キョートスプリー

選評

  1. ※ファイル紛失による未完成版のため、加点なし。

    【円城塔:0点】
    たくさん書いて削るタイプの書き方なのだろうと思う。文章はすらっと読みやすいが、さすがにここまで長くなってしまうと辛い。作中で描かれるパニックの規模が掴みづらいのも欠点。京都の描写などディテールで魅力的な部分はあるので、一度書き上げたあとに不要な部分をどんどん刈り込んで作品を構築するのがよさそう。

    【伊藤靖:0点】
    物語が途中で終わっている。最後まで書き上げたうえで再読しながら、視点人物を統一させ(一人称と三人称が入り乱れている)、文体を整え(一例として、三人称の地の文に「スルースキル」のような俗語が紛れ込むのは不協和音)、構成を吟味し(例えば、重要人物の橘が突然出てきている)、素材を整理していけば、印象はかなり変わるはず。町家造りの家など魅力的な要素は多い。

    【大森望:0点】
    冒頭から展開がゆっくりすぎて、長編の書き方になっている。50枚にするのはムリでも、せめて全体を100枚以内に収める方向でペース配分を考えてほしい。長さのわりに、全体にべったりした読みくちで、メリハリがないのも気になった。重要じゃない部分を端折る技術が必要。描写には迫力があり、イメージもインパクトが強いのに、それが目立たなくなっていてもったいない。また、独り合点で話が進んでいき、俯瞰の描写がないため、新たな情報が提示されても事件の全体像を掴みにくい。メディアの報道をはさむなり、事情通の大人からの情報を入れるなりしたほうが読者には親切。

    ※点数は講師ひとりあたり9点(計27点)を3つの作品に割り振りました。

梗 概

キョートスプリー


高校二年生の生良崎 集は、一年ほど前にあるシステムの構成設計をしたエンジニアが、情報セキュリティ上の欠陥が生じるようなプログラムを故意にシステムに組み込んだのち失踪していたこと、欠陥による事故が起こったことを朝のニュースで知る。

 


一週間後。集が通学路の分かれ道で猫を撫でていたら皮がにゅるっと手の中に落ちた。猫は首の鈴を鳴らしながら筋肉だけの姿で踊り歩いていく。標識のある角から歩いてきたサラリーマンは集が居る通路の区画に入り込んだ途端次々に顔の皮膚がめくれボコボコと変形した。達磨や巨大なタヌキの置物のようになった無機質な肉は百鬼夜行のように列をなしパレードのように音を鳴らしながら塀をなぎ倒し歩いていく。8メートルある体から落ちた血の汁が集の顔にかかった。

集は銭湯を経営する自分の家に逃げ込む。パレードに飲み込まれず逃げ込んできた人たちは集の他にもいた。携帯で知り合いと連絡をとった集は肉塊のパレードに飲み込まれていない人たちの多くが精神的異常を来していること、パレードが人々の間で「天国」と呼ばれていることを知る。集は追ってくるパレードのせいで銭湯の外の人達限定で精神異常が起こったのではないかと推測した。

集は地図を広げ、パレードの発生時間を場所ごとに纏め始めた。同じく銭湯に逃げ込んできていた集の同級生 宇佐見 出に集は自分の推測を話すが出はそれを否定し、テレビのコマーシャルの切り替えがなく途切れずに続いていることからサーバ自体の乗っ取りから何らかの原因でパレードが発生した可能性を指摘する。
さらに安全性保障の為に定期的に公開されている表層部分の設計を集と二人で覗いたら、誰でもわかるようなミスと明らかに無限ループになるようなプログラムが満載で、実行したらエラーがでて来るようなものばかりだった。それなのにサーバー自体の見た目には一切問題が起きず、前日にも閲覧されて修正点検まで入っていた。誰かがパレードが起こってからプログラムを滅茶苦茶にした。それは誰なのか。出も集も、銭湯の中の人も精神的に異常を来たし始めている事に気付く。

出は、エラーの規則性に気づいた。これらは停止性問題を突破する為の意図的に作られたプログラムなのではないか。停止性問題とは、あるプログラムP をある性質を持っている様に記述するというPを含む系の正しさをPで正しく解くことはできないというものだ。

そのプログラムを作ったエンジニアは橘 無。一週間前に失踪していることがわかった人物だった。橘は、停止性問題やそれに関連する自己組織化の問題全般に昔から興味を持っていたらしい。橘はその解決の為に大量のバグを生み出し、すべてのデータをそのプログラム内で何らかのジャンルに振り分け、振り分けによってさらなるバグを構成していくプログラムを作り出したのではないか。その時突然見ていた記事や出の持つネットワークが崩壊し始めた。一気に文字化けし溶けるように消えていく。プログラムは誰が実行したわけでもないのに一気に数値が動いていた。

 


銭湯が半壊し外へ出た集は出と二人でパレードから逃げた。入道のように大きい肉塊から足や手が無数に生え、生えた瞬間折れて変形しパレードの一部になっていく。肉は変色して色鮮やかなランドマークのマスコットや広告の一部をなしていた。出の両親はとっくに肉になっていた。

電車は通常通りに動いていた。車内で二人は停止性問題の命題が解かれてしまったことと、今後どうやってこの事態に収集をつけるのかを話しあった。県境を二つ越え、京都で二人は電車を降りた。寺、神社、様々な建物が壊滅状態で、より一層巨大で華やかな肉のパレードが遠目に見えた。始めにパレードが発生した地点でありプログラムが発生した地点だと思われる<喫茶店ブランチ>だけは唯一、他の建物がなぎ倒されている中残っており、店に入ると橘 無がそこにいた。

 


集は橘からチェスを申し込まれる。
「神様のチェスだ」と橘は据わった目で言った。
チェスの盤面の裏側には駒と連動して動くよう橘が設定したプログラムが組まれており、戦局がそのまま橘が作ったプログラムに反映される。結果的にパレードの動きと飲み込まれる人間の全てを制御できるらしい。集は対局を承諾する。対局の最中、橘はここまで起こったことについて語り始めた。

人間であることの条件とは自己に言及し、自己を言及する中で再帰的に構造を選択し、要素を産出することだ。

1年前、橘は自己言及による要素の産出を可能にするプログラムを作った。それは生命の条件と言えた。彼は恐怖にかられ逃走したという(自分はこれを世に放ってしまうだろうと思ったからだ)。でも作った生命を捨てる気にはなれず誘惑に負け、そのプログラムに”生命と共存できる場所を探すこと””できるだけ多くの自己複製”の2つの目的を組み込みSと名付けてしまう。
次の日パソコンからプログラムは消えていた。まず、それはかつて橘が設計したシステムに潜り込んだ。システムの目的を補いながらSの複製を組み込もうとしたところでバグが起きてシステム自体が壊れたらしい。バグを伴いながらバナー広告や、表示や点滅を繰り返すだけのプログラムにも組み込まれた。チェスの駒を進めながら橘は話し続ける。VR内で四肢と連携するようになっているプログラムに入り込み実世界での体を持った。
生命が生命を浸食し実体をもち始めたのだと橘は言った。

一方、出は集が対局している最中に、優先順位順に並べた機能を削除していた。対局の戦況に応じて全てが変化する。集の行動によって外のパレードが形を変える中、出は橘に気づかれないように、パレードを構成する生命を解体していた。
橘の生み出してしまった生命は大方が形を持ってしまっていて集や橘がチェスによって削除したところで手遅れに近かった。プログラムとの連携が切れたところでもう体と生命維持のサイクルがつくり変えられているためなんの影響も及ぼさないからだ。せめてもの抵抗として、元の世界に戻った時に最善の形で生命が存在する為に必要度の高い順にコードを並べた結果順にプログラムを削除していく。

集は、このチェスに何の意味があるのかということ、そしてパレードと皆の精神異常の関係、「天国」と呼ばれることの理由について橘に尋ねる。橘はあっさりと答えを言った。

『人間が生命を持った広告プログラムに浸食された場合。約束された場所に向かって歩き、皮が剥けて、変形しやすい形になり、生命のサイクル同様に浸食する側のプログラムの内容を体現し始める。
 同様に人間にSが組み込まれた場合。Sという生きているプログラムは人間の生命維持の目的を、広告を表示する様に実行し、同時に自分を生かす為に人間のそれを浸食する。つまり、精神的な異常とはSに浸食された生命に起こる現象である。Sというプログラムにとっての自己複製の場所、その為のスペースはインターネット上では足りなかった。実体を持ち始めた理由もそれである。
最初に橘がSに組み込んだ目的はできるだけ多くの自己複製であり、浸食しあうことのないユートピアを見つけることである。それをSが複製した人間の文化的な営み、人間の、起こっていることに一貫性のある意味づけを行わないと精神的な均衡を取れないという特徴に当てはめた場合、Sにとってパレードは聖書における福音であり神が約束した広大な場所、すなわち『天国』なのだ。』
集が呆然とする横で橘は話し続けている。
「チェスをする理由は最後の神への冒涜だ」と橘は言った。(神が人間を創り出した様に、人間が生命をつくった為に僕らは罰をうける。)僕らが自我を保てているのはSに浸食されたあと、Sは自らの複製を組み込むことができず、バグが発生したからであり、始めにSが潜り込んだシステム同様僕らの崩壊しかけている生命と体の機能をSが肩代わりしているだけである。だから僕らはあと少しで生きたまま体が崩壊していくか、自我がなくなっていくのだ。だから僕は最後に生命を左右することで神を冒涜するのだ。

橘はまくし立てた。二人には彼こそ自我が崩壊している様に見えた。対局が終了した瞬間に橘の四肢がずるりと抜けた。橘は体の間違った部分から目や足が複製され、骨が折れたり曲がったりしながらぶくぶくに膨れ上がってもう動けない様だった。出は集を連れそこから逃げようとするが、集は正気を失っていた。

2年後。

京都。パレードは生態系といっていいような、互いをたべたり繁殖したりといったことを始めた。自己複製の為にはそれが一番なのだろう。出はパレードから足や手を切り取って焼いて食べる生活を繰り返している。つい最近母の着ていた服と同じ柄の布切れをキューピー人形の形の肉の間から見つけた。出は集と二人で生きているが未だに自分がバグによる自我崩壊の途中なのか、それとも既にくるっているのか、はたまたSという生命システムがバグを起こしたはものの完璧に機能や性格をかたがわりした作られた生命なのかは全くわからないのだ。

文字数:3680

内容に関するアピール

この話は、高校生の集と出が、人の皮がむけて肉が信楽焼や招き猫の形になり、パレードのように行列を作る現象に直面し、謎を解こうとする話です。

停止性問題を解く行為が自己言及の話につながり、「神」につながるところ、パレードの様子や狂っている人間と四肢が抜け落ちて体のあちこちが複製されぶくぶくに膨れ上がる橘というキャラクターとハード部分のトリックがアピールポイントです。

 謎を解いていく話には色々ありますが一番の楽しみは”こうではないかと仮定しながら読んで仮定を二重三重に裏切られること”だと思います。

このお話の場合には、出と集が推理して、正解を知る橘にたどり着いたとおもいきや、さらにそれも裏切られ驚く様な結末を迎えます。実作ではこの梗概の結末もさらにひっくり返す予定です。御期待ください。

文字数:342

キョートスプリー

      1
生良崎 集[きらさき しゅう]は呆然としていた。
呆然よりもっと的確な言葉を使うなら集[しゅう]は目の前で突然起こった突拍子もない出来事に脳が対処できずに立ちすくみ、道路に座り込んでいた。青天の霹靂としかいいようがないタイミングで起こった突拍子のない出来事とは、こうである。
集が、愛猫のつるりと滑りがいい毛を撫でるとにゅるっと皮が手の中に落ちて、その下のゴツゴツした骨の感触が、その肉の熱量が直に感じられた。
炎天下の道の上でリーンと首の鈴が鳴る。それから猫は集が呆然としているのも気に留めず、筋肉だけの姿で踊り歩き始めたのだ。

