「あの日」の仮死延命装置

 

 我々が「あの日」を思い出すとき、記憶はいかに変容するのであろうか。「あの日」のことを共有するとき、この生傷はいかにして抉りとられてしまうのであろうか。

 2016年にヒットした邦画をあげるとしたら、ほとんどの人が迷いなく『君の名は。』『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』の三本をあげるであろう。去年一年の間に散々と語られてきたことだが、この三本はいずれも国家に関わるような大きな「事件」を描いている。ではそれらはどのようにして「世界」を切り取ったのか、大まかにではあるがここでおさらいしておこう。
 『君の名は。』では、糸守町という地方の小さな村が彗星の衝突によって壊滅してしまう。また『シン・ゴジラ』では東京にゴジラが上陸し、国会議事堂を含む、日本の中枢のほとんどを焼き尽くしてしまう。つまりこれらは「震災」の体験を言語システムから読み替え、「彗星」「ゴジラ」というものに代替させることによってその作品性を担保している。「震災」は無かった。そのかわりに地方には「彗星」が落ち、東京には「ゴジラ」が上陸した。そして主人公二人の時空の移動によって[1]、「彗星」落下の前に町民全員を避難させることができ、悲惨な「事件」を起こす装置にはならなかった。また、官僚たちの獅子奮迅の活躍(という現実には起こり得ない夢!)によって、「事件」は解決され「ゴジラ」は国家が未来に過ちを犯さないように釘を刺す御神体となった。つまりはこれらの2作品は、「震災」というモチーフを象徴界から操作することによって世界を読み換える営みであるといえるだろう[2]
 『この世界の片隅に』は広島の呉に嫁入りした主人公「すず」の日常が描かれる。しかし、その日常にも「戦争」の影が迫り、すずは空襲や原爆の投下を、広島という場所性によって偶然目の前で経験してしまうことになる。しかし、すずは長崎での原爆投下や戦場での銃撃戦などは当然経験していない。つまりここでは「戦争」そのものを、そもそも一人の視点からでは到底把握することなどできない巨大なシステムとして描くことで、作品性を担保している。「戦争」はたしかにあった。しかしその「戦争」の瞬間にも日常はたしかに続いている。そしてすず夫妻は戦後、戦争孤児を引き取り育てていくこととなる。戦争というきっかけによって子供のいない夫婦が子を持つきっかけとなる。つまり『この世界の片隅に』は「事件」に巻き込まれつつも生活を送っていた「すずの半径5m」である想像界をクローズアップさせることにより、「世界」を肯定する営みであるといえるだろう。

 2016年にヒットした邦画では、このように想像界や象徴界の操作によって現実世界での「事件」を作品に昇華させてきた。では、小説ではどのように「事件」に対処していくことができるのだろうか。それを検討していくための材料として、これから安部公房の『デンドロカカリヤ』を導入し、論じていこう。

 1949年に発表された『デンドロカカリヤ』の新潮文庫版は「コモン君がデンドロカカリヤになった話」という冒頭で始まる。その説明の通り、この話は主人公である「コモン君」がデンドロカカリヤという植物に「変形」する話である。ではその変形の意味とは、いったいなんなのであろうか。
 作中でコモン君は四度、植物に変形する。一度目は物語の最初の場面、コモン君がなんの気なしに石ころを蹴っていたとき。二度目は疲れを覚え、ふと空を見上げたときに。三度目も急な疲れから空地の切石に腰を下ろしたときである。そして四度目には植物園で完全な植物となってしまい、園長から「Dendrocacalia crepidifolia」と書かれたカードを幹にとめられてしまう。
 最後を除いた通算三度の変形は、いずれも唐突に、しかも受動的におとずれる。そして二度目と三度目は疲れを伴い変形がおとずれる。では、どのように変形するのか。一度目、三度目の変形では「ぐらぐらっとしたとたん」であったり、「坐ってみると、顔が、ほとんどぐらぐらになってい」たりとほとんど変形の描写が描かれない。そのためここで、二度目の変形の場面を引用する。

 

 どうしたんだ。きっと疲れたんだ。
 思わず空を見上げていた。
 そう、空を見上げていたんだ。するすると、天が眼の中へ流れ込む。重い天が、やがて全身に充満して、いやでも内臓は体の外部に押出されて行った。顔の上では、どこにいこうかとためらっているあやふやな腰つきの誰か……、見ればむろん自分にちがいない。暗闇にうつる自分の顔。地球がどろどろ鳴っていた。気持ちのよい飽和感の酔い、とうとう発作が始まったんだね。
 やがて、一年前の体験とそっくり、顔が裏返しになり、いつの間にか、全身ほとんど植物になっている。[3]

 

