真心眼シャッフル

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梗 概

真心眼シャッフル

その日から他殺は自殺になった。

朝起きたらなーんか身体に違和感があるなー昨日フルダイヴ型MMOFPS《ピースメイカー》やりすぎたせいかなってあれ部屋も全然違うんだけどえ?ってとりあえず洗面所を探して行ったら鏡に映る髭面の男。俺は驚く。なんだ? これは? 昨日までぴちぴちJK近藤一(こんどう はじめ)だったはずの俺は、ってあれ、ナチュラルに「俺」とか言って、しかも「ぴちぴちJK」って語彙がおっさん過ぎるだろ。なんて。

同じようなことが3年間かけて運の悪い数百人の身に降りかかった頃、人々は気付き始める。「どうやら意識のシャッフルが起こっているぞ」と。
俺が2度目の「シャッフル」を体験するのは3年後。わしは老人ホームで寝たきりのじいさんに、さらに2年後にわたしは小学3年生の女の子になり、そして1年半後にOLになった頃には、法整備その他もろもろ整い始めて、人々も次第にこの「シャッフル」に順応してきていた。

シャッフルは人類に様々なものをもたらした。その一つは「やさしさ」。「共感」と言ってもいい。
例えばいじめの現場を目撃したとしよう。シャッフル以前なら見過ごしていたかもしれない、しかしいまなら確実に助けに入る。なぜならそのいじめの被害者の身体の中に、いつ自分が入れられるかわかったもんじゃないからだ。シャッフルは時空を超えて意識を入れ替える(「シャッフル以前」の意識と交換されることはない)。ひとりの人間の生を何人もの人格が体験し、そのなかに自分自身も入る可能性がある以上、他者にはやさしくしておかないと、あとで後悔することになる。といってそもそも、いまの時代にいじめなんてやる馬鹿はいない。

恋愛や性に関しても大きな変化があった。思考の傾向や性自認、性志向は転移後の身体に(脳に)依存する。従って異性へのシャッフル時に自分の身体に興奮することはまずない。しかし人々は多くの性差別の解消や、男性や女性やLGBTとしての体験を通して次第に――個人差はあるものの――パンセクシャル(全性愛者)かアセクシュアル(無性愛者)へと傾いていく。

何人もの身体を意識が渡り歩き、そのたびに思考の傾向まで変わる以上、個人の一貫性を保証するものは記憶しかない。そして人々は次第に、いくらシャッフルしてもログインIDとパスワードさえ覚えていれば以前と変わりなくログインできるSNS上のアバターこそが自分の「本体」であるかのように振舞い始める。

意識が時空を超えてシャッフルされ、ときには過去の人物の行動を変えてしまうことがあるからには、タイムパラドックスが発生する。当初は多世界解釈や可能世界説の証拠だとする向きもあったが、シャッフルによる脳構造の変化を伴わない記憶の変化は、どのようにも説明できない。科学の発展はシャッフルに阻害されながらも微速前進し、あるとき優秀な頭脳を持つ物理学者にシャッフル・インした私は、人々の間で囁かれる噂――シャッフル以前に起きたとされる事件神隠しに興味を抱くようになる。
人々の記憶の聞き取り調査を繰り返すうち、人々がシャッフル一つぶん前にいた「時代」が12~15ほどの集団をゆるやかに形成していることに気付く。これは「時代」の異なる12個ほどの世界が同時進行し、各世界間で意識が交換されているとすれば説明がつく。
そこまで考えが及んだ瞬間、私の脳にある考えが閃く。そして次の瞬間、わたしは近藤一の身体へと戻ってきた。ひとつまえの「脳」がなにを思い付いたのか、思い出せない。
わたしは考えに考えに考えてふと、フルダイヴ型MMO《ピースメイカー》のインタフェースが目に入る。まえの「脳」が考えた説って、要するに12~15個のサーバがあるMMOで、アカウントがシャッフルされるみたいな話だよね?と。

「ねぇ、GMさん」とゲームマスター(GM)に呼びかけてみると、
「なにかな?」と答えが返ってくる。

わたしは真相を知る。
《ピースメイカー》のメーカーに所属するGMたちは、プレイヤーの一部の《ピースメイカー》からのログアウトを偽装して、《リアルワールド》という現実世界を忠実に再現した別のMMOへと移動させた。同時に現実世界の身体をジャックし、誘拐する。そして異なるサーバのプレイヤー間の記憶データを交換する「シャッフル」を繰り返した。
この《神隠し》に現実世界は騒然となった。しばらくして、GMたちの組織ピースメイカーの正体は暴かれる。しかしそのときには既に外堀は埋め終わっていた。《リアルワールド》でシャッフル後の世界を体験した知識人や要人のうち協力関係を築けそうな人物をピックアップし、ロビー活動を一斉に開始させていた。
わたしは決断を迫られる。《リアルワールド》に戻ってGMたちを告発するか、それとも現実世界へ戻って被害を訴えるか。
わたしは決断する。現実世界に戻り、そしてシャッフル社会の実現に向けて宣伝と正当化に協力することを。
GMはわたしを現実世界へ戻すと言ってくれた。現実世界のわたしは何歳になってるだろう? もしかしたらもうしわくちゃのおばあさんかもしれない。でも、それでも、いい、この世界に戻ってこれるなら。と思う。
目を開けて、ベッドの正面に用意された鏡に映っていたのは、中年男性。見覚えのある人。日本の総理大臣の……。
え?え?え?と混乱する私に、タバコを咥えた白衣の男が近付いて来る。男は言う。
「言っただろ? 記憶を操れるって。ジャスト5分だ。いい夢見れたかよ? 近藤一首相?」
5年後、私の政治人生で最大の功績となるであろう「シャッフル法案」が可決される。記憶の融通についての法整備――シャッフル社会への布石だ。
その夜、私は私を5分だけ誘拐し、その間に数十年を体験させた男と盃を交わす。
「やっぱりJKになりてぇな」と言うと男は笑った。「俺もだ」

文字数:2377

内容に関するアピール

この物語を思い付くきっかけになった文章を以下に引用します。(内容からいって孫引きに近いですが。)


「マルクス主義の影響を受けた道徳哲学者のジョン・ロールズが、面白い頭の体操を提案している。ちょっと、未来社会のすべてのルールをつくる委員会のメンバーになったと想像してごらん」
「はい、そういう委員会に出席していると想像したわ」
「委員会はなにからなにまで考えるんだ。そして委員会が合意して、ルールにサインしたとたん、きみたちは死ぬ」
「わあ、ひどい話!」
「でもすぐに、きみたちがつくったルールで動いている社会に生まれ変わる。でもその社会のどこに生まれるか、つまりどんな社会的立場に立つかわからないというのが、この頭の体操のミソなんだ」
「なるほど」
「そういうのが公平な社会だろう。だれもが平等なあつかいを約束されているのだから」
「女性も男性もね」
「もちろんさ。なぜならロールズの頭の体操では、だれも男に生まれるか女に生まれるかわからないのだからね。確率が五分五分なら、社会は男性にも女性にも魅力的なようにつくられるだろう」
「いいなあ、そういうの」

『ソフィーの世界(下)』p.159より


この話はわたしにとってとても衝撃的でした。なるほど、と。
現代になっても未だ(いっそう?)残る差別や格差の実質的な存在理由は、社会的な立場の固定にあるのだと思います。逆に過剰に流動させてやれば、非差別・格差解消が有力な戦略になるのだとも。もちろんそれが作中の「シャッフル」です。
あるいは、他者の体験の輸入として「シャッフル」を捉えたとき、それは「読書」のメタファーとして読むことも可能でしょう。一方でしかし、実際の読書は人々に差別を捨てさせるには至らない。いじめを題材にした漫画や小説におおいに感動しながらいじめに加担することすら可能でしょう。
この物語とよく似たモチーフの作品をいくつか思い付く方がいるかもしれません。わたしの頭にも簡単に2作ほど挙がります。しかしそれらの作品も社会や人々の意識を大きくは変えないとわたしは考えます。
本作も同じかもしれません、しかし、わたしはSFのある性質に可能性を感じています。SFは人間の変容を扱い、しかも「変な個人」でも「変な集団」でもなく「変な世界」を描けるということです。
他者の苦痛を当事者視点で追体験させるタイプの創作は大きな感動を生みはするものの「あれはわるいいじめ」「これはいいいじめ」というような逃げ道を簡単に許します。しかし世界全体を想像力に巻き込めるSFは、むしろ冷徹に差別や暴力の無根拠さ、成立要件を指し示すことができる。
「シャッフル」のある社会における人間の変容、というシミュレーションを通して、人間の変容可能性、言い換えれば「どのくらいやさしくなれるか?(あるいは失敗するか?)」を考えてみたいと思います。
あ、あと個人的に、シャッフルによる一人称や語り口の変化を書くのが楽しみです!

文字数:1206

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真心眼シャッフル 

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 FUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUCK!!!!

