視点を排除しようとしている。『明晰夢 Lucid Dreams』全編を通して、「俺」「私」「ぼく」が登場するのは、曲中の登場人物の語りの中だけである。つまり、志人の中に、一人称を使う語り手は存在しない。唯一、私的体験をしたためた「Eternal Familia」においても自己を「少年」と客観視している。彼は徹底して普遍を、寓話を通して歌う。彼の言葉を聴取する体験は、語り部が紡ぐ物語に耳を澄ますようでもあり、舞台上の俳優の独り芝居を眺めているようでもある。彼は、物語の、劇映画の再生装置として、メディアとして、屹立している。

一方のKOHHは、志人とは全く逆に、徹底して、非物語を描く。文脈を持たない、目の前の対象が、ひたすら一人称の視点で描かれる。しかしKOHHが紡ぐリリックを仔細に眺めてみれば、あることに気付く。一人称と言っても、彼は、自身のフィルターを通して目の前の光景を言語化しているわけではない。彼はあくまでも、記録映画のための一台のカメラのように、彼の視線を、ただ貸し出しているのだ。そのリリックに彼の価値判断は含まれていない。そこに記録されているのは、物事の表層であり、記号である。しかし私たちが、そのカメラアイを自身の両眼に纏い、記録された表層の世界を見やるとき、そこにはKOHHから借り受けた直観の力が宿っている。レディメイドの刻印が押された世界。

そして「私性」を持ち去ったからこそ、逆に取り戻したものがある。悲哀。それは「私性」から生まれる個人的な感情ではない。個人的な出自にまつわるものでもない。「私性」の取り払われた「今」や「普遍」に、二人が描き出す「パッと咲いて パッと散る」「打ち上げ花火」のような生と死に、自然と透けて見えるものである。そして言うまでもないことだが、「私性」なき二人に、「反撃」という概念は存在しない。

かくして、日本語ラップがその根拠としてた「反撃」は、その座を、かつてブルースがパートナーとしていた「悲哀」に空け渡すに至った。それはつまり、日本語ラップの歴史を、カウンターの歴史として、虚数としての昭和でカウントする必然の終焉を、意味する。考えてみれば、昭和90年とは、平成27年の価値を転覆する署名が施されたレディメイドではなかったか。

私性を持たず、過剰な私を語らないことは、世の中の多様性をそのまま受け入れることである。「私性」を取り払うことによる「リアル」とは、カウンター活動とは正反対の方向に舳先を向ける。それは、「悲哀と反撃」から「悲哀と独歩」への転回である。KOHHは、志人は、何ものも排除しようとせず、独り歩く。彼らが描く二つの画面から先、世界への距離感をどのように取るかは、私たちにそのまま託されている問いである。現状、私たちの世界の一つの面においては、SEALDs等の活動により、ラップという手法の持つカウンターの機能がまさにアクチュアリティを持っているかのように、顕在化している。しかし二人によって、カウンターとしてのヒップホップは潜在的に遺棄され、同時に、昭和90年代という虚数の歴史のカウントも、アクチュアリティを喪失したのだ。昭和90年から、平成27年への転回。

既に漏出を始めたこの「リアル」が、日本語ラップを通じて、私たちの世界を更新しつつある。その地平で、ブルーノートは、一体どんな音を響かせるだろうか。