怪獣、名古屋に来たる

梗 概

怪獣、名古屋に来たる

『速報です。8月7日7時8分、名古屋市全域に怪獣警報が発令されました。名古屋市にお住まいの方は今月中に避難するようにして下さい。怪獣が名古屋を食べに来る模様です』

怪獣警報が全国で初めて発令された。名古屋に住むフリーターの橋本ハチコはバイトにいく支度をしながらテレビでそれを観ていた。短大を卒業した彼女はアルバイトをしていた商店街の洋食屋のウェイトレスと派遣の仕事を掛け持ちしながら生活していた。田舎の両親から実家に戻るように説得されていたが残って生活をしていた。バイトに遅刻しそうだった為にとりあえずそのまま家を出た。地下鉄に乗って派遣先の遊園地に向かう途中、怪獣警報について調べてみたが明確な情報はなく様々な憶測が飛びかっていた。新しい終末論の予言だ、怪獣は生物兵器のこととか、情報拡散の調査だとか、不安を煽って統制を図るためのプロパカンダなど色々あって、怪獣、怪獣とネットの中が埋まっていくことに対して、正体不明の怪獣が確実に近づいてくるように感じていた。

怪獣警報発令以降、世間は怪獣一色だったが一週間も経てば関心を失っていった。警報が発令された名古屋の街でさえも変化はなかった。商店街では怪獣饅頭などが発売され、怪獣はむしろ日常の中に取り込まれていった。洋食屋のマスターも怪獣ランチを思索していた。

そんな中、ハチコは派遣のバイトで名古屋の新しくできたという高級ホテルのレストランのバイトを見つけた。ただ厨房から料理を運ぶだけのウェイトレスの仕事だったが、似つかわしくないほど高額の仕事だった。彼女はそれに応募し、当日、ホテル最上階のレストランで料理人から渡されたドーム状の蓋がされたお盆を運んだ。客がいるのは奥の個室で中に入ると薄暗かった。長いテーブルの奥に椅子がひとつあり、そこに怪獣が座っていた。ハチコが怪獣の目の前に料理皿を置いて蓋を取るとそこに名古屋の街があった。怪獣はそれをナイフとフォークを使って上品に切りはじめ、大きく暗い口の中に放り込んだ。ハチコは食事をやめるよう説得を試みるが怪獣は理由をたずねる。ハチコは自分の住む街がなくなることが困るのだというが怪獣はここに住まなければならない理由はないと食事を続けた。

バイトを終えてエレベーターを降りるとそこは商店街の前の雑居ビルだった。地上は昼間なのに空が真っ暗だった。口の中と同じ暗さだった。ハチコは商店街の洋食屋に向かい、街が食べられているから早く逃げるようにマスターに告げた。しかし、マスターはいつもと同じだと言い放ち変わらない生活を送り続けた。

怪獣警報が発令されて一か月が経った。田舎へ向かう新幹線を待つ間、駅ビルから街を見下ろしていた。隣の子どもに怪獣がみえると指をさした。子どもはまだそんな古いことをいってと笑いながら去っていった。ハチコは街を闊歩する怪獣を眺めていたが、やがて時間がホームへと向かった。

文字数:1191

内容に関するアピール

冒頭で引き込むということを考えたときにニュース速報が思い浮かびました。唐突にやってくる速報は否が応でも目がいく部分があり、そこから物語を展開させていってはどうだろうかと思いました。

話としては得体の知れない速報が出て、それによって混乱が起きる。しかし、そんな混乱もたんたんと日常の中に取り込まれていってしまう。そこに対する違和感のようなものを主人公が一人で抱え続ける話です。最近は大きな事件やニュースが多すぎてしかも、それが簡単に過ぎていく。その感覚を実作で書いていく予定です。

場所を名古屋と特定の場所にしたのは名古屋に思い入れがある訳ではなく、一つの街にしたかったためです。

特殊な能力があるわけでもない主人公のような人間にとって、手に届く世界の範囲は一つの街が限界だろうと考えたからです。

文字数:344

怪獣、名古屋に来たる。

緊急速報

『政府からの発表。2017年8月6日7時8分。名古屋市全域に怪獣警報が発令されました。名古屋市にお住まいの方は今月中に避難するようにしてください。怪獣が名古屋を食べにくる模様です』

