グッズがださい。

 グッズがださい、というか古い。

 日本人はブランド物が好きだ。公共の場を眺めればいつでも人々はブランド物を身につけている。中でもカバンが特徴的で、日本人のブランドカバン志向については、その特殊性を示す風聞の枚挙にいとまがない。多くの日本人にとって、街に出るときにどんなカバンを持つかはファッションの要なのである。そんな日本独特のファッション事情に近年いくばくかの変化が起きている。従来から人気だったヨーロッパやアメリカ発祥のハイブランドや、トレンドに乗った国産のファッションブランドに加えて、「アニメカバン」という新たな選択肢が出現しているのだ。この場合、ファッションアイテムの発売元ではなく、モチーフにしているアニメのタイトルが何であるかがブランドの銘柄に代わるのであるが、中でも今年2017年に25周年を迎える『セーラームーン』シリーズは四年前からISETANで、売り場の中心部を占めるグッズ販売イベントが催され続けており、今年の目玉商品は、キャラクター「プリンセス・セレニティ」を表現したカバンである。(図1)

図1−1『セーラームーン』プリンセス・セレニティのカバン
《ISETAN SINJUKU ブログより引用》
図1−2「プリンセス・セレニティ」キャラクター画像
《ブレミアムバンダイより引用》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『新世紀エヴァンゲリオン』からは「初号機」や「ネルフ」を表現したカバンがリリースされ、『忍たま乱太郎』からは、一番人気のキャラクター「土井半助」を表現したカバンが売り出され、『ゲゲゲの鬼太郎』、『ONE PIECE』、『おそ松さん』…… すでに文化にまで膨れ上がったアニメはもはや作中だけに留まるコンテンツではなく、ファッションなど多方面に裾野を広げる総合エンターテイメントとなっている。また、アニメやアニメファンは、かつて「ダサいもの」とされていたトラウマを抱えているため、アニメのオシャレ化はそのトラウマ治療の役割も担っているだろう。そして、自分らしさをアピールする装いを兼ねた「アニメカバン」は人気タイトルを網羅したかのように種類やデザインが豊富に作り出され、「オシャレ」の最前列に喰い込みつつあり、もはや人気アニメのグッズとして欠かせない新定番の傾向である。
 こういったアイテムは、作中に登場する小物を再現するか、配色やモチーフなどの特徴を捉えてデザインに落とし込むのが定石であるが、アニメのファングッズを、カバンに始まる「大人向けファッション」の角度から捉えた場合、『この世界の片隅に』は致命的なまでに古臭い。実際に販売されているアイテムを引用すると、図2のように、作品のメインビジュアルや名シーンを、マグカップや文房具、飲食物のパッケージなどにラッピングしたパターンのデザインが並んでおり、ことカバンに関してはタイトルロゴと絵柄を一色でプリントした(図3)という前時代的な有様で、言い換えればかつてアニメやアニメグッズが「ダサいもの」として扱われていた時代におなじみの風体だ。

図2『この世界の片隅に』グッズ
《制服のフジWEBショップより引用》
図3『この世界の片隅に』グッズのカバン
《制服のフジWEBショップより引用》
図4「すずさんノート」
《制服のフジWEBショップより引用》

 

 

 

 

 

 

 

 唯一の例外は、作中に登場するノートを再現したデザインの「すずさんノート」(図4)だが、『この世界の片隅に』にはノートより何より優先して再現し、グッズ棚に並ばせるべき、トレンドにそぐう特徴的なファッションアイテムが作中に登場しているのである。それは、主人公達が手にしている木と布のカバンだ。(図5)