      2
その少し前、集は下校途中のバスの中に居た。そして、どうしても名前が思い出せないクラスメートから女子という存在についての講釈を延々と聞かされていた。
「だから、ある種の賢い女子らは僕らの理想を完璧に演じ切ってんねん、しかも無意識に。せやから僕は嫌やねん。僕も無意識のうちに他の女子らではのうて、理想を演じきってる女子らを機械的にチョイスしてもうてる…。僕とその女子の二人が、その理想を選ばされてる気がするねん。彼女らは適応能力も高いさかい女子力とかも普通に高うて負担になることもなく可愛いと思われるような行動ができんのや。小賢しいかもしれへんけどそこが可愛らしいやろ、僕はそこを愛してる。せやけどそのくせほんの少し怖くもある。だってな、おそらく、自然に彼女達はそれをチョイスしよる……最適解をチョイスしよるんや。頭ってそういうものやから、行動の構成という側面やと、基本的には検索エンジンみたいなものやねん。でも人って結局、大抵それだけやん?僕かて、僕の脳みそかて、属性に応じて頭相応のものを選び抜いて、それで僕が構成されてるんやとおもう…性別や年齢や外見に応じて。彼女ら見よるとそれがよう浮き彫りになる。いっそ、一般的な女子らの特性を可愛らしいと思う僕の選択さえ機械みたいに無機質に見えてくるんや……。だから、まあ、これは女子に限った話やない。例えば、出[いずる]とかな。あいつ、何でもできるねん。賢い奴は、だいたい行動パターンの全てが計算されててなあ、ずっと、馬鹿に合わせ続けてあしらい方を暗記してるんや。僕とあいつがしゃべる時な、機械相手に僕はしゃべってる。彼らみたいのはいくらでも望まれる同級生、優等生、高校生、親友的な行動に成長できるんやで」 集が相づちをうつ間もなくクラスメートは話し続けた。
「僕が思うに賢いって要するにそういうことやねん。彼ら視点で考えると、彼らの好きな物は、既に全て価値が与えられてる感覚と言えるかもしれへん。いや、それでも、価値自体というものは確かに存在してるはずや。それは確かに真実や。だって、価値が奴らの「認識」だと困るやろ。せやったら、僕らは好きなものを好きともいえないってことになるやんか。歪んだ感性はどこの場所で容認されるんやろね。まっとうに成長した人が価値を選択する。歪んだものには?気持ち悪い塊には?僕は別方向からの価値を作りたいんや。価値っていうのをそれに合わせてつくったら、頭がいい奴はまたそれになりそれを超えるものをつくるやろ。で、また僕らは溢れるんや!僕が思うに、世界っていうのは、彼みたいな人専用やねん。まっとうな頭が良い奴を僕は信用せえへん。そんな人は、人間の環世界から抜け出たことがない。僕は基盤となる世界をひっくるめて、”まっとう”と名のつく全てが大嫌いや!なあ、集もそうおもわへんか」
クラスメートの一人語りはまだ続いていた。彼の与太話を子守唄代わりに半分眠りながら優先席の前のつり革に全体重を預けている集は高校二年生。季節は夏。まずいと思いながら放課後やあまつさえ授業中にも倦怠感と眠けがおそい補習を食らうことが多い7月中旬だった。集は、このちょっと変わったクラスメートの彼に、二年に上がった頃から付きまとわれている。
初対面の第一声は「君って好きな人を殺したことがあるの?」だった。当時の噂だったらしい。すぐに否定した。信じていなかったと彼は言うけどあれは半分くらい信じてる人の口調だった…と集は確信している。この風変わりな奴から最初は集も一刻も早く逃げねばと思ったが、おしゃべりな彼といると口を開かなくていいのが楽であるため一緒にいることについ馴染んでしまったのだった。下校時はだいたい同じバスに乗り同じ駅で降りる。多分、苗字は別府だったと思うが下の名前は覚えていない。バレたら薄情だと言われそうだが興味がないのだから仕方がない。
下校後の集の毎日の行動パターンは京都御苑の近く今出川駅から十五分ほど電車に揺られた後、途中で降りて食料を補給してからバスに乗り換え三条京阪前のバス停で降り、そして板塀の上で堂々と居眠りをする生き物、ゆうじろうを一通り愛でた後は気分によって家にゆうじろうを連れかえるか寄り道するかどちらかを選択し家に帰ってからのほとんどの時間を受験勉強に当てることだ。
ほとんど定式化しているこのパターンを無類の猫好きである集が破ったことはない。ゆうじろうを愛でるまでの一連の行動は集にとってすでに定式化した一種の作業になっている。
ゆうじろうとは、通学路と僕の家の庭を行き来しているネコの名前である。僕の家は両親と母方のひい婆ちゃん、時々帰ってくる姉の4人で成立している。主に麸屋町通りと僕の家とその周辺が彼の縄張りらしいのだが飼っているわけでもないし、餌も、まあ家ではあげてないことになっている。引っ越してきたときからうちにいてそのころから縁側がやたら好きだった。いつも古びた首輪をつけている真っ白い毛のネコで目が悪い。記憶の中で昔ここで飼われてた猫だろうとひいお婆ちゃんが言っていた。おそらく僕はその光に透ける白い毛にすぐ夢中になったはずだと思うのだが、人嫌いなのかプライドが高いのかゆうじろうは最近までひい婆ちゃん以外が触れることを拒み続けた。
小学生になる前からこの家に住んでいて触れさせてくれるようになったのが高校に上がる時だ。家の隣の銭湯にもゆうじろうはしょっちゅう出没した。湯けむりが苦手なのか更衣室にははいらず、来る時はひい婆ちゃんが僕が番頭をやっている時のみだった。勘定をしている時に横から前足を出しては邪魔をするのだ。銭湯は僕の母親の方のおじいちゃんが営んでいたものだ。
ゆうじろうはなかなか長時間触らせてはくれはなかった。それは現在まで続いているが最近はやっと僕に懐くようになってきて、たまに板塀にいないとき、家に帰ると出迎えてくれたりする。最初はゆうじろうに名前はなく、家族もときおり上がり込んでくる猫という認識で熱を入れているのは僕一人だった。僕の家の家族構成はひい婆ちゃんとたまにやってくるお爺ちゃん、そして共働きの両親に僕だったからあまり気に留めていなかったのだろう。そして僕も悠次郎に名前をつけることはせず、幼かったこともあって猫だとか猫時だとかその時々の名前でよんでいた。本当に名前をつけたのは僕が小学生になったときだ。首輪にはYUという名前が彫られているが、それを白い毛に埋もれるようにしてかくれていた錆びた輪の表面にみつけたとき僕が改めて悠次郎という名前で呼び始めたのだ。
ひい婆ちゃんは何故か厳しい顔でそれをはねつけ、父さんが仲裁に入り、猫の名前は平仮名のゆうじろうに決定した。その後も彼女が猫の名を呼ぶことはなく現在までゆうじろうを邪険にしている。しかし、ゆうじろうが唯一主人認定した相手がそのひいお婆ちゃんであり、小学生のなけななしの小遣いをはたき散々可愛がった僕は歯牙にもかけられていなかったというのはなんと皮肉な話ではないか。
当時の僕にはひい婆ちゃんから怒られた理由がうまく理解できなかったのだが、ゆうじろうを見つけたのはひいおじいちゃんが亡くなってすぐのことだったからおそらく全く同じ字面の名前をつけることに抵抗したのだろう。とても些細な出来事でもうだれも覚えていないはずだ。しかし高校生になった今でもその時の記憶には腑に落ちないことが多く、集はこうして寝ぼけて夢見ごごちでバスに揺られているときなどにそれをふと思い出すことがある。
すぐにでもあの綺麗な猫に触りたいと集は思った。もっともあの白い毛並みに会いたいのか猫本体に会いたいのかがわからないままなのだけれど。
ドゴンッという音でバスは急カーブに入り、優先席の前の吊り革に全体重をかけて船を漕いでいた僕は前につんのめってギリギリで体勢を建て直し、そのときの緊張感で寝ぼけていた頭は完全に覚醒した。「次は三条京阪前、三条京阪前、映画村、嵐山方面はお乗換えください」横でまだしゃべり続けている友人を無視して降車ボタンを押す。彼はここで降りず祇園四条まで行って遊ぶそうだ。祇園で降りると親に通知がいくから簡単に発覚するのではないかと危惧すると、別府の腕に埋め込まれた端末が光った。別府が今、ここ三条京阪前のバス停で降りた事を知らせる情報を彼の両親の端末に送っているのだ。
「改造したんだ」別府は得意げに笑った。
別府の両親も集同様共働きで家にはいないらしいから大丈夫だろう、便利な時代になったものだ。アナウンスを耳にしながら集はバスから降りた。元祖は脳パッチという、人間やマウスの脳を閉じ込め圧縮したパッチと神経とつなげて情報や人格を一つの体で共有できるようにしたものだそうだ。それが情報だけが共有出来る端末へと進化し、携帯やパソコンの代わりに使われている。
もう直き夏休みが始まる。しかし特にやることもないしゆうじろうの世話と勉強と、あとは適当に羽目を外して遊ぶくらいで終わる。無気力に暑苦しい部屋に縮こまって部屋に充満する自分の悪臭をかぎながらこの夏休みは終わるんだろうなと思った。そういう普通の高校生が生良崎 集という存在で、集はそれに満足していたのだ。
ゆうじろうがいつもいる路地はバス停から自分の家を通りすぎてしばらく行ったところにある。四差路の木造の蕎麦屋さんの前の青い矢印の一方通行の標識がある方向を垂直に曲がり進んだところだ。つまり、京阪本線が通っている道を北へ。集は空中で地図をなぞった。道は覚えているのだからそんなことをする必要はないがつい癖で、地図を浮かべてしまう。そのあとは石塀か、半分壊れてる駐車場の間のどこかには絶対にゆうじろうがいる。ゆうじろうは撫でるとふわりと芳香がした。持ち上げると、汚れていた足やピンク色、体のあちこちの毛が短く切り揃えられブラッシングされている。首輪も丁寧に磨かれていた。うちの家で洗おうとしても中途半端なところで逃げ出されてしまうから、とりあえずひい婆ちゃんの仕業ではないのだろうからご近所の誰かなのだろう。ずいぶん周りに大事にされているようだ。

猫の額とは境界が曖昧で解らず、存在していないようにもとれることから転じてとても小さいという意味になったらしい。ゆうじろうの額に手を触れようとすると彼は眠そうに目を閉じ、集の腕からするりと抜けた。その仕草を可愛らしいと思い、集はストンと腰を落として猫の頭の毛をわしゃわしゃと掴んだ。愛撫に反応するように猫はこちらを見つめていた。毛はやはりつるりと滑りが良く、撫でると皮がにゅるっと手の中に落ちた。白い粘着質の脂が手の中でプルンと固形の形から液体に熱でどろりと溶けた感触がする。手の平を見るとさっきまで撫ででいた顔の皮があった。猫はしつこく頭を撫でる集の手を逃れ、いつのまにか反対側にいた。
集は無様にぺたんと尻餅をついたまま、金縛りに会ったかのように固まって動けなくなっていた。集の左手には、ネコの頭部から胸の左半分までの油で固まった皮が握りしめられている。毛や皮が落ちたせいでゆうじろうの目の周りの筋張った筋肉がよくみえる。青い瞳がギョロリと左に回った。その直後、ゆうじろうは剥製の前段階のすがたで踊るように動き出した。じりじりと照りつける太陽で路上は目眩がするような暑さだ。集は座り込んだままゆっくりゆうじろうの方にふりむいた。
ゆうじろうの青い瞳はキラキラと白く反射していた。わずかに残った首のまわりの白い毛と色彩がマッチしている。ベリベリと剥がれていく皮とねじれる肉に引きずられるような踊り方と細いネコの体格は全く似合っておらず、その動きは完全に何かに操られているかのようだった。軽やかで優雅な踊りではない。皮と筋肉の筋に針金を貫通させられ引き摺り回されている、痛々しい御神楽のような踊り方だ。それは剥き出しの生の踊りとでもいうべきものだった。痛みに耐えてるようで綺麗じゃないのに猫自身は生きてるように見えない踊り。体の痙攣とベリベリとめくれる皮の力、そして必死で歩こうとする力が合わさって踊りになっている。
「そういえばいつかじいちゃんと見た剣舞こんな激しすぎるまいだったな」そんなことをおもっていると、軽やかに二足歩行で踊りを続けるゆうじろうが、ふっとこちらを見た。あるいは単に首がねじれただけなのかもしれない。だが、集にとっては我に返るに十分な衝撃だった。世界が停止した。次の瞬間猫の肉は膨張し、左の目玉以外は原型を喪失した。青い目玉以外の箇所が膨らみ、いつのまにか人と同じ程の大きさになっている。破裂して一瞬で膨らんだ真っ赤な肉の中では耳がまったく見当違いな場所から生えてベキベキと軟骨が折れ曲がり、内部でゆうじろうの白い足と肉球が生えまた押しつぶされて肉塊の一部になっているのが見えた。
猫の青い右目もすでに彼自身の肉の中に埋もれている。ときおり、肉からはじき出されるように剥がされた白い毛のようなものがふわりと空中を舞った。膨張する過程で上まで上がったのだろう、青い目は尻餅をついた集の目線より高い位置にあった。そして、赤黒い肉の中で真っ青な目が浮き上がるように動きこちらを見た。
ぞくりとする。一瞬で神経全てを逆撫でされた感覚。しかしその直後ゆうじろうの目はあらぬ方向にポンっと飛び出した。集はそれを手にとり確かめようとしてから手が脂がだらけだったことに気づきあわててぬぐい落とす。それから目玉を手に取る。目玉の後ろ半分は潰されていた。視神経はつながってはいない。目が合ったのは錯覚で、つまりゆうじろうはとっくに死んでいたのだ。
表情こそ変えないが、集は一気に悲しくなった。集は立ち上がった。とりあえず逃げなければと思ったのだ。なぜこんなに自分が冷静なのかわからなかったが、それはきっとゆうじろうがこの路地から乖離したように見えて現実感がないせいなんだろう。これが本当のことなのか解らない。たまに石塀にいないときのように家に帰ればゆうじろうが出迎えてくれる気がして横に置いていた重いリュックを手に取り、集はその場を離れることにした。完全なる現実逃避だ。板塀と見慣れた住宅街に背をむける。彼は膨張して何かの形を取ろうとしている。それはボコボコとしたものではなく、下の方から出来上がっていくテカテカ光る何かの形は嫌に人工的に見えた。模様の形に様々なところが凹んでいく。見上げるほどの高さだった。ダルマのようだな、と思う。
集はゆうじろうを捨てることにした。
現実を無視して家に帰り、ゆうじろうの帰りを待つことにしたのだ。