 目覚ましのアラームとは違った音で橋本ハチコは目を覚ました。最初、また急な大雨が降りだしたのかと彼女は思った。しかし携帯の画面をみてみると、それまでみたことのない緊急速報の通知が表示されていた。怪獣警報……なにそれ。身体を起こしてカーテンを開けた。ベランダの物干し竿越しに日光がちらつく。なにかのミスかな、こんな警報みたことない。ハチコはベランダに出て街を眺めた。ラジオ体操帰りの子どもが目の前の道路を渡ってコンビニに入っていく、いつもと変わらない風景だった。洗濯物は強い日差しで熱を帯び、すっかり乾いていた。まだバイトまで時間があった。昨夜持ち帰ったまかないのハンバーグをレンジに入れて洗濯物を取り込んだ。それからテレビをみながら温めたハンバーグのラップを取った。湯気が画面と彼女の間に上がった。テレビ画面の上には怪獣警報の文字が出ている。なんだ、誤報じゃないんだ。彼女はもう一度ベランダに出た。外は変わらず真夏の模様、セミの声が肌を焼く音のように聞こえた。携帯が震えて再びアラームが鳴った。今度は目覚ましの音だった。

「ねぇ、もうすぐバイトだから後は自分で起きてね、今日休みだっけ?ご飯は冷蔵庫に入れたからチンして食べて」ハチコはベッドで寝ている彼氏に声を掛けたが返事はなかった。そのまま鍵をしめてバイト先へ向かった。橋本ハチコは高校卒業後、広島から名古屋へと出てきた。短大を卒業後、学生時代からアルバイトをしていた洋食屋と派遣のバイトを掛け持ちしながら生活している。自転車を走らせて洋食屋へ向かった。洋食屋のある商店街までは自転車で20分ほどだった。裏口に自転車を停めた。排気口からデミグラスソースの香りがした。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。ハチコちゃん、荷物置いたらメニューの黒板を表に出しといて」

「はーい、日替わりランチはどうしますか」

「そうだな、ハンバーグかな」

「またですか、ずっとじゃないですか」

「そのうち、新しいのがくるさ」

 洋食屋は商店街の真ん中あたりにあり、向かいには八丁味噌の店があり地元では有名な店だった。味噌田楽を店頭で販売していて、いつも昼過ぎには地元の人々が列をなすほどだった。ハチコが黒板を表に出すとまだ昼前にも関わらず数人が並んでいた。商店街の人は普段より多い気がした。自転車に乗った主婦たちが後ろにダンボールケースに入った水や買い物袋を多く乗せ、急ぎ足で走り去るのがみえた。

「ハチコちゃん、今朝のニュースみた?」

「怪獣警報のですか」

「そうそう。来月っていってたね」

「みましたけどよくわからないですよね。でも早めに逃げないと」

「うーん、でも僕は店もあるからな。そう簡単には逃げれないよ」

「そういえばスーパーでセールかなにかやってるんですか。すごい買い物してる人多かったんですけど」

「さぁ、知らないな」

 その日は客がいつもより少なくハチコは早めにあがった。それからスーパーで夕食の買い物をして帰ったがほとんど食材が売り切れていて冷凍食品を買って帰宅した。

「まだ寝てるの?どんだけ眠いの」帰宅したハチコは買ってきた食材を冷蔵庫にしまった。彼氏はほんとうに一日中寝ていたようでご飯には手をつけていなかった。それから風呂場の湯船のスイッチを入れテレビを点けた。

 

緊急特番

「怪獣とはなにか。来たるべき未来に備え私たちができることとは一体なんでしょうか」

 司会者のアナウンサーの顔がアップで画面に映り、カメラが引いて円卓状のテーブルに腰かけた数人の姿がみえた。座っていたのはUMA研究の専門家ツムラ、都市開発の建築家キモト、災害対策に詳しい防災センターの所長フカワ、そして世界中の食材を食べ歩いたフードコーディネーターの女性タヤマだった。

「番組ではみなさまの質問、ご意見など募集いたしますので#怪獣でつぶやいてください。宜しくお願いします。それでは早速、お集まりいただいた有識者のみなさまの意見から聞いていきたいと思います」

「まず私独自のルートで調査したのですが、今回警報が出た怪獣は恐らく数十メートル級の中型の怪獣と想定され、海から上陸する可能性が非常に高い。上陸する前に防ぐことが第一です」ツムラが最初に口を開いた。

