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Mystic Tokyo Bay & Literary Face of Globalization / リアルとファンタジーの境海

 

 

真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。
マルセル・プルースト

 

 


 

 

第1部 東京湾と橋渡りの物語

 

1章 川の畔、海の入り口

 

東京湾は不思議な場所だ。

東京を中心に捉えれば、西側に位置する神奈川県側の海岸線と、東側に位置する千葉県側の海岸線において、それぞれ異なるカルチャーが生成されているように思える。

例えば、近年注目されている神奈川県川崎市は、ライターの磯部涼が『ルポ川崎』の中で述べているように、ヒップホップの新たな聖地となっている。川崎駅の周りでは、体に刺青を入れた若者たちの姿も目立つ。一方、対岸にある千葉県の木更津市は、音楽バンド氣志團を輩出した土地である。本来反体制を掲げる「不良」であるはずの氣志團は、資本主義に露骨に近接する。木更津で見られる「ヤンキー」たちもまた、パーマのかかった金髪を誇張するようにヘアワックスで塗り固め、大文字のメッセージが描かれた、だぼだぼの衣装に身を包む。やんちゃな若者のイメージひとつとっても、2つの街では様子が異なっている。

おそらく、東京湾を挟んで見られるこれらの差異に関わるのは、小沢健二に代表される「渋谷系」の音楽と、X JAPANのYOSHIKIに代表される「V系」音楽の影響だろう。神奈川県川崎市と千葉県館山市(旧名)にて青春時代を過ごした彼らの影響を受けて、両海岸は次第にヒーローの偶像に近接していくのだ。批評家の吉田雅史は、『翻訳から仮装へ』の中で、引用元=ネタへの目配せが渋谷系を名乗る前提条件であるとすれば、まさに引用の上に成立しているヒップホップとの親和性は当然高いのだと主張する[i]。そして、吉田によれば、V系バンドが体現しているのは、「地方性、ヤンキー性、体育会系」なのである。ストリートの思想とヤンキーの思想が、湾を隔てて向かい合う。

私たちは、例えばここで、東京湾に西側のリアルサイドと東側のファンタジーサイドが存在する可能性へと目を向けるのではないだろうか。想像が膨らむ例を数え上げればきりがない。神奈川県側のリアルサイドでは、雑然とした川崎の工業地帯が貧困のイメージとしばしば結びつけられる一方で、湾を挟んで対岸の街には、地元の優良企業としての清潔なイメージを強調しながら、新日鉄の工業地帯がそびえ立つ。ファンタジーサイドには「東京ディズニーリゾート」だけでなく、「東京ドイツ村」までもが存在する。

そしてまた、私たちは東京湾沿いの街に見られるある特徴にも気付くだろう。ディズニーリゾートもドイツ村も、東京都に位置せずとも「東京」という文字が頭につけられているのだ。これは対岸のリアルサイドでも類似した現象が見られる。東京国際空港とも名付けられた羽田空港は、多摩川を挟んですぐ隣の神奈川県川崎市に住む人の方が、都心の住人よりもずっとその存在を身近に感じるはずだ。

東京湾に関する思考を巡らせるとき、私たちはしばしば、東京湾を形成する千葉県や神奈川県により近接した場所や風景に出くわす。それらの場所にまるで〈擬・東京〉とでも名付けることができるような場所が存在することをふまえれば、東京湾の文化論が東京という都市のオルタナティヴな側面に関与することもわかるだろう。東京湾の文化水域は、東京都の臨海地域だけではなく、神奈川や千葉に広がった〈擬・東京〉の街を含んで、新たな「東京論」を形成する可能性をも含んでいるのである。

東京湾に存在する対照的な海岸線と、東京と名付けられる他県の街の不思議。ミステリアスな魅力を持つ東京湾を舞台にして、複数の物語論を展開させていくのが本論考の目論見である。東京湾の文学には、リアルとファンタジーを接続させる可能性が存在する。

そして、東京湾が備え持つ特徴的な想像力は、2020年以降の東京の未来に向けても照射されていく。鍵になるのは、移民の存在である。日本にやってくる外国人だけでなく、日本から海外へ移住してしまう日本人の存在に注目し、彼らを〈移民〉という括りの中に組み込むことで、1990年代の歴史と2010年代の社会状況が隣接する。そこから2020年代に向けた未来的な思考が深められていくのだ。

順を追って説明していくが、まずは年代を追いながら、東京湾沿いで生まれた作品について、その表現の変遷を見ていこう。現在に連なる東京湾の文学的想像力が芽生え始めたのは、東京湾岸の地域が新しく開発され、その環境が新たな生活の舞台として作品に描かれ始めた1980年代のことである。

 

1986年夏に放送されたテレビドラマ『男女7人夏物語』。このドラマの登場人物は、30代及び20代後半の仕事を持った独身者たちだ。舞台となったのは、隅田川にかかる清洲橋周辺であり、東京湾岸の埋立地が広がるエリアの、河口から2キロほど上流に遡った場所が描かれる。つまり、ここは湾岸でもあり河岸、「リバーサイド」だ。ライターの速水健朗によれば、水辺での生活が何気なく描かれるこの物語こそ、当時の最新型の東京のライフスタイルだった。川にかかった橋を渡ることが演出の重要な位置で存在感を発揮し、物語は川の周りで展開されていく。

主人公の良介とヒロインの桃子がしばしば会話を繰り広げる桜橋近辺は、河畔が遊歩道として整備された地域である。桜橋は、河畔整備工事が始まった1985年に完成した。隅田川河畔の大規模整備を皮切りに、東京のウォーターフロント地域は急速に姿を変えていくのだが、物語はまさにその変化を捉えている。そこで行われるウォーターフロント政策とは、水辺を新たに都市の機能として見直す都市計画のことで、当時の世界的な潮流でもあった。コンテナ流通の拡大などによって、コンビナートや倉庫街などの港湾施設の機能が、港付近から郊外へと移転し、臨海地域を「商業空間」に置き換えていったのだ。

「この当時は、バブル経済に円高といった経済状況のなかで、日本人の消費傾向が大きく変化していった時代である」[ii]と速水が『東京β』の中で述べているように、『男女7人〜』に登場する若者たちは、臨海開発地域において、華やかで希望に恵まれた都市生活を楽しんでいた。良介と桃子も、川を挟んで別々のマンションに住んでいる。橋を渡ることは、商業空間に彩られたリバーサイドの物語において、恋人や明るい未来への近接を意味したのである。

 

しかしながら、東京の住人を浮かれさせた80年代の様相は、決して長くは続かない。1991年のバブル崩壊以降、日本は長く歯止めの効かない不景気に突入し、人々の暮らしにも暗い影が宿っていく。思想史研究者の太田俊寛も、日本社会全体の雰囲気や感受性について、「軽薄な楽観主義やある種の「躁」状態が八○年代を支配していたのに対して、九○年代以降は、曇天が続くような悲観主義や「鬱」状態がそれに取って変わっていた」と指摘している[iii]。90年代のどんよりとした雰囲気は、当然文学作品の中にも現れる。

岡崎京子の漫画『リバーズ・エッジ』は、1993年から94年まで、雑誌「CUTIE」に連載された。それはバブルが崩壊した直後の物語であり、生きている実感がわかない若者たちの、むしろ現実味の感じられない現実を生きているのかもしれないという無根拠な実感こそが、確固たる現実であるかのような生活が描かれている。

『リバーズ・エッジ』の世界は、1990年代以降の、消費社会そのものの足場が崩れ始めた「平坦な戦場」を舞台にする。物語の風景は、セイタカアワダチソウの生い茂った河原、河原に埋まった死体、ミートボールのようになるまで蹴り潰された子猫、石油化学工場の炎と煙、淀んだどぶ川の流れ、殺風景な団地などのディテールによって彩られた。

興味深いのは、東京という都市における風景や人間関係をしばしば描いてきた岡崎京子が、今作では都心から少し離れた場所を舞台としていることである。特に、岡崎の描く湾岸の工場跡は具体的に川崎の風景を思い起こさせるものであり、磯部涼も『ルポ川崎』の中でその近似性を指摘している。