ゆうじろうのための猫缶もろもろの餌を撤収し路地から離れようとする時、標識がある方向からこちらの区画に入ったサラリーマンにぶつかった。その拍子になにかが落ちたのが見えて謝ろうとしてその人の顔を見るとベリベリと皮膚がめくれ鮮血が噴き出していく最中で、その人はすでに死んでいるかのように表情を変えていなかった。脳が抉れ、骨格が見えてきてはベキベキと骨つきチキンから肉がはがれるように頭部が解体されていく。りんごの皮のようにくるくるはがれるのはやはり現実感が欠落している。
片側しか皮膚がのこっていないけれどもともとは結構イケメンだったんだろうなこの人。
頭以外はわりと無事で、鞄を持ちスーツを着た姿勢のままマネキンのように固まっている。微妙にぐろいなと感じた。目の前でありえないことが起きているということはわかる。さっきと同じことがこの人に起こるんだろう。
彼の顔の皮膚は次々とめくれボコボコと変形していく。いきなり現実感が増した。同じことが僕に起きない保証はあるのだろうかと思うと集は途端におそろしくなっ先ほどの冷静さとスルースキルが嘘だったみたいに、反対方向へ必死でかけだした。ゆうじろうの頭の皮がにゅるっとむけた時、金縛りのようになった時、精神的自己防衛のために咄嗟に浮かんだのは「幻覚であってほしい」という僅かな可能性で、集はそれにすがってぎりぎりのところで精神の均衡を保っていたのだ。
なにがなんだかわからないまま恐怖に駆られて死にたくないという一心で無様に走り、集は道においてあったブロック塀に蹴躓いた。頭を強打した上にザクっと膝が切れる。
鞄が足とブロックに挟まり数秒間のあいだ手間をとられて動くことができず、焦りでよりからまったりしながらもなんとか解いて膝をつき立ち上がった。
よろりと前に傾いた次の瞬間、バリンと音がして町家の壁が割れた。集がいる路地の真横から一気に突っ込んできた達磨や巨大なタヌキの置物のようになった無機質な肉が百鬼夜行のように列をなしパレードのように音を鳴らしながら所狭しと祇園祭の神輿のように塀をなぎたおし歩いていく。明らかに体に合っていないパレードの大きさと道の狭さのせいであちこちの木造の壁がきしんだ。酒屋さんがはれつした直後、猫がずうんとこちらに顔を出し、8メートルある体から落ちた血の汁が集の顔にかかった。油をぶっかけたみたいにテカテカと光る焼き物のような質感のビルほどの大きさで住宅の壁をぶっこわして突っ込んできたのだ。光っているのは釉薬(うわぐすり)ではなく血と肉汁によってだったけれど。一瞬でも止まったらすぐ追いつかれてしまいそうで見たくても後ろを振り返ることはできない。人影はない。集とパレードしかいない。パレードは前からも迫ってきた。集はパレードの隙間をかいくぐりさっき逃げ出してきたサラリーマンがいて、板塀がある場所の方向、八坂神社がある方角、東へ駆け出した。
サラリーマンはさっきの場所にいた。顎の骨と舌から上がなく、うなじの皮膚だけペロンと胴体に引っ付いていた。パレードと彼の顔の表情筋はすでに融合して、パレードの塊でできた小判を抱えた招き猫の一部を形成していた。数珠のようにさまざまな形が長い肉の断片で繋がっている。ドーナツのポンデリングを知っているだろうか。もちもちとした弾力のあるパンを油で揚げ。同じサイズのの別の揚げパンをつけ輪を作ったものだ。それの輪が繋がらない様子と、猫のパレードが同じだ。変な肉がぎゅるぎゅると互いの間に入り込み、般若のマスコットのような形をしたパレードが、猫の形の肉の後ろにポンデリングみたいについていた。
集は般若への既視感が拭えなかった。それでずっと考えていたのだが、途中であの般若は「京都お名物!般若くん」マスコットをそのまま大きくしたものだったことを途中で思い出した。女子が騒いでいたのを思い出した。いつの時代もマスコットというジャンルでは明らかに要らない微妙なデザインが人気を博す事がある程度のスパンで存在するのだなあ、と感慨深くなった。振り返りたいがふり返ろうにも振り返れず、集はパレードの姿を見ずに必死に走りつつ、パレードと対峙していた。ぎゅうぎゅう詰めになった人の肉がなしている魑魅魍魎のようなパレードと、音楽や様々な雑音が混じり合った騒音に耐え切れず、肉の塊のようになった道を駆け出していた。彼らはパレードのように歩いている。自己複製された体には四方八方から腕や足が生え、次の瞬間からおかしな方向に捻じ曲がっては増殖していた。パレードはそのまま直進し、ズドンと音を立てながらにじりよってくる。結構走ったという体感があったのに全く撒けていなかったことに集は失望した。
そこでまた集は膝をすりむいた。転倒したひょうしに片方の靴が脱げる。
うねうねと動くぷるぷるとした猫の真っ白な巨体が足を上げた。ぷちっとさっきのリーマンの胴体と下半身が潰された。足と手が増殖し、血が抜けて白くなった胴体の肉を外側から飲み込んでまた大きくなる。両膝をついて座ったままの集を巨大な猫の目が見つめた。グルンと回る猫の目はだんだん黄色っぽく変色してきている気がする。目からうねうね出てくる血のような赤い肉にはっとし、集は気づいた。猫の目は回ったんじゃなくて大きくなりながら増殖しているだけだったのだ。
集の格好はかなり悲惨な状態だった。学生鞄もどこかにおいてきた、運動靴は後ろに転がっているけど紐がない。躓いたせいで膝や手から血が出ている。額からもたらりと液体が流れる。体はだるかっがさっきみたいにぷちっとつぶされるんだろうとそのことで頭がいっぱいになった。集は学ランを腰に結び、片足は裸足のまま興味深そうに見つめるぬるぬるとした動きの白い招き猫としばし見つめあい、猫の不意をついてくるりと踵を返して、走った。体が勝手に動きだしたようで動きだせんかったのが嘘みたいだった。
しばらくして聞こえ始めたのはパレードが追いかけてきている時、様々なものを破壊する音と地響きが混ざったズドガガガガガガガガという振動だった。集は無視して駐車場や町家、四差路の木造の蕎麦屋も抜けて青色の交通標識を表示と反対方向に曲がった。もう片方の靴も途中脱げてしまった。黒いコンクリの欠片が集の足の裏を切り血が皮膚ににじむ。猫の動きが人の肉をギチギチと詰めた重量感は残っているもののズドンズドンという動きが生物っぽくなって人の皮膚に切り目が入り、くぼんで模様や猫の形をつくりはじめてきているのがわかって不気味だった。皮膚がぴりりと破けたり肉が裂ける音で集は起こっていることが手に取るようにわかる気がした。後ろを振り返って確かめたい衝動にかられるがぐっとこらえて集は走った。数珠玉のように連なった5つの肉の塊のうち、一番前のものが黴が急速広がるように白く変色していった。皮膚がないからこそできる芸当なのだろう。
手がつかれ、息切れがするのになぜか体が軽かった。おそらく集が走り抜けた後の道はパレードによって周りの家ごと壊れてしまっただろう。角を抜けるたび巨大な猫とパレードが細い道をむりやり通ろうとする破壊音が聞こえる。見たことはないけれど祭りの神輿が家を壊しながら進む様子のようだと音を聞きながら思った。耳障りな音楽はまだ鳴っていた。

じいちゃんが経営している銭湯、「西の湯」に到着した時、集とパレードとの間合いはほぼなかった。西の湯の間取りは磨りガラスの靴箱がせりだしていて、すこし奥まったところに入り口があり、入るとテレビと観葉植物があって、真横に二つ女湯と男湯ののれんが下がっており、真ん中にはが料金換算のために大学生のアルバイトが座っている。二階もあるがそれは使われていない。集はギリギリで身を翻して中へ入り、後ろ手で入り口の、模様入りの磨り硝子で出来た扉を乱雑に閉めるとそのまま奥まで突っ走った。
振り返りざま一瞬だけ、振動で料金制の靴箱が軋み全てのガラスが外側にパリンと割れるのが見える。真正面から突っ込んでくる招き猫のパレードもガラス二枚越しに反射してみえて、閉め出された人間がぶちゅっと潰れたのもよく見えた。罪悪感で少しこわいけど逃げ切らないと今度こそ潰されるのは目に見えてる。なぜかいつものアルバイトさんはいなかった。ひい婆ちゃんもいない。のれんを出たところのソファでコーヒー牛乳を飲んでいる常連のお年寄りもいない。集にとって少し違和感を感じる状況だった。
パレードはまもなく入り口がある方に進行方向を修正して突っ込んでくるだろう。湯槽の方から話し声がしてまだ中に人がいるとわかる。通路の作り的によく見えないが時間帯からしてお年寄りのお客さんたちだ。パレードに潰されるまでどれくらい時間を稼げるかはわからない。けどここには逃げる場所も無い、突っ込まれた時に全部潰されるだろうけど浴槽がある方なら幅的にぎりぎり助かるかもしれない。藁をつかむような確率だけど集が逃げる場所は女湯と男湯の二択だ。助かる確率より全部壊滅する可能性の方が高いし、どちらに転ぶかは本当に賭けで時間稼ぎにさえならないかもしれなかった。なのに自分のこの緊張感のなさは女湯につっこむという選択肢の非日常感から来ているのだろうか。
ここでそういう類の発想ができる自分がおかしくていい加減笑えてくる。しばし番台の前で躊躇した後、銭湯の入り口が枠ごと外され、こちらに向かって突っ込んでくるのがわかってから0,05秒後、吹っ飛ばされる直前で集は覚悟を決め、心の中で謝って女湯ののれんをあげ爆走した。人生初の女湯をこんな状況で体験することになろうとは想像だにしなかった。
更衣室には幼女がうずくまっていた。服を着ようとしている。無視して銭湯内の戸を開ける。多分男湯の方は壊滅状態だ。壁をぶち抜こうとする音が聞こえる。タイルがすべって走りにくい。裸足のせいもあってよけいにぬめる。たらいにつまずきそうになって逆に蹴っ飛ばし走った。
湯槽につかってるおばちゃんが驚いた顔をしていた。そんな顔をしないでください。僕だってこの状況があまり良くわかってないんです。ほとんど成り行きだし、もちろん興奮なんかしてないし、だから、許してください。謝罪を延々と頭の中で再生しながら無駄に広いタイルの上を走り、行き止まりになったらどうすればいいんだろうと考えていた。男湯の方にパレードがいるのは間違いがないけどどこから突っ込んでくるかもわからないということ。目を背けていた事実で、僕がおばさんの裸だらけの場所で死ぬしかないかもしれないという可能性。銭湯の木の匂いと湯けむりの匂いは嫌いじゃないしそれでもいいかとか、この一連の流れがもし妄想なら僕は警察につきだされるんだろうなとか考えながら、走って走った。、あ、行き止まりだ。と思いながら見慣れた赤い富士山の絵が描かれているタイル張りの壁を見ようとして前を見た。息切れがする。
普通、男が女湯に上がり込んできたらもっとキャアキャア騒ぐもんじゃないのか、とか人数に対して物音がしないのはなぜだとか考えながら前をみた。もう死んだような気分で考えた。集が顔を上げて前をみたらそこには半壊した赤富士のタイル絵と多分まったく同時に突っ込んできた別のパレードが、ドガガガッと音を立て反対側から前方の女湯の壁をぶち抜く様子があった。
前のよりは少し小ぶりな大きさだった。
富士山のタイルが崩れるように剥がれ落ち、壁ごと落下する。
音は止まずにさらにパレードの列は続いた。前方の骨組みが壊れて瓦礫が降ってきて肩にまともに直撃する。
湯口が壊れたのかお湯が溢れて床は洪水のように水浸しになっていた。水に光が乱反射している。その中を肉塊のパレードともうすでに人ではない肉がダンダンと行進していき、水は腰くらいまでの高さになった。ジャブジャブと何かの形のかつて人だったモノがお湯の中を行進するたび血がゆらゆらとお湯の中に混ざる。
湯が止まる気配はなかった。にもかかわらず、銭湯内で動いている人はいなかった。
もがく人やパニックになっている人などひとりもいない。
そして水面より上に浮かんでいるのは集だけだった。集の着ている制服は汗とお湯でびっしょり濡れている。パレードが窓と穴を塞いでいるせいで銭湯内は薄暗く蒸し暑かった。
集以外の銭湯の女湯にいた人たちは全て、このお湯の中にいるのだ。すでにお湯の水面は集の身長を超えている。何が起こっているのかを見るのが怖い。腰に結んだ学ランがお湯に浮いていた。キュッともう一回転させて空気を入れ浮き袋の代わりにする。水面下からでてこない人たちの姿を集はそのままの位置で眺めた。パレードのことは静けさのせいで忘れていた。ゆらゆらと彼らの髪が水中で揺れている。子供連れの母親は湯船に浸かったまま、子供は頭を洗っている格好のまま微動だにしていない。他のお客さんもそうだ。集が入ってくる前からそうだったのだろうか。
集はさっきのおばちゃんの方に水面を揺らしながら向かった。生きているとは思えないが、あの人は先ほどまで確かに表情が動いていた気がしたのだ。僕を見て驚いていた気がした。そうおもった集は諦めきれずに裸のおばちゃんを探しは泳いだ。たくさんの人がいるのに静かで、僕が動く音しかしない。波紋が広がる。足が疲れた。どこにいるかわからなくてさまよった末、ふっと思いついて湯面に顔をつける。生温い。目を開けるとそこには時が止まったかのような人達がいた。浮かび上がって来ない人たちはそれぞれの姿のまま水中で固まっている。それらは全てボコボコとした肉が形作ったものだった。指が足を作る肉の場所に生え。また子供の足になる。肉が人の形を作っていた。水中は血の匂いが充満している。お湯がまた増えた。水かさが増す。水面が上がっていく。サウナまで泳いでもぐると、おばちゃんがいた。その老婆だけは他と違い、皮がきちんとついている普通の人間だったが、やはり他と同じくさっきと同じ驚いた表情のままこの場所で死んでいた。本物の白い髪が藻のように揺れた。肉塊とは違い、ほとんど肉の付いていない細身の体は湯に浮かんでいる。水面に浮かび上がらないのはがっちりと手がカランをつかんでいるからだったのだ。血管の浮いた手首に触れるとやはり心臓が動いていなかった。黄色いたらいにタオルが挟まったままだった。疲れてきて湯が口の隙間にはいりこむ。息が苦しくなって空気を吸うために集は浮上する。なぜかお湯の温度も上がっていた。集の意識は朦朧とする。ボコボコと膨らむパレードが空いた壁を塞ぎながら入り込み続けていた。熱気がそこかしこから漂ってくる。水面は天井に少しづつ近くなっていった。今なお銭湯内を行進するパレードの肉の隙間からかすれた声帯からでるような音がでてきては水音と混ざり合う。それは閉じた銭湯内に反響して集の頭を麻痺させていった。手足は引きつったようになっていて抵抗するための力はもうなかった。音の引力に吸い込まれて気が狂いそうになりながらそれでも逆らって泳いで逃げようとする。しかし、もう動かない。動かしすぎたのか集の体は痺れていて疲れ切っていた。なのでこのまま死んでしまおうと思った。小さい頃から見慣れた銭湯がお湯で埋まっていく。水に埋もれてく中で集はぷかりと浮かぶ幼い顔を視認した。それは肉の塊でできたものではなく、ただの人間の顔だった。僕はこの生物を助けなくてはならないし、僕はこれをなんとしてもここから連れ出さなければならないと集は思った。ほとんど本能的に体は動き、必死でその子供をかつぎ泳いだ。集はそれを小脇にかかえたまま水の中で死に物狂いで足を引きずろうとするお湯をけとばして歩くように動き続けようやく脱衣所に続く戸に手が触れた。
その時の集はおそらく子供を助けるという強迫観念を自発的に植え付け、動かないほど疲弊した自分の精神と体を無理やり動かしたのだろう。俗説だが人は助けなければという強い一種の強迫観念に駆られた時、筋肉や骨が壊れるまで動き続けることができるらしい。プラスチック製の戸を開けようと引っ張ると水圧で凄まじい重さが僕の腕にかかる。皮膚が裂けそうな痛みに耐えて叫びながら集は助けてと祈った。
ドアが開きお湯と一緒に集たちは唾をはきすてるように床に吐き出された。
脱衣所の床に転がり僕はそのまま潰れそうに痛い両足に弾みをつけ、その子供を背負って立ち上がり走った。走りながら何故だか集は何かに祈っていた。
銭湯で響いた静かな音楽が天国の音に聞こえていたことを集は考えていた。僕にとっての天国とはなんなのか。神話か、ただの概念か、それとも肉塊のパレードなのか、人が強制的にモノにならされて襲ってくるそのパレードという場所なのか。ただ背中の小さい生き物を守りたいと祈り、滑稽な格好で汗を垂らして走りながら張り詰める意識の中で集は考えた。生きていたい、生かしたいと集は強く願った。
集は信号を渡っ真っ直ぐにしばらく走り続けた。標識に従い、道を曲がった。そして自分の家と似た外観の建物が見えるところで集は力尽きた。銭湯から遠く離れられただろうと走った感触から集はそう考え、逃げ切ったという達成感と一緒に疲労が襲ってきた。足が壊れそうだった。背負っていた裸の幼女をおろし学ランを被せる。脱ぐ時はらくだからブレザーじゃなくてよかったとか次はどこへ逃げればいいんだろうなどと考えながら集は膝から崩れ落ちた。道路に座り込んだままいつのまにか顔は道路に近づき突っ伏している。集の視界がフェードアウトした。ずぶ濡れの高校生と学ランを羽織った全裸の幼女が倒れている道路には誰もいなかった。バックミラーには迫り来るパレードが映っていた。