「それは映画の観すぎだ。これだから素人は。このような災害には事前の準備が必須なのだ。海だけではなく山や内陸からの事態も想定しなければいけない。防災とはそういう……」フカワが話を続けようとしたがツムラはその言葉を無視して話を続けた。

「この写真をみてください。現地の港から撮影されたものです。数十年前、コロンビアの離島で撮影された怪獣です。この山間の奥にみえるものがそうです」港から山を映した写真の奥に靄にまぎれて怪獣の姿らしきものがあった。

「いいですか、怪獣というのは海からくるものです。仮に今度の怪獣が名古屋に上陸した場合、まずは恐らく伊勢湾でまず発見することができるはずです。第一戦線として渥美半島や鳥羽市、セントレア空港を中心に警備を配備すべきです」

「名古屋という街は戦後、車前提の街づくりとなってきました。今でも百万都市なのに車社会だ。その利点を生かすべきです。仮にツムラさんのおっしゃるように海からくるとするなら陸でも対策として港区、南区に警備を配備し、中心部にも戦車を配備しておくべきです」はじめてキモトが口を開いた。

「市民の生活はどう考えているのかな。街に市民を守るシェルターなどはない。また多くの企業があり、そこを守ることも非常に重要だ。防災とはまずは市民の命と生活を第一に考えなければいけません。あらゆる事態を想定しなければ……」フカワが話をはじめると司会者がタヤマに話をふった。

「タヤマさんはいかがでしょうか」

「そうですね、代替可能な食べ物を用意するか考える、それができないなら街から人を逃がす。よく群れで行動する動物などは天敵に襲われたときに基本的に逃げるという選択肢を考えます。その際に群れ全体の生存率を高くするためにいくらか犠牲を払います。今回は名古屋という犠牲を払い、日本を救うべきでしょう。幸いまだ怪獣がくるまで時間がありますし。今のうちに逃げるべきでしょう」

「しかし街には歴史も伝統もある。まずは戦って守る方を選択しなければ。撤退は最後の選択だろう」すかさずフカワが話をはじめた。

 風呂場からアラームが鳴ってハチコはスマホとペットボトルを持って湯船に向かった。風呂に浸かりながら怪獣特番のつぶやきをみていた。タイムラインには次々に怪獣に関する投稿が流れてきて彼女は怪獣が確実にいるのだと思った。しかしそれがなにかわからなかった。

「そもそも怪獣とはいったいなんなのでしょうか」怪獣特番のハッシュタグをつけてつぶやいてからシャワーを浴びた。風呂から上がると缶ビールを取りだしてテレビの前に座った。

「えー、みなさん。ここで視聴者の方からの質問、ご意見について取り上げたいと思います」

「そもそも怪獣とはいったいなんなのでしょうか」ハチコの送ったSNSのつぶやきだった。その言葉にスタジオの誰もが言葉を飲み込み、沈黙に包まれた。司会者がそれを埋めるように慌ててタヤマに話をふった。

「世界中を旅して色々な食べ物を食べてこられたかと思いますが、日本ではあまり馴染みのない怪獣のようなものを食べたことはありますか」

「そうですね。今は無理ですが、一度だけコモドドラゴンを食べた経験があります」

「議論が白熱してきましたがここでいったんブレイクタイムです。コマーシャルの後は怪獣レシピです」

 コマーシャルが開けるとフードコーディネーターのタヤマが怪獣レシピとか言って、鰐の肉を使ったピカタみたいなものを作りはじめた。ネットをみていると早速、怪獣警報のまとめサイトができていた。

 

実況中継

1:怪獣特番きたあああ

2:あの日の朝、アラームでびびって起きたわ

3:あれって結局誤報??

4:ん?通知来なかったけど……

5:怪獣?海獣?

6:面子カオス。

7:>>5海獣ってのは海にいる哺乳類だ。クジラとかオットセイとかイルカとか。

8:怪獣なんていねーよ

9:名古屋に住んでなくてよかった。

10:お前ら怪獣が来ても逃げないタイプだろうな……

11:怪獣じゃなくて美女に起こされたい。タヤマさん美人。

12:防災のおっさん最初から喧嘩腰だな

13:備えは重要だよ、おっさんのいうとおり。

14:怪獣写真キター!

