戦争があくまで二次的なテーマであるということ

片渕須直監督・こうの史代原作の『この世界の片隅に』は、元々はクラウドファンディングで製作資金として約3900万を集めたのも大きな話題となった。戦争というテーマを扱いながら、ロングランヒットし、2016年大ヒット作品としてなった作品である。私自身も、この作品を観て主人公のすずのキャラクター性や、これまでの戦争映画などとは違った切り口で、第二次世界大戦が描かれていて、感動を覚えた。映画の感想や点数を付けるアプリであるFilmarksを見ていても、この作品は絶賛の評が多く存在していて平均点も4.3点(2017年8月6日時点)とかなりの高得点の作品である。

今回の課題であるテーマである、「この世界の片隅に」を批判するということを考えた時に、一つこの作品に大きな違和感があることに気付いた。というは、原作者はインタビューの中で、何度も戦争中の日常を描きたかったという言葉を繰り返している。戦争を取り上げた作品としては異例というか、この作品に大きく反戦のメッセジーを感じ取れない。

高畑勲監督、野坂昭如原作『火垂るの墓』は、冒頭から主人公の清太が「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」*2というセリフから始まる。主人公の兄妹二人が死んだことが伝えられてから、物語が始まる。二人の戦時中の苦難とその死が、描かれている。非常にショッキングなシーンもありながら、蛍というモチーフを使ったシーンなど、ファンタジーとしての色を残してある作品と言える。

第二次世界大戦を描いたアニメと漫画で有名である『はだしのゲン』を書いた中沢啓治も作品を通して、「戦争と原爆の実態をしっかり教え込んでいくことでしか、日本は本当に平和を守れないではないか、というような気持ち地がしています」*1

戦後に産まれ戦争を経験してない、こうの史代とその時代を生きた中沢啓次や高畑勲、との大きな差であるとも言えるが、意図的に『この世界の片隅に』には、戦争を描くことを敬遠している。戦場は描かれておらず、敵兵である外人の兵士は、戦争後の市場以外は描かれておらず空襲も、キャンパスに色を描くような色鮮やかに描かれるような描写で描かれている。すずの鬼いちゃんの死も、骨ではなく石が遺骨として還ってきただけで、詳細は描かれない。

この作品がヒットする背景に、どんどん軽薄化していく戦争意識があるのではないか。もうすでに、戦争経験者が減っていく中で、我々は過去の第二次世界大戦への意識は、薄れてしまっている。乱立されるあまりに矮小化された戦争映画に飽き飽きしてしまったのかもしれない。しかし、この作品は、実際に正しい意味で理解されるのだろうか?戦争というものが、薄められていって、あくまでもそこには何でもない普段の日常があるという。それは、私たちともの凄く近く変わらない。こうの氏自身は、こうゆう戦争ものの漫画があっていいという、戦後世代として、この作品を描いている。それは、決して憎しみや怒りではない感情である。

私たちは、本当に恵まれているのか。このような戦争を描いた作品の多くは、その戦時中と現在の対比によって、現在の我々の豊かさを知るという意味合いも含んでいる。しかし、現在の社会的不安やアメリカのトランプ政権の横暴と言っていい。アメリカファーストや、核兵器に対しても賛成といってもいい。憲法九条の改定の問題や安倍首相の動向含めて、過去を大きく忘却していくように思える。我々は、まるで忘れてしまうようにスマホを片手に、現在を記憶つづけ共有しあう、果たして先を未来があるのか。

現在のインターネットがある環境下である中で、何でもすぐに調べられるという感覚が、事実を遠ざけてしまう。それは、主張のない事実とも言っていい。『火垂るの墓』を含めて多くの第二次世界大戦を描いた作品には、物語という役割と事実が存在している。

こうの氏は、非常に呉や、その時代を生きた人たちの書いたものを含めてリサーチを行っているが、周縁的な情報であり、本質に行ったては居ないのではないか。絵を含めて性描写や残酷描写が描かれることは、作風的に難しいことなのかもしれないが、その換骨脱皮された戦時中が描かれているということ。反知性主義とも言われる中で、その続く日常に我々は、魅せられて感動するだけでいいのか?

戦争という事実を何かしらのメディアに描かれることによって、我々は伝えるということ行ってきた。しかし、その中身事態は次のフェイズに向かっている。アニメということもあり、子供や幅広い層に戦争を繰り替えしてはいけないという強い意志があったところから、もうすでに近くというか我々との生活との卑近さを伝えているということ。

主張を持たない主義をもたないということ、それは現在の大多数が抱えている問題に近い。私を含めて多くのものが、受け入れるということに慣れてしまった。すずの天然というキャラクターも生かされているが、彼女は決して抵抗することもなく、日々を暮らすということが、フォーカスされている。果たして、我々は彼女の流されていくのか。すずのように受け入れていくしかないのか?

 

  • 1『はだしのゲンはヒロシマを忘れない』中沢啓次、岩波ブックレット、2008年
  • 2『火垂るの墓』高畑勲監督、スタジオジブリ、1988年

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