ある日、主人公の女子高生、若宮ハルナは、彼氏の観音崎にいじめられている山田一郎を助けた。そのことをきっかけに、山田から自身が同性愛者であることが明かされ、山田の秘密の宝物でもある河原の死体を、ハルナは発見することになる。ハルナを囲む同級生たちは、家庭の問題や学校での人間関係からそれぞれが問題を抱えている。セックス、摂食障害、引きこもり、ストーキングなどから導かれる、暗くじめじめした感情が濁流しながら、物語は展開されていく。ハルナの友人のルミちんが、自身の姉から刃物で切りつけられた後に観音崎の子供を流産し、山田を愛そうとして空回りする田嶋カンナが焼身自殺を遂げると、全ての喧騒の後で、ハルナは街を出ていくことになる。

物語の始めと終わりの両場面において印象的に描かれるのが、ハルナと山田の「橋渡り」のシーンだ。最初に2人が橋を渡るとき、山田はハルナに自身が同性愛者であることを告げ、ハルナも初めて山田と内容を伴った会話を持つ。物語の最後には、二人は再度同じ橋を渡り、山田が「ぼくは生きている若宮さんが好きだよ。本当だよ。若草さんがいなくなって本当にさみしい。」と告げると、ハルナは涙を流す。物語を通して劇的な事件にも淡白な応答を見せてきたハルナの心が、「今は苦しい。ただ苦しい。」と激しく動かされる瞬間である。

そして、この「橋渡り」の重要性をさらに高めているのは、ここでハルナと山田が「橋を渡りきらない」という事実である。実は、彼らはいつも橋を途中まで渡り、橋の中央で話すだけであって、橋を渡りきる様子は同作品では決して描かれない。『男女7人〜』では、橋を渡りきった先に恋人や希望が存在していた。対照的に、日本がバブル崩壊を経験し、若者の日常も不安に包まれた1990年代においては、橋の行く先には暗闇が生じている。

渡ることのできる橋の不在。だからこそ、ハルナは物語において、自身が象徴的に「橋」のような役割を帯びてゆく。本来なら決して交わることのない、まるで川を挟んで両岸に分離されたような登場人物たちは、ハルナによって結びつけられる。例えば、同性愛者の山田や、摂食障害を抱えながらモデル業で家族を養っている吉川こずえが、シニカルな目線を持ちながら日常を主体的に生き抜こうとする一方で、相対的にみてマジョリティの中に位置付けられる観音崎、ルミちん、カンナは自意識を守ることに執着するあまり、冷静に状況を見通すことができない。ハルナは、2つのグループを繋ぐ存在なのである。

橋の行く先が暗闇に包まれていて、橋を渡ることができない。単直に言えば、これが1990年代に描かれたリバーサイドの物語の結末だ。しかしながら、橋を渡りきることができないからこそ、物語を生きた若者たちは、橋の中央から「本能的に」未来を掴みかけている。

 

山田とハルナが橋の中央で語る言葉は、物語冒頭と終わりのシーンで共通している。未来の萌芽は、彼らの会話の中に現れる。

 

(シーン1より)[iv]

ねえ 若草さん

ハイッ

海の匂いがしない? 何かさ かすかにさ 汽笛の音も聞こえない?

うん

(シーン14より)[v]

ねえ 若草さん

海の匂いがしない? 何かさ かすかにさ 汽笛の音も聞こえない?
うん

ねえ若草さん UFO呼んでみようよ もう一回やってみようよ

 

山田とハルナは、橋の上で海の匂いを嗅ぎ、汽笛の音を聞く。彼らが海の気配を感じるとき、「東の海」からのぼる太陽光とともに、物語は幕を閉じる。

彼らの感覚は、結果的に、2000年代における東京湾文学を予兆することになった。東京湾の文学は、東京湾にかかる2つの橋の建設によって、2000年代以降、「リバーサイド」の想像力から「シーサイド」の想像力を豊かに育んでいくことになるのだ。川でなく東京湾に橋がかかれば、必然的に橋の大きさは増し、新たな物語が導かれていく。

『リバーズ・エッジ』という作品が東京湾の文学的想像力を捉える上で必要不可欠なのは、1990年代の暗いムードや先の見えない若者の生活を「橋を渡りきらない」という表現を通して描き出しながら、同時に、21世紀的な新しい作品表象の仕方を予兆しているためである。橋の上から若者が感じ取った海の匂いは、来るべき時代のリアルに触れていた。

さあ、喧騒の2000年代の話を始めよう。時代を用意する鍵となるのは、1993年のレインボーブリッジ開通、そして1997年の東京湾アクアライン開通である。

 

 

2章 巨大化する橋の魔力

 

2000年をまたいで製作された一つの物語が、東京湾により近接した場所=「シーサイド」で生成される。テレビドラマに始まり、映画の中で続編が紡がれた『踊る大捜査線』。その物語には、東京湾臨海地域の新開発が深く影響を及ぼすこととなった。

そもそも、ドラマ版『踊る大捜査線』の放送が開始された1997年とは、フジテレビが社屋を新宿区河田町から港区台場二丁目に移転した年であり、このドラマもフジテレビの移転のタイミングに合わせて作られている。織田裕二演じる主人公の青島が勤務する湾岸署は、本庁からは「空き地署」と呼ばれ、近辺ではこれといった事件がほとんど起こらないと揶揄される。膨大な空き地に囲まれ、都市計画の失敗を象徴的に表すようなお台場の風景は、まさにからっぽの街とでも呼べるものだった。

人のいないお台場の風景が描かれたドラマ版『踊る〜』とは対照的に、そこから数年後のお台場の風景を描かれているのが劇場版映画『踊る大捜査線THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ』(2003年)である。今作において描かれるのは、1997年当時とは異なり、人でごった返したお台場の風景だ。レインボーブリッジを通ってやってきた観光客によってお台場は混雑し、犯人グループは人混みを犯行に活用していく。

『踊る大捜査線』シリーズの2作品を比較して明らかになるのは、2000年代における橋渡りの物語が、その地理的な規模を拡大させていることである。海の上に新たにできたお台場という名の人工島は、レインボーブリッジという巨大な橋の建設によって、もはや「何でもないただの場所」ではなくなってしまった。だからこそ、劇場版『踊る〜』のような物語が生み出されるのだ。そして、東京湾沿いの物語は、1990年代の「リバーサイド」から2000年代の「シーサイド」へその生成場所を移す。東京湾を挟んで大きな橋が架けられるとき、多くの人々や物資が移動し、橋の行先は変化に導かれざるを得ない。これが、2000年代の東京湾文学にみられる特徴である。

ここで、私たちはこのように考えることもできるのではないだろうか。橋の行く末は東京湾に誕生する人工島だけとは限らない。もしレインボーブリッジを凌ぐ巨大な橋の建設が、東京湾の中心を横断するようにして完成するならばどのような帰結がもたらされるのか。そして、橋の行く先が〈郊外〉と規定されるような閉じられた空間だったならば、〈郊外〉はどのように変化するのか。

2000年代がどのような時代だったかと考える時、間違いなくその趨勢を強くしたのは〈郊外〉のサブカルチャー的想像力だった。次に語られるのは、〈郊外〉をめぐるゼロ年代文学論と橋渡りの想像力の、せめぎ合いのストーリーである。

 

 

たまには個人的な体験を語ってみよう。実感として、「九○年代がいつ終わったか」と訊ねられれば、私は間違いなくこう答えるだろう。それは『木更津キャッツアイ』の第一話を観終わったときだ、と。[vi]

『ゼロ年代の想像力』の中で90年代の終わりを高らかに宣言したのは、批評家の宇野常寛であった。宇野によれば、宮藤官九郎が脚本を担当した『木更津キャッツアイ』は、「(郊外型)中間共同体の再構成」というテーマを描き出している。1990年代に宮台真司らが示したような「終わりなき日常」という時代のコンセプトに対し、木更津キャッツアイのメンバーは「充実していて終わりのある日常」を過ごしているのだと宇野は論じた。

『木更津キャッツアイ』の物語について、まず簡単に紹介しよう。物語の主人公は、木更津の商店街で稼業の床屋を手伝う20歳の青年「ぶっさん」(岡田准一)である。彼は、定職につかず、地元の木更津にひきこもっている。かつての高校野球部の仲間たちと草野球や酒宴の日々を満喫していたぶっさんだが、彼はある日、仲間たちと怪盗団「木更津キャッツアイ」を結成することを思いつく。愉快犯として他愛もない窃盗を繰り返しながら、キャッツアイのメンバーは青春の日々を過ごしていくのだ。しかしながら、このストーリーの肝は、1話の最後でぶっさんが仲間たちに対し、自分がガンに冒されている事実を告白することにある。バカ騒ぎの日々を謳歌しつつ、彼らはぶっさんの「死」という現実に徐々に直面していく。