3
<Side Izuru>
同じ頃、集と同じ高校二年生、同じクラスの宇佐見 出[うさみ いずる]はさっきまで浸かっていた銭湯の経営者の母だという老女の家にいて、自分の携帯のアドレス帳を見つめていた。
クラスメートのの親戚が経営しているという噂の銭湯帰りに肉の塊に遭遇し、踏み潰されかけているところでモグラ叩きのターゲットさながらに必死で逃げ回っていると、今しがた自分がいた銭湯の管理をしているという老婆が現れ、この家の居間に避難させてもらっている。
正直、実際に老婆と銭湯の関わりがあるかわからないし、避難させてもらっている身ながら家に逃げ込んだら安心という代物じゃないだろうと思っていた
出と似た様な状態の人間は他にも大量にいた。負傷した人間もこの家に運び込まれ、隣の部屋に集められている。テレビはニュースすら報道されず、普通の番組への切り替えすらなくいたって通常のコマーシャルだけがとぎれることなく続いている。おそらくテレビの中継システムの手前の機能が乗っ取られているんじゃないかと判断をつけて、闇雲に電話するんじゃなく、どこかに辺りをつけてみないとダメだと考えていた。
腕にねじ込む端末型の携帯はまだ買ってもらえていない。両親によると危険だそうだ。ほとんどの人がそっちで体から離れている携帯なんて旧時代の代物なのに「災害なんて滅多におきないから大丈夫」だという。過保護すぎる親と比べてどっちが安全だろうとは思っていたが今回、見事に裏目に出た。
もう二十件以上の人間に手当たり次第かけ続けているが誰もでてくれなかった。留守電は一応残していってるけど折り返しは今の所ない。いっそ生きているかどうかもあやしいものだ。
助けを呼ぶため、そして現状を誰かと共有するために出は電話をかけ続けた。
出は次の番号を探した時に、突然全員京都市内の人間であることと関連性があるかもしれないことに気づき、震える手で他県の親戚の名前を探した。
「あった…….」小さく呟き番号をプッシュする。繋がれ。神様、仏様、もう誰でもいいので。助けてください。繋がれつながれ、繋がってください。出は両手を組んで祈って、眉間が痛くなるほど画面を睨みつけた。「プルルルルr プルルルルrr」繋がった。嬉々としてアイフォンを取ろうとする。
「おいうっせえぞ、坊主」横に座っていた体格のいい黒スーツにドンと肩をぶつけられる。反動で畳に携帯がおちた。やばいな 壊されるかも。携帯。にこやかな作り笑いを男に向ける。
「あ、すいませっ、?!は!?」
出が謝ろうとして横を向くとその男は俺の顔にタバコの煙をはいた。おそらく俺を狙って吹きかけてきたんだろう。出は床に手を伸ばし、携帯をとろうと手を伸ばす。どうか繋がっていますように。
触れた瞬間にまた男が煙を耳と鼻にかけての間にはあーっと煙を吹きかけた。出はそれをまた取り落とした。咽せ返る。一本取り替えるごとにだんだんと足を踏み鳴らした。あぶない。ギリギリセーフってくらいのタイミングで俺は逆手で受け止めた。間に合ったと思った。ほぼ同時に携帯がブチッと切れる音がした。
出の思考は辺りが真っ白になったのかってくらいホワイトアウトしそうだった。緊張の糸がふつっと切れる。でもそんな暇も与えず彼の屈強な足は俺の手ごと携帯をバキバキと踏み潰したんだ。靴の中に鉄でも入れてんじゃなっかってくらい痛くて痛くてこのさき俺の左手は使い物にならないだろうなと出は思った。
関節が折れてく音がする。携帯の画面が割れて手に刺さった。全部の音があの赤黒い塊に僕が殺される効果音に聞こえた。奴は僕が断末魔みたいな声でもあげると思ってたのか意外そうな顔で、さらに足に力を込めた。茫然自失というか、その時の出は声をあげるどころじゃなくて希望が完全に絶たれた事を携帯の破片で実感している最中だった。さらに壊れていく携帯を見て出の暴力性のスイッチが入ってしまったらしい。なんかしでかしちゃいそうな感じの心境だった。くそ野郎。白い目で見られるのは咳してる俺の方なんだよ。眼鏡面だからって馬鹿にするんじゃねえ。あ、今の方言になってたなあ。いよいよ精神状態までやばかもしれない。作り笑顔が自然に浮かんで止まらない。
気管に直撃したのかゲホゲホと咳はひどくなっていく一方で、涙まで出てきた。中年のどうやっても堅気には見えないなりの男はニヤニヤと笑い俺がけほけほ咳き込むのも知らない顔をして、ぷはあとタバコをすった。至福の表情だ。
男が足を離すのと同時に出は立ち上がり壊れた方の手で奴の胸ぐらを掴んだ。愛想良く笑いながら壊れた方の掴みかかると男は座ったまま、肝をつぶしたような顔で出を見上げた。周りの人が迷惑そうな顔をするなかで出は怒鳴りながらその男の腕に噛み付いた。直後に殴られて意識が飛びかける。けどそいつがセミみたいな細くて喧しい悲鳴をあげてたのが聞こえたからちょっとすっきりした気分で、出はここの銭湯ってそういえば刺青禁止じゃなかったなとか思い出して笑いながら壊れた方の左手で男を殴り返した。
昔から出には少し精神的に壊れたところがある。こんな時に笑えるのもそのせいかもしれなかった。出はここに集められた人間への違和感をずっと感じていて、それはきっとこの特殊な状況のせいだろうと思っていた。しかし、それはこれから起きる狂気の前哨戦だったのだろうか。
確かめる人間はあと一日と2、3時間後にはこの世からいなくなっているのだ。なんて、そんなことをこの時の出は知る由もなかったけれど。
出は銭湯、西の湯の常連客で、銭湯から上がって帰ろうとした時に突っ込んできた得体のしれない何かに踏み潰されかけていると、彼女、たぶん相当年がいっているであろう婆さんが助けてくれた。出達や逃げ遅れた人々を家の中にいれてくれたのだ。なぜかここの家は踏み潰されなかった。それでもさざめき行進する赤黒い何かに殺された人間は名前がわかる奴だけで3人もいる。負傷者は出たちの隣の部屋に集められた。場は緊迫していた。ストレスが頂点に達した時、紛争が起こるのは目に見えていたし、狭い町屋の一角に死にそうな人と一緒に閉じ込められているのだからそれも当然かもしれない。そこで鬱憤晒しに目をつけられちょっかいをかけられたのが出だったという話だ。本人曰く婆さんは常連客の顔はきっちり全員暗記していて「立ち往生してる奴がいたら手ェ貸してやろうかと思った」という。年齢の割に屈強で粋な老婆のおかげで出は助かったのだ。
そうして出とヤクザっぽい男を筆頭にした紛争に手がつけられなくなった頃、「あんたら、何やってんだい」人数分の茶菓子を持った着物のしゃんとした老婆が出達の間に割って入った。「この子は連れてくよ」老婆は盆を床に置き出の手をつかみ、引きずるように二階へと連れて行く。あっという間の出来事で、止める暇もなかった。「お前、集の4つ下くらいだね。中学生かい。手当てしてやるからおいで」「は?」メンチを切られてることに気づかないまますごい勢いで二階への階段の途中まで出を引き摺ると「そこの奴!あんたは後で始末つけるからね!覚えときな!」階段と壁の隙間から顔を出しタバコを吸っている男を睨み付け、啖呵を切った。こんな年の端もいかない子に手をあげやがってだのとぶつぶつ呟きながら老婆が出を連れてドカドカと歩いていくのをポカンとした顔で周りの人達は見送った後、全員が我に返ったかのようにおとなしくなった。「名前は?」と聞かれて「出」と答えた。
「怖くなかったかい?にしても料理とか得意そうだね、傷が治ったら料理手伝ってくれるかい?」とその老婆は出に言った。童顔のせいなのか中学生という点に突っ込んでくれる人もいなかったことが出的には一番のショックだった。それに出以上の怪我をしている筋の悪い男が自業自得とはいえ少し可哀想になった。あいつ後で手当
てしてもらないだろうな。半殺しされるのが先かなと出は猫のように引きずられながら考えた。

