漏出するリアル 〜KOHHのオントロジー〜

0. 一つの歌 〜プロローグ〜

ドン、ドン、ドン、彼の足は床をふみ続けた

彼は三つばかり音を出し、さらに歌い始めた――

「ウィアリ・ブルースおぼえたけど 気にいらない

 ウィアリ・ブルースおぼえたけど 気にいらない

 いっそ死んじまいたい」

夜がふけるまで、彼はその節をささやいた

星はなくなり、月もなかった

歌手は演奏を終えて、寝に就いたが

ウィアリ・ブルースが頭の中で響いていた

彼は岩か死人のように眠った

(ラングストン・ヒューズ「The Weary Blues」)

 

1926年、ニューヨークのハーレム中心に活動した詩人、ラングストン・ヒューズが一冊の詩集を出版した。『The Weary Blues』と題されたその詩集と一編の詩には、悲哀に満ちた叫びを歌に乗せる男の姿が描かれている。振り返り見れば、この詩にはある文化の源流が刻印されている。この詩が持つ幾つかの特徴、つまり第一に、原語では脚韻を踏んでいること、第二に、伝統的なブルース曲の歌詞を引用していること。これらの特徴は、ラップを一要素とするヒップホップの特徴でもある。ヒップホップの起源の一つであるブルースを、その詩/リリックの中で引用するという極めてヒップホップ的/サンプリング的な手法も含めた起源が、このヒューズの詩にあったのだ。そして『The Weary Blues』が出版された1926年とは、昭和元年であった。

ヒューズがその生涯を通して愛したニューヨークで、『The Weary Blues』から約50年後に、ブルースが持つ悲哀と抵抗、そして反撃を継承したヒップホップは誕生する。その約10年後の昭和60年、海を渡り、日本にもそれはやって来る。日本における先人の一人、いとうせいこうは果たして、バブルの享楽に沸く日本への悲哀をラップにして、脚韻を踏んだ。ヒップホップは、享楽の音楽ではない。それはいつも、悲哀を我が身に、反撃を叫ぶ者に寄り添って来た。それはラップという言葉による、悲哀を生み出した状況に対する反撃でもあり、悲哀を感じる自身を鼓舞するための自己への反撃でもある。

あれから30年、昭和の地平線上では90年目に、日本語ラップは誕生30周年を迎えた。この節目の年である2015年に、私たちはKOHHという才能と出会った。そして彼が粘土細工のように何度も捻った悲哀の歌に、私たちは、どのような表情で耳を傾ければ良いのか分からず、戸惑っている。

 

1. 一つの到達 〜KOHHという存在〜

本論は、日本語ラップについて考える。それは1970年代にアメリカのニューヨークで誕生し、その約10年後の、1980年代に日本に輸入された。この経緯から、日本語ラップは、その他多くのアメリカから輸入された文化と同様、ある種の問題群に突き当たった。日本語でラップは可能なのか、所詮は物真似と揶揄されないような、日本独自のラップ表現なるものが存在可能なのか、云々。

これらの疑問には、一つの答えが出ている。なぜなら、日本語ラップはその誕生から30年の歴史を既に獲得しているからである。嘗てラップの表層的な部分だけを輸入して取り入れた表現は、パクリや猿真似と揶揄された。しかし1980年代にヒップホップを最初に輸入した「MC=Master of Ceremony」達が、文字通りこの30年に渡る群像劇のオープニングセレモニーを開催し、しばしば猿真似と非難されながらもそれをローカライズしようと試み始めてから、私たちは随分遠くに来ている。ことヒップホップに関しては、米国産のオリジナルに忠実な翻訳は必要なかったことが、次第に明らかとなった。何故なら、ヒップホップが掲げる重要な理念には、オリジナリティを保つこと、そしてそのような自己の独自性を「レペゼンする」=「代表として誇る」ことが標榜されているからだ。

日本語ラップは音楽の一ジャンルであると同時に、言葉を扱っている。その点においては、従来の歌謡曲や歌モノと呼ばれるその他の音楽ジャンルと同様であるが、しかしそれらと原則異なるのは、圧倒的に言葉数が多い点である。`日本語ラップの歌詞は元々叙情詩を表す「リリック」と呼ばれる、しばしば長大なテクストとして、それ単独で鑑賞に耐え得る。括弧付きの文学として。現代詩の中で親和性のある作品と並べてみれば、その装いは驚くほど似ているだろう。

歌謡曲の歌詞を日本の現代詩と並列にして考察する試みは、たとえば吉本隆明の仕事に代表されるように、これまでも成されて来た。しかしラップを現代詩と並列にしたり、その文学性を読み解くような仕事はあまり例がない。現代詩がある種の隘路に突き当たってしまったがために、その内容が難解になり、読者層が狭まっているとすれば、日本語ラップのリリックこそがそのような条件から自由に詩として存在しているのではないか。都築響一はそのような思いから『ヒップホップの詩人たち』(2013)を纏め上げ、MC/ラッパーたちが現代を生きる詩人であることを証明した。

現代詩とラップを分かつもの、それは縦書きと横書きの世界観の違いに帰結する。そして横書きが日本に普及した一因には、アメリカが敗戦後の日本に課した、公用文の横書き化政策がある。日本語ラップを語る上で、日米関係から目を逸らすことはできない。日本語ラップは、様々な意味でアメリカが準備したフォーマットに規定されている。

本論は、彼らが絞り出すリリックの内容だけでなく、日本語ラップの形式にも焦点を当てる。その歴史的な変遷を辿りながら、現在の日本語ラップが到達した地平をなぞってみたい。そして今まさにその表現が可能となっている背景には、どんな事情が存在するのか。それらを精査することも、本論の目的の一つである。

そこで私たちは、日本語ラップが達成した地平線を前かがみで歩く、一人のアーティストを取り上げる。「KOHH」と綴り、「コウ」と読むのが、そのアーティスト名である。平成2年生まれ、韓国人の父と日本人の母のもと、東京都北区王子の団地で育つ。18歳でMC/ラッパーとしての活動を開始し、2015年1月1日に最初のアルバム『梔子』をリリースする。その後、合計で3枚のアルバムと、3枚のミックスCDをリリースしている。青に染め上げた頭髪に、金色に彩られた歯、様々なファッションブランドを纏った肌は、刺青の群に彩られている。ライブでは狂ったように頭を振り、暴れ方を観客に教示する。しかしステージを離れた彼の表情はいつも落ち着いており、その瞳にはある種の冷たい静けさが宿っている。

それらの楽曲のリリックは、シンプルな語彙で、今、KOHHの双眸に映っていることが記述される。そこには彼が敬愛するブルーハーツからの影響があり、Twitterによるつぶやきの連鎖で構築されているようにも見える。楽曲ごとに彼のヴォイスは様々な色彩を帯びる。淡々とした語り口。真っ直ぐで悲痛な叫び。気の抜けたような合いの手。剥き出しの泣き声。瞬間を最大限に楽しむ快活な掛け声。それらは尾崎豊の絶唱のようでもあり、今にも泣き出しそうなペルソナを演じるケンドリック・ラマーからの影響も伺える一方、不条理な世界を描写する初期の大槻ケンヂのようでもある。そして言葉たちを支えるビートは最新の徹底的に硬質なトラップ群であるが、KOHHの突出したリズムへの感性は、8分、16分から32分音符に寄り添い加減速し、間に挿入される三連符も巧みに乗りこなす。

