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チェルフィッチュ(ズ)の系譜学―私たちはいかにしてよく群れることができるか

[Ⅰ] オフィスマウンテン『ワークショップ』より

[1-1]『1990年代論』にはなぜ「演劇」がないのか?

九〇年代は亡霊化してなどいない。私たちをとりまく条件の大部分はむしろ”九〇年代的なもの”によって構成されている……”九〇年代的なもの”をあらためて問題として捉えうる視座の奪還。それが本書のミッションだ。(大澤聡[2017:4])
 『1990年代論』を編集した大澤聡いわく、九〇年代はいまだ死んでいない。にもかかわらず近い過去であるがゆえに歴史化もされていない。だから、次なる時代のビジョンを構想するために九〇年代を歴史化せねならない。その問題意識にふさわしく、本書は社会問題・文化状況の二部構成からなり、多角的な角度から九〇年代を再検討するアンソロジーとして編まれている。しかし、アニメ・映像・ゲームという二次元のメディアについて論じられることからはじまる〈九〇年代的なもの〉の文化的想像力からは、少なくとも宗教や哲学と同程度には長い歴史を持つあるジャンルが欠けている。〈いま・ここ〉と結びついて直接的に感覚される生身の身体をメディアとした〈ライヴ的なもの〉−−すなわち、『1990年代論』には「演劇」が欠けている(※1)。なぜか?
 演劇批評の書き手がいないということかもしれない。諸々と挙げていけばきりがないが、例えば時代と並走してきた『新劇』(のち『しんげき』・『レ・スペック)』が一九九二年に休刊したのと入れ替わりで登場した『シアターアーツ』(一九九四〜)も、初期の先鋭的な言説はなりをひそめ、二〇一四年には紙媒体ではなくWebへと移行している。長い歴史を持つ『悲劇喜劇』『テアトロ』など演劇誌の水脈は維持されているが、そこに掲載されるのは短評的なレビューの類がほとんどだ。本屋の書棚にも戯曲とアカデミックな研究書は並んでいるが、いわゆる文学や映画のコーナーには置かれている批評的な―定義はともあれ―書籍はほぼ全くない。
 だが、「書き手の不在」という理由だけで片付く問題だろうか。「演劇」あるいは「ダンス」のような上演系ジャンルがないとは「身体論」がないということだ。振り返ってみたときに、九〇年代とはそれほどまでに「身体の不在」で特徴づけられるディケイドだっただろうか?
 むしろ逆なのでは? あるいは『1990年代論』には「身体の忌避」とも言うべき感覚が、陰画的に表現されているのではないか。現時点から振り返ってみるにつけて、批評言説における演劇やダンスといった身体をメディアとしたジャンルの「不在」は、二〇一〇年代の文化的・社会的な想像力の環境を裏面からおぼろげに照らし出していく。そう筆者には思われるのだ。したがって、それは本書に欠けた「演劇」の視座から、九〇年代に孕まれていた潜在的な”問い”を探り当てる仄かな明かりを灯すだろう。
 九〇年代→一〇年代が孕んだ問題を「演劇」の側から語り直すことが筆者の企図するところであるが、本論に入る前にとある指針について確認しておきたい。よく言われるように、上演は〈いま・ここ〉で起こる一回限りの出来事である。だが、八七年北海道生まれ(のち京都)の筆者は九〇年代の演劇どころか〇〇年代の東京演劇もリアルタイムで見ていない。しかし、上演が一回限りであるというのは、いまだ分節化されない暗号が思いがけず〈私〉に触れてしまった〈感覚〉を価値とするということでもある。ゆえに、本論では一つの上演に触発された〈私〉の感性的な現実をよりどころにして、そこに凝集され折りたたまれている時間の襞をめくっていく、主観的な体験を資本としながらも遡行的に歴史的コンテクストへとリーチするという方法をとりたい。角度を変えれば、これは直接に感覚される〈現実〉からしか物語を紡ぎ出せない人間に可能な唯一の方法であると筆者に思われる。
 それでは、”九〇年代的なもの”の複数的なコンテクストが凝集されている演劇とはなにか? 二〇一七年末、横浜の「急な坂スタジオ」で上演された一つの観劇体験に、筆者はそれを見出す。