15:怪獣写真、いきなりかよ。

16:でかいな、どこにいるんだよ、こんなの

17:あきらめるわ、怪獣来たら。

18:実際、百万都市に住んでる人間守るとか無理だよね……

19:こういうとき歴史とかいいだす奴は頭がお花畑だと思うわ。

20:タヤマさんリアリスト

21:一番おかしな職業が、一番まとも

22:質問誰も答えられない

23:放送事故だろ、これ。

24:怪獣レシピって。風呂はいるわ

25:わかったのは怪獣がきても何もできなってことだな

26:>>24ご湯っくり

 

「ハチコちゃんみた?怪獣のテレビ。どうなるのかね?」

「みましたよ、どうですかね。でもくる気がしますけど。マスターは?」

「そうだな。本当に来られたら困るな。この店も食べられちゃうし。ウチの店は手前味噌だけど旨いからね、ターゲットになっちゃうかも」

「私だって仕事も家も失いますね。ただでさえギリギリな生活なのに」

「ハチコちゃんはまだ若いんだし彼氏のところに転がり込んじゃえばいいじゃん」

「いやいや逆ですよ。彼が私の家にいるんですよ」

「あっ、そうだっけ、そういや付き合って結構長いよね。そろそろ結婚とかもあるのか」

「どうなんですかね。まぁ、向こうのタイミングもありますし。メニュー出してきますね、今日もハンバーグなんですね」

 黒板を表に出すと向かいの味噌屋から甘い香りが漂った。店頭では味噌田楽を売っていたが人々の列はなかった。商店街の人通りはいつもより少なかった。店内のテレビには怪獣特番に出ていたツムラがワイドショー番組に出演して怪獣について語っていた。翌日には彼の著作が書店に平積みで並んでいた。それから数日もするとその本は消えた。ネットでツムラが番組で公開した怪獣が合成であるという噂が立ち、それがメディアで取り上げられた。さらに彼の過去の経歴詐称が発覚し関心はそっちに移っていった。そのニュースもやがて下火になり次第に怪獣警報そのものへの関心すら薄れていった。

 商店街にはいつも通りの風景が戻った。ランチメニューを書いた黒板を外の看板に掲げると、商店街には朝の10時だというのにもうたくさんの人がいた。自転車に乗った中学生や、おばあちゃんに手を引かれた子どもがたくさんいる。そっか、夏休みだとハチコは思った。数軒隣にある和菓子屋に人だかりができていた。彼女が覗いてみると黄色いプラスチックのメガホンを持った和菓子屋の親父が大きな声で叫んでいた。

「祝怪獣記念、怪獣まんじゅう売ってるよ。今しか無いよ。食べられちゃう前に食べちゃおう。試食もできるよ」店頭に立ったのぼり旗には目がクリクリした怪獣のイラストが描かれていて、怪獣ってこんな感じなのかなと彼女は思った。

「マスター、なんか怪獣まんじゅうとか売ってますよ」

「ええ、そりゃすごいね。うちも怪獣ランチでもやろうか」マスターは鍋をかき混ぜながらぼんやりとつぶやいた。デミグラスソースのまったりした香りが店内に広がる。

「みんな浮かれてるね」

「そうですね、なんか名古屋が食べられるって言うのに」

「まぁ嘘だったのがわかったし安心したんじゃない」

「でも、あのテレビに出てた人が嘘ついてただけで本当に怪獣が来ないわけじゃ」マスターは笑いだした。

「ハチコちゃん、うちの孫と同じこといってるね、怪獣くるから夏休みの宿題やらないって宣言してね。娘がこっぴどく叱ったらしい」

「確かに。どうせ無くなるならしなくていいかも」

「全く変な話だね。でも怪獣警報って得体の知らないものだったから混乱したけど、よく考えたらそんなのあり得ないよね、誰もみたことない怪獣を信じるなんて」

 

募集情報①

職種:イベントスタッフ

内容:着ぐるみを着てショッピングモール内でチラシの配布

給与:時給1500円

アクセス:各種ショッピングモール(要相談)