換言すれば、彼の特異なスタイルは、時代もバラバラの和洋混合の要素を掛け合わせたハイブリッドなキメラなのだ。この突然変異に見える平成生まれのMCの革新性と、それを可能にした背景を明らかにすること。それが私たちの差し当たっての課題である。

 

2. 一つの解釈 〜日本語ラップ史概観〜

そのための共有すべき前提として、まず1980年代中盤に産声を上げた日本語ラップの大きな流れを把握する必要があるだろう。以下、議論を相対的で、ヒップホップのシーンに自閉したものとならないよう、J-POPの一部にカテゴライズされるラップ曲/アーティストと、商業主義とは一線を画すハードコアなラップ曲/アーティストの関係性を追うこととする。

まずは日本語ラップ誕生の瞬間をどこに求めるのかが最初の論点となる。ドリフターズの早口言葉や吉幾三の楽曲にその萌芽を見出す論もあろうが、ここで前提とするのは単なる表現形式としてのラップではなく、ヒップホップを足場とした日本語ラップの誕生である。その意味で、本論ではまず、いとうせいこうと近田春夫の名を挙げる。いとうせいこうの最初のラップ録音曲は1985年の「業界こんなもんだラップ」だが、その後1986年にTINNIE PUNKSと共にアルバム『建設的』、1989年には『MESS/AGE』をリリースする。一方、近田も1985年にPresident BPM名義でシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」をリリース、その後1987年にはアルバム『HEAVY』をリリースしている。両者のその後のキャリアが、片や小説家、片や作曲家/音楽評論家であることが、日本語ラップの黎明期に興味深い形で刻印されている。つまりいとうのリリックには文学性が、近田のリリックには批評/批判性が直接現れているのだ。特に後者の過激に政治的発言を入れ込む方法論は、ラップという手法をデモ等に取り入れ、また思想的にもECDらのMCの共鳴も得ているSEALDsらの一連の活動の端緒といえる。確かに、ポリティカルであることはラップの一側面である。

しかし本論ではいとうの『MESS/AGE』のリリースをもって、日本語ラップの誕生としたい。いとうの『MESS/AGE』には悲哀と反撃の象徴としてのヒップホップに相応しいモメントが刻み込まれているのだ。収録曲の「噂だけの世紀末」では次のようにディストピア的な世紀末の日本が描かれている。「それは日本はじめての世紀末だった/西暦なんて知らなかったから/日本はじめての世紀末だった/(中略)/世界破滅のイメージを誰もが欲しがった」「子供はマンガのヒーローを殺して/最終回を勝手につくった/明るいマンガを暗くしたがった」「美しい退廃もきらびやかな浪費もなかった/ただ誰もが混乱してただひたすらおびえるだけだった」。「TO THE MAX」ではバブルへのカウンターと言えるラインで埋め尽くされている。「TOKYOゲットープラネット/つくりものムービーセット/金ピカVIPルーム/思想のないブーム」という、いとうのメッセージは、バブル真っ只中で沸く日本人には空虚なものと響いたかもしれない。しかし事後的に見ればこれは根拠のある警告である。この後バブル崩壊後に本格的に成長を始める日本語ラップは、経済的には一貫した下り坂の中を、成熟に向けて歩き続けて行くことになる。

1980年代中期以降、いとうせいこうとMAJOR FORCEレーベルが輩出するアーティストたちによる日本語ラップの先駆的な試みが実践された。当時アメリカで力を持ち始めたヒップホップ/ラップを最新モードとして日本の音楽に取り入れる所作である。彼らの音楽や姿勢を貫くエレメントの一つはユーモアであり、それらは米国産ヒップホップが持つ多様性の一つであることは間違いない。しかしそれは、一方でハードコア=硬派なヒップホップ・ヘッズ=ファンからは批判の対象ともなるものだった。

アメリカ産ラップがギャングの目線のギャングスタ・ラップや、ハードコアといわれるゲットーやストリートの苛酷な現実を描写するものが大勢を占めて行く中、日本では所謂J-POPのフィールドにヒップホップの表層的なイメージが掬い取られ、ステレオタイプ的なオーバーサイズのファッション、響きや押韻が捨象されたラップが挿入された楽曲が目立ち始める。EAST ENDxYURI『DA.YO.NE』(1994年)やスチャダラパーと小沢健二『今夜はブギーバック』(1994年)を代表とする楽曲のヒットにより、これらの動向はJ-POPの派生形としてJ-RAPと呼ばれるようになる。

1990年代初頭より、キングギドラ、ECD、LAMP EYE、マイクロフォン・ペイジャー、ラッパ我リアらのよりハードコアでリアルなスタイルを求道するアーティストにより、J-RAPは強い批判の対象となる。そしてその潮流は1996年に日比谷野外音楽堂で開催された日本語ラップのアーティストを一同に集めたライブイベントである「さんぴんCAMP」でピークを迎える。このイベントの主催者であるECDは、アンチJ-RAPを掲げ、ステージ上でその死を宣告する。そしてその目論見は成功する。約4,000人を動員したこのイベントは大成功の裡に終わったのだ。

この「さんぴんCAMP」でのハードコアな本物志向のヒップホップの勝利により、J-RAPは駆逐されたようにみえた。少なくとも短期的には。1999年、kjこと降谷建志率いるDragon Ashの「Grateful Days」がリリースされ、オリコンチャート1位を獲得、最終的に90万枚を売り上げる大ヒットとなった。同曲には以前よりkjと親交のあったキングギドラのZeebraがフューチャーされているが、同曲の後にDragon Ashがリリースした「Summer Tribe」(2000年)でのkjのスタイルがあまりにもZeebraに瓜二つだったため、Zeebraはキングギドラの「公開処刑」(2002年)でkjを文字通り公開処刑の如く「リアルでない」と激しく批判している。このように、ハードコアラップに抹殺されたJ-RAPはより洗練された姿で蘇生したかのように見えたが、再び処刑されてしまう。しかしながらその形式=フォーミュラは後世に受け継がれる。この「Grateful Days」のメジャーキー(長調)のピースフルな曲展開とポップなリリックが、その後のケツメイシ、Nobody Knows、オレンジレンジ、GReeeeNなどラップ表現を取り入れたJ-POPの典型的なヒット曲の原型となっているからだ。

一方、J-RAPを抹殺したように見えたハードコア・ラップはどこへ向かったか。あくまでも東京出身のアーティストが集まった「さんぴんCAMP」であったが、東京以外の地域にヒップホップはなかったのか。1990年代後半、北海道からTha Blue Herbが、名古屋からトコナ-X(イルマリアッチ)が、カリフォルニアから逆輸入の形でShing02等が現れる。彼らは謂わば、柄谷行人が『帝国の構造』(2014)でキーワードとするところの「帝国」=東京の影響を直接受けない、「亜周辺」地域であるかのように独自のスタイルで反東京を掲げ、ゼロ年代になるとこの流れはますます加速する。ここで留意しておきたいのは、1990年代中盤までの東京一極集中とは、渋谷を指していることだ。ゼロ年代以降、同じ東京でも、たとえば新宿からMC漢が率いるMSCが、三茶から般若が在籍した妄想族が、それぞれの地域を代表/レペゼンして登場する。「帝国」に対する「周辺」の逆襲である。そして「周辺」と「亜周辺」地域のラップに一貫するのは、地元の方言も取り入れながら、徹底的に日本語に拘ったリリックのスタイルである。対立軸をアメリカ⇄日本に見出し、いかに輸入しローカライズするかが焦点だった時代から、日本国内の東京/渋谷⇄地方に対立軸が移行し、日本語の枠組みの中でいかに差別化を図るかが着目されるパラダイムシフトが起きたのだ。

