敗者は映像を持たない 〜2017『この世界の片隅に』Remix〜

たぶん他の人々はあまり叫ばない/レジ・ドブレイは叫ばない/チェ・ゲバラも叫ばない/叫ばない/だからこそ我々は/叫びに耳を傾けその叫びを他に伝える必要があるのだ--ジャン=リュック・ゴダール『カメラ・アイ』より

 

まずは劇中の日付けが昭和20年8月15日の正午に至り、義母・儀姉らと縁側で横一列にラジオの前に揃ってしかめつらしく座して終戦を告げる玉音放送に直面した主人公の「なんで? そんなん覚悟の上じゃないんかね!?最後の1人まで戦うんじゃなかったんかね!?(原作では「うちはこんなん……納得できん‼」)」という無念の台詞を聞き届けることから始めよう。この叫びがどの方位に向かっているのか別の角度から指針を与えてくれるのが、映画監督の大島渚が1975年に刊行した『体験的戦後映像論』である。

この映像メディア批評の古典といえる著作の、とりわけ冒頭に収録されているテキスト「敗者は映像を持たない -もし終戦時にテレビがあったら-」は、映画館で上映されるフィルムからテレビ放送へと大衆的な映像メディアのパラダイムが転換し、そしてインターネット時代にデジタル情報化されたストリーミング配信の形態で「戦争のイメージ」が消費されるようになった現在の時点から読み返してみてもなお、鋭い問いを突きつけている。

そこで大島渚は自身が体験した「あの日」を振り返って、「私たちはテレビを持っていなかった。いったいテレビのない生活というものが、今の子供たちに理解できるだろうか。私たちはラジオを持っていただけだった。」時代の日本人にとっての玉音放送の意味について、 「戦争に負けて終わったということ」を告げる天皇の声に対して「一種の天変地異というようなかたちで」 国民が おとなしく従ったのは、映像を伴わずに顔の表情を読み取ることができない無感情な「音」だったからだという自説を展開している。

「私は天皇の声から、人間的な感情というものを聞き取ることができなかったのである。(……)あれは、そうした人間的な感情の一切ない、乾ききった声だった。つまりそれは声というよりは、音だったのである。その意味では、あれを玉音放送と呼んだのはまことに正しい。あれはまさしく音だった。玉であるかどうかは別として。
(……)もし、あの放送がテレビを通じてなされたのであれば、たとえあの声がああいう声であったとしても、国民は声ではなく天皇の表情から、何らかの人間的な感情を読みとってしまっただろう。とすれば、その人間的感情は国民の中で増幅され、もしかすると逆流していったかも知れない。あの日のあれは、まさに映像を伴わない音として私たちに与えられたことに決定的な意味があったのであ。私たちの映像の歴史は、どんな映像が存在したかということより、どんな映像が存在しなかったかということの歴史なのである。」(大島渚「敗者は映像を持たない -もし終戦時にテレビがあったら-」より)

このテキストの後半部分では、日本側が撮ったニュース・フィルムの残っていない部分をそのまま欠落させたままの状態にして断片的に残っている音と映像と当時の大本営発表や新聞の社説を加えて編集し、説明的なコメントもつけないという「戦争中の実感をそのまま放り出した」ようなドキュメンタリー番組『大東亜戦争』を制作する企画を語っているのだが、ここで大島が言っている「敗者は映像を持たない」というアフォリズムを現代の視点から端的に言い換えると、「何をどのように撮るか」、表象をコントロールする撮影・編集・監督の権利、軍事力とメディア・テクノロジーの相関によって規定されているカメラ・アイの非対称性のことだと解釈できる。

例えば具体的には、生井英孝による映像文化史『ジャングル・クルーズにうってつけの日 ヴェトナム戦争の文化とイメージ』でその断層に焦点が当たっているように、上空から俯瞰して見下ろす広角アングルで戦場の風景を捉える「空撮」の表象は、第二次世界大戦後から1960年代のベトナム戦争にかけての時期に米軍のヘリコプター機が導入されてから初めて視聴者が目にすることになる「テレビ画面に映る戦争報道のイメージ」を起源としていた事実がある。