「橋本さん、控室はこっちです。今回橋本さんに宣伝していただくのはこの怪獣キットです。夏休みの工作用のものなのですがそれのビラ配りがお仕事になります。この怪獣の着ぐるみに着替えてもらってショッピングモール内を歩きながらお願いします。夏休みでお子さんも多いので頭が取れないように注意してください。この季節ですし室内とはいえ熱中症だけ気をつけてください。水分補給は自由に取っていただいて結構です。休憩はここの控室でだいたい1時間に5分ずつくらいで。なにか質問などありますか」

「いえ、特には」

「着替えたら早速お願いします。このモールの地図のピンクの蛍光で塗ってるのがこの控室で黄色で塗ったエリアが家族連れのお客様が多く訪れるところです。この黄色を重点的にやっていただけると助かります。ではお願いしますね」

 担当者が部屋を出ていくとハチコは服を着替えた。鏡の前には顔以外が怪獣の姿の自分があった。テーブルには怪獣の頭とバスケットに入ったビラが置かれている。その脇に20枚ごとに輪ゴムでくくられた束が何セットもあった。担当者の話ではビラをすべて配り終えたら終了だった。ハチコは頭を被り控室を出た。被ると視界はわずかの間、真っ暗になった。モールに出ると彼女は地図に黄色で塗られた二階の休憩用のソファがある広場のエリアで、ビラを配りだした。親子連れがすぐに彼女を囲んだ。男の子と若い母親には特に人気があった。母親たちは子どもを脇に立たせ写真を何枚も撮った。私は怪獣のなかにいるんだと彼女は思った。吹き抜けから一階を覗くとと食品売り場の向かいの大型テレビが置かれた踊り場に彼女と同じような怪獣がビラを配っていた。控室に戻ったハチコは頭を脱いでタオルで顔を拭いた。エアコンの効いたモール内とはいえ着ぐるみの中の熱はすごかった。冷蔵庫に入ったバイト用に置かれたペットボトルの水を飲んだ。ノックの音がして、どうぞと声をかけて顔をタオルで覆った。

「失礼します」低い声だった。扉が開くと一階で同じように怪獣の恰好をしている人が入ってきた。

「暑いですね、今日も」

「そうですね」

「女の人には特に大変じゃないですか」

「いえいえ、いいダイエットですよ」

「しかし怪獣は人気ですね」

「最近じゃあんなこともあったせいかヒーローより人気ですもんね。私の住んでるところなんか怪獣饅頭とか怪獣ランチまであるんですよ」

「へぇ、それは面白い。ぜひとも食べてみたいな」

「でもなんで人気なんですかね。この街を破壊するっていうのに」

「破壊じゃなくて食べにくるんでしょ、たしか」

「違いが私にはわからないですけど。でも結局、みんな本当はこないと思ってるからですよね」

「そうかもしれませんね。どう思ってるんですか」

「そうですね、正直なところわからなくなりました。やっぱり最初、警報が出た時は信じましたけど、なんか段々よくわからなくなってくるっていうか、テレビとかネットとかで取り上げなくなると過ぎてしまったことに感じるっていうか。なんか結局ほんとうの怪獣みない限り信じないと思うんですよ。周りもそうだし。それに怪獣なんて普通に考えてあり得ないじゃないですか。人間ってそうだと思う、結局。実際に目にしないものを信じたり考えたりすることって難しいし、それをいるって信じ続けるってもっと難しい」

「そうですか」

「きっと私もそうです。でも、それでも私はどこかで信じてるんですよ、いないと思っているものをいるって信じてるんです。なんかそういうことって大事な気がしていて。いいじゃないですか目にみえないものを信じたって。あの写真が嘘だってたたかれた人もそうだと思うんですけど、見えないものを信じないと生きれない人もいるんですよ。だから怪獣も信じてますけどみたくはないんです」時計をみると彼女の休憩の時間が過ぎていた。

「あっ、休憩終わりだ。すいませんなんかせっかくの休みにこんな話して」

「いえいえ、どうぞ」男は怪獣の頭をハチコに渡した。

「ありがとうございます、怪獣の着ぐるみ脱がないんですか、暑いですよ。冷蔵庫に水入ってるみたいで自由に飲んでいいらしいですよ。じゃあ、失礼します」ハチコはそういうと再びモール内に戻った。数分歩いただけでうっとうしい程の汗が出てきた。これはきっとすぐに全部なくなるな。そう思いながら黄色のエリアに向かった。

 