こうして、当初は上京して渋谷の一部となって始めざるを得なかった活動は、地方から渋谷への果し状という形を取ることとなる。そしてここにはもう一点見るべきポイントがある。「さんぴんCAMP」に集客した4,000人の観衆とは、何であったか。これは謂わばアーティスト予備軍であり、リテラシーの高い、ヒップホップ・プロパーのファン/ヘッズであった。ゼロ年代以降の地方乱立の時代にあっては、地産地消型のモデルに沿って、地元のヒップホップ・ファン/ヘッズではないリスナー層を獲得する。ヒップホップが従来持つアウトローたちの音楽としてのイメージとも相俟って、地方のリスナーのボリュームは拡大の一途を続ける。

さらに時は進みテン年代のアーティストたちは、これまで日本語ラップが培ってきたものを前提に、新たなるフェーズに突入した。日本語ラップ史と米国ラップ史を等価なデータベースとして獲得している彼らの世代は、ラップ、トラック制作共にオタク的な知識や高いスキルを有している。1990年代の日本語ラップにおいては、ニューヨークからの帰国組であるBUDDHA BRAND等によるアメリカから直輸入したボキャブラリーやスタイルが価値を持った。しかし彼らにおいては幼少時から英語訛りの日本語ラップを聴いて育つような環境が普通であり、特に海外経験がなくとも/あってもフラットに英語表現を消化しており、嘗てのようなコンプレックスの反動として日本語に拘るような態度も見られない。S.L.A.C.K、SIMI LAB、Fla$hBackSのようなアーティストたちは、個々の判断基準で自由に英語表現を使いこなす。これは英語が苦手と言われている日本人に対して、圧倒的にマイペースに文法の正否に拘らない英語使用に長けているアジア諸国の人々の態度にも酷似している。また、テン年代の特にビートメイカーたちは、SoundCloudやBandCampなどネット上で音源を発表するプラットフォームの発達も相俟って、日本とグローバルの垣根なく活動を展開しており、海外のリスナーをも多く獲得している。海外のアーティスト側からの申し入れにより実現するコラボレーションも極めて日常的に発生しており、何ら特別なことではない。そしてこの世代においては韻を踏むという最低限のルールを共有するコミュニケーションツールとしてのフリースタイルの輪=サイファーが過去にも増して一般化するが、これは最低限のコード進行とスケールの共有で誰とでもセッション可能なブルースの気軽さと通底している。

整理しよう。日本語ラップの起源である、1980年代中期、その第一人者の一人であるいとうせいこうは、バブルの享楽へのカウンターとして、悲哀をラップに託した。当時、日本語ラップに理解を示す者は、皆無に近かった。しかしその後、よりストイックな姿勢を掲げるハードコア・ラップが同胞を増やし、1996年の「さんぴんCAMP」というJ-RAPへのカウンターの絶頂点を経て、ゼロ年代にかけては地方から東京へのカウンターが文字通り日本語に拘ったラップを進化/深化させる。テン年代は、謂わばそれ以前の日本語ラップ史全体へのカウンターとして、日本と海外のボーダーを一足飛びに超えるようなアーティストたちが多く現れている。少数派による、カウンターの歴史。そして反撃をする理由にも、後味にも、悲哀が滲む。日本語ラップは、悲哀の言葉で韻を踏み、反撃の言葉でフロウするのだ。

私たちは、日本語ラップの誕生を1989年のいとうせいこう『MESS/AGE』のリリースに見た。それは、このアルバムが初めて「リアル」について目配せしたからである。「リアル」とは、ヒップホップがブルースから継承した「悲哀」と「反撃」(もしくはより受動的な「抵抗」)を作品に描き出し、それを描き出す態度にアーティスト自身が忠実であるかを計る鍵概念である。

いとうは『MESS/AGE』リリースから半年後の1990年元旦、NHKで「噂だけの世紀末」と題した特集番組を企画するが、そのわずか数ヶ月後にKOHHは生を受けている。生まれたばかりの赤ん坊の瞳には、いとうの描いた「リアル」とその「悲哀」の源となる世界が映っていたことになるのだ。

そして、いとうが初のアルバムである『建設的』をリリースするのと同じ25歳の年に、KOHHは同じく最初のアルバム『梔子』とサードアルバムの『DIRT』をリリースする。その作品群には果たして、いとうの「リアル」の痕跡、そして「悲哀」の痕跡は認められるのであろうか。

 

3. 一つめの分析 〜内容の問題〜

(1) リアル論

「リアル」という鍵概念を巡る思索のため、その生誕地である1970年代のアメリカを振り返ろう。まずは、ヒップホップがその精神的支柱として標榜するこの語の持つある種の「過剰さ」を考察すること。そしてその先の射程は、KOHHが描く「リアル」に対する、彼自身の態度に辿り着くことである。

ストリートの現実から産声を上げたヒップホップは、「リアル」という母胎と臍の緒でしっかり結び付けられている。しかし1970年代のニューヨークで誕生したヒップホップだが、その母胎の「リアル」がラップとして言語化されるのは1982年を待たなければならなかった。グランド・マスター・フラッシュ&フューリアス・ファイブの「ザ・メッセージ」において、彼らの「リアル」は初めてラップの言語によって照射された。

1990年代にかけてLAを中心にギャングスタ・ラップの潮流が生まれ、彼らの「リアル」は、ある種の共通言語となり、類型的な物語として消費されるようになる。ゲットーで生を受けた者がその貧困から抜け出すにはドラッグディーラーやハスラーとして成功するしかなく、その過程において果てなきギャングの抗争や暴力の連鎖に否応無く巻き込まれる。一旦成功を掴んだとしても、それは束の間の幻想でしかなく、やがて自身が嘗て敵対する他者に奮って来た暴力が回帰する形で、報復を受け、或いは自らと同じ境遇で一層ハングリーな後続に隙を突かれるのだ。その世界には安定的な幸福など存在しない、どこまで行ってもそこには刹那的な生と、結局はバッドエンド以外のルートは存在しない死からの逃走劇しかない。他方、そのような現実に対し、可能世界を開くようなコンシャスラップの潮流が生まれることともなる。

1990年代中盤、ギャングスタラップの隆盛に湧くウエストコーストに対して、ニューヨークを中心としたイーストコーストでは「Keep It Real(リアルでいろ)」というフレーズが広く流布した。これは巨大になりつつあるヒップホップ産業を背景に、ビジネス目的で素性を偽り如何にもタフなストリートでサヴァイブしている風の偽物/ワック/フェイクMCたちが溢れ出したからである。ネット の音楽データベースであるDiscogsによれば、タイトルに「real」が含まれるヒップホップの楽曲は約20,000タイトルに達する(CD、アナログ、カセットなど同一タイトルのリリースメディアによる重複含む)。