ズダダダダダダダダダダン!ズドン!ズダダン!ズダン!ドン!バン!ドン!っしゃあ死ね!死んどけ!ひゃはは!あたしの前に立つ奴ぁ全員死ね!お陀仏!きゃははっ!ぅおっぶねっ!スナイパァ芋ってんじゃねーよ敵も味方もぉ!おっナイスッ!オッケーいいよいいよー、制圧制圧ぅ~♪ みんなわたしについて来うわわあっ!びびったあ!急に出てくんなボケ!死ね!ざまぁ!ひゃはっ!ッケー、ゴーゴーゴーゴー!おっけ、いいよいいよ~、お兄さんかっこいいよぉ?あぁん?ぶっ殺すぞコラ!ってぎゃあ死んだ!クレイモアコラッ!くそぉ、ってリス位置ここかい!まぁいいけど!ええんかい!おっしナイス!了解!いま行く、いま行くよ来るよ、ってりゃあっ!わお!さっきの神?神じゃないあたし?むしろ死神?wwwズドン!ひゅ~!スドドドドドバオバオバオバオ!ギババババオウン!えーなに?アうん、オッケ来て来て、ここは死守するから、しとくからぁ!ズドン!くふっ、あっは!あたし最強ォ!ズダオン!バリバリバリバイバイバイ!バオバオバオ!ズダダダダダダダダン!来るなよ来るなよ~ズダダン!ズダン!あともうちょい!3、2、1、勝っ――――

 

 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ

 

 はえ?ぴぴぴぴぴぴぴえ、あ、なに?ぴぴぴぴぴあさ? 朝かぴぴぴぴうるっぴぴぴうるさっ!ぴぴぴぴもうっどこ?ぴぴぴぴぴあった目覚ましぴぴタンッ!
 ……はあ、
 つかなんで目覚まし時計?スマホのアラームは?ってスマホないんだけど、俺の、ん?というかさっきのって夢?どっち?昨日ピースメーカーやってたっけ?やった。勝ったっけ?わかんない。てかPCないんだけど、俺の、え?なにこれ、部屋も全然違うってなに?これ、ここどこ?こわ、え、なにこれ。
 誘拐?
 え、うそ、しゃれになんない、ここどこ? マジに怖いんだけど。
 なんだこの事態。急に。怖。
 昨日深夜まで《ピースメーカー》でドンパチやってたことは覚えてる。そのあと寝たことも。というかその時点で誘拐に繋がらなくないか? まさか家に忍びこんで寝てる間に? JKを? なんだそれ、余計難しいだろ。
 とにかく状況を把握しないと。この部屋出た方がいいかな? 誰かに出くわすのは怖いけど、出ないとなにもわからない。よし出よう。
 「おじゃましてまーす」と控えめに声を出しながらドアを開ける。だれもいない。死んだように静かな廊下。広くない。多分一軒家じゃないな。マンションかなにか。あ、洗面所。とにかく顔洗お、頭痛いし気持ち悪い。
 「ぅわっ!
 思わずでっかい声出して数歩下がる。誰かいた。誰? 男だった。最悪。いやな想像が脳内を駆け巡る。逃げ出したい。怖い。けど、しばらく待っても男は出てこない、洗面所から。本当に死んだような静寂。ありえるのか? こんな、息を殺しても出せないような静かさ……。
 ごくり、と唾を飲んで、もう一度洗面所を覗くと、なんのことはない、それはただの鏡だった。あは、あはは、馬鹿だな、鏡とか、犬猫かなんかか俺は。

 は?

 え、いや、え? ちょ、
 誰だこいつ。
 おいおいおいおい、なんで鏡に映るのがこんなおっさんなの? ぴちぴちJKじゃなくて? フルダイヴ型MMOFPS《ピースメイカー》にドハマリするちょっと変わった女子高生の近藤一じゃなくて? こんどうはじめ17さいじゃなくて?
 顔を触る。鏡の中の男も顔を触る。驚きに目を見開きながら。「誰だこいつ?」って顔で。いやお前が誰だよ! なにこの事態。異常過ぎる。俺は……ってさっきから「俺は」ってなに? ぴちぴちJKとか語彙がおっさん臭いし。なになに、なんなの? どゆこと?
 「マジなんなんだよコレ」
 と問い掛けても誰も答えない。
 死んだような静寂は死んで、どこの誰かもわからない男の心臓音だけが耳元近くでドクッ、ドクッ、と鼓動する。

 状況は把握した。
 いや、把握したなんてとても言えないししたくもないけど、わかったことがいくつか。
 まずわたし、昨日まで17歳の女子高生だった近藤一は、いま、おっさんになってる。財布から抜き出した免許証と名刺によると、大貫連二、35歳、独身、SE――近藤一だった頃のわたしなら「SEってなに?」と思っただろうけど、いまはシステムエンジニアのことだとわかる。たぶん大貫連二の記憶が俺の中にあるからだと思う。ほっとくと一人称が「俺」になるのもそのせい。たぶん。
 マジなんなんだコレ? 「マジなんなのコレ?」じゃなくて「マジなんなんだコレ?」
 いっこうにわけわからんけど、とにかく問題が一つ。問題なんて無限にあるけどひときわ輝く問題が一つ。
 じゃあ大貫連二の精神のほうはどこに行ってんの?
 俺はいま大貫連二の住むマンションの大貫連二の部屋にいて、大貫連二の買った冷蔵庫から卵とベーコンを出してフライパンでじゅうじゅう焼いてパンに乗せて食べてる。大貫連二のリアルな生活がここにある。これは現実で、テレビをつければ昨日のニュースの続きとか、知ってる芸能人のスキャンダルとかが流れる。それを見る限り大貫連二の住む世界と近藤一の住む世界には繋がりがある。おおざっぱに言って、わたしは神奈川に住んでたけど、いま俺は千葉に住んでる。
 いままで大貫連二としての生活を延々と繰り返してきた大貫連二に近藤一の心が突然飛び込んできたとしたら、じゃあ元あった大貫連二の心はどこにいって、心がからっぽになった近藤一の身体はどうなってんの?
 いちばん簡単な解答は、いちばん気持ち悪い。
 大貫連二の心はいま近藤一の身体に入って、おっさんから女子高生への転身を知りウキウキしてるのだ。近藤一だった頃のわたしでも「きもっ」って言うだろうけど、大貫連二の思考回路を手に入れたいまとなってはもっと気持ち悪い想像や欲望を具体的にイメージできる。ほんとマジでやめてって思いながらも勃つのがマジで最低の気分。
 俺は俺の記憶を探ってノートPCの場所を思い出し、俺の記憶からパスワードを入力する。起動。ブラウザを開いてアバター型SNS《AVA》のわたしのアカウント「はじめ」にログインする。すると自分で書いた覚えのないつぶやきがいくつも並ぶ。
 『え、なにこれ、怖いんだけど』
 『なになに、なんなの?』
 『あ、や、なんでもない。心配かけてごめんね』
 『レンジ』
 ビンゴ。あっちゃあ~ビンゴっすわコレ。あっち側も可能性に気付いてこっちに信号を送ってきてる。
 一旦ログアウトして、大貫連二のアカウント「レンチン」で入り直す。うわっ、アバターアニメキャラじゃん、きもっ。って自分で思いながら自分で傷付く。いまの自分がどっちの自分なのかわからない。とにかく、と気を取り直して近藤一のアカウントに直でリプライしようと思ってやめる。フォローされてる。「はじめ」に。フォローを返して、ダイレクトメッセージのウインドウを開く。

『大貫連二?』
と聞く。

 『いまは近藤一だけど』

 カッとなって
『近藤一はわたしだから』
と打ち込む。

 『どっちでもいいけど』

 どっちでもよくないわ!
『なんか変なこととかしてないでしょーね』
努力して近藤一だった頃の口調を思い出して書き込む。
だけどすでにわからなくなってきてる。
「でしょーね」とか言ったっけ?

 『変なこと?』

 とぼけやがって!
『勝手に裸とか見てないでしょうね!』
『って言ってんの!』

 『きも』

 『お前だよ』

 『いやお前だから』
 『なんつーか、わたしもうそーゆんじゃないんだよね』
 『そーゆーキモいことは考えないっていうか』
 『自分の裸見ても興奮しないし』

 『見たの?』

 『そりゃ見るでしょ、着替える時に』
 『なんとも思わないけど』

 なんでこいつ、こんな冷静なんだ? と思う、けど、
もしかして俺より起きるのが早くて、
すでに何時間も「わたし」として過ごしたんだろうか。
そして状況を把握したと。

 ともかくその後もいろいろ聞きだしてみたけど、おっさんが突然女子高生の身体に入ったからって興奮してないことは確かなようだ。もちろんこいつがほんとうのことを言ってる保証なんてどこにもないけど、なにより、この汚い欲望がいま俺に押し付けられてることに説得力がある。いまや大貫連二の欲望は100%俺のもので、あっちには欠片も行ってないのだ。感覚でわかる。それはそうと腹立つのは、あっちがそれほど戻りたがってないことだ。
 いくら女子高生になれるからって、普通はこうはならないだろう。これまでの人生をかけて積み重ねてきたものが一瞬にして他人にまるごと奪われたわけで、そういう積み重ねがほとんど無い――せいぜい《ピースメイカー》全国大会準優勝くらいの――女子高生にされたのでは釣り合いが取れない、というのが普通だと思う。だけど悲しいかな、大貫連二はどうやらそれほど有意義な人生の過ごし方はしていなかった。貯金も50万程度。そのくらいの額で女子高生から強くてニューゲームできるならしめたもの、と俺が考えるのも――あ、いや、すでにあっちは近藤一の思考回路になってるんだ――でも、どちらにしろ「わたし」が「50万で35歳のおっさんになるとか最悪だなー」と思うだろうってことくらい、俺がいちばん よくわかってる。
 とにかく早く戻る方法を探さないと。

