フィルムエンコード原論

フィルムエンコード原論

フィルムエンコード原論

写真技術をプロトコル変換として考えると、レンズの画角上に存在する発光体の各座標の光量を白から黒への単色の濃度として、またはRGBごとにキャプチャーし、1826年ニエプスがアスファルトを用いて蒸着した以降技術の変遷はあるものの、湿板、乾板、セルロースフィルム、ゼラチンフィルム、CCDセンサー、CMOSセンサーなどを介して記録し、それを現像材や現像ソフトを利用して変換することで、印画紙やJPG,TIFFファイルなどの利用しやすい二次元フォーマットに出力するシステムである。

世界の完全な記録を求めて、高解像度化、高感度化、カラーレンジの拡大が行なわれてきた。

200年近くをかけて技術は進歩してきたが、完全なキャプチャー、完全なデータの可逆圧縮は未だ実現していない。

光学的な変換による歪み、キャプチャー時の誤差、記録媒体からの出力変換時の誤差、出力フォーマットのもつ受容体としての限界。
この過程で、情報は欠落、劣化し、または誤差を含んで変化していく。

しかし、我々ははたして、世界の断片として、ある位置座標から見たある時点の限定された画角の完全な情報を得ることを望んでいるのだろうか?
完全な可逆情報を得ることが至上とするならば、現時点まで作られてきた写真画像は全て不完全な欠陥品にすぎず、新しい技術により風化していく歴史の通過点である。

写真作家とは、この完全情報主義の技術革新を利用しつつも、その完全性を否定し、情報の欠落と変換の中に喜びや価値を見い出そうとする個人を指す。

世界の完全なコピーは、不確定性という問題があるにしろ、究極的にはひとつの在り方しかない。しかし、情報の欠落、変換には無限の可能性がある。写真表現においては、情報をどのように欠落させるか、どう変換させるかが争点となる。
この意味において、200年以上続く、ほぼ全人類に及ぶかというフォロワーを生み出したニエプス、ダゲールやタルボットが撮影した情報量が少ない古びた作品たちは輝きはじめる。

本作において、欠落の代表的な形として、意図的な情報の消去による純化を試みる。

 

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