宇野の『木更津キャッツアイ論』の展開を再び追ってみよう。宇野は、作者の宮藤官九郎が、郊外型の新しい共同体のもつ脆弱性を克服するために、「死」という要素を物語に導入しているのだと指摘する。1995年以降、セカイ系から決断主義にいたるまで長く共有されていた〈郊外〉への絶望、「終わりなき日常」という認識は、時間の経過や「死」から目を背けることで初めて成立した。それに対し、ぶっさんにとって、キャッツアイのメンバーと過ごした記憶は、他の何ものにも変えがたいオンリーワンの物語として機能する。だからこそ、今作で描かれる彼らのバカ騒ぎは、「底抜けに楽しいその一方でたまらなく切ない」ように感じられるのではないか。「死」に正しく向き合うことで、郊外という空間が自由に選び取った共同体に、高い強度を与えることができるのだ。

一方で宇野は、キャッツのメンバーが仲間の「死」を見つめることの重要性に加えて、彼らを取り囲むサブカルチャーの群れをも評価した。同作には1980年代から1990年代にかけての歌謡曲、テレビバラエティ、漫画、プロ野球、Vシネマ、アダルトビデオなど様々なポップカルチャーのパロディが用いられている。宇野は、これらのポップカルチャー(虚構)が、物語に流れ込むのもまた、郊外の匿名的な空間があるからこそだと指摘する。虚構と戯れることも、キャッツのメンバーが郊外の均質化された空間で生きていくのを手助けするのだ。彼らにとって、サブカルチャーという虚構の群れや、仲間の死を見つめるというプロセスは、終わりなき日常や現実を打破するために求められるのである。

確かに、宇野のゼロ年代批評において大きな役割を示すこの考察は、一つの『木更津キャッツアイ』論として成立している。『ゼロ年代の想像力』における宇野の論を受け、サブカルチャー的〈郊外〉の深堀り、再発明こそが批評の新たな可能性に繋がるのだとしばしば強調されるようになった。たとえ、〈郊外〉にいようと、物の見方を変え「終わりなき日常」を打破する術を発見すれば、力強く生きていくことができる。「現実の見方を変えること」こそが、新たな生き方として、ここでは最も重要視された。

しかしながら、『木更津キャッツアイ』という物語には、宇野が見落としているもう一つの側面があることを忘れてはならない。宇野がここで発見しなかったのは、東京湾に掛かった巨大な〈橋〉の存在である。

1997年、木更津市から東京湾を挟んで体現にある神奈川県川崎市までが15.1kmの高速道路によって結ばれた。これが「東京湾アクアライン」だ。東京湾アクアラインの開通によって、木更津−川崎間の距離が約100kmから30km、所要時間も約90分から約30分へと大幅に短縮された。アクアラインを通じて木更津から東京、品川、横浜などへ出る高速バスも15分起きに存在し、木更津に住みながらにして都市へのアクセスが劇的に容易になった。

それでいて、木更津は「東京に一番近い田舎」のようにして存在することができる。郊外化計画の失敗ともしばしば語られるが、地続きに都市と繋がらないため、都市の自治体や鉄道会社が力を入れる経済活動の影響が木更津にはほとんどもたらされなかった。新たなマンションは建築されず、駅前のシャッター街はいつまでも廃墟として残り続けた。木更津は、東京都心からみた郊外である、西東京や埼玉、神奈川にある市街地とは異なる変化を遂げてきたのである。それでも東京からの「誤配」は頻繁にもたらされる。そのような不思議な環境が成立した背景にあるのは、間違いなく東京湾アクアラインという巨大な橋の建設なのである。

ゼロ年代の日々を生きるキャッツアイが描き出すのは、まさに木更津の人々が東京からもたらされる「誤配」に対して、自然に接しながら生活を続けていく様子に他ならない。第1話において、キャッツのメンバーが地元のマドンナ的存在であるモー子に対し、最近どこでデートしたのか尋ねる場面がある。モー子は東京湾アクアラインの上にある「海ほたる」で遊んだことを話し、ぶっさん達も当たり前のように地元との違いを語るモー子の話に乗っかっていく。アクアラインは、すでに物語の初めから、彼らの日常の中で当然のように認識されているのだ。これ以降、物語の中でアクアラインは頻繁に登場することになる。

そして、物語の中でモー子に片思いを続けてきたのが、櫻井翔演じる「バンビ」である。彼は東京の大学に通う学生であり、普段はJR内房線を用いて通学している。そんなバンビがモー子をデートに誘い、電車を使って渋谷まで向かう場面があるのだが、これをきっかけに彼らは喧嘩離れしてしまうことになる。バンビの恋が成就する瞬間は、その後物語でどのように描かれるか。バンビの恋は、「相手を背におぶって端から端まで渡りきることで恋が叶う」と物語内で信じられている「赤い橋」を、モー子と渡りきった時に成就する。バンビは、〈橋〉を渡ることによって「終わりのない日常」を終わらせるのである。

『木更津キャッツアイ』において、そこで描かれている最も重要なモチーフとは〈橋〉なのだ。死ぬ間際のぶっさんが、薬師丸ひろ子演じる美礼先生との最初で最後のデートの場所に選んだのも東京湾アクアラインであり、シリーズの終盤においてキャッツのメンバーがしばしば東京へ来訪する時には、彼らは揃ってアクアラインから東京と木更津を行き来する。東京で起きた事件のために木更津を出て、都内から戻ってくると、今度は東京で起きた事件が地元で新たな火種を生み出していく。そのようにして物語は展開されるのである。

木更津という街に生きるキャッツにとっては、アクアラインを通して東京から「誤配」がもたらされるのは当たり前であり、そのような環境の中で過ごされる青春の日々こそが、『木更津キャッツアイ』という物語の中心を彩っている。自分たちがアクアラインを通行するだけでなく、何度も何度も、そこを通って東京から物語を駆動する人物もやってくる。つまりここでは、初めから「終わりのない日常」など存在しない。ぶっさんが死に近づくことによって「充実していて終わりのある日常」が浮かび上がるのではない。木更津では、日常は常に生成変化していくのである。

木更津という閉じた〈郊外〉に生きる若者たちにとって、「死」に向かい合うことこそが共同体に強さを与える方法なのだと論じた宇野の批評には、木更津に生きる登場人物たちのリアルが欠けている。宇野常寛の『木更津キャッツアイ』論とは、東京と郊外の隔たりをあらかじめ固定し、強調するようにして論じたために、郊外の景色を描こうとしながらそれを真に描ききれなかったものとも言えるだろう。2002年の『木更津キャッツアイ』が、「誤配」が導く変化に適応して生きる若者の姿を捉えていたことをふまえれば、本論は閉鎖された〈郊外〉の可能性に着目する宇野のキャッツアイ論とは異なる帰結を導く。

木更津という郊外の街でさえ、東京湾アクアラインという巨大な橋の影響から変化を遂げ、もはやただの郊外ではなくなってしまう。2001年には、アクアラインを渡ってすぐの場所に商業施設がオープンし、東京ドイツ村と名付けられている。ここで〈擬・東京〉が生まれた理由も、同時期の『木更津キャッツアイ』をアクアラインに繋げて読み解くことで理解できるはずだ。

 

第1部では、東京湾の周辺で生成される物語を通して、東京論のオルタナティヴな可能性を模索してきた。本文では、東京湾の存在を主眼におくため、厳密には東京都には含まれない川崎や木更津などの〈擬・東京〉の地も分析の範囲に含まれる。

そして、東京湾沿いを舞台にした文学とは、すなわち橋渡りの物語であった。1980年代という躁の時代に橋を渡った若者は、1990年代の鬱の時代になると橋の途中で立ち止まる。巨大な橋が架けられた2000年代において、彼らは橋を渡らざるを得なくなり、変化に導かれる。それが東京湾のすぐそばで生成された橋渡りの変遷である。

『木更津キャッツアイ』以降、橋のふもと、現実の木更津の街は徐々に「観光地化」されていった。2010年代になると、木更津には、複数の大きなショッピングモールがオープンすることになる。東京湾のすぐそばにあるアウトレットモールにおいて、地元の人間より圧倒的に数が多いのは、もちろん東京からやってくる人々なのだが、その次に多く見受けられるのが、外国人観光客の姿であることは興味深い。

