捨てられた空き缶から『スプラトゥーン』へ

てれびでえいがをやっている
おとこのこが4にん せんろのうえをあるいてる
ぼくももういかなきゃ!

1996年に任天堂が発売した『ポケットモンスター 赤・緑』は、主人公である少年が世界中に生息するモンスターを捕まえながら冒険するゲームだ。ストーリーは主人公の家から始まる。家の一階にはテレビが置いてあり、どうやら映画をやっているようだ。主人公を操作してテレビを調べると「おとこのこが4にん せんろのうえをあるいてる」と表示される。一行だけの説明だが、映画ファンならこの作品が何か気付く人も多いだろう。

そう、これは『スタンド・バイ・ミー』のワンシーンである。

アメリカの田舎町に住む12歳の少年達が初めての冒険をする二日間の物語。1986年に公開されたこのアメリカ映画『スタンド・バイ・ミー』が、初代『ポケットモンスター』の始まりの地である主人公の家で流されていたことの意味は大きい。アメリカにおける『ポケモン』ブームを分析した文化人類学者のアン・アリスンによれば、『ポケモン』の生みの親である田尻智や日本のマーケッターたちは、当初日本国外への輸出を全く考えていなかったという。またポケモンカードをデザインしたクリーチャーズ社の石原恒和は、2000年にニューヨークで行われた講演で「ポケモンのゲームは、日本人のためだけに作ったものであり、日本人の遊びであり、映像であり、ゲームであることで十分だと思っていた」と語っている。しかしそのゲームの始まりの地でアメリカ映画の『スタンド・バイ・ミー』が流され、主人公はそれを見て「ぼくももういかなきゃ!」と旅立つのだ。

もっとも、任天堂のゲームと『スタンド・バイ・ミー』の関わりはこれが初めてではない。1989年に発売された『MOTHER』の生みの親である糸井重里は、自身が好きだった映画に同作をあげ、そのオマージュとして『MOTHER』の舞台を80年代アメリカの田舎町に設定したことを明かしている。そこにはアメリカの少年達が持つ冒険心を日本の子供達にも持って欲しいというクリエイターの思いも込められていたのだろうか。いずれにせよ日本のゲーム史を見ていく上でアメリカとの関係は切り離せないものがあるし、それは現在のゲーム業界においても変わらない。例えば今年最も話題を集めた任天堂のゲーム『スプラトゥーン』は、アメリカで人気のあるゲームジャンルを日本風にアレンジした作品と言える。『スプラトゥーン』については後ほど論じていくが、その前にまずは日本のゲーム史をアメリカとの関係の中に振り返ってみよう。その歴史は、ゲーム産業が誕生する遥か以前、第二次世界大戦後の玩具産業にまで遡ることができる。

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実は戦前から日本は子供のおもちゃ製造国として世界的に評価されていたが、その背景にあったのは、かつて神社仏閣で用いられる飾り工芸品を手がけていた職人たちの存在だった。当時の玩具は日本の伝統の宝庫とされる浅草近隣で製造されており、国が近代化を成し遂げようとする中で、日本の伝統技芸は玩具産業という新しい場を見つけたのだ。しかし拡大した玩具産業も、1938年以降、国益に直結する製造物以外の貴重資源の使用禁止を受けて営業停止状態に追いやられてしまう。

敗戦後も原料不足が業界を苦しめた。しかしそんな中、玩具業界はアメリカの進駐軍が毎日出すゴミを利用することを思いついた。進駐軍が捨てた空き缶を米軍のジープに見立てたおもちゃの製造が始まったのだ。金属加工工場を経営していた小管松蔵が発案した「小管のジープ」は戦後初めてのクリスマスに京都の丸物百貨店において十円で販売され、当時貧困にあえいでいた日本人でさえも手に入れられる低価格が功を奏して一時間で数百個が完売した。この大成功の噂は東京にも広がり、アメリカも日本の玩具に興味を示し、敗戦の2年後には正式な貿易商品として認められるまでになる。ただし、そこには一つの条件があった。それはすべての製品に「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」の文字を刻むことだった。

占領下の日本製――「メイド・イン・ジャパン」に「オキュパイド」の刻印が押されていたのはサンフランシスコ講和条約が発効する52年までの短い期間であったが、その期間に刻み込まれた「アメリカの影」は、未だに日本の玩具産業、さらにはゲーム産業へ影響を及ぼしている。当時「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」の玩具は、外貨を稼ぎ、日本人の飢えを満たす食料品の輸入に貢献した。しかしそれはまた、敗戦後の日本人の精神を満たす手段でもあった。職人たちは日本の玩具がアメリカの子供達に受け入られ、アメリカの玩具以上に愛されていくことに喜びと優越心を見出していた。「ものづくり大国」という日本のアイデンティティの原型がここにある。

