神の手の形

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梗 概

神の手の形

 

 なぜ世界はこうなのだろう?

 

 とメイは思った。

 

 伊馬駆馬(イバ カルマ)は一枚の小説をひろう。
 もっとも、小説とは思わない。
 そこにあるのは意味不明な、ランダムにキーボードを打ったとしか思えない、文字の羅列だった。

 

 一枚の小説

 

 何枚も同じような紙を拾う。意味はわからなかったが、興味を惹かれた。
 誰がなんのためにこんなものを書いて、ばらまいてるんだろう?
 カルマは《混沌文書》と名付けたそれを暗号と仮定し解こうとする。が、まったく読み解けない。
 ある日学校の屋上で昼飯を食べていると、空に舞う紙の群れを見つける。
 風上に目を遣ると教会の塔の先、大きなベルの傍らで最後の一枚を手放し、風にまかせて飛ばすシスターがいた。

 放課後、教会を訪ねたカルマをシスター・彼方メイはやさしく迎える。
 神秘的な美しさと柔らかな物腰に好感を覚えるカルマ。聞いてみる。
 なぜあんなことを?
 「神になるためです」
 正直、ドン引き。
 その後も《混沌文書》への興味から、何度も教会に足を運んだ。

 

 台風が近づく帰り道、雨宿りに教会に寄ったカルマは勢いで自分は無神論者だと告白する。
 「そうですか」さらりと流され、もの足りず、論戦を仕掛けるも軽くいなされる。窮したカルマは問う。
 では、神がいるのに、何故この世に不幸はあるんですか?
 絶対に答えられない。カルマは確信する。
 メイは言う。
 「そう、それこそが私のきっかけなのです」

 

 メイは高校生の頃、同じように《混沌文書》を手にした。教会を訪ね、神父と出会った。
 なぜあのようなものを書いているのですか?」神父は答えた。「神になるためだ」
 数ヶ月後、神父は失踪し、数日後に川で溺死体となって発見される。
 神父に淡い思いを抱いていたメイは絶望した。神について考えた。なぜ神はこのような残酷を見過ごすのか。救ってくださらないのか。
 考えに考えた末、メイはある考えに辿り着いた。

 神には「救い」という概念自体がないのではないか?

 全知全能、永久不滅、無限にして完全の存在者である神にとって「不都合」はありえない。死も、傷付くこともない神に「不利益」や「利益」を与えられるものなど存在しない。「優劣」もない。
 だとすれば神にとって「救うべきもの」など存在しない。すべての優劣や価値、さらに「解釈」からも自由である神にとって、この世界のあらゆる出来事は絶対的に意味を欠いている。

 神が無限に完全であるなら、世界の(神にとっての)偶然性は必然である

 ――神にとってこの世界は、解釈不可能な混沌のほんの一部なのでしょう……その小説のように
 カルマは手に持った一枚の《混沌文書》を見る。
 もしこのなかにひとつの世界が入ってたら……。
 思わず手放す。同時にメイは教会を飛び出し、大雨の中を駆ける。
 数日後、メイは川で溺死体となって発見される。

 

 数年後、大学院生となったカルマは《混沌文書》を手にとり、ふとした思い付きからすべての文書をデータ化、構造を解析する。
 浮かぶ奇妙な構造のパターン。そこからキーボード配列の構造を除くと……
 思った通り。メイの手の形をした構造が浮かび上がる。
 ランダムとはいえキーボードから打ち込んだなら、出力される文字のパターンは手の構造に依存する。カルマは泣きそうになりながら、か細い手の像を眺める……

  閃き

 大統一理論(GUT)の候補を集め、ひとつひとつ構造化する。
 この世界は神にとってランダム、なのに人類には「法則」が見える。あたかも《混沌文書》の中の手の形のように。だとすれば
 自然法則こそ偶然的な混沌の中に、神が無意識に持ち込んだ偶然の構造――

 神の手の形なのではないか

 いや、「キーボード」を抜く必要がある。このことに誰も気付いていない。
 カルマは「キーボードの構造」を抜いた新たなGUTを探り、そして見つける。
 《神の手の形》を。

 

 《神の手の形》をもとに、カルマは、神にとって意味のある現象の形を計算する。この世界が完全な混沌にしか見えない神にも認識可能な形でメッセージを送る。
 神の声が響く

 言え のぞみを

 「みんなをそこそこ救え」
 完全に救われてしまえば、神と同じく利益も不利益もなくなってしまうから。

 神父もすくわれるが いいか

 もちろんだ。カルマは答える。メイがどちらを選ぶかわからない。神父の顔も、性格も知らない。それでも
 絶対にメイさんのこと奪ってやるからな! 覚悟しろ神父!!!
 って、過去現在未来に亘るすべての生命にふりそそぐ救いの光を浴びながらカルマは心の中でマジで叫んだ。

 

 

 

文字数:1871

内容に関するアピール

 デカルトとメイヤスーが元ネタです。
 手に余るだろう、と思いました、が、えいやっ、と挑戦してみました。
 冒頭のメイの疑問「なぜ世界はこうなのだろう?」は

 なぜ(神がいるのに)世界には不幸があるのだろう?

 なぜ世界には自然法則や因果律がある(ように見える)のだろう?

 という二つの疑問を含みます。

 これに対して神の無限の完全性から「この世界を完全な混沌として認識する神」を導きました。
 (なおこの神の特異性は、課題文の「人間だけが「なぜ」を問うことができる」に対比しています。)
 そしてひとつめの疑問には「神はそもそも世界を認識していない」という答えを、
 ふたつめの疑問には「自然法則や因果律は、ランダムな入力の際にできる偏り(=神の手の形)によって偶然生じた(いつでも変わりうる)秩序」という答えを用意しました。
 このあたりの論理展開は実作でもうすこし詰めます。
 カルマは最後、関わりえない神と関わり、自分達の存在に意味を読みこませようとします。
 作中の理論にしたがえば神の完全性を無みするこの涜神の行為を、救いとして描くのが一つの狙いです。

文字数:471

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神の手の形

 

 どうして世界はこうなのだろう?