ここで私たちは、木更津からアクアラインを挟んで、東京湾の対岸に近年建設されたものを思い出さなければならない。2010年に国際線ターミナルが開設されて以降、東京国際空港(羽田空港)は、多くのインバウンドを国内にもたらすことになった。空港から木更津アウトレットまで直通運行のバスをみれば、その中が外国人観光客の姿で溢れかえっている光景を私たちは目撃するだろう。巨大化する橋はもはや東京湾を超え、世界に向けて掛けられていたのだ。

 

 

 

 

 

 

第2部 〈移民〉文学論

 

3章 ひきこもりのオルタナティヴ

 

ここからは第2部である。第1部では、東京湾添いで奏でられる橋渡りの物語を、時代の変遷に従いながら紹介した。第2部の展開もまた、第1部の議論から導かれる橋渡りの物語の延長線上にある。巨大化をやめない橋は世界に繋がれ、2010年代に入りとうとうその〈グローバル・ブリッジ〉としての役割を強く帯び始める。しかしながら、このグローバル化を相手取った考察に関しては、羽田空港が東京湾沿いにあるとはいえ、当然東京湾の枠を飛び越えた広い議論になるだろう。そのため、第2部では、東京湾の橋渡りの物語とは多少の距離を空けつつ、2010年代の文化状況を中心に語りたいと思う。

2010年代に世界との間に大きな橋がかかり、様々な主体の文化的な往復が可能になったとき、特筆すべき状況とは何なのか。そして、2010年代の国際的な状況から導かれる文学的想像力とは一体どのようなものなのか。

これが第2部の問いである。

議論を始めるにあたり、もう一度彼らの力を借りたい。

 

ねえ 若草さん

海の匂いがしない? 何かさ かすかにさ 汽笛の音も聞こえない?
うん

ねえ若草さん UFO呼んでみようよ もう一回やってみようよ

 

かつて、東京湾沿いの川崎を思わせる街に掛かったひとつの橋、その橋を渡る若者の願いがあったことを思い出そう。若者2人が橋の上で海の匂いを感じる場面が、続く2000年代の巨大な橋の建設と、東京湾沿いで生じるシーサイドの物語の予兆に繋がることは、第1部で述べてきた。

2018年になると、行定勲監督による映画『リバーズ・エッジ』が公開される。実は、『リバーズ・エッジ』の帰結が導くのは、2000年代の未来だけではなかった。そこには、2010年代以降に活性化する文化的兆候との結びつきが存在したのである。映画は新たな視点を提供する。

物語の最後の場面で、海の匂いの存在に加えて山田が新しく付け足すのは、「ねえ若草さん UFO呼んでみようよ もう一回やってみようよ」という言葉である。UFOに関しては、物語でもう一度だけ2人が橋の上からUFOを呼ぶ場面があるのだが(シーン10)、漫画版では、結局最後までUFOの来訪は描かれなかった。しかしながら、2018年の映画『リバーズ・エッジ』において、彼らがUFOの存在を意識するとき、物語世界に来訪するものとは何か。それは1997年に日本を去って外国へ移住し、再び日本の文化市場に帰ってきた小沢健二の音楽『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』である。山田とハルナがUFOを呼んでから20年以上の時を経て、帰国した一人のアーティストが、彼らに向け「魔法のトンネルの先」を提示する。

ここに現れているのは、国外へ出た作家が、新たな想像力を携えて帰還し、過去の記憶に回答するため作品を再び創作するモデルである。一度日本を離れ、再帰した人物の表現に含まれるメッセージを〈移民〉的想像力と名付けるならば、それは2010年以降の世界で特に存在感を増すキー・タームになる。本論考では、一般的に用いられる移民という言葉と区別し、「母国を離れることを決意するも、後に再帰する日本人作家」のことを指してひとまず〈移民〉と表現することにしよう。

2010年代には、東京湾の文学的想像力を支える〈橋〉がさらに巨大化し、「ホームカミング」の傾向を活性化する。羽田空港国際線ターミナルの完成とともに、インターネット環境を通してグローバル化が成熟した。世界の裏側と一瞬で連絡を取ることも可能となり、実際に海外へ行くための航空コストも大幅に下がった。〈グローバル・ブリッジ〉、つまり国際交流の架け橋となるリンクが飛躍的に充実したことは、留学やワーキングホリデーなどで一時的な海外移住を望む人々の急激な増加にも表れている。

留学生数の増減を時代ごとに辿ると、2010年代の日本人留学生増加の背景には、1990年代と類似した時代的原因が導き出される。2000年代を通して減少してきた留学生数の再増は、同じく留学が盛んな1990年代に話題となった「ひきこもり」に関係するというのが本論の主張だ。21世紀の新しいデタッチメントの姿勢は、海外移住という行為に表象される。精神心理学の見地を参考にしつつ、ひきこもりと移民の関係から21世紀の文学的想像力の足場を形成していく作業は、後章にて本格的に引き継ぐことにしよう。

世界との間に大きな橋がかかった時、海外移住という21世紀型のデタッチメント、つまり積極的なひきこもりを過去に選択していた者たちが帰ってくる。川崎に生まれ育ち、東京で活動する最中で日本を出た小沢健二の行動は、当時を生きた他の若者と同じような、彼なりのひきこもりだった。「この線路を降りたら〜」と歌う1997年のシングル『ある光(JFK 8’16’’ Full Length)』もまた、JFKというニューヨークの空港名が表すように、小沢が〈橋〉の上から去り際に奏でたメロディなのである。そんな小沢が、2010年代になってから日本での音楽活動を本格的に再開し、親友の岡崎京子に向けて彼の言葉を作品経由で返したことは、新たな時代の文化を象徴する。

これから先の議論では、海外移住とひきこもりが結びついた形でのデタッチメント、そして未来に開かれた〈移民〉的想像力の可能性を模索していこう。

 

 

先に〈グローバル・ブリッジ〉、つまり国際交流の架け橋となるリンクが飛躍的に充実したことが、留学やワーキングホリデーなどで一時的な海外移住を望む人々の急激な増加に現れていることを指摘した。

次に、本批評における〈移民〉的想像力の理論的な足場を形作るため、思考の補助線をひきたいと思う。

2000年代を通して減少してきた留学生数の再増は、同じく留学が盛んな1990年代に話題となった「ひきこもり」に関係するのだということを、まずは社会分析的なアプローチを通して検証する。といっても、本論考はあくまでも「批評」であることを目指していて、物事の純粋な論証を成し遂げるものではない。現代社会を捉える一つの視座を提案することを目的として、議論を進めてみよう。

早速この図を見てほしい。

*日本人の海外留学状況 平成28年度文部科学省集計[vii]、JASSO調査[viii]より

 

これは、文部科学省と日本学生支援機構(JASSO)が日本人の海外留学状況を集計し、グラフに表したものである[ix] 。グラフを見ると、1990年から2000年にかけて日本人の留学生数は格段に増加し、2000年代はむしろその留学生数が減少してきたことがわかる。そして、2010年代に入り、再び留学生の数は飛躍的に伸びている。

社会学者の古市憲寿が、『絶望の国の幸福な若者たち』(2011年)の中で示しているように、2000年代の出国者数の下降には、アメリカ同時多発テロやアジアにおけるSARSの流行が影響している。そしてまた、古市が論じているのは、2000年代を生きる若者たちは日本での生活に「幸福」を感じながら生きているということであった。言い換えれば、2000年代を生きる10代や20代の若者は、私生活の周りにあるコンテンツをうまく活用し、現実を拡張して楽しむことでストレスを減少させる。海外に助けを求めずとも、国内である程度納得のいくように生活していくことができたのである。

一方、2000年代とは対照的に、切実なのはやはり1990年代の様相だ。1990年代に入って顕在化したのは、学生の不登校問題である。当時の多くの新聞やメディアがこの問題を取り上げただけでなく、もちろん文学的想像力の中にも家にひきこもる不登校生徒の姿が多く描かれた。前述の『リバーズ・エッジ』における、ルミちんの姉がまさにその表象である。1990年代の「ひきこもり」が登校拒否という形に結びついて現れ社会問題となっていたことは、いくぶん想像しやすいのではないだろうか。

文部科学省「学校基本調査」[x]から全児童、生徒数に占める「不登校」の比率を見てみると、興味深い事実が判明する。なんと、不登校を行う生徒の比率は、1990年代を通して増加し、2000年代にゆるやかな減少をもたらすものの、2010年代に入って再び増加し始めているのだ。