この時期アメリカで支持された日本の玩具はみなアメリカ人向けにデザインされたものだった。つまり日本の伝統技芸を親に持ち「アメリカ」という産道を通って生まれた「オキュパイド・ジャパン」の玩具たちが、戦後日本の玩具産業の起源なのである。このことの意味を私たちは『ポケットモンスター』を通しても見ることができる。批評家の石岡良治はゲームを「アメリカの軍産複合体の中から生まれ、そこから逸脱していった文化」としてまとめている。また前述のアン・アリスンは『ポケモン』のゲームシステムの特徴としてモンスターの「交換」に着目し、その根底にアメリカを中心とする消費文化の影響を見ている。『ポケットモンスター』は日本で生まれたゲームだが、そこにもやはりアメリカの血が流れているのだ。

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玩具の長い歴史に比べてゲームの歴史はまだ短い。しかしそこにも私たちはアメリカの影響を見ることができる。それどころか、グローバル化が進む現代社会で日本のゲームがどのように海外から影響を受け、どのように海外市場へ開いていくかという問題は、今まで以上に重要となる。世界的な大ヒット作となった『ポケットモンスター』が当初は海外展開を考えられていなかったことや、国内では『ポケモン』と肩を並べる人気を持つ『アンパンマン』が海外ではそれほど普及しなかったことを考えれば、文化の輸出にどのような戦略が求められるかという問いにはまだ多くの余白が残されている。その問いに対するヒントを示唆する作品として、ここでは任天堂のTPSゲーム『スプラトゥーン』を取り上げる。

TPSという聞きなれない言葉が出てきたが、これはRPGやアドベンチャーといったゲームジャンルの一つである。TPSを説明する前に、まずはTPSよりも一般的なジャンルであるFPS(ファーストパーソン・シューティング)を説明しておきたい。これは「一人称視点のシューティング」、つまりキャラクターの視界をプレイヤーの視点として現れる敵を(多くの場合は銃で)撃つゲームのことで、代表的な作品には『Call of Duty』など戦争をテーマにしたものが多く、アメリカを始め海外で圧倒的な人気を得ている。一方、評論家のさやわかはFPSとよく似た日本のゲームとして『バイオハザード』や『メタルギアソリッド』をあげているが、こちらが先ほど述べたTPS(サードパーソン・シューティング)であり、プレイヤーは三人称視点で敵を撃つことになる。いずれにせよこれらの大半は「恐怖」や「戦争」など大人向けのテーマを扱っており、任天堂が主な想定プレイヤーとしてきた子供達には馴染みのないジャンルだったが、それでも海外市場への展開を考えるならばFPS/TPSゲームの開発は避けられないという要請が同社には何度となくされてきた。その要請に応える形で満を持して開発された任天堂版TPSが『スプラトゥーン』なのだ。

『スプラトゥーン』は「イカ」のキャラクターを操作して相手の陣地をインクで塗り合うゲームだ。大人向けのテーマに支配されてきたFPS/TPSの世界に任天堂が出した答えは、インクによる陣取りゲームという「やんちゃ」な遊びのルールだった。実際にゲームをプレイすると世代や国籍を超えて遊ばれるように目配せが随所に凝らされていることがわかる。例えばインクの発射音には銃声ではなく「べちゃ」という粘着質の音が使われているし、撃たれたキャラが血を流して倒れることもない。キャラのモチーフが「イカ」であることも、おそらくはインクからの連想だけで生まれたのではないだろう。先ほど『アンパンマン』の海外展開の不調に触れたが、その原因の一つは「アンパン」や「天丼」といったモチーフが日本食のコンテクストに依存していたからだと言われている。だからこそ『スプラトゥーン』のキャラクターは、『ポケモン』のピカチュウがそうであるように、生き物という普遍的な存在をモチーフに選んだのではないか。『スプラトゥーン』には他にも数知れぬ工夫がなされているが、それらは日本のゲームを世界へ開いていくという目的から生まれた工夫だ。

かつて建築家のレム・コールハースは都市について書いた文章で、現代の空港が「超ローカルと超グローバルの濃縮ミックス」として発展し、そのことで現代社会において「最も際立った、個性的なものの一つ」となったことを論じた。世界に開かれるために、一度ローカルとグローバル両方の条件を精査したうえで、改めて消費の場として開いていく、そのような操作が現代社会では求められているのだと彼は語った。この見方は『ポケットモンスター』や『スプラトゥーン』といったゲーム作品を考える上でも効果的である。日本のゲームを純血の日本文化としてではなく、アメリカとの混血のミックスとして見つめ直すこと。互いのインクを塗り合うような関係性の中に文化の未来を模索すること。その先に、未来のゲーム史は今も作られようとしている。

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