巨大産業と化すギャングスタラップ市場で「リアル」な物語は類型化の一途を辿り、フェイクMCたちが周囲に群がる。彼らを徹底的に批難するリアルMCたちはしかし、余りに過剰なアーティストイメージに正直に寄り添い「リアル」であり続けた結果、彼らが描いた物語通りのルートをひた走ることとなる。マイクを握ったときからその視界に散らついていたはずのバッドエンドへ一直線に伸びるルート。2パックやノトーリアスB.I.G.、ビッグL、ロストボーイズのフリーキー・ターたちは車線変更することなく、そのレーンの突き当たりに到ってもなお決して速度を緩めることはなかった。彼らは、誰のものでもない類型化した物語に、自身の死をもってして署名を施したのだ。

彼らは自らが「リアル」に描いた「リアル」に飲み込まれたが、その所作は見事に「リアル」なものであり、他の可能なルートは初めから無かったものとして捨象される。そこでは死が少しずつ生きられ、その「コマ送りの死」としての生を前に、合目的的な生は蹂躙される。

「リアル」とその「生き方としての死」を考察するための補助線として、全く別の角度からの「現実」の定義を参照したい。ジョルジュ・バタイユは「無神学大全」のトライアングルの一角を構成する『有罪者』(1944年)の中で2つの「リアル=現実」を定義している。一方は「不確定な現実」であり、他方は「推論的な現実」である。

バタイユによれば前者は「不可能なもの」「把握されえないもの」であり、「半ば滅びながら達することのできる現実」である。それは「神」のような超越的な概念がもたらす生の枠組みを盲信して生きる、半分死んでしまっているような生から逃れる先に現れ得る現実であり、本来個人が生きるためには必要な自我と世界の境界を、敢えて引き裂いた先に見える現実でもある。

後者の「推論的な現実」は、「合理的な現実」のことである。生きて行くために必要な状況を目的として、その目的を実現するために合理的に思考して言語表現を駆使する現実である。これは私たちが日々生きている現実であり、ギャングスタラップの主人公たちの多くが立身出世のために生きている「リアル」でもある。しかし2パックやノトーリアスB.I.G.たちが選択せざるを得なかったのはバッドエンドへの確定ルートであり、状況に強いられながらもどこか能動的にそれを選択する態度の背景に「合理的な現実」を見出すことができないのは、前述の通りである。

バタイユは、この「推論的な現実」を批難した。つまり、生きる理由となっている目的は「主人」のようなものであり、私たちはその目的の実現に向けて努力している「奴隷」ではないか。バタイユが標榜する「無神学」とは、この隷属状態からの解放であり、即ち「神の死」は「推論的な現実の消滅」を意味している。

「推論的な現実の消滅」のためには、日々の合目的的なだけの行動や経済活動の裂け目を志向しなければならない。そのような行為としてバタイユが挙げているのが、「笑いや涙の情動的行為、エロティシズム、詩や絵画、音楽などの芸術の創造行為およびその成果の鑑賞、供犠に特徴づけられる宗教的な祭儀」などである。目的のための行為ではなく、行為自体の遂行が目的となる行為。ギャングスタラッパーたちが日々のハスリングから離れて楽曲制作に勤しむ行為は、バタイユによって称揚される態度であるのだ。

それでは、このように自身の死をもって「推論的な現実」から離脱した2パックやノトーリアスB.I.G.の「リアル」は、「不確定な現実」と重なり合うのだろうか。

ギャングスタラップの類型化された物語に描かれるのは、無数の同じ生であり、同じ死である。匿名の群衆が同じ一つのリアルを生き、同じ一つの死を死ぬ。ノトーリアスB.I.G.は、ファーストアルバムの『Ready To Die』(1994年)のタイトル通り、自身の死をリリックの中で予言している。この類型化された物語の中の死、謂わばシミュラークルとしての死は、そのリリックの持ち主自身の死をもって、つまりいかなる他者にも代理できない死をもって署名を施されることとなる。このとき、群衆の中で個体としての意識をもたらす死は、ハイデガーの言うように「おのれのもっとも固有な可能性」と言える。同時にそこに立ち会うオーディエンス/他者は、バタイユの言葉を借りるなら、このような「供犠」を傍観し、「死の経験」即ちシミュラークルとしての死を生きることとなるのだ。

そしてKOHHは、常にこのシミュラークルとしての死に寄り添っている存在である。『RollingStone Japan』のインタビューで、KOHHは目下の最新作であるサードアルバムの『DIRT』(2015年)には生死について歌っている楽曲が多いことを指摘されている。確かに『DIRT』収録曲の約半数「Living Lengend」「Now」「一人」「If I Die Tonight」「死にやしない」などが生死をテーマとしている。同インタビュー中、彼は正に「半分死んでしまっているような生」から逃れている存在であるシド・ヴィシャスやカート・コバーン、尾崎豊への敬愛を示すと同時に、自らの楽曲で歌う内容が現実化してしまうことの奇蹟と危険性について言及している。同インタビューの「思ったことを歌にするとそれが現実になる確率が間違いなく上がる」という発言は、自らの目標を曲中に入れ込むことによる肯定的な意味と同時に、その奇蹟への否定的な警戒も示している。歌詞の通りの類型化した物語に絡め取られるとは、自身に「リアル」に生きる必要性という足枷を嵌めることであり、自らの言葉が自らを対象としてパフォーマティブに働いてしまうことである。

このような自身の言葉のパフォーマティブ性が生む確定ルートに引き寄せられることへの警戒は、合目的な判断を無効化し、一方で彼のリリックに頻出する「いま目の前にある現実」への賛美へとつながっている。もっと言えば、彼は目の前に見えている現実しか記述しない。彼の目の前に現れる、友人、女の子、ファッション、酒、お金、ライブの観客。そしてそれらの背後にある文脈や背景はまるで見えない。しかし突然、それらの対象は文脈なき死=喪失と接続されるのだ。彼のリリックの鑑賞は、背景を欠いた漫画を鑑賞しているような経験だ。そして彼岸に死後の世界を見ない態度は、極めて日本人的であるとも言える。

 

生きてるほうが いいな 明日よりも 今

破れてるジーパン 履いてる 吸って 吐いてく

寝たいから 寝る どっかでまた いい体験する

買ったばっかりのアクネのTシャツ いい服 着て行きたい

(KOHH「If I Die Tonight」)

 

レンジローバーの助手席に乗り

目的時に着いたら降りる

次はどこに行く

渋谷 原宿

代々木とかがいい

(KOHH「Glowing Up」)

 

朝 昼 夜 朝 昼

気がついたら 夜だよ(夜!)

窓開けたら 外見る(外!)

東 西 南 北

今日 何する どこ行く?