以上のデータから読み取れるのは、学生の「ひきこもり」比率と「留学」の頻度が、年代を通して類似した増減の曲線を描くという事実である。

そしてここから、一つの仮説が導き出される。

それはつまり、若者の不安への対峙の仕方として、「海外移住」を「ひきこもり」と同列に並べることの可能性である。両選択肢を思い浮かべる若者に共通するのは、既存の社会から乖離する運動性を伴うことだ。そして、彼らが離れようとした1990年代と2010年代は、日本が社会不安を抱える時代としての兆候が表れている点でも共通する。

確かに、2010年代の社会もまた、暗いムードに包まれている。日本の経済は下降線を辿り、貧困者や非正規労働者の問題も数多く顕在化するようになった。2011年の東日本大震災は福島第一原発の事故とともに莫大な被害を及ぼし、地方創生政策に潜む闇や、既存の官僚体制に懐疑の目が強く向けられるようになった。第2時安倍政権以降、保守とリベラルの関係はますます溝を深め、ネット上では極端な政治思想を持って他者を罵り合うような言論空間が生まれている。悪い意味での忖度が様々な場所で頻出する状況に、呆れ、疲れてしまう人々も多いのではないだろうか。ポスト・トゥルースや反知性主義という言葉が社会に流行するように、大袈裟に言ってしまえば、思慮深い人が損をする機会も増えている。

2010年代の社会不安を目の当たりにした若者たちに与えられる手段は、ただ単純に家の中にひきこもることだけではない。〈グローバル・ブリッジ〉が充実した2010年代においては、海外移住のハードルもぐっと下がり、海外に移住するという仕方でひきこもりを代用することができるのだ。

実証研究が不足している現状において、本論がこれから先に語られる〈移民〉文学論の足場を固める作業として行えることといえば、ひきこもりと海外移住にまつわる複数の視点を提供し、ぼんやりとするイメージをより鮮明なものに近づけることだ。データから社会の動向を追う作業を終えたいま、精神心理の見地からも、重ねてひきこもりと海外移住の関係性を考えてみようと思う。

 

 

はじめに、「ひきこもり」という言葉について、精神心理学の立場からその定義を再確認することを試みたい。ひきこもりは、もともと英語からの訳語で、原義はSocial Withdrawal(社会的撤廃)の意味を持つ。精神科医の斎藤環は、これに「社会的ひきこもり」という言葉を当てはめた上で、「二十代後半までに問題化し、六ヶ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」[xi]と定義している。

本論においては、過度に重たい症状のひきこもりを考察対象にあげているわけではないことを強調しておく。ひきこもりという言葉は幅広い意味のグラデーションを持ちながら存在しており、本文においては「6ヶ月以上ひきこもること」よりも、社会からの分離、デタッチメントの運動性こそが表したい意に近接する。現代社会では、そのような比較的軽い意味において、ひきこもりという言葉を用いる機会も多い。

そして、斎藤は『社会的ひきこもり』(1998年)の中で、「ひきこもりシステム」を紹介している。ひきこもりの力学を理解し、その運動性を解釈するために、このシステムを活用して思考を深めてみよう。

*斎藤環のひきこもりシステム模式図を参考に作成[xii]

 

まずこれが、ひきこもりでない場合、つまり斎藤が「健常」だと規定するモデルである。ここで、円の重なる接点は、「コミュニケーション」の存在を意味する。個人は、家族だけでなく、学校や会社などの場所において社会とコミュニケートすることができる。

一方、斎藤の描く「ひきこもりシステム」では、このような接点が互いに乖離してしまい、コミュニケーションが機能しなくなってしまう。単なる会話ではなく、そこに相互的なコミュニケーションが欠如することこそが、ひきこもりの状態なのである。

*斎藤環のひきこもりシステム模式図を参考に作成

 

旧来のひきこもりは、家族や社会との接点が乖離することによって生じてしまう。そのように考えるならば、ひきこもりと海外移住が類似した運動性を持っていることも理解しやすいのではないだろうか。

海外移住では、血の繋がらない家庭と仮の家族的契約を結ぶ「ホームステイ」を利用することができるだけではなく、留学生同士で住む学生寮において疑似家族的な関係性が容易に発生する。そして、移住先の国では、社会の習慣や構造自体も日本のそれとは異なる。移住者は、新たな学校や会社で新鮮な人間関係を構築し直すことができる。現在、もはや一つの社会や家族に対してひきこもることは決してネガティヴに閉じられた結果ではない。世界を見渡せば、ひきこもりの運動性は、国外へ出て新たな関係性を結び直すという積極的なデタッチメントへと変化させることができるのだ。1990年代に比べて、グローバル化が成熟した2010年代には新しい家族や社会を見つけることが圧倒的に容易になっている。

*ひきこもり的海外移住 モデル

 

ここまで、社会分析や精神構造モデルをふまえてひきこもりと海外移住の関係性を探ってきた。確固とした論証がなくとも、複数の視座からこの問題を眺めることで、〈ひきこもりの力学を活用した新たなデタッチメント〉としての海外移住という見方が浮かび上がってくるのではないか。

2010年代に入り、〈グローバル・ブリッジ〉が充実して加速する兆候とは、このような海外移住とセットになった、日本人の海外からの出戻りである。財政的な問題はもちろん、海外の社会で長期的な生活の足場を固めることができなければ、いずれ移住者は日本へ帰ってくることになる。そして、日本社会の精神的な負担から一時的に解放され、海外生活を経験した人々の思考は、少なからず変化している。2010年代の海外移住者の増加から予想できるのは、2010年代だけでなく2020年代にかけても、海外から戻ってくる人々の「ホームカミング」の想像力が影響力を強めることだ。だからこそ、本論では〈移民〉的想像力の存在やその役割を強調する。

次章では、オルタナティヴなひきこもりと〈グローバル・ブリッジ〉の影響を受けて生まれる〈移民〉的想像力について、その特徴を内包した作品を実際に確認しつつ具体的な考察を進めてみるとしよう。

 

 

 

 

4章 〈移民〉的想像力の発掘

 

2010年代に入ると、ひきこもり的な海外移住から帰ってきた作家、アーティストによる創作が存在感を発揮し始めている。彼らが導く〈移民〉的想像力は、大きく分けて2つのタイプに属するだろう。一つ目は、「過去に応答する」タイプのそれだ。すでに述べたように、1997年に日本を出た小沢健二は、2010年代後半から日本での活動を再開し、映画版『リバーズ・エッジ』にあわせた『アルペジオ』の作曲など、自分や岡崎京子が青春を過ごした過去の時代に対して創作で応答するような姿勢を表す。しかしながら、このケースは海外移住期間が長い小沢のような作家にみられる傾向でもあり、まだまだ発見される数は少ない。小沢健二の帰還は、1990年代と2010年代を繋ぐ役割において重要視されるべきであり、彼の創作についてはまだまだ今後の活動を見守る必要がある。

近年影響力を増しているのは、二つ目のケースだ。それは、観光客的な目線から「誤配を導く」ような〈移民〉的想像力である。2017年には、思想家の東浩紀が著した『ゲンロン0 観光客の哲学』が大きな反響を生んだ。

観光客は、訪問先を、遊歩者のようにふわふわと移動する。そして世界のすがたを偶然のまなざしで捉える。ウィンドウショッピングをする消費者のように、たまたま出会ったものに惹かれ、たまたま出会ったひとと交流をもつ。だからときに、訪問先の住人が見せたくないものを発見することにもなる。[xiii]

東が唱えるような、観光客的なまなざしが導く「誤配」の姿。これを芸術を通して表現しようとする行為に、〈移民〉的想像力も親和性を持つようになる。

チヤホヤされすぎると、気持ち悪くなって逃げたくなる。でも海外を放浪していて、あいつはよくわからないから「放っておこう」って見放されたら寂しい。何年かに一回、彗星みたいにやってくる人、くらいの認識はしておいてほしいんです。[xiv]

例えば、そのように語る劇作家の神里雄大は、岡崎藝術座の主宰を勤めつつ、しばしば海外に移住することで「誤配」を導く感性を養い、独自の創作に繋げている。

神里がブエノスアイレス滞在時(2016年10月から10ヶ月間)に執筆した日本語戯曲が、『パルパライソの長い坂をくだる話』である。この戯曲は、場所は京都国際部隊芸術祭での上演にも関わらず、なんとスペイン語に翻訳され、アルゼンチンの俳優によって演じられた。演劇批評家の内野儀は、この演劇を「観光客の演劇」として評価する[xv]