[1-2]群生する動物たちの『ワークショップ』

みなさんお疲れサマー。ノイズな身体日本代表山縣太一です。9月から11月までワークショップをやります。俳優の方はもちろんのことダンサーだったり照明やってたり音楽やってたり台本書いてたり、これから書きたいとかの人も参加オッケーです。制作をやってたりやってみたい人とか。つまり舞台芸術に関わりたい人なら誰でも参加できます。できるだけフラットにみんなでワイワイ作品を作ったりしたいと思います。よろしくお願いします。
山縣太一「http://kyunasaka.jp/archives/5707」(2018/3/30)
 この呼びかけに応えて「ワークショップ」に参加したのは一八名。呼びかけたのは講師となるオフィスマウンテン主宰の山縣太一。〇〇年代以後の演劇シーンに多大な影響を及ぼした『三月の5日間』(二〇〇四)などで知られる劇団チェルフィッチュ(一九九七〜)にて、その最初期から演出の岡田利規とともに活動してきた俳優のひとりである。
 「舞台芸術」に関わりたいというたったひとつの欲望さえあれば、専門職の俳優である必要はない。そうしたフラットな関係性から組織される『ワークショップ』の理念は、全員が作・演出・振付・出演を兼ねるところに装されている。また、元結婚式会場を転用したスタジオは、客席と舞台の間に段差がないフラットな設えとなっており、「こちら」と「あちら」を分断する境界は極めてあいまいだ。そのために現実とは異なる時空を前提にした虚構的な「役」という概念もほとんど放棄されている。つまり、俳優は開演してから登場するわけではなく、なんとなくそのへんに普通にいるわけである。
 日常との境目があいまいなままに、それとなく上演らしき時間に移行する。するとホールの片隅でストレッチする俳優たちが、一人また一人と自分は何者であり、なぜワークショップに参加したのかという動機を語っていく。と同時に、奇妙な身振りを遂行しはじめる。大雑把な言葉で言い換えるなら、俳優たちは踊りと語りを別々のレイヤーで同時に遂行するのである。だからといっていわゆる「ダンス」が展開されるわけではない。ウネウネ、あるいはザリザリ、あるいはピクピク、といった擬音でイメージされるような変な動きだ。
 例えば、人は誰かを待っているときなど、気づかぬうちに足をプラプラさせていたりする、といったことを思い起こしてみるならば、ここで表象されているのもそうした無意識下で処理されている非-意味的で微細な身振りである。ある意味では単にダラダラした奇妙な動きにも見えるそれが、にもかかわらず一人また一人と身振りする俳優が増えていくにしたがって、微細な身振りの反復から独特のグルーヴを生まれていくことに観客は気づくことになる。
 音楽が鳴れば場の空気が一変するように、俳優の微細な身振りの反復と反復からズレていく差異は身振りを徐々に変化させるとともに、空間の感触そのものを変化させる音楽的な―リズミカルな―力を現前させる。そこで身体はまるで共鳴する楽器だ。一人一人が別のニュアンスを帯びたグルーヴを生み、それがひとつまたひとつと折り重なり、ついには一八の身振りが空間を共有しながらも、それぞれが別々のリズムで空間を震わせはじめ、気づけば観客の知覚限界の壁をとうに超えてしまう。「何である」と言いようがない不協和なノイズで満たさた触覚的な場の現前。
※2
 だが、テレビの砂嵐が発するホワイトノイズのごときものとイメージしてはならない。ホワイトノイズの騒音は一定の音域で聞き取られる一義的な全体性しか持たないが、この場の騒音は〈情報過多〉の結果として現れる騒音であり、注意すれば個々のノイズに意識を向けることも可能なバラバラなノイズの集合だからだ。端的にわかりやすい例をあげるなら−実際にはより複雑だが−例えば、前ならえをするように並んだ俳優たちは、前方から生じたエネルギーに押し出されるような受動的パフォーマンスを連鎖させていきつつも、それぞれ独立した身振りも同時に遂行していく……といった二重性に、グルーヴへの共振と独立した身振りがゲル状に混じり合って渾然一体となった身体性を読み取ることができるだろう。
 そうした十八の―実際には身体一つに複数のグルーヴが混在していくので無数の―リズムにつられて観客の身体もついムズムズと動き出してしまいそうになる。つまり、それは観客の身体とも同期的に共鳴して〈私〉の部分部分―肩甲骨や右脇腹や首筋―に別々のダンスを踊らせながら、その身体感覚を可塑的に変形させてしまうのだ。すべての身体は〈私〉と〈あなた〉を区別する意識に先立つ感覚的な身体の水準でフラットになる。〈いま・ここ〉の空間は無音であるにもかかわらず共鳴する身体は騒音化する、山縣太一が言うところの「ダンスフロア」に変貌するのである。(『ドッグマン・ノーライフ』インタビューを参照)。
 ひとつイメージの補助線を引いておこう。イギリスの劇作家エドワード・ボンドは核戦争後の世界を描いた『戦争戯曲集』にて、広島に原爆が落とされたあとのイメージ(写真)を参照しながら、川に漂う無数の死体が「十万本の手足を持ち胴体は苦痛を/叫ぶたくさんの口でできた一匹の動物だった」(ボンド[2018:70])とグロテスクなイメージを書き付けた。それは、『ワークショップ』で顕在化した身体イメージに非常に近しい。なぜなら、反省的な意識に先立ち、〈身振り〉の感覚的なコミュニケーションだけを頼りに、個々の身体が−観客も含めて−相互浸透しながらゲル化してひとつになっていく『ワークショップ』の舞台では、まさに一匹の〈群生する動物〉とイメージされる有象無象の集合がアウラを帯びて身体化されてくるからである。だから、それは何か爆心地のあとに残るグチャグチャになった名もなき死体を連想させもするのだ。
 しかし、にもかかわらず、本作の主題は明らかに独異な〈私〉の存在である、というところに本作の最も注目すべき点が潜んでいる。
男3 ……あ、今も実は木です。僕、木の役なんです。誰でもありながら誰でもない、そこら辺に生えてる木。木の僕ですけど、僕の場合、むしろつくりたかったのは自分自身。そうは言っても、舞台に立ちたいのが私たちですから、呼ばれればどこにでも行くんです。たとえ、それが木の役でも。結局、自分自身であったことなんて一度もないんです。でもそれって、あなたたちとほとんど同じでしょう。ほら、もうこんなに似てきてる。たぶんスターがいない時代だから、こんなことになってるんだと思います。(※3)
 ワークショップの参加者が書いたものなのか、山縣の手が入っているのかわからないが、少なくとも、自分自身であることを欲望しながら無数に生えている「木」と代わらない代替可能な役であることの矛盾が率直に語られている。ただ、この言葉だけであれば、承認欲求に突き動かされる八〇年代的な終わらない「私さがし」の亜種に思われるかもしれない。しかし重要なのは、彼が自分自身を「木」として表象するところからも伺われるように、共鳴=感応する身体のレベルにおいては、彼が〈私〉と〈他者〉が区別されないゲル化した動物になっているということだ。ここでは〈群生する動物〉的な身体のレベルと、社会的承認のもとで主体化された〈私〉のレベルの明らかな解離がある。ところが、身振りの感応だけを頼りにコミュニケーションをはかる動物は、そこに縮減していく他者の身振りの重なりによって、逆説的に独異な〈私〉を出現させているように見えるのである。
 つまり、〈群生する他者〉がすなわち独異な〈私〉になる。これは一体どういうことだろう? そもそもなぜそのような〈私〉がここに露呈してくるのだろうか? しかし、この問いにいきなり答えることはできない。迂回しながら、少しずつこの問いの意味を手繰り寄せていこう。

[1-3] チェルフィッチュ(ズ)は突然変異か?

 まずはちょっとした整理を。現代の小劇場演劇史を紐解いてみるなら、山縣太一が参加している劇団・チェルフィッチュは九〇年代に活動をはじめて〇〇年代に『三月の5日間』でブレイクスルーを果たしている。岡田利規が「日常の身体は過剰なのです」(岡田[2013:207])と言うように、日常的な身体の無意識的な層に着目することで、どうしても主体の意識とはズレていくノイジーな身振りを発見したのだった。主体に身振りが従属しているのではなく、身振りの集積によってAさんでもBさんでもCさんでもありうる主体未満の〈非−主体〉を舞台にあげたということで、まさに「自分本位という意味の英単語セルフィッシュ(selfish)が、明瞭に発語されずに幼児語化した造語」(※4)であるところの「チェルフィッチュ」を具体化した。その方法をラディカルに展開するのが山縣太一+チェルフィッチュであるオフィスマウンテンなのである。その意味で筆者は岡田利規と山縣太一を「分岐したチェルフィッチュ」という意味で「チェルフィッチュ(ズ)」と呼ぶことがある。山縣太一の実践をチェルフィッチュの延長線上で理解するために、今後は劇団としての「チェルフィッチュ」と方法としての「チェルフィッチュ(ズ)」という名称を分けて使っていこうと思う。
 さて、そのチェルフィッチュ(ズ)の登場は、九〇年代に影を薄くしていった「身体」の再主題化を示唆する出来事だったと言っていい。なぜなら、九〇年代演劇のモードは、岩松了・宮沢章夫、そして平田オリザの青年団に代表されるような「日常」をリアルに描く「静かな劇」の潮流にあったからだ(八九〜九五年のあいだにそれぞれ岸田國士戯曲賞を受賞)。なにより平田オリザが上梓した『現代口語演劇のために』(一九九五)、『演劇入門』(一九九八)は、その後の小劇場演劇の形式を決定づける大きな影響力を持った。『三月の5日間』も当初は、現代口語演劇という枠組みのなかで「超現代口語演劇」あるいは「ハイパーナチュラリズム」などと呼ばれていたこともあったほどには、岡田利規や山縣太一もまた、平田オリザの「子どもたち」の一人であった。
 しかし、チェルフィッチュ(ズ)は明らかに「現代口語演劇」の鬼っ子だ。単純に比較しても、チェルフィッチュ(ズ)のすでに「リアリズム」とは言い難いグルーヴィーな身振りの群れと、強く抑制された青年団の身振りにはやはり断絶が走る。それでは、チェルフィッチュ(ズ)の「身体」は〇〇年代に突然変異的に現れたものだったのか?
 この問いに対しては二つの答えがありうる。確かにある意味では、チェルフィッチュ(ズ)のノイズをまとった身体は〇〇年代に出現した特異点だった。しかしまた別の角度からは、全然そうではなかったとも言いうるのだ。なぜなら、チェルフィッチュが活動を開始した九〇年代とは、身体感覚の失調を患ったがゆえに、それを恢復させようとする過剰なまでの欲望を暴走させたディケイドでもあったからだ。山縣太一+チェルフィッチュのラディカルな身振りの圏域は、このコンテクストの回帰を喚び起こす。一九九五年、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の想像力が、それである。