 

 とにかく早く戻る方法を探さないと。
 と思い続けるうちに2年の月日が過ぎた。その間、前の会社は居辛くなったので辞めて、転職活動して、いまの会社に入って、そうこうするうちに俺はすっかり大貫連二になってしまった。
 月日は暴力だ。むかしむかし女子高生だったことが、夢だったんじゃないかと思えてくる。そしてこんな述懐を、近藤一なら一生しなかっただろう。

 

『なー、もうつらいぜー、はじるーん』

 『はじるんとか言うな、きもい』

『きもいとか言うなよー』『きもいと思うその思考回路は俺のもんなんだぞ』

 『いまはわたしのもんだし』

『もう仕事辞めたいんだけど』

 『どうぞお好きに』

『いいの?』『お前無職になるんだよ?』

 『無職になるのはレンチンだけどね』

『戻る気ゼロかよ……』『もーなんか、はじるんがアメリカ行って《ピースメイカー》でバンバン稼いで俺養ってくれよ』

 『やだ』

『なんで』

 『おっさん養うとか吐き気がする』『37でもイケメンだったら考えないでもないけど』『レンチン中の下だし』

『お前それ自分で言ってて傷付かないの?』

 『ぜんぜん?』

なんで俺がお前の代わりに傷付かなきゃいけねーんだよ。

 

 はぁ~あ、なんかもう戻るの無理なんじゃないかって思えてきた。
 思えて来たっつーか、
 無理だろ。
 実際。

 

 

<shuffle>

 

 

 目が覚めてああ、今日も仕事か……って起き上ろうとした部屋は妙に白くて、どんだけ頑張っても起き上れんかった。
 は?
 なんやこれ。
 ぜんっぜん動かん。身体、動かん。ついに身体が限界か。もう。無理ないな。あかん。関節部分の骨にまっすぐ鉄棒入れられたみたいに、筋肉に力入れてもひろひろっとしか動かん。おいおいおいおい。「なんやねんこれ」
 なんやねんこれ?
 つかここどこ? ん? まえにもなかった? こんなん。ちゅうか、病院やんここ。病室? 担ぎ込まれた? もう働かんでええん? ええん? なんでさっきから関西弁? ちゅうか、え? まさか

 またか

 またなんか

 またどっかの誰かの身体に、なんや、入ったんか? 誰に? 鏡、鏡、ってそも起き上れへん。くそっ、思うた拍子に力入れた左手がなんか押す。なんかのボタン?を。
 しばらくするとばたばたっと足音とともにショートヘアの綺麗な女の子が顔を出す。「完三さんもう起きられたんですね、早いですね、どうされました?」と大きい声で言う。
 「…………こ……こほっ……」あかん。言えへん。ちょっと迷って、ここどこ? って訊ねようとしたけど声でえへん。「ん?」と女の子は笑顔でおれの口元に耳を近付ける。「……しょんべん」口を衝いて出た言葉に膀胱が痛いほどパンパンに膨らんでることを知る。
 「あ、おしっこですね。わかりました」と女の子は――思い出した、桜ちゃんや――ベッドの下から尿瓶を取り出しておれのちんちんにあてがう。
 あー、きもちえ。
 これまでの人生でいちばん気持ちええ放尿に思わず「ありがとう」と言うと、桜ちゃんは「えっ?」と驚いた顔をして、それから泣きそうな笑顔で「いいえ、どういたしまして!」って言う。ん? まぁええか。

 はぁ、しっかし、マジか
 つぎは寝たきり老人かい
 もうほんま、どないなっとんねん

 「最近完三さん、雰囲気変わりましたね」「なにかありました?」とよう言われる。
 なんかあったかって? そらあったよ。雰囲気変わったって? ちゃう、中身が変わったんや。
 おれは元女子高生で、ちょっと前まではSEで、ほんでいまは寝たきり老人なんや、ちゅうても誰も信じひんことはわかっとるし、おれ自身そのことを考えようとすると頭の中がもちゃもちゃしてようわからんなる。ほんまに。
 せやからあんま考えんようにしてるけど、暇な寝たきり生活をずっと続けてると、そら日に四、五回くらいは考えるわな。ほんでその度に考える力がのうなっとることがわかって、いやになる。
 はあ。
 せやけど、おれにとってはともかく、周りの人にとってはおれが「変わった」ことはよかったみたいや。周りのだれでも、おれが変わったんはほんまは「雰囲気」だけちゃうことをわかっとる。いちばん変わったんは、介護士の女の子にセクハラせんようになったことや。
 軽いセクハラから、排尿介護のたびに「いやらしい目でみてたやろ!」ちゅうほんま気ぃ重くなるようなんまで、いろいろやっとった記憶がこの脳にアホほど残っとる。裏では「セクハラじじい」呼ばれとったことも。せやけどほんまは、セクハラするときおれは勃ってへんかったんや。この身体にも脳にも、性欲は無い。とうに枯れとる。おれがむかし女子高生やったこととは関係なく、おれがこの身体に入る前から。記憶を探れば探るほど、そのことがようわかる。
 ほんまは、構って欲しかったんや。
 あんま知りたなかったなあ。アホやで。こいつ、ちゅうかおれは、構ってほしいてわざとセクハラやってたんやな。ほんまアホや。アホで済んだらええけど、単純に迷惑やし最低や。まぁそれも他人事やからそう思えるだけなんかもしれんけど、ともかく、そら良うないのは明らかやからやめた。セクハラ。セクハラやめたら介護士の人もよう話しかけてくれるようになったんは、皮肉やけど当たり前やなあ。
 身体はぜんぜん思うように動かんし、痛いし、苦しいし、けど、桜ちゃんや信子ちゃんや徹也くんはやさしいしてくれるし、まぁそれなりに幸せやわ。誰かにやさしいしたら、相手もやさしい返してくれるってこと、ここにおったらようわかる。そのことを知ること自体がひとつのおっきい幸せなんやってことも。せやけどおれ、このまま死ぬんやろか?
 それはいややな、
 またどっか他人の身体に飛ばへんかな、と
 夜になるとよう考える。

 

 

<shuffle>

 

 

 そしたら視界が突然パッと光ってうわっと思ったら小学生になってた。起きてる間に「シャッフル」したのははじめてだったからかなり驚いた。
そう、シャッフル。突然誰かの身体に精神が飛ばされるこの現象には名前が付いてる。どうもシャッフルを繰り返してたのはわたしだけじゃなかったみたいで、ほかの被害者たち(?)も近藤一と大貫連二のようにネット上で連絡を取り合い、そのうち、ひと組が自分達がシャッフルしていることを明かすと、俺も私もと、全国から声が上がって、最初は懐疑的に見られていたけど、いまではすっかり世間に受け入れられて、シャッフルを前提とした法整備も進んでるみたい。
 といってももちろん、そんなすぐに話が進んだわけじゃない。近藤一が大貫連二になってからの3年間と、小林完三になってからの2年間でそこまで話が進んだりはしない。じゃあなんでかっていうと、シャッフルは精神を空間だけじゃなくて時間のうえでも飛ばすのだ。いま、わたしは、はじめてのシャッフルから体感時間の5年後じゃなくて、12年後の世界にいる。
 『岩井四葉。四葉と書いて「よつば」。小学3年生。元JKで元SEで元NJ(寝たきりじいさん)。』
 ――と、AVAの「レンチン」アカウントのプロフィール欄に打ち込む。シャッフルが前提になったいまの社会ではこれで通じる。
 小林完三だった頃には身近にネット環境がなかったからすっかりご無沙汰になってたこのアカウントに、書けなかった期間の思い出とかを書きこんでると、見覚えのあるアカウントが話しかけてきた。

 はじるん   :おっす、久しぶり

 近藤一だ。まえは「はじめ」だったけど、「はじるん」に改名したようだ。

 レンチン   :久しぶり
 はじるん   :小学生になったんだね
 レンチン   :うん
 レンチン   :はじるんはいまも近藤一?