(KOHH「Now」)

 

KOHHは目の前に映るものだけを記述することで、類型化された物語を拒絶する。「今」しか見ないことで過去と未来を削ぎ落とし、時間軸を水平方向ではなく垂直方向に貫くメタ視点を獲得しているのだ。

以上に見てきたように、母国アメリカのヒップホップが従来描いて来た「リアル」の模範回答は、ギャングの人生を擬えた類型化された物語であった。ハードコアを標榜するアーティストたちは、この「リアル」に寄り添うことを曲中で宣言し、自身の言葉にパフォーマティブに律せられる挙句、最悪の場合、死への確定ルートを自ら歩んでしまう。一方のKOHHは、「リアル」に潜むこれらの物語に抗う視点を獲得している。彼は今、目の前にあるものだけを記述することで、その背景にある物語を空白のコマに溶け込ませ無効化する。そして、自らの言葉のパフォーマティブ性を自覚し、それを利用こそするが、それが自らの生へ侵食することは許さないのだ。

「リアル」に対するKOHHの態度は明らかになった。しかしながら彼が描く「リアル」そのものの正体を掴むには、さらなる考察が必要である。

 

4. 二つめの分析 〜形式の問題〜

(1) 二つの韻といくつもの文

ここまでは「リアル」について、つまりリリックの「内容」について考察してきた。次にリリックの「形式」の問題へと踏み込みたい。日本語ラップの形式を考えるとは、アメリカのラップが前提とする英語が依拠する形式や規律を、どのように日本語に当て嵌めるか、日本語に適用できるよう「翻訳」するかという問題である。形式面で検討するのは、「押韻」「文/センテンス」「翻訳語/語彙」である。順番に見ていこう。

ラップをラップたらしめている条件/規律の一つに「押韻」がある。韻を踏むという最低限のルールにこそ、ラップの面白さがあり、それを基盤に発展してきた経緯があると言っても過言ではない。

しかし、私たちの視線の先で不敵な笑みを浮かべている、KOHHはどうであろうか。端的に言って、KOHHは韻を捨てたラッパーである。捨てたというと語弊があるのであれば、韻を「省みない」と言っても良いだろう。「顧みない」ではなく「省みない」の字を当てているのは、彼のリリックには過去形の自己を「省みる」視線が欠如しているからである。

彼の韻への態度に深入りする前に、従来の日本語ラップにおいて、韻を踏むとはどのようなことであったのか見ておこう。1989年にリリースされたいとうせいこうの『MESS/AGE』の歌詞カードには、「The Rhyming Bible 福韻書」と名付けられた韻を踏める語のリストであり、たとえば「えい」の項には「整理」「世紀」「Massage」「Now Get It」などが挙げられている。これは英語圏ではポピュラーなライム辞書の簡易的な日本語版を作ろうとする試みであったが、いとうはラップの韻の踏み方は余りにシンプルであったため、最初は抵抗があったことを告白している。このことは、MCとしての活動の初期から押韻に対して非常に意識的であったことを示している。

この押韻についても、1995年のキングギドラのアルバム『空からの力』の影響力は大きい。彼らは韻の方程式を輸入し、教科書化した。彼らは、それ以前まで多かった二音/文字踏み(ex. 嘘の勝ち負け/ただ虚しいだけ)に疑問を呈し、少なくとも三音/文字以上踏む(ex. 自由に飛ぼうと/もみ消す証拠)のが押韻への礼節であるとの態度を身を以て示したのだ。

 

頭脳旅行中 集めた記録 地獄黙示録見抜く透視力

調子良く見える現実も 実は連日の 演技

三つめの目で見つめ 韻踏み メンタル面ある人組

日本列島誰の 大統領のつかむ襟

コケのむすまで待っては御陀仏われまくる

バブルかぶるトラブル 振るまで怒りうけるおしかり

雲の隙間から空からの

計算された神の数学 返り討ちする悪魔の誘惑

不正許さねえ深い祈り 全ての力を人々に

(キングギドラ「空からの力pt2」)

 

この方程式は、後続する日本語ラップ史において更新され続けた。韻を踏むというルールは日本語ラップにおいても定着し、如何に斬新な方法で踏めるか、あるいは過後続する日本語ラップ史において更新され続けた。過去に誰も踏んでいないフレーズで踏めるかを探求するのが、一つの模範的な態度となった。

しかしKOHHはそのような規律を意に介さない。彼の視線は無意識に、ラップというフォームに要請される最低限の、ミニマムな韻にのみ注がれている。それは最早意識されているというより、ラップというフォームに元々インストールされているもので、特段「省みられている」ようには見えないからだ。

 

汚れまくり

だけど綺麗

首に刺青

芸術的

履いてるKsubi

ダメージデニム

シャツY3

毎月買いすぎな服

高い物をハサミ

で切っちゃったりするけど

(KOHH「Dirt Boys」)

 

1行目「汚れまくり」と3行目「首に刺青」の「kuri」と「zumi」の脚韻、同様に5行目「履いてるKsubi」と7行目「シャツY3」の末尾の脚韻は、キングギドラの教科書以前に退行する二音/文字の最低限の韻であり、特にラストの9〜10行目に押韻は見られず、従来のラップの考え方である、ヴァースの最後を如何にスキルフルな押韻で締め括るかが重要という固定観念はここでは通用しない。

KOHHの押韻に対する態度は、彼が『DIRT』で繰り返し取り上げている「今」という言葉に象徴されている。「今 生きてるだろ(今!)/もういらない過去(中略)明日なんていらない/明日 明後日 未来/明日よりも今がいい」(「Now」より)。つまり彼にとって韻を踏むか踏まないかは、今目の前で決まることであり、予め結論が出ているものではないのだ。彼は『DIRT』収録曲のリリック準備に際して、基本的に予めノートやiPhoneに書き溜めることなく、いくつかの事前に着想したラインを記憶した上で、残りはフリースタイルでレコーディングに臨んだという。しかしここで留意すべきは、韻を踏むか踏まないかはフリースタイルのように決まると言う単純な話には回収されない点だ。フリースタイルを判断基準に据えれば、基本的には押韻することが望ましいが、結果として全て踏めるかどうかは神のみぞ知るということになる。KOHHの態度はこれとは異なる。彼はそもそも押韻の有無に特別な価値を置かず、その結果的な可否にも拘泥しないのだ。

押韻の問題。元来『古今和歌集』などには押韻や掛詞含む韻律が満ちていたが、現代詩は押韻を継承しなかった。しかしながら日本語での押韻可能性を力説した九鬼周造の意志を受け継いだ日本語ラップは、文末が動詞や形容詞で終わるという条件へのカウンターとしての体言止めや倒置などのレトリックを駆使しながら歴史を紡いできた。漢字仮名交じりの日本語は、「タンマ俺なりの男の挽歌/山田を音読みにするとThunder(ヤバスギルスキル/ラッパ我リア」)「Tell it to your enemy/Tell it to your friend/武将か酋長か知らないけど(Island/NIPPS)」のように、漢字の音読みと訓読み、方言、英語などを日本語の語句と韻を踏ませることも可能だ。このように30年間に渡る無数のMCたちが探求してきた「言葉のアート」。この求道の重みにも関わらず、なぜKOHHは韻を踏んでも、踏まなくても良いという態度を保持し得るのだろうか。

ラップは、詩と同じく、通常の文章や小説などと比較すると、短い文、句、フレーズで構成されている。いま「通常の」文章や小説と言った。しかし嘗ての日本語は現在と同じ長さの単位を持っていた訳ではなかった。谷崎潤一郎は『文章読本』(1975年)の中で、源氏物語派の文章を「すらすらと、水の流れるような、どこにも凝滞するところのない調子」とし、センテンスの切れ目のない文章を評価している。そして現代語でもこのような流暢な文章は再現可能だとし、そのためには主格の省略や、文末の動詞や形容詞や助動詞が「た」で終わらないよう工夫することを挙げている。このようにもともと区切りなく、流れる/フロウする日本語を、ブツ切りに切断したものは何だったか。谷崎の言う「主格」は、どのようにもたらされたのだったか。