<Side Shuu>
目が覚めた時、集は集の部屋の白い壁を、次に見慣れた目透かしの天井とぶら下がる吊下式照明を見る事ができなかった。代わりにそれらの橙と白という色を布団越しに見た。集は真っ赤な色のパジャマ姿で布団の中で丸まっていた。時計の短針は六時を回っている。
目覚めた時、集は驚いた。どこにいるのかは分かっても何が起こったのかわからなくて布団に潜ったまま天国とか幽体離脱の可能性を真剣に検討したりした。何故幽体離脱先が自分の布団なのかもう少しまともな場所はなかったのだろうかと直前に願った事を真剣に悔やんだりもした。今いる空間は見慣れ過ぎた自室の後から聞いた話だとそういう非現実的なことではなくて、ひい婆ちゃんが家に避難させた銭湯の常連さん達が集を見つけて集の自宅まで連れてきてくれたらしい。それに集が気を失った道路は銭湯の真横で集の家の前だったそうで、よほど走ったような気がしたのに実質500メートルもいっていなかったわけだ。集は体力には自信があっただけにショックを受けた。このままでは走る事自体がコンプレックスになりそうだ。それから集の枕元にはずっと、という訳にもいかないけれど出来得る時間の限りひい婆ちゃんが座ってくれていたらしい。ひい婆ちゃんは集の意識が戻っているのを確認すると、「何やってんだい」とだけ叱るように言った。
集の視界には見慣れたものしかなかった。
現在進行形で枕元にいて、厳しいようだが端々の言葉で気遣っていることがわかるひい婆ちゃん、本棚、積まれた本の山で足の置き場もない畳、性格に合わず子供っぽいと言われることの多い地図の群れ。
机の上で広げられた年代ごとの世界地図。
学習机の上の地図は描き方と制作者、目的、地域に応じて綺麗に分けて保管されている。
地図以外は、参考書とか教科書の予備とか、必要最低限のものしかない部屋にコチコチと時計の音が響いた。
押し入れにはマニアックなものや貴重品の地図が絶対に盗めない形で保管してある。保管のきっかけは一度だけ今は家にいない姉が小遣い稼ぎの目的で集の地図を売ろうとした事だ。当時、姉は家の絶対権力で地図はそのまま売られてしまって、その時以来ついた浅知恵だ。おかげで解けない縄の結び方や金属の接合方法なんて変な知識を大量に蓄える羽目になった。部屋は地図と本で埋もれていた。
集は地図が好きだ。殆どのものに興味がなく、知的好奇心も滅多に発動せず、飽きっぽいという三拍子が揃っている集なのだが地図だけは飽きようとしても飽きられない。死神に命奪うの保留にしてやるから引き換えに地図をやめろ、とか言われてもやめられるかどうか怪しい。同じ「死ぬ」ならば地図に埋もれて死にたい。それくらい集は地図が好きだ。地図にはありとあらゆる情報が詰まっている。全てが解るなんてラプラスの悪魔的な事はもう子供じゃないから言わないけど本当に地図で大抵の事は解る。そんな地図内の非日常があるだけで集には十分だった。地図が好きな事はこの非日常が終わってしまってもずっと自分の秘密にしようと、そう集は思った。
長々語ってしまったがともかく、余りにいつも通りの視界が広がっておりパレードは全部夢だったんじゃないかと思えるほど日常然とした日常がそこにあったという事だ。集の身体中の痛みや腹痛、吐き気などの症状と[ひい婆ちゃん]の辛気臭く放心したような態度だけが静かにパレードの真実性をズキズキと告げていた。
「豪華な料理をつくるよ」と[ひい婆ちゃん]は言った。久しぶりの腕をふるう機会なんだからと戦う時のように顰めっ面でいうから、集はふと疑問に思って「こんなときに?」と一言いうと「こんな時だから」と[ひい婆ちゃん]は返した。婆ちゃんは障子を開け、下の階で待っているという人達のところに降りて行った。薬は塗ってあるからしばらく寝てたほうがいいと[ひい婆ちゃん]に言われた通り、腕には包帯が巻いてあった。しかし軟膏がべっとり布団についてしまっている。
集は起き上がり誰かを呼ぼうと声を出したが顎の筋肉が動かずはくはくと口を動かそうとしただけで終わった。何度か挑戦したがやっぱり痛いし奇声しか出ない。集の体をおきあがって疲れたのかいきなり布団へと倒れてしまった。目眩はするもののぎりぎり意識はあった。
頭上に星が浮かびそうな中で集は無理やり何かを考えようとして、[ひい婆ちゃん]がこんなに喋るのはかなり久しぶりだという事実に今更ながら気づいた。中学後半くらいから[ひい婆ちゃん]と集が話す機会は減りに減り、食卓だとか喋らない方が気まずいような状態の時限定になっていた。それから、集が[ひい婆ちゃん]に言われて両親を呼びに行く時だ。両親は大抵帰ってから2時間は爆睡するので、夕飯の時刻に僕が呼びに行く。
「定時帰りは体力使うんだよ。その分働かなきゃならないからさ」といつかの父が弁明するように言っていたが普通に早朝出勤だからじゃないだろうかと思う。今の所、隣に両親が帰ってきている気配はなかった。
唐突なようだが自室と言っても京町屋のつくりなので障子を開ければすぐ横に両親の部屋がある。かつては姉の部屋だったものだ。姉はもう家から出て行ってしまったが、完全に離れた部屋でもないし鍵もかかっていない。なので集には閉じ篭れる自室を持つ友人に少しを羨望を抱いていて、この部屋はオープンすぎて嫌だった。夜とか隣の部屋から変な音がするのだ。何とは言わないけれど二人の現場に乗り込み防音器具をつけてと叫んでみようと何度か思った事がある。今なら見慣れた視界と繋がった部屋に安心する、ということもなく嫌なものは嫌なままだ。
集の両親は仕事を基本定時で上がり、最低でも六時三十分には帰宅する。二人とも金融関係の内部事務職に務め、自宅から徒歩圏内にある同じ職場で働いている。だからなおさら時間がかかるはずないのに二人とも連絡すらつかないらしい。おそらくパレードに飲み込まれてしまったのだろう。少し丸まっただけで背骨が軋んだ。
集はまた別のことを考えた。ひい婆ちゃんの口調からしてパレードをひい婆ちゃん達も見たんだろう。通学路のことも幻覚ではなくゆうじろうは死んだのだと思うと悲しかった。わかってはいるがやはり悲しいのだ。集が銭湯の扉を閉めた時、肉塊の巨大猫に押されベチャッと潰れ今でも張り付いているだろうおじさんの事よりも何倍も悲しかった。集自身の顔は無表情だったが胸はひりつくようだった。目を瞑り、俯いたままぼうっとする頭で思考を巡らせようとする。別の服が着せられているのがわかり、恥ずかしくなる。腕の端末は壊れていた。もう使えないだろう。「痛たッ」足を動かそうとするが、筋肉痛のようで上手く動かせない。神経が痺れている。そのまま起き上がろうとするが呻くだけで何もできなかった。寝てろと言われた意味がわかる。携帯はリュックの中なのに文字通り手も足も出ない。何もできないのならと集はまた布団に入ろうとした。その時乾かされた制服が部屋のクローゼットにかけられているのが隙間から見えた。集はああいう隙間を見つけるとすぐ閉めたくなる。そして逆に閉めない奴の精神を疑いたくもなるのだがそれはいくらか自分がこれだけ怖いのに貴様は怖くないのかという嫉妬のような感情も含まれているのだ。
集はどんな怖いことも平気だったのだが、その理由は相当昔へとさかのぼる。恐ろしいことや怖いこと。大抵の場合それらは実態を伴って襲ってくるものじゃない、それに本当に死に直結する事象だって一歩間違えたら命が終わってしまうものが多いのだ。一歩を間違えなければいい。選択の分かれ目で選んだ直後に怯えることはあっても間違えたんだったら終わりで成功したらその次があるだけだ。だから今が大丈夫なら足掻いてもしょうがない。選択したらそのまま終わるまで走らなければなければならないと、そう思うことが集唯一の信念的なものだった。
由来は集の中学時代。5階の細い窓の桟を歩かされた時、本当に死んでしまうと思った事がある。歩いてたのは女子生徒と集だった。白い眼鏡をかけていた彼女は集と一緒に掃除当番を押し付けられる事が多かったと記憶している。彼女との間でバランスをとりながら雨漏りの為だけにつけられた木の板を渡り歩いた。事がおこったのは真ん中まで歩いたときだ。前にいた彼女は集の方によろけたのだ。僕は死んでしまう気がしてとっさに突き飛ばしてすぐに教室に戻った。僕が桟から落ちさえしなければ全然なんてことはなかったんだ。体だって痛くない。女の子は骨折して僕は苛められなくなった。彼女はその日を境に集団にあっさり馴染んだ。それが中学三年生当初。卒業式では一人だった。それで高校に入ってすぐ自殺した。僕はその女の子のことを少し好きだったように思うのだが死んだ時は何も感じなかった。彼女は集の幼馴染だった。ずっと白い眼鏡をかけていた。それなりの面識と愛着があるという意味では好意があったのだ。多分。きっと。それで事実が捻じ曲げられ「生良崎は好きな人を殺したことがある」と高校一年生当時に噂になったのだろう。団結するための噂に飢える時期だしタイミングも悪かった。集団の力というものは凄まじいもので到底ありえない様な噂も簡単にまかり通る。そもそも殺していたら高校にいないだろう。要は暇つぶしに使われたのだ、クラスで浮いていたことも影響してるに違いない。たまにその暇つぶしの冗談を真に受けて友達になりに来る酔狂な人間もいるにはいたのだが。
ともかく、それからというもの集は何故だか隙間が怖くなった。臆病になったのではない。むしろそれ以来怖いものはほとんどなくなったのだが、隙間には馴れる事ができない。開けるまでそちらに何があるのかわからない感覚が嫌なのだ。変なものが見えてしまいそうだからなるべく気にしないことにしてやり過ごしている。
集は頭痛で軋む頭を押さえ、クローゼットの隙間から逃げるようにして横に寝返りを打つ。
その時カサカサという衣摺れの音がした。始めは無視を決め込んでいたが集が喧しさに耐えきれず目を開くと、「大丈夫ですか」と声がした。僕の部屋の床には鈴を鳴らしながら着物姿で正座をして茶を啜る端正な顔立ちの幼女がいた。

<Side Shuu>
集が白、着物を着た幼女と取っ組み合っているのをみてひい婆ちゃんは肝を潰した。
集の方も婆さんが連れてきた人物をみて肝を冷やした。そこには同級生の宇佐見がいたのだ。宇佐見は集が白の髪をひっつかみ、着物なのも忘れて思い切り足を振り上げて白が集の股間を蹴っているという集と白二人の構図に目を見張っている。とりあえず[ひい婆ちゃん]は集達を引き剥がすのに必死になった。集は宇佐見がいることに動転してそれどころじゃなかったけれど。
こちらが経緯を説明し、この幼女のことを尋ねるとと婆さんは相好を崩し笑い転げた。「相変わらずだね。どんくさい。連れてきた子じゃなくて連れてきたことも覚えてないのか」とても面白そうだった。僕が不貞腐れるとさらに笑った。いつもより遥かに上機嫌だった。
結論から言うと幼女は僕が銭湯で見つけた子供らしい。その時の僕は動転していて気付けなかった。今もそんな記憶はないから正直、白のことをまだ疑っている。何を疑うのかと言われても困るけれど、信用できないということだ。あのパレードの原因をこんな子供にもとめるのも馬鹿らしいのだが。それにその子の人形のような顔立ちと異様な雰囲気はまるであのクローゼットの隙間から出てきたように思えたのだ。それに鋭い目が自殺した女の子と被ったことも僕が怖がった原因だった。自分よりはるかに年下の子供に怯えているのだからその時の彼女には僕がさぞ滑稽にみえただろう。
宇佐見 出、集の同級生を連れてきた経緯については怪我してるからこっちの部屋において欲しいとだけ告げられたがどこにも傷がついているようには見えなかった。
「こっちは宇佐見 出。あんたの四つ下だって」中学生と間違えられているけど否定しないようだ。出はひい婆ちゃんに爽やかな作り笑顔を向けている。