[Ⅱ] 九〇年代のウラ

[2-1] オウム真理教の身体

 『1990年代論』には「身体の忌避」とも言うべき感覚が根底に流れているのではないか? と冒頭で仮説を立てた。現代演劇のトレンドも、九〇年代は「身体」がうすくなる「静かな劇」にあったことも確認した。しかし、九〇年代の裏面には「オウム真理教」というもう一つの「演劇」があったということは、しばしば忘れられている。当時の批評雑誌『シアターアーツ』では、演劇批評家の八角聡仁や内野儀、さらには宮沢章夫らがオウムについての論考を掲載し、また共同討議(「オウム真理教事件と演劇」)が組まれるなど、まとまった考察がなされていた。例えば、八角は「オウム真理教という存在が、まさしく『八〇年代演劇』の壮大な反復としてあることは、誰の目にも明らか」([1996:167)と言うわけであり、それを受けて内野は、核戦争後の世界を描いた北村想『寿歌』をはじめとした八〇年代演劇に台頭した終末論とオウム真理教を重ねて論じている(1996b)。
 このように、八〇年代演劇に親和的な想像力を持つものとしてオウム真理教は検証されたわけだが、共同討議にて宮沢章夫が「只構築」と名付ける「空虚の上に立つ」身体が−留保はあるにせよ−内野によって「基本的に八〇年代演劇ですよね」と言われる時に覚える違和感は、「ハルマゲドン」的想像力のもとで組織されるオウム真理教の信者たちにおいては「空虚の上に立つ」しかないからこそ、最も直接的に感じられる「身体」が欲望されもしたのだと推察されるからだ。これは『ワークショップ』にへばりつく襞の大きな部分を占めている。
 社会学者の大澤真幸は『虚構の時代の果て』([2009])にて「オウムの身体」についていち早く言及して理論化している。その内容を筆者なりに整理したうえで、少し詳しく見てみよう。オウム真理教はヨーガを典拠として「クンダリニー」と呼ばれるエネルギーで身体を貫き、自らを微細な粒子の動的な集合、いわば自己の身体を融解させる気体の波動となることで「解脱」する技法を用いていた。そこに着目した大澤は、ではオウムの信者がなぜそれを欲望したのかを問うて次のように言う。
身体の局所性を克服しようとするオウムの本源的な欲望を、「脱身体化」や「身体の情報化」の志向として捉える論者がいる。このような把握は、彼らの実践や狭義の肝心な部分に照準してはいるが、私の考えでは、それをまったく反対方向から眺めてしまっている。目指されているのは身体からの脱出ではなく、身体の恢復なのだ。逆に言えば、彼らは、現実世界の通常のあり方においては、身体をほとんど喪失しかかっており、そこに実質的には身体的に参与してはいなかったのだ。[103]
 「身体の恢復」を希求する切なる欲望。その背景には見田宗介から引き継ぐかたちで大澤が整理した「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」という戦後日本の時代精神がある。簡潔にまとめると、六〇年代の高度経済成長期に対応する「理想」から現実を変革しようとする「理想の時代」はその理想の欺瞞が暴かれ相対化されるとともに、八二年に開園したディズニーランドのような虚構それ自体が自律してリアリティを持つ「虚構の時代」を迎える。未来に成すべき目的と実感される「理想」が失われた「虚構の時代」では、ダラダラと続く「終わりなき日常」(宮台真司)がやってきて、生の意味は空虚化してしまうというわけだ。
 例えば、大澤は「オウム真理教」に入信する動機を示すパターンとして「気晴らしに外出しても、友人と遊んでも、楽しいのは一瞬で、またその後の虚しさが私を襲う。/どうして、他の人が楽しいと思ってやっていることが、私にとってこんなにむなしいんだろう……。」([180])という「生の意味の空虚」を例示している。どうにも自らが社会の一員であることにリアリティを持てないどころか、なにをやっても現実に確かな実感を持てない。この気分は、すでに過去のものになったとは、とても言えない。なぜなら、東浩紀がわかりやすくまとめているように、社会的な規範を内面化して成熟した大人になる近代社会のシステムは、大きくはマルクス主義や戦後民主主義に代表される「大きな物語」の信頼が失われていく(逆に言えば同調圧力が低下していく)一九七〇年代以後のポストモダン社会に必然的につきまとう気分だからだ(東[2001])。
 見も知らぬ人たち−日本国民でも世界市民でも−と〈私〉が同じ共同体に帰属していて、あまつさえ私と同じように社会の常識を考えていると確信しうるためには、誰もがそこに帰属していると想像される「大きな物語」が必要だ。しかし、「あなたはそれを善いと思ってるのね、私はそう思わないけど」といったかたちに誰もが帰属する「大きな物語」が崩れてしまえば、疑い得ない「善さ」の基準も消滅して社会は断片化される。誰もが「信じているふり」をしながら「それらしくふるまう」主体であることを求められる「〜らしさ」しかない相対化された世界では、どの立場を選択しても偶有的なものとしてしか感じられなくなるだろう。
 ゆえに、〈いま・ここ〉にあることに絶対的な必然性を持てない(局所的な)身体は、絶対に相対化しえないリアリティの準拠点を求める。「らしさ」によって相対化される「虚構の時代」は、その相対的な偶有性をバネにして、今度は意味付けが不可能な〈現実〉へと逃避する「不可能性の時代」へと移行する。その二つの時代の重なりがオウム真理教に顕在化した。これが大澤の診断である。その絶対的な〈現実〉がクンダリーニ・ヨーガで得られる、自らを流体とすることで波動として実感される〈私〉と〈他者〉の共振=同化する身体だった。