 目を覚ましたのは母親からの電話でだった。

「はい」

「なに、その声は。寝とったんか」

「うん」

「こんな時間に寝て、体調でも悪いんか」

「ちょっと横になってただけじゃ。どうしたん」

「何日か前ニュースあったたじゃろ、怪獣の」

「ああ、警報のやつ?」

「そう。それでお父さんとも話したけどあんたこっち戻ってきなさい」

「なんで」

「なんでって警報出とるんじゃろ。避難せな」

「あんなの嘘じゃろ。みんないっとる」

「嘘ってあんた」

「別に街は変わらんし大体、怪獣警報って意味わからん」

「それにあんた彼氏もちゃんと紹介せんと。お父さんもそろそろ嫁に出す年頃じゃけ、恋人はおらんのかとか聞くんよ。あんたがちゃんと連れてくっていうから今まで黙っとったけど。お母さんも話しか聞いたことないからお父さんに上手いこといえないし」

「うん、わかっとる」電話を切った彼女は横にいる彼氏に話しかけた。

「お母さんからだった。なんか広島戻ってこいって。なんなら彼氏も一緒に紹介しなさいって。どうしようか」彼氏は黙ったままだった。

「ねぇ、そろそろ潮時なのかな。もう黙ってないでなんかいってよ。何考えてるかわかんないよ。どっち信じていいかわかんないよ」

 

募集情報②

職種:ホールスタッフ

内容:レストランの給仕係。お客様の食事の配膳と片付け

給与:時給1500円

アクセス:近鉄・JR名古屋駅から徒歩10分

「橋本さんですね、どうぞこちらへ」

 名古屋に住んで数年が経つがそのホテルの名を彼女は知らなかった。裏口からエレベーターで上がると黒いスーツを着た男が立っていた。男に案内され小さな事務室に入った。

「ここにホテルがあるんですね、知らなかったです」

「そうですか、ここにはたくさんのホテルがありますしね。名古屋の方ですか」

「いえ、そういう訳では」

「どうぞおかけください。今日、橋本さんにやっていただくのは料理を厨房からお客様のところへ運んでいただく、まぁウェイトレスのお仕事です。履歴書を拝見しましたがずっとレストランでやられていたとか」

「そうですね、学生時代からずっと。でもこんなちゃんとしたホテルのレストランではないので」

「いえいえ問題ない。普段通りやっていただけたらそれでいいです。お客様は料理しかみていないことがほとんでですし。当レストランは全室個室でホールスタッフが各個室に専属でつく形になります。制服は奥のロッカーに入っていますので着替えたらエレベーターで最上階にいってください。あとはわかるはずです」

そういうと男は部屋から出ていった。

エレベーターの扉が開くと長い廊下が真っすぐに続いていた。廊下には1枚の赤い絨毯と緑のフェルト状の布が敷かれ、角を曲がると、巨大な厨房が広がっていた。

「さぁ、これを運んで。それが君の仕事だ」そう言うと先ほどの黒いスーツの男がハチコにドーム状の蓋をした皿が乗ったトレイを渡した。

「しっかりといつもどおりお願いします。こぼさないように丁寧に」ハチコは赤い絨毯の廊下を歩き、部屋へ向かった。いい香りがする。それはデパートの化粧品売り場みたいな凛とした匂い。扉の前に立つと、その匂いはより強くなった。失礼いたしますと声をかけて扉を開けた。部屋は薄暗く長いテーブルと奥に椅子が一つ並んでいるだけだった。テーブルはゆうに20人は座れるほどの大きさで真っ白なシーツが皺一つ無く丁寧に敷かれている。ビルの窓からは名古屋の景色が一望でき、ネオンライトや車の光で夜の街は鮮やかな光に包まれていた。歩いていくと徐々に客の姿がみえてきた。

「お待たせしました。こちら・・・・・・」怪獣が座っていた。怪獣はきちんと背筋を正して座っていて、レストランにふさわしいフォーマルな恰好をしていた。

「どうしたんですか」怪獣の声は低くとても響く声だった。

「それは私の注文したものですよね」怪獣はかぎ爪のようなものでハチコの持つトレイを指した。爪は磨いていない歯のように黄ばんでいた。ハチコは無言のままゆっくりと料理を置いた。彼女は驚くほどスムーズにその作業をこなしていた。あのスーツの男のいうとおり、いつもどおりだった。彼女がドーム状の蓋を取るとそこに街があった。