家のひい婆ちゃんはかなり怖いし、出は多分気圧されたんだろう。ひい婆ちゃんは、夕食はもう用意してきたと笑っていた。宇佐見も手伝わされたらしい。こんなに人がくることはめったにないからねえ。そう言って顔を婆さんは本当にうれしそうだった。時刻は8時を回っている。つまり幼女を僕の部屋で発見してからもう二時間も経ったのだ。着物の幼女と取っ組み合っていた理由はひとまず後回しにし、後ろで集の事を恨みがましそうに見ている彼女の視線も置いておいて、集は二時間前を回想した。着物姿の幼女を見つけて驚きすぎた反動で集が固まっていると、そんな集と対照的に彼女は平然と座っていて今度は集の小学生の時のDSで遊んでいた。
肌は抜けるように白く、着物はかなり上等の物だ。これも集がいろいろ勘違いした原因だ。
思わず「お前誰?」と聞いたら「誰でしょね」という反応が返ってくる。
僕が固まっていると幼女は茶を啜り「貴方が突き飛ばした女の子」と言ってクスクス笑った。
僕はさらに固まった。白いメガネの女子を突き飛ばした事を知っているのは僕のクラスの人だけだ。それはいじめが明るみにでることを恐れた数名のグループが目撃した全員に口止めをしたからなのだけれど、それじゃあこの子は当時のクラスの奴らの兄弟なのか。幽霊の訳はないけれどその可能性は否定できないし何よりクローゼットの隙間が怖いということに理由をこじつけ、僕は寝返りを打って反対側を向いた。
その幼女は「無視しないでよ」と言って布団を掴み引きずろうとする。僕の幻覚ではないみたいだ。つかみどころがない。怖いわけじゃないけどおきあがって問い詰める事もできない。しばらくするとあっちも後ろにいる気配はするけど何も喋りかけてこない。けどやっぱり気になる。年齢は何歳くらいだろうか。顔だけはずいぶん大人びているし、小さい子の年齢はわからない。そうじゃなくても面倒臭いことに美形は総じて年齢不詳なんだよな。
腕の端末はやっぱり起動できなかった。でもそこまで機体がこわれているわけじゃない。パレード内に金属がはいったでもいたのだろうか。水には耐性のあるものをかったから銭湯に入った時壊れたのではないだろう。
「ねえ、そこのリュックの中にパソコンがあると思うんだけど」彼女の反対を向いて布団をかぶり寝転がったまま彼女に声をかける。
「ど?」いつのまにきていのか幼女は枕側の真上から僕の顔を覗き込んだ。僕は何をやってるんだ。得体が知れない奴に何でものを頼もうとしているんだろう。諦めようとした時、「これだよね」と幼女はパソコンを僕の顔の上に落とした。思わぬ一撃が痛い。
「あれ、間違ってた?」幼女は悪気なんて微塵もないように首を傾げた。いつの間にか僕の体の上に乗っていたのだ。ちゃんと質量がある。しかも暖かい。「間違ったら悪いこっ!め!」「もうわかった本当に君はただの幼女だ。ちゃんと理解したから降りて、降りてパソコン壊さないで!てゆーか悪い子は君!君だって!」
幼女が僕の上に乗ってパソコンを全力で叩こうとするのを、これまた全力で両腕でバリアをつくりガードしながら僕は叫んだ。筋肉痛が酷くなった代わりにパソコンはかろうじて守れた。なんかキャラは瓦解し始めたけど。
冷房が効いた僕の部屋がよほど心地よいらしく着物のままパタパタと歩きまわっていた。
幼女の名前は「白」というらしい。それ以外のことはまるでわからなかった。なぜ集が突き飛ばした
女子の事をしっているのかについても口を噤んでいた。
ようやく機器を手にした僕は現状を把握できるよろこびで検索をし始めて1分後、ニュースとかの機能は全て停止していることと一部の地域では段々電波が繋がらなくなってきてるってことだとかを知った。調べ方が悪かったのか全然パレードの情報にヒットしない。
諦めてタイムラインを開けるとそこには画面いっぱいに狂ってるコメントが大量に並んでは流れて消えていった。
「動いてる」白が後ろからこっちの画面をみていた。とにかく更新スピードが尋常じゃない。下へ下へと僕が見ている今この瞬間も文章にすらなっていない文字列が流れていく。とにかくどれでもいいからとクリックしようとすると一瞬だけ画面が停止した。
ぱっと目に映ったとりあえず文章がかけている人のアカウント名を記憶するとその人のホーム画面を探した。狂っているような言葉を書き出したのは数十秒前みたいだ。段々精神が崩壊して行っているのが追っていくととわかる。
腕の機器と脳は直接つながっているからリアルタイムで言葉が崩壊していくのが見える。そこからなら死ぬ途中でも消えていく脳細胞で言葉を紡ぐことができる。しかし大抵の場合言語が崩壊する過程が残されるだけで伝えたかったことなどわからない。
小学校の頃、死亡前のコメントの流れを撮った動画が回ってきた事があった。家で同級の女の子と見た記憶がある。僕がそんな死に方嫌だなというと「そう言ってた人に限って死の直前で悪足掻きするの。言葉を残したいとか言い出して。思考のツメ跡一つ残せないのに」とその時の女子がそう言っていた。もうすぐ話せなくなるかもしれない。この人を逃したら次に話せる人はいないかもしれない。急いで必死で質問を書き込んだ。「tuki/8/3/6:05天国ってなに」「tuki/8/3/6:05貴方はどこにいる?」「haivybjlhjkj/8/3/6:05天国_のお迎えがくるんです。死んで魂が体をつき抜けずるりと剥けます。パレードの裁きは我らへの侵害へ歩け歩け助けて!素晴らしい!ずるりと向けた皮は体現します。膨張する t ukiさん、」

haivybjlhjkj/8/3/6:05

私は、僕は、天国に肉が逝きます 狂気の隙間は従えない! 死にたくない 救われない!

tuki/8/3/6:05

[:天国ってなに

tuki/8/3/6:05

貴方はどこにいる?

haivybjlhjkj/8/3/6:05

「天国_のお迎えがくるんですくる来る死んで魂が体をつき抜けずるりと剥けます。神の裁きは我らへの侵害へ!歩け!歩け!歩け!助けて!素晴らしい!素晴らしい!ずるりと向けた皮は体現します。膨張する

tukiさん、あなたの感性は素晴らしい!」

最初から分かっていたけれど、やはり要領を得ない調子だ。

「tuki/8/3/6:05それじゃあ、貴方は、」
何て書けばいいかわからない。狂った人間にも伝わる言葉を考えるけれど何も思いつかなくてそのまま僕の手は沈黙した。その時、最後の返信が帰ってきた。
「haivybjlhjkj/8/3/6:05天国の傍に」
次の瞬間そのアカウントが消滅し、フラッシュが焚かれたみたいに光った。おそらく生体反応が消えたんだろう。生体反応が消えると戸籍に死亡の印鑑が押されるより先に運営側がアカウントを消去する。旧型携帯では対応してないけどいまの時代、体から離れている携帯の方がめずらしい。何かの条件を満たした時アカウントを消すという挙動は個人で簡単にプログラムできる。手を振るとアカウントが消滅する。三回指を鳴らせば消滅する、など身体に関する動作と連動していれば内蔵型の携帯を持っている人間なら誰だってできる。けれど最後集との会話以外は死んでいく人の文章だったし、パレードに巻き込まれて死んだのだろう。パレードが精神異常の原因だろうか?狂っている人たちの共通点は天国という言葉だった。天国、パソコン付属の辞書によると 神や天使が住む,天上の理想郷。キリスト教イスラム教では,信仰を貫いた者が死後に赴き永生を得る所とする、神の国。天国とはパレードの事だろうか。この精神的な異常の連続はパレードに関係があるのかもしれない。いまのところそれ以外は考えられないしひとまず確定でいいだろう。苦々しい思いが集の胸に残った。人が死ぬとこは気分が良いもんじゃない。ショックが少ないのは画面越しだからだろうか。しかし死ぬ場面をみたわけではないのに気分が悪い。
集は消滅したアカウントのID全公開のプロフィールを乗っけているサイトを開く。繋がりが悪いのかサイトの質が悪いのか半分以上のページが文字化けしている。さっきの人も最後のプロフィールのまま時刻もはっきり明記されていた。疲れたから白の方を眺める。冷房が効いた部屋の中を白は無駄に走り回っていた。障子を開ける気はないらしい。あくまでこの部屋で遊びたいようだ。走るブームはわずか数秒で終わったらしく白は僕の勉強机の上の地図を注視していた。
「何してんの」集は背中をおこし白に声をかけた。
服装と容姿が目立つだけで他は子供らしい行動しかしないので集の中での警戒レベルは引き下がっていた。始めに白を見た時は顔つきも何もかも白いメガネの女子そっくりで本当に幽霊じゃないかと思ったが、よく見ると集が突き飛ばした彼女はここまで美人ではなかったし、そもそも恨まれるようなことをした覚えが集にはない。幼馴染だったとはいえいまは名前さえ覚えていないのだ。化けて出られるようなことをした覚えはないんだ。そう思うと白がただの可愛い子供に見えてきてので、ノリと興味本位で声をかけたのだ。しばらくして白は答えずに地図を見つめていた。早くも心が折れそうだ。押入れを開けられて貴重な地図やもう店に出てない地図を壊されると困るからと理由をつけてもう一度喋りかけようとすると、白の方から口を開いた。
「これでわかるよ。天国の場所。」そう言うと白はただの百均の白地図と、幾つかのフォルダを迷いなくとりだしだ。「あ、とりだしちゃったけどいいかな」白は言う。
僕は返答できなかった。勉強机と布団は結構離れてるけど声が聞こえなかったんじゃなくて、白の子供から大人に変わったような変化に戸惑ったせいだ。白は沈黙を承諾と受け取りそれらをこちらに持ってくると資料を必要な分だけ広げた。それから色鉛筆も。「やることはわかるでしょ」
白は先ほどまでと別人のような鋭い目でそう言った。集は催眠術にかかったようにできる限りの事をやった。サイトのアカウントの時間を場所と区域ごとに纏めて、同じ電波塔を使っている区域の地図や、交通機関からのパレードの感染はもちろん、ほとんど全ての資料を漁って照らし合わせていった。白に手助けされたところもある。白は同じパレードの動作と、惹きつけられるものを割り出した。パレードはほとんど機械的に道があるところを律儀に歩いていく。その経路は大抵既存のもので、かまぼこ巡行の道をなぞっていたり、バスの路線をなぞっていたりする。絶対にどこかに出典があるものだけしか歩かない。全く同じ型、Aを持つパレードが通った一帯の人間は死亡する。Bを持つパレードの人間は生体反応は途絶えずそのままだ。パレードに飲み込まれた人間と言ってもいいかもしれない。子供の遊びのようにも思えたけど必死にやった。それが真実だと脳のどこかが告げていたからだ。
こんな経験をいつかしたようにも思えた。もう使える頭がないほど酷使して問題を解ききったような疲労感でぐったりしていると、同じだけやったはずなのに白は平然と正座していた。集はその時自殺した女子との事を思い出した。家が引越しで離れるまではよくこうやって勉強をした。彼女にやることはわかるでしょ」と言われるといつも脳の中身を吸い取られるような謎の疲れ方をして、いつの間にか問題が解けているのだ。
「お前、あいつだろ」集は布団に倒れ込み大の字になりながら白に言った。布団の周りには白と二人で作業した地図と資料がころがっている。白は飽きたらしく、後ろを向いてまた別のものをいじっていた。
なんだかもう、幽霊でもいいかもしれないなあ、と集は思った。いつもの日常と比べたら全然楽しい。「あ、そーだ。白、押入れ触るなよ」集が白の方を見るとすでに開けて弄っていた。
それで我を忘れて取っ組み合っていたという回想初めの部分まで一気に戻るわけだが、とにかく集達が解ったことは肉塊のパレードに飲み込まれていない人たちの多くが精神的異常を来していること、パレードが人々の間で「天国」と呼ばれていること。追ってくるパレードのせいで銭湯の外の人達限定で精神異常が起こるタイプと「起こらずにべりべりする」タイプがあるというのが白の意見で、銭湯外の人、特に鴨川の向こうの人がおかしくなっていっているのではないかと推測したのが集だ。どちらも現段階では正しいので確かめようがなかった。
ちなみに白は銭湯の中で肉が人の形になるのを見たらしい。集も見たはずだというが全く覚えていない。おそらくだが白と出会った記憶がすっぽり抜けているのだろう。もったいぶらず、白がさっさと教えてくれていれば怖がることはなかったのだと思うとなんだかくやしかった。
それからその解決法と、もう一つ。パレードは京都全域を循環するように外界から覆いながら、壁のように高くなっていっている。パレードの原因はわからないけどこのまま白と二人で閉じ込められるならそれでもいいような気がした。今、救助を頼めば助かるのだろうか。
「仲良くしなさい」出を僕に押し付けるとひい婆ちゃんは僕の部屋からありったけの毛布をかき集めて出て行った。

三人で料理を食べることになったが、主に出との間がどうにも気まずかった。一応同じクラスの同じ学校だし面識はあるけれど共通点がない。とりあえず集は地図を片付けて折りたたみ式の机を出すことにした。「なんか僕のひい婆ちゃんそそっかしいから、宇佐見

「こんなに人が来る機会なんて今はもう滅多にないから」

婆さんが言うには僕の姉が白くらいの時分の洋服はほとんど処分してしまっていたらしく、七五三の時の着物しかなかったから着せたのだという。

集が後ろをむくと白が「食べちゃダメっていったのに…..」出が頭を抱えている。

薄い生地に白餡がはいり、薄く着色料の桜色が透けてて一見甘くておいしそうに見えるけどアルコール度数17%の大吟醸が入ってるから、ほんの少量でも子供が食べるとすぐ酔っ払ってしまう。母さんが買ってきた羽二重餅や花弁餅のような外見の酒餅だ。集は婆ちゃんが棚から出していた菓子はこれだったのかと腑に落ちる思いだった。

「ほら口から出して?ベッって。お兄ちゃんの手ででいいから、ね?」出が幼女の口の前に手をさし出すとやっと見つかったと気づいた白は一瞬フリーズしたのか表情が固まっている。

面白かったから写真を撮ってやった。

すると食べられると思ったのかどんだけ必死なのか酒餅をたくさん口にほうばり始めた。要領のいい手さばきで袋を破き酒餅を頰がでばるほど口に入れていく。

「食べない!そんな食べないって!酔うからさっさっと吐きだせ!僕が怒られんだよ」

ひい婆ちゃんは途中で参加して酒餅を食べた。

酔いが回ったひい婆ちゃんは白を呼んで鏡の前に立たせた。

「ほら、ちょっとこっち来て一回まわってみなさい」

「そう、そう。綺麗だねえ」婆さんは目を細め、正座をして白を見上げた。白の着物には鳥の紋様が入っている。

一方、集だけは皆んなの頭が少しづつおかしくなっていることに気づいていた。もちろん銭湯内のみんなだ。下に降りた時、直立したまま皮膚がむけていくお兄さんもみた。

極め付けは下の階の人の噛み合わない会話と、肉団子のようになっている妊婦さんだった。それに動じず、普通にご飯を配っているひい婆ちゃんも多分同様にくるってしまっている。

