五反田某所における「小説の『自由』度について」の「講評・ワークショップ」

いまは、彼は窓の傍に置かれた椅子のひとつに座り、前方の少々明るく照らしだされた方を眺めている。いまはそこで、二人の男と別にもう三人の男女のうちひとりがマイク片手に話しているところだ。二人の男のうち一方はもう一方よりも若く、二人とも眼鏡を掛けている。三人の男女のうちいまマイクを掴んでいる彼女はその体を二人の男へと向け、その黒い「〇」の形である瞳にその二人の男が小さく映りこみ瞬きと共にその反映が消えては現れ消えては現れする。
向かって右側におけるより年配の男が口を開く。彼は、いまは彼女が語ったある種の文学的な考察に関して「講評」を行っているところだ。彼女は泣いておりしゃくりあげる声が窓の方まで聞こえてくる。年配の男はそれでも「講評」をやめず、若い方の男はと言えば年配の男を見(顔を向かって右へ向ける)、それから彼女を見(左へ向ける)、再び年配の男を見(再び右へ向ける)という動作をくり返しその合間合間(つまり顔が振り向けられた瞬間というか再び反対方向へ振り向けられるまでの間の時間)に「えぇ」とか「はァ」などの相槌をうつかもしくは全く言葉を発さずにその年配の男もしくは彼女における向こう側の空間もしくは本棚に並べられた本における背表紙をただ見つめているという具合なのだ。
不意にその二人の男あるいは三人の男女とは別のひとりが入口ちかく窓からは離れた位置で椅子における脚におけるその床に触れる部分とその床における表面とが擦れる音と共に立ちあがり、発言する。先生ご自身は「自由」に関して、「小説の『自由』度」に関してどのようにお考えなのでしょうか。そこで、窓の傍に座った男は殆ど脈絡なく傍のテーブルの上に広げられた紙や冊子の表紙に目をやる。その紙における一枚に「□」の形に写真がプリントされ、その写真に写っているのは「先生」である。その「先生」が今度は口を開く。それを君たちに考えてほしかったのだけれどね……。もうひとりの男(若い方)も言う。それを君たちにやってもらうのがこの「塾」の目的じゃないか。立ち上がったひとりがチッと舌打ちする。あんたに言ってるんじゃないんだ俺はこの「先生」に訊いてるんだ。
不穏な空気が室内へ充満する。しかしこんなことはいつものことである。隙あらば隣の同期生のアイディアを盗み自分の名前を書きつけて提出することも辞さぬような連中である。「俺が/私が見事総代を勝ちとり批評家としてデビューしてやる」という執着心で頭が破裂寸前になった連中である。
今回提示された「テーマ」は「小説の『自由』度について」というものだった。おそらく生徒たちの殆どが、パソコンのモニターあるいはスマートフォンの画面を覗いたまま「?」と思っただろう。何が何やら理解できぬ者が殆どだっただろう。そして更にこう思ったに違いない。「小説に『自由』などあるのか?」と。
そう、そこなんだ、と窓の傍に座った男の左隣の男が言う。もちろん僕は全員の提出分に目を通したけれどそれに対して腑に落ちる解説をしてくれた論考は無かったように思う。もちろんそれなりに皆理屈をつけているけどね。でも何だか「自由」を無理やりとってつけたみたいな感じだったなどの論考も。ああでもこれなんかと彼は左手に掴んだスマートフォンの画面に人さし指における腹を滑らせつつ言う。「課題」の「同じ言語芸術内の別ジャンルのみならず、映画・演劇・音楽といった他の表現ジャンルとの比較を通して」という点も押えていたと思うし。窓の傍に座った男はそのスマートフォンを受け取り、画面を見る(彼の瞳にその画面に並んだ小さな文字が映りこむ)。その画面にはこう書いてある。「小説における『自由』とは……であるからしてそれに比して……しかしながらフロベールは……エンマ・ボヴァリーはシャルルは……ルノワールは『ピクニック』はシルヴィア・バタイユは……描写とはだから……

(…)それは鯨骨を芯に張った中ぶくれの楕円形で、まずいちばん下には三重の腸詰状丸縁がぐるりをとりまき、つぎにビロードの菱形模様が赤糸の筋をあいだにはさんで兎の毛の菱形模様と交互にならび、それから上は袋のような形にふくらんで、その天辺には刺繍糸でごてごてと一面に縫い取りをほどこした多角形の厚紙があって、それからやけに長っ細いひもがたれて、その先に飾り総めかして金糸を撚った小さな十字形がぶら下がっていた。