「空中から眺める戦場の光景がニューズリールの重要なトピックとなったのは第二次大戦でのことである。そのころ、空中からの眺めは時間と感情の持続を表現するレトリックによって映像化され、観客に伝達されていた。とりわけカメラの飛躍的な性能向上はA-4スカイレーダーやP38ライトニングといった急降下爆撃機のパイロン下部にカメラを装着させて自動撮影することを可能にしたため、ニュース・クルゥたちは競ってそこからの眺めを撮り収め、さまざまな編集技術を開発していった。そのときの代表的な映像レトリックは、まず、まるで縮小地図のような下界の地勢を映し出し、次に攻撃目標上空に達したときの編隊機の慌しい動きを側面から――つまり僚機に積んだ別のカメラを通して――展開し、さらに急降下中の激しいカメラ=画面のぶれで観客を奈落へ落ちるような昂奮に叩きこみ、しかるのち急上昇ショットから垣間見える大空で一気にカタルシスへと引き上げる――というものである。戦闘機の場合ならば、その合間には敵機との空中戦(ドッグ・ファイト)シーンが挿入される。そこでは機銃弾が絶妙の炎の弧を描いて飛んでゆき、その直後、相手の機影がぱっと炎上するショットが頂点となる。」( 生井英孝『ジャングル・クルーズにうってつけの日』より)

本作の空軍機が飛来する空襲シーンにおいても、上空から視界の下に広がる呉市内に爆弾を落とすイメージの効果が駆使されており、演出家と兼ねて航空史の研究家でもあるという片渕監督の手腕は存分に発揮されている。
呉軍港の上空を飛ぶ戦闘機の真上からのアップのコマが一箇所だけあるのを例外として、原作のこうの史代の漫画ではほとんどの空襲の場面が、一家が避難する防空壕が掘られた地面に近い視点から空を見上げる仰角のショットで捉えられていた。

戦後の映画監督たちは戦争映画であれSF的なメカアクションであれ、全地球規模で「新世界秩序」と骨絡みになったルール設定を敷くアメリカ映画から翻訳して映像表現を換骨奪胎してきたといえるのだが、宮崎駿が率いるスタジオジブリを筆頭にして日本のアニメーションが「空を飛ぶこと=華麗な空中戦」に憑かれているのは、このような経緯に拠っている。

ところが、「私たちの映像の歴史は、どんな映像が存在したかということより、どんな映像が存在しなかったかということの歴史なのである」という大島渚のフレーズを反芻してみる時にどうしても突き当たってしまう、実在しない空想上のキャラクターの戦争体験に生命を吹き込むことができるアニメーションの技術によっても描くことが困難なイメージがある。それは何か。

ここで参考にしたいのが、インディペンデントな作家を特集する上映企画にも携わっているアニメーション研究者の土居伸彰が『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』で、個々の作家/スタジオが国際的に散らばっていて全容が把えがたい動向を紐解くツールとして新たに蘇らせている、エイゼンシュテインの論考「ディズニー」である。
1930年代のディズニー作品『人魚のおどり』の体験を理論化しようとしたセルゲイ・エイゼンシュテインは、いかようにも姿を変えることができる「神々しい全能性」を可能にするドローイング・アニメーションの性質を「原形質性」と呼んでいる。「一度定められれば永久に固定される形状という約束の拒絶。ダイナミックにいかなる形状をも取りうるという能力。」(『個人的なハーモニー』第3章より)

エイゼンシュテインが提起したこのアニメーションの潜在的能力は、後にソ連の国営アニメーション・スタジオで『霧の中のハリネズミ』や『話の話』を制作し、スタジオジブリの監督・高畑勲との作品を通じた相互交流でも知られるノルシュテインにも影響を与えているのだが、土居伸彰が「「謎」が「謎」のままに残り、あたかも観客がその異質さによって拒絶されたかのように感じたり、作品の与える印象が不定形のまま流動をやめず、観客と作品とのあいだに安定した関係を築かないことこそが、重要なのだとしたら? 『話の話』には、これまでアニメーションについて見過ごされてきた、没入とはまた別種の原理が働いており、だからこそ、観客は、その作品をどう「見る」べきかわからず、その作品は「謎」として受け止められることになったのだとしたら?」というイントロダクションから出発して、「謎」が「謎」であること自体に意味がある現代アニメーションを貫通する諸問題を孕む作品だとして主軸に据えて論じている『話の話』は、「古びた家を中心的な舞台としてオオカミの仔が彷徨う」物語がかろうじて抽出できる29分の切り絵アニメーションなのだが、1979年に発表した当初はソ連の映画制作を管理する委員会にも「はっきりとした筋立てがなく/何のことを描いているのかが、さっぱりわからなかった」問題作として受け止められたという。