 と聞いてみる。というか「はじるん」って、わたしが大貫連二だった頃に呼んでた呼び名じゃん。ほんとは俺のこと好きだったんじゃないの? と大貫連二だった頃の気持ちでちょっと微笑む。

 はじるん   :いや、いまは橘誠。将棋棋士だよ
 レンチン   :橘誠って、あの?
 はじるん   :あの
 レンチン   :また凄いとこ行ったなー

 橘誠と言えば将棋のルールもよくわかってないわたしでも知ってるトップ棋士中のトップ棋士だ。竜王、王座、棋聖の3タイトルを保持し、「羽生の再来」と呼ばれた名棋士。なんで知ってるかって言うと、近藤一も大貫連二も岩井四葉も将棋には疎かったけど、小林完三は寝たきりになる前は将棋フリークだった。だからデータは古く、いまどうなってるかはよく知らない。

 はじめ    :小学生もなかなかすごいとこだと思うけどね
 レンチン   :寝たきりから小学生だから落差はでかい
 はじめ    :まぁそうだろうね

 ん? いつのまにかアカウント名が「はじめ」に戻ってる。
 ……。
 これは……。

 レンチン   :あれ? さっき「はじるん」じゃなかった?
 はじめ    :まぁ気分でね
 レンチン   :ふぅん……
 はじめ    :なんすか
 レンチン   :はじるんってさ、もしかして
 はじめ    :なに
 レンチン   :俺のこと好きだったんじゃないの?
 はじめ    :は? 馬鹿じゃないの
 はじめ    :そもそもいま俺は橘誠だから
 はじめ    :男だから
 はじめ    :アウトでしょ
 レンチン   :まるで男じゃなかったら……
 レンチン   :みたいな物言いだなあ
 レンチン   :それにそれ言ったら、いまわたしは女子だよ?
 はじめ    :いや小学生って、別の意味でアウトでしょ……
 はじめ    :とにかく、ないから
 レンチン   :ふぅん……

 あやしいなあ、と思いながら、そう思う自分に驚く。自己肯定感の著しく低い大貫連二だった頃には出てこなかった発想だ。小学3年生の、早熟な、恋愛とかに興味津々なお年頃の脳というのもあるだろうけど、近藤一、というかはじるんがわたしのことを好きだった可能性があるなんて、思いもしなかった。
 それにしても、恋愛か。
 はじるんとの会話が終わってから、ランドセルに教科書や筆箱をつめこみはじめる。この身体にシャッフルインしてきてから3週間が経った。シャッフルド――シャッフルを体験した者――は2週間~3週間ほど、環境に慣れたり新しい生活への準備を整えるために学校や会社を休んでもいいとするのがいまの社会の通例だけど、明日、わたしはひさしぶりに――この身体という意味でも、この精神という意味でも久しぶりに――小学校に登校する。
 さて、四葉の問題を解決しなければ。

 

 「そーゆーダサいこと、やめたほうがいいよ」
 安藤くんと峯岸くんがふり返る。
 それまで斎藤くんをいじめてというかいじって有頂天にいやらしく笑ってた彼らの顔は、いまは鬱陶しさと、それから微妙な恐れに歪んでる。
 「は、は? うるせえな、関係無いだろ」
 「そうなの?」
 「黙ってろよ、大人」
 「いや、いまは小学生だけど」
 もちろん、クラスのみんなはわたしがシャッフルドで、3週間前までは大人だったことを知ってる。かつて大人だった子供をほかの生徒と一緒に学校に通わせるべきかどうかはいまも熱い議論の的だけど、更衣室やトイレを分けるなどの例外を除き、基本的には一緒に学校生活を送るべき、ということになってる。ほとんど可能性は無いだろうけど、元の子が再度シャッフルインして戻ってきた場合を考えての対応だ。
 「それ以上やったら、先生に言うからね」と戸惑ういじめっ子たちにくぎを刺す。
 この3週間、わたしは準備をしてきた。シャッフルインしてくる前の四葉の悩みを解決するために。四葉はずっと、斎藤くんがいじめとは言わないまでも悪意をもってイジられる引き金を引いてしまったと自分を責めていた。いま客観的に考えてみると自分を責める必要はない気はするけど、とにかく、元大人として、いじめに発展しそうなこの事態を黙って見過ごすわけにはいかない。
 安藤くんと峯岸くんはぶつぶつ言いながら引き下がる。斎藤くんは、悔しいような、強がるような微妙な表情で「……ありがとう」とちいさく言って立ち去った。流石に好きな子に助けられるのは恥ずかしいのだろう。それも、すこし前にフラれた相手ともなれば。
 2ヶ月ほど前、斎藤くんは四葉に告白した。全校生徒の前で。
 生徒会書記に立候補し、見事当選した斎藤くんは気持ちが高ぶったのか、当選を受けてのあいさつの場で「岩井四葉さん、好きです!」と顔を真っ赤にして叫んだ。
 いま、思い返せば微笑ましい場面だけど、集中する周囲の視線に耐えきれなくなって、四葉は駆け出した。生徒たちのあいだを縫って駆け抜け、体育館を飛び出して、校舎裏ですんすん泣いてるところを体育の吉本先生に発見され、保健室で養護教諭の古川先生にやさしく慰められながら、その日は結局クラスに戻らずに下校した。それから斎藤くんとは目を合わせるのも気まずくなって、そうこうするうちに斎藤くんは名前が「勇」だったのもあって「勇者」とからかい半分に呼ばれるようになり、それが次第に悪質なイジりへと変わっていった。
 7年前の小林完三にシャッフルインし、その後漫画家の山川楓にシャッフルインした四葉とはすでに連絡が取れてる。体感年齢で14歳のわりにかなり大人びていたけど、ずっとこの事件のことは気に病んでいたようだった。わたしは四葉に約束した、必ず、斎藤くんを助けると。
 それに、斎藤くんだけじゃない。「安藤くん、峯岸くん、ちょっと来て」放課後、いじめっ子ふたりを校舎裏に呼び出す。
 「な、なんだよ」
 「ふふ、そんな露骨に警戒しなくていいよ」「いくら元大人でも小学3年生の女子の身体じゃ君たちを殴り倒すことはできないから」
 わざと使った物騒な例えに露骨に引くふたり。
 「じゃあなに?」
 「考えてみようか、君たちがやってることはこのシャッフル社会においてなにを意味するのか」

 

 この3週間、わたしは脳を鍛えることを第一義とした。
 いくら元大人とは言っても、受け継ぐのは基本的に記憶だけ、思考力は小学生のままだ。四葉はかなり利発な子だったようだけど、それでも限界はある。斎藤くんの件を解決するためにも、思考力をなるべく引き上げる必要があった。
 シャッフルで受け継がれるのは記憶だけ――とはいっても、思考と記憶は不可分だ。と思う。大貫連二が知っていた中途半端な脳科学の知識によれば、記憶とはシナプスの結合によるもので、高い頻度あるいは強くシナプスが発火することで結合は増強され、長期記憶となる。つまりある感覚とある感覚が何度も同時に刺激されると、次第に二つの感覚の結びつきが強くなり、片方を刺激するだけでもう片方も刺激される、という感覚の連鎖が記憶を形成する――のだと思う。要するにあれだ、記憶っていうのは不安定なあみだくじみたいなもので、横棒を通るたびにずんずん太くなってより通りやすくなるのだ。たぶんそういうこと。「思い出す」とは過去の感覚の連鎖の再現で、思考もまた言ってみれば感覚の連鎖でありあみだくじ。過去の思考の再上演とも言える。結局のところ、思考に影響を与えずに記憶をどうこうするなんてのは不可能で、大人の記憶を持ってるわたしは大人の思考も可能なはずだ――と、考えて3週間ずっと、大人の頃の記憶を思い出し、とくにその頃の「思考」を思い出した。そうすると確かに手ごたえがあって、最初はあたかも「四葉の思考」と「大人の思考」が頭の中で共存するような感覚があって、そのうち二つは溶け合った。
 「可能性について考えよう」
 と、小学生の身体で小学生たちに向かって宣言する。
 「可能性?」
 「そう、シャッフルはいつだれの身に起こるかわからない」わたしにようにね、と笑う。「君たちは斎藤くんのことを結構いろんなやり方でからかって遊んでるようだけど、ある日突然、君が斎藤くんの中にシャッフルインするかもしれない。もしそうなったら、どうする?」
 「でも、そんな可能性低いでしょ」
 「たしかに、確率は低そうだね。とはいえシャッフルについてわかってることは無いに等しい。確率で語れるような対象じゃないし、ゼロにもならない。それに」と言って、見まわす。「斎藤くんじゃなくて、別のいじめられっ子にシャッフルインするかもしれない。その確率はもっと高い。そのとき、どうする?」
 「そんなの、反撃してやるし」
 「そうそう、一回殴って泣かせたら絶対いじめられないし」
 好戦的な態度をとってみせる小学生たちを微笑ましく思いながら問う。「じゃあつまり、斎藤くんも君たちに反撃すればいいんだね?」
 この問いはまったく予想外だったようですこしのあいだ彼らを戸惑わせる。それから彼らはすこし気を取り直して、また強がってみせた。「そんなのしてきたらこっちも反撃するし」「ゆーしゃ泣かせるし」
 「なるほど。つまりいじめられっ子にシャッフルインした君たちの反撃も、やっぱりいじめっ子に反撃されて、泣かされるわけだ」
 またしても戸惑うふたり。そう、いつでもシャッフルがありえるいまの社会では、永遠に強者の側に立つことはできない。確率的に、いつか被害者の立場に置かれうる、この冷酷な現実の前で、やれることはただひとつ、世界から暴力をなるべく取り除くことだけだ。
 「お、俺は違うし、俺は泣かないし」
 「安藤くんは、そうなのかもね。でもそのとき、安藤くんは安藤くんじゃないんだよ。別の、もっと泣き虫の子の中にいるんだから、どう頑張っても泣いちゃうんだ」
 「は? 泣かないし」
 「いや、泣くんだ。そのとき、どうする?」
 「泣かないし、殴り返すし」
 「じゃあ斎藤くんも殴り返すべきなんだね? 君たちに」
 「は? そんなの……」
 応酬は続く。簡単な作業だ。つねに加害者と被害者の立場を行ったり来たりさせる。疑似的なシャッフル。そしてそれは実際起こりうることだ。安藤くんにも峯岸くんにも、その準備が必要だと思う。これは元大人からというより、シャッフルの先輩としての教育であり、贈り物のつもりだ。彼らは悪なのではなく、これからやさしい大人になりうる、未来ある子供なんだから。
 は? ~~だし。のパターンを反復し過ぎて泣きそうになってきたふたりは、わたしの心にわりと刺さる言葉を吐く。
 「大人とか……卑怯だし」
 「たしかにね」やっぱり、小学生をこうやってやりこめて泣きそうになるまで追いつめるのは、実際やってみるとあまりいい気分ではない。「でもね、その卑怯な大人がある日突然、斎藤くんの中に入ってくることもありうるんだよ?」
  その可能性はいじめられっ子へのシャッフルよりも考えてなかったようで、ふたりは青ざめる。たしかに、いじめていた子がある日突然大人になったら――まぁ肉体が大人になるわけじゃないんだけど――それなりに怖いだろうなあと思う。とくに小学生のリアリズムでは。
 わたしはなるべく丁寧にこの子たちに教える。わたしがこの脳で考えられることすべてを。なんのために? 決まってる。安藤くんや峯岸くんのなかにわたしが入ったときのために。彼らの中に入っていまのような気持ちになれる保証なんてどこにもない。誰かをいじめそうになったとき、わたしが欲するのはなにか? 誰かにやさしくなれるための理論と方法と言い訳と教師と、それから考える時間。それらすべてを君たちに与えよう。
 「よく、考えた方がいい。そのための時間は君たちにはいくらでもあるんだから。それじゃね」と言って、立ち去る。さぁ、急ごう。
 待ってる子もいることだし。