 
 メイは思った。

 

 

 

 

 いつからそこにあったかわからない。
 ナーツナツナツナツとしきりにわめく蝉の大合唱と直射日光を浴びて額にぷつりぷつり浮かんではすとーーーんと流れる汗。ぬけるような青空と入道雲。ワイシャツの胸のところをつまんでぱたぱたと風を起こしながら、アスファルトの上。交差点の隅。信号を見て。額を拭って。気がつくと。それはあった。
 十字路の中央――横断歩道に区切られた四角い空間の中心に、白いそれが立ってる。ん? 焦点を合わせる。けど、真っ白なそれは眩しくて距離がつかめない。ゆらりとおじぎしたような気がして不穏を感じた直後、黒いセダンの車体の下にひきずり込まれた。
 あっけにとられていると目の前を過ぎたセダンの黒い尻から、はそほぉん、空間のため息のような音とともに俺の足元に投げ出される。それ。
 紙だ。
 くしゃっと、あまり見たことない感じで折れた紙。黒く残るタイヤ痕。あ。
 なんか書いてある。

 

 ちょっと
 衝撃を受けた。
 なにしろ。ふいうち。
 A4のコピー用紙の片面をびっしり埋める文字文字文字。それはいいんだけど、まったく、意味がわからなかった。

 

 なにこれ
 気持ち悪っ。

 

 

 

 

 何枚もひろった。
 およそ二日に一枚くらいの頻度で、道路の隅や、街路樹の根元、排水溝の中、駅のベンチ、ゴミ捨て場でカラスがつついていたり、猫がくわえていたり。どれも書いてある内容は違ったけど、どれもやはり意味がわからなかった。
 屋上で弁当を食べながら、いままでひろった《混沌文書》をしげしげと眺める。《混沌文書》と名付けた。ま、自分でもどうかとは思うけど、それはそれとして、名付けないといろいろ不便だし、それにしては、この紙たちは名付けの手掛かりをあまりに欠いてる。ともかく、混沌で、文書であることは事実だと思う。うん。
 暗号
 とかかな?
 と思っていろいろ考える。たとえば、あいうえお順やアルファベット順に一文字ずつズラすとか、特定の文字だけマークしてみるとか、紙を折ってみるとか、縦読み、横読み、斜め読み。いろいろ試したけど、一向に意味らしきものは出てこない。
 本当に、意味なんて無いのかな?
 マジの混沌?
 なのかもしれない。
 うん。
 マジモンの電波さん気味なお方がなんの意味もなく――それか本人にしか知りえないなんらかのルールに従って――書いたものなのかも。だとすれば解読しようとする試みは、ムダか。

 でもなー

 なーんか
 あると思うんだけど。
 根拠はないけど。
 蝉がゼミゼミ鳴いて飛行機が空をひゅごーーーーっと過ぎる昼休み。楽しそうな声にグラウンドを見下ろすとドッジボールをやってる男子生徒たち。元気だ。ドッジボールなんてまるで小学生だと思われるかもしれないけど、リバイバってる。いま、あえて(小学生っぽい)ドッジボールなんだ、という、屈折した、しかし朗らかな高校生らしい理屈がそこにはある。ま、要するに、やることがないから。
 俺も同じ。やることがない。だから
 《混沌文書》を見る。
 たとえ本当は意味が無くても。そこに意味を見出そうとせずにはいられない。
 やることがないから。
 pとかgとかとかとか、輪っかになってる部分を目の中で塗りつぶしてみて、もう何度目だかわからない「やっぱ違う」を体験する。
 そのとき。
 目の端にちらりと映った。
 鳥かな。と思った。
 鳥の群れかな。と。
 鳥の群れじゃなかった。
 紙の群れだった。
 紙がカモメの群れのように編隊を組んで青空を飛んでいた。
 きれいだ。
 それから
 《混沌文書》
 たぶん。
 根拠はないけど。きっとそう。
 ああやって空を飛んで、そのうちバラバラになって、交差点の中央や、道路の隅や、街路樹の根元、排水溝の中、駅のベンチ、ゴミ捨て場でカラスにつつかれたり、猫にくわえられたりするんだ。きっと。
 追う?
 いや。それより。
 風上に目を遣る。発生源だ。重要なのは。
 一体どこの誰があんなもの書いて、空に飛ばしてる?
 視線を巡らす。紙が飛んできた方向。
 人がいた。
 教会があった。この街の風景にあまり溶け込んでいない、異物としての、青い屋根の白い教会。メインの大きめの建物と、その傍らのそれより高い塔。塔の上のほうは空洞になってて、大きなベルが空間をふっさりと占めてる。その上に、とがった青い屋根。ベルの傍らに人がいて、紙がある。紙をつまんでいたシスターは、ぱっと最後の一枚を手放し、紙は群れのあとを追うように風にまかせて飛んでいった。
 きめた。
 行こう。

 

 

 

 