[2-2] 悪夢のユートピア

 身体感覚を恢復するための修行。それはどういうものだったか。例えばグル(麻原)が信者の額に親指を当てて霊的なエネルギーを注ぎ込む「シャクティ・パット」、あるいはグルの脳波を電子的な方法で弟子の身体に伝送する「PSI」というヘッドギア。まるで「電脳化」をそのまま実践してしまったようなイニシエーションは、言葉を用いた対面的・媒介的な関係性を全く抜きに感応=共振する「極限的に直接的なコミュニケーション」を志向していた。麻原の身体の一部−血液や毛髪−を飲み込むイニシエーションは、麻原という〈他者〉と一体化する欲望を端的に表現している。言語を用いた対面的コミュニケーションでは記号を媒介するために人と人の「あいだ」をつくる。反対に、感覚レベルで波動となった身体コミュニケーションは意識の隔たりを無化したフュージョンを可能にする。いわば、〈私〉は波動となることで〈麻原〉になるのだ。
 このように、九〇年代には「身体」が不在であったわけではなく、相対的な偶有性に耐えられなくなった身体が「過感的」と言いうる最も直接的な身体を露呈させた。それが、オウム真理教に象徴される九〇年代の陰画(ネガ)だったのだ。
 しかし、二〇年以上前の新新宗教の常軌を逸したカルト的なコミュニケーションが私たちに何の関係があるのか。もちろん、そう断言することはできない。むしろ私たちは『ワークショップ』に見られたのと非常に近しい身体性を発見して、いささか驚くのではないだろうか。『ワークショップ』の感応=共鳴することでゲル化した「群生態」は、オウムが欲望した「身体」によく似ているのだ。それはなぜか?
 仮説的に、こんな風に考えてみよう。ポストモダンが「大きな物語」に依拠せずして〈わたしたち〉を組織する歴史の段階であるというならば、言語という外在的な第三項(象徴秩序)を媒介しないオウムのコミュニケーションは、徹底された「ポストモダンの身体」を表現するものだ、と。ならば、感応=共振することから融解する身体は「ポストモダンの条件」として何度でも回帰してくる。それは九〇年代から一〇年代へと引き渡された”問い”の所在を私たちに告げるものでもる。
 大澤がこの問題を考えるにイメージしやすい例を『不可能性の時代』にてあげているので参照したい(159~168)。九〇年代に入って流行した精神疾患のひとつである「多重人格」だ。定説では、多重人格とは幼児期に受けた性的虐待のトラウマを病因とする。ところが、しばしば虐待の記憶自体が捏造であったことが分かってくる。多重人格の患者は虐待する「猥雑な父」という暴力的な現実を実はみずから必要としていたのである。「猥雑な父」は最も暴力的であるがゆえに相対化されない〈現実〉であるために、あらゆる可能な−相対化された−人格を担保する超越的な準拠点となる。「猥雑な父」によって相対化された諸虚構は断片化されたままで−とりあえず−安定するのである。
 本論の文脈で、「猥雑な父」の形象とはもちろん麻原のことである。ここから次のようなことが言える。オウム的な集団とはどこにも必然性の感覚をもって帰属できない「空虚な生」が、ハルマゲドンを欲望する「猥雑な父」との共振的な同一化を持って−麻原の意志で充満した−アイデンティティを獲得する、そうした集団の機制だった。いわば、生きる意味を持てない無名のものたちの空洞化したアイデンティティを、苦痛や快楽といった〈絶対-身体-感覚〉から収奪する組織体こそ、オウム真理教なのである。だとするならば、〈絶対-身体-感覚〉に準拠した組織体は、有象無象の群れが囲い込まれ、他者の存在が許されない―〈他者〉であれば即スパイである―〈外部なき群れ〉に自閉する。その共同体の内部に帰属するのは、確かに心地良いものであるかもしれない。だが、逆に言うなら、グル=麻原の猥雑な意志で満たされる「空洞化したアイデンティティ」を持ったものしか存在が許されない、それは悪夢のユートピアだ。
 したがって、私たちはここに一つの問いを聞き取ることができる。ある〈身体〉のありかたが特定の共同体を組織するのであれば、チェルフィッチュ+山縣太一の感応=共振するコミュニケーションからなる群生する身体は、必然的に他者を排除する〈外部なき群れ〉へと自閉していくのだろうか? 当然のことだが、演劇集団はいつでも狂信的なテロ集団になりうる、といったことを言いたいわけではない。また、オウムの信者とチェルフィッチュ(ズ)が同じような反社会的な振舞いを見せたということでもない。他者の存在を常にすでに排除していく〈外部なき群れ〉が成立する〈身体〉の条件を問うべきだと言いたいのである。

[2-3] 身振りの圏域

 〈身体〉と〈共同体〉の問題をどのように考えていけばよいか。参考になるのはジュディス・バトラーのパフォーマンス理論だ。「パフォーマンス」という文脈からは、例えばある特定の言語行為は現実構成的なパフォーマンスとして働くといった『言語行為論』や、文化人類学と演劇をクロスオーバーさせたシェクナーの『パフォーマンス研究』、あるいはリヒテの『パフォーマンスの美学』といった相互に関連し合う蓄積がある。その歴史的な背景をここで展開することは難しいが、バトラーの「パフォーマティブ・アクトとジェンダーの構成」([1995])は演劇/現実/文化をとても簡潔な形で串刺しにして論じている。
 そこでバトラーは「女性」が生物学的な事実に基づくのではなく、文化的に構築されたカテゴリーであるというフェミニズムのジェンダー理論に同意を示す。しかしそれが「女性」というジェンダーを前提してしまっているために、ジェンダーがどのように再生産されるのかに注意を向けてこなかったことを問題視する。
ジェンダーはさまざまな行為が発生する原点となる安定したアイデンティティでもなければ、主体の場でもない。むしろそれは、時間の流れのなかでかりそめに構成されるアイデンティティ――種々の行為をあるかたちで繰り返すことによって作り出されるそれなのである。([58])
 バトラーによれば、「女性」という「かくあるべし」を命じる社会的規範が内面化されてくるのは、日常的な場面で身体に沈殿した「期待に合わせてさまざまな形で演じられる身体を通してである」([64])。「女性」というカテゴリーがはじめから存在しているわけではない。むしろ繰り返し遂行される―パフォーマティブな―身振りにおいて「女性」というカテゴリーの方が構成されていく。「ジェンダーはそれが遂行されている/演じられている限りにおいてのみ現実だということである」([68])。文化的な規範は遂行される/演じられることで現実に再生産される。例えば、「男らしさ」や「女らしさ」というカテゴリーは、明示的に強制されているだけでなく、無意識に遂行される身振りによって絶え間なく身体化されていく、というのは比較的イメージしやすい。高校生活の中で「ズボンを履く」という行為/演技は、まさにその行為/演技において「男らしさ」を身体化してしまう。それが無意識に沈殿した規範の押し付けなのは、誰の目にも明らかだ。
 これを本論の文脈に沿ったかたちで一般化するなら、こう言える(※5)。〈身振り〉が遂行されることで自身が属している共同体の歴史的・文化的な価値観は「内面化」=「身体化」されてくるのであり、逆に〈身振り〉することで自身の属している共同体が再生産されもする(例えば無印良品で買い物をするといった消費行為もここでは文化的再生産である)。つまり〈身振り〉と共同体は相互フィードバックループする関係を持つ。
 したがって、〈身体〉の介入を条件とする演劇においては、つねに〈身振り〉がいかにして〈共同体〉を組織するのか? が最大の問題になってくる。そう考えねばならない。実際、六〇年代アングラ小劇場の系譜に属する演劇たちは、「日本人の足の文法」を分解・再構築する鈴木メソッドをはじめとして身体訓練を非常に重視してきた。なぜかと言えば、それが「アメリカ」を理想とした高度経済成長のうちで忘却=疎外されていく土着的な「日本人」のアイデンティティを仮構することを目指したからだ。続く、八〇年代にせよ九〇年代にせよ、それぞれの時代の文化的規定性に応じて、その支配的な価値観は〈身振り〉を通じて身体化されてくるであろうし、逆に〈身振り〉の遂行が現実を構成する想像力によって、その価値観に抵抗を示すことだって不可能ではない。それが実際的に〈他〉なる〈現実〉を構成しえたのか? というのは検証が必要だろうし、あるいは否定的な答えしか返ってこないかも知れない。だが問題はそこではない。いまだ顕在化してはいないが、しかし〈身振り〉に潜在している想像力の場所を問い続けることが問題なのだ。こうした〈身振り〉から開かれる潜在的な想像力の場所を、筆者は〈身振りの圏域〉と名付けたい。
 次に、私たちは九〇年代演劇から引き継がれた〈身振りの圏域〉を振り返ることで、チェルフィッチュ(ズ)に孕まれる潜在性を問う。他者を排除する〈外部なき群れ〉へと自閉するのか、それとも、なにかしら「よく群れる」ための場を私たちは構想することができるのか。