『パルパライソ』は、父を亡くした息子が母とともに父の遺灰を海に撒こうとしているだけで、いわゆる物語の構造を持っていない。主としてアルゼンチン在住の俳優が「男1」「男2」「男3」「女1」を演じているのだが、父の記憶や散骨をめぐる顛末が観客にわかるように語られることはないのだ。非論理的で、その場の意識の流れのみを頼りにしながら、だらだらと続く語りを観客は目の当たりにすることになる。内野が「人の話を自分の話のように語ることもある誰だがよくわからない人物による語り」と表現するような複雑な言語世界の前では、物語はメッセージ性を伴わず、「何らかのヴィジョンへと焦点を結ぶこともない」[xvi]のである。

今公演においてむしろ重要なのは、スペイン語の上演が伴う字幕表記の存在であろう。俳優たちは身体をほとんど動かさず、一方的に語りを続けるため、物語のテクストはひたすら字幕を通して、視覚的に観客の中へと受容されていくことになる。このような上演の特性は、神里作品の「ウルトラしょぼい」ことによる効果のアクチュアリティをもたらしていると内野は指摘する。

確かに、観光とは「ふまじめ」なもの[xvii]であり、観光客とは現実の二次創作者だ[xviii]と述べる東浩紀の哲学に、神里の『パルパライソ』は親和性を見せている。通常の演劇が、作家の表現を観客に読み取らせることを目的にするのに対し、神里の演劇は極めて個人的であり、具体的で、偶然的な誤配の回路を存在させる。「ウルトラしょぼい」上演が観客に肯定される時、そこには東が言及するような、誤配の導きから生まれる「連帯」の可能性がほのめかされるのである。神里のテクストと上演においては、「出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないこと」[xix]が表現される。

観光客的なまなざしは、「誤配」を生み、新たな「連帯」のきっかけとなっていく。このような効果を内包するのが、〈移民〉的想像力の2つ目の特徴である。2017年2月号の『新潮』に掲載された「ブエノスアイレスで日本語を殺す」というエッセイの中で神里が述べているように、日本の身体感覚が失われていくことや、日本語に対しての距離感が更新されていく海外移住のプロセスを通して、彼の〈移民〉的想像力と「観光客の演劇」は準備されるのである。

 

ところで、じつは神里は神奈川県の川崎育ちだ。そして、それを理由に彼の作品が東京湾の文学的想像力を代表するのだということにはもちろんならない。東京湾に〈移民〉的想像力の議論を少しでもつなげるのならば、羽田空港国際線ターミナルの開設に加えて、東京湾沿いに「移民」の街が数多く存在する事実のほうがむしろ重要であろう。

「移民の街」としても注目を浴びるのが、川崎である。『ルポ川崎』によれば、川崎の周辺には、小さな移民街が数多く集中している。工業地帯にほど近い桜本は、古くから在日コリアンが多く住む地域として知られ、近年はさらに他の国々からの転入者も増加し、多文化地域の様相を呈している。戦前、移民労働者によって川崎臨海部の湿地帯に建てられたバラック群を基にしたため、今でも迷路のように入り組んだ景観を持つ池上町も存在する。

外国人移民問題のいざこざは『ルポ川崎』の中でも描かれているが、将来の日本社会に多くの外国人がやってくることが現実的になっている状況において、彼らとの争いを避け、うまく共存していくことが日本人にとっての重要な課題になるのは言うまでもないだろう。私たちは外国人移民との「連帯」を深める手法を模索していかなければならない。そして、「連帯」を導く想像力が仮に川崎などの街で発揮されるケースがあるならば、それは文学として時代を先駆するアクチュアリティを持つのではないか。

次の議論では、〈移民〉的想像力の2つ目の特徴、誤配の誘導の先にある「連帯」のアクチュアリティをさらに鋭く記した文学作品が、実は2010年代より前に存在していたことを示したい。

ここで、2010年代以降の世界で有効な想像力を探るために、1990年代と現在の時代的連関を思い出そう。2つの時代をひきこもりの力学において重ね合わせることで、昨今の世界に有効な〈移民〉的想像力を、90年代から発掘することができる。

私たちは、2010年代の〈グローバルブリッジ〉が出来上がる以前の1990年代に、ひきこもるようにして海外移住を行なっていた小説家の素顔に注目する。彼の文学は、今こそ〈移民〉的想像力の先駆けとしての目を向けられ、評価される。

私はメキシコ人になる覚悟でメキシコに渡ったのだった。メキシコ社会に身を委ね、成り行き次第では移民になってもいいと思っていた。結局、日本で生きることを選択し直すが、今でもしばしば、メキシコにあのまま移住していた自分を想像する。[xx]

このように語る一人の作家は、小沢健二よりも一足早く帰国し、〈移民〉的想像力を、川崎を舞台にする物語の中で育んでいた。私費留学という形で海外への短期移住を試みたその作家の名を、星野智幸という。

 

星野は、早稲田大学を卒業してしばらく新聞記者としてのキャリアを歩むことになるが、その後1991年から1992年、1994年から1995年にかけての間、メキシコシティーへの移住を決断する。帰国後の1997年に『最後の吐息』で文藝賞を受賞して作家デビュー、その後の2000年には『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞を受賞することになる。

彼が〈移民〉的想像力を、外国人移民の多い川崎の地に絡ませて描いているのは、この『目覚めよと人魚は歌う』という作品である。日系ペルー人のヒヨヒトは、川崎に生きる移民仲間たちの傷害事件に巻き込まれ、その途中で日本人少年を殺害したと思い込んでしまう。それをきっかけに、彼と恋人のあなは、友人の紹介を通して、中年女性の糖子が息子の蜜生やオーナーの丸越と一緒に暮らす家へと逃げ込み、共同生活を送ることになる。糖子はかつての夫である蜜夫との暮らしを妄想しながら生きているが、物語も彼女の影響を受け、妖しい異世界の雰囲気を全体にまとうことになった。今作品を読んだ上での多くの感想や批評が、現実に生きる人々を酔わせるような官能的な情景を高く評価した。

しかしながら、そこで注目されないながらも優れた作品要素の一つとして存在感を放っているのは、ヒヨヒトの人物造形や、彼に寄り添うあなの心情なのではないだろうか。そこには、作家星野の独自性がより強く反映されている。この物語は、ペルー人移民であるヒヨヒトと、日本人の恋人あなの恋愛のあり方に、〈移民〉的想像力の萌芽を宿らせているのだ。

日系人としてとか、ペルー人としてとか、中途半端だとか、母国だとか、そういったことに悩んでいる友だちは多いが、ヒヨはこだわったことがなかった。親が早々にペルーに帰ってしまい、高校から独り暮らしをしていたせいもあるのだろうが、自分のまわりにペルーを感じさせる場所は消えていたし、消していた。たまに、小学校時代のリマの生活を思いだしてみても、他人の思い出を横取りしているような、よそよそしい感覚しかなかった。ペルーにいたアルベルト・ヒヨヒトと、日本にいる青年ヒヨと、つながらなくて当然だと思っていた。[xxi]

このように、ヒヨヒトは、ペルー人であることやペルーでの思い出と、日本での生活を切り離そうとする。ペルー人としてのこだわりを捨てずに生き、しばしば争いに巻き込まれる他の日系人に対して、ヒヨヒトはあくまでも日本人として生きようとするのだ。なぜ彼がそのように描かれるかを考えるとき、ひきこもるようにして海外移住を行なった作家の肖像が浮かび上がる。

本論考で示したひきこもり−海外移住モデルのベン図に照らして説明すれば、まさにヒヨヒトの肯定したい人生とは「移住後」のものであり、移住前の社会、家族関係から距離を置いたものとなる。作家の星野も実際に、そのようなマインドセットを持っていた。だからこそ、ヒヨヒトの心情はペルー人のアイデンティティを強調したがる他の日系人のものとは異なるようにして表出されるのだ。ヒヨヒトは、移住後の新たなアイデンティティを大切にして生きていたいのに、周りの日本人も、同胞の日系人たちも、彼の移住前の姿を強く反映させながらヒヨヒトのことを見ている。

けれど、あなは違った。あなは昔のことを尋ねようともしなければ、こちらが話しても聞こうともしなかった。俺は面食らった。面食らって、あなの過去を喋らせようとしたが、いまヒヨといるわたしには関係のないことと言って、話そうとしなかった。その代わり、いま考えていること感じていることについてはごまかしを許さない。やがて俺は、初めて誰でもない者として、誰かと向きあってる感じがしてきた。話さないことで、俺の過去がそのまま生きて保存されている気がした。皮だけでなく、肉も血も骨も含めて、あなに受け入れられているんだと思った。[xxii]