 

 走り出した斎藤くんを追って、教室まで追いつめる。
 「覗いてたんだね」
 「悪い?」と強がる斎藤くんはたしかに小学生っぽい。
 「悪くないよ、だけど」だけど。

 「きみ、シャッフルドだよね?」

 突然咲いたような笑顔とともに、くくく、と笑って。「バレてたの?」と訊ねる斎藤くん。
 「うん、四葉の記憶を辿ってて思ったけど、不自然なんだよね、やっぱりどこか。わざとイジられるように仕向けてたように見えた」普通、「勇者」からいじめに発展しそうなイジりにまでは発展しない、と思う。わかんないけど。
 「ふぅん、演技が下手だったかな」
 「どうだろ、わかんない」それから、気になってた事を尋ねる。「どこまでが本気だったの? 四葉は、斎藤くんのことが本当は好きだったみたいだけど」
 そう言うと、斎藤くんははっとしたような顔をして、「そっか……」と言った。「それは……嬉しいな。僕も本気で好きだったよ。シャッフルインしてきた後も「好き」って感情を強く感じた、だから、思い切って告白してみたんだ。四葉ちゃんから好かれてるような気もしてたしね」
 「だけど、ああなった」
 「うん」と頷く、斎藤くん。「それなりに傷付いたよ、シャッフルドとは言ってもね。でも、仕方ないとも思った。四葉ちゃんは僕のことが好きじゃないか、好きだったとしても、思うほど成熟してはいないんだと」
 「まぁそうだね」実際、四葉は好きな人の気持ちを受け止められるほど成熟してはいなかった。ともかく、話を転じる。「それから、計画を変更した?」
 「そんな大したもんじゃないけどね」と笑う。「「勇者」とからかわれても、もちろん特に気にはならなかった。相手は子供だし。でも同時に、あの子たちの将来が気になった。ひとの痛みがわからないいまの状態で大人にシャッフルインしたら、それなりにヤバいんじゃないか、と」
 「だからまず、明確に加害者の立場に立たせた?」
 「なあなあに、自分は加害者じゃないと思い込んでる人こそ残酷になりうるってこと、嫌ってほど見てきたからね」
 「その後、どうするつもりだったの?」
 「君と同じだよ。実はシャッフルインしてきていたことを明かし、説教する」
 「同じにしてほしくないな。わたしはそんな自作自演をした覚えはないし、それに、なにより傷付いていたのは四葉なんだよ?」
 斎藤くんははっとして、目を見開く。「そっか……そうだよな。安藤くんと峯岸くんを矯正することに夢中になって……最低だな……ごめん」
 「わたしじゃなくて、四葉に謝って。あとで連絡先教えるから」
 「……うん、わかった」
 「これから、どうするの? 法整備はまだだけど、シャッフルインして申告しないのは将来的に重罪になりうると思うよ」
 「それでもやったことはやったことだから、正直に言うよ。でも」斎藤くんはその幼い目をこちらに合わせて言う。「シャッフルドだってことをもし明かしてたら、四葉ちゃんは引いてたと思う。そのことをわかって明かすことは四葉ちゃんのことが好きなこの感情への裏切りである気がした。だから次同じことになっても、やっぱりやると思う。今度は自作自演とかなしに、真正面からね」
 その決意に満ちた表情に、四葉の中の恋心がすこしだけ動いたのは、秘密だ。

 

 

<shuffle>

 

 

 斎藤くんにシャッフルインしていたのは中学2年生の森山雄大くんで、なんとなくそれは納得できる気がした。
 そーいえばあっちの四葉の体感年齢と同い年だなって、ふと思ったけど、だから連絡先を教えて謝らせたわけじゃない。そのあとどうなっても当人たちの自由だけどね。
 そんなことはともかく、シャッフルは続く。30代独身OL、工場長、地下アイドル、和菓子職人、ニート、アフロ、ゲイバーのママ、ボディビルダー、売れないお笑い芸人……と様々な身体を転々してるあいだに、社会は変わってったよ。ときどき退化することもあんだけど、基本的には進化する方向だわな。たとえシャッフルで時を超えて過去に戻ろうと、先に過去に戻りはった方々がシャッフル前提の社会をちゃあんと構築してくれてるのです。それってよかじゃん? 社会がさ、進むほど、人々はやさしく、おだやかになるのだ。
 それは要請される最適解。誰かを虐げちゃったらいつか虐げた対象になるかもわからん。確率低いってゆーけど、それ低いと見做せるほど俺やわたしは短命なのかね? わかんない。もしシャッフルを続ける限り不死ならば、どんだけ低い確率でも無視はできないっしょ。自分が幸福になりたいんだったら、他者を幸福にすることね。それもなるべく多数の他者をだ。そのほうが確率が高うなるんやから。
 そげな倫理観は頻繁に人々の口を伝って、実証される前からあたかも厳然たる事実という有様。そやって自分を騙して誰かにやさしくすること、それがまぁ最適解なんだって誰でも知ってますわ。いまならね。シャッフルを繰り返すたび記憶は倍増、「経験」した人生は指数関数的に増大。人々はいろんな人の痛みを知って、いろんな人に共感できるようになって、いろんな人にマジにそれぞれ適切にやさしくする術を身につけますの。指数関数的成熟。その極度の全体的な倫理観の向上、それはもはや種としての進化に等しくすら思えるわけよ。
 そして俺にもラッキーが訪れる。世界の情報機器のシェア45%を占めると言われる超巨大企業ハードギガのゲーム事業を分社化した企業ピースメイカーのCEOを務める日本人、極崎十八、トーヤ・キョクザキへのシャッフルインだ。