家にいる限り、パレード化することはないから放っておくことにした。結局、白の推理の方が集のより正確だったということだ。

集は部屋の横に貼り付けてある京都市内の地図を剥がした。

山鉾巡行のように歩いて行ったパレードはあちこちにちらばったのだろうか。解散地点はどこなのか考える。

するとふとした思いつきで集は京都以外が封鎖されている可能性に思い至りほとんど諦めながらパレードが発生した位置にポストイットを貼り、時刻を書き留めていく。

両手が塞がっているので口で蛍光マーカーのキャップを外した。

酔っ払ったような白は揺蕩うように回った。緑に赤に金。「きれいだ」

胡座をかき少し酔っ払ったような出が寝ぼけながらもらした言葉に白は反応した。宇佐見 出という男は多分地球上で最も好きになっちゃいけないやつだ。というのは僕の持論でありただの偏見でもある訳だけれども、どちらにしても幼い時分にそんな奴に惚れるとろくな目に合わない気がする。初恋が宇佐見でした。なんて絶対後々黒歴史になるに違いない。

しかし白は宇佐見ではなく僕の方を振り返った。白はまっすぐにこちらを見つめている。

激しい舞を踊った。

婆ちゃんが酒に酔ったのか畳の上で手を叩いている。焼酎の封が何本か開けられていた。

拍子に合わせるように踊る白の獣のような表情は僕が突き飛ばした女の子に似ている気がした。

「ほうら、回れ回れ。あんた瑳智子そっくりだよ。瑳智子はねえ、あれ、瑳智子って誰のことだったけねえ。そう、お嫁に行ったんだよ確かそうだ。そう。そうだったんだ」

集はだんだん繋がらなくなっていく婆さんの言葉を聞きながら、もうどこまで狂ってしまっているか

わからない婆さんは白を回し続けていた。

集は統計表に巨大なランドーマークがある区画のパレード遭遇率をさらに表にしてまとめていく。

主な情報源はネットと僕の地図くらいだが、何もしないよりはましだと思った。

白を囲んで散々呑み明かした二人と白の皆んながそのままそこで酔っ払ったまま寝てしまった。

雑魚寝していると集が
「京都タワーとかの辺りじゃん。そこ」出は畳に伸びたまま集が書き込んでいく地図の中を指差した。

七条通の辺りだ。

「ね、倒れた?京都タワー倒れた?」出の顔は真っ赤だ。

「分からない。多分パレードがこんだけいれば倒れてんじゃね?」「えー倒れてほしーなあー」

出が背にもたれかかってきた。寝転ぶのすらしんどいほど体がだるいらしい。

素がでてるぞ優等生。というか

「大丈夫なの。そういうこと言って」

「いいんだよ。人間たまには息抜きが必要なんだって」

そういって出はぐりぐりと緑のペンで通路を書いていく。「何してんの」

「パレード通過希望箇所ー!」

「京都のさあ、俺らが住んでる三条河原の辺りとか、東寺とか知恩院とか鴨川の水が全部溢れて洪水が起きたりとか他にもさ色んな建物が全部倒れていったりとかさ、神社とか京都タワーとか銀閣とか大仏がさ全部壊れちゃえばいいって思ったことない?俺はあるよ。何回も何回もおもったんだあ」

出は普段の状態からは考えられないほど陽気だ。酔っ払った親父みたいだった。一人称も俺になってるし。「僕も結構な回数あるな。でもこの年齢の子供としては普通なんじゃないかな」集は鉛筆で七条通りから東寺にかけての一マス分の目にぐるっと線をひいた。

次に集は地図を広げ、パレードの発生時間を場所ごとに纏め始めた。にしてもこの状態の出の親しみ安さに驚きを隠せない。

集がそのまま書き続けていると「いいこと教えようか」出は集を近くに読んで居間のテレビのコマーシャルの切り替えがなく途切れずに続いていたことを教えた。「あれは放送の前段階の番組読み込みのプログラムが乗っ取られるとああなることがあるんだよ」

「サーバ自体がハッキングされ乗っ取りから何らかの原因でパレードが発生したんだよ」

さらに安全性保障の為に定期的に公開されている表層部分の設計を集と二人で覗いたら、誰でもわかるようなミスと明らかに無限ループになるようなプログラムが満載で、実行したらエラーがでて来るようなものばかりだった。それなのにサーバー自体の見た目には一切問題が起きず、前日にも閲覧されて修正点検まで入っていた。

誰かがパレードが起こってからプログラムを滅茶苦茶にした。それは誰なのか。出も集も、銭湯の中の人も精神的に異常を来たし始めている事に気付く。

「おーそうくるかぁ。あ、それ、お前の願望?」

「違うよ、脱出経路」

白が「発光してる…」「なんの画面だよ。これ」

バキバキと屋根を支える梁が壊れていく音がした。天井が軋んでいる。

ミシミシと家が潰れる寸前の音がした。「意外とはやかったね」出はおちついた声で言った。

「でも、まあこの平穏が続く訳はないとは思っていたんだよ。だっておかしいだろう。この一瞬だけだったんだ。周りで大量の人間が死んでいるのに僕らだけが平気だなんてありえないことではあったんだよ」

行こうとでも言うように出は僕に向かって手を差し出した。

二人は銭湯が半壊していく前に外へ出た。二階の階段を降り、下に降りた。僕は直前で白を連れていった

僕は出と二人でパレードから逃げた。

もともとは様々な人の形だった、例えば園児やサラリーマンや主婦や、彼女だったそれらが「天国」と呼ばれるパレードの群になって塀をなぎ倒しながらこちらに向かってくるのだ。

道路に重みでひびが入り、標識や電柱が割れ目に挟まった。

僅かに残っている人たちもいて集と出と白がすれ違った女性は横断歩道の途中で体がぶくぶくに膨れ上がって動けなくなっていた。

ビルとビルの隙間からパレードが津波みたいにいきなり沸いてきた。

入道のように大きい塊から足や手が無数に生え、生えた瞬間折れて変形しパレードの一部になっていく。肉は変色して色鮮やかなランドマークのマスコットや広告の一部をなしていた。

あちこちが捻れて血と肉の色をしたパレードは太鼓を持った生き物ー集はそれをコマーシャルか何かで見たことがある気がした。信楽焼に猫、寺院や京都ツリーなどの型にぎゅうぎゅうと肉塊が詰められたものの姿をしている。

だが、極め付けは大日如来菩薩の形の肉塊だろう。

体には変形しきれなかった人の部位がはっきり残っている。人々が安寧を求め作った菩薩の外形がこのような形で使われるのは至上最高の皮肉ではないだろうか。

しだいにまるで肉の各部位が、一番動きやすい役割を見つけたかの様にちぐはぐに機械的に動き出しそれが馴染んできちんとした動きでうごきだすのが不気味だ。

なんといっても最初菩薩は手をアスファルト上に置いて足代わりにしようとしていたのだ。他の肉塊をベたべたと引き摺って上下逆さまに動こうとする姿は滑稽だった。

しかし今は動き方も本物の菩薩のように優雅になったし、さらには試運転でもするように表情筋まで間違った形にうごかしている。菩薩そっくりの顔が泣いたり怒ったりする姿は純粋に面白かった。白も興味深そうな顔をしている。

白はさっきから僕の青色のシャツの端をしっかり掴んでいるがまったく歩調を合わせる必要がないので、そのまま容認している。

それに昨晩も思った事だが白はなにかと似ているのだ。

そのせいで集は白が何をしでかそうと本気で叱る気にはなれない。当初、猫に似ているのだろうかとも考えたが違うだろうと今は思っている。それは小動物を庇護する愛しい感情ではない。畏怖と裏表になっているような汚い感情なのだ。

集はその感情の正体がわからず、結果として白に対する不信感につながっていた。しかしそれでも集にとって白はにくめない人間なのである。

実は集は以前、白に抱くのと同様の感情を別の人間に抱いたことがある。集自身は忘れているがそれは猫を好きになるきっかけになった人間だ。そして集はその人間に対する感情がわからなかった。

しかし今の白の横顔を見て何か思い出す事があったのか集の動きは一瞬止まった。

出は

集は出に手を引かれて走りながらふっと扇ぐ様に上に視線を向けた。顔に何か冷たいものが落ちてきたからだ。それは桜の様なピンク色をした血だった。

朝焼けの空をバックに頭上から降りかかってくる血は綺麗で集が危うく手を伸ばしそうになるほどだ。そのまま上を向いたままでいるとパレードの音楽を奏でているキューピーのロゴの様な肉の塊と目が合った。

血はマンション一個分ほどの高さのキューピー人形の目の箇所の肉から出ている様だった。人肉が捻じれ血が絞り出されてるのだ。流れる音楽のせいか酷く現実感が乖離している。

駅近くの歩道橋まできた。集は無気力なまま出に引きずられる様にして階段を上った。下から小さいパレードが上ってくる。白は集のシャツの裾をしっかりと掴んだままでかなりのスピードでついてきている。

トントンと音を立ておぼつかない足取りだが集より早いくらいのスピードで階段を登りきった白は

面白そうにざっと辺りを見回した。

歩道橋下では肉が海のようだ。

「生きているね」肉が歩道橋の周りを狭む様を見て白が言い、それから少し微笑んだ様にもみえた。

出はそんな白の事を訝しげな顔で直視した。出が白にむかって何かを言おうとしたのと同時に白は顔をそむけいきなりパレードが迫っている逆方向へと走り出した。

白は飛ぶように走っていてその様は鬼のようですらあり、子供のスピードではなかった。

集はシャツしか掴んでいない白に無理やり引きずられ、そちらへとよろけた。仮にも17歳が幼女の力に負けたのだ。咄嗟で掴んでいる出の手を引っ張ってしまったためドミノ倒しのように三人はパレードに触れる寸前の場所に倒れこんだ。

せっかくこんなに素晴らしい新世界が手にはいったのに。地図すら犠牲にしたのに。何故ここで死ななければならないのかと、集は白に向けて恨みつらみを思おうとしたがやはり白のことは憎みきれない。三人は重なってしまっていて身動きが取れなくなっていた。

5(2)

何とか駅にたどりつき切符で中に入った。

電車は通常通りに動いていた。

白はさすがにぐったりと疲れていて出と集との間で寝こけていた。

出はくうくう寝息をたてている白をちらりと一瞥すると、「何か変じゃないか」と集に喋りかける。

「集も僕も運動は苦手な方じゃない。僕が集の手を引いていたとはいえ高校生男子二人の全力スピードに白が追いつくのは不可能じゃないだろうか」

集は話の先を促す様に出の方を見た。

出は本心したするように宙を見つめ、自分の手の中に顔を埋めた。

「お前と白がグル、何てことはないよな?」

疲れた声だった。「正直、白とお前がパレードのあの肉塊じゃないって保証ができない。寝不足で僕の頭がハイになってるって可能性もあるけど、そこを差し引いても白はやっぱり普通じゃない。現時点ではパレードの仕組みも分かってないからね。白の体力面のスペックは異常だ。他にもおかしい点は色々とあった」「でも宇佐見、僕の身元知ってるだろ」

出は明らかに舌打ちした。

「菩薩が動いてんのみたよね?集がするはずの行動を模写すればいいだけだろ。それに肉はいくらでも変色できる。赤、白、青、緑。意図的に色を作り出すことだってたやすい。お前の皮膚の色も多分作れる。骨格がある様に動くこともできるさ。皮膚から測って骨があるはずの場所がじゅう硬くて

いくらでも好きなものになれるんだよ肉塊は!」

集は片手間に言葉を聞きながら集は眠る白の黒髪を慈しむ様に撫で、反論の言葉を考える。

まず集は出がわざわざ張り詰めた声をだしているように聞こえた。というよりそうとしか聞こえない。表情もろくに作れてないし、集は完全に出の思惑がわかってしまって笑いがもれそうになった。

「それじゃ変わらないだろ」

集は何気ない風にそういったが、笑いを堪えながらそれを言うのはそこそこ至難の技だった。5段階だったら4レベルの難しさだ。

「なにと、」出はそのままのきつい口調で問い直す。

「生命だよ、それに僕自身と。あ、とれちゃった….」

白の黒い艶やかな髪から、髪飾りが外れ、集の手のひらにカシャンと音をたてて落ちた。

ゆうじろうのにゅるりとした白い毛皮を思いだす。

白はきっと、猫のゆうじろうにも白い眼鏡の自殺してしまった女子に似ているのだと、集は初めてその事実に気づいた。行動も容姿も表情も。鈍いようで鋭く、実は恐ろしいほど賢い事も。

いつも彼女はセミロングの黒髪でそれ以上にもそれ以下にもした事がない。本を読んでいるところなんて見た事がないのに博識だった。幾度会話しても目線がこちらと合う事決してはなかった。