そして土居伸彰が同書で最大の賭け金を投じている主張が、かたちを持たない流動的で不安定、かつハイブリッドな原形質性には幽霊が宿る、というものである。商業的な規模か個人スタジオでのインディペンデントな制作形態かに関わらず、現代アニメーションは「自分自身の作り上げる世界の限界について認識したとき、その世界に属さないものをビジュアルの「向こう側」に浮上させる。そこで浮上したものは、具体的なかたちを持たないので、意識のなかで流動し、かたちを変え、自分のフレームの外側のものと偶然周波数が合ったときには、意識のうえにその他者の存在を浮かばせる。前節においては、それらは、私たちが生を営む裏で消えていった死者たちの幽霊の姿をとって、現れることになった。」(第4章)というように、幽霊の形象をめぐって孤独に非共有的な試行錯誤を繰り広げている、という状況認識が拡がったわけだが、そこから『この世界の片隅に』へと切り返してみるとどうなるか。

「原形質性は、生者と死者の世界のあいまに漂う幽霊を感覚させる。「個人的な」作品がもたらすその原理は、現代日本にも浸透している。」(『個人的なハーモニー』第4章)

順番に見ていくと、広島で海苔屋を営む家族を残して呉の軍港で働いている北条家へと嫁いできた主人公のすずは、姪の晴美さんと同時に右手を失うことで、冒頭で「ばけもん」に拐われかける場面でのように幾度も自分の身に迫る危機を救ってきた絵が描けなくなる。

原作の下巻では、すずと手をつないだ晴美さんが最後に言った「こんど晴美の お兄さんも 描いてねえ」の直後に塀の向こうに投下された時限爆弾が爆発する(「危ないこっちへ」と晴美の手を引っ張るクロースアップのコマが連続して真っ黒な画面に暗転する)ことで、分かちがたく結びついてしまった「晴美さんに絵を描いてあげることができない」喪失と断絶が強調されている。

そして以下の台詞、「歪んでいるのはわたしだ/まるで左手で描いた世界のように」。疑惑を適用する憲兵さんの滑稽さを笑う場面があったにも関わらず、ここには動員体制の渦中で「まとも」と「歪み」の二項対立が植え付けられているのではないか。

おそらくここには、こうの史代が原作の漫画に込めた「美しい生活」の清廉で慎ましく謙虚な理想が響いているのだが、それと逆立する『あまちゃん』における天野アキ(能年玲奈が演じた)の台詞、「ダサくても我慢しろよ」をぶつけてみてもいい。

様々なレベルで大島渚のテーゼを批判的に覆すためには、たとえ右手を失っても絵を描くことをやめてはいけなかったのではないだろうか。
偶然図らずも、北条すず役の声優を務めたのん(能年玲奈)が表紙を飾っていて片渕須直監督と斎藤環の特別対談が載っている『美術手帖』の巻頭は「アウトサイダー・アート」特集なのであった。

 

「生きとろうが 死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって/うちしか持っとらん それの記憶がある/うちはその記憶の器として この世界に在り続ける しかないんですよね」(原作より)

「原形質性は、アニメーションのみならず、現実に対しても新たな理解のかたちをもたらすものであり。原形質性とは、ドローイング自体が自由に動き回る能力ではない。それは、観客の意識のなかに生まれる、具体的なかたちを持たない抽象的な「メタファー」を流転させる能力である。原形質的な能力を持ったアニメーションは、目の前で展開しているイメージが、いったいどのような現実に属するものなのか、作品を観る際の地盤を常に揺るがす。それによって、「別の」現実ーー流動するものーーの可能性を開示しつづける。(中略)アニメーションが「別の」可能性を提示するとき、観客は、自らが前提としていた現実自体が持つ根拠の弱さを自覚する。自分自身が現実に対して結んでいる関係性が、無数にありうるうちのひとつの可能性でしかないことを認識するのである。このようにして、メタファーとなったアニメーションは、「別の」現実となることによって、観客に対して、「世界の扉を開け放つ」。」(土居伸彰『個人的なハーモニー』より)