 「《ピースメイカー18》、どうだった?」
 我がピースメイカーがAR・VR技術を全面提供している高級ホテルの最上階、しっとりとしたピアノの隙間にナイフやフォークのたてる音が控えめに挿入される静謐な空間で、作家の石川十三に《ピースメイカー》シリーズ最新作の感想を尋ねる。
 「なかなかいいよ」
 もぐもぐと和牛のステーキをほおばり、垂れかかった脂をぺろりと舐めながらそう言う目の前の男をじっくり観察する。浮浪者のようなボサボサの脂ぎった黒髪と髭は、自分がその中に入っていた間は特に気が付かなかったが、着る服を着せればそれなりにセクシーだ。「でもあれだな」と言ってナイフを置き、左手を眺める。「この脳が不器用だから、慣れるにはもうちょっと時間がかかる」
 「まぁ近藤一のようにはいかないよな」と、同じ「近藤一」経験者として同意する。かつて初代フルダイヴ型MMOFPS《ピースメイカー》でサイボーグの機動力とマシンガンの制圧力で殺戮に殺戮を重ね《Aliceサーバのアリス》と畏れられた近藤一は、いまは単に《Alice》と呼ばれ、どこかの誰かの精神に駆られながら全米の猛者達と熾烈なバトルを繰り広げている。
 「しかしよ」
 「ん?」
 「こんな贅沢していいもんかね」ステーキをすっかり平らげてから心配そうにそう言う十三――というよりはその中の「はじるん」は可愛い。
 「いいんだよ、極崎十八の莫大な資産からすればこんなの贅沢のうちに入らない」
 「なんでお前が得意げなんだよ……」
 「だっていまは俺だもん」
 「もんってな……」十三は諦めたように肩をすくめる。「まぁいいや」
 「それに」と俺は言う。「歴代の極崎十八も推奨してる行為だよ。まず十八を通過したものが幸せになり、そしてその幸福をできる限り多くの人に分け与える。通過する者がもっとも必要だと思う対象、手段でね」
 「俺はそんなに困ってるわけじゃないけどな」
 「まぁ一環だよ。俺にとっていちばん大きなプロジェクトは《ピースメイカー基金》の創設と運営だ。ノブレスオブリージュが寄付で完了する時代は終わった。個々人が膨大な人生経験の中で積み重ねた経験から抽出したノウハウでもって、金銭面のサポートだけでなく様々な側面からなるべく多くの幸せを実現し、運営する、それがいま必要なことだ。それに、これからの社会にARやVR技術の発展は必要不可欠になる。シャッフルが発覚してから急激に落ち込んだ人々の意欲は一時はシャッフルの普及とともに持ち直したが、再び下降傾向を示している。この流れは止められないだろう。今よりもっと根本的なベーシックインカムシステムの構築が急務だ。そのためにはひとりの人間が生きていくのに必要なコストの最小限化が求められる」
 「まずい栄養食に仮想味覚や仮想視覚、嗅覚、聴覚をブレンドするとか」
 「イエス」仮想味覚のブレンド実験の試作機であるワインをひと飲みして言う。「うまいなこれ。それから、長期的には全人類のサイボーグ化だ。やはり有機物より電気のほうがはるかに運用しやすい」
 「そういえばお前んとこ、アンドロイド事業やサイボーグ事業にも手を広げてたな」
 「当然だ。現実と仮想現実の間の壁は早晩消失する。近い将来、「ゲーム」とは「人生」そのものを意味するようになる。そのときこそ真の《ピースメイカー》が生まれる時だ」
 爆弾のように莫大な資産と同時に、十八にシャッフルインした者は尋常じゃない激務をも背負うことにもなる。しかしそれに応えるだけの能力と、それからモチベーションはこの脳にたっぷりつまってる。
 「しかしもし人間が完全に機械化すれば、アンドロイドやコンピュータまでシャッフル対象になるんじゃないか?」
 「『machine 群 shuffle』のテーマだね」石川十三の最新作だ。
 「ああ」ちょっと恥ずかしそうにはじるんは頷く。「あれはもともと十三の脳にあったアイデアだけど、それなりにうまく書けたと思う……」
 「うん、あれはよかった。俺が入ってた時じゃ書けなかったなと思う。はじるんだからこそ書けた作品だ」
 「ちっ、褒めるなよ」
 と言いつつ、わりと嬉しそうだ。
 食事を終えて俺達は一緒に下の階へ降り、寝室へ向かう。

 

 

<shuffle>

 

 

 シャッフルは、すくなくとも特殊相対論的な因果律に反している。
 というよりもっと単純に、タイムパラドクスをねずみの子よりももっと簡単にバンバン生み出す。
 過去に戻れるからだ。
 シャッフルは時空を超えて人の記憶を交換する。過去の肉体に入った記憶は過去の言動を塗り替え、それにより変化した未来はかつてあった未来と矛盾する。
 「それはわかるけどよ、だからってなんで失踪事件の調査になるわけ?」
 「《神隠し》事件だ。この事件がシャッフルの鍵を握っている」
 「根拠は?」
 「勘だ」
 「非科学的だなー、物理学者のくせに」と、まだ石川十三の中にいるはじるんは言う。
 「論理に飛躍は無いが、論理的思考に飛躍は不可欠だ。同様に、科学的思考とは常にクリエイティブなものだよ。一般的な印象とは異なってね」
 「それはいいけどさ」軽くスルーされた。「なんか最近加藤、探偵みたいなことしかしてなくないか?」
 「レンチンって呼んでくれていいよ」加藤というのはこの物理学者の身体の名前だ。
 「ともかく」またスルーされた。「そもそもなんで俺がついてかないといけないんだ?」
 「助手が必要だ」振り返って言う。「それに、いろいろ聞きこめば小説のネタにもなるだろ」
 「それはまぁそうだけど。しかし、探偵の真似事をする物理学者と、助手の小説家か……50秒で殺人事件が起きそうだな」
 「縁起の悪いことを言うなよ」
 「非科学的だなー」
 殺人事件は起こらない。シャッフルのある世界で死体をひとつ生み出すことは、ブラックホールを生み出すことに似ている。いつか自分がその身体の中に入り、死ぬかもしれない。過去から塗り替えられない限りある時間点に死体は消えず、絶えずシャッフルしてきた人間を死へと吸い込む。そんな死体を積極的に生み出すことは、いまやかなりの愚か者にさえ不可能だろう。
 「ともかく、調査を開始しよう」
 《神隠し》。シャッフル以前に世界を騒がせた連続人間消失事件。それほどの事件なら多くの人々が記憶してそうなものだが、《神隠し》事件の記憶を持つ者は極端に少なく、そしてその記憶さえもがひどく曖昧だ。
 そのこと自体が、なにか重要な鍵を握っている気がする。たしかに非科学的かもしれないが、それは現時点での話だ。いつか理屈が通れば、この勘は至極科学的な論理展開の一部となる。

 

 今日もたいした収穫は無かった。
 やはりサンプルが少なすぎる。なにか別の方向から考えるべきなのかもしれない。
 「しかし人間の記憶ってのは、不思議だよなあ」はじるんが《ピースメイカー》社製のワインを煽りながら言う。「うまー」
 「なにがだ?」
 「いやこれうまいなって」
 「そうじゃなくて」
 「お前の説によれば、シャッフルで交換されるのは精神とか魂じゃなくて、記憶なんだろ?」
 「ああ、そうだ」精神や魂といったものは、すくなくとも物理的には仮定する必要がない。記憶が交換されるだけでシャッフルにまつわる様々な事柄が説明可能で、精神や魂の仮定はそこになにも付け足さない。「もっとも、それで説明不可能な事柄も無数にあるがな」
 例えばシャッフルの直前と直後で脳の構造はほぼ変わらないことがわかっている。記憶は脳の物理的構造により実現されるのだから、本来ありえないことだ。また、シャッフルは短期的に脳の構造を変えなくても、シャッフルを繰り返した人間の脳は徐々に奇妙に変形することが知られている。まるでなにかに最適化するように。そしてその脳では突然、なんの脈絡もなく脳のある部分から信号が生まれたりする。あたかも別次元にある「もう一つの脳」の神経細胞と繋がったどこかが、異次元から信号を受け取るかのように……。
 「確かに不思議だな」と思ったことを言う。
 「いや俺が言いたいのはそうじゃなくてさ」コツ、とテーブルにワイングラスを置く音。「記憶を交換するだけって、それほとんどシャッフル起こってないのと同じじゃん。なのに俺達はあたかも、それこそ心とか精神とかが交換されたように感じる。俺は俺なのに、記憶をすげ替えられただけで別の人間になったかのように錯覚する、ってことだろ」
 「そうだな。「この俺」の連続性は、事実はともかく、記憶の連続性により担保されているかのように、我々は感じる」まるで俺達の脳や心は、記憶の乗り物みたいだな、と思う。「我々の本体は、思考でも認識でもなく、記憶なのかもしれない」
 ……ん。
 「まぁ「本体」をどう定義するかに依――」
 「ちょっと待て」と手を差し出す。「考える」
 「はいよー」いつのまにか再び手の持っていたワイングラスを振るはじるん。
 手は動き出す。《神隠し》事件の聞き込みの途上で集まったゴミデータ、《神隠し》の記憶を持たない者達の前世――シャッフル一つ分前――の情報に手をかけそうになって、いや違うな、と思い直す。SNSサイト《AVA》にアクセスして、全アカウントの前世情報――何年前(あるいは何年後)からシャッフルインしてきたか?――を収集し、ローカルのニューラルネットワークにかける。すぐにピロリン♪とアラームが鳴り、モニタにヒストグラムが映し出される。
 ピークは12個。いや、小さいものを含めれば20個以上ある。0年前を中心に、ほぼ線対称にピークが並ぶ。それぞれのピークの存在は、シャッフルにより超えた時間が、多くの人の間で似通っていることを示している。つまり、同じような時間からシャッフルインしてきた集団が12~25集団ほどある。
 「これは……」気がつくとはじるんが後ろにいて、モニタを一緒に眺めている。
 「この意味、わかるか?」ふり返って見る。
 「すぐには」と首を振るはじるん。「しかし……」
 「ああ、これは鍵だ、間違いなく」
 そして思索に没頭する。

 つらなる記録、つながる記憶、黄色く清く連続性、延長線、越境性、洗脳系、戦争計、セカイ系、ねない目、狙い目、クライネ、で愛せ、アイゼン、対面、タイム、パラドクス、アラベスク、アカシック、アイザック、快楽、解釈、多世界、混ぜたい、マタイ、タイル、アリス、そしてそう――《ピースメイカー》

 ――そうか。
 極崎十八。お前か。
 「これは――」
 モニタを指差し、それによって世界全体とこの世界を超えたすべての世界の全体を指差す。
 これは――あみだくじだ。

 

 

<shuffle>

 

 ん?