それは西欧の文章の「翻訳」と同時に来日した。即ち黒船を受け入れた日本で、明治20年頃から西欧の文章が翻訳され始めると、同時に「文/センテンス」の考え方も輸入されたのだ。そこかしこが句読点で区切られ、文や句がそれぞれに閉じた意味内容を持つように見えても、主語を始めとした語の省略の多い日本語において個々の文や句は、前後の文章との関連性=文脈を保持し続けている。ラップという形式においてさらに細かい文や句に分割されても、その性質は変わらない。

しかしKOHHのリリックにおいては、それぞれのラインが、独立した個々のフレーズとして、林立している。そこに記されている言葉以上でも、以下でもないものとして、それらは立ち尽くしているのだ。即ちKOHHのラインは今、目の前にある状況を写し出しているが故に、過去も未来も勘定に入れる必要のない「今」の記述であり、そこには個々のセンテンスをつなぐ文脈というものは無いのである。故に、KOHHにあっては、一行前、一行分だけ過去の自身の言葉も打ち捨てられ、忘却される。結果的に韻を踏んでいれば、それはそれ。英語圏では、ミルトンの『失楽園』に代表される押韻のない無韻詩のことを「ブランク・ヴァース」と呼ぶ。30年分の先人たちの積み重ねも、彼の「今」を描く漫画の、背景=押韻なきコマの空白部分に融解してしまっているのだ。

 

(2) 一人の山師

KOHHのブツ切りで、独立した、今を数文字で記述するフレーズ群。一方で、かつての『源氏物語』が描いたような区切られることない流れ/フロウに『古今和歌集』の韻律が満ちるような世界もまた、日本語ラップという表現形式の上で生まれている。その流れ/フロウの持ち主は、こころざしを持った人、「志人」と名乗るアーティストである。

 

あらましき災いに やかましいと阿唐獅子 

風上に抗いし 山並みに逆らいて 花は散り

閻魔様に天は黙り 剣片喰 禅袴に 伝鉞 研磨かかり 線露に 田河原

面重なり 点現し 芸は盛り 生儚き 名は名無し 平和語り 念釈迦じゃ

宴酒場に 命高鳴り ええ魚に玄米と 献杯と返杯を 先代より天体へ

狐の嫁入りの晩 三つ目の狛犬が手鞠ねだり絵描き詩せがむも根無し草

困り果てて弱い雨の終わりかけに怒鳴りたて 御上かて逸らした目 空見上げ おら知らねえ

(志人「狐の嫁入り 〜神様が棲む村のうた〜」)

 

とある村の神社にゃサの神が宿る祠ありゃ

大豊作祈る五月の瀬 はい 耕作祈念の祭りの音

胡麻擂りすり鉢擂粉木石臼稗粟黍蕎麦麦味噌醸造

不思議を醸すは土壁土蔵大鋸屑葛屋のぬかくど茫々

気狂い部落の入り口一二三数えて

首なし地蔵が立つ氏神さんの祀るは国常立尊 祖国の豊雲野

(志人「公安所持盗難散弾銃 部落ノ夢」)

 

志人は昭和57年生まれ。MCの「なのるなもない」と結成した高田馬場を拠点とするユニット、降神により2003年にファーストアルバムをリリースし、米国産のラップとは一線を画すその新奇なラップスタイルと文学的なリリックで脚光を浴びる。降神の活動だけでなく、ソロ活動や他アーティストとのコラボレーションも積極的に行い、2012年にはジャズピアニストのスガダイローと『詩種』を、2015年にはDJ DOLBEEとの長年に渡るコラボアルバムの『明晰夢 Lucid Dream』をリリースしている。

嘗て志人は社会を見据え、「帝国=渋谷」に対する「周辺」である高田馬場という街「東京に内在する周辺」から作品を発信し、街頭で人々に呼びかけていた。「新宿」をレペゼンするMSCとの共闘もあり、反撃は成功したかのように見えた。しかし2005年に行われたインタビューで、彼は東京での生活の困難さを打ち明けている。「東京での暮らしは、自分の気持ちを通して街を眺めようとすると、街がそれぞれ違うヴェクトルで動き出していて、それに無理やりコミットしようとしても、結局は東京の流れに飲み込まれていた」と。その後、カナダやメキシコへの旅を経て、数年前、彼は所謂社会から離れるという選択を下す。一旦は関東の限界集落に居を移動し、現在は京都で山師/木こりとして生活している。彼は山師としての生を選んだ理由を「死を意識しながら、感覚を鋭くするため」と述べている。その饒舌な語り口とは対象的に、一日中誰とも口を利かない日も多いという。

 

「さようなら文明 僕を育んでくれた夢の船」

水槽のアロワナが大海へ引き戻されて行く

ビルというビルは根こそぎ抜かれ

アンテナはもぎ取られ 都市は森に飲み込まれ

跡形も無く おいとまする

(志人「今此処 虫蟲ノ夢」)

 

諸行無常鳴り響く五臓 天照 あしびきの山に照らす後光

やがてカムトナル 慕情募らせ雲隠れる月まぐれの夕凪 妙にさばけたる空に人は言うなり

ようよう白くなり行く山際に仰々しく粗相と余興を繰り返す

振り返る暇もなく住み兼ねる海亀に突き立てる次々罪を積み重ねる無知と言う名の武器を生み

(志人「カムトナル」)

 

志人は二面性を持ったアーティストである。1枚のアルバム作品でも、曲ごとに、多様な顔を見せる。彼の表現は、散文と韻文を渡り歩き、ラップと歌唱の間を行き来し、シリアスさとユーモアの両天秤を抱えながら、愛と虚ろに彩られた、光と闇の入り混じった言葉を投げかける。彼が表象しているのは、一言でいうならば、普遍性である。普遍を物語の形で伝える、語り部。志人の語りには、ダイナミクスを比較的抑えたポエトリー・リーディングと、メロディ/節をつけた歌唱の大きく二通りの語り口がある。神道における神楽歌、仏教における声明、平安時代の催馬楽、そして琵琶法師による平曲。それらと同列に置かれるような語りと歌が入り混じった物語を連ねる彼のスタイルは、途切れることのない流れ/フロウを重んじつつも、小刻みに、そして執拗なまでに韻を踏みながら、言葉を千切っては投げ、千切っては投げる、流れと切断のハイブリッドである。

 

焼香あげる身内無くば 見込めぬ往生

浄土への道のり血みどろの魑魅魍魎

同情に流されれば竿を刺して漬け込み

皇族か公坊に告げ口か受け売り

軍事国家総動員法 総力戦遂行商業戦争

教育勅語 皇国史観の君臣関係へと先導

仰々しい往生際の悪い国賊は即消去

売国奴への強制徴兵催促状 最終勧告

背番号ふられた盲目の民 制御不能

(志人&DJ DOLBEE「頭部穿孔 トレパネーション 洗脳ノ夢」)

 

(3) 二つの文字と十の語彙

この志人のリリック然り、前述のキングギドラのライン然り、しばしば一気呵成に連続する押韻は、漢字二文字〜三文字の音読みの単語であるケースが散見される。漢字仮名交じりの言語を扱える私たちは、漢字の、ひらがなの、カタカナの単語、そしてアルファベット表記の英単語などをしばしば混合しながら韻を踏むことができる訳だが、あえて漢字の熟語が選択される。そしてこれらの単語の多くは元々、西欧からの翻訳語である。何故彼らはわざわざ押韻に当たって翻訳語を多く取り上げるのだろうか。