図5《『この世界の片隅に』公式サイトより引用》

主人公のすずをはじめとした女性達が手にしているこの種のカバンは、持ち手が木製、本体が布製という仕様になっている。これは戦時下に、靴や装備類に使用する皮革が軍需のために不足してしまい、その代用の素材でハンドバックを作ったことから生まれたという独特のデザインだ。こうして、太平洋戦争の頃から日本の女性の多くが、皮革のハンドバックではなく木と布のカバンを使うようになった。それを別の角度から捉えて言い直せば、戦時下で使用しても周囲から非難されにくい、こういったデザインのカバンが当時の流行だったということでもある。戦後になると次第にこのカバンは流行から退くが、ショッピングサイトを覗けば今現在でも同様のデザインのカバンが販売されていることが確認できる。そこから、このカバンは現代人にとっても実用性を兼ね備えており、トレンドにさえ乗ればいつまた流行してもおかしくない品物であるのだとも分かり、そのポテンシャルを隠したまま眠っているともうかがえる。
 そしてアニメ『この世界の片隅に』が空前絶後の大ヒットを成し遂げたからには、作品の本体とも呼びうる映像を販売やレンタルしてその売り上げを伸ばそうという動きだけでなく、そのほかの人気アニメがそうしているように、グッズなど関連商品を幅広く展開しようという動きが、コンテンツ産業として次に期待される。例えば「サブリナパンツ」のように、映画が火種となって爆発的に流行したファッションが他の作品から観測できるが、『この世界の片隅に』の主人公が手にしているカバンの再現ないし類似の品をグッズとして展開すれば、同じくらいのヒットや流行、売り上げを成せるかもしれないのに、2017年夏の今、そういった兆候はまるで見られない。作品を視聴して感極まり、興奮冷めやらぬファン達は財布の紐を緩めながら、そのエネルギーをぶつけられるグッズの購入を欲望し、Twitteには公式へどんなグッズを期待するかというハッシュタグが発生しているほどであるのに、このビジネスチャンスをみすみす見逃して勿体無い限り。さらに言えば、作中では主人公が、そのカバンから口紅を取り出して使用する様子が描かれており、それは今すぐでも再現グッズを製造、販売できそうな小道具なのだ。リップアイテムと言えばたいていの女性は日常的にカバンに忍ばせているもので、複数を所有していても困ることがなく、グッズとして特に取り入れやすい。冒頭で紹介した『セーラームーン』シリーズももちろん、作中に登場する変身ペンを再現したリップスティックをグッズとして展開している。『この世界の片隅に』が描く時代には、まだ棒状の口紅が普及していなかったことから、主人公が使う口紅は独特の平たい容器入りのデザインとなっているので、もし実物としてうまく再現すれば、実用性と存在感を兼ね備えた逸品となるであろうと期待される。その実用性について補足すると、棒状の口紅が主流となった今の日本でも、平たい容器入りの口紅は多く流通している。中でも井田ラボラトリーズ社のブランド「CANMAKE」によるそのデザインの口紅や頬紅は、日本一大きな口コミサイト、アットコスメによるベストコスメにランクインしているほどの人気製品で、現代人にとって、これがとても実用的なアイテムであることを裏付ける。容器の外観イメージこそCANMAKEのそれと違えども、機能的には申し分ない、主人公すずが使う口紅を、もし映画に登場するものそっくりの容器に入れて実物として再現し、映画公式の許諾のもとに販売してもらえれば、喜んで購入、使用するファンが大勢いることは想像に難くない。

 

 まさにグッズにしてくれと言わんばかりのアイテムが作中に登場する映画の大ヒットを前に、それを行わずにいるという状態が、ファッション産業とも結びついたショー・ビジネスにおいていかに奇妙なものであるかは言うに及ばない。しかしなぜ、あからさまにグッズ化できそうなオシャレアイテムが作中に登場するのに、公式にそれを認めてグッズ商売を始めないのだろうか? それは作品の内容と関係がある。それはこのアニメによって、女性をエンパワーする気持ちが弱まるからだ。どういうことだろうか。

 まず、すずの生きていた時代より、間違いなく現代の方が男尊女卑は緩和されている。だからこそ、女性が最前列で戦う、つまり働くことをエンパワーする『セーラームーン』シリーズ(このアニメは、女性達が、姫を守るための戦士となって最前線で戦うストーリーだ。)は生まれたのであるし、この作品は女性らしさを、「お色気」で「媚びるもの」ではなく、「元気さ、美しさ」など「誇るもの」として描いている。そんな作品をベースに積極的なグッズ展開をすれば、図1のような、女性らしさを誇らしげにアピールしながら、社会で企業戦士となっているファンの女性(アラサーと呼ばれる層で、現在は社会の中核を担っている立場にある)を手助けしつつ、彼女達を応援する商品となるのだ。彼女達は仕事場に出かける前に必ず紅を塗る。仕事中の休憩時間にも、カバンに忍ばせた紅を取り出して塗り直す。それは化粧が元々、部族の戦士が戦いに赴く際、確実に敵を殺せるようにと施す「まじない」であることから分かるように、現代流の「武装」としての役割を担っている。『セーラームーン』の主要キャラクター達が作中で「戦士」であることと、そのファンである女性が今現在「企業戦士」であることは無関係ではない。

 

