幸せな三角関係〜発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ〜

0、1、2、3、・・・小さい頃、指折り数字を読み上げたことを記憶しているだろうか。ものを数える、お金を数える・・・パッと目で見て数を言えるようになり、僕らは数字を獲得した。足し算、引き算、に九九。数字にまつわることを学び、数を獲得することで、何も考えずに反射的に数字を認識できるようになった。そして気がつくと何もない状態のことを「0」と言い、何も気にせず、「ゼロベース」「0から1を作る」なんていう言葉を使ってしまう。僕らはこの「0」に支配されてきた。

下手したら可能性がないと勝手に決めてしまうことを「0」だと認識し、諦めてしまう。でもちょっと待ってほしい、0ってなんだろうか。何もない状態を0と呼んでいるのだろうけど、何もないってどういう状態を指しているのだろうか。目に見えているものといないもの、目に見えていない=0と考える、その心はどこにあるのであろうか。

でもここにいるということは何もないという状態はありえない。酸素があることで息ができるし、父親と母親がいたからここにいる。つまり何もないという状態はない、だって見えないんだから、ないことを証明することはできない。

そんな「0」の認識。そこで1つ考えるきっかけになるのが「菌」の存在だ。発酵文化人類学と称されたこの書籍「発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」、著者の小倉ヒラクさんは発酵デザイナーとして、この本を書き上げた。見えない菌の存在、愛おしい発酵の過程、その過程は、生活を超え、文化の領域まで発展する。みんな大好きなビール、ワイン、焼酎、日本酒、パン、納豆、味噌、キムチ・・・これらは全てこの菌と発酵という目に見えない存在が支えている。発酵は一歩間違うと腐食を生み出すがこの微妙な塩梅の上に僕らの生活は成り立っている。それほどの存在である「菌」。

「見えない自然が引き起こす現象にヒトが意味を与えた瞬間、それこそが発酵の生まれた瞬間だ。」これまであらゆるものが二項対立で掲げられてきた。個人対個人の市場原理、伝統回帰と破壊的進化、消費者とメーカー、、、目に見えないものの存在をぞんざいに扱ってきたから産んだ軋轢や破壊。そんなこれまで光の当たらなかった、無視されてきたそんな0を3という数字に切り替えて考えてみるとどうだろう。何もないという存在ではなく、1と2を超える3の存在として捉える。つまり菌、発酵を通じて第3の視点を入れることで、これまで直線的だった世界が3点になることで、三角になり、循環し始める。例えばこの本の中で語られる日本酒のこれまでの関係性は「消費者⇆メーカー」出会った。この関係性関係性は疑いと価格競争しか生まない。本来であれば醸造家と飲み手は互いにインスパイアしながら文化を作っていく「パートナー」だ。

これが0から3への価値の切り替えであり、それを体感するためにこの「菌」の存在を生かす、感じる。そんな頭の切り替え、世界の見方、世界を味方にするための道がこの本では示されている。

この「3」という数字の獲得が世界を広げ、循環させる。見えないものを見ようとすること、そして意味を与えることが「3」の獲得だ。発酵を通じてこの世界の見えない存在を知る。氏曰く「発酵とは、サイエンスに支えられた文化の作法だ。見えない自然を捉え、ミクロの生物と関係を結び、暮らしの中に喜びを埋め込む。自然現象をじっと見つめる目があり、創意工夫を凝らして自然をデザインする手があり、生み出された価値を楽しみ分かち合う心がある。この総体が発酵文化。」

作法としての「3」。これは、例えば個人対個人で話している場合にも当てはまる。どちらかの土俵で話すことになれば、どちらかは合わす、そして含まれるという結果になり、優劣が発生してしまう。でもその個人と個人の土俵でないものを用意することで、お互いが合わせる形になり、循環し始める。これは平田オリザ氏の「分かり合えないことから」で伝えられている「僕らは分かり合えない、だからこそ相手に合わせようとして、そこから関係性が生まれる」という内容にも原理にも近しい。それがお互いにとって幸せな関係性へと繋がっていく。これを幸せな三角関係と名付ける。

「幸せな三角関係」。その「消費者⇆メーカー」の構図における、第3「点」とは何だろうか。この本の中で、ファッション界における「読モ」の存在だと定義されている。作り手の事情も理解しつつ、受け手の代表として文化の「たしなみかた」を提案するスター。「読モ」の点を置いて、三角形にすると、ぶつかりが解消されてコミュニケーションが循環し始める。醸造家のメッセージを自分なりのやり方で翻訳して新たなコミュニケーションを生み出すのが「アーティストとしての受け手=読モ」であると。

自分がこの3点目、すなわちスターになることで、そこに新たなコミュニケーションが生まれる。それは楔ということでもある。組み合わせの媒介者になることが三角関係を作ることになり、そこに新しい価値を産むためのきっかけができる。そしてそれは循環を生み、流れができる。流れができればそこでまた新しい何かができる可能性がある。それが新しい価値を生み出すための幸せな三角関係だ。

さらに、このように考えるとこの世は可能性に満ち溢れている。例えば子供は親を選べない。そして子供は生まれた最初の段階では親の視点しか持ち得ていない。家族の問題がニュースになることがよくあるが、それは限られた世界しか持ち得ていないからこそ、その二項対立で障害が発生してしまう。でもそんな時、親以外の第「三」の親(視点)があればそれだけ新しい視点を獲得することができ、それは逃げることも可能になる。でももしその視点がなければその関係性が壊れた場合、終わりだと考えてしまう。「嫌われる勇気」で有名なアドラーは「より大きな共同体の声を聞け」と言った。

つまり「3」の獲得とは、自分を守るという点でも機能する。攻めでもあり守りでもある「3」。その存在を菌、発酵から学ぶことができる点が、発酵文化から獲得できる概念だ。

またそれは正しさからの解放も意味している。今後AIの技術が進むことで、人間の能力を超えるようなロジカルな考え方はきっとコンピュータが担う。その中で差をつけるものは何か。それは感性であると考える。見えないものをどう感じるか、それをどうやって意味付けるか、与えられたものではなく、主観の世界を作り上げることができるか、それはこれまでの発酵された自分の体験、感性と複雑に絡まっている。そしてそれが「0」でないことの証明へと繋がる。

発酵は、人間が見えない自然の世界を旅するための「ひみつのドア」だ。
同時に、人間が人間であり続けるための「終わらない遊び」なのである。

見えているものだけの世界、見えていないものも含んだ世界、どちらが楽しくてわくわくするか。そんな世界を獲得するために、発酵を通して世界をみる。味噌、豆腐、ビールにワイン、全て発酵が生み出した作品たちだ。幸せな「3」をどうやって獲得すればいいのか、そんなことがわかり活用できる。

発酵という世界があること、それは知識をつけることではなく味方にすること。だってみんなが見てる世界ってもう見えてるんだし面白くないじゃないか。それよりも自分だけの世界を獲得する、そしてそれは人やあらゆるものとの関係性を豊かにする、そんな「終わらない遊び」の始まりだ。

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