連鎖するように集は、「僕はあの子が好きだったのだ」という事に今更気付いてしまった。

漫画でよくあるセリフだけど、大事なものって気づいた時には手の中にはないんだと実感した。

今では彼女の名前すらおぼえていないというのに。

出は集の答えに目をしばたかせたのち爆笑した。

「確かに。支障でないわ」

「骨がない以外は完璧だよ。僕以上に役に立つ」

集が機械的にそう返すと、「肉だし、血も涙も出ないか」といつもの調子で出は言った。

僕の顔にはキューピー人形の目から真っピンクの血が垂れてきた、と集は思い出し、

「血、というか肉汁は出るよ.。皮膚の色を作る過程できっと変色してる。内部構造は知らないんだけど蛍光みたいなピンク色だよ」記憶をそのまま機械的に出に伝えた。

すると、出は更に笑い、飲んでいた水筒を吹き出した。

「いい、いい上出来だよ。肉だしな。真っ白になるまで色々やってりゃ化学変化するよな。

ある様に見えても切ってみたらないのか。ホント集って最高だな!」

しばらく、出は笑い続けて苦しそうだった。

「こんなに笑い続けたのは久しぶりだ」そう言いながら出はまた笑った。

虫がいいようで悪いのだけれど集のことは試しただけなんだ、このとおり、許してくれと出は土下座して集に言った。

許すも何も先に気づいていたというとありがとうと彼はいった。

カマをかけるつもりだったのだという。

でもその発想はなかった。

さっき言った事も白に関しては8割方本気だという。

「まずは味方から疑っていくスタイル的な?ここ集と俺しか人間いないし、白はなんだかわかんないし一応ね」

出は楽しそうだった。

「にげきろうな」

そう出が言うので集は複雑な気持ちになった。

白の髪飾りは下に垂れている形で、千羽づるの様に菱形の金色が連なっており、最後数段が十字架の様な形になっている。髪につける部分は花の様な形をしている。

割とポピュラーで着物によく合わせられている型のものだ。髪飾りにはいくつか種類があるけれどこれの名称は何だっただろうか。

僕が観察していると髪飾りの金色が窓からの光にきらきら反射した。

「俺は少し寝る」出はやっぱり疲れた声だった。

出の疲れた声はきっと不安や追い詰められる緊張感などからは来ていない。単純に体力的な問題で、きっとこの人物が焦燥などの感情にかられることは滅多にないのだろうと話を聞いている間から集は冷静に分析していた。それにこの一連の流れが僕に鎌をかけていると理解していたので疑われたことに別段不満はなかい集であった。それより、一人称が俺になっているのは気をゆるしたのか好戦的になったのかが引っかかって集は出が寝入ってから結構な時間を費やし悩んだ。

寝息を窺うと本気で熟睡していて出を起こそうとするとなかなか起きてくれなかった。

結構寝汚い出と違って白はあっさりと起きてしまった。出は白の前だとまた敬語になったからやはり一人称の変化は気の緩みということでいいんだろうと考えると集は妙に納得した。

白は集が髪飾りを持っていることにが不満だった様で少し怒っていて機嫌が直るのに時間がかかった。それでも終着駅に着くにはまだまだかかる。いや、僕が長く感じているだけなのかもしれないのだが。車内で二人は停止性問題の命題が解かれてしまったことと、今後どうやってこの事態に収集をつけるのかを話しあおうとしたが、出による白への一方的な不信感が満ちていて話し合いはほとんど進められなかった。

経由駅で二人は電車を降りた。

集たちが駅からでてすぐにガラスの破片や倒れたビルの屋上を目の当たりにすることになった。

倒れていてもいなくても人が居そうな建物はだいたいどこも壁が壊れていたりガラスが割れていたりする。きっとそこからパレードが発生したせいなのだろう。

高層ビルや様々な建物が壊滅している。瓦礫の山の上の最頂部を選んで白は歩いた。

しかし密集している場所はともかくあたり一帯が更地になっているので南東の方角に目を向けると

京都タワーの全貌が見えた。

「ここからどっちにいけばいいんだ….。生良崎、地図持ってるか?」

出はもう完全に繕わず集に話しかけるようになった。

集としてはあのフランクかつ慇懃無礼で敬語口調な特有の意思表現をもう聞けないと思うとほんの少し残念だったが、しかし今の真面目そうな顔と荒っぽい口調のギャツプもまた面白くて笑えた。

出は訝しげな顔でこちらを見た。今まで畏まっていた出の表情の変化もおかしくてまたおかしかった。本人は気づいていないみたいだからこちらからは言わないでおいて気づくまで放っておく事にしようと集は思った。

出に地図を渡して、案内してもらった。

大抵が壊れているけど、目印を見つけていくと、                  ]。

そこには一軒だけ白い壁の小さな建物が残っていた。

集は出に案内してもらいながら白を連れて瓦礫の中を歩いた。遠くのネオンのように発光している非現実的なパレードを眺めキャッキャッと喜ぶ白は綺麗で出との軽口も楽しかった。

集は再度、ずっとここにいたいと思った。

始めにパレードが発生した地点でありプログラムが発生した地点だと思われる区画には目立たない地味な作りの装丁の喫茶店が、他の建物がなぎ倒されている中、唯一欠損の無いままの状態で残っている。緑と白の日除け用のテントのような看板には<喫茶ブランチ>という名前があった。

集はその店内に人影を見た。出が勘違いじゃないかと言ったので三人でその横顔を見て、おそらく橘本人で間違いないだろうと見当をつけると出は一人でずんずん向かっていった。

集は白の手を引いた。

そして誰が合図したわけでもなく自然と二人は店の手前まできたあと、集が扉を開けるのを待った。

集の足はドアノブをつかんだところで止まってしまって二人の視線が背中に刺さる。

集は、なんと形容すればいいものなのか非常に現実感がなかった。橘にあって何を話せばいいのだろうか。訊きたい事は山ほどある。聞いてほしい事も。好奇心は爆発しそうだ。どうやってパレードを生みだしたのかは一番に聞いてみたい質問だ。

しかし、もしも橘がこの現状の解決方法を知っていたら、そしてそれを出と白に教えてしまったらどうすればいいのだろうと集は思った。     

僕らがここに残る理由がなくなってしまう。出と白を引き止めておけなくなるのだ。この楽しい日常は続かない。それに出についた嘘が発覚してしまうかもしれない。それを集は恐れた。

そう、集はプログラムの結果から予想される被害範囲をまだ全世界だと偽ったまま、出に伝えていなかったのだ。発覚しなくても、橘がこの現状は変えられないと、そう宣言してしまえば出の精神状態がどうなるのかわからない。集と違って出はこの現状から脱出したいと思っている。脱出する事ができるこの空間というものを遊びとして楽しんでいる。だから集の嘘と共存できた。しかし、もし京都から出る事も出来なくなった上に現状打開策もなくなったと出が知ったらその状況でも彼は遊びとして楽しめるのだろうか。                                  

出は「生良崎と自分じゃあ根本的に違いすぎる」「生良崎は狂っていない」とそう言った。

しかし、それじゃ出は本当に狂っているのだろうか?パレードが蠢く閉じられた京都というこの世界観の中に永住したいと思ってくれるのだろうか。

出は「本当に何か、凄い惨事が起きてが建物が全て倒れて京都の街が壊滅すればいいとずっと思っていた」と言っていた。しかしそれは子供っぽいヒロイズムに酔ってるだけで自分を英雄にしたてるための舞台装置として壊れた街が必要だから惨事が起こる事とその黒幕を望んだだけ事じゃないのか。

集には出の真意が計り兼ねた。

でも結局、「何故、橘がこんな惨事を、しかも京都限定で引き起こしたのか」その真意とトリックを知りたいという好奇心、それに二人からの視線のプレッシャーが勝って集は<喫茶店ブランチ>のドアノブをねじりその扉を開いた。

ベルの音が鳴る。

木造で外観そのままのよくある地味な店内で、会計席には棒立ちのまま動かない白い肌のおじいさんが瞳孔を開いたままマネキン人形のように座っていた。そのおじいさんは肉ではなかった。

普通の人間が剥製になっていた。

集は後で橘さんに質問しようと目を輝かせ、出は気持ち悪すぎると思ってそのおじいさんを見つめた。途中で二人の視線が絡み、気不味くなって目を逸らした。

電車で言ったことは未だ後を引いており出も集も互いを信用しきれてはいなかった。もっともそれは互いが考えるのとは全く別の要因だったが。

入り口のすぐ近くの席に橘 無と思われる人間がチャイを啜っている。香りがした。猫舌なのか少しあつそうにカップを置いた後、ミルク注ぐと砂糖を二つカップに入れてからまた再挑戦し始めた。

そうしていると橘であろう人物は普通の三十代の男性にしか見えない。

まるでただの少しくたびれたどこにでもいる男性だ。

出は橘に向かって何を話せばいいのかわからなかった。

喫茶と描かれているいかにも

出はそこに橘がいるわけはないと思っていて、集に言われて店の窓を見た時も信てはいなかったからだ。あるとしても死骸だろうと思っていた。

もちろんここがパレードの発生地点である事は判っていたがここに橘がいる道理はないのだ。そもそも出は集にしたがってたまたま自分の推理と一致した場所、ここ七条通、喫茶ブランチが発生地点だろうと当たりをつけただけだ。

パレードから白達を守るためにも何処かには逃げなければならないが、世界中がそうであるならどこへ逃げたって同じである。どうせならば状況打開のための鍵があるかもしれない場所へ行こうと思った。調度その時都合の良かった集の意見にその場で賛同しただけなのだ。出はこの状況を打開できるという支えがあってどうにか精神を保っていた。橘の存在なんて支えのレベルで良かった、集との話もただの推理ごっこ程度に考えていたのだ。ずっと求めていた世界が出現したのだから楽しんでいいのになぜだかわからないが怖くて怖くて楽しむどころじゃなかった。 

「元の日常を返して欲しい。」ずっとそう思っていた。

しかし、非日常に生きていたいと言う虚言を否定してしまうと日常に戻った時、耐えられない。

非日常と、日常の世界をどちらも守るために、出は、白と集を守らなければと思い込んだ。時々恐ろしくも成るが、胸を張って英雄然としていればいいのだ。

集に楽しいと言ってみたりはしたが、橘が何も知らない場合について出は一抹の不安を覚えていた。

つまり、集の悪い予測はそのまま当たっていて出の中には狂気など潜んではいなかったのだ。

出と集に橘はやっと気づいたようで、周りにいない客を気にするように辺りを見回すと控えがちにこちらへと左手を振り昔からの旧友にするような懐かしそうな笑顔をむけた。

僕らは橘いる席へと重い足を運んだ。

「本当に来てくれるとは思っていなかったんだ」

無邪気に笑いながらそう喋る橘は、温度が飲むのに適さないほど高温のチャイと格闘していた。「君たちのぶんも入れてくるから待ってて」と橘は言うと、熱すぎるチャイから逃げ出すように喫茶店の奥の厨房の方に消えていった。

テーブルの上のカップの他のものは、ガラムの缶に、砂糖瓶、テーブルには市松模様のシートが10枚ほど重ねて置いてあった。それには理科の実験で使うような安物のワニ口のクリップコードがついていてもう一方の端は窓の隙間から外へと出されていた。白は口をきゅっと結んでそれを見つめている。何か思う事でもあるのだろうか。

やることがなくなって集はただひたすらにチャイの湯気を追い意識をどこかにやっていた。

「チャイじゃなくて石油のコーヒーとか、機器類入りケーキとかべさせられたらどうする?」

出が集のことを茶化すように言った。特に返答しないままでいると、出は機嫌よさげに執拗に喋りかけてくる。いい加減うるさいので止めさせようとおもってそちらを見るとその目は一見闘争心で滾っているようで                     

やはり宇佐見は普通の人間なのかもしれないと集は思った。 

真相を求めてここへ辿り着いた集達ににとって橘の喋る事は全て拍子抜けするような要領をえない話

で、とりとめのない内容だった。「ずっと誰かをここで待っていたんだ。それが誰だったのかは忘れてしまったが、その人が現れたらやらなければらないゲームが私にはあった。」

それだけの内容を告げると彼は頭を下げた。

 

僕達は黙ったまま向かいに座り橘の話を聞いていた。こんなときでも律儀にルールを守っている僕らは逆に異様だったかもしれない。しかし面前に座るこの男はガルムの甘ったるい

外からは窓越しに遠い地響きが聞こえた。

そうしていると橘であろう人物は普通の三十代の男性で、ここは普通の喧騒にまみれた都会の七条通

延々と喋る橘[たちばな]によって三人がわかったことは橘 無はここでずっと誰かをまっていた。それによって出来る事があるかもしれないし、ないかもしれないどちらにしろ君たちはここに来てくれたのだから僕の 相手をする義務があるので至極当然の権利として僕の言う何かへの協力が欲しい。だがしかし何かの内容がいまひとつ思い出せないのだ。そういうとりとめのない内容だった。

僕達は黙ったまま向かいに座り橘の話を聞いていた。こんなときでも律儀にルールを守っている僕らは逆に異様だったかもしれない。しかし面前に座るこの男

橘はふらりと立ち上がりどこかへ消えたかと思うと湯気の立ったコーヒーを二杯入れて戻ってきた。

「君にはこれをあげる」白の手にはコーヒーじゃなくて甘い角砂糖と限定のロリポップ・キャンディーが握らされた。

 

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