 放課後。教会を訪ねてみる。
 「こ……こんちはー……」
 来たはいいけど、若干の後悔が胸をちくりと刺す。俺は神とか、そういうものをまったく信じてない。そういう俺がこういうところに足を踏み入れるのは、なんとなくうしろ暗いような気がする。なにに対してうしろ暗いのかはわからない。
 返答はない。誰もいないのかもしれない。
 どうなんだろ。こういうとこって、勝手に入っていいものなのか? いまいち勝手がわからない。公共的な空間なのか、観光地的なとこなのか、寺とか神社とは違うのか? と浮かぶ疑問に答えてあげられる奴がいない。俺はもちろん、ムリ。
 とりあえず入ってみる。怒られたらそんときはそんときだろ、って、似合いもしない投げやりな気持ちが首をもたげる。はて。なんか変なテンションだ。このちょっとした非日常感にアテられてるんだろうか。やっすいなあ。いいけど。
 中にはいってみる。だれもいない。もっと中にはいってみる。だれもいない。なんというか、よく見るアレだ。左右にベンチが何列もならんでて、向こう側に説教台、その上に十字架があって、ステンドグラス。きれいだ。と思う。神は信じてない。でも。こういう静謐な空間は、好き。なんとなく。うん。
 「どなた」
 ドキッとしてふりかえるとあの人がいた。
 シスターだ。
 ドキッとした。
 なにって、遠目に見て想像していたよりずっときれいだった。美しかった。質素な修道服からぬっと出た顔だけが異様に生々しく、瑞々しく……針でつついたらバシュッ!と破裂して肌色と血色のまだらな液体がぶちまけられるんじゃないかってくらい、水風船のように肌が透き通ってる。ほそい眉。モスグリーンの瞳。髪は完全にしまわれていて何色なのかわからない。いや、むしろ、最初から無いような気がする。髪なんて、生命的なもの、いまいちピンとこない、そんな無機質な聖性。いや。眉やまつ毛は、ある。うん。それから。血色のいいくちびる。とがった顎と鼻。ん。鼻毛が出てる。
 「鼻毛でてますよ」
 「えっ」サッと鼻を隠す細い手。ぱっと真っ赤に染まる。「あ、えと」あとずさり、きょろきょろと鼻を覆った手とこちらとを交互に見る。逡巡してる。この場を放棄すべきか、否か。一度手を下げて、すぐに戻し、手の中でくぐもった声。「すこし、失礼します」とおじぎする。
 「はい」待つ。
 うん。
 ミスったかも。
 戻ってきた彼女のきれいな瞳はうるんでいた。恥ずかしいとかじゃなく。おそらく。抜いた。咄嗟のこと。毛抜きがあったか、それとも、素手か。素手か。とにかく。つまんで。一気に。ふんぬっ!!!やった。うん。痛いよな。あれ。涙出るよな。あれ。
  「それで、なんのご用でしょうか」
 ……怒ってる? 気のせいかな。
 「あの」そこでようやく、訪問の理由がちょっと希薄すぎることに思い当たる。「えー、と」こんどは俺が困る番、というわけ。ともあれ、出すしかない。「これ、拾ったんですけど」鞄の中から《混沌文書》を一枚とり出す。
 「ああ」シスターはくすりと笑う。「ご親切にどうもありがとうございます」といって《混沌文書》を受け取ろうとする。
 「いや」《混沌文書》を離さない。返しに来たわけじゃない。「聞きにきたんです」「なんでこんなもの、書いて、ばら撒いてるんですか?」
 シスターはにこりと笑う。
 「神になるためです」

 正直。
 ドン引き。

 

 

 

 

 それから幾度となく、理由を見つけては、あるいは理由を見つけずに、教会に立ち寄って、メイさんの話を聞いた。
 メイさん。彼方メイさん。それが彼女の名前。ハーフらしい。見た目通り。日本人の父親と、イタリア人の母親。生まれも育ちも日本。高校を卒業してからここのシスターになったらしい。通っていた高校は俺と同じ。采配高校。つまり、先輩だ。
 こんな個人的な情報ばかり収集して、俺はメイさんのストーカーかなにか? ってそりゃ思うけど、仕方ない。本当に知りたい《混沌文書》については「神になるため」以上の情報は得られないんだから。聞いてもなんとなくはぐらかされるし、そもそも、適切な質問がわからない。なにを聞けばいい?
 わからない。
 うん。
 あと。
 「神になるため」って、いくらなんでも不穏過ぎないか。と思う。そんなこと、シスターが言っていいものなの? よくわからない、けど、まずいと思う。いやだってどう考えても。うん。この教会自体がそうなのか? カトリックとか、プロテスタントとか、よく知らんけど、そういう主流から逸れた、いわゆる、異端? それともメイさんがヤバイだけ? この教会でメイさん以外の人に会ったこと、ない。祈りに来る人も、ほかのシスターや神父も見かけない。いないのか? と聞いてみたら「いますよ」らしい。それが本当なのかすらわからない。資金源とか、どうなってるんだろ? とか、気になるけど、一介の高校生に調べられるものではないし、そこまで興味があるかと言えば。うん。そんな感じ。
 そんな感じで日々は過ぎ、教会に顔を出すたびに「はい」と新しい《混沌文書》を手渡される。くれと言ったわけでも、メイさんが読んでほしいと言ったわけでもない。とにかく。渡される。受け取る。だれもなにも得しない。損もしない。ただ、ひとまず読んでみる。意味わからん。俺の部屋の机の引き出しの《混沌文書》が一枚増える。それだけ。
 そこに意味はない。でも。気がつくとそこに意味を見出そうとする。している。自分がいる。俺がいる。
 やることがないから。

 

 

 

 

 今日は屋上出られないな。
 って国語の授業中。窓の外の大雨を見ながら思う。
 ただいま台風接近中。
 今日の夕方から夜にかけて、この地域を横断するらしい。休みになりゃよかったのに。
 ま。気の早いやつで休んでるやつはいるし。それで責められることもない。違いがあるとすれば、親が許すかどうか。くらいか。
 はぁ~あ
 って思う。
 べつに中身はなくて、ただ
 はぁ~あ
 って思う。

 