恋人のあなは、ヒヨヒトのことを、いまの「ヒヨヒト」として肯定する。ここであなは、移民のヒヨヒトを〈固有名〉として受け止めているのである。そして、この〈固有名〉で他者を受容することこそ、東浩紀の述べる新しい「連帯」の形に近づく鍵ではなかったか。

例えば、私たちが人を好きになる時、または恋人を選ぶ際には、そこに性格や容姿などそれぞれの好みの条件が関わっているはずだ。自分が魅力を感じた条件を持つ他者に出会ったとき、その他者のことを好きになる。このとき、『名指しと必然性』における哲学者クリプキの言葉を借りれば、私たちはまず「確定記述」の束としてその他者を認識しているのだ。しかしながら、交際関係を続け仲が深まれば、人は恋愛対象を〈固有名〉で認識するようになる。「好きな条件の集合」だった存在には、それぞれに固有の「名前」が当てはめられるようになる。いちど〈固有名〉で人を愛するようになると、相手がもともと好きではなかった性格などを持っていても、許せてしまうという事態が発生する。私たちはしばしばこのような事態を日々の暮らしの中で経験しているのではないだろうか。「固有名」で他者を受容した後に、気に入らないことでも許せてしまうような感覚。このとき、人は恋人のことをもはや「確定記述」の束としてみていない。ここに、ゆるやかな「連帯」の可能性が発生するのだ。

あなは、ヒヨヒトを、あなの知っている現在のヒヨヒトとして受容する。移民には思い出したくない過去もあるが、あなは分裂するヒヨヒトのもう一つのアイデンティティに触れない。よいうより、目の前のヒヨヒトを〈固有名〉として受け入れているあなは、たとえ彼がペルー人としての移民的な立場から問題を抱えてきても、それを助けようとする。移民を一度〈固有名〉に括ることで生じる「憐れみ」の情がそこには存在するのだ。

2010年以降の世界において、新たな国におけるアイデンティティを獲得し、早く日本社会に溶け込もうとする移民は必ず存在する。彼らは日本社会への適合を求めている。そして、日本人の私たちが、彼らに対してどのように接するかが「連帯」を導く鍵になるだろう。『目覚めよと人魚は歌う』では、かつて外国社会で「連帯」を求めた作家の姿が登場人物に投影される。だからこそ、多くの移民が日本にやってくる未来に向けて有効な、新しい人間関係のコミュニケーションが作品内に示唆されることになったのである。

2010年代後半になり、星野が1990年代から2000年にかけて実行していた思考を、わたしたちはようやく発見し、評価することができる。星野智幸が描いたのは、憐れみから新たな「連帯」の可能性を形づける〈移民〉的想像力であり、それは未来に向けて開かれた文学なのである。

 

〈移民〉的想像力について、整理してみよう。

まず1つ目に、それは「一度切断された過去への応答を行う」ものであった。1990年代に日本を去った小沢健二は、盟友の岡崎京子の『リバーズエッジ』が映画化される際、自らの過去と現在を繋ぐようにして音楽を送り届けた。このような〈移民〉的想像力の存在によって、私たちはある複数の時代が時を超えて連関する可能性に目を向けることができる。

そして、現代においてよりアクチュアルな効能を持つと言える2つ目の〈移民〉的想像力の特徴とは、「偶然的な誤配の回路」の存在である。神里雄大は、海外移住を通して、日本の身体感覚や日本語との距離感を更新する。彼の『パルパライソの長い坂を下る話』に現れる、観光客的で、個別かつ具体性のある出会いは、「連帯」への入り口を導いていくのだ。

星野智幸の『目覚めよと人魚は歌う』は、その「連帯」の可能性をさらに深めて描き出す。そこでは、他者の〈固有名〉への変換を通して憐れみの情を現出させ、「誤配」が起こった後に有効な想像力が表現されるのだ。ペルー人移民のヒヨヒトは、恋人のあなから〈固有名〉での関わりを持たれ、彼女の憐れみから生まれる愛によって救済される。

私たちは、未来のグローバル社会を生きていくにあたって、外国人との「連帯」の可能性を模索する必要がある。2010年代に活躍する若手作家からそのヒントを得ることができるのはもちろん、1990年代と2010年代を繋ぐことで、過去に埋もれた〈移民〉的想像力を発掘し、最新の議論として蘇らせることができるのだ。〈グローバル・ブリッジ〉が充実し、海外移住者の数も増加した2010年代以降、〈移民〉的想像力はさらなる進化を遂げ、豊かな表情を露わにしていくだろう。私たちは、他者を憐れみ、愛する想像力をより一層深めるため、外の世界に目を向けるのだ。

 

 

 

 

 

第3部 グローバル世界の文学地図

 

 

5章 東京湾文学 2.0

 

実感として、「ゼロ年代がいつ終わったか」と訊ねられれば、2010年代を生きる私はおそらくこう答えるだろう。それは『木更津キャッツアイ』の第一話を観終わったときだ、と。

全ての議論を接続するため、本論は再び、東京湾を舞台にした『木更津キャッツアイ』の世界へと足を踏み入れる。今作品においては、〈郊外〉の文学的想像力と橋渡りによる「誤配」の両者が存在していることをこれまでに述べてきた。そしてこの『木更津キャッツアイ』に発見される構造とは、21世紀のグローバル社会に存在する文学の状況そのもの、もしくはそのプロトタイプと呼ばれるようなものではないだろうか。この章では、グローバル社会においてアクチュアリティを持つ文学的な構造について、明らかにしていこう。

宇野常寛によれば、〈郊外〉にいながら「終わりなき日常」を生きるキャッツアイのメンバーにとっては、サブカルチャーという虚構の世界が重要だった。〈郊外〉にいながら、虚構と戯れることで現実を拡張していく想像力。宇野が『木更津キャッツアイ』に見出した観点は、2010年以降のグローバルな世界においても、実際に有効な主張となる。なぜなら、それはインターネットとの高い親和性を持つからである。

宇野は『郊外文学論−東京から遠く離れて』の中で述べている。「データベース空間の内部を読み込むことによって、外部に接続することなく空間を多重化する−いわば郊外で培われたこの手法=郊外文学の想像力」こそが、2010年代以降の日本においてその影響力を拡大させていくと[xxiii]

グローバル化の影響を受け、地方には同じようなフランチャイズ店の連なりが現れ、類似する空間はほとんどが均質化していった。そして、そのような〈郊外〉の景色だったものが、東京などの都市にまで侵食する。結果的に、私たちがどこにいるかは重要でなくなり、インターネットを通じた拡張現実の世界によって新しい生活も発見されるようになる。私たちはどこにいても、インターネットを通じてグローバルな世界に繋がることができる。

そして、先にひきこもりモデルを紹介したが、実はインターネットによる現実世界の書き換えは、ひきこもりから導かれる運動の力学にも類似する。インターネット上で疑似的な家族を見つけ、実際の家族より多くの時間を彼らと共に過ごす人々も存在すれば、アバターとして、ネット上の社会に暮らす時間を保つ人々もいるだろう。そのような仕方でインターネットを活用するならば、すべての場所は均質化され、リアルな〈いま・ここ〉性は失われる。どこにいようが、それぞれがオリジナルの生活空間を生み出すことができる。つまり、インターネットは、宇野の主張する〈郊外〉文学的な想像力と極めて親和性の高いものなのである。

そして、ゼロ年代の『木更津キャッツアイ』においては、インターネット環境が充実する前の状況がたとえ描かれようとも、サブカルチャーという虚構の世界の存在によって、それと類似する構造が表現されていた。宇野は、〈郊外〉文学的な想像力の未来に開かれた可能性、ひきこもりやインターネットとの連関を、ゼロ年代批評において抽出していたのである。

宇野が『木更津キャッツアイ』の中から取り出した〈郊外〉文学の想像力は、インターネット環境の充実を待って、文学的な立場からグローバル世界に対しての一つの有効解を導いた。私たちは、どこにいても、たとえひきこもっていたとしても、そこからインターネットを通じてグローバルな世界にアクセスすることができる。虚構の世界を通して現実を書き換えるプロセスの延長線上に、〈郊外〉からの対グローバル化戦略を発見することができるのだ。

 

一方で、本論では『木更津キャッツアイ』が、橋渡りによる誤配を描く物語なのだということも同時に述べてきた。キャッツのメンバーは、木更津にひきこもっていたぶっさんにアクアラインという橋を渡らせる。ここには、「誤配」をもたらす運動性が存在する点において、2010年代以降のグローバル社会に顕著な〈移民〉的想像力との連関が見受けられる。