[Ⅲ]九〇年代のオモテ

[3-1] 現代口語演劇の身体とは

 〈身振り〉は共同体を再生産するとともに、共同体の規範を絶え間なく身体化する。オウム的な〈外部なき群れ〉も、その信者の〈身振り〉を通じて再生産されていくだろう。しかし、反復される〈身振り〉の遂行が〈猥雑な父〉と感応=共振を起こす極限的なコミュニケーションであるとするならば、そこにはもう身体化される「アイデンティティ」が〈猥雑な父〉を相対化する余地がない。いわば、遂行される〈身振り〉はそこで消滅してしまい、〈外部なき群れ〉は他者を排除しながら自閉していく。では、ここから私たちは「よく群れる」ための〈身振りの圏域〉を発見できるだろうか? 九〇年代から引き渡された”問い”とは、まさにこのことだと筆者は考える。
 ところで、筆者はチェルフィッチュ(ズ)がある意味では〇〇年代の特異点ではないと言った。九〇年代の「感応=共振する身体」のレベルで連続性が見て取れるから、という理由に加えて、やはりチェルフィッチュ(ズ)の系譜における一つの出発点にもなった平田オリザの演出論が、すでにしてオウム的な〈外部なき群れ〉への抵抗として存在しているからにほかならない。もちろん、この「すでにして」は現在から振り返って「事後的に」構成された視点にすぎない。平田オリザが率いる「青年団」は一九八二年に結成されており、平田オリザがのちにまとめる「現代口語演劇」といわれるスタイルがほぼ確立したのは『花郎』(のちに改定されて『さよならだけが人生か』)の上演された一九八八年のことだ(平田[2004:153])。だからオウム真理教の地下鉄サリン事件に先立って自身の方法論を練り上げていったのが平田オリザというわけなので、「オウム真理教」の事件に影響されたなんてことは考えられない。
 しかし、いわゆる新人類・おたく世代にあたる平田は六二年生まれで、彼自身がたびたび「この六二年というのは、犯罪者を量産した年」なんだと語るように、宮崎勤やオウム真理教の上祐史浩と同年生まれである(平田[2004:25])。そのことを平田は強く自覚している。「らしさ」で相対化される「空虚な生」に耐えられない八〇年代的な現象としての「オウム真理教」があるならば、平田の「現代口語演劇」は戦後日本が八〇年代に行き着いた「空虚な生」に対するまた別のリアクションだったと理解することはそれほど難しくはない。現に、リアルな日常を描くと言われる「静かな劇」には一見したところ〈身体〉への言及がないように見えるが、オウムの〈外部なき群れ〉を反射材として置くと、実は平田オリザに固有の身体論が潜んでいることがわかる。したがって、ここでは彼の演出論に表現されている〈身体〉についての洞察を辿ってみよう。

[3-2] 内面はいらないか

 注目したいのは、八〇年代演劇批判であると同時に、オウム真理教への直接的な応答として解釈できる「都市に祝祭はいらない」(平田[1997])である。「現代口語演劇のために」には見られなかった「身体」に対する言及がそこでなされている。
この身体性の麻痺が蔓延した集団を、私たちは通常、カルト集団と呼ぶ。また、その現象が国家レベルで起こるとき、そこにファシズムが生まれ、あるいは戦争が起こる。……「都市のストレス」は、従来の、単なるストレス発散型の祭りだけでは解消できない。……おそらく、ここに逆転が起こっているのだ。過剰な情報や刺激をシャットダウンした静かな空間、そこで自己と自己の生活を見つめ直す静かな時間を求めて、クリスマスイヴの観客達は、私たちの劇場に足を運んできたのではないかというのが私の仮説である。(平田[1997:36,38])
 平田いわく、「本当の私」などというものはない。一方で、体験の積み重ねは自分の血肉と化した「身体感覚」を形成する。ところが、過剰な情報の氾濫は自身の座標軸となる身体感覚を麻痺させてしまう。だからこそ「単なるストレス発散型の祭り」ではなく、「過剰な情報や刺激をシャットダウンした静かな空間」で、自己を見つめ直すことが必要なのであり、もはや「都市に祝祭はいらない」のだ。
 言及されている「カルト集団」は出版年から考えても「オウム真理教」のことだろう。本論の文脈に照らすなら、情報の氾濫(スペクタクル)に巻き込まれるのでもなく、〈猥雑な父〉に帰依して身体感覚を麻痺させるのでもなくて、小劇場で「静かな劇」を見て座標軸となる「身体感覚」を反省的に自覚しようと平田は呼びかけていることになるのだが、端的に言ってこれは〈猥雑な父〉に騙されない自覚的な身体コントロールが可能な「内面」を持ちましょうと言っているに等しい。そうすることで〈外部なき群れ〉に陥らないようにするというのが、平田オリザの応答になっている。
 「身体の自覚」は別のところでも主題化される。『演技と演出』(二〇〇四)は平田が世界全国津々浦々で開催してきたワークショップの内容をベースに、演出・演技に対する基本的な考え方がまとめられた良書だが、章立てにある「イメージを共有する」「意識を分散する」「コンテクストを摺り合わせる」は、〇〇年代以後の演劇人であればかなりおなじみのものだろう。そのなかの「コンテクストを摺り合わせる」は文化・時代・階級・地域などなどの違いで「一人ひとりの言葉の使い方の違い、あるいは一つの言葉から受けるイメージの違いを、私は『コンテクスト』と呼んでいます。」(平田[2004:90-91])と説明されていくわけだが、つまりこれは文化や歴史が〈身振り〉において「身体化」されているということだ。だからコンテクストの摺り合わせというのは、各々で相対化された〈身振り〉の身体感覚を自覚していくプロセスであり、「自己を見つめ直す」作業のシミュレーションを平田はワークショップに組み込んだのだ。
 しかし、しばしば平田は「役者は交換可能な存在である」「俳優は考える駒である」「『私は歯が痛い』という主観は伝わらない」などなどと主張する。ついに二〇〇八年にはロボット工学者の石黒浩とタッグを組んで「ロボット演劇」のプロジェクトをリリースしてから「ロボットと俳優は置き換え可能」といった趣旨のことも言うものだから、「内面廃止論者」のように見えてくるところがある。確かに、バトラーを尋ねるまでもなく、内面が形而上学的な「実体」としてはじめらかあるわけではないというのが、デカルト的な心身二元論とは異なるパースペクティブを設定した現象学的な「身体論」の本義なのだから、それは当然と言ってもいい。かといって、平田オリザが単純に「内面廃棄」を目指しているというのは短絡だろう。なぜなら、感情や情念と等号で結ばれる「内面」を想定してしまうと、容易にオウム的な〈外部なき群れ〉へと回帰してしまうからだ。日本の現代演劇には〈外部なき群れ〉へと自閉していく必然がつねにつきまとっている。