 「あら」
 十字架に向かって静かに祈っていたメイさんが振り向いて、やさしく微笑む。
 「今日は台風ですよ」
 知ってる。「来ないほうがよかったですか?」
 「いいえ」もういちど、やさしく微笑む。「でも早めに帰った方がいいですね」と言いながら、いつものように紅茶を準備しに行ってくれる。ついていく。
 事務室でメイさんと、テーブルをはさんで紅茶を飲む。風が窓をバンバン叩く。うるさい。空気を読みなさい。
 しだいに雨は烈しさを増す。
 「そういえば」
 わやん。と。なんのきっかけか。古い記憶。唐突に思い出す。
 「メイさんは、死体って、見たことあります?」
 「ええ。ありますよ」
 あ。そっか。言わずもがなだ。教会だから。葬式? とかする、のかな? うん。
 「ぼくは一度だけ、見たことがあります」言いながら、吐き気のかすかな予兆がこみあげてくる。「ずいぶん前です。小学生の頃」くびのつけ根がふるえる。「今日みたいな台風の日の」でも、止まらない。「2、3日あとだったと思います」吐き気がだんだん強くなる。「近くに川があるじゃないですか。あそこの橋から川を見たときに、おおきな魚が見えて」止められない。「鯉かと思って」それこそ「岸辺に降りてみて」川の氾濫のように。「見ると」吐きそう。「人の腕でした」青白い。「青白い」肌で「根元を辿っていくと」黒い「服の」男性の「神」父の
 強く
 肩を掴まれていた。気がつくと。
 メイさんの視線がほとんど物質的とさえ言える具体性をもって俺の目をえぐるように突き刺すように覗きこむ。モスグリーンの瞳に白い光と黒い影が差す。
 かぐわしい。匂い。
 「大丈夫ですか?」問う。メイさん。
 「……あ……ああ、すいませんでした」
 「いえ」と言って、もういちどテーブルの向こうがわに座る。
 それからしばらく、どちらも、声を発さなかった。
  なぜ。
 いまになって。
 思い出した。
 ずっと忘れてた。
 のに。
 たぶん、台風と、それから――
 教会。
 いそいで紅茶を飲む。
 まだ吐き気が残ってる。口の中。喉の奥に。ごろりと。胡桃のような吐き気が。
 そう。
 思い出した。
 あのときからだ。
 心配そうにこちらをうかがうメイさんに聞いてみる。「メイさんは、信じてますか」
 「え?」
 「神を」
 「ええ。もちろん」
 そりゃそうだ。メイさんはシスターで、メイさんなんだから。だから。メイさんを見る。
 どうするべきだろう。
 「ぼくは」言う? 言わない? うん。
 言ってしまおう。「信じてないんです」
 「そうですか」
 そうですか
 そうですか。
 案外あっさり。そうですか。いや、そんなものなのかも。べつに信仰者だからといって、必ずしもほかの人にも同じように信じてほしいと思うとは限らない。俺が信じようと信じまいと、そんなことはどうでもいいこと。
 でも。

 なーんか

 それってイラっとするっていうか。もたげる。欲望。といってもいいようなもの。俺は信じてない。神を。消極的にではなく。積極的に。理由のないことじゃない。理由はある。状況は排他的だ。どちらかが間違ってる。そこをとっちらかしておいたのはどっちらけるのを避けるため。それか、同情? 「ああ、かわいそうに、この人は信じてるんだな」って? いくらなんでも傲慢だけど。まぁ。そうなのかもしれない。すでに思ってしまったことは変えられない。もしそれが適切じゃないなら。
 うん。
 やってみよう。

 

 

 

 