つまり、東京湾の地理的条件に導かれた『木更津キャッツアイ』という作品には、虚構の世界に閉じこもることで現実を拡張する〈郊外〉文学的な想像力のプロトタイプと、誤配を導く〈移民〉的想像力の未成熟なプロトタイプのそれぞれが、内包されているのである。別の言い方をすれば、東京湾の地理的条件によって生まれた『木更津キャッツアイ』によって、グローバルな世界における文学的想像力の可能性は準備されていた。

 
2010年代を生きる私たちにとって、〈郊外〉文学の想像力だけでは、現在の世界に立ち向かうことはできない。なぜなら、私たちは外国人とインターネットの世界で触れ合うだけでなく、現実の世界において対面で「出会う」からである。だからこそ、外国人との連帯を助けるような〈移民〉的想像力が、グローバルな世界においての時代的要請を得ることになる。私たちは今、場所性を問わないインターネットを経由して〈郊外〉にいながら現実を拡張することもできるし、より直接的に、外国人に出会う機会にも囲まれている。グローバル化から導かれる想像力は、2010年代、そして2020年代以降の世界において、ネットで外国人と触れ合うというヴァーチャルなレベルと、現実に外国人と生活するというアクチュアルなレベルから理解されるべきだ。

グローバル化によって導かれる創造性、その両輪のうち、郊外の均質化とインターネット世界の存在に注目すれば、宇野の〈郊外〉文学的な想像力が導かれる。そして、もう片方の輪とは、ネットの中だけではなく、日々の生活においてすぐそばにいる外国人の影響をふまえた「誤配」の物語なのである。移民や外国人との交流が盛んではなかった2000年代には、グローバル化の影響を考えれば考えるほど、〈郊外〉の想像力に閉じこもることになるだろう。しかしながら、2010年代以降、実際に外国人との交流が増えるに従って、よりダイレクトでフィジカルな移民との出会いが、「誤配」を行き交いさせる想像力の存在を明らかにする。

そのような環境でますます重要になるのは、「誤配」の先に現れるコミュニケーションの質である。それを描いた作品は2010年代後半になってもまだ少ない。ここで役立つのが〈移民〉的想像力だ。私たちは、〈移民〉的想像力から導かれる「連帯」のアクチュアリティを、星野智幸作品の再解釈に見出した。

そして、思い返せば、小説の創作が導かれたのは、暗いムードや移民の存在をひとつの街で内包することのできる川崎の存在があったからだった。木更津のように、川崎もまた東京湾の物語を駆動する重要な舞台なのである。

 

全ての議論を経て、私たちはいまこのように考えることもできるのではないか。

2010年代、そして2020年以降のグローバルな国際環境に対応する文学的想像力、インターネットで外国人と繋がり、実際に外国人と会い、共存を目指す世界における文学の土台は、東京湾の「橋渡りの物語」によって前時代的に用意されることになった。〈郊外〉の文学論に、対岸からやってくる新たな「誤配」の可能性を接続するだけでなく、ひきこもりからその「誤配」のアクチュアリティを高めて「連帯」への意識を導いた舞台は、東京湾だったのである。

むしろ、そのような仕方で文学の更新がなされる場所は、東京湾でなければならなかったとも言える。なぜか。それは、東京湾が都市、郊外、橋、国際港、移民など、〈郊外〉文学の想像力と〈移民〉的想像力の議論に用いた、ほぼ全てのキーワードを内包しているからである。木更津と川崎のように、物語を駆動する土地も存在する。そして、特に重要なのが、都市と郊外の、橋を経由した接続であることは言うまでもない。電車に乗れば都市から郊外への街並みの変化をグラデーションで捉えることができるかもしれないが、東京湾の地理的条件とアクアラインの存在は、都市と郊外を「いきなり」接続することを可能にする。

〈郊外〉的想像力と〈移民〉的想像力の融合、これこそが東京湾の運動と橋渡りの物語が導いた帰結だ。本論考では、ひきこもりの力学に注目することで、両想像力の分析を進めてきた。未来の世界で有効な議論を導くためには、一度1990年代という過去を見直す必要があった。その発掘作業のキーワードこそが、ひきこもりだったのである。ひきこもりの力学が虚構世界を経由した現実拡張のアクションに転移されれば、グローバル化のヴァーチャルな側面を捉えた考察が導かれる。私たちは、間接的に外国と出会う。インターネットによって、どこにいても世界とつながることができる。そして、ひきこもりの力学が海外移住というアクションに転移されたことに注目すれば、グローバル化のアクチュアルな側面に着目した思考を展開することができる。私たちは、直接的にも外国と出会う。日常の中で外国人と直に接することで誤配に影響され、外国人や移民との連帯を生み出すことができる。

2つの想像力は、東京湾という〈境海〉を舞台にして混じり合う。私たちは、ファンタジーの世界のみに閉じこもって生きることはできないのだ。東京湾のすぐそばにいる限り、そこには常にリアルな世界の影が宿る。リアルとファンタジー、アクチュアルとヴァーチャルな世界が接続され、そこから導かれるものこそが、東京湾の文学的想像力となる。

橋がかかった世界でどのように他者と共存していくのか。私たちは、〈移民〉の力を借りて近未来の状況をいち早くシュミレートしながら、実際に〈グローバル・ブリッジ〉がかかった後の世界で生きていかなければならない。私たちは、橋渡りの物語を紡いでいかなければならないのである。

 

  

 

2020年には東京オリンピックが開かれ、東京湾沿いの会場を中心に多くの人で賑わうだろう。私たちは、「東京に」「オリンピックが」やってくるという事実だけが大きな意味を持つのではないことに気づく。日本におけるグローバル社会の洗練はきっと、東京湾のすぐそばで始められる必要があったのだ。

 

 

 


 

文中注釈

 

[i] 「翻訳から仮装へ」(『1990年代論』所収)p274より

[ii] 『東京β』p49より

[iii] 「ニューエイジ思想の幻惑と幻滅」(『1990年代論』所収)p121より

[iv] 『リバーズ・エッジ オリジナル復刻版』p16より

[v]  同 p230より

[vi] 『ゼロ年代の想像力』p170より

[vii] 平成28年度文部科学省集計よりhttp://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/__icsFiles/afieldfile/2017/12/27/1345878_02.pdf

[viii] JASSO調査よりhttps://www.jasso.go.jp/about/statistics/intl_student_s/2017/__icsFiles/afieldfile/2018/02/23/short_term16.pdf

[ix] 文部省が発表していない近年の日本人留学生数の動向を把握するため、しばしば用いられるのが「JASSO統計」である。

[x]  学校基本調査より https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&tstat=000001011528&cycle=0&tclass1=000001021812&second2=1

[xi] 『社会的ひきこもり』p25より

[xii]   同 p101より

[xiii] 『ゲンロン0 観光客の哲学』p36より

[xiv] 『日本演劇現在形』p57より

[xv] 「観光客の演劇−神里雄大の時代」(『新潮2018年3月号』所収) p218より

[xvi]  同 p221より

[xvii] 『ゲンロン0 観光客の哲学』p37より

[xviii] 同 p51より

[xix]  同 p192より

[xx] 『フロウ』p358より

[xxi]  同p40より

[xxii]  同p85より

[xxiii] 『思想地図β vol1』p120より

 

 

参考文献

 

磯部涼『ルポ川崎』、CYZO、2017年

大澤聡編著『1990年代論』、河出ブックス、2017年

速水健朗『東京β 更新され続ける都市の物語』、筑摩書房、2016年

岡崎京子『リバーズ・エッジ オリジナル復刻版』、宝島社、2016年

新曜社編集部『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』、新曜社、2017年

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』、早川書房、2011年

東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』、genron、2017年

『新潮 2017年2月号』、新潮社、2017年

『新潮 2018年3月号』、新潮社、2018年

岩城京子『日本演劇現在形 時代を映す作家が語る、演劇的想像力のいま』、フィルムアート社、2018年

古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』、講談社、2011年

斎藤環『社会的ひきこもり 終わらない思春期』、PHP新書、1998年

星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』、新潮社、2000年

ソール A. クリプキ『名指しと必然性』、産業図書、1985年

星野智幸『flow フロウ』、人文書院、2016年

東浩紀編『思想地図β vol1』、contectures、2011年

 

文字数:28757

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