[3-3] 〈私演劇〉の〈身振り〉

 それこそ、内野儀が〈私演劇〉と、あるいはのちポジティブな意味合いを持って〈J演劇〉と呼ぶものである(※)。内野によれば、歌舞伎から小劇場にいたるまで日本の演劇は必然的に日本的情緒共同体を表現の根拠とする非―在の「私」の劇――すなわち〈私演劇〉になる(内野[1996:258])。そして、九〇年代には日本の文化圏では無根拠である「近代的主体/近代市民社会」が演劇状況のなかで出現してきたが、その反動で逆に情緒共同体が希求されている、と言う。
それを演劇表象固有の問題としていいかえるなら、「なぜ群れるのか」という問題に尽きることになる。集団・集団性の問題ではない。集団・集団性は、アングラがその始動期にはそうだったと考えられるように、自立した個我が出会う、あるいはそれらを出会わせる場である。それとも、集団化することによって、逆説的に、自立した個我を現前させる場所である。つまりは、差異の認知とその戯れ/闘いの場としての集団である。しかし、情緒共同体的「群れ」は、自立できない個我がそのことを隠蔽するために集団化したものだ。だからそこでは、差異の解消が目指され、同質性のドラマがさまざまなレベルで上演されることになる。([265])
 情緒共同体とはなにか。非常に単純化して身も蓋もなく言えば「泣ける!」という事実性のみで組織される共同体である。特に根拠はなく「泣ける!」作品に対して〈私〉がどう思ったかというメタ的視点が仮構されず、そこから生起してくる「泣ける/泣けなかった」の受動的な〈身振り〉だけが、作品の価値を決定し、またそこに帰属しうる成員が決定される。そういう誰が「権力」を持っているのかが判然としない「不可視の権力システム」である。そこでは、そもそも〈身振り〉がアイデンティティを構築するパフォーマンスとして機能しない。そこで身体化されてくるものが、普遍性を帯びていると想像される歴史的・文化的な規範(大きな物語)ではなく、「泣ける!」というヌエ的な情緒だからである。付言しておくと、ここで内野がいう〈私演劇〉は、椹木野衣の「悪い場所」論とほぼパラレルな認識である。戦後日本の「閉じられた円環」で同じ問題を反復する「悪い場所」の演劇的な表象が「泣ける!」の共感・情緒的共同体だといえるだろう。
 さて、内野が八〇年代演劇とオウム真理教を重ねて論じていることからもわかるように、第三舞台にせよ夢の遊眠社にせよ―この何作かを筆者はDVDで見ている―確かに、何度となく指摘されるように「朝日のような夕日をつれて僕は立ち続ける……」という朗唱を謎のダンスと共に聞かされると、なんだか泣いてしまうことはよく分かる……というのはさておき、そのハルマゲドン的な、あるいは「終わりのあと」的な想像力は、小劇場の内部を「核シェルター」にして自閉するという構造を持っていた。こうした〈私演劇〉の文化圏において感情的な「内面」を持つというのは、むしろ「みんな」に溶け込むことを意味する。だから、みんな=情緒的な共同体から身を引き剥がさないことには、共同体を超越して主体化する「自立した個人」という近代的主体が成立しない。
 なぜ平田が「内面」ぬきの「現代口語演劇」を構想していったかは一目瞭然だろう。身体感覚を取り戻すことは必要だが、かといってそこに没入して「みんな」とつながるのではなく、そこを切り離すことによってはじめて平田が言うような「近代演劇の到達点を示す」ことも可能になる。共同体と対峙する「内面」を仮構できない日本的主体にも可能な「近代」をシミュレーションすること。それが、「現代口語演劇」のプロジェクトである。
 したがって、情緒共同体へとつながる路になる「身体感覚」は厳密にコントロールされねばならない。つまり、身体感覚に同一化してしまうのではなく、常にそれから意識を引き剥がし、「ニュートラルな身体」(『演技と演出』)を維持せねばらない。結果的に情緒的共同体を召喚してしまう〈身振り〉は抑制されることになる。
 例えば、青年団の俳優の能島はこんなふうなことを言っている。
能島 初めて青年団のオリザさんの演出を受けた公演で、(役として)つらい思いをするシーンがあって、その後すごく自分の感情に浸っていたんですよ。そうしたらオリザさんに「それ引っ張らないで」って言われて……私は結構台詞と自分がいい意味でも悪い意味でも癒着しているタイプの役者だと思っていて……その癒着しちゃっている自分のものと、外部からの負荷っていうんですか、そういうものを調整しながら、でもふわっと浮いているゾーンは自分の思っている感情のままにその時間を過ごしたり。いろんな要素を調整しながら過ごせるようになりました。(想田[2012:183])
 しかし、あえて「戯曲」ではなく「演出」の思想に目を向けている私たちは、それが結局のところ、身体感覚の喪失を温存し続けることに気づかないわけにはいかない。要請されるのは誰でもない「ニュートラルな身体」なのだ。内野儀は先に引用した箇所に続いて、「『静かな劇』の観客は情緒共同体に同一化するのではなく、ただ凝視する。……すなわち、日本的情緒共同体を距離化/対象化する身ぶりにおいて永続化させてみる」だけで、「情緒によって表面的に『群れ』、つながる(あるいは『群れさせられ』、つなげられる)人びとの生態を、ただ実直に描写することしかできない」と相当痛烈に批判している(内野[1996:266-267])。だから、情緒共同体の外に立って、〈みんな〉と一体化しない批判意識を持つことはできるかもしれない。また、ワークショップを通じて「身体感覚」のコントロールを学ぶこともできるかもしれない。平田オリザの世界観をありのままに表象あるいは描写することはできるかもしれない。しかし、俳優が〈身振り〉することで自らのアイデンティティを出現させることだけは禁じられている。
 ところが、この「禁止」を告げる劇作家の「大きな主体」の演出論から〇〇年代後を走り出した「鬼っ子」が飛び出してくる。