 「「信じる」って言葉のなかにはすでに疑いが混入してると思うんです」
 「疑いをもちえないものに対しては「知る」という言葉を使うはず、だと」
 「そうです」頷く。「疑う余地があって、それでもなお信じるからこそ「信じる」ということになる。そこで操作されているのは知識ではなく、むしろ気持ちや態度です」
 「そうですね」
 茫然。
 そうですね?
 メイさんを見る。
 いつもの微笑みをすこしも崩さない。
 完全。相手にされてない。
 いま、自分が愚かなことをしてると俺はわかってる。つもり。だけど。
 だけど本当にそうなんだろうか?
 「正直いうと」もう結局愚かだろうが馬鹿だろうがすべて正直に言ってしまうのがいちばんなんだと思う。「ぼくは無神論者で、無神論もひとつの宗教だと思っています」
 「そうですか」
 「ええ、そうなんです」だんだん腹が立ってきた。「なぜなら「神はいない」ということを考えるとき、ぼく自身の心が癒されるからです。すべての無神論がそうとは言いませんが、その意味でまさにぼくは「神はいない」と「信じて」る。だとすれば……」
 「おっしゃりたいこと、わかりますよ。その「神はいない」という裏返しの信仰も尊重されるべきだ。そうおっしゃりたいのですね? それはわたしも同感です」
 それはわたしも同感です。
 また。
 すべて肯定し、受け流す。
 それがメイさんのスタイルなんだな。
 改めよう。腹を立てる必要はなかった。
 相手にされてないわけじゃなく。むしろ相手にされてたからこそ。
 それに、倫理的な壁はひとまずクリアした。
 俺のいまやってることは「ひどい」。すくなくともふつうの価値観に照らせば。信仰者にみだりに「神はいない」なんて言うべきじゃない。本当に? 無神論もまたひとつの宗教で信仰なら、その信仰を傷付ける言説をほとんどの宗教は不可避にもってる。なぜ無神論だけが一方的に気を遣うのか? この歪な不均衡はむしろ、無神論の無意識的な優越感に支えられてるのでは? 上から目線の「保護」なのでは?
 そういう変形した見下しみたいなものを俺はメイさんに向けたくない
 ってのはただの言い訳。なのかも。でもま。いいや。
 「ぼくの考えでは、無神論というものがでてくるのは理由のないことではありません」
 「そうですね。すくなくともそう考えたくなる理由が無ければ、無神論自体が生まれえない」
 「それが特定の宗教による抑圧への抵抗なのか、ただの嗜虐心か、説明にシンプルさを求める趣味か、それともべつのなにかなのかはわかりません。ともかく理由がある」場合によって様々だろう。「メイさんの考えでは、その理由や無神論自体もまた神が望んで生んだものなんですか?」
 「わたしの考えでは」
 とメイさんが言う。そう。もちろんメイさんは信仰者の代表でもなんでもない。どころか。そこはかとなく異端の香り漂うヤバイ人。彼女を言い負かしたところでそれはなにも意味しない。なのになぜやるか。俺の興味はすでに宗教ではなく、メイさん自身にあるから。メイさんのことが知りたい。天使のようにやさしく美しいメイさん。《混沌文書》を書くメイさん。いまだに一致しない二通りのメイさんの接合を図りたい。それに。こと信仰に対して非破壊検査なんてありえない。
 「いいえ。神の望んだことではありません」信仰に対する試練、といった答えを想定していたけど、はずれた。
 「では、神にとって想定外の事態も起こりうると。全知全能が揺らぐんじゃないですか?」
 「いいえ。そうではありません」メイさんが微笑む。「逆です。全知であることの必然的な帰結として「望む」ということがそもそもありえません。すでに完全に知り尽くしている対象に対して、それ以上「望む」余地などありませんから」
 「……なるほど」納得だ。「無神論が出てくるとすでに知ってる以上、いまさらそれを望むもクソもない、と」クソとか言っちゃった。「……でもそれはそれで現状を追認してることになるんじゃないですか? 全知と矛盾するかもしれませんが、全能ならすでに知った内容を変えることもできそうですよね。それをしないということは……」
 「まさにその矛盾が問題です。全知と全能は一致しなければならない。それはすなわち、能うべきすべての物事について知悉していなければならない、ということです。知るということは能うということ。能うということは知るということ。でなければなりません」
 知=能
 人差し指を立てる。「まさにknowですね」
 くすす、メイさんが笑う。「そうですね」通じたようだ。
 「人間の枠組みで神を捉えようとするとき、矛盾が発生します」メイさんは続ける。「人間は「物自体」を見ることはできません。いま見えているものと実際にあるものが一致しない。ここから可能と実現の別が生まれます。可能な選択肢の中からひとつ選んで実現する、というモデル。この人間の条件を神に押し付けるところから、全知全能についての矛盾が生まれる」
 黙って聞く。
 「神は全知であり、人間とは違い「物自体」を直接に認識します。しかも全時空間を一挙に」紅茶をひとくち。「幼児から考えるとわかりやすいはずです。さいしょ、見えるものとあるものの別はない。自分の中の現象、つまり認識がすべてです。しかし認識は時間とともに移り変わる。いないないばあのように。在と不在がいったりきたりするなかで、「隠れる」という概念が育つ。見えないけどある――「隠れる」を時間方向に拡張したとき、可能と実現の別が生まれます。しかし神の場合、最初からすべてが見えており、見えるものは一切変化しない。見えるものとあるものが完全に一致し、時間も消去されている。ここでまず見えること=知ることです。そのような空間で知ることが能うことと一致するためには、可能であることがそのまま実現である必要があります。つまり、可能なすべては実現している。可能と実現の一致です。こうして全知と全能が一致します」
 無理だ。
 これは。
 メイさんはきっとこれまでの人生をかけてこのことを倦むことなく考え続け、神についての強固なモデルをすでに構築してきた。メイさんの人生だけじゃない。ほかの人の考えも取り入れながら構築していった。きっと。
 それを。俺程度の瞬間的な思い付きでくつがえせるはずがない。
 考えてみれば当たり前のこと。
 対抗できない。
 だけど。
 本当に?
 裏を返せば、メイさんの全人生をかけてさえ、これまでの全人類の歴史をかけてさえ解決できなかった問題があるからこそ、これまで考えられ続けたんじゃないか?
 だからこそメイさんはいまも《混沌文書》を書き続けてるんじゃないか?
 祈り続けてるんじゃないか?
 この。問題の。圧倒的な。解けなさ。それをうまく流用すれば。自分の能力ではなく。アウトソースすれば。
 対抗できるかもしれない。
 「じゃあ」
 問題の本質はなんだ?
 解けなさの源泉は?
 それは、
 きっと、
 俺の始源でもある。
 「なんで」
 あの日。台風の日のつぎの日か。つぎのつぎの日。
 「この世には」
 あの人は。あの神父は。
 「不幸があるのですか?」
 死ななければならなかったんですか? あんなふうに、死ななければならなかったんですか?
 それが。
 俺の理由。
 神なんていないと考えるほうがよっぽど癒される。その理由。
 絶対に。
 答えられない。
 この問いに対する答えは
 だれも用意できない。
 絶対に。
 「可能と実現が一致するから。可能な不幸はすべて実現しうる。そうなんでしょう。でも」でも。「じゃあ」じゃあ。「可能と実現を一致させなければいいじゃないですか。そうすれば。不幸は」あの人は「なくて済むのに」死なずに済むのに。
 思い出す。
 ずっと忘れてた。
 ああ、
 俺、
 あの人に遊んでもらってた
 ああ、
 いまにも泣きそうな顔で、
 メイさんは、
 「きっと、同じなんです、あなたとわたしのきっかけは」
 と、
 いった。

 

 

 

 

 「高校生の頃。わたしも拾いました。あなたが《混沌文書》と呼んでいる。その一枚の小説を。そう。小説なんです。そう言っていました。あの人。神父。安、神父。名前は聞きませんでした。どうでもいいですね。あはは。まぁ……はい。あの。初恋。でした。遅い。ですよね。あはは。でも。そうだったんです。なんでなのかはわかりません。いつもやさしい、だけど悲しそうな顔をしている人でした。なんて。あのときはわたし、聖職者ではありませんでしたし、ふつうの高校生でしたから。ほんとはただのミーハーごころです。評判だったんです。友達の間で。あの神父さんかっこいいよね。って。だからあの紙を――《混沌文書》を飛ばしてるあの人を見たとき。チャンスだ。って思ったんです。不純ですね。うふふ。もちろん聞きましたよ。「どうしてあのようなものを飛ばしていたんですか?」って。神父は「神になるためだ」って。そう。受け売りなんです。だからそれ以上の答え方もわからないんです。結局あの人は神になったのか。それともなれなかったのか。わかりません。そう。きっと。カルマくんが見た。その人です。10年前。台風の日です。あの人はいつもの何倍も悲しそうな顔をして。わたしの頭を撫でました。すまない。と。不安になって尋ねると。「神になりに行く」と。真に受けてはいませんでした。そのときまで。わたしは信仰をもっていませんでしたし。それでいいと思っていました。神父の信仰とわたしは無関係で。触れないようにすればいいんだと。ずっと。……それで。それで。あの人は出ていきました。雨のなか。ひとりで。わたしは傘をもってついていこうとしましたが。ついてこなくていいと。神父が去ってしばらくして、家にかえりました。そしてその三日後。あの川で、死んだ人がいると噂を聞いて。なんとなくいやな予感がして。ひとだかりの隙間から、ちらっと、袖を見ました。あの人がいつも着ていた。あの黒い袖を。それから。ずっと。ずっとずっと考えました。どうして。どうして神はあの人をあのような目に遭わせたのか。不思議ですよね。あの日から、わたしは信じるようになったのです。神を。へんですよね。でも。そうなのです。わたしの信仰はつねに不信ととなり合わせでした。なぜ神は世の残酷を見過ごすのか。救ってくださらないのか。それは試練なのか。でも……。ずっと考えて。わたしはある考えに辿り着きました」