近代日本成立の過程には、翻訳語の確立があった。私たちは、西欧の抽象概念を輸入するのに、二文字の漢字で造語を作った。自由、精神、社会、常識、環境、状況、疎外、無数の言葉たち。柳田国男が『標準語と方言』(1949年)の中で、少女ですら「関係だの例外だの全然など反対など」の漢語を乱用ししていることを「悪い趣味」だと嘆いているが、これらの翻訳語は、当時の訳者たちによって造られたものであり、原語との間には必ずズレがある。私たちはいまやこれらの翻訳語なしでまともな文章を書くことすらできないが、一方でこれらの翻訳語の意味を未だに本当に理解している訳でもないのだ。

そしてこれらの二文字の漢字からなる抽象的な翻訳語は、難解で、何やら価値がありそうに見えるため、社会において乱発される。しかし家庭や、恋人との生活に戻ってくると、それらの言葉は打ち捨てられる。リビングや食卓では、漢字二文字の抽象語は飛び交わない。

ヒップホップの根底を流れる思想の一つにセルフ・ボースティングという考え方がある。セルフ=自己をボースティング(boasting)=誇る/自慢するという意味だが、文字通り肯定的な意味だけでなく、自分が如何に「ヤバい」存在であるかを法螺話を通してデッチ上げるという否定的な意味も併せ持つ。そして日本語ラップにおいて、MCたちは、自己の思想をも、しばしば実物のサイズ以上のものに見せる必要があった。1994年にNasが「Beyond the wall of intelligence, life is defined」(「New York State of Mind」より)と歌ったヒップホップを輸入した彼らは、この世界で生き残るためには、知性で武装する必要があることを学んだ。よって、二文字の抽象語は乱用され、押韻にも利用された。しかしKOHHのリリックはどうだろう。彼の削ぎ落とされたリリックに、翻訳語や抽象語が用いられることは稀である。しかし父を早くに亡くし母親の薬物依存問題とも対峙せざるを得なかった彼は、近しい友人たちとの関係性に見る「家庭」、近視眼的だが満ち足りた世界に寄り添いながらリリックを紡ぐ。「親がいなくったてダチは作れる」(Anarchy feat. KOHH「Moon Child」)のだ。そして彼らのリリックに、セルフ・ボースティングは登場しない。

翻訳論学者の柳父章は、societyに対してあてがう「社会」と「世間/世の中」の違いは、「難しい言葉」と「やさしい言葉」の差異ではなく、「作られた言葉」と「歴史の中に生きてきた言葉」のそれだと述べている。「世間」や「世の中」には「豊かな語感があり」「現実の生きた事象の裏打ちが伴っている」のである。KOHHは『DIRT』の多くの曲で何度も生死について言及しているのは前述の通りだが、アルバムを通して、一度も「生死」という単語は用いていない。彼の生死にまつわる感覚は抽象的で概念的な名詞としてではなく、常に「生きる」「生きてる」や「死ぬ」「死んでる」など、生きた語感のある動詞や形容詞で表象されているのだ。そしてこれらの表現は、「社会」ではなく、家庭や近しい人間たちの間のコミュニティで「リアル」に響くこととなる。

彼はまた、『DIRT』収録の二つの楽曲でニューヨークのラッパー、J $Tashと共演している。サビの部分以外は特に英語を多様することもなく、従来の彼のスタイルを通している。そんな彼はインタビューで、あくまでも日本人として日本語で歌いたいことや、自分の歌を気に入った外国人には日本語を勉強して欲しいと答えている。実際、海外のリスナーは日本語を勉強せずとも、彼の世界にアクセス可能な状況がある。彼のリリックの一部は、英語に訳されて、ネット上の歌詞データベースである「Genius Rap」にアップされているからだ。彼の削ぎ落とされたシンプルな語彙による歌詞は、英語に訳されても、ほとんどその印象を変えない。嘗て吉本隆明が、どの言語に訳してもその味わいが変わらないために「マクドナルドのハンバーガー」と評した、よしもとばななの小説のように。

KOHHの削ぎ落とされた思考と、それに伴う徹底的に圧縮された語彙。サードアルバムの『DIRT』収録の全13曲のリリックの語彙を、頻出順に示すと以下のようになる。

1.「生」 223回

2.「死」174回

3.「今」164回

4.「人称」152回(「一人称複数」が130回、「一人称単数」が22回)

5.「東京」108回

6.「日常/生活」56回

7.「ファッション」53回

8.「お金」34回

9.「女性/SEX」21回

10.「アート」20回

これらは各語彙をカテゴリー別に見たもので、たとえば「生」というカテゴリーの内訳は、「生きてる」40回「生きろ」20回「Living」115回「産まれて」6回「人生」11回など、「ファッション」であれば、「服」13回「ジーパン」4回「Y3」「Ksubi」等ブランド名:22 回などとなっている。この一覧から分かるのは、KOHHは10の語彙で世界を語っている点である。彼は、まさに「社会」を相手取る「翻訳語」を使用せず、家族や友人のコミュニティ=「一人称複数」に寄り添う10の語彙で出来た言説を発信し続ける。この10の語彙で語られる彼の近視眼的な視界に、社会は措定されていない。冒頭で言及した「背景の書き込みのない漫画を読む感覚」とは、このことを表していたのだ。それでは、彼は単に、中間項である「社会」を媒介せず、直接「世界」を描いているのだろうか。

社会を媒介としない点から連想されるのは「セカイ系」というタームである。KOHHを主人公と見立てると、彼が想像界で向き合っている存在は、ファッションブランドのアイテム群と、自身をキャンパスにして描いた刺青と言えはしないか。中でもヒロインと呼べるのは、彼の胸から喉元までを大きく飾っているデュシャンによる髭の生えたモナリザである、1919年の作品『L.H.O.O.Q.』ということになるだろう。

作品や作者の特権性を剥ぎ取ったレディメイドとしてのモナリザは、KOHHの喉元に貼り付けれられることで、再び「礼拝的価値」を纏うようになった。このことは、ライブでKOHHがステージ上に現れるだけで涙を流す聴衆たちがいることの裏付けともなっていよう。しかし同時に、モナリザではなく、レディメイドのコピーを、MCにとって最重要な仕事道具である自身の喉の上に刻印することは、一体何を意味しているのだろうか。

端的に、KOHHの喉を通って発せられる言葉は全て、レディメイドの刻印が刻まれている。何でもない既存の現実は、何でもない既存の「今」は、別の価値を纏う。いや、その価値を転覆させられる。これは「今」という現実に過剰な価値や物語や意味を見出そうとすることへの批判でもある。そしてバタイユの「不確定な現実」の生き方の指南でもある。KOHHの楽曲を再生するとき、私たちは、10の語彙が指し示す現実全てが、レディメイドの作品として陳列された美術館に案内されるのだ。しかし彼のレディメイドのモナリザの刺青の「青」には、ブルースから引き継いだ悲哀の「ブルー」が宿っている。

 

5. 一つの結論 〜二人のリアル〜

パッと咲いて パッと散る

後先考えないのも 格好いい

「あん時は良かった」って 

天国で言うことが楽しみ 

いつかは みんな 死ぬ

遠いのか 近いか 今 生きてりゃいいか

心配もしないで

Living Living Now We Living Now

(KOHH「Now」)