 

<shuffle>

 

 

 は?
 えーーーーーーーーーーーーーーー!
 このタイミングで?
 ちょっと、えーと、あれ、なんだっけ? ちょ、マジで? せっかく真相に辿り着けたのに、うそうそ、うそでしょ? 忘れた。てゆーか、これ誰? 鏡、鏡。いや、まって、記憶を探れば鏡を見なくてもわかる。わたしは――
 わたしは
 え?
 近藤一じゃん。
 えーーーー、マジで? 戻ってきたの? 近藤一に? いまさら? いや、いまさらってこともないだろうけど、いやでも、いまに限ってはいまさらだよ。この脳じゃ思い出せないよー。
 ちょ、マジで気になるんだけど。いや、とにかく考えよう。小学生でも大人の思考を手に入れられたんだから、いまからでも可能なはず。思い出せ思い出せ、物理学者加藤は最後になにを思ってた?
 ……うむむ
 あかん
 だめだ
 全然わかんない。
 共感できないよ加藤コラ! オイ加藤! もーなにこれ。
 ああなんかもう腹立ってきた。久々にやろっかな、《ピースメイカー》。あっ、初代あんじゃん。久々に暴れよっかな、Aliceサーバで。あ、でも、Charlieもいいな。どれにしよっかな、あみだく――
 あみだくじ?
 そうだ、あみだくじ、加藤は最後にそれを言ってた。あみだくじ、あみだくじ。交換。そっか、あみだくじって交換なんだな。交換ってゆーか、並び替えってゆーか。
 ん?
 そっか……そーだよね、ん? てことは? ん? ん?
 ん?
 なんか
 なんかわかってきた気がする。
 要するにさ、って誰に言ってんだかわからないけど、まいいや、要するにシャッフルってあみだくじの横棒なんだよ。で、縦棒が誰かの脳? いや、世界かな? そうそうそうそう! 世界が複数あるんだよ! あったまいい! 《ピースメイカー》みたいに! あれもいっぱいサーバあんじゃん? AliceとかBobとかCharlieとか、似てるけど別世界で、プレイしてる人も違う。だから、そっかあれだ、別々のサーバ同士でプレイヤーが交換されちゃうみたいな? いや、記憶なんだっけ? じゃあなに? データとか装備とか勲章とか? がシャッフルされるわけ? 最悪だなーそれ。でもまーそっか、ん? じゃあつまり、この世界って……?
 この世界は複数あって。
 その複数の世界の間で、人々の記憶は交換されてて。
 ……ははーん。
 にゃあーるほど~。
 わかってきたぞ。
 そんじゃあ……、

 あ、まって、
 最後に真相を知る前に探っとこう。
 この脳には歴代の近藤一の記憶が詰まってる。
 もちろん、一代目近藤一であるわたしの記憶も、それから二代目であるはじるんが入ってたあいだの記憶も。
 はじるんはわたしのなかで、わたしのことを、レンチンのことをどう思ってたのか……

 ふふーん、
 にゃるほろ~。

 おっし、わたしは笑顔になる。そんじゃあ始めよっか。

 「ねぇ、GMさん」
 わたししかいないわたしの部屋で、わたしはGMに呼びかける。このゲームのマスターに。
 「なにかな?」
 答えが返ってくる。
 やっぱりね。

 「GMさんは、はじるん?」
 「いや、違うよ」
 「そっか」ほっと一息吐く。「それは予想がはずれちゃったな、よかったけど」
 「そうなんだ?」
 「うん、お願いがあるんだけど」
 「なにかな」
 「はじるんとシャッフルして」
 数秒の間、返事はなかった。
 「……したけど」
 「そ、久しぶり、ってほどでもないか、はじるん」
 「これに何の意味が?」
 「や、なんとなく?」
 「まぁ、近藤一ってそーゆーもんか」
 「そーゆーもんだよ」ふふっと笑って、宣言する。「それじゃあ、真相を話そうか」
 「うん」
 世界を巻き込んだこのゲームのマスター、GM・極崎十八の中に入ったはじるんの記憶が、語りはじめる。
 「あの日、俺は君を誘拐した。何故誘拐したか? ほとんど理由は無いと言えるが、ただひとつあるとすれば、君が《Aliceサーバのアリス》だったからだ。もちろんそんなのはきっかけに過ぎないし大した理由じゃない。あの日君は《ピースメイカー》にダイヴし、プレイし、いつも通り勝利し、満足してログアウトした。仮想空間から現実世界へ戻ってきた――と思った。しかし実際は違った。君はインタフェースを脱いで君の家の君の部屋を見たかもしれない。しかしそれは精巧に再現された仮想現実だった。ログアウトじゃない。別のゲームへ移動させたんだ。《リアルワールド》――現実をどこまでも忠実に再現した、我が社の新しいフルダイヴ型MMOだ。そして君が眠ってるうちに、同じ手順で《リアルワールド》へ移した大貫連二と記憶をシャッフルした。君の脳は大貫連二の記憶との連続性を感じ、「はじるん」と名乗った。そう、いま俺へと到達した記憶の連続線だ。そして大貫連二の脳は君の記憶を受け取り、「レンチン」と名乗った。君が感じてる連続性だ。シャッフルは常にそのように行われる。君の身体はどうしたか? いい質問だ。さすがに何十年も部屋でプレイさせてたら、いつか親御さんがインタフェースを強引に外すだろう。だから君の身体も誘拐した。君の身体はいま、《ピースメイカー》の実験施設の中にある。そこでは何千何万人ものプレイヤーが《リアルワールド》をプレイし、いまもシャッフル社会の中で生活している。そう、君もそうだ。君がいまいるその世界は《リアルワールド》のAliceサーバ。君は戻ってきた。矛盾がある? そうだね。《リアルワールド》は複数のサーバを持つ。それぞれのサーバに住む人々が不自然さを感じないためには、例えばそれぞれのサーバに一人ずつ、近藤一が必要になる。でも誘拐した君の脳はひとつだけだ。これでは成立しない。だから俺は、君の脳をコピーした。Aliceサーバ以外の近藤一の脳は、仮想的なニューラルネットワークとして構築された君のコピーだ。はじるんもそうだったのかって? 鋭いな。でも違う。サーバは複数あるけどネットワークはひとつなんだ。オリジナルの脳だけが書き込みできる。サーバを超えてね。だからBobで本物の大貫連二の脳に乗った君――レンチンは、Aliceの近藤一の脳に乗ったはじるんと会話していた。もちろん、もし仮にネットじゃなく対面してたら、そこで対面するのはコピーだったわけだけどね。しかしオリジナルとコピーの差なんて大したことじゃないと、俺は思ってるよ。《神隠し》? うん、そうだ。君や大貫連二や小林完三や岩井四葉や……様々な人を誘拐した、もちろん現実世界の人々はこの連続誘拐事件に大騒ぎして《神隠し》事件と名付けた。日本以外でもやったか? もちろん。《ピースメイカー》は世界規模の企業だ。シャッフルは言語の壁などに阻害されずにスムーズにいくように、基本的には同じ言葉の国同士や国内での交換に限定したけどね。《神隠し》が《ピースメイカー》の仕業だとバレなかったか? バレてるよ、もうすでに。でも、もちろん準備はしてあった。世界中の政治家や知識人、著名人を君のように取り込んで、シャッフル社会をたっぷり味わってもらったあと適性を見てリリースした。彼ら彼女らは協力を惜しまなかった。ロビー活動、根回し、ひそかな法整備。世界が気付いたときには、すべて終わっていた。もちろんギリギリの戦いだったけどね。あーちなみに。君が乗った俺の脳は本物だよ。本物の極崎十八。俺自身もすこし前までシャッフル社会に身を置き、いろんな人間と記憶を交換し続けていたわけだ。もちろん真相にまつわる重要な記憶は抜いておいたがね。《リアルワールド》の中でなら、俺は記憶を自由にできる。さぁ、だいたい説明は終わったと思う。これから君はどうする?」
 「どうするって?」
 「現実世界に戻って、この誘拐事件を告発するかな? すでに社会への根回しは済んでるとは言え、自力で真相に辿り着いたのは君がはじめてだ。つまり君だけが、我が社の選別を通過しておらず、我々の方針に反抗する可能性を持つ。そんな君が現実世界で我々を告発すれば、これまでの根回しは大きく揺らぐだろう。それとも《リアルワールド》に戻るかな? 戻ってシャッフル社会の真相を暴露し、目を覚まさせた大勢の仲間を引き連れてから現実世界に戻った方が効率的かもしれない。どちらでも好きな方を選ぶといい」
 「解放してくれるの?」
 「俺達は君をいじめたいわけじゃない。君の選択は尊重する」
 「そ、じゃ……」すこし考えて、答えを出す。「現実世界に戻して」
 「了解だ。準備を始める」それからはじるんは、大きくため息を突いた。「俺達も、これでおしまいかな。ま、いつかこんな日が来るだろうとは思ってたんだ」
 「そうなの?」
 「ああ、いつか終わるとわかってても、動かずには居られなかった」
 「そうじゃなくて、そうなの?」
 「ん?」
 「これでおしまいなの?」
 「……どういうこと?」
 わたしは腕を組んで、中空のはじるんがいる気がする方向に向かって笑う。「勝手に被害者っぽく同情されても困るな。わたしはわたしを被害者だとは思ってないし。だから告発もしないよ」
 「……そうなのか?」
 「そうなのだよ」ふふっと笑いがこみ上げる。「わたしはこの世界が、シャッフルのあるこの世界が好き。前にいた現実世界よりもね。ここではみんながやさしいし、思いやりをもって誰かに接することができる。確かにそれは自分が相手になるかもしれない打算に基づくやさしさなのかもしれないけど、歪なところもいっぱいあるけど、でも、やっぱり、そっちのほうがいいんだよ、わたしは。それに、一番いいのは自分が誰かにやさしくなれるってこと。自分が誰かにやさしくなれることが、こんなに気持ちのいいことだって思ってなかった。誰かにやさしくして、それが相手の心の中に実るって、ほんとに幸せな気持ちになる。きっと誰でもそうなんだよ。誰でも誰かにやさしくなりたいと思ってる。でも社会がそんな風にはできてない、前はね。変な言い方かもしれないけど、シャッフルがある社会には、誰かにやさしくする「言い訳」がたくさんあって、気軽にやさしくなれるんだよ。これってほんとにいいっていうか、好き。だからさ、わたし、現実世界に戻って協力するよ。シャッフル社会っていいんだって、みんなに言う。みんなに。そんでいろんな人を引き連れて、またここに戻ってくるよ」
 一気にそこまでまくしたてて、満足してわたしは胸を張る。
 「……ありがとう」
 あれ? はじるん、もしかして泣いてる?
 「泣いてないよ」
 わ、心を読むなよ、まったく。
 「さぁ、準備ができた、現実へ戻すぞ」
 「え、え、ちょ待って、そういやわたしって現実世界で何歳? 何年くらいここにいたの? もしかして現実世界ではもうおばあちゃんとかになってないよね?」
 「さぁ、どうだろうな」
 「うむむ……まぁいいや、オッケー、こっちの準備は万端だぜ」
 たとえおばあちゃんになってたとしても、いい、この世界に戻ってこられるなら、また、やさしくなれるなら。
 そんじゃ、いきますか。