 

 

 

 

 神は

 メイさんは微笑みながら口をひらく。

 ――神は全知全能であり。それゆえ、わたしたちの存在に気付いていないのです。

 そう
 言った。
 「どういう」「意味ですか?」
 わからない。
 あたまがあまり回ってないような気もする。
 「神は全知全能であり、永久不滅であり、無限にして完全の存在者です。それゆえ、神には「変化」がまずありえません。たとえばある状態の神を神Aとし、神Bという別の状態への変化を考えてみればすぐにわかります。神Aと神Bという二つの異なる状態が双方とも完全であるために、二つの状態の間に優劣はありえません。どちらかがどちらかより欠けてもいけない。すなわち神Aと神Bは完全に一致していなければならず、前提と矛盾します。したがって神に変化はありえない。それは無時間的と呼んでもよいでしょうし、永遠と呼んでもよいでしょう。あらゆる時間を含む永遠それ自体は時間によって変化しませんから。神は永遠に、無限に完全であるために、なんぴとも、なにものも、どのような出来事でさえ、神を補うことも、奪うこともできません。神はわれわれ人間が考えるような感情をもちえません。感情とは変化ですから。どのような不幸も、どのような幸福も、神を悲しませることも、嬉しがらせることもできません。つまり神にとって「救うべきもの」も「罰すべきもの」も、存在しえないのです。神は解釈をしません。解釈とは自己との関係性――とりわけ利害――をもとにのみ構築しうる、本質的に根拠のないものでしかありえないからです。神にあらたな知識をくわえることは不可能であり、意味もまた同様です。神にとってあらゆるものは絶対的に意味を欠いており、ために、世界の神にとっての偶然性は必然なのです」
 ほとんど
 わからない。
 ただひとつ、
 「つまり……」
 見る。
 テーブルのうえの《混沌文書》。
 「そうです」
 メイさんは肯定する。メイさんは微笑まない。
 表情を欠いたまま。「神にとって世界はその小説のように、意味を欠いた偶然でしかありえません」言い放つ。
 「じゃあ」「神になる」「っていうのは」
 「あらゆるものを意味の欠いた混沌としてみること」
 「《混沌文書》の執筆は、その訓練ということ」「ですか」
 メイさんは肯定も否定もしない。答えを持たないのではない。そもそも答えるためには問いそのものに意味を認めなければならない。
 メイさんの視線はなににも注がれない。すべてを一挙に見るとは。すべてを対象化しないということ。なにも見ないということ。
 メイさんは見る。見ずに見る。俺を。テーブルを。メイさんを。空気を。光を。雨音を。混沌文書を。すべてを。
 もっている。いつのまにか。混沌文書。俺の手のなかに。くしゃり。この。混沌。神にとっての。世界。とすれば。俺にとってのこの混沌のなかにも。この文書のなかにも。ひとつの世界があるのかもしれない。気付かないだけで。
 混沌が宙を舞う。はなしていた。いつのまにか。手を。ゆらゆらと。扉が閉まる音がする。
 雨音がまた途絶える。
 いない
 メイさんはいない。
 めちゃあ
 開いた口に唾液が粘つく。
 外だ。
 台風の日。神父。
 吐き気が歯ぐきにカッターの刃をグサグサと刺す。
 ころぶ。太ももを椅子にしたたかに打って。立ちあがる。走る。外だ。外へ。雨のなかへ。雨の外へ。
 降っている。雨。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。狂ったような。風。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。目の前の道路をライトが横切る。車。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。道。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。走る。俺。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。メイさん。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。彼女。しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。
 それでも
 たとえ彼女にとってそれが意味を欠いていたとしても。
 俺は
 諦めない。絶対に。
 意味を見出そうとするのを絶対にやめない。
 しかし彼女にとってそれは意味を欠いている。
 雨がやんでも。また降っても。見つからない。
 意味を欠いた彼女を欠いた俺は夜通し彼女を探し。橋を何度も往復し。川べりを歩き続け。見つからない。
 まるで最初からないものを探し、歩くためだけに歩いてるように。
 なにも見つからない。
 そして目を覚まし。見つける。病室で。テレビで。テロップで。
 彼女の名前を。

 

 彼方メイ(27) 死亡

 

 しかし彼女にとってそれは意味を欠いている

 

 

 

 

 「うぉっ」
 道山が素っ頓狂な声をあげる。
 「うわー、ひく……」
 は?
 「なんだ」
 「せんぱ~い」
 「あ~さ~く~ら~」
 「や。そういうのいいです」
 死ね。
 俺の渾身のギャグに対してそういうこと言う奴全員死ね。
 「で。なに」
 「これなんすか……」
 道山が呆れ顔で――道山にそういう顔を許可した人類はこれまでにいない――荷物をまとめた段ボールの塔をかいくぐって、差し出す。上蓋をとった箱。
 なかには数十枚。紙が入ってる。
 「ああ」
 これか。
 そうだ。そうだった。
 このアパートに越してくるとき。大学入学直前の俺はこれを捨て切れず。実家に置いとくこともできず。もってきていた。
 混沌文書
 だっけ?
 ああ。思い出したな。
 いやなこと。
 「捨てます?」
 黙る。
 「……いや」「そのへん置いといて」
 「先輩って電波さんだったんすね」
 「黙ってやれ」
 「はーい」
 引越しの準備を続ける。
 そのあいだじゅうずっと。なるべく見ないようにして。しかし考え続ける。
 あのひ死んだあのひと。
 メイさんのことを。

 

 

 

 