 

風吹かば茸かんぞ嘆くなや

やれ鞍馬眩ます雨氷柱

枯れ草や金蔵建てるなら

爆ぜる莢の種をば何故詠わん

(中略)

花盛りの七竃 紅眼のヤマカガシ 万願甘唐

段々茶畑 赤茶けた雲 天の橋にあらまほし

安産祈願にアンドロメダを見つめた河岸に歪んだ銀河

三半規管に打ち上げ花火が何万ばらまく金平糖

(志人「和蜜 蜜蜂ノ夢」)

 

未回答のまま宙吊りとなっていた、重要な問いの答えの輪郭が現れ来ている。即ち、結局のところ、KOHHが描く「リアル」とは何であったか。

実のところ、私たちは、あるミッシングリンクを抱えたまま、ここまで論を進めて来た。三章で詳細に検討した米国産の「リアル」である類型的なギャングスタ物語に対して、日本の「リアル」はどのような変遷を辿ったのかを、ここに開陳して行こう。

1985〜1994/昭和60年代においては、まずいとうがバブルへの悲哀を歌った。その後、アメリカからキングギドラが「リアル」を持ち込もうとしたが、ゲットーやストリートが未だ発見されていなかった「帝国」=「渋谷」において、悲哀は生まれる余地がなく、反撃の対象としての「J-RAP」が措定された。即ちJ-RAPが象徴するところの、表層を剽窃したエンタメ主義への反撃こそが「リアル」であったのだ。ここでキングギドラが輸入し、作品中で描いたリアルは、たとえば『空からの力』収録の「スタア誕生」で描かれている物語のようにデフォルメされたものだった。

1995〜2004/昭和70年代において、地方と「帝国」=「渋谷」の対立軸が前景化した。特に1990年代後半は北海道や名古屋など「亜周辺」の、そしてゼロ年代前半は新宿、三茶など「周辺」の渋谷に対する反撃があった。即ち「リアル」とは、一局集中する権力への反抗にあったのだ。彼らの中からは、ストリート=路上やゲットーの悲哀を出自とする者も現れた。しかしながら、渋谷を中心とした「さんぴんCAMP」勢よりも自分たちの方が「リアル」であると、反撃自体を目的に掲げた彼らにとって、悲哀は単に武器として利用された。この時期においても、日本語ラップの「リアル」は悲哀自体を根源とすることはなかったのだ。

2005〜2014/昭和80年代においては、日米のラップ史に精通し、オタク的な感性を持ち合わせた新世代のアーティストたちにより、それまでのカウンターに依拠してきた日本語ラップ史そのものに対する反撃が見られる。しかしこれはカウンターという態度それ自体に対する反撃という、メタ視点を伴った立場であり、根源的な悲哀を伴うようなものではない。この段階においては、最早、反撃に依拠しないことこそが「リアル」とされたのだ。その意味で視点移動の問題に引き摺り出されてしまった「リアル」の有効性は一旦失墜しているとも理解できる。

以上をまとめてみれば、結局日本語ラップ史が悲哀を捉えるモメントとは、その起点となる、いとうによるバブル時代へのそれだけであったのではないか。つまり日本語ラップ史とは、「リアル」をもたらす二つの要素である、悲哀と反撃のうち、常に悲哀を欠いた、反撃=カウンターだけの歴史であったのだ。

何かのカウンターであるということはつまり、何かの裏側であるということである。平成の裏側には、65年以降の昭和の虚数が、連綿と貼り付いていたのだ。その意味で、本論では平成元年に生まれたと定義する日本語ラップの歴史は、カウンターの歴史であった故に、平成より寧ろその裏側に貼り付く昭和のディケイドでカウントするに相応しい。

しかし、それでは2015年にKOHHと、そして志人が持ち込んだものとは何であったか。いや、正確には、二人は何かを持ち込んだのではなく、持ち去ったのだ。

二人が持ち去ったのは「私性」である。ラップがそもそも前提としている、私小説的な「私性」を取り去ること。「私性」を持たないことを「リアル」と標榜すること。

志人は一人称視点の上に構築されたラップというフォームから、徹底的に一人称視点を排除しようとしている。『明晰夢 Lucid Dreams』全編を通して、「俺」「私」「ぼく」が登場するのは、曲中の登場人物の語りの中だけである。つまり、志人の中に、一人称を使う語り手は存在しない。唯一、私的体験をしたためた「Eternal Familia」においても自己を「少年」と客観視している。彼は徹底して普遍を、寓話を通して歌う。彼の言葉を聴取する体験は、語り部が紡ぐ物語に耳を澄ますようでもあり、舞台上の俳優の独り芝居を眺めているようでもある。彼は、物語の、劇映画の再生装置として、メディアとして、屹立している。

一方のKOHHは、志人とは全く逆に、徹底して、非物語を描く。文脈を持たない、目の前の対象が、ひたすら一人称の視点で描かれる。しかしKOHHが紡ぐリリックを仔細に眺めてみれば、あることに気付く。一人称と言っても、彼は、自身のフィルターを通して目の前の光景を言語化しているわけではない。彼はあくまでも、記録映画のための一台のカメラのように、彼の視線を、ただ貸し出しているのだ。そのリリックに彼の価値判断は含まれていない。そこに記録されているのは、物事の表層であり、記号である。しかし私たちが、そのカメラアイを自身の両眼に纏い、記録された表層の世界を見やるとき、そこにはKOHHから借り受けた直観の力が宿っている。レディメイドの刻印が押された世界。

そして「私性」を持ち去ったからこそ、逆に取り戻したものがある。悲哀。それは「私性」から生まれる個人的な感情ではない。個人的な出自にまつわるものでもない。「私性」の取り払われた「今」や「普遍」に、二人が描き出す「パッと咲いて パッと散る」「打ち上げ花火」のような生と死に、自然と透けて見えるものである。そして言うまでもないことだが、「私性」なき二人に、「反撃」という概念は存在しない。

かくして、日本語ラップがその根拠としてた「反撃」は、その座を、かつてブルースがパートナーとしていた「悲哀」に空け渡すに至った。それはつまり、日本語ラップの歴史を、カウンターの歴史として、虚数としての昭和でカウントする必然の終焉を、意味する。考えてみれば、昭和90年とは、平成27年の価値を転覆する署名が施されたレディメイドではなかったか。

私性を持たず、過剰な私を語らないことは、世の中の多様性をそのまま受け入れることである。「私性」を取り払うことによる「リアル」とは、カウンター活動とは正反対の方向に舳先を向ける。それは、「悲哀と反撃」から「悲哀と独歩」への転回である。KOHHは、志人は、何ものも排除しようとせず、独り歩く。彼らが描く二つの画面から先、世界への距離感をどのように取るかは、私たちにそのまま託されている問いである。現状、私たちの世界の一つの面においては、SEALDs等の活動により、ラップという手法の持つカウンターの機能がまさにアクチュアリティを持っているかのように、顕在化している。しかし二人によって、カウンターとしてのヒップホップは潜在的に遺棄され、同時に、昭和90年代という虚数の歴史のカウントも、アクチュアリティを喪失したのだ。昭和90年から、平成27年への転回。

既に漏出を始めたこの「リアル」が、日本語ラップを通じて、私たちの世界を更新しつつある。その地平で、ブルーノートは、一体どんな音を響かせるだろうか。

文字数:24526

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