 

 

<logout>

 

 

 ポスーーーッ! と空気が排出されて、ガコッと目の前の青色の透明な屋根が開く。ちょうど一人分のカプセルみたいなそこの中心で寝ていたわたしは起き上って、周囲を見回す。
 現実、かな?
 実感はない。さっきまでと、いまと、なにが違うかと言えば景色以外にとくに見当たらない。でも多分、これが現実なんだ。久々の。
 手を見る。
 うわ太っ!
 しかもめっちゃしわ!
 あちゃー……これ、おばあちゃんってほど痩せてはないけど、明らかにJKのそれではない――ってJKって言っちゃった、わりと言うよね、JK。まぁそれはともかく、これはよくて「おばさん」だなあ。まぁいっか。しゃーないしゃーない。
 あ、って鏡あんじゃん。用意いいなあはじるん、ってか極崎さん? さて、どんな姿に――。

 ん?

 え?

 ちょ、
 スーツ、
 着て、
 太って、
 るんだけど、
 てゆーか、

 おっさんじゃねぇかっ!!!!!!!!

 どどどどど、どおっさんじゃねぇか! 顔を触る。鏡の中の男も顔を触る。驚きに目を見開きながら。「誰だこいつ?」って顔で。いやお前が誰だよ! いや、いやいやいや、知ってる! こいつ、知ってるぞ! 見たことある! お前、お前あれだろ、日本の総理大臣の!
 な、なんだよこれ。なんなんだよ、またシャッフル? いや、現実だし、でも、じゃあ、なんで……?
 「起きたか」まぶーんと自動ドアが開いて男が姿を現す。こいつも見たことある、というか、なったことある。極崎十八。GM。おい、なあ、おい
 「これ、どういうことだ?」
 「言っただろ、記憶を操れるって。ジャスト5分だ。いい夢見れたかよ? 近藤一首相?」

 

 

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 あれから、5年。
 あのたった5分間の誘拐から5年の月日が経った。
 私はJKでもSEでもNJでもなく、ましてやJSでもOLでもKCでもUIでもWSでもNTでもAFでもGMでもBBでもUOでもなく、ただのSD――総理大臣としていまも生きている。
 そして今日、私は歴史に名を残す。本日成立した記憶の融通に関する細々とした法案。多くの国民も、政治家も、官僚たちさえ気付いていないが、シャッフル社会への布石が随所に散りばめられていたことがいずれ判明するだろう。気付いているのは、私と同様に極崎によって誘拐された数人だけ。そう、数人。何千何万人とか、《神隠し》だとか、あんなものは真っ赤な嘘で、あの日誘拐されたのは最大野党の党首、大手新聞社の主筆、そして私を含む数人だけだった。これから始まるのだ。これから。《神隠し》無しの、シャッフル社会の侵食が。まずは日本から。
 「なんで日本からだったんだ? はじる~ん」
 居酒屋の個室ではじるんと盃を交わしながら、聞いてみる。
 「だからはじるんはやめろって。……日本を選んだのは、俺が日本人だってこともあるけど、なんとなくだよ」
 「へぇ、そうだったんだ、はじる~ん」
 「酔ってんなこいつ」呆れた顔をする極崎十八――というか、はじるん。「お前もわかってんだろ。実体としてのはじるんなんか存在しない。大貫連二もまた仮想のニューラルネットワークだったし、そもそもあれは偽りの連続性だ。ほんとうに連続しているのは脳の方で、記憶の連続性は錯覚に過ぎない」
 「でも、はじるんが実際に連続して感じるのはその記憶の連続性で、その記憶の連続性をいま引き継いでるのはお前なんだろ?」
 「ま、まぁ、そうだが」
 「それに」顔をしかめる目の前の男を見つめる。「記憶と思考は切り離せない。お前はあのゲームの中で私たちの記憶を交換した。データ化された記憶を。しかしただデータを置くだけでは自然な記憶としては動作しない。そこに脳と同様の検索性が宿るためには原理を統一しなければならないのは当然だろう――」目の前の表情が驚きに満ちるのを楽しむ。ずっと考えてたんだよ、私も。「つまりシャッフルによって仮想空間上に蓄積される他者の記憶は脳の形をもつ。小学生の四葉が大人の思考をもつことができたのも当然だ。実際に大人の脳と繋がっていたんだから。だからもちろん仮想空間上とは言えはじるんの脳は存在したし、いまお前はその脳を記憶という形で受け継いでる。な? はじるん」
 黙る極崎十八。はじるん。私を5分間だけ誘拐した、途方もない野望を抱く《ピースメイカー》のCEO。人々の記憶の交換を夢見るシャッフラー。その男を見つめながら、私は思う、はじる~ん、と。そして言ってみる。
 「キス、する?」
 「アホか!!!!!」
 いやでもお前、そこでそんな顔赤くしたらそれもう証拠だろ、なあ、それ、完全、証拠だろ、なあ。
 「ちっ、すっかりリベラルになりやがって」
 「ははーん、いいじゃんリベラル。そらなるよ、シャッフルしたんだもん」
 「だもんとか、お前な」
 「キス、する?」なんとなくもっかい言ってみる。首も傾げてみる。
 「お前マジそのJK気分やめろよ!!!」
 「だってJKだったもぉ~ん」
 「それ夢だから、幻だから、まぼろし~」
 いやそこでまぼろし~とか言い始めたらそれ証拠だろ、100パーだろ、もう完全、証拠だろ。なあ。
 「でもやっぱなりたくない? JK」「まぁ、なりたいけど」「JK?」「JK」「な、JKな、なりたいなー」「まぁなりたいもんだよ、JKは」「JKもJKなりたいだろうな」「そのJKよりなりたいけどな、俺は」「J!K!」「JKなるほどJKな」「いやもうほんとJKだから」「JK、JRじゃなくて」「うちらマジJKだから」「ほんとそれ、JK」「JK」「J↑K↓?」「J↓K↑」「ジェェェェ!」「ケェェェェ!」
 私と俺とわたしとぼくと僕とお前と君とあたしときみとおれと我々は酔って酔って酔って夢見て酔う夢を見る。JKになる夢のゆめかわいいゆめを、かつてあり、いずれきたる夢、やさしいやさしいJKになってやさしさを爆発させてみんなをやさしくしてみんなからやさしくされるみんなにやさしくする夢をみんなで見る夢を見る夢を。おれたちはJKに、つーか、やさしくなりてぇ、文句あっか。

 な、

 はじるん♪

 たとえシャッフルがなくたっておれたちはやさしくなれるし絶対にやさしくなるしやさしくなることの楽しさとかうれしさみたいなものを知ってるしだから絶対やさしくなれるよたとえシャッフルとかなくたってだってシャッフルは想像の力なんだ人の痛みとか喜びとかを想像する力なんだだからきっとだれだってやさしくなりたいようにやさしくなれるぜはじるんとおれとみんなとみんなはさ

 だからさ、

 はじるんは

 つーか、あしたっからだれかにやさしくしたりやさしくされたりしてやさしくなるのは……

 

 

 

 

 

 

 

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文字数:25482

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