 作業が終わり。業者のトラックに段ボールをすべて積んで。道山に礼を言って。道山がかえったあと。
 からっぽの部屋に寝転ぶ。
 あの日のあの会話のもうろうとした記憶を辿りながら考えて、いまになってようやくわかったことがある。
 メイさんのこと。彼女の思想。
 いや。具体的になにというよりは。イメージがしやすくなった。
 それにある程度客観的に考えられるようにもなったんだろう。
 ともかく。
 たぶん。あの人の神の捉え方はまず。汎神論だった。と予想がつく。
 変化をしない永遠であり、すべてを含んでいる。それはすなわち全時空間を含む宇宙全体だ。彼女――メイさんは、それを「神」と呼んでいた。
 いや。それでは足りない。彼女はたしか。なんだっけ。実現と可能が一致するとか。うん。つまり。
 たとえば俺のこのアゴヒゲが――とあごを撫でてざりざりという感触を味わう――何ミリあるか。という可能性はひとつの数直線で表現できる。マイナスはないから。0から∞ミリまで。
 その数直線のうち一点だけ。正解がある。と考えるとき。数直線が可能性の範囲で、正解の一点が実現だ。
 基本的に可能性が張る空間のうち、一点が実現と一致する。通常の世界観では。
 可能と実現が一致するとは。すべての可能性が実現しているか。あるいはなにも実現していないか。両者は同値だ。ある可能性を別の可能性と区別する特権化の作用が実現だから。
 つまりメイさんにとっての汎神論的な神はこの宇宙だけでなく。この宇宙以外のありとあらゆる可能性の全空間を一挙に占めてる。
 すべての不幸が実現し、あるいは実現せず。すべての幸福が実現し、あるいは実現しない。可能性の全空間すべて。まさしく混沌。それが神だとすれば。なるほど意味なんて持ちようがない。
 だいたい不幸だの幸福だのもすべて人間の勝手な解釈だ。
 メイさんの神には関係ない。
 きっと。
 メイさんメイさんってさ。
 ああ。気付きたくなかったけど。
 同い年だわ。
 27だもんな。あのひと。死んだの。

 

 

 

 

 起きあがる。
 段ボールにつめなかったノートPCを開いて。モニタの明かりがまぶしっ。と思って。ああ。っと電気を点け。スマホでテザリングして大学のサーバにssh。
 topでだれもバッチとか流してないことを確認。
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ぱしゃあっ
 ……と混沌文書を撮って取り込んでサーバに送る。
 あたまぼりぼりいじりながら。ひとつずつ。AIに学習させていく。
 思いついたことがあった。
  メイさん。
 あのひとたぶんランダムにそれほど拘ってなかったろうし。
 乱数を使ってたとも思えない。いや、そもそも。完全にランダムな乱数なんてそうそう生成できない。
 見たことはない。あのひとがどうやって混沌文書を書いていたか。
 でもきっと。
 お。
 読み終わったか。
 んー。そしたら。
 まず学習の成果を見せてくれたまえ。混沌文書の生成だ。
 サンプルが充分な量に達したら。構造を分析。
 ふむふむ?
 わからんな。これは。
 ぜんたいにごちゃごちゃしてる。
 あ。そっか。
 と手元。ノートPCのキーボードを見る。
 枠組みを外さないといけない。

 

 

 

 

 混沌文書を一文字ごとに分解。それぞれの頻度、近さなどから関係性を割り出し。キーボードの構造を除算。
 そのうえで空間的に再構成。
 もういちど電気を消す。
 部屋の中央に置いたスマホ。
 その画面の上部。
 像を結ぶ。
 立体映像。
 ああ、
 やっぱり。

 
 そこにある。
 青白い。解像度の粗い。だけどわかる。細い。
 手。
 メイさんの
 手だ。

 彼女はたぶん、手で打った。混沌文書を。ひたすら適当に。意味を与えず。意味を欠いたまま。
 でも。意味を込めなくても。欠いていても。出力される文は依存する。キーボードの配置の構造や。彼女の手の構造に。
 ランダムであるからこそ。かえって依存する構造は際立つ。ほかの構造の入る余地が無い。
 いわば、手動モンテカルロシミュレーション、とでもいえばいいか。
 ま。いいや。そんなことは。
 彼女の手は青白く光りながら。すらりと。天井に向かって指をさしだしながら回転している。
 無意味だ。
 こんなことに、意味はない。
 でも。
 それでも。
 ああ
 俺って
 泣くんだな。なあ。こんなとき。
 よかった。
 よかったよ。
 まだ俺は見出してる。
 また俺は見出してる。
 本当はない意味を。必死に。
 ほかにやることがないから?
 ちがう
 それをやりたいからだ。

 

 

 

 