「そうです、これです」怪獣は黄ばんだかぎ爪を器用に使ってナプキンを広げ、それを膝の上に置いた。

「名古屋にお住まいですか」怪獣はそうハチコにたずねた。

「はい、そうです」

「それはお気の毒に。いただきます」怪獣はナプキンでかぎ爪をふくとそのまま街を一刺し突いた。そしてかぎ爪に引っ掛かった街を口に運んだ。開いた口のなかは真夏の排水溝のように暗かった。それからゆっくりと時間をかけて咀嚼した。

「給仕の方がゲストの食事を見続けるというのは珍しいことですね」怪獣はハチコをみた。黒い瞳にしっかりと彼女が写っていた。

「でもまぁ、いいですよ。もしあなたさえよければ少しお話でもしませんか。食事中に会話がないと寂しいもんです。怪獣はなぜかいつもひとりぼっちなのですよ。状況次第ではあなたにとって悪いお話ではなくなるかもしれませんよ」

「あの、それは名古屋を壊すことを止めてくれるということですか」

「まず第一に破壊ではなく食事です。そんなに下品にみえないでしょう。それともう一つ、私はお金を払ってこのレストランに食事にきている、そしてあなたはこのレストランで働いている。あなたの生活のお給料の一部は私から出ていることになります、間接的に。食べたいのだから注文したのだし、お腹が満たされれば残すかもしれません。いずれにせよ私が頼んだ料理については私の自由です」

 怪獣は爪を舐めた。

「ほんとうにいるんですね」

「いないと思いましたか」

「いえ、そういうわけではないんですけど、いざ目の前にすると」

「会いたくなかった」

「そうかもしれません」

「なぜ私に食事を止めてほしいのですか」

「私たちが暮らしていけなくなるからです」

「私たち?ご家族がいらっしゃるんですか」

「家族というか恋人ですけど」

「別に名古屋でなくてもいいでしょ、それは。別の場所だって暮らしていける。こういうことはどこかで起こってしまうものなのです」

「そうかもしれませんが、それがいざ自分の目の前で起こるとなると」

「それはそうですね。面白い、それを救いたいと。ヒーロー気取りですね、今時古臭い」

「救いたいというかそんな大げさなことではなく」

「ですから引っ越せばいい。ここにあなたの居場所はない、去りなさい。ここで生活しなければならない理由などないでしょ。撤退は賢明な選択ですよ」そういうと怪獣はもう一度かぎ爪で街を刺し口へ運んだ。

「実際に私が警告してもあなたたちの生活には変わりはないんですね。それほどにあなたたちの世界は強固なものです。それでもあなた方はそんなことありえないと。目にみえるものしか信じない。それならその時まで私を嘘だと信じ続けるしかない。あなたに質問があります。事実としてあなたは私を目にしている。どうですか、怪獣を信じますか」

「……はい」

「そうです、結局そうなのです。これであなたは私を信じるしかなくなった。目にみえないからこそ私を信じていたのに、ほんとうに現れてしまった。お気の毒に。正直驚きました、あなたたちには。危機感ってのがないですね。ただ私は確実に食べていきますよ。それがもはや、あなたたちの目にみえなくても」そういうとまた怪獣は一口飲み込んだ。

「怪獣なんてもう誰も信じていませんよ」ハチコは小さな声でいった。

「でもあなたは違う。あなたは目にみえないものを信じていた。だから私と出会うこともできた。そして、私が本当に現実にいることを知ってしまった。そうでしょ、現に目の前にいるわけですし。これであなたもそう。目にみえるものしか信じれなくなった。みんながどうとかではありません。あなたの目に本当にみえるものだけを信じなさい」

 ハチコは黙ったままだった。怪獣は彼女の目をみながら続けた。低い声が彼女のなかに響く。

「本当はみえないんでしょ。はっきりいいましょう。あなたに彼氏などいないでしょ、最初からね。それでもあなたは信じ続けた。ひとりで生きるのが辛いから、目にみえないものを信じ続けるのは辛い」

 怪獣はナプキンで口元をぬぐった。

「申し訳ないが持ち合わせが少なくてですね、今日のお話をチップの代わりとさせてください。さて、そろそろ出ますかね。最近、少食になってきたみたいで。今日は下見ですから、また来ます」