 つまり変形は空からやってくるのである。それも唐突に。そして受動的に。これが意味するものとはこうである。「植物への変形」とは「戦争の擬似体験」であり、「唐突で受動的な変形」が意味するものは、まさしく「空襲」のことなのだ。では、最後の変形が示すものとは。それはまさに「敗戦の追体験」であるのだ。最後の変形の場面はこうである。

 

コモン君はあたりを気にしながら、ゆっくりナイフを突き出した。
「アルピイエ、最後だ!」
 すると園長は不思議そうに、ナイフを一寸つまんで取上げると、
「おや、これは私のナイフだ。ああ、そうそう、あの焼跡の時でしたな。」
 きっとコモン君は完全に疲労しきっていたんだね。それにしても、こんなに間のぬけた、こっけいな結果に終ろうなどとは予想もしていなかっただけに、驚いて、驚きから立直る力は、もはや無かった。[4]

 

 このように、最後の変形でのみ、コモン君は「能動的」に行動した結果、完全に植物へと変形してしまい、そして植物として「Dendrocacalia crepidifolia」と「学名(ラテン語)」で名付けられる。
 そしてまた、物語の終盤でコモン君は園長から植物へと変形した人間は一人だけではなく、「沢山の人が、私のところで」植物として暮らしている、と明かされる。つまり『デンドロカカリヤ』では、不特定の人間が「植物になる」という運命をかせられているのだ。まさしくさっきまで談笑していた隣人と自分とを、なんの理由付けもなく生と死の境界線によって切断する「空襲」のように。

 しかし、『デンドロカカリヤ』の「植物への変形」は、「彗星」や「ゴジラ」に比べると「事件」性は薄い。「空襲」に比べてもそれは皆の預かり知らないところで行われる。さきほど映画を語った方式を持ってくれば、ここでは「事件」という概念そのものが読み替えられるのである。「戦争」や「空襲」といった「事件」は起きない。しかしそのかわりに、人間は植物になるという新たな「運命」を付与される。つまり『デンドロカカリヤ』は「戦争」「空襲」を現実界から操作することによって現実を相対化する営みであるといえるだろう。

 そして本来ならここで、映画と小説、二つのジャンルでこのような差異を生み出した要因を考察していくべきなのであろう。しかし筆者には、その差異が生み出されるのは、たとえば「映像を媒介にしたメディア」と「文字を媒介にしたメディア」との違いといった凡庸な回答しか捻り出せない気がしてならない。そのため、その考察は来るべきときに譲り、最後に映画として取り上げた3作品の作家、そして小説で取り上げた安部公房という作家の共通点をあげ、表現というもの自体がもつ「自由度」を考えたい。
 本論で取り上げたそれぞれの作家に共通する点とは、いずれの作家も作品として沁み込ませてある現実世界の「事件」を直接経験していない、ということである。『君の名は。』の監督である新海誠や『シン・ゴジラ』で脚本、総監督を務めた庵野秀明はいずれも東北の出身ではなく、震災の発生当時も被災地にはいなかった。そして、『この世界の片隅に』の原作者であるこうの史代や監督の片渕須直はいずれも戦後生まれである。
 それと同じように、安部公房も戦争を経験していない。安倍は出征前に終戦を迎えており、「空襲」激化する1994年当時は東京帝国大学医学部の学生であったがほとんど登校しておらず、東京大空襲の始まる11月の一ヶ月前には満州へ渡り、そのまま終戦まで東京へは戻らなかったのだ。
 このように「事件」の起きた「あの日」を直接は経験していない作家たちは、それでも「事件」をさまざまに操作し、作品へと昇華している。このような行為こそが表現のなせる営みであり、「あの日」そのものを仮死状態にし後世へと延命させる役割をも果たしている。

[1] 『君の名は。』では「彗星」と「震災」の読み替えと同様に「瀧」と「三葉」という主人公二人の入れ替わりも描かれる。これは監督である新海誠の過去作品である『ほしのこえ』を引き合いに出して語られることの多い「セカイ系」というジャンルの変化とも考えられる。というもの、「セカイ系」は社会などの中間項を挟まずに男女の関係と世界の危機を描くために想像界と現実界が直結し、象徴界が欠落していると指摘されることがある。一方『君の名は。』では、主人公二人のバイト先やクラスメイトとの関係を「入れ替わり」によってコミカルに描いているためにむしろ、物語前半では象徴界を主題にしているように見えるからだ。しかし、この論は課題の趣旨ずれるため、ここでの詳しい分析は避ける。

[2] 注1でも同様に「想像界/象徴界/現実界」の図式で論じたが、注1では作品世界をここでは現実世界を基準に論じている。誤解を避けるためにここに注記しておく。

[3]安部公房『水中都市 デンドロカカリヤ』(新潮文庫)平成23年9月5日改訂版p.17

[4]安部公房『水中都市 デンドロカカリヤ』(新潮文庫)平成23年9月5日改訂版p.37

文字数:4031

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