本年度は、「文学」関係のワークショップが、私の担当もふくめ三回に限られているようだ。よって、今回は、区々たる課題ではなく、上記のような「大風呂敷」を与えたくおもいます。
素晴らしい言葉だが、その人だけには言って欲しくなかったものとして、「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」(森鴎外『追儺』一九〇九年)という名句が、出題者の念頭にあります。あるいは、小説が、言語芸術内の「捨て子」もしくは「私生児」であるというマルト・ロベールの卓言。その「捨て子」の「自由」度といったものを、①同じ言語芸術内の別ジャンルみならず、映画・演劇・音楽といった他の表現ジャンルとの比較を通して、②可能な限り具体的に、考察してください。
もちろん、逆にその「不自由」度でも、何ものかに対する思いがけぬ「正嫡」性でもかまいません。また、「批評」(もしくは、他人に読ませる「文章」)として成立していれば、①②の条件を無視しても構わない。
ともかく、この「大風呂敷」に、思い思いの言葉を、大胆かつ繊細に包みこんでお届けください。(渡部直己)

<ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾>では、今回の講義より、提出されたすべてのテキストに対して、下読み委員からのコメントをつけ、一般公開することになりました。
下読み委員は、第1期総代の吉田雅史、第2期総代の山下研、第1期優秀賞の横山宏介(批評再生塾ティーチングアシスタント)の3人が務め、各回ランダムに分担して下読み・コメントを行います。
下読み委員は担当作品について1〜5の5段階評価を付けていますが、これは公開しません。下読みの結果は、佐々木敦主任講師による登壇者選考の参考資料となるほか、今後、何らかの選考が必要な際などに、参考情報として発表・使用する可能性があります。

今回の課題「小説の『自由』度について」についてのコメントはこちらからご覧ください。

課題提出者一覧