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本当の自己愛についての考察

はじめに

名前に「三」のつく、文学者がいる。
第一回目の芥川賞受賞者の石川達三、同賞の受賞者・三浦哲郎、椎名麟三に山本有三、三島由紀夫、長見義三。三好達治に黒田三郎、小野十三郎…
伊藤整の受け継がれるべき大著『日本文壇史 全18巻』(講談社・1953-1973)の巻末の索引から、キーワードの「三」に関連する女性を探してみた。第6巻は、1902(明治35)年前後を描いており、ちょうど女性の存在感が出てきた頃だが、このキーワードは女性との相性の問題なのか、なかなか出てこずにいて、ここまでないことにあっぱれでもあった。

33歳で亡くなった文学者は、正岡子規・服部達・中島敦・織田作之助らがいる。
文庫本のカバーのソデや、『日本近代文学大辞典 机上版』(講談社・日本近代文学館編・1984)から、写真を見つめてみる。作家紹介の一枚は、若いころの写真をまず使われずに渋みが出てきた顔を以て作家として扱われるであろう風潮は定説であるようだ。
さらに没後33年へと枠を広げると、1983年に亡くなった有識者は、里見弴(兄弟に有島武郎・生馬がいる、三兄弟のまん中)、小林秀雄・寺山修二・田村隆一・黒澤明・牛腸茂雄・花登筐などの顔ぶれが勢揃いし、指の間からずるりと大切なものを失った年に、震えが出る。

文学には、作り手・作品・読み手(受け取り手)この三者が必要になる。
受け取り手によって解釈は確かに勝手で、作り手が操作はできずに時に意図しない方向に解釈されてしまうこともあるほど、自由だ。
その三位一体さが文学・芸術には必要であるから、これまでもこれからも形を変えては循環していく。

 

「大人の遠足」に出かけよう

これまで作品のモデルとなった地へと、今で聖地巡礼と呼ばれるものに出かけたことがある。
武者小路実篤の芸術村として来年が創設して100年になる「新しき村」(埼玉県毛呂山町の方)は、ずらっと並んだソーラーパネルが印象的だった。蔵原伸二郎の詩碑がある飯能の天覧山(標高197m)は思った以上に低かったこと(飯能は、三島由紀夫の唯一のSF小説『美しい星』の舞台地)。ソウルにある、今年生誕100年を迎える韓国の詩人・尹 東柱(ユン・ドンジュ)記念館は、学生が授業で訪れていた。今でも人気のある詩人で韓国内で知らない者はいないようだ。ソウル市内の大手書店でも詩のコーナーが用意され、日本では地位が低い詩人も、韓国では胸を張って「私は、詩人です」と答えられ、尊敬される対象にあたる。

本を参考にここには主人公が通った道なんだと、同じと思われる道をぽつりと歩いた。舞台の地をたしかにその場所を見た、歩いた。
よほど大きな力を加えなければ、地形は変わらずにいる。石で作られた階段がコンクリート製になっていたり、作品当時よりも階段の段数が変わっていたりと細かい点は違っていても、意外に何かが残っていたりする。100年前以上の作品でも、だ。
それは本がぐっと身近になり語りかけてくる瞬間である。

昔は親から子供までの世代交代が一世代30年と言われていたから、親族の中で100年前の話を聞いた者もいるかもしれない。自分からみて曾祖父母と直接話を聞いた者だってきっといる。その時代の話を聞いては、縦にも横にも興味の幅が膨らんでいく。本当の自己愛とは、食事を写真に撮って喜んでいるだけではないのだ。
読書はその人の血肉になるが即効性のあるものではないので、読書は目立たない。根の部分に流れる水脈のようなもので、何かの時にふっと浮かんではとてつもない力になってくれる。短歌や和歌の言葉も身体に沁みこませるとふいに出てくる。読書は力強く、今すぐ役立たないと思われるようなものほどいずれ大切な財産になると信じている。

1909年に刊行された、田山花袋(1872-1930)の『田舎教師』(新潮文庫・1952年初版、2010年107刷)を参考に、出てくる地名を書き出して作品の地名およそ40ヶ所が現存しているか調べてみたことがある。実際に舞台地も訪れてみた。
埼玉県の利根川沿いにある行田市・羽生市を中心にして、早世した小学校教師・林清三の生涯を描いた作品。
その作品のモデルとなる、小林秀三という人物が実在した。今でも羽生駅を出て、すぐの建福寺に彼の墓がある。

貧しい家に生まれた主人公の林清三は周りの同級生が上の学校へ進学していく中、自分は田舎で働かないといけなく自宅から小学校まで四里(およそ16キロ)の道を歩いて通った。文学を志した清三は、上野に出て音楽学校の試験にも挑戦したが再び田舎に戻り、教師の生活を送る。

作品発表当時は、文学で成功をすると貧しい家庭出身の者でも一気に有名になっては世間に知られる存在になったのだ。
清三のように、そのとにかく浮かび上がりたい様子は、作者の花袋と重なって見える――。
当時、文学の世界で圧倒的だった硯友社の尾崎紅葉の元に小説の指導を乞いに通っていた花袋はどうしても硯友社風になじめずに紅葉門に入ってはいたものの、『文学界』『国民之友』の半硯友社的なグループに入っていった。
花袋は、とにかく浮かび上がりたくいたのだ。
この作品を「私の愛児の一である」とし、幼くして父親を亡くし文学の道もなかなか果たされない時代を過ごした花袋。田舎教師の舞台地の利根川を挟んだ向かいの群馬県館林市に出生した花袋は、故郷同様に関東平野の自然を知っておりモデルとなった小林の境遇に共感した。亡くなった彼の日記を見て、話を聞いていくうちに「日記を見てから、小林秀三君はもう単なる小林秀三君ではなかつた。私の小林秀三君であつた。何処に行つてもその小林君が生きて私の身辺について廻つて来てゐるのを感じた…」(『田舎教師』角川文庫・1976・福田清人の作品解説より)
そこまでの境地に入り、自身に落とし込んで引き受けた花袋は、作品中に本人が作家役として登場している。まるで主人公を見守っているようだ。
作品の地名は、前述の通り40ヶ所ほどあるが郵便番号簿や地図帳から確認すると、平成の市町村合併をこえて、そのほとんどが現存していた。

豊かな水量で坂東太郎の異名を持つ利根川沿いの景色もきっとあまり変わらないのだろう。実は、100年なんてあっという間なのかもしれない。作家たちの時空を超えた思いを受け取るためにも、その準備としてやはり動いてみないと分からない。体験したものはやはり強いんだ。

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