「帽子は真新しく、庇が光っていた」年配の男は言う。ふむ、君はどうして『ボヴァリー夫人』を引用したんだね。しゃくりあげていた女の子の手にいまはマイクはなくその向かって左隣におけるまた別の女の子が向かって右側の手にそれを掴んでいる。それが適当だと考えたからです。描写の自由さを示すには『ボヴァリー夫人』がふさわしいと思います。なる程と年配の男は言う。いま、年配の男における隣の席は空である。いま彼はトイレに行っている。小便器の前に立ち両足を「∧」の形に開いている。床はタイル張りでつまり白い陶製である「□」が縦横に並んでいるのだ。大便器にまた別の誰かが座っている。彼は胸ポケットにさしこんであるスマートフォンから伸びるイヤホンを両耳にさしこみ一定のリズムで頭を上下に揺すっている。彼は音楽が好きなようだ。小便器の前に立った男は思う。一体いつまでこんなこと続けるんだ。もう二十二時だ。こんなこと全く無駄でしかないのに。早く帰りたい。彼はそれからズボンのチャックを上げる。全く、一体何が「小説の『自由』度」だろう。そんなもの自分は感じたことはない。彼は蛇口から出てくる水に両手を浸す。ちっ、全く何が「批評」だろう。
……という光景を思い浮かべて窓の傍に座った男はハッと我に返る。いまは眼鏡を掛けた年配ではない方の男は自分の席に再び腰を下ろしている。年配の方である男は激高し、マイクを床に叩きつけたところだ。スピーカーから異音が聞こえ、生徒たちは耳を塞ぐ。モニターには文字が向かって右から左へ流れている。大変なことになったと窓の傍に座った男は思う。滅茶苦茶じゃないか。
僕らも殴りに行こうと左隣の男が立ちあたる。こんな時でないと講師は殴れないものな。

一夜明け、その騒動が嘘みたいな同じ教室の中に立つと彼――「A」はすっかり「批評」の気分になった。「批評」だ「批評」だ! そう言いながら教室の中を椅子やテーブルをなぎ倒しながらぐるぐる回った。彼は自分が「批評」になった気分だった。
……と、ここまで書いて彼はシャープペンシルの芯をボキッと折ってしまった。彼は居眠りをしていたのだ。ちっと舌打ちをする。いまは彼は窓の傍に置かれた椅子に座っている。目の前には眼鏡を掛けた年配のと少し若い男が座っている。マイクを持ち、何か喋っている。「つまり」年配の男はマイクを口へ近づける「私は帽子を膝にのせていたんだ。変わった形の帽子だった。膨れていて、その下の方を『◇』の形が連なって取り巻いていたな。『+』の形が天辺にあった。金属の棒だ。それが『+』の形に交差して帽子の一番上に突き立っているんだ。僕は立ち上がったとき膝からその帽子を落としてしまった。ベランダの外へ。我が家は高層マンションだからね」
いま彼は椅子に座っている。ただし教室には彼以外ひとりもいない。彼だけである。彼は椅子に座り、傍に天板が「〇」の形であるテーブルがあり紙の束や冊子がその上に広げられている。その紙のうち一枚にこう書いてある。「小説の『自由』度について」。彼は舌打ちをしてそのテーブルを蹴り倒す。がたーん。
壁に設置されたモニターに映像が映しだされている。授業の映像である。文字が向かって右から左へ流れてゆく。椅子が飛び交い、テーブルや講師が倒れている。両目や鼻の穴から血を流している。呻き声を上げている。その口における「∩」の形に並んだ歯が見える。彼は言う。小説の「自由」度……。そんなものはない……。小説は「不自由」なのだ……。ゲフッゲフッ、ゲフッゲフッ。そのまま彼は動かなくなってしまう。生徒たちがその背中や頭を踏みつけてゆく。生徒たちは皆笑い、血溜まりにつるっと足を滑らせてデーンと尻餅をついたりする。その尻餅をついたひとりは立ちあがって、床に強くうちつけたその尻を血でびしょびしょになったズボンの生地ごしに右手のひらでごしごしと擦る。
日の光が窓から室内へさしこんでいる。窓の外、そのずっと下を道路が通り、その上を車が行き来している。「A」は窓を閉め、その窓と窓との境に位置するロックをかける。彼はデニムパンツにTシャツにスニーカーという格好だ。その影が彼のうしろの床へ伸びている。その影が動く。彼は右手に鍵を掴んでいて、そのじゃらじゃらという音が聞こえる。彼は倒れたテーブルを元へ戻す。床に紙や冊子が散らばっている。彼は椅子へ腰を下ろす。
画面からまだ声が聞こえる。「どうする?」「ぎゃああ痛ぇえ!」「死ね」「批評万歳!」「小説は自由だ!」「カーッ、ペッ(痰を吐く音)」「ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ(嘔吐物を吐きちらす音)」「愛してるよーッ」「俺は大ッ嫌いーッ」「批評なんか糞だーッ」「うんこ漏らしたー」「ゲロ吐きそうだ」「勝手に吐けよ」「このゴミ野郎」「蛆虫女」「害虫が!」「『自由』ってどこにあるんだ……?」

※……『ボヴァリー夫人』(山田訳 河出文庫)より

文字数:3808

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