 メイさん。
 メイさんは神になったのかな。
 この世界を含むあらゆる可能性の全体が神なのだとすれば、死んで世界のなかに居場所をなくしたメイさんはたしかに神に――つまり全体に――なったと言えるのかもしれない。わからない。
 そもそもこの世界の外の可能性のなかには、当然メイさんが未だ死んでいない可能性の世界も含まれる。つまりメイさんは未だ死んでいない? や。でも。そのメイさんとあのメイさんは違うか。うん。
 でも。
 たとえメイさんが神になったとしても。そのことは無限に完全な神になにも付け加えないし。なにも減じない。もちろん。百も承知だろう。でも俺は。
 神になんてならずにそばにいてほしかったよ。
 いまふり返ってみれば。まったくあほくさい話だけど。俺はメイさんに確実に惚れてた。なんのかんのと理由をつけつつ教会に通ってたのも。ただメイさんに会いたかったからだ。
 だからそばにいてほしかった。
 勝手かもしれないけど。
 でもま。あらゆる可能性が平等にあるなら。たとえ「この俺」にとってのこの世界でメイさんが生きていようと。メイさんが死ぬ可能性の世界は絶対にどこかにあるし。俺が死ぬ可能性の世界だってあるだろう。
 神は無限に完全だから。あらゆる可能性の世界がそのなかにある。
 すべてが起きて。すべてが起きない。
 たしかに。ほんとうに。無意味だ。
 俺がなにを起こそうと、それが起こらなかった世界は必ず存在し。俺がなにを防ごうと、それが起きた世界は必ず存在する。
 俺のあらゆる行動は。この世界は変えうるかもしれないが。この世界を含む可能性の全体にはなにも付け加えないし。なにも減じない。
 はぁ。
 死んでも死なず。死ななくても死ぬ。
 わかってなかったな。
 可能と実現が一致する。そのことの意味。
 いま。俺が研究してる広い意味での物理にしても。物理法則にしても。それ自体に根拠はない。明日突然変わっても。文句は言いようがない。
 そのことはわかってたつもりだった。はいはい。って。そーですね。でも俺はこれが好きだからやるんです。って。
 でも。物理法則とはつまり。混沌の切り取りかただ。この世界の外にあらゆる可能性――異なる物理法則の成り立つ可能性――の世界が無数にある。という表現はまだ人間本位で。ほんとうは世界と世界の間に境界線などない。
 ただ。物理法則という切りかたで混沌から一部を切り出すと。その内部には特定の秩序が成り立つ――てのはトートロジーだな。ある秩序で切り取ったから秩序立って見えるだけだ。
 切り取るまえの混沌にとって。物理法則など無意味だ。
 ほんとうに。
 あの日の俺の疑問はどうしようもなく無意味だった。
 じゃあなんでこの世には不幸があるのですか?
 馬鹿げてる。
 あらゆる不幸は。あらゆる幸福は。必ずあらゆる可能性のなかに含まれるから。必ず生起する。
 だから。どのような不幸も。どのような幸福も。あるのは必然だ。
 でもさ。
 でも。
 いやじゃん。
 誰かが傷付いたり。悲しんだり。落ち込んだり。死んだり。
 そういうのもう。見たくないよ。
 起きてほしくないよ。
 俺が言ってるのは。わがままか? 駄々をこねてるだけか?
 でも俺は。どうしても意味を見出してしまうし。誰かに傷付いたりして欲しくない。
 なあ。
 神父。
 あんたもそうだったんじゃない?
 知らんけど。
 とにかく。俺は。いやだ。
 あらゆる不幸が必然だなんて。認められない。クソだ。んなもん。ボケ。
 神が無限に完全だから不幸が必然なら。

 俺は神を殺す。

 

 

 

 

 必要なのは切断だ。
 全体というメタレベルをオブジェクトレベルに叩き落とす。
 汎神論的なあの神は人間のように人格をもっていない。でも。
 たった一瞬でも完全性を奪えば。まず「変化」が解禁される。そこには固有の時間が流れ。変化は利害を。利害は関係性を。関係性は解釈を。解釈は意味を。意味は感情を生み出す。
 たった一瞬。神に感情を与えれば。神の神たる神性は崩壊する。かわりに全知全能の残骸をもってすべてを一瞬にして察し。ありとあらゆるなによりも。倫理化されるだろう。もう完全には戻れない。

 さて
 神の完全性は世界の偶然性と一致してる。
 「この世界」がほかのありとあらゆる可能性からなんら特権化されずとっぷりと浸かって境界がないからこそ。可能と実現が一致し。神は完全でいられる。
 この世界の物理法則が偶然であるからこそ。
 つまり。
 この世界の物理法則をたとえ一瞬であれ必然化してしまえば。神殺しは完遂する。
 できるか?
 わからない。
 なら
 考えろ。
 この数週間で大統一理論――GUTの候補を集めた。これらのうちひとつが必然的である可能性は? ない。すべてたとえ正しくても偶然的だ。
 なら。除算すればどうか。GUTから? なにを?
 GUTを。
 うん。
 うんうん。
 いいかもしれない。
 GUTからGUTを引く。のこるのは? 無だ。完全なる無。普通に考えれば。
 だけど残るんじゃないか? ゆらぎが。つまり。たしかにこの世界や。この世界を切り取る物理法則は偶然的だ。でもじゃあ。この世界の存在自体は?
 存在という言葉が問題になるか? いま考えているのは実現と可能が一致する空間。「存在」を不在から切り分けた存在と考えるならたしかに問題があるが。細かいことはいい。
 ともかく。
 世界は
 可能性の全体は
 神は
 なんである?
 とにもかくにもある。この事実性だけは。たんなる偶然性とは違う。
 うん。この事実性を対象化しよう。うん。GUTの構造からGUTの構造を引いた残滓。ここにようやく神がしっぽを出す。ありとあらゆる可能性に溶け込んで捉えようがない――オブジェクトに落とせない――神の事実性。
 形のない神の。

 

 神の手の形

 

 ――なぜないのではなくあるのか?

 よし。
 算段は整った。
 メイさん。
 いまからあなたを殺します。
 あなたの思想を。あなたの信仰を。あなたの望みを殺します。
 神になったあなたを殺します。
 神の事実性からこの世界にひも付け。完全な神のあらゆる可能性を「この世界」と「この世界以外」に分断します。
 分断した二つの神――神Aと神Bは互いに不完全性を失い。倫理化され。人間化されます。
 そして。ありとあらゆるなによりも倫理化された神は。互いに可能性の一部を破棄したのち、ふたたび合わさります。
 破棄される可能性はなにか?
 とうぜん。不幸です。不幸の可能性をそぎ落とされた「この世界」と「この世界以外」があわさり。あらたにはじまる。
 だから。あなたや神父の死は。なかったことになります。
 勝手なことを。
 と思うかもしれません。
 余計なことを。
 と思うかもしれません。
 神になりたくて神になったのに神じゃなくされたって。
 怨むかもしれません。

 

 でも。

 

 言っとくけど あんた鼻毛でてたから!

 はじめて会ったとき 鼻毛でて それ抜いて涙目になってたから!

 あのこと俺は絶対忘れてやんないから!

 

 鼻毛が出てることに意味見出してそれをそのままにして見られるのが耐えられないから素手で抜いて涙目になる正真正銘の人間だって知ってるから神のままでなんていさせないしわかってるよ!人間だから神父に恋したし生き返ったあんたがまた神父に惚れるかもしれないってわかってるけどおい絶対見てろよ神父!メイさんのこと絶対奪ってやるから覚悟しろ!バアアアアアアアアアアカ!!!

 

 しゃあ!!!

 

 ぶっ殺す!!!!!

 

 

 

 

 

 

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