Ⅳ 〇〇年代以後へ

[4-1] リアルへの欲望

それは表現というよりは、描写、あるいは記述と呼ぶべき行為かもしれない。/世界をありのままに記述したい。/私の欲求はそこにあり、それ以外にない。/すなわち私は、現代演劇の役割もまた、この「私に見えている世界を、ありのままに記述すること」のみだと考えている。(平田[1997:24])
 九〇年代とは「らしさ」の相対化を背景にして身体感覚を失調した「空虚な生」が、過剰なまでに〈身体〉を欲望したディケイドであった。オウム真理教はそれを「共振=感応する身体」からの〈猥雑な父〉との同一化で恢復しようとした。一方で、平田オリザの「現代口語演劇」は「感応」に巻き込まれないよう、身体感覚=内面を引き剥がしてコントロールする「自覚」のプロセスを取り入れた。しかし、俳優が〈身振り〉することのポリティクスだけは禁止される。
 九〇年代のネガは〈外部なき群れ〉を再生産する共振=同化する身体を、九〇年代のポジは〈外部なき群れ〉をとりあず自覚する「ニュートラルな身体」を、どちらにしても、よく群れるための〈身振りの圏域〉は〈いま・ここ〉に顕在化してくることはない。
 大澤真幸の時代区分を再度参照してみるならば、理想の時代は「新劇」(市民の啓蒙)に対応して、虚構の時代は「アングラ小劇場」(大衆の運動)、その果てに八〇年代小劇場(サブカル)が対応すると大雑把にくくることができるわけだが、それでは最も直接的な「身体感覚」が規範となる「不可能性の時代」に片足を踏み込んでいたがゆえに問題であった「オウム真理教」に即応するのは、実は「現代口語演劇」ではないか? なにしろ、「現代口語演劇」とオウム真理教の出発点はどちらも「身体の失調」なのだ。その孤独に耐えるか、耐えられずに〈猥雑な父〉を求めるか。その二択があるだけであって、本質的に両者は同時代的な精神性を分かち持っている。文脈を広げれば、この選択は、演劇内部でだけではなく、思想や批評の場面でも同様の問題が繰り返されていると言っていい。
 平田オリザの「私に見ている世界を、ありのままに記述する」ことの欲望は、すでにそのことを告げている。
 ところで、筆者が京都に在住していた時、初めて観劇した「青年団系」の劇団は五反田団で、それからハイバイだった。その後、青年団そのものも観劇することになるのだが、とにかく、あまりにもそれまでに観ていた「会話劇」と言っていたジャンルとは違っていた。いわゆる俳優のプレゼンス―現前性―がまるで違う。こうした感想は、演劇というジャンルに親しい人たちにとっては、何をいまさらと思われるかも知れない。しかし、開演前から俳優が舞台に登場して、すでに半分はじまっているということも含めて、客席の「コチラ側」と舞台の「アチラ側」の境界が非常に曖昧になっている。
 つまり、現代口語演劇のリアルは明らかに「プレゼンス=現前性」と「リプレゼンス=再現性」の二種にまたがっている。この二種の「リアル」の存在は平田の著書をいくつか読めばすぐに分かることにもかかわらず、「リアル」という用語によって二種類のリアルが混同され、「虚構/現実」の二項対立に「リアル」が押し込められている。したがって、「ありのまま」ということのうちには「プレゼンス」と「リプレゼンス」がすでにいつも共在している。
 ところが、この「プレゼンス」が「リプレゼンス」をついに食い破ってしまったのが、チェルフィッチュ(ズ)なのである。その破れ目は「意識を分散する」というつとに知られた方法に潜んでいる。
 「意識の分散」という方法では、複数の動作―時計を見ながら歩きながらセリフを言う―を同時に遂行することで俳優の身体に負荷をかける。平田は、これによって演技が「自然な感じ」に見えるようになるという(平田[2004:72])。確かにそれは「自然な感じ」に見えるという「リプレゼンス」に寄与する効果も持つが、しかし方法概念としては、意識が分散されることで俳優の「無意識を露出させる」ことを目的とした(目的になってしまう)方法だと再解釈することができる。
この方法論には、落とし穴もあります。意識が分散するということは、同時に集中力が拡散するということですから、たいていの人は、負荷がかかると、身体の力は抜けても、台詞のどこを言っているのかわからなくなってしまったり、相手の台詞を言ってしまったりして大きな混乱を起こします。(平田[2004:74])
 平田はこの「混乱」をあらかじめ排除する。しかし、プレゼンスとしての「現代口語演劇」のリアルは「意識の分散」という方法による「無意識の露出」にある(※6)。そしてチェルフィッチュ(ズ)が、この方法を最大限に活用しはじめたのである。

[4-2] チェルフィッチュ+岡田利規へ

僕はよく、自分のスタイルにはブレヒトと平田オリザの影響が反映されているとインタビューで答える。ふたつを混ぜたらこうなったんだと言うこともある。せりふを発することに張り付きがちな役者の意識をそこからはがして無為なしぐさにとりかからせる、という平田さんのやり方を発展させて、意識を身振りからもはがそうとしてみた、そしたらこうなった、と説明することもある。(岡田[2015:195])
 語られているのは「意識の分散」の方法だ。「しぐさ」と「言葉」は「イメージ」から生成されてくると岡田は言うこともあるが、現代口語演劇の場合は、〈外部なき群れ〉に巻き込まれないよう、そこから身体感覚を引き剥がすことが目指されていた。「意識の分散」による「無意識の露出」は「ニュートラルな身体」によって固定されて混乱が起こらないようになっていた。ところが、チェルフィッチュの場合は、その「ニュートラルな身体」をも「無意識」が露出してくるフィールドに仕立て上げたのだった。
 だが、日本的主体においては、メタ的な意識が働かず、〈身振り〉するパフォーマンスにおいてはつねに「泣ける!」でも「いいね!」でも「〜死ね!」でも、「アベハヤメロ!」でも……情緒=共感において生起してくる「みんな」が身体化されてくるのではなかったか? さらに現在の困難は、そうした情緒の炎上に一定の歯止めをかける規範が失われていることにある。戦後民主主義も総中流社会も崩れていき、過剰流動化したグローバル資本主義にさらされた個人が次に何が起こるかわからない確率的な時間に耐え続ける。社会の中で生きている実感も意味も空っぽになったうえで、偶有的な「感覚」だけを拠り所にして、日々をやりすごす。だから、猛烈に〈現実〉を求めてしまう。それは結局のところで、「炎上」を連鎖させることでしか自らのアイデンティティを確認できないような、他者の存在が許されない〈外部なき群れ〉を再生産していく。
 しかし、チェルフィッチュにおいては、ここに発想の転換がある。身振りにおける「身体化」では、確かに受動的に生起してくる情緒=共感が身体に書き込まれていく。しかし、その「みんな」の情緒的な共同性をノイジーな〈身振り〉で混乱させることはできるのではないか。「現代口語演劇」が用意した「意識の分散」とは、すなわち「みんな」を混乱させて〈外部なき群れ〉を、その檻の内部で暴れさせる方法なのである。そのことを反映して、岡田利規+チェルフィッチュにおいては、伝聞形式をとるテクストのなかで、複数の主体が入れ替わっていくという形式がとられたのではなかったか。『三月の5日間』から冒頭の部分を少しだけ引用しよう。
朝起きたら、なんか、ミノベって男の話なんですけど、ホテルだったんですよ朝起きたら、なんでホテルにいるんだ俺とか思って、しかも隣りにいる女が誰だよこいつ知らねえっていうのがいて、なんか寝てるよとか思って、っていう、でもすぐ思い出したんだけど……(『三月の五日間』)
 台詞は「わたしは〜と思う」といった志向的まとまりを持つ統合された意識の流れとしてではなく、感覚された〈いま〉が積み重なるようにして進行する。そしてここでは直接的な〈感覚〉にしか主体化の契機がなかったとしても、その〈感覚〉の複数的な混乱によって、他者が存在することが許されない〈外部なき群れ〉を〈生成される群れ〉へと変換していくのである。確かに、堂々としたパフォーマンスによる「主体化」に比べると、「何者」かへと成熟することのないジャンクな集積身体かもしれない。しかし、この〈身振りの圏域〉が、ただ〈私〉に自閉するのではない潜在的な開かれの可能性を内包している。
 ここまでくれば、私たちはもう一度、チェルフィッチュ+山縣太一の問いに立ち返ることができる。