「あなたはあなたの目にみえたものだけを信じなさい」そういうと怪獣は席を立って、部屋から出ていった。

 

 ホテルからハチコが出ると街は真っ暗だった、あの口の中と同じ暗さが街を覆っていた。彼女は急いで洋食屋へと向かった。

「ああ、ハチコちゃん。どうしたの、今日は休みなのに」

「あの怪獣が……」

「怪獣?」

「怪獣が食べ始めたんです」

「なにを」

「名古屋を。ほら前に警報出たじゃないですか」

「ああ、そうだったね」

「外も暗いです」

「うーん、暗いかな、ちょっと雲は出てるけどいつもどおりじゃないかな。ほら」

 商店街を多くの人が歩いている。洋食屋を出たハチコは裏通りを歩いた。今日はゴミ回収もなく商店街共有のゴミ置き場周りには野良猫が何匹かうろついていた。しなびれた怪獣饅頭の旗も転がっていた。街はいつも通りだった。これからゆっくりと気がつかないうちに消化されていくのだ。私はなにもすることができない、ハチコはそう思った。アパートに戻った彼女は洗濯物を取り込んだ。その時にテレビ台が少しずれているのに気付いた。元に戻すと、台の脚がフローリングに食い込んでいてへこんでいた。長いことここにいたのだと彼女は思った。それから服を畳みながら街を出ることを決めた。

「ねぇ、私みちゃったんだ、怪獣。それでね。やっぱりみえるものだけ信じちゃうんだ、人って」電気の消えたベッドで彼女は話しかける。

「やっぱりあなたを信じ続けられない。だからもうお別れだね。やっぱりあなたの姿はみえない。私、帰るね」

 彼女はそういうと目を閉じた。次に目を開けた時には彼氏の姿はもういない。彼女はずっとひとりだった、最初からずっと。

 

 広島へ戻る新幹線までまだ時間があったためハチコは名古屋駅のビルに上がった。大きな一枚のガラスがあり名古屋の街を一望することができた。昼前のフロアにはランチを待つ人々が多くいて、時間つぶしにソファに腰かけたりガラス窓から街を見下ろしたりしていた。きれいに着飾った老女たちや小さい子どもを連れた品の良さそうな若い母親たちがほとんどだった。遠くにぼんやりと怪獣がみえた気がした。

「ねぇ、怪獣ってみえる?」ハチコは隣で怖そうに景色をみている少女に声をかけた。彼女の頭は手すりにも届いていなかった。

「えーお姉ちゃんそんなのもう古いよ」そういうと少女は円形のソファで談笑している母親の元に走り去っていった。フロアの誰もが怪獣には見向きもしなかった。

「ハチコちゃん!ああ良かった間に合った」彼女を呼んだのはマスターだった。

「どうしたんですか」

「俺から餞別。百貨店の商品券入ってるから好きなの買って。若い子がどんなの好きかわかんなくて」

「ありがとうございます、すみません、本当に」新幹線がホームに入ってきた。まだ日中は夏の暑さが続く、蒸し暑い風が抜けていく。

「じゃあ気をつけて」

「はい、お世話になりました」

「また名古屋にくるときは連絡してね」夏休みも終わって平日の下りの席はいくぶんか空いていた。新幹線が発車して名古屋の街から離れていく。彼女はそれをしばらく眺めていた。怪獣は逃げ水のように遠くにみえるだけだった。街がみえなくなるとマスターが渡してくれた紙袋を開けた。百貨店の商品券と一緒にカツサンドが入っていた。マスターのつくるカツサンドは名古屋特有の甘い味噌じゃなくて辛いマスタードと関西風のソースを混ぜたもので店の人気商品だった。何度も食べた味だった。カツサンドを口に運ぶとその匂いは彼女に過ごした名古屋の記憶を一気に思い出させた。窓から外をのぞくがみたことのない山間の景色が広がるだけだった。

 

「ハチコ、お父さん駅まで迎えにいって」

「帰りなんか買ってくる?」

「ドーナツかなにか欲しいね」

「わかった。いってくるけえね」

 

『番組の途中ですが緊急ニュースをお伝えします。先ほど名古屋市に怪獣が上陸しました……』

 

文字数:11858

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