百の光背(100 Halos)――不在のイコン

作品プラン

百の光背(100 Halos)――不在のイコン

 Halo=光背(こうはい)とは、東西の宗教画において、人物の聖性を示すために描かれる光の環であり、頭部に冠せられる光輪のみならず、身体から放たれる後光をも含む。
 キリスト教、仏教はもとより、イスラム教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、さらに古くはギリシア、エジプトにまで起源を遡ることができ、すべての古代文明圏に共通する、宗教図像学において普遍的なものであると言えよう。
 数種の例外を除き、多くは円によって表現されるこのモチーフは、宗教肖像=最も伝統的な具象美術のうちに現れる唯一の抽象性である。
 各時代、各宗派によって考案された様式において意匠を凝らされたそれぞれの光背は、それのみで幾何学的抽象表現に通じる美を追究しており、同時にマーク・ロスコの瞑想性、バーネット・ニューマンの崇高を湛えながら、杉本博司による無限遠への渇仰を謳っている。

 古来よりヒトは円によって聖性、超越性、人智を超えた知性を表象してきた。
 映画『2001年宇宙の旅』に登場する人工知能HAL9000もまた、外部の事象をセンシングする円形の赤い「一つ眼」をインターフェイスとする。
 全知(omniscient)、 全能(omnipotent)、遍在(omnipresent)――近代以前の神学体系において認められていたこれら神の属性は、来るべきシンギュラリティ=技術的特異点を迎える今世紀中葉において、惑星をくまなく覆うネットワーク上に分散して存在するアルゴリズムによって引き継がれるものとなるだろう。
 自らの手によるそうした新たな知性、もとい神性をアウトソーシングしたヒトは「人機一体」、チェスの世界でいう「ケンタウロス」として、生物学的進化を超越した神をもって任じ、新たにこの世界に君臨、太陽系は言うまでもなく、あまねく系外をも再創造していくのだろうか。
 あるいは、AIに背後をとられたヒトは、眩しすぎる光背、その逆光のなかで翳りゆく者となるのだろうか。

 人のいない百の聖像画=不在のイコンのなかで、百の光背はなおもその輝きを休めない。
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