[4-3] チェルフィッチュ+山縣太一へ

 わたしたちは、九〇年代から〇〇年代までのひとつの道を辿ってきた。もういちど『ワークショップ』の場面に立ち返りたいと思うわけだが、まずは岡田利規+チェルフィッチュがあくまでも「岡田利規」という脚本家・演出家によって組織された演劇であったのに対し、山縣太一+チェルフィッチュであるところのオフィスマウンテンが、俳優の自律を唱えているということが重要である。『ドッグマン・ノーライフ』のインタビューで山縣太一が答える。
どんな作品でも、俳優への敬意として当たり前だと思うんです。舞台作品は一人がつくるものではありません。責任も伴いますが、出演した作品は、自分がつくった作品と言っていい、と俳優には伝えています。
俳優はただ単に舞台に立てばいいのではなくて、作品について語ること、言葉をもつことが必要だと思っています。“僕の言葉”じゃなくて、彼ら彼女たちの言葉も引き出して、“僕らの言葉”に変える作業が、僕にとっての振付・演出です
※7
 演出家vs俳優のどちらが演劇作品の担い手なのか? という闘争はアングラ小劇場の「特権的身体」がいわれた頃から、繰り返し反復されてきた問いだ。平田オリザが提唱した「現代口語演劇」は「劇作家」の勝利を宣言することによって、そうした闘いに終止符を打った、極めて政治的な宣言でもあった。その意味で「現代口語演劇」とオフィスマウンテンは、完全な両極端を成している。ちょうど「現代口語演劇」では俳優が〈身振り〉することで主体化することだけは禁止されていたのに対し、オフィスマウンテンは、俳優が〈身振り〉することで主体化する可能性だけが追求されているからだ。
 さらに、『ワークショップ』はオフィスマウンテンのいわゆる「本公演」にあたるものではなく、あくまでも「ワークショップ」の発表会だった。しかしだからこそ、有象無象の〈群れ〉として、しかし九〇年代の内野が言うような「自立できない個我がそのことを隠蔽するために集団化」したような〈群れ〉ではなく、無数の有象無象に感応=共振することで〈私〉が可塑的変化を起こしていくような集団化の可能性を、筆者は『ワークショップ』に見て取った。だから、ここで最も重要な問題は〈身振り〉の方法である。
 『ワークショップ』で体験されたのは、知覚限界を超えた〈身振り〉のグルーヴが感応=共振していくことゲル状に混じり合った「群生する動物」となるさまだった。ならば、岡田利規+チェルフィッチュよりも、明らかに危うい領域に彼らが飛び込んでいるのは明らかだ。岡田利規+チェルフィッチュではまだ無意識的な「ノイズ」が身体に書き込まれていくといっても、それぞれの〈身振り〉は個別個別のものであり、また「知覚限界」を超えないように、よく統制されている。
 ところが、山縣太一+チェルフィッチュのほうは、いうなれば滅茶苦茶なのである。デタラメと言っても良い。それはイメージがよく身体化されていないとか触発を起こさないとか、そういうわけではなく、というよりは逆で、ほとんどついていけないほどのノイジーな情報が飛び交い続ける。『ワークショップ』では、多分に集合的なイメージを参加者が分有したりしなかったりすることで、「感応=共振」することで〈みんな〉に溶け込んでいってしまう可能性が高くなる。ある意味では、大澤真幸が記したようなオウム真理教のコミュニケーションに近くなっていくということだ。
 では、そのあいだの違いは何なのか? 「感応=共振」に〈身振り〉が介入しているかどうか。その違いである。つまり逆に言えば、オウム的なコミュニケーションは〈身振りの全滅〉を意味している。シャクティ・パッドはその最もたるものだろう。〈身振り〉が全滅するとは、〈私〉が〈私〉ではないものになることの不可能性を意味している。私たちは、〈身振り〉してみることで、あるいは我が身に生じた〈身振り〉の感覚に敏感になることで、無数の方向から「造形」されていく粘土のように、この世界との関わりを組織することが出来るのではないか。
 そのイメージは、まさに『ワークショップ』にて生じてきた「群生する他者」が〈私〉に浸透することで、〈私〉がグルーヴのなかで可塑的に変化していく、それに支えられつつも、またほかのグルーヴとの感応を試みていつの間にか変化して、それがまた他のグルーヴと……、そうした世界感覚。いわば、〈身振り〉してみることで、ゆるくつながって群生していく。そういう共同性のありかたである。
 私たちは、身体的な現前性を忌避するあまり、こうした〈身振り〉から想像されていく共同性にあまり目を向けてこなかったのではないか。演劇における〈身振りの圏域〉は、これからの新しい「群れ方」の潜在的な可能性を示してくる。さて、私たちはよく群れることができるか?
※1 演劇だけではなく、ダンスとアイドルの項目もない。「アイドル」がジャンルなのか筆者はこの分野に明るくないので判断できないが、つまりは「ライブ」批評がないのである。
※2 オフィスマウンテンよりご提供いただきました。
※3 オフィスマウンテンよりお借りした『ワークショップ』台本より抜粋引用。引用箇所は「参加者全員が行ったWSの過程で、出てきた文章を元に作家希望の一人(岡田勇人)が書いた文章」との注釈をいただきました。
※5 パフォーマンス・パフォーマティヴ・行為・演技・アクトなどなど、微妙に重なり合いながらも別種の概念系があるわけだが、ここでは議論を整理するために〈身振り〉に統一したい。チェルフィッチュという実例を持つ私たちからすれば、〈身振り〉は行為の主体を前提にするわけではないし、演技(虚構)にも現実(行為)にも属しているわけではないので、文脈に応じてニュートラルな解釈が可能である。厳密に言えば問題があるが、ここではその厳密さをとらない。
※6 本論ではとりあげないが、「無意識を露出させる方法」という解釈を与えると、京都の劇団「地点」や「マレビトの会」に継承されたものが比較的、見えやすくなるだろう。また、「意識の分散」は、太田省吾が用いていた「スローで歩く」という方法と明らかに通底している。全く論証は出来ないが、まるで太田省吾から「日本人」を身体化するという「重さ」をマイナスして「ニュートラル」になったかのようだ。これが確かであれば、六〇年代アングラ小劇場から「現代口語演劇」と「地点」のラインがおぼろげに見えてくる。
※7  http://yokohama-sozokaiwai.jp/person/16849.html
参考文献(※直接言及したものに限る)
東  浩紀 2001『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書
内野  儀 1996『メロドラマの逆襲 「私演劇」の80年代』勁草書房
内野  儀 1996b「八〇年代演劇とハルマゲドン幻想」『シアターアーツ4』
E・ボンド  2018『戦争戯曲集 三部作』あっぷる出版社
大澤聡(編)2017『1990年代論』河出書房新社
大澤 真幸 2008『不可能性の時代』(岩波新書)岩波書店
大澤 真幸 2009『増補 虚構の時代の果て』(岩波新書)岩波書店
岡田 利規 2013『遡行 変形していくための演劇論』河出書房新社
ジュディス・バトラー(吉川純子訳) 1995「パフォーマティヴ・アクトとジェンダーの構成 現象学とフェミニズム理論」『シアターアーツ3』
平田オリザ 1995『平田オリザの仕事① 現代口語演劇のために』晩聲社
平田オリザ 1997『平田オリザの仕事② 都市に祝祭はいらない』晩聲社
平田オリザ 1998『演劇入門』講談社現代新書
平田オリザ 2004『地図を創る旅――青年団と私の履歴書』三秀社
平田オリザ 2004『演技と演出』講談社現代新書
八角 聡仁 1996「Mal Vu Mal Dit」『シアターアーツ3』
想田 和弘 2012「青年団の俳優たち×想田和弘座談会 青年団で演じる」『演劇vs.映画――ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』
山縣太一 「http://kyunasaka.jp/archives/5707」(2018/3/30)

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