 近年、男性目線で女性を見下す表現を含んだコマーシャル映像などが「炎上」し、それが公開停止になったりメーカーが消費者に謝罪文を発表したりとの悶着が繰り返されている。具体例を一つ挙げるなら、化粧品のCMで、25歳の誕生日を迎えた女性に向かって「25歳になったらもう“女の子”じゃない」と発言するといった内容のものだ。このセリフは当然ながら男尊女卑的なものであるが、しかし一昔前には世間で当たり前のように囁かれていた言葉でもあり、年配者なら見聞きしたことのある「昔は普通のこと」であった。しかしそれが、今現在「大人」である女性、しかも丁度『セーラームーン』のファン層と重なる人々から糾弾されたということはつまり、25歳の女性を「売れ残りのクリスマスケーキ」に例えて貶しながら化粧を促すというストーリーが、今現在、社会に出ている世代にとってはあまりに男尊女卑、もしくは男性目線すぎて受け入れられないということだ。

 ところが『この世界の片隅に』が美化しながら表現しているイメージは、このような時代の流れに逆行している。なぜなら作中にあるのは、外で働く男性に依存しなければ生きていけない女性と、家事を女性に依存しなければ暮らしていけない男性の姿であるからだ。これを言い換えれば、男女の役割分担を徹底することで人為的に作られた男女それぞれの共依存が、うまく機能したケースを美化して描いている、ということになる。そして今更言うまでもなく、作中の映像はどれも最高水準のクオリティで、登場人物やその様子なども最高に美化される。であるから、鑑賞者の内部に、男女の共依存がうまく機能していた時代の人間は美しいではないかと、懐古主義的な感情を呼び起こしてしまうのだ。男女の共依存が至極当たり前だった時代は、その根底に常に男尊女卑思想が含まれるが、もしそんな懐古主義にすっかりとらわれてしまえば、同時に男尊女卑を黙認する形になる。

 つまり『この世界の片隅に』が美しく描いて鑑賞者に提示したのは、すずの笑顔や涙だけではない。いわばこの作品は、かつて、ほとんど全ての女性が無給で家事労働や育児、傷病者の介助、介護を24時間ずっと行なっていたこと、女性は必ず家に入らねばならず選択の余地はまるでなかったことといった、ひどい男尊女卑を「古き良き時代」に偽装して観客につきだしているのだ。この映画を視聴し、魅了され、愛することで、女性はすず達のように家に入るのが最も良いとの当時の価値観やメタ・メッセージを、知らず知らず受け取ることになる。

 そうなると、アニメグッズの新定番はオシャレ系のカバンやリップスティックだという現在のトレンドに合わせて、もし作中のそれを再現した「すずさんのカバンと口紅セット」といったアパレルメーカーとのコラボ商品を展開した場合、おかしなことになってしまう。なにせ、こういったスタイルには「女性が輝く社会を目指す」という政策や風潮にも影響されながら作り上げられた、女性の社会進出をエンパワーしようというメタ・メッセージが含まれているのだから。そうであっては、『この世界の片隅に』の製作陣が意図しているかはともかくとして、作品の内部に潜んでいる「女性は家に入るのが良い」という真逆のメタ・メッセージとダブル・バインドを起こしてしまう。だからこのアニメのグッズ「すずさんのカバンと口紅セット」はまだ存在しない。

 とはいえ『この世界の片隅に』は、このままでいいのだろうか? 原作者のこうの史代や監督の片渕須直などに、懐古主義を利用したバックラッシュの狙いがあるのなら、現状のまま、女性のファッションにそぐわない、女性が職場では使えない関連グッズばかりを展開してゆけば良いだろう。そして映画の中に密かに仕込んだ、男尊女卑のメタ・メッセージが世界中に広まるのを、ただ待てば良い。

 しかしそうではなく、もし、この作品がバックラッシュを含んでいると噂されて不本意なのであれば、社会全体が男女の役割を分離することなく、女性の社会進出、男性の家庭進出をどうにか実現させようともがいている現代日本の潮流をいくらかでも汲み取ってはどうか。社会に出て戦う女性をエンパワーする今風のアニメグッズ、本稿が最適のグッズ案として夢想する「すずさんのカバンと口紅セット」のようなアイテムを、今からでも公式に販売してみてはどうか。

 近年、表現者の背負っている社会的役割に少々、変化が起きている。それはかつて「自分の表現によって社会を啓蒙する」という内容だったが、最近は「社会のみんなが生きているということを、みんなの立場から表現する」というスタイルへシフトしつつあるのだ。『この世界の片隅に』は、今ここで生きている私達につなげながら、戦時下に生きているすず達の生活を巧みに表現しており、後者の役割をしっかり果たしている。だが、前者の役割だって当然、まだ表現者にその責任がすっかり消え去ったわけではない。女性差別が強烈だった時代の日本を美しく作り上げたなら、差別について人々が目指すべき道標のようなものを同時に提示しなければ、アンバランスというものだ。

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