誰もが賛嘆する緻密で繊細な衣食住の「暮らし」描写の傍らで蒸発していたのは、戦時統制下に「不定形でかたちを持たない原形質的なわけのわからない何か」を描くことの狂気だった。すずの「居場所」は、その「右手が描く世界」と自身の北条家に嫁いで以後の生活とが切り離される段階を経てようやく見出されるものなのである。

ところで「すずの右手」は、単に戦災で失われたわけではない。原作では幽霊化したキャラクターとしてすずに代わって絵を描く役割を与えられていたのだが、その「死者たちの世界」を司る位置づけは、映画版のエンドロールですず一家の後に右手が登場して(おそらく空襲で犠牲になった)リンさんたちの語られていなかった過去を描き直す役割へと引き継がれていた。これが柴那典らが読み込んでいる「真の主人公は右手」という説の根拠になっている。※1

ともあれかくのごとく、絶賛の嵐で見えなくなっている「キャラの倫理」こそ、描く側、産み出す側ではなく描かれる(欲望される)立場に甘んじることを引き受けたのがすずの物語だといえるのではないか。「ありがとう、うちを見つけてくれて」という実際に2010年代のSNSで使われている挨拶と共鳴する所が多いアイドル的な台詞によって、すずの「居場所」は確保されたのだ。

さらには幽霊化した右手が描く世界=戦争が始まる以前の広島に住んでいた浦野姉妹の落書きに登場していた「鬼いちゃん」の漫画においてこそ、かつて斎藤環が宮崎駿を論じる際に分析していた、<あらゆる瞬間がナルシシックな「いまここ」性を帯びてしまうような>アニメーションの「無時間性」が迫り上がってきているのではないか。※2
その落書きの素朴な筆跡が「キャラ立ち」した絵柄の固定によって、すずにとって決定的な断絶を被る以前の時間がループする回想のイメージであることが観客に示されている。

言うなれば、すずの右手が描く世界は「死んだ」ものたちと同列に扱われており、この映画では「別のかたちにならない現実」への扉が閉じてしまった。
戦地で幽霊となった浦野家の長男・要一=お兄ちゃん(お鬼いちゃん)は、すずが呉に嫁いで行く前に、まだ右手を失っていない時に描いた落書きの中の姿から回想される最後までかたちを変えることがない。すなわち、この作品で最も「雑」に描かれている、生きている時と戦死した後もほとんど変化がないキャラクターとは、「鬼いちゃん」のような勇ましく戦争に参加した普通の無名な兵隊たちだった。(そもそも、原作の中巻で浦野一家のもとに届いた「英霊の遺骨」は箱に入った小さな石ころ1つで代用されていたので、姉妹はシリアスに出兵した兄戦の死を実感できていないというエピソードもある)
この点で、『この世界の片隅で』はかつて大島渚が言い放った「敗者は映像を持たない」というテーゼの通りに不可能なイメージを現出させることができなかったのである。

ちなみに、私が『この世界の片隅で』を観ていて最も胸を打たれた(不意に泣かされた)映像は、この「鬼いちゃん」のように戦地に出発する間際の港に居ながらにして輪郭があやふやな、生と死の境界を漂う無名の水兵たちの群像がそれを眺める周作さんとすず夫婦の「夢から覚めるとでも思うんじゃろか/過ぎた事 選ばんかった道 みな覚めた夢と変わりやせんな」という会話と呼応するようにして「夢」を売る映画館に殺到している場面だったことは秘かに告白しておきたい。

 

※1 『この世界の片隅に』と、「右手」が持つ魔法の力 http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/12/01/144225

※2 「きわめて多くの漫画と、その影響下にあるアニメに共通する志向性がある。(……)そう、イマジネールなものとは、ほんらい無時間的なものなのだ。その空間の中で、死者が決して年をとらないように。こうした無時間性は、おそらくイマジネールなものの起源というべきナルシシズムに根差している。全体性と無時間性、相貌性と同一性とを基本原理として動く一次ナルシシズムの領域に。/アニメーション作品がときに退行的に見えるとするなら、それはこうしたイマジネールなものがはらむ諸原理とおそらく無関係ではない。/「アニメ」の無時間性は、なにも「主人公が年をとらない」といった些末な問題に限られない。」(斎藤環『「運動」の倫理 あるいは表象コンテクスト試論』、「ユリイカ1997年8月臨時増刊号 総特集=